★にぎわう能登の海辺 水上バイク全国大会、2年ぶりの海女漁

★にぎわう能登の海辺 水上バイク全国大会、2年ぶりの海女漁

きょう能登半島の千里浜(ちりはま)海岸へ海の景色を見に行く。この海岸の面白さは、全長8㌔のうち6㌔で車での走行が可能だ。「千里浜なぎさドライブウェイ」と称されている。波打ち際を乗用車やバスで走行できる海岸は世界で3ヵ所あり、アメリカ・フロリダ半島のデイトナビーチ、ニュージーランド・北島のワイタレレビーチ、そして千里浜海岸だ。

到着すると、大変な混雑に見舞われていた。そして、沖合では何台もの水上バイクが波しぶきを上げて走行している=写真・上=。掲げられている横断幕を見ると、「JJSA 全日本選手権 4th Stage 」とある。水上バイクの全国大会「オールジャパンジェットスポーツシリーズ」=写真・中=。大会の様子を見に来ていた地元の人に尋ねると、千里浜大会はきのうから始まっていて、全国5ヵ所で行われるシリーズ戦のうち第4戦目で、年間チャンピオンを決める重要な一戦のようだ。全国から集まった160人の選手が水上で熱いレースを繰り広げていた。

さらに半島を北上して輪島漁港に行く。このブログでは何度か取り上げた海女のアワビとサザエの漁が始まったので、その様子を見に行った。海女たちは魚介類や海藻を専門とするプロの漁業者だ。アワビやサザエのほか25種類も採取している。アワビは貝殻つきで浜値で1㌔1万円ほどする。よく働き、よく稼ぐ。新聞記者時代に取材に訪れたとき、「亭主の一人や二人養えんようでは一人前の海女ではない」という言葉を何度か聞いた。自活する気概のある女性たちの自信にあふれた言葉だった。「輪島の海女漁の技術」は国の重要無形民俗文化財に指定されている(2018年)。

午後1時半ごろ、輪島漁港に海女の乗った漁船が次々に到着して、アワビやサザエを荷捌き場に次々と降ろしていた=写真・下=。1つの船に6人から8人の海女が同乗して、輪島港から49㌔離れた舳倉島周辺で素潜り漁を行っている。去年は元日の能登半島地震の影響で漁を控えたので2年ぶり。港では海女たちの明るい声が弾んでいた。漁は9月まで行われる。

⇒13日(日)夜・金沢の天気   はれ

☆金沢は「新盆」入り、「札キリコ」を吊るす墓参の風景

☆金沢は「新盆」入り、「札キリコ」を吊るす墓参の風景

金沢ではきょうから新盆に入った。15日ごろにかけて墓参が行われる。金沢の墓参りには特徴があって、盆花を供えて札キリコを吊るす。札キリコは親戚や恩人が入る墓に持参するもので、墓前に設置してある棒や紐に吊るす=写真=。この板キリコの表面には、浄土真宗の家の墓ならば「南無阿弥陀仏」、曹洞宗ならば「南無釈迦牟尼仏」と書いて、裏面の「進上」には墓参した人の名前を記す。この札キリコによって、その墓の持ち主は誰が墓参に来てくれたのかということが分かる仕組みになっている。いわゆる墓参者の名刺代わりのようなものだ。

自身も4日前に墓掃除を行い、きょう午前中に墓参りを済ませた。それにしても、同じ石川県で新盆は金沢だけの慣習のようだ。細長い石川県の北側の能登、そして南側の加賀は旧盆の8月15日ごろに墓参りを行い、金沢だけが7月15日ごろの新盆の墓参りだ。ネットで検索すると、新盆は東京、函館、そして金沢などわずかな地域で、ほかは旧盆が主流のようだ。

では、なぜバラバラなんだろ。これもネットでの検索調べだが、それは旧暦と新暦の違いに由来するようだ。明治6年(1873)まで、日本では旧暦が使われており、旧暦の上でのお盆は7月15日だった。新暦に切り替わると、旧暦の7月15日を新暦にそのまま当てはめ、この日を「新盆」とするようになった。しかし、7月15日をお盆の日にすることでこれまでの季節感が異なることなどから、ちょうど1ヵ月遅らせることで本来のお盆に近い日にち、8月15日をお盆の日とすることが一般的になった。旧暦に倣おうということで、この日を「旧盆」と呼ぶようになったようだ(※金沢の「丸果石川中央青果」公式サイトから引用)。

