☆日本企業に期待寄せる対米投資 トランプ大統領「私に電話を」

☆日本企業に期待寄せる対米投資 トランプ大統領「私に電話を」

それにしても総理就任から1週間で日本にとって最も重要な日米外交を高市総理はこなし切ったイメージだ。会談に関する共同文書は作成しなかったが、ことし7月の日米関税合意で約束した巨額投資の履行と、レアアースなど重要鉱物の供給と確保に向けた協力の2つの文書に署名した。署名は実行を約束したことになる。中でも気になるのが、5500億㌦(約84兆円)とされる巨額な対米投資の内容だ。メディア各社の報道(29日付)によると、すでに国内の21社が名乗りを上げているようだ。

首脳会談に合わせ日米両政府はきのう(28日)「日米間の投資に関する共同ファクトシート」を発表した。ファクトシートは事業主体の候補企業と事業内容をまとめたもの。内容は、①原子力発電などのエネルギー、②AI向けの電源開発、③AIインフラの強化、④重要鉱物などーの4分野で21件のプロジェクトが掲げられている。このうち、事業費が明記された16件の総額は3931億㌦(約60兆円)だった。(※写真・上は、日米首脳会談で署名された合意文書を掲げる高市総理とトランプ大統領=28日付・総理官邸公式サイトより)

以下、日経新聞(29日付)ならびに読売新聞(同)の解説記事=写真・下=から以下、引用する。トランプ大統領は日米首脳会談、ならびにアメリカ軍横須賀基地での原子力空母「ジョージ・ワシントン」の乗艦の後、駐日米国大使館の公邸で、投資を名乗り出ている日本の企業経営者らと夕食会を開いた。その時の演説で、「途方もない富と安全保障を太平洋の両岸にもたらす」「もし物事がうまく進まなかったら私に電話してほしい。他の閣僚を差し置いてでも、私が対応する」とアピールした。このコメントを読んで、トランプ大統領は政治家というより、やはり投資家なのだ、との印象を強くした。夕食会はこのひと言で和んだに違いない。

では、日本の企業はどのような対米投資をもくろんでいるのか。ソフトバンクグループはエネルギー関連として「大規模電力インフラ構築に向けた設計と開発」(事業規模・250億㌦)、ニュースケール/ENTRAIエナジーはAI向け電源開発として「AI向けのガス火力や原子力開発を検討」(同・記載なし)、三菱電機はAIインフラの強化として「データセンター向けの発電システムや機械」(同・300億㌦)、パナソニックは同「エネルギー貯蔵システムやその他の電子機器、部品」(同・150億㌦)、カーボン・ホールディングスは重要鉱物関連として「アンモニアや尿素肥料施設の建設」(同・30億㌦)、などとなっている。

アメリカ政府とすれば、日本企業の技術力を高く評価しており、アメリカでの事業展開や米企業との連携に期待を寄せているのだろう。繰り返しになるが、トランプ大統領の「物事がうまく進まなかったら私に電話して・・・私が対応する」の言葉はまさにこの期待を表現している。

⇒29日(水)午後・金沢の天気   はれ

★日米首脳会談で浮かんだ「安倍レガシー」と高市外交のこれから

★日米首脳会談で浮かんだ「安倍レガシー」と高市外交のこれから

「同盟の新たな黄金時代を共につくりたい」。高市総理がきょう午前、アメリカのトランプ大統領と臨んだ日米首脳会談で交わした言葉が印象的だった。会談をNHK中継番組で視聴していた=写真・上=。「黄金時代」と述べるだけあって、日米双方が利する投資を含めたさまざまな話がテーマに上っていた。

高市総理から「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)について日米で進展に向けた協力を進めたいと表明。その後、日米両首脳がレアアースなどの供給と確保についての合意文書に署名した。日米で半年以内に担当閣僚会議を開催し、どのようなプロジェクトに日米で資金を投じるべきか議論を積み上げていく。その上で、日米はオーストラリアなど供給網の多様化を進める国々と連携し、半年以内に投資を実施することを目指す。まさに黄金時代への第一歩と言える。

