☆万博そぞろ歩き(上)・・鼓動する「iPS心臓」に未来医療の可能性

☆万博そぞろ歩き(上)・・鼓動する「iPS心臓」に未来医療の可能性

あのパビリオンをぜひ見てみたいとの意識はなかったが、誘われるままに「万博見学ツアー」に今月23、24日の両日参加した。企画したのは金沢市内のある生産者団体。金沢から大阪の万博会場まではバスで移動し、休憩が数回入って5時間30分で到着した。梅雨の猛暑と騒がれていたので熱中症を心配したが、大阪は両日とも曇り空でにわか雨もあり、日中の最高気温も30度前後だった。

入り口は西ゲート。結論から言えば、来た甲斐があったと思ったのは、iPS細胞で創られた「小さな心臓」が鼓動する様子を見たときだった。円筒形の容器の赤い培養液の中でドク、ドクと動いている。人には五感というものがあるが、それが強烈に刺激されたような感覚に陥った。人には心と体がある。その生命の源(みなもと)は心臓だと改めて思うと同時に、鼓動するその姿は生命の神秘を感じさせる。(※写真・上は「PASONA」パビリオンで展示されている「iPS心臓」)

説明書きによると、この小さな心臓は大阪大学のチームが作成したもので、コラーゲンの土台にiPS細胞由来の心筋細胞を植え込み、3.5㌢ほどの原型をつくった。血液を循環させる本来の心臓のような機能はない。そういえば、大阪・関西万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」だ。まさに、この小さな心臓はテーマそのものではないか。この作品展示を見た次世代を担う若者たちが生命の可能性を信じて、「iPS心臓」を完成させる未来がやってくるかもしれない、と想像を膨らませた。

万博会場に来て初めて気がついたことは、実にさまざま企業や法人・団体が新技術を用いて作品展示を行っている。その一つがロボット。「未来の都市」パビリオンで展示されている川崎重工業が開発した四足歩行ロボット「CORLEO(コルレオ)」=写真・下=は、2050年の移動手段をイメージして開発した乗り物で、山岳地帯など険しい道での走行を想定している。体を動かしていろいろなポーズを取っていたが、まるで未来世界の映画を見ているような光景だ。ぜひ乗ってみたかったが、残念ながらまだ試乗はできないとのこと。

iPS心臓や四足歩行ロボットを見て、ふつふつと未来社会のイメージが湧いてくる。それが万博の面白さかもしれない。

⇒25日(水)午後・金沢の天気   くもり

★のと・かが小話・・連日猛暑、金沢すいか、ドクターイエロー

★のと・かが小話・・連日猛暑、金沢すいか、ドクターイエロー

きのうきょうと金沢は猛烈な暑さだ。自宅近くの街路の温度計で35度、2日連続の猛暑だ=写真・上、22日正午すぎ、金沢市野田町の山側環状道路で撮影=。テレビニュースによると、金沢から南に位置する小松市ではきのう36.9度となり全国最高を観測、きょうも猛暑となっている。そして、石川県内ではきょう午後5時までに熱中症の疑いで11人が病院に搬送されたようだ。一方、能登半島の北部では午後から大気の状態が不安定となり、3市町(珠洲、穴水、志賀)には洪水警報が出された。ところによって1時間に30㍉の激しい雨が降る見込みで、金沢地方気象台では川の増水や土砂災害などに注意を呼びかけている。

早々と訪れた猛暑の日に合わせたかように、金沢市のJA販売所では「金沢すいか」の売り込みが始まっている。「夏到来 砂丘地より直送」との看板が出ていたので、店に入ってみた。Lサイズものでひと玉2200円。それにしても大玉だ。冷蔵庫に入るだろうかと思いながら見渡していると、4分の1にカットされた「カットすいか」=写真・中=が並んでいたので、これを2個買うことにした。1個780円。

金沢すいかは金沢港近くの砂丘地などで栽培されていて、ひと昔前までは「砂丘地すいか」などと呼ばれていた。それをブランド農産物として知名度を上げ、販路を広げようと生産者が奮闘しているようだ。この地域の農家では伝統野菜である「加賀野菜」の栽培も盛んで、サツマイモの「五郎島金時」や「加賀太きゅうり」、「源助だいこん」などがある。砂丘地だけに水の管理も大変だろうことは想像に難くない。

