★GIAHS国際会議の価値-2
新しくGIAHSサイトとして認定されたのは、「静岡の茶草場農法」(静岡県掛川市など)、「阿蘇の草原と持続的農業」(熊本県)、「国東(くにさき)半島宇佐の農林漁業循環システム」(大分県)、「会稽山の古代中国のトレヤ(カヤの木)」(中国・浙江省紹興市)、「宣化のブドウ栽培の都市農業遺産」(中国・河北省張家口市)、「海抜以下でのクッタナド農業システム」(インド・ケララ州)の6つ。
「能登コミュニケ」でGIAHSの発信力を高める
きょう30日午前は、政府関係者や国際機関幹部らが協議する、GIAHSでは初の「ハイレベルセッション」が20ヵ国から出席して行われた。角田豊農林水産省大臣官房審議官は、日本政府が今年度、世界農業遺産プロジェクトに初めて3000万円を資金協力するとし、GIAHSの理念に合致した地域は農業遺産に認定されるように支援する考えを示した。このために、認定地域を評価・観察し、日本独自の認定基準づくりを検討したいと話した。この後、認証式が行われた=写真=。
能登コミュニケ(共同声明)が発表され、世界農業遺産の認定サイトで初めて開かれた国際会議であることに意義があるとした上で、先進国と発展途上国の結びつきを促進するなどの5項目が採択された。世界農業遺産国際会議(GIAHS国際フォーラム)の開催は、2007年がローマ、2009年がブエノスアイレス、2011年が北京だったので、国際フォーラムの認定サイトでの開催は確かに意義がある。冒頭であいさつに立ったジョゼ・グラツィアーノ・ダ・シルバFAO事務局長、加治屋義人農林水産副大臣もその点を強調した。GIAHSはまだまだ国際認知度が低い、先進国のGIAHSの役割はこれを世界に発信することだ、と。能登コミュニケ(原文英語)は以下の通り。
<世界農業遺産システムに関する能登コミュニケ>
我々、すなわちアフリカ、アジア及び南米の各国政府や地方政府、国際機関、市民社会、その他を代表し、石川での世界農業遺産国際会議に集まった参加者は、
a)持続可能な世界に向けた農業遺産の貢献に関して自由に意見交換し、議論を行う機会を歓迎する。
b) 食料安全保障、地域の雇用及び天然資源の保全を提供し、生物多様性や生態系から提供されるモノおよびサービスの供給を維持し、気候変動への適応を強化する点において、小農、家族農業者及び伝統的な農村社会の重要性を認識する。
c)急速に変化する世界における持続可能性のペンチマークとして、また、地域社会が自らの資産を持続的に管理するためのコミットメントの指標として、農業遺産システムの重要性を認識する。
d)2002年から世界の農業遺産システムを動的に保全し、GIAHSサイトの特定、支援、認定及び保護を推進し支援しているFAOとそのパートナーの努力に留意する。
e)農業遺産の保全への政策支援および投資を促進するための官民連携を拡大する必要性を強調する。
f)GIAHSに含まれる生物多様性の固有の価値を確認するとともに、生態的、社会的、経済的、文化的及び美観的価値とそれらが生態系や生計を維持する上で果たす重大な役割を確認する。
g)先住民や地域社会の伝統的な知識、革新および実践が、持続可能な開発に重要な貢献をしていることを認識する。
h)さらに、日本の石川県能登地域で開催された今回の世界農業遺産国際会議は、先進国での、またGIAHS認定サイトでの開催となった初の世界農業遺産国際会議であることに留意する。
i)2012年の第67回国連総会(※脚注)第2委員会を含め、GIAHSの概念は国際会議でも広く認知されていることを認める。
j)GIAHSは、農業の生物多様性の保全と持続可能な利用のための革新的な手段として生物多様性条約第10回締約国会議で認知され、愛知ターゲットに言及されたことに留意する。
k)FAO、政府および国際社会による保全や開発の取組を今後も維持するため、強固な体制を確立する必要性を認識する。
l)Rio+20会合の「私たちが望む未来」で規定された、持続可能な開発目標(SGDs)や、より幅広いポスト2015開発アジエンダを達成するため、GIAHSの重要性を強調する。
m) 経済、社会、環境の側面を統合し、それらの関係性を認識しつつ、あらゆる局面において持続可能な開発を達成するために、あらゆるレペルでGIAHSの主流化が必要であることを認める。GIAHSは、家族農業者、先住民および地域社会における人間の基本的な福祉を支える極めて重要な要素の結果であり、今後の発展に向けた機会である。
n)農村地域を活性化し、持続可能な開発についての目標を達成するため、FAO総会、国際機関、民間セクターおよびその他関係者に対し、農業遺産やGIAHSイニシアティブへの支援を勧告する。
o)GIAHSサイトをさらに認定するため、また、持続可能性の現存のモデルとして動的にその保全を拡大していくため、人的および政治的資源を動員することをコミットする。