また、会談の冒頭で高市総理は「安倍総理に対する長きにわたる友情に感謝している。安倍氏からはよく大統領のダイナミックな外交について話を聞いていた」と笑顔で述べた。すると、トランプ大統領は、「私の偉大な友人だった。彼はあなたのことを大変評価していた」と応じた。トランプ大統領と安倍氏はかつて、趣味のゴルフでとともにホールを回り、「ドナルド」「シンゾー」とファーストネームで呼び合う仲だった。写真・下は総理官邸のツイッター(2019年5月26日付)で公開されたもの。安倍総理と(右)とトランプ大統領(左)が千葉県のゴルフ場で自撮りした写真だ。

今回の日米首脳会談の中身が濃く、しかもスムーズに運んだのも、安倍氏が総理在任中に築いたトランプ大統領との蜜月関係がよりどころとなっていたのだろう。メディア各社の報道によると、高市総理はトランプ大統領へのプレゼントとして、安倍氏が使っていたゴルフクラブを用意した。高市総理を安倍氏の「後継者」と印象づける狙いがあったようだ。

首脳会談の後、高市総理とトランプ大統領は都内の在日米軍基地から大統領専用ヘリコプター「マリーンワン」に同乗して、アメリカ軍横須賀基地に行き、停泊中の原子力空母「ジョージ・ワシントン」に乗艦した。中国の海洋進出などが目立つことから、日米同盟に基づく安全保障協力を強化する姿勢を強調したようだ。高市総理は「日本の防衛力を抜本的に強化してこの地域の平和と安定により一層積極的に貢献していく」と述べた。トランプ大統領は「アメリカと日本の大切な同盟は全世界で最も卓越した関係のひとつだ」と語り、第2次世界大戦を念頭に「悲惨な戦争の灰の中から生まれ、80年以上にわたり我々の絆は成長し、現在の美しい友好関係にある」と強調した。

日米会談による新たな経済協力と、横須賀基地での日米同盟の確認。高市総理にとって「安倍レガシー」を乗り越える高市外交のきっかけとなったのかどうか。少なくとも内閣支持率はさらにアップするかもしれない。

⇒28日(火)夜・金沢の天気    小雨

☆テレビが世論をリードする「テレポリティクス」時代の終焉

☆テレビが世論をリードする「テレポリティクス」時代の終焉

きょう(27日)東京株式市場で日経平均株価が初めて5万円の大台に乗せた。前週末と比べた上げ幅は1200円を超え、終り値は5万0512円台だった。報道各社の世論調査で高市内閣の支持率が軒並み高水準(FNN75%、日経74%、読売71%)だったことに加え、アメリカと中国の両政府による貿易協議でアメリカが100%の対中関税発動を見送る方向となったことが追い風となったようだ。

話は変わる。ジャーナリスト田原総一朗氏のBS朝日討論番組『激論!クロスファイア』(今月19日放送)での発言が波紋を広げている。番組では自民党の片山さつき氏、立憲民主党の辻元清美氏、社民党の福島瑞穂氏がゲストだった。問題発言のきっかけは、選択的夫婦別姓をめぐる議論で、導入に慎重な立場を取る高市自民党総裁(当時)に対して、田原氏は「何で高市を支持しちゃうの。あんな奴は、死んでしまえと言えばいい」と言い放った。収録番組だったにもかかわらず、問題発言をカットしなかった局側も問われ、番組は打ち切りとなった。

田原氏が司会をするテレビ朝日系番組『サンデープロジェクト』や『朝まで生テレビ!』をこれまで何度も視聴してきたが、田原氏の手法はあえて相手を挑発して本音を引き出すことを得意技としていた。同じくアメリカCNNのトーク番組「ラリー・キング・ライブ」のインタビューアー、ラリー・キング氏(1933-2021)の手法は執拗に食い下がって相手の感情をさらけ出してしまうというものだった。手法は似て非なるものだったが、要は相手に迫る迫力が聞き手(キャスター)にあるということだ。ただ、田原氏は御年91歳、この迫力をいつまで保つことができるか。

ある意味で田原発言はテレビの時代のターニングポイントになったのではないだろうか。「テレポリティクス」と呼ばれた、テレビが世論をリードする時代の終わりだ。全盛期の1990年代から2000年初頭にかけて、テレビ朝日の番組『ニュースステーション』で久米宏氏がキャスターとして、いわゆる都市型選挙の世論をリードした。田原氏も番組『サンデープロジェクト』や『朝まで生テレビ!』で当時の自民党政権の政治責任を追及する先兵役を担っていた。テレポリティクスの象徴的な出来事もあった。1993年にテレビ朝日の報道局長が民放連の内輪の勉強会で、「反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないかと報道内部で話した」などと発言。この発言が新聞記事=写真、1993年10月13日付・産経新聞=で報じられ、国会での証人喚問(同年10月25日)という異例の展開となった。