最近ちょっとした話題になっているのが、金沢市に隣接する白山市にある市立高速鉄道ビジターセンター「トレインパーク白山」で常設展示が始まった「ドクターイエロー」=写真・下=のこと。この黄色い列車は、走りながら線路のゆがみや電線の高さ、信号の動作などを細かく調べる役目を担っている。これらをチェックをすることで、新幹線が安全に走れるようなる。まるで医者の定期検診のような役目から、ドクター・イエローと呼ばれているそうだ。

白山市で常設展示されているのは東海道・山陽新幹線の点検車両として1979年に製造されたもので、2005年に引退した後は「リニア・鉄道館」(名古屋市)で先月まで展示されていた。ドクターイエローは運行ダイヤは不定期で、しかも非公表であるため、知る人ぞ知る列車でもある。このため、その黄色いボディは「幸運の黄色い新幹線」、「見ると幸せになれる」と鉄道ファンの評判を呼んでいた。きょう見学に行くと大勢の家族連れでにぎわっていた。3度目の鉄道人生を歩むことになったドクターイエロー氏、ようこそ北陸へ。

⇒22日(日)夜・金沢の天気   くもり時々あめ

☆のと・かが小話・・参院選ポスター掲示板、能登島の橋、和倉温泉

☆のと・かが小話・・参院選ポスター掲示板、能登島の橋、和倉温泉

参院選挙に向けてポスター掲示板が設置されている=写真・上=。7月3日公示、20日に投開票が想定されてのことのようだが、有権者は何を想うだろうか。金沢市内では592ヵ所に設置される予定で、あす22日までの4日かがりの作業のようだ(20日付・地元メディア各社の報道)。それにしても気になるのは参院選の投票率だ。前回2022年7月10日投開票の石川選挙区の投票率は46.4%、同年4月24日の補選は29.9%だった。辛口の知人は「参院なんて、いらないよ」と。「なぜ」と問うと、「二院制の役割がどこにあるのか見えない。税金のムダ遣い」と手厳しい。

2016年6月19日に改正公選法が施行され、選挙権年齢は満20歳から満18歳以上に引き下げられた。あれから9年、日本の選挙に若者の息吹は感じられるか。これについても、先の知人は「親も行かない選挙に子が行くか」と、これまた冷めた言葉が。

話は変わる。去年元日の能登半島地震で半島の中ほどにある七尾市能登島の「ツインブリッジのと」(中能登農道橋、620㍍)が被災し、1年半にわたって通行止めが続いていたが、今月16日から片側交互通行が可能になった=写真・中=。そこで、今月18日に現地に行って見てきた。能登島と本土をつなぐ橋は2本あり、島の南側の「能登島大橋」(1050㍍)は震災での影響はなかった。一方で、北側のツインブリッジは地震で橋桁が損傷し、さらに道路との間に40㌢ほどの段差ができたことから通行止めが続いていた。このため、島の一部の住民は本土とのアクセスで遠回りを強いられていた。また、能登島にある「のとじま水族館」や「ガラス美術館」へのアクセスにはツインブリッジが近く、復旧が待たれていた。

片側交互通行ながら大動脈が復活したことで、能登島の産業の柱である観光の回復に弾みがつくに違いない。橋梁を管理する七尾市農林水産課と復旧作業を担当する石川県中能登農林総合事務所では来年3月までに片側交互通行の解除を目指すようだ。

能登島からの帰りに和倉温泉に立ち寄った。震災で損壊した旅館やホテルの解体作業が行われていた=写真・下=。地元メディアの報道(6月20日付)によると、和倉温泉旅館協同組合に加盟する20軒のうち10軒が公費または自費で解体。うち1軒は解体を終え、3軒が着手、6軒が今後予定する。現在、建物の修復などを終えた5軒が営業を再開していて、来年春までにさらに4軒が再開の見込みという。

老舗旅館「加賀屋」は来年2026年度中に本館ならびにグループ旅館合わせて4軒の営業再開を目指している。和倉温泉は能登の観光産業の柱でもある。能登島を含めて、復興の弾みとなることに期待したい。

⇒21日(土)夜・金沢の天気  はれ

★のと・かが小話・・横綱大の里、コウノトリ、タチアオイ

★のと・かが小話・・横綱大の里、コウノトリ、タチアオイ

大相撲夏場所で4度目の優勝を連覇で飾り、横綱昇進を果たした大の里関を讃える祝賀ムードは故郷の石川県津幡町ではまだ熱い。町役場の入り口付近には「祝 横綱昇進 大の里関」「祝 幕内最高優勝 大の里関」の2本の懸垂幕が掲げられている=写真・上=。さらに庁舎の中には横断幕も飾られている。今月29日には町主催の祝賀パレードが行われる。パレードの後、文化会館シグナスで報告会が行われ、その後、町の町民栄誉賞、そして石川県の県民栄誉賞の授与式と続く。まさに、故郷に錦を飾ることになる。

