☆横綱・大の里が優勝 2場所ぶり無念晴らす

☆横綱・大の里が優勝 2場所ぶり無念晴らす

地元石川県出身の郷土力士、横綱・大の里は横綱として初の優勝を果たした。じつにドラマチック展開だった。結びの一番、1敗でトップの大の里は2敗で追う横綱・豊昇龍と対戦し、押し出しで敗れて2人が13勝2敗で並んだ。そして、横綱同士の優勝決定戦。大の里は寄り倒しで優勝を決めた。大の里の優勝は2場所ぶり5回目で、ことし夏場所後に横綱に昇進してからは初めとなった。

テレビで観戦していてもハラハラする優勝決定戦だった。取組前まで豊昇龍には、1つの不戦勝を除くと1勝6敗だった。合口のよくない相手に本割で敗れて13勝2敗で並び、正直に嫌な予感が漂ったが、優勝決定戦で雪辱を果たした。実況アナウンスによるとと、横綱同士による優勝決定戦は、2009年初場所の朝青龍と白鵬(優勝は朝青龍)以来、じつに16年ぶりだった。(※写真は、横綱・大の里=日本相撲協会公式サイトより)

大の里の地元の津幡町福祉センターではパブリック・ビューイングが開催され、住民など260人が集まり観戦した。優勝決定戦の土俵に大の里があがるとファンは大きな声援を送ったり大の里の名前を書いた紙を掲げたりして取組を見守った。そして、寄り倒しで大の里が優勝を決めると、会場は一斉に立ち上がって喜び、大きな歓声があがった(28日付・NHKいしかわニュースWeb版)。

大の里にとって今回の優勝は面目躍如だったのではないだろうか。前回の七月場所は、新横綱での優勝を目指していたが、4つの金星を与え、千秋楽を待たずに賜杯争いから脱落してしまった。当時のインタビューでは「反省している。最後優勝争いに加われなかったのは悔しい」と唇を噛みながら語っていた。無念だったに違いない。

きょうの優勝後の場内インタービューでこう答えていた(抜粋)。

―横綱という最高位についてからは初めての優勝。どんな胸の内
「先場所、苦しい経験をして、もうあの経験は二度としたくないということで、稽古に励んで、今日こうやって2場所目で優勝することができてうれしいです」

―横綱という立場になっての2場所目になりましたが、何か横綱とはというところを今感じていることはありますか
「いや、もうあまり考え過ぎずに、いつも通り、今まで通りを、自分をやることが全てかなと思ったんで。今回いつも通りのことをやることができたので、優勝することができました」

大の里は2場所ぶりに優勝を決め、七月場所の無念さを晴らしたのだろう。「いつも通り、今まで通り」の想い戻ってきたようだ。

⇒28日(日)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

★味覚の秋~冷めてもうまい新米、サンマの究極の楽しみ方~

★味覚の秋~冷めてもうまい新米、サンマの究極の楽しみ方~

秋分の日が過ぎて、日が暮れるのがめっきり早くなった。季節は急ぎ足で秋に向かっている。そんなことを感じさせるのがスーパーかもしれない。近所のスーパーに行くと、柿やナシ、イチジク、ブドウなどの果物や、金時草など加賀野菜も売り場に並んでいて、色鮮やかな実りの秋が目に飛び込んでくる。そして、秋は新米の時季でもある。石川県の新米の主要銘柄は、このブログで何度か紹介した「ゆめみずほ」、「コシヒカリ」、そして「ひゃくまん穀」だ。売り場に行くと、ひゃくまん穀がキャリーカートに積まれて並んでいた=写真・上=。県産ブランド米の3銘柄が店頭にそっていて、実りの秋本番を迎えたようだ。

ただ、値段を見て身を引いた。店頭価格は5㌔袋で4947円(税込み)だ。去年は2800円余り(同)だったので、7割ほど価格がアップしている。今月12日付のブログでも述べたが、同じ県産米の「一粒のきらめき」は5㌔税込み5379円だ。去年の新米は同2312円だったので、倍以上の値段になっている。7割、そして倍以上、コメの価格高騰は続いている。それでも、新米を買い求める客が次々と訪れていた。昔からよく言う、「冷めてもおいしい新米」と。