テレポリティクスの終わりを示す数値がある。ビデオリサーチ社による調査「自宅内における各メディアとの1日の接触時間」(2000-2024年)によると、テレポリティクスの全盛時代の2000年の1日のテレビ視聴は208分だったが、2024年には116分に大幅ダウン。録画再生の23分と合わせても139分だった。一方、インターネット(PC・スマホ・タブレット・携帯)との接触は2000年は1日8分とわずかだったが、2024年は117分に伸びている。

事件や災害、スポーツの情報をリアルタイムで伝えてくれるのはテレビであることは間違いない。テレポリティクスなどと気負わずに淡々と報じてくれればそれでよい。田原総一朗氏の問題発言からそんなことを思った。

⇒27日(月)午後・金沢の天気  あめ

★加賀能登の逸品~万博から地球儀戻る、加賀料理が国文化財に~

★加賀能登の逸品~万博から地球儀戻る、加賀料理が国文化財に~

大阪・関西万博で展示されていた輪島塗の地球儀『夜の地球 Earth at Night』が石川県輪島漆芸美術館に戻ってきた。地元メディアによると、万博展示棟では国内外からの観光客321万5784人が鑑賞したようだ。8月には秋篠宮家の次女佳子さまも見学されるなど、輪島復興のシンボルとしても注目を集めた。

漆芸美術館では正面入り口左側エントランスホールの特別展示室で「夜の地球」が公開されている。高さ1.5㍍、重さ200㌔にも及ぶ地球儀。漆黒の地球に光るのは蒔絵や沈金で加飾され金粉や金箔で彩られた夜の明かりだ。周囲には東京、北京、ロンドン、ニューヨークの4都市の夜景パネルもある。重要無形文化財「輪島塗」保持団体の会員が5年の歳月をかけて仕上げた。公開はあす26日午後5時まで。27日から美術館は当面休館となる。。(※写真・上は、輪島塗地球儀。後ろの作品は画面右がニューヨーク、左はロンドンの夜景パネル=同館のポストカードより)

話は変わる。金沢では伝統料理のことを「じわもん」と呼ぶ。伝統の料理は、小麦粉をまぶしたカモ肉を煮込んで作る「治部煮(じぶに)」や、魚のタイを背開きし、具材入りのおからを腹部に詰めて蒸し上げる「鯛の唐蒸し(たいのからむし)」=写真・下=などがある。こうした金沢の料理は「加賀料理」とも称される。その加賀料理が国の登録無形文化財に登録されることになった。国の文化審議会は24日、文部科学大臣に答申した。登録無形文化財制度は2021年に新設され、料理関係では「京料理」に次いで2例目となる。

加賀料理で実感することは料理もさることながら、器との相性がよい。九谷焼や輪島塗など伝統工芸品の器との組み合わせで品位を高め、料理全体に華やかさと食の楽しさを織り込む、まさに総合芸術のようではある。加賀料理の技と伝統、もてなしの所作を受け継ぐための団体がことし7月に発足した。加賀料理店の主人や料理人、女将(おかみ)、仲居ら70人でつくる「加賀料理技術保存会」(金沢市)が保持団体に認定される予定という(地元メディア各社の報道)。

秋の深まりとともに治部煮がうまさを増すが、個人的には鯛の唐蒸しが好物だ。あのおからに芳醇な香りと旨味がある。蒸す過程で鯛の肉の旨味がおからに吸収されているような感じではある。

⇒25日(土)夜・金沢の天気   あめ

☆田んぼ2題~児童の「田んぼアート」と千枚田のインバウンド観光

☆田んぼ2題~児童の「田んぼアート」と千枚田のインバウンド観光

能登の小学生たちがことしも「田んぼアート」にチャレンジした。描かれた作品は「のと」の文字だった。輪島市町野小学校の5年生と6年生の9人の児童がデザインを考えて、田植えから始めた。少し赤い色は古代米の赤米、緑の色は同じく古代米の緑米で、黄色い部分はコシヒカリの色だ。児童を指導したのは地元のベテランの農家の人たち。