話は逸れる。きょうお参りをした墓地の一角にトラ縄が張られていた。墓石のいくつかが倒れ掛かっている。去年元日の能登半島地震で金沢市寺町台のこの辺りの揺れは震度5弱だった。墓石のほかに、灯ろうや石垣が崩れている寺院や神社などもある。金沢城の石垣の修復もまだ半ばのようだ。震災から2度目の新盆を迎えた金沢の現状ではある。

⇒12日(土)夜・金沢の天気   はれ

★政治家の言葉に危うさ 言葉の独り歩きが予期せぬことに 

★政治家の言葉に危うさ 言葉の独り歩きが予期せぬことに 

自民党の参院予算委員長の鶴保庸介氏が今月8日に行った和歌山市での参院選の応援演説で、去年元日の能登半島地震について「運のいいことに能登で地震があった」と発言したことが問題となった=写真=。地元メディアの報道によると、この発言に対し、能登の4つの市町(輪島、珠洲、穴水、能登)の議会は10日、鶴保氏に抗議文を送ることを決めた。これとは別に輪島、珠洲の両市議会では個別の抗議文も送り、被災地の怒りを伝える(11日付・北國新聞)。

鶴保発言の騒動で目立たなかったが、石破総理は翌日9日に千葉県船橋市での街頭演説で、アメリカのトランプ政権との関税交渉について触れ、「これは国益をかけた戦いだ。なめられてたまるか。たとえ同盟国であっても正々堂々言わなければならない。守るべきものは守る」と強調した(9日付・共同通信Web版)。「なめられてたまるか」は、トランプ大統領が8日、日本からの輸入品について8月1日から25%の関税を課すとする書簡を公表したことを受けての発言だった。英訳すれば、「Don‘t underestimate Japan」だろうか。ただ、この言葉はトランプ大統領との直接交渉の場で発する言葉であって、板橋市民の前で叫ぶ言葉なのだろうか。

政治家の言葉に危うさを感じる。歴史的に有名な言葉は「ばかやろう」だ。1953年(昭和28年)2月、衆院予算委員会で当時の吉田茂総理と社会党の議員は激しい質疑応答を繰り返していた。吉田総理が自席に戻り、「ばかやろう」とつぶやいたのを偶然マイクが拾い、気づいた相手議員が「議員をつかまえて、国民の代表をつかまえて、ばかやろうとは何事だ。取り消せ」と迫った。これがきっかけで国会はさらに混乱し、3月14日に衆院解散となった。後に「ばかやろう解散」と称された。

政治家の言葉の危うさは、言葉が独り歩きをしてどのように展開していくのか読めないことの危うさでもある。石破総理の「なめられてたまるか」をトランプ大統領はどのように解釈するだろうか。そもそもトランプ氏は「われわれは日本を守らなければならないが、日本はわれわれを守る必要がない」と繰り返し述べ、日米安全保障条約に不満をにじませている。トランプ氏が「Don‘t underestimate America」と言い出すかもしれない。

⇒11日(金)午前・金沢の天気  はれ

☆二地域居住めぐり「運よく能登地震」発言、政治家として許されるのか

☆二地域居住めぐり「運よく能登地震」発言、政治家として許されるのか

自民党の参院予算委員長の鶴保庸介氏がきのう(8日)、去年元日の能登半島地震について「運のいいことに能登で地震があった」と発言したことが物議を醸している。

メディア各社の報道によると、鶴保氏は参院選和歌山選挙区の公認候補の個人演説会が和歌山市であり、応援演説を行った。その中で、地方から都市部への人口流出に対して危機感を持っていると語り、その解決策として、地方と都市部の両方を行き来する『2地域居住』を推進すれば地方の関係人口の創出につながると主張。その事例として、能登半島地震の被災者が居住する自治体以外でも住民票の写しを取得できるようになったことに触れ、「運のいいことに能登で地震があった。緊急避難的だが金沢にいても輪島の住民票がとれるようになっていて、『やればできるじゃないか』と思った」などと発言した。(※写真は、能登半島地震で火災が発生し、焦土と化した輪島市の朝市通り=2024年2月5日撮影)

この発言について、鶴保氏がきょう和歌山市内で会見を行い、「能登地方が被災したことを『運よく』などと発言してしまったが、思った発言ではまったくなく、失言だった。ことば足らずで被災地への配慮が足りなかった。心苦しい思いをさせてしまったのなら陳謝しかない」と述べ、発言を撤回した。また、辞職や離党の考えについて問われたのに対し「私が責任を取ることで皆さんの気持ちがおさまるならやぶさかではないが、現状ではそこまでは考えていない」と述べた(9日付・NHKニュースWeb版)。