そして魚売り場に行くと秋の味覚、サンマが並んでいる。塩焼きの価格が1匹359円。「ただ今 焼きたて」「当店で焼きました!」と貼り紙がある=写真・下=。こんがりと香ばしいにおいがしたので1匹購入した。店員の話だと、ことしのサンマ漁は東北から北海道にかけて昨年より好調な水揚げが続いていて、価格も去年より3割ほど安いようだ。

サンマの塩焼きを見ると、子どもの頃を思い出す。「魚をきれいに食べる」とほめられたこときっかけで、身をほぐして食べるようになった。友人から、「ネコまたぎ」と言われた。ネコもまたいで通り過ぎるくらいに身を残さず食べる、との意味だ。ほめ言葉ではないが、そう言われても悪い気はしない。それがいまも続いている。

影響を受けたのは父親からだった。父親はご飯茶碗にその骨を入れ、熱湯を注ぎ、醤油を少したらして、すすっていた。「これが一番うまい」と。確かに晩酌をしながら、酒の肴にサンマをつつき、食べ終えて口直しに骨湯をすするというのは理にかなっているかもしれない。自身はそこまでしていないが、究極のサンマの楽しみ方なのかもしれない。

きょうは大相撲秋場所14日目。地元石川県出身の横綱・大の里は大関・琴桜の休場による不戦勝で13勝1敗となった。単独首位のまま千秋楽を迎え、優勝決定は2敗の豊昇龍との横綱同士の結びの一番に持ち越された。これも楽しみだ。

⇒27日(土)夜・金沢の天気  くもり

☆自民総裁選で小泉陣営にステマ騒動 ネット動画やらせコメント

☆自民総裁選で小泉陣営にステマ騒動 ネット動画やらせコメント

けさ叩きつけるような雨音に目が覚めた。ちょうど午前5時だった。昨夜は暑かったので寝室の窓を開けて就寝したのであわてて閉めた。何しろ周囲が霞むほどの激しい降りだった=写真・上、金沢の自宅2階から午前5時3分撮影=。降り始めから6、7分で止んだ。また来るのかとスマホでチェックするも、そもそも金沢に雨マークがない。にわか雨だったのか。

政界にも激しい雨が降ったようだ。果たしてにわか雨でことは終わるのか。共同通信Web版(25日付)によると、自民党総裁選(10月4日投開票)に立候補した小泉進次郎農相の陣営が、インターネット上の配信動画に小泉氏を称賛するコメントを投稿するよう要請するメールを陣営関係者に送っていたことが25日分かった。今週発売の週刊文春が報じた=写真・下=。小泉陣営の広報班長を務める牧島かれん元デジタル相の事務所が陣営関係者に「ニコニコ動画」にポジティブなコメントを書いてほしいとメールで要望。「総裁まちがいなし」や「泥臭い仕事もこなして一皮むけたのね」など、24のコメント例文を紹介した。

小泉陣営の事務局幹部を務める小林史明衆院議員は国会内で記者団に文春の報道についての事実関係をおおむね認めた。小林氏は「陣営としてルールを守ってやっていく方針を共有している」と述べた。また、牧島氏からのメールには、「ビジネスエセ保守に負けるな」という文例もあったことについては、「(総裁選候補で保守派の)高市早苗前経済安全保障担当相を批判したという意味では全くないと牧島氏も言っている」と語った。

上記の共同通信の報道は、小泉陣営にいわゆるステマ(ステルスマーケティング)の指示があったことを文春が暴露したと述べている。そもそも、「やらせコメント」を書き込むよう陣営内で指示が出たということは、小泉氏は総理にはまだ能力不足があり、それを補うための苦肉の策と陣営内では受け止められているのではないか。このニュースを見て、そう思った党員・党友は少なからずいるはずだ。