きょう輪島市町野町に見学に行ったが、すでに田んぼの稲刈りが終わっていた。そこで、現地の関係者の方から写真を見せてもらった。左側の丸い顔のようなデザインが「の」、そして、すでに稲刈りが一部行われているが、右の部分が「と」の文字。面白いのは「の」を顔に動物の見立て、下が4本足の犬か猫のようなかわいい動物の姿に見える。(※写真・上は、地元の関係者からの提供)

児童たちの「田んぼアート」には歴史があり、2002年から始まった。最初は田植えと稲刈りを通じて、コメづくりの大切さを学ぶというコンセプトだった。コメは収穫期になると赤米、緑米、コシヒカリにそれぞれの色があることから、その色を利用して2004年から田んぼアートを行うようになった。

自身は去年初めて現地を訪れた。そのときの作品は「生きる」という文字と、ハートを抱きしめた人の姿が描かれていた=写真・中=。去年元旦の能登半島地震では家屋の下敷きになるなどして多くの人が亡くなった。田んぼアートに描かれた「生きる」というメッセージは、子どもたちが「亡くなった人たちの分も頑張って生きましょう」との想いを込めたのだろう。そして、ことしの「のと」は震災からの能登復興の想いを込めたのだろうか。そんなことを思い巡らしながら現地を後にした。

帰りに輪島市の白米千枚田に立ち寄った。稲刈りはすでに終わっていたが、多くの観光客が訪れていた。中でも目立つのインバウンド観光客だ。中には稲刈りの後の田んぼのあぜ道を歩いているグループの姿もあった。日本人の観光客の場合は展望台から眺める姿が多いものの、欧米からと思われるインバウンド観光客の場合は下りて間近に見学する行動パターンが多いように感じる=写真・下、ことし9月18日撮影=。

「ダークツーリズム(Dark tourism)」という言葉がある。戦場跡地や被災地などを訪れる欧米の観光スタイルを指す。危険な場所であったとしても、あえて現場に行く。ツーリズムそものが徹底した現場主義なのだろう。日本人の場合は「危ないところに行くな」と身内や周囲から止められるだろう。この違いは何だろう。

⇒24日(金)夜・金沢の天気    はれ

★高い高い内閣支持率71% ウロウロと熊が出没

★高い高い内閣支持率71% ウロウロと熊が出没

高市内閣の発足でメディア各社が世論調査を行っている。読売新聞の調査(21、22日・回答1057人)では内閣支持率が71%、不支持率が18%だった。同紙によると、政権発足時の世論調査でこれまで支持率がもっとも高かったのは2001年4月の小泉内閣で87%、次いで鳩山内閣(2009年9月)の75%、以下、菅内閣(2020年9月)、細川内閣(1993年8月)と続いて高市内閣は5位にランクされる。第一次安倍内閣(2006年9月)の70%を上回っている。ちなみに前政権の石破内閣(2024年10月)は51%だった。

支持率と不支持率に関連する質問項目をさらに見てみる。高市内閣を支持する理由(6項目)の上位は「政策に期待できる」41%、「他によい人がいない」20%、「首相に指導力がある」15%だった。支持しない理由(同)では「自民党中心の政権だから」28%、「政策に期待できない」19%、「首相が信頼できない」18%だった。また、自民党と維新の会の連立合意について、「評価する」が57%、「評価しない」が31%だった。高市内閣支持の年代別で調査した数値では、18-39歳が80%ともっとも高く、40-59歳が75%、60歳以上が63%と続いた。男女の支持では男71%、女70%と差はほとんどない。地域別の支持では中部が81%でもっとも高く、次いで近畿が76%、九州が75%と続いている。メディア各社は月ごとに世論調査を行っている。数値は今後どう動いていくのか注目したい。(※写真・上は、初閣議後の記念写真の撮影=21日付・首相官邸公式サイトより)

話は変わる。このところ、クマの出没が連日のように全国ニュースとなっている。きのう(22日)金沢市と隣接する白山市にある白山比咩神社の参道でクマが目撃された。きょう神社を訪れると、パトカーが待機するなど重々しい雰囲気だった。今の時節は「七五三詣」のころでもあり、神社の鳥居の下には「クマ出没注意」の看板が立てられていた=写真・下=。