ただ、大の里関にはちょっと不安もあるようだ。今月16日に二所ノ関部屋で稽古を公開した折にメディア各社のインタビューに答えていた。「29日に地元でパレードが行われるということで、石川県は雨がよく降るので、晴れてほしいな」と。日本気象協会「tenki.jp」公式サイトの予報では津幡町に隣接する金沢市の29日の天気は晴れ時々くもり、降水確率は30%となっている。ただ、北陸には「弁当忘れても傘忘れるな」との言い伝えがあるほど、予期せぬ雨に見舞われたりすることがある。大の里関はそのことが気になっているのかもしれない。

話は変わる。きのう(19日)能登半島の真ん中に位置する志賀町富来で4年連続で営巣するコウノトリを観察に行った。前回は今月10日だった。そのときは4羽のヒナが大きく成長していて、いつでも飛び立つぞ意気込んでいる様子だったので、もう巣立ちをしているかもしれないと思い、確認の意味で現地に向かった。コウノトリはまだいた。5羽確認できた。親鳥1羽と成長した幼鳥4羽。4羽のうち3羽は巣にいて、1羽は飛び立って近くの丘陵地にいた。そして、よく見ると幼鳥には個体識別用の足環を装着されていた=写真・中=。巣立ちを前に行政が付けたのだろう。コウノトリは国の特別天然記念物で生態が管理されている。

町の人も観察に訪れていた。「コーちゃんはずいぶん成長したね」と声をかけられた。「えっ、だれのことですか」と返すと、「コウノトリのことをコーちゃんと呼んでます」と。地元の人は身近に感じているのだとこのとき思った。そう言えば、前述の津幡町にもコウノトリが3年連続で営巣していて、町ではつがいの名称を公募し、オスをコウタ(幸多)、メスをコウリ(幸里)の愛称で呼んでいる。

富来のコウノトリを観察して山を下りた。すると、ふもとの水田は青々としていて、土手に直立するように咲いているタチアオイのピンクと赤の花が面と線の絶妙なコントラスを描いていた=写真・下=。梅雨の花のタチアオイが咲き誇っていた。

⇒20日(金)夜・金沢の天気  はれ

☆能登半島の真ん中 10月5日にゆかりの一青窈コンサート

☆能登半島の真ん中 10月5日にゆかりの一青窈コンサート

能登半島の真ん中に中能登町(なかのとまち)がある。この町でコメづくりの歴史と文化に関する一大発見があった。1987年のことだが、「杉谷チャノバ タケ遺跡」という竪穴式住居跡から黒く炭化したおにぎりが発掘された。この化石(学術名「チマキ状炭化米塊」)は約2000年前の弥生時代のものと推定され、日本最古のおにぎりと話題になった。同町ではこの発見を記念して6月18日を「おにぎりの日」として定め、それがいまでは全国的に広がっているそうだ。

中能登町には、国の史跡「雨の宮古墳群」がある。眉丈山(びじょうざん・標高188㍍)の山頂にあるが、その山のふもとに一青(ひとと)という地名の水田地帯がある。そう、あの歌手で作詞家の一青窈さんの先祖の地でもある。彼女はこの町出身の母親と台湾人の父親との間で生まれた。前置きが長くなった。その一青窈さんがことし10月5日に開催される町祭に初めて出演することになった(今月17日付・地元メディア各社の報道)。

町祭は新型コロナ禍で2019年を最後に開催していなかったが、ことしは町制20周年でもあり音楽イベントとして6年ぶりに復活する。そのステージに町ゆかりの一青窈さんが立つことになった。今月16日に開催された町議会本会議の一般質問で町長が明らかにした(同)。

一青窈さんに対して町の人たちの思い入れを感じる。ヒット曲に『ハナミズキ』がある。中能登町では、JR西日本金沢支社に働きかけ、2015年にJR七尾線の駅で列車の接近を知らせるメロディーをこの曲に変更してもらった。町内にある良川、能登二宮、能登部、金丸などの7駅で、電車が通るたびにメロディーを聴くことができる。