この事態を受けて、小泉氏本人はどう動くのか。きょうの閣議後の記者会見で、記者から引き続き総裁選には出続けるのかと問われ、小泉氏は「起こってしまったことの責任は私にある。批判はしっかりと受ける」と述べ、総裁選から撤退する考えはないことを明らかにした(26日付・共同通信Web版)。

⇒26日(金)午後・金沢の天気  はれ時々くもり

★北斎と広重の浮世絵236点 叙情豊かに迫る臨場感

★北斎と広重の浮世絵236点 叙情豊かに迫る臨場感

芸術の秋来る。金沢市の石川県立美術館で、浮世絵の二大絵師、葛飾北斎と歌川広重の展覧会が開催されている。タイトルが面白い。「北斎・広重 大浮世絵展 巨匠対決!夢の競演 あなたはどっち派?」=写真=。きょう鑑賞に行ってきた。

会場には北斎の『冨嶽三十六景』や、広重の『東海道五拾三次之内』など作品236点が展示されている。タイトルにある、北斎と広重の対決の第一章が「東海道五十三次」。解説書によると、広重は天保3年(1832)、江戸幕府が京都の朝廷へ馬を献上する「八朔の御馬献上」の一行に加わり京を目指し、その時のスケッチをもとに、翌年『東海道五拾三次之内』を刊行した。当時広重は37歳で、これが大ヒットし人気絵師となる。一方の北斎はこれより30年以上も前の享和~文化年間(1801~1817)に7種の『東海道五十三次』シリーズを描いている。

ポスターにある絵を鑑賞する。上はよく知られた北斎の『冨嶽三十六景』の「神奈川沖波裏」。北斎が生涯こだわりを持って挑み続けたのが「波」の表現とされる。この作品の波はまさに変幻自在に描かれ、海外では「The Great Wave」という名で知られる。今にも飲み込まれそうな小舟、小さく聳(そび)える富士山が大波の臨場感を引き立てる。そして、ポスターの下は広重の『東海道五拾三次之内』の「日本橋 朝之景」。朝焼けを背に国許(くにもと)へ帰る大名行列が橋を渡り始める様子が描かれている。箱持ちを先頭に毛槍と続き、陣笠の武士たちが整然と列をなしている。日本橋の手前には魚河岸から帰った魚屋や野菜売りがいて、人々の営みが生き生きと描かれている。

会場では広重の絵をじっくり鑑賞した。伝わってくるのは、自然をめでる人の感性に寄り添うような親しみやすさだ。『東海道五拾三次之内』の「沼津 黄昏図」から感じたこと。夕闇の中、宿へ急ぐ巡礼の親子と、その後ろに祭りの神「猿田彦」の面を背負った、おそらく金毘羅詣の旅人の姿がある。並木の間に月が浮かぶ。何とも風情ある光景だ。どんな気持ちで旅路を行くのか。日本人の感性として、画中の人物に感情移入したくなる。

北斎は巧みな線による大胆な構図と独創的な画風で風景を、そして広重は旅情を感じさせる光景を描いている。このほか北斎と広重の役者絵や妖怪絵、滑稽絵など浮世絵の競演が楽しめる。236点を鑑賞するのに3時間余り費やした。

⇒25日(木)夜・金沢の天気

☆高額献金めぐる旧統一教会の「深い闇」 どう断罪するのか

☆高額献金めぐる旧統一教会の「深い闇」 どう断罪するのか

世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の教団トップの韓鶴子総裁が23日、韓国の特別検察官によって政治資金法違反などの容疑で逮捕された(24日付・メディア各社の報道)=写真=。メディアによると、韓容疑者は2022年4月から7月、元教団幹部らと共謀し、教団に便宜を図ってもらう目的で尹前大統領の妻・金建希被告=斡旋収賄罪などで起訴=に高額のネックスレスなどを贈った疑いが持たれている。旧統一教会の問題についてこれまで何度かブログで取り上げた。解明されるべきはこの教団の日本での金集めの仕組みだ。これまでのブログから以下、再録する。