p)全ての政府および関係者に対し、農業遺産システムを支援し守るよう要請する。
q)全ての政府に対し、現在のGIAHSの枠組みを支持し、そしてFAOの事業予算計画において必要なリソースを配分することを要請する。
以上を考慮し、この会議は以下を勧告する。
1.GIAHS認定サイトでは、定期的なモニタリングが行われ、その活力が維持されるべきである。
2.農業遺産の保全や、世界の食料安全保障および経済発展への貢献を促進するため、さらにGIAHSサイトを漸進的に認定すること。
3.特に開発途上国において、、現場での事業および取組を促進することにより、GIAHSを動的に保全すること。
4.既存のGIAHSは、開発途上国におけるGIAHS候補地が認定されるよう支援すること。
5.先進国と開発途上国の間のGIAHSサイトの結びつきを促進すること。
※脚注・第67回国連総会第2委員会「議題26:農業開発と食料安全保障』決議文書
午後からは中国、チリ、ペルーの政府関係者や国際機関幹部ら30人がエクスカーションが行われた。輪島市三井町市ノ坂は典型的な能登の村落。。田植えを終え、周囲にはカエルの鳴き声が響く現地で、伝統文化を継承し、生物多様性と環境配慮型農業を実践している若者グループ「まるやま組」の取り組みが紹介された。雑穀クッキーの振る舞いや、土地の生態系を描いた小学校の子どもたちの手作りの地図が配られ、その取り組みの広がり、きめ細やかな視察対応に参加者から高い評価の声が聴かれた。
⇒30日(木)夜・七尾市の天気 はれ
発表順に、日本の熊本県の「阿蘇の草原と持続可能な農業(Managing Aso Grasslands for Sustainable Agriculture)」、静岡県の「静岡の茶草場農法(Traditional tea (Chagusaba) of Shizuoka)」、中国の「会稽山の古代中国のトレヤ(Kuaijishan Ancient Chinese Toreya)」、中国の「宣化のブドウ栽培の都市農業遺産(Urban Agricultural Heritage of Xuanhua Grape Gardens)」、インドの「海抜以下でのクッタナド農業システム(Kuttanad Below Sea Level Farming System)」、イランの「カナード灌漑システム(Qanat Irrigation System)、最後が日本の大分県の「国東半島宇佐の農林漁業循環システム(Kunisaki Peninsula Usa Integrated Forestry, Agriculture and Fisheries System)」の7つの地域。
「日本におけるGIAHSの発展:大学の役割」と題して発表した国連大学サスティナビリティと平和研究所の永田明シニア・プログラム・コーディネーターの言葉だった。「欧州がユネスコの世界遺産をリードしたように、農業遺産はアジアがリードできるポジションにある」と述べ、とくに、日本、中国、韓国、日本の連携が重要で、国連大学は今後ともアジアの国々の世界農業遺産の連携に貢献したいと強調した。
な工業国のリーダーの一つで、本当に素晴らしい興味深い例になってくれると私は確信しています。一つ目には、都市と農村のつながりです。私たちが都市の人口過剰と農村部の過疎という問題を抱えていることは疑いようがありません。私たちは、都市と農村の統合ができればいいと願っていますが、統合が無理なら、せめて交流が起こればいいと考えています。
の食品をすべて、スーパーマーケットではなく地元で生産活動を行う小規模な農家から購入しています。
私は能登の一部で、農薬の使用をやめた所を見学させていただきました。そこでは有機栽培で米が生産されており、少しずつ水田にカエルや動物、様々な種類のヒルやミミズ、貝類が戻ってきています。生態系や生物多様性を回復するだけでなく、自然の中のある種のバランスが取り戻され、農薬や肥料の必要がなくなるため、これは非常に重要なことです。このような自然なシステムがもっと増えれば、きっと水田にもっと魚が増え、GIAHSがいっそう改良されます。
は、優れた製品を生産するだけでなく、生態系と生物多様性を維持し、その恩恵を受けています。これはアメリカの現代の里山と言えるでしょう。
今月29日から能登半島・七尾市で開催されるGIAHS国際フォーラムには当然、主催者であるFAOからパルビスGIAHS事務局長も出席する。私の知る限りでパルビス氏の能登入りは今回のフォーラムを含めると4度目である。過去に2010年6月4日の事前視察、2011年6月17日の認証セレモニー(inception workshop)=写真・上=、2013年2月19、20日の国際GIAHSセミナー(能登キャンパス構想推進協議会など主催)=写真・下=である。