そして同町には花見月(はなみづき)という地名の田園地帯がある。「づ」と「ズ」の違いはあるものの、発音は同じなので、『ハナミズキ』は母親の故郷にちなんだ曲なのかとも連想した。この件を町役場のスタッフに問い合わせたことがある。すると、「その話はこの地を訪れた人からよく尋ねられるのですが、以前ご本人に確認したところ、偶然ですという回答で、花見月を想定した曲ではないとのことでした」との返事だった。

6年ぶりに開催される町祭のステージ、町内外から注目が集まっているに違いない。とりとめのない話の流れになった。

⇒19日(木)夜・金沢の天気  はれ

★「酒蔵の科学者」農口杜氏に学ぶ 金沢大学生がコラボ酒 

★「酒蔵の科学者」農口杜氏に学ぶ 金沢大学生がコラボ酒 

このブログで何度か取り上げた日本酒の杜氏の農口尚彦氏は92歳にして現役だ。酒造りの手法は「神技」とも評される。日本酒の原料である米のうまみを極限まで引き出す技を使う。それは、米を洗う時間を秒単位で細かく調整することから始まる。米に含まれる水分の違いが、酒造りを左右するからだ。米の品種や産地、状態を調べ、さらには、洗米を行うその日の気温、水温などを総合的に判断し、洗う時間を決める。勘や経験で判断しない。これまで、綿密につけてきたデータをもとにした手法だ。

なので、農口杜氏は「酒蔵の科学者」とも評される。農口杜氏の酒蔵が「農口尚彦研究所」との名称なのも、このためだ。その研究所に、金沢大学の学生プロジェクトのメンバー14人が通い、酒造りの技術について研究を始めたのは去年1月だった。農口杜氏の指導で学生たちがチャレンジしたのは、有機米と伝統的な手法である「山廃仕込み」の組み合わせ。学生たちは農口杜氏の酒造りの技を数値化し、データ解析も行った。

去年12月には日本酒などの「伝統的酒造り」がユネスコの無形文化遺産に登録され、酒造りに弾みがついたことは言うまでもない。その酒が初しぼりを終えて瓶詰され、今月10日にお披露目された(メディア各社の報道)。名称は「志(こころざし)」とし、金沢大学の和田隆志学長が揮毫した=写真・上=。あくまでも学生たちの学びを通した醸造なので、一般の酒店での販売はない。金沢大学の生協のみで販売されている。

このことをニュースで知って、さっそく生協に買いに行った。すると、大学関係者や市民からすでに40件の予約が入っていて、後日になるとのこと。手に入ったのは1週間経ったきょうだった。農口杜氏と学生たちのコラボレーションで造られた酒は720㍉㍑で税込み5500円。

 農口杜氏は学生たちとの相性がいい。自身が金沢大学で教員をしていたときに担当していた地域学の講義に、非常勤講師として酒造りをテーマに講義をお願いした。毎回自ら醸造した酒を持参して、講義の終わりには学生にテイスティングしてもらい、学生たちの感想に熱心に耳を傾けていた=写真・下=。農口杜氏はまったくの下戸(げこ)で飲めない。その分、飲む人の話をよく聴く。酒通だけでなく、学生や女性、そして海外から訪れた人からの客観的な評価に率直に耳を傾ける。それをノートにまとめ、「研究室」に積んでいる。チャレンジする学生たちの志とぴったりと合うのだ。さて、この「志」をいつ賞味しようか。

⇒17日(火)夜・金沢の天気   はれ

☆震災遺構は「地域資源」なのか 住民感情との微妙なズレ

☆震災遺構は「地域資源」なのか 住民感情との微妙なズレ

きょうの金沢は朝方に雨が降ったせいか、蒸し暑い一日だった。自宅近くの街路の温度計で34度、真夏日だ。テレビニュースによると、金沢から南の小松市では35度を超えて猛暑日となった。金沢地方気象台のデータでは、石川県内でもっとも早い猛暑日は1978年6月17日だったので、これを1日更新したことになる。あすからも真夏日は続くとの予報だ。

話は変わる。去年元日の能登半島地震の被災地では、被害を受けた建物などを「震災遺構」として残す動きが始まっている。石川県の「創造的復興プラン」ではリーディングプロジェクトとして13の取り組みを打ち出しているが、その中に「震災遺構の地域資源化に向けた取り組み」がある。このプランに沿って、半島の尖端部分にあたる能登町では地震と津波、そして火災で被災した白丸地区の白丸郵便局を震災遺構として保存・活用する計画を進めている。