東京地裁はことし3月25日、文科省の解散命令請求を受けて、日本の旧統一教会に対して解散を命じた。安倍元総理の射殺事件(2022年7月8日)から端を発し、犯人が恨みを持っていたという旧統一教会に解散が命じられるという展開になっている。もう半世紀も前の話だが、自身も高校生のころにこの教団に洗脳されそうになった経験がある。

教団の霊感商法が社会問題となり、2009年2月に警視庁の摘発を受け複数の教団信者が逮捕されるという事件があった。その後も霊感商法は後を絶たず、全国霊感商法対策弁護士連絡会の記者会見(2022年7月12日)によると、1987年から2021年に連絡会などに寄せられた元信者らの被害件数は約3万4500件、被害金額は計約1237億円に上るという。これはあくまで被害総額であって、実際の献金はこの数十倍にもなるようだ。2023年7月3日付の共同通信Web版によると、韓総裁は同年6月に開催された教団内部の集会で、「日本は第2次世界大戦の戦犯国家で、罪を犯した国だ。賠償をしないといけない」などと発言していたことが音声データなどで分かった。

多額の献金は韓国の本部に集められた。それはどこに流れたのか。「文藝春秋」(2023年1月号)は「北朝鮮ミサイル開発を支える旧統一教会マネー4500億円」の見出しで報じている。旧統一教会と北朝鮮の接近を観察していたアメリカ国防総省の情報局(DIA)のリポートの一部が解除され、韓国在住ジャーナリストの柳錫氏が記事を書いている。旧統一教会の文鮮明教祖は1991年12月に北朝鮮を訪れ、金日成主席とトップ会談をした見返りとして4500億円を寄贈していた、と。

さらにDIA報告書では、1994年1月にロシアから北朝鮮にミサイル発射装置が付いたままの潜水艦が売却された事例がある。売却を仲介したのが東京・杉並区にあった貿易会社だった。潜水艦を「鉄くず」と偽って申告して取引を成立させていた。韓国の国防部は2016年8月の国会報告で、北朝鮮が打ち上げたSLBM潜水艦発射型弾道ミサイルは北朝鮮に渡った「鉄くず」潜水艦が開発の元になっていたと明かした。この貿易会社の従業員は全員が旧統一教会の合同結婚式に出席した信者だった。

高額献金をめぐる旧統一教会の「深い闇」をどう断罪するのか。断罪がなければまた繰り返される。

⇒24日(水)夜・金沢の天気   はれ

★自民総裁選に期する論戦~対アメリカ外交、人口減対策、教育改革~

★自民総裁選に期する論戦~対アメリカ外交、人口減対策、教育改革~

まるで人気投票のような雰囲気の選挙だ。日本の政治の舵取りはこれでいいのだろうかとマスメディアの報道などを視聴していてつい思ってしまう。自民党の総裁選挙はきょう22日に告示され、投開票は10月4日となる。そして、今回の総裁選で出てきた「フルスペック」という言葉もなんだか分かりにくい。

フルスペック方式の総裁選はいわゆる「国の会議員票」(現在295票)と全国の党員などによる「党員票」(295票)の合わせて590票で争われる。党員票は全国で100万人余りに及ぶ党員・党友が投票を行い、ドント方式で票換算する。この方式は、選挙で各候補者の得票数を1、2、3……と整数で割っていき、商が大きい順に295票を配分する。問題はここから。過半数を得た候補者が総裁に就くが、過半数を得られなかった場合は上位2候補者で決戦投票を行う。この場合は国会議員票の295票と都道府県連票の47票の計342票の過半数を得た候補者が総裁となる。この方式は自民党の「総裁公選規程」で定められている(9月7日付・NHKニュースWeb版、選挙ドットコムなど参考)。