石川県自然環境課に寄せられたことしのツキノワグマの目撃情報は249件(10月15日時点)で、その多くが金沢市の医王山や、白山のふもとの白山市、能美市、小松市、加賀市となっている。同課がクマの餌となる植物3種(ブナ、ミズナラ、コナラ)の雄花の落下数を調査した結果、クマの主要な餌であるブナは22地点のうち20地点で大凶作、2地点で凶作となり、今秋は全体で大凶作が予想される。これまでのデータで、ブナが大凶作だった2020年にはクマの目撃件数は869件となり、県内の人身被害は15人に上った。同課では、先月9月15日に「ツキノワグマ出没警戒情報」を出して広く注意を呼びかけている。

⇒23日(木)夜・金沢の天気   くもり

☆これは嫌がらせ「祝砲」なのか 北朝鮮が日本海に弾道ミサイル

☆これは嫌がらせ「祝砲」なのか 北朝鮮が日本海に弾道ミサイル

メディア各社の報道によると、韓国軍合同参謀本部は22日、北朝鮮が午前8時10分ごろに数発の短距離弾道ミサイルを発射したと明らかにした。北朝鮮南西部の黄海北道から日本海上に撃った。北朝鮮の弾道ミサイル発射はことし5月8日以来。韓国軍は「追加の発射に備え、日米と情報共有し、万全の体制を維持している」と発表した。その後、350㌔飛行したとの分析を公表した。

韓国の李在明政権が6月に発足後で北朝鮮のミサイル発射は初めてとなる。李政権は北朝鮮との関係改善を目指し、南北軍事境界線付近での拡声器放送の中止などを実施したものの、北朝鮮側は韓国との対話に応じないとしている。このタイミングでのミサイル発射は、今月10月末に韓国で開くアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に合わせ、アメリカのトランプ大統領が訪韓するのを意識したものとの見方もある。北朝鮮は今月10日、朝鮮労働党創建80年を記念した大規模な軍事パレードを平壌で実施し、アメリカ本土を射程に収める新型大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星20」や極超音速中長距離戦略ミサイルなどを登場させていた。

高市総理は官邸で記者団に語り、北朝鮮が弾道ミサイルを発射したことを日本も把握しているとした上で、「わが国の領海や排他的経済水域(EEZ)への飛来は確認されていない」と述べた。被害の報告もないとした上で、防衛、外務両大臣に必要な情報の収集と分析を指示したと述べた。高市総理は北朝鮮が弾道ミサイルを発射したと韓国政府が発表したことを受け、外出の予定を変更して官邸で情報の報告を受けたと説明した。「日米韓で緊密に連携して対応に万全を期している」と強調した(22日付・ロイター通信)。(※写真は、北朝鮮の弾道ミサイル発射を受けて記者会見に応じる高市総理=22日付・首相官邸公式サイトの動画から)

高市総理の就任翌日に北朝鮮が弾道ミサイルを放ったことになる。これを受けて高市総理は予定より1時間ほど早めの午前9時すぎに総理官邸に入った。そして、記者団に「ミサイル警戒データのリアルタイム共有などを含め、日米韓で緊密に連携し、対応に万全を期している」と述べている。2017年7月に北朝鮮が発射した弾道ミサイルが北海道近接の海域に落下したことを受け、自民党は「北朝鮮核実験・ミサイル問題対策本部」の設置。高市氏はその本部長代理を務めていた。この経験がベースにあったのだろう、素早い行動とテキパキとした指示出しは政府の長として的を得ている。

以下、自身の憶測だ。今回の北朝鮮の弾道ミサイル発射は、この問題に関わってきた高市総理に対する、就任の「祝砲」、つまり、嫌がらせの発射ではなかったか。あくまでも憶測だ。

⇒22日(水)午後・金沢の天気   くもり

★大ナタ振るう日本版「鉄の女」に期待 金沢の棒振り獅子舞が復活

★大ナタ振るう日本版「鉄の女」に期待 金沢の棒振り獅子舞が復活

自民党の高市早苗総裁はきょう、衆参両院の本会議での総理大臣指名選挙で第104代の総理に選出された。内閣制度が創設された1885年から憲政史上初の女性総理となる。NHKの中継番組で選出の様子=写真・上=を視聴していたが、まさに日本の政治の「ガラスの天井」を突き破った、そんなイメージが胸の中を走った。