私は昨年、食料・農業のために使われる世界の土地資源および水資源の状況を、1冊の本にまとめて出版しました。FAO(食糧農業機関)が、過去50年にわたる土地・水利用の世界的な実態を評価したものです。世界レベルでは、農地が森林、湿地、山間部に12%拡大しました。灌漑地は117%増加し、食料生産は200%増加しました。つまり3倍になったということです。
フランスのモンペリエ第2大学(理工系)で生態学の博士号を取得したパルビス氏は天然資源管理や持続可能な開発、農業生態学に関する著書(2008「Enduring Farms:Climate Change,Smallholders and Traditional Farming Communities(困難に耐える農家:気候変動、小規模農家と伝統的農村社会)」など)もある。スピーチを聞けば論理を重んじる学者肌だと理解できる。そのパルビス氏は目を輝かせながら、のぞき込んだのが能登の水田で採取した昆虫標本だった=写真・上=。そして、「この虫を採取したのは農家か」「カエルやヒルやミミズ、貝類の標本はあるか」と矢継ぎ早に質問もした。当時、視察対応の窓口だった私の第一印象は「虫好き、生物多様性に熱心な人」だった。その年の10月に開かれた生物多様性条約第10回締約国会議(名古屋市)の会場でもお見かけした。
里海の人材養成についてプレゼンテーションを目的に出席、私は発言する立場にないオブザーバー参加だった。佐渡や能登の自治体、農林水産省、国連大学高等研究所、石川県庁など含め日本から総勢16人の参加だった。
た運営委員会を傍聴すらできないと当初思われていた。ところが、中村教授がパルビス氏に傍聴は可能と尋ねると「No problem」の返事だった。運営委員会の雰囲気は緊張ではなく、各国のテレビ局などメディアも入るオープンな場だった。認証式は翌日11日午前に行われた=写真・下=。
上記のようなパルビス氏の思い入れもあり、てっきり2013年のGIAHS国際フォーラムはカリフォルニア開催と思っていた関係者も多かったと思う。逆に言えば、谷本知事のトップセールスが熱心だったのだろう。国際会議を誘致する知事のトップセールスの腕前はこれだけではない。2008年5月24日、ドイツのボンで開催中だった生物多様性条約第9回締約国会議(COP9)の現地事務局に条約事務局長のアフメド・ジョグラフ氏を知事は訪ねた。このときすでに、2010年のCOP10の名古屋開催が内定していたので、「2010国際生物多様性年」のオープニングイベントなど関連会議を「ぜひ石川に」と売り込んだのだ=写真・上=。このとき、国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットのあん・まくどなるど所長(当時)が通訳にあたり、「石川、能登半島にはすばらしいSatoyamaとSatoumiがある。一度見に来てほしい」と力説した。27日にはCOP9に訪れた環境省の黒田大三郎審議官(当時)にCOP10関連会議の誘致を根回した。
金沢で開催された国際生物多様性年のクロージングイベントは翌年の「2011国際森林年」にちなんだ式典でもあった=写真・下=。印象的だったのは、各国の大使クラスの参加者が参加した兼六園への散歩コース。雪つりを終えていた兼六園の樹木を眺めながら、海外からの来賓たちが「木の保護の仕方が独特。300年以上生きている木があることは驚き。これこそ日本の遺産だ」と絶賛していた。
北海道旅行の4日目(5月6日)は札幌を巡った。朝は気温が5度と低く、吐く息が白い。市内全体がガスがかかった感じで、テレビ塔(147.2㍍)=写真・上=もかすんで見える。オホーツク海に停滞している低気圧の影響で上空に寒気が流れ込んでいるためらしい。午前中のニュースでは、北海道の東部が雪に見舞われ、帯広では積雪3㌢となり、5月としては2008年以来の積雪を観測した、と。3日に新千歳空港に到着してからずっと春冷えで、まるで冬を追いかけてきたようだ。
の新聞を読んでの印象だ。それにしても、1855年産のワインはロシアからの相当前向きなメッセージではないだろうか。
こうした北海道の海陸の接点が重視され、金融や輸送の関連企業が続々と小樽に集まってくることになる。もう一つの国指定重要文化財である旧・日本郵船小樽支店=写真=は、日露戦争直後の明治39年(1906)に完成した。石造2階建て、ルネッサンス様式の重厚な建築だ。この建物が注目されたのは、日露戦争の勝利だ。明治38年(1905)9月5日締結のポーツマス条約で樺太の南半分が日本の領土となり、翌年明治39年の11月13日、その条約に基づく国境画定会議が日本郵船小樽支店の2階会議室で開かれたのである。このとき、ロシア側の交渉団の委員長が宴席のスピーチで「北海道は日本の新天地なり」と褒めちぎったといわれる。すなわち、北海道内の物流の結節点だけでなく、大陸貿易の窓口としての機能に期待が膨らんだのである。