去年9月の総裁選では投票権を持つ党員・党友は全国で105万人余りで、投票率は66.16%だった。ちなみに、総裁選の規定では、投票権を持つ党員・党友は去年までの2年間、党費などを納めた者と決められているそうだ。今回の告示後の日程は、あす23日午前に共同記者会見、午後は公開討論会、30日には政策討論会がいずれも党本部で開催される(9月18日付・NHKニュースWeb版)。

冒頭の話に戻る。今回の総裁選では人柄ではなく、直面する日本の課題を論点にしてほしい。一つは、対アメリカに対する現実的な外交だろう。トランプ政権の下でいつまで「追随外交」が続くのか。日米安保条約を修正して日本独自の選択肢を持つ必要があるのではないか。そして、年間90万人が減少する日本の国力は確実にやせ細っていく。将来を見据えた移民政策を打ち出すのか、出さないのか。国の方針をはっきり定めるときが来たのではないか。そして、世界はAIとITのトレンドのただ中にある。現行の教育や学習体系をどう変革させていくのか。

総裁選ではこうした直球の議論を戦わせてほしいものだ。自身は党員・党友でもないが・・・。(※絵画は、ヴァチカン美術館のラファエロ作『アテネの学堂』。上のプラトンとアリストテレスは論争を繰り広げているが、下のヘラクレイトス=左=とディオゲネス=右=は我関せずの素振り)

⇒22日(月)午後・金沢の天気   はれ

☆能登に帰ってきた等伯の国宝「松林図屏風」 精細複製「楓図」も

☆能登に帰ってきた等伯の国宝「松林図屏風」 精細複製「楓図」も

安土桃山時代の絵師、長谷川等伯は能登半島の七尾で生まれ育った。等伯の代表作「松林図屏風」は日本水墨画の最高傑作とも言われ、東京国立博物館が所蔵する国宝でもある。作品が初めて能登に帰ってきたのは、2005年5月に開催された石川県七尾美術館の開館10周年特別展だった。その松林図屏風が20年ぶりに能登に帰ってきたので、きょうさっそく七尾美術館に見に行ってきた。美術館は去年元日の能登半島地震で休館が続いていたが、きょうが再開の初日でもある。

テーマは開館30周年記念・震災復興祈念「帰ってきた国宝・松林図屏風 長谷川等伯展」=写真・上=。等伯は33歳の時に妻子を連れて上洛。京都の本延寺本山のお抱え絵師となり創作活動に磨きをかけた。一方で、京都画壇の一大勢力となっていた狩野永徳らとのし烈な争いがあったとされる。等伯が松林図屏風を描いたのは長男・久蔵が没した翌年の1594年。等伯56歳だった。強風に耐え細く立ちすくむ能登のクロマツの風景に等伯は自らの心を重ねたのだろうか。展示会場では、松林図屏風のほかに、能登半島地震で被災した能登各地の寺院から救出された等伯の作品を含め19点が並んでいる。等伯展は10月16日まで。(※写真・中は、国宝「松林図屏風」=国立文化財機構所蔵品統合検索システムより)

等伯の国宝「楓図(かえでず)」の高精細複製=写真・下=も同じ七尾美術館で展示されている。金色の風景を背景に、楓の大木の幹や赤と緑の葉が描かれていて、秋の自然がダイナミックに描写された作品だ。京都の智積院が所蔵する楓図を、精密機器メーカー「キヤノン」が独自のデジタル技術を使い、NPO法人「京都文化協会」と共同で複製したもの。キヤノンの担当スタッフの解説によると、カメラで分割して撮影したデータをつなぎ合わせ、特性の和紙に印刷。その上で京都の伝統工芸士が金箔などで装飾したものだという。

この複製品はキヤノンから地元の七尾市役所に寄贈され、美術館ではガラスケースなしで展示されていている。ある意味で等伯の技がリアルに観察できる。展示はあす21日午前中まで。