郵便局は防波堤を乗り越えてきた高さ5㍍近い津波で窓や壁、内部が壊れた=写真・上、2024年11月5日撮影=。地元メディア各社の報道(6月14日付)によると、この郵便局を震災遺構として残すことに反対意見もあるようだ。今月13日の町議会本会議での一般質問で、ことし3月の町長選で初当選した吉田義法町長は「半永久的に保存する思いはない。まずは10年をめどに考えたい」と述べた。

吉田氏は町長就任前の町議のときは地域住民の感情を考慮して保存反対の立場をとっていた。しかし、前町長がすでに震災遺構の手続きを進めており、すでに県観光連盟がまとめた「震災学習プログム」の中に組み込まれていることから、今も反対の立場ながら、「まずは10年」発言となったようだ。

震災遺構についてはこれまでも議論があった。2011年3月11日の東日本大震災での気仙沼市のケース。津波で陸に打ち上げられた大型巻き網漁船=写真・下、2011年5月10日撮影=を同市は震災遺構として保存を目指していた。ところが反対論もあり、市民アンケートを実施したところ、回答数のうち68%が「保存の必要はない」で、「保存が望ましい」16%を大きく上回った。この住民の意向を受けて、漁船は解体撤去された。

被災住民とすれば、日常の光景の中でいつまでも震災の面影を見たくはなかったのだろう。震災遺構の指定に行政は住民の微妙な感情に配慮する必要があることの事例でもある。

⇒16日(月)午後・金沢の天気   くもり

★能登復興テーマに対話集会 知事案「国際芸術祭を6市町で」

★能登復興テーマに対話集会 知事案「国際芸術祭を6市町で」

きのう14日、能登空港敷地内の施設で経済同友会(東京)が主催する、能登の復興に向けた対話集会「のとマルチセクター・ダイアローグ」が開催され、会員企業やNPO、自治体の関係者ら100人が参加し、「食」や「観光」、「復興拠点・アート」、「災害対応の訓練施設」など6つのテーマごとに分かれて話し合った(15日付・地元新聞各社)。

この中で、石川県の馳知事は、奥能登国際芸術祭を珠洲市の単独開催から震災で被害を受けた能登6市町(珠洲、輪島、能登、穴水、七尾、志賀)に広げる案を示した。今後、県議会での同意を踏まえて進め、開催時期に関しては「復旧復興に時間がかかっているので、タイミングを見ながら」としている(15日付・北國新聞)。(※写真は、奥能登国際芸術祭のシンボル的な作品、塩田千春氏作『時を運ぶ船』。能登地震での被災は免れた=2023年8月23日撮影)

奥能登国際芸術祭について、主催する珠洲市の泉谷市長は今月7日の実行委員会総会で、去年元日の地震や9月の「記録的な大雨」の影響から、来年予定していた開催を見送る意向を示していた。上記の知事提案はこれを受けたカタチで、国際芸術祭は一度は休止するものの、発展形として6市町に開催地を広げて再開すれば、県が進めている「創造的復興策」として繋がるという想定なのだろう。

マルチセクター・ダイアローグに参加した経済同友会の新浪剛史代表幹事は、報道陣に対して、能登空港を拠点に災害対応の訓練施設(ディザスターシティ)を設ける案を示し、「各地で災害が増えることを想定し、訓練の場を社会として残していかないといけない」と話した(14日付・日経新聞web版)。

今回のマルチセクター・ダイアローグは去年11月に続き、2回目の開催となった。次回はことし11月で、復興に向けたプランの発表が行われる。

⇒15日(日)午後・金沢の天気  あめ

☆奥能登芸術祭は来年見送り 復興へ「珠洲と踊ろう!」  

☆奥能登芸術祭は来年見送り 復興へ「珠洲と踊ろう!」  

イスラエルによる空爆を受けたイランは報復として、150発以上のミサイルでイスラエルを攻撃。テルアビブにある高層ビルなどが被弾した。イスラエルもイラン各地への空爆を継続している。交戦状態に入り、攻撃の応酬に歯止めがかかる様子はない(マスメディア各社の報道)。それにしても、国連安保理の存在感がさらに希薄になった。ロシアによるウクライナ侵攻も同様で、ロシアは常任理事国で拒否権があるため、安保理は法的な拘束力がある決議を何一つ成立させていない。これでは世界の「国連離れ」がさらに進むのではないか。

