★被災地と地域FM 被災者の安心感にこだわった新潟の事例
前回ブログの続き。被災地とFMラジオの役割を調査したことがある。2007年7月16日に震度6強の新潟県中越沖地震が発生した際、柏崎市のコミュニティー放送「FMピッカラ」のスタッフは臨機応変な対応をしたことで評価されていると金沢のFMスタッフから話を聞いたことがきっかけだった。現地を訪れたのは3ヵ月後の10月21日。柏崎駅前の商店街の歩道はあちこちでひずみが残っていて歩きにくく、復旧は半ばという印象だった。FMピッカラはそうした商店街の一角にあった=写真、当時=。

ヒアリングに対応してくれたのはパーソナリティーの船崎幸子さんだった。FMピッカラの公式サイトをチェックするとあれから18年になるが現役のパーソナリティーとして頑張っておられるようだ。震災当日の話はリアリティがあった。祝日の午前の静けさを破る揺れがあったのは午前10時13分だった。その1分45秒後には、「お聞きの放送は76.3メガヘルツ。ただいま大きな揺れを感じましたが、皆さんは大丈夫ですか」と緊急放送に入った。午前11時から始まるレギュラーの生番組の準備をしていたタイミングだったので立ち上がりは速かった。
通常のピッカラの生放送は平日およそ9時間だが、災害時の緊急編成は24時間の生放送とした。柏崎市では75ヵ所、およそ6000人が避難所生活を余儀なくされた。このため、市の災害対策本部にスタッフを常駐させ、被災者が当面最も必要とする避難所や炊き出し時刻、物資の支給先、仮設浴場の場所、開店店舗の情報などライフライン情報を中心に4人のパーソナリティーが交代で流し続けた。
なるほどと思ったのは、行政からの一方的な情報を流すのではなく、市民からの声を吸い上げることでより被災者にとって価値のある情報として伝えたいという想いだった。たとえば、水道やガスの復旧が遅れ、夏場だけに洗髪に不自由さを感じた人も多かった。「水を使わないシャンプーはどこに行けばありますか」という被災者からの質問を放送で紹介。すると、リスナーから「どこそこのお店に行けばあります」などの情報が寄せられた。行政から得られない細やかな情報だった。また、知人の消息を知りたいと「尋ね人」の電話やメールも寄せられた。放送を通して安否情報や生活情報をリスナー同士がキャッチボールした。
24時間放送の緊急編成は8月25日まで続けた。この間、応援スタッフのオファーも他のFM局からあったが、4人のパーソナリティーは交代しなかった。「聞き慣れた声が被災者に安心感を与える」(船崎さん)という理由だった。このため、リスナーから「疲れはないの、大丈夫ですか」とスタッフを気遣うメールが届いたほどだった。この話を聞いて、被災地での地域メディアの果たす役割について考えさせられた。
⇒29日(土)夜・金沢の天気 はれ

