⇒20日(土)夜・金沢の天気  雷雨

★能登「記録的な大雨」から1年 国の名勝・時国家庭園を修復へ

★能登「記録的な大雨」から1年 国の名勝・時国家庭園を修復へ

能登半島の北部で降ったあの「記録的な大雨」から間もなく1年になる。2024年9月20日から22日にかけて線状降水帯が発生し、輪島市では22日午後10時までの48時間雨量が498.5㍉に達する豪雨となった。このため、土砂崩れによる道路の寸断が各地で起き、輪島市を中心に山間地の集落115ヵ所が孤立した。さらに、裏山でがけ崩れが起きて民家が倒壊。また、大量の流木が増水した川に流れて市内の橋にひっかり、土砂ダム状態になった。家屋倒壊や濁流に巻き込まれるなど合わせて17人が亡くなった(関連死1人含む)。

記録的な大雨で文化財も被災した。輪島市町野町にある国の重要文化財である「時国家住宅」。日本史の教科書にも出てくる、平氏と源氏が一戦を交えた壇ノ浦の戦い(1185年)で平家が敗れ、平時忠が能登に流刑となった。その時忠の子孫が時国家とされる。2軒ある時国家のうち、山のふもとにある「時国家」は主屋が1963年に国重要要文化財に、庭園が2001年に国名勝に指定。また、丘の上にある「上時国家」は主屋が2003年に国重要要文化財に、庭園が2001年に国名勝に指定されている。両家の主屋はともに茅葺民家で、能登の厳しい気候風土に耐えながら紡いできた800年余りの歴史の風格を伝えてきた。

両家ともに去年元日の能登半島地震では最大震度7の揺れ、そして9月の豪雨では裏山が崩れ、主屋と庭園それぞれ被害を被った。地元メディアの報道によると、そのうち主屋の倒壊を免れた時国家では庭園の復旧作業が始まったとの報道があり、現地を訪ねた。復旧に取り組んでいるのは、庭園の保存継承を担う「文化財庭園保存技術者協議会」(事務局・京都市)。9月の豪雨では裏山が崩れ、大量の土砂が庭園全域を高さ1㍍から1.5㍍にわたって覆った。輪島市役所では今春から災害復旧事業の一環として庭園の土砂を撤去する作業を行い、今月初めまでに完了。引き続き、今月17日から文化財庭園保存技術者協議会が復旧作業に着手した(18日付・北陸中日新聞)。

庭園は「池泉回遊式」と称される書院庭園で、中心に池を配置し、園内を歩きながら楽しむ庭として造られている。作業初日の17日には全国から庭師のプロ24人が集まり、被災前に作成された図面を基に、流された飛び石を置き直したり、崩れた池の護岸の修復が行われた。11日間にわたり作業が続く(同)。震災と豪雨に見舞われた文化財の復興のシンボルになることに期待したい。(※写真は、時国家住宅にクレーンが持ち込まれ、石の置き直しなど庭園の修復作業が行われている=18日午後撮影)

⇒19日(金)午後・金沢の天気   はれ時々くもり

☆「落とされ」「利下げ」「陥没」 ニュース・ピックアップ

☆「落とされ」「利下げ」「陥没」 ニュース・ピックアップ

きょうネットや新聞でニュースをチェックすると、妙に「落とす」「下げる」という言葉が目に止まった。石川県の郷土力士である横綱・大の里は秋場所4日目(17日)で平幕の伯桜鵬に土俵際で突き落とされ、初黒星を喫した。相手を土俵際まで追い詰めながら、勝ち急いだのだろうか。伯桜鵬には2場所続けて金星を許したことになる。大の里にとって4日目は「鬼門」のようで、大関に昇進した昨年の九州場所以降の6場所で4日目は1勝5敗となった。きょう5日目(18日)は王鵬と対戦し、突き落としで4勝目を上げている。

次は経済。アメリカ連邦準備理事会(FRB)は17日開いた連邦公開市場委員会(FOMC)で9ヵ月ぶりに政策金利を0.25%引き下げた。参加者による政策金利の見通し(中央値)によると、年内残り2回の会合で計2回の追加利下げを見込む。前回(6月)よりも利下げのペースが上がった。政策金利の指標であるフェデラルファンド(FF)金利の誘導目標は4.0〜4.25%になった。