話は変わる。このブログでも何度か取り上げた奥能登国際芸術祭は、3年に1度のトリエンナーレで開催されていて、来年2026年は4回目の開催となる予定だったが、主催者の珠洲市の泉谷満寿裕市長は来年の開催を見送る考えを明らかにした(6月8日付・地元メディア各社の報道)。今月7日に開催された芸術祭実行委員会総会で泉谷氏が説明した。能登半島の尖端に位置する同市は去年元日の地震と9月の「記録的な大雨」に見舞われ、営業を再開した宿泊施設や飲食店などが少ないこと理由に挙げた。

奥能登国際芸術祭は2017年に初めて開催され、2回目は2020年開催の予定だったが、新型コロナウイルス感染症の影響により2021年に延期。2023年に3回目が開催された。泉谷市長は先月5月10日に開催された「大学コンソーシアム石川」主催の講義=写真・上=で質問に答えるカタチで、「震災で宿泊施設の復旧もままならない状態なので2026年は見送り、2029年を目指す」と述べていた。

同市では復旧、そして復興を後押しするいろいろな動きが出ている。国際芸術祭の総合ディレクターである北川フラム氏は震災の復興支援を行う「奥能登すずヤッサープロジェクト」を立ち上げている。アーティストやサポーターで構成する有志グループで、被災したアート作品の修繕や再建、ボランティア活動などを行っている。

また、今月19日からは、コスチュームアーティストで知られるひびのこづえさんが「珠洲応援ダンスプロジェクト」と銘打って、魚の衣装とユーモラスな音楽での踊りや、ダンスで手を動かしながらポーチやカーテンをつくる手作りのワークショップを行う=写真・下、チラシ=。芸術祭を通して珠洲と深く関わったアーティストが思いを寄せて集まって来ているようだ。

⇒14日(土)夜・金沢の天気  くもり時々あめ

★梅雨の中休みに草むしり したたかなチドメグサの話

★梅雨の中休みに草むしり したたかなチドメグサの話

テレビメディア各社の速報によると、イランの首都テヘランで複数の大きな爆発音が聞こえたと第一報。同時に、イスラエル軍はイラン各地の核関連施設を含む数十ヵ所の軍事目標への第1段階の攻撃を行ったと発表した、と報じている。イスラエルは敵対するイランの核開発を強く非難しており、核施設を攻撃するとかねて警告していた。この動きがロシアによるウクライナ侵攻などに今後どう連鎖するのか、不穏な動きが漂う。

話は変わる。梅雨の中休み、金沢はきのうきょうと晴れの天気に恵まれた。チャンスとばかりに、庭の草むしりを行った。何しろこの時季、雑草が勢いがすさまじい。昭和天皇のお言葉に「雑草という草はない。どんな植物でもみな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる」という有名なフレーズがあるので、あえて植物名で言えば、スギナ、ヨモギ、ヤブカラシ、ドクダミ、チドメグサなどだ。取っても抜いても、必ず復活してくる植物だ。

中でも手強いのがチドメグサだ=写真=。ほかの草と比べても、自身の思い込みでもあるが、生態のレベルが格段に高い。漢字では「血止め草」と書き、学名は「Hydrocotyle sibthorpioides」。葉の汁には止血成分が含まれ、古くから民間で外傷の止血に使ったためこの名があるようだ(Wikipedia「チドメグサ」)。

生態のレベルが高いと前述したが、この草と向き合っていて、人に重宝されてきたというプライドと同時にずる賢さを感じる。たとえれば、「隠れ蓑」戦術だろうか。細い茎はよく枝分かれし、節から根を出して地面をはうのだが、芝生の生息地に入り込み、目立たないように勢力を拡大しているのだ。目を凝らして、なんとか葉や茎は取っても、芝生の根にチドメグサの根が絡まって離れようとしない。一本一本外すとなると相当な労力と時間がかかる。

もう一つのずる賢さは 「空蝉(うつせみ)の術」だ。大切にしているスギゴケの庭に入り込んでいる。スギゴケ群の中では、チドメグサは見えにくい。葉と茎を1本取ったかと思ったら、隠れるように別の葉と茎がある。まるで分身があちこちにあり、本体の根っ子の部分がなかなか見つからない。つまり、自分の分身を周囲につくり、人の注意を振り分けている。すると、こちらがうっかりとスギゴケを抜くこともある。人の注意をそらす、したたかな草なのだ。

植物と向き合い、直接手で触れて想像をめぐらしながら草むしりをする。楽しく充実したひとときでもある。

⇒13日(金)午後・金沢の天気   はれ