メディア各社の報道によると、高市氏は神戸大を卒業し、松下政経塾に入ったのが政界入りへのきっかけとなった。「一国の安定発展のためには、国家経営の理念をもつということが何にもまして大切」。恩師の松下幸之助の言葉を胸に1987年にアメリカに渡り、民主党議員の事務所で勤務。帰国して1992年の参院選に挑戦するも落選、翌93年の衆院選で当選し政界入りを果たした。高市氏が目標としている政治家の一人が「鉄の女」と呼ばれたイギリス初の女性首相のマーガレット・サッチャー。国有企業の民営化を推し進め、イギリス経済を活性化させた人物だ。国会議員の定数削減などに大ナタを振るう日本版「鉄の女」に期待したい。

話は変わる。明治時代の中ごろに途絶えていた町内の獅子舞が復活し、先日(今月19日)お披露目があった。場所は金沢市泉が丘1丁目にある地黄八幡神社の参道。ヤーッ、ヤーッと威勢のよい掛け声で棒振り役が獅子を退治する「獅子殺し」の演目を舞っていた=写真・下=。棒振り役を演じていたのは小学4年の男子児童と聞いて少々驚いた。復活に向けて練習を重ねてきただけあって、勇壮な舞いは見事だった。

町内の世話役の説明によると、ことし7月に獅子舞保存会を設立し、お披露目に向けて練習を積んできた。棒振り役が獅子を退治する獅子舞の演技は「半兵衛流」と称され、泉が丘1丁目の旧町名である「地黄煎(じおうせん)町」が発祥の地とされる。半兵衛流の演舞は石川県内に広く伝播している。お膝元で獅子舞が百数十年の眠りから覚めたようだ。

自身の住まいでもある、かつての地黄煎町は漢字の読みの通り、江戸時代から薬草の栽培・加工で知られた地域だった。薬草の地黄を煎じて飴薬に加工して薬屋に卸していた。地黄を圧搾して汁を絞り出し、湯の上で半減するまで煎じ詰める。滓(かす)を絞り去り、さらに水分を蒸発させ堅飴のようにして仕上げる。堅く固まるのでノミで削って食べたと親たちから聞いたことがある。滋養強壮や夏バテに効果があったようだ。ただ、高度成長とともに栽培畑の宅地化が進み、58年前には町名変更となった。地黄八幡神社の社名が当時の地域の生業(なりわい)をしのばせる。獅子舞の復活がこうした地域の歴史を学ぶきっかけになればと願うばかり。

⇒21日(火)夜・金沢の天気  くもり

☆キンモクセイの匂う道 セイタカアワダチソウが密生する放棄田

☆キンモクセイの匂う道 セイタカアワダチソウが密生する放棄田

自宅の庭木のキンモクセイが黄色い花と同時に独特の香りを放ち始めた=写真・上=。金沢に住んでいると季節の香りでもあり、兼六園や武家屋敷界わいを散策すると香りが漂ってくる。そして、金沢のシンボルでもある。1980年に作詞作曲された金沢市民憲章の歌の題名が『金木犀の匂う道』。市主催のイベントなどでよく聴く。「♪歩いてみたい 秋が好きだという君と この街の 金沢の街の ああ 金木犀の匂う道 君と君と」

シニア世代ではキンモクセイの香りからトイレをイメージする人もいるだろう。昭和の時代までは、くみ取り式トイレが多かった。そこで、キンモクセイをトイレの横に植えて、季節限定ではあるものの匂い消しとしていた。いまで言う、芳香剤の役割だ。自宅のキンモクセイもかつてトイレの窓側に植えられていた。その後、自宅を改築して別の場所に水洗式トイレを造った。この時点で、キンモクセイの役目は終わった。とは言え、伐採せずにそのまま残した。そして、冒頭で述べたように、秋の深まりを告げる植物として、その後も存在感を放っている。 

黄色い花の植物の話をもう一つ。先日(今月14日)に能登に出かけた。そのとき、耕作放棄地や河原、空き地に一面に群生しているセイタカアワダチソウを見て、圧倒されそうになった。見た目の様子もさることながら、その花粉で目鼻がおかしくなるのではと思ったくらいだ。誤解のないように書き加えると、セイタカアワダチソウは花粉がほとんど飛ばない。花粉量そのものが少なく、比較的重いためとされる。いわゆる「風媒花」ではなく、花に寄って来た虫によって受粉する「虫媒花」だ。