FRBの記者会見でパウエル議長は「(労働市場が)とても堅調だとはもはや言えない」と述べた。企業による雇用の勢いが弱まって失業率が上昇する懸念が強まったため、金融引き締めを緩める必要性が高まった。ただ、物価上昇率はFRBの目標水準を上回り続けており、引き締めの必要がなくなったわけではない。パウエル氏は「(雇用と物価という)両面のリスクを抱えた状況にあり、リスクのない道筋は存在しない」と説明し、今回の決定を「リスクを管理するための利下げ」と総括した(18日付・日経新聞Web版)。アメリカの利下げが日本経済にどう波及していくのか。

次は生活面。ことし1月に埼玉県八潮市で下水道管の損傷による道路陥没事故が問題となった。これを受けて、各自治体が古くて大きな下水道管を調査したところ、41都道府県の計297㌔で道路陥没につながる恐れがある腐食や損傷が進んでいることが分かった。このうち、1年以内の対応が必要となる「緊急度1」は72㌔で、石川県内では金沢市が4㍍、小松市で17㍍で見つかった。また、5年以内の対策が必要となる「緊急度2」は225㌔に及び、金沢市では8㍍あることが分かった(地元メディア各社の報道)。「落とされ」「利下げ」「陥没」。ネットと新聞を読んでいて、なんだか妙な気持ちではある。 

⇒18日(木)夜・金沢の天気   くもり

★金沢の名所「W坂」のシンボル「ケヤキの大木」倒れる

★金沢の名所「W坂」のシンボル「ケヤキの大木」倒れる

金沢という街にはいろいろ名所がある。兼六園や武家屋敷、忍者寺といった観光スポットのほかに、そこに住んでいる人しか知らない名所もある。その一つが「W坂」。「だぶるざか」と呼ばれているが、これは通称で、標識では「石伐坂(いしきりざか)」となっている。なぜ、W坂と呼ばれるようになったかというと、金沢出身の詩人で小説家の室生犀星が「美しき川は流れたり」と讃えた犀川に架かる桜橋の詰から寺町台へ上がる階段坂がある。この坂がジグザグ状になっていることから、W坂と呼ばれるようになった。

自身もかつて寺町台に住んでいたのでW坂を何度も上り下りしたことがある。石垣沿いの階段は60段ほどだが、傾斜は急だ。芥川賞作家の井上靖(1907-1991)がかつて旧制四高(金沢大学の前身)に通っていたころにW坂を上り下りした体験を小説『北の海』に記している。「腹がへると、何とも言えずきゅうと胃にこたえて来る坂ですよ」、「この辺で足が上がらなくなる」。この一節はW坂の途中にある井上靖の文学碑で紹介されている。そして、このW坂には地元の知る人ぞ知る言い伝えもある。「人とすれ違っても、決して振り向いてはいけない」と。振り向くとすれ違ったはずの人の人影が見えなくなる。そう、いまで言う「心霊スポット」でもあるのだ。

前置きが長くなった。このW坂のシンボルの一つは石垣から飛び出すように生えていたケヤキの大木だ。地元メディア「北國新聞」(17日付)によると、幹回り最大約1㍍、高さ15㍍のこの大木が15日午前0時40分ごろに倒れた。根元が腐敗していたようだ。けさ現地に行って見てみると、すでに倒木の片づけは済んでいた。ただ、根元を伐採した跡が残っていて、痛々しい光景のように思えた。(※写真・上の左側がケヤキの大木=2015年9月撮影。写真・下は倒れたケヤキの木の根元=17日午前7時撮影)

このケヤキの大木の下をくぐり街中に行く。そして、帰りもこの大木の下をくぐり寺町台に戻る。ケヤキの下から眺める街中も絶景だった。樹齢は200年近かったのではないだろうか。根元を眺めながら、この大木に感謝したい気持ちになった。

⇒17日(水)午前・金沢の天気   はれ