以前、植物研究者から聞いた話だが、セイタカアワダチソウは生命力が強い植物であり、さまざま薬効もあるようだ。葉にはポリフェノールの一種であるクロロゲン酸などが含まれていて、煎じて飲めば、血糖値や血圧の上昇を抑える効果があるとされる。また、フラボノイドも含まれていて、ヨーロッパなどでは葉を潰して虫刺されや外傷の止血剤としても用いられている。入浴剤としても使われている、とか。草丈が1㍍から2㍍と長いことから、日本ではかつて簾(すだれ)の材料として活用されていた。ところが、時代とともに人々の暮らし方は変わり、いまでは単なる厄介な雑草としか見られなくなった。

先述したように能登にこれほど多くのセイタカアワダチソウが目に付くのも、去年元日の能登半島地震で水田や畑地が耕作放棄地となったからだろう。水田に引水する水路の破損や地割れ、そして去年9月の記録的な大雨で水田に土砂が流れ込むなどしたため、奥能登(輪島など2市2町)ではことしは7割しか耕されていない。この際、密集するセイタカアワダチソウを活用してはどうだろう。入浴剤などは受けるかもしれない。

⇒20日(月)午前・金沢の天気   くもり

★震災の語り部による「能登のいま」 江戸時代の屋敷と庭は残った

★震災の語り部による「能登のいま」 江戸時代の屋敷と庭は残った

能登半島の中ほどに夕陽の絶景スポットとして知られる安部屋弁天島(あぶやべんてんじま)という陸続きの小さな島がある。夕暮れになると空と海と島が織りなす幻想的なシルエットが広がる。この光景を見続けることができる地域の人たちの穏やかな気持ちを察する。800年余り前の話。源氏と平家が北陸で戦った倶利加羅峠(くりからとうげ)の合戦で敗れた平家側の武将、平式部大夫がこの地にたどり着き、安寧の地と定めて定着した。憶測だが、そのきっかは弁天島の夕陽の光景だったのではないだろうか。その後、平家(たいらけ)の子孫は幕府の天領地13村を治める大庄屋となる。「復興応援ツアー」(今月15、16日)の2日目、弁天島の近くにある平家の屋敷と庭園を見学に入った。

屋敷を外から眺めると堂々としている。周囲の民家は屋根が崩れたままとなっていたり、公費解体を終えた家が目立ったものの、平家の屋敷や庭園は震災による被害を免れたようだ。茶室から庭が望め=写真・上=、書院の間から前庭が穏やかに広がっている=写真・中=。志賀町では最大震度7が観測され、住家・非住家含めた建物1万7600棟が損壊(うち全壊2400棟)に及んでいる。平家保存会の平礼子さんに被害がなかったのかと尋ねると、「昔の家なので柱と梁がしっかりしていてなんとか損傷は免れました。庭に亀裂が入ることもなった」との説明だった。

「大変なのは庭です」とのこと。庭園が1978年に石川県の指定名勝(面積750平方㍍)となったことから一般開放に踏み切り、入場料や自己資金で庭の維持管理をなんとか賄ってきた。しかし、コロナ禍や地震、記録的な大雨で観覧客が減り、維持管理費の支出が厳しくなり、「悩んでいる」という。確かに、庭木の剪定や苔の管理、落ち葉の清掃など並大抵ではない。こちらが「庭の掃除が大変ですね」と問いかけたことから、リアルな話になった。

その次に醤油蔵元「カヨネ醤油」を訪ねた。ここでも地震で崩れることなく、白壁と柱と梁が白と黒のコントラスを描いていた。カネヨ醤油は2026年に創業100周年を迎える。「カネヨの甘口」は能登の風土が育んだ味である。魚の刺し身に合う醤油だ。4代目の木村美智代さんから震災当時の話を聞いた。工場の建物は無事だったが、瓶詰めのラインは稼働できなくなり廃棄。醤油の浄化槽の横には大きな陥没ができた。さらに、店に買いに来る客はゼロになった。

売り上げを支えたのは木村さんが始めたオンラインショップだった。もともとコンピュータ関連メーカーで働いていた経験があり、すばやく取り組んだ。商品を買って被災地を応援しようと注文が全国から相次いだ。その後、2月になって醤油造りを再開。瓶詰めからペットホトル詰めへと製造ラインを変更した。「能登の食文化と醤油づくりの未来を守ること」。震災を乗り越え、創業100周年への意気込みを語った。

⇒19日(日)夜・金沢の天気   くもり