鶴保氏は自民党の「二地域居住推進議員連盟」の会長を務める。二地域居住の促進を図るための法律(広域的地域活性化のための基盤整備に関する法律の一部を改正する法律)が2024年5月に国会で成立。具体的な背策として、地方に魅力的な学びの場づくりや、「稼げる」地方経済の実現に向けた農林水産業の振興など、地方創生を実現する切り札として注目が集まっている。

そんな最中の「運のいいことに能登で地震があった」発言。二地域居住に注目が集まっているときだけに、この動きに冷や水を浴びせた。能登に立ち寄り、失言の詫びを態度で示した方がよいのではないか。

⇒9日(水)夜・金沢の天気  はれ

★能登半島地震の仮設住宅団地をめぐる「期日前投票バス」のこと

★能登半島地震の仮設住宅団地をめぐる「期日前投票バス」のこと

きょう気象庁と環境省から石川県に「熱中症警戒アラート」が発表された。今月4日以来2度目。「梅雨明け宣言」もないまま、熱中症警戒アラートだけが先行している。日中の最高気温は金沢市で33度、輪島市で31度と平年を5度前後上回る厳しい暑さだった。

この暑さの中、参院選の有権者は期日前投票に足を運んでいる。去年元日の能登半島地震で仮設住宅が点在する志賀町富来では、バスを使った移動式の投票所が初めて導入されたと地元メディアで報道されていたので、きょう現地へ見に行ってきた。

志賀町では北鉄能登バス(七尾市)の路線バス車両を借りて、バスの車両中央部に投票用紙の記載場所と投票箱を備え、立会人は後方の座席から見守るという配置にしている。午前11時ごろに現地に着くと、仮設住宅「とぎ第4団地」(76世帯)のすぐ近くにバスが停まっていた。有権者が次々と訪れ、バスの入り口で受付を済ませ、バスに乗り込んで投票していた=写真=。同町選管の「移動期日前投票所のお知らせ」のポスターによると、きょうはこの後、13時からと15時から2ヵ所の仮設住宅団地を回る。あさって10日も3ヵ所を予定している。

バスの期日前投票所はきのう(7日)から始まっていて、近くに投票所がない8つの仮設住宅団地を中心に回るほか、若者に投票を呼びかけるために地元の公立高校でもお昼の時間にバスが停まった。バスの滞在は1時間から1時間30分と限られているものの、「動く投票場」は注目されたに違いない。

能登では志賀町のほか、珠洲市でもきのうからバスの期日前投票所が12ヵ所で開設されている。去年10月の衆院選では、近くに投票所がない仮設住宅団地が多いことや、車を持っていない高齢者が団地に多くいることなどが浮き彫りとなったため、今回参院選で「期日前投票バス」の導入に踏み込んだようだ。さらに行政側には投票率の向上につなげたいとの思いもあるのだろう。震災と選挙を考えるよい事例の一つかもしれない。

⇒8日(火)夜・金沢の天気   くもり後あめ

☆能登半島地震で隆起した海岸 地理院地図でくっきり浮かぶ

☆能登半島地震で隆起した海岸 地理院地図でくっきり浮かぶ

去年元日の能登半島地震で被災地をめぐって感じることは、「能登の地形が変わった」ということだろうか。これまで眺めていた風景とはガラリと変わったところもある。その一つが、海底が隆起した外浦(そとうら)海岸だ。能登では大陸側に面した海岸を「外浦」、富山湾に面した海岸を「内浦(うちうら)」と称している。能登地震で外浦は隆起し、内浦は沈下したところが随所に見られる。

たとえば、外浦の輪島市門前町の海岸沿いは海底が4㍍隆起し、まるで鳥取砂丘のような風景になっているところもある=写真・上=。この光景を見て、「この広がった領土を何とか活用できないか」と言う政治家もいれば、「地図をつくり直す国土地理院は大変だ」と語った研究者もいた。それぞれの立場で思い描くイメージは異なるようだ。

そして国土地理院は動いた。地元メディアの報道によると、国土地理院はインターネット上で公開している「地理院地図」を能登地震で起きた海岸の隆起を反映させた最新版にリニューアルした。ネット上で公開されている能登地震以前のものと今回更新された地理院地図=図・上が地震前、下が更新版=を比べると、前述の輪島市門前町の海岸線は200㍍余り沖方向に移動していることが分かる。

今回の地理院地図の更新で、能登半島の北側から西側にかけて広い範囲で陸地が増え、海岸線が沖へ拡大した。増えた陸地の面積については地理院が精査しているが、日本地理学会の研究チームによると、能登半島では約4.4平方㌔増えたという(今月6日付・北陸中日新聞)。よく引用される広さの目安だが、東京ドーム(建築面積4.7㌶)に換算して94個分に相当する。

更新された地理院地図を眺めていると、これを「能登砂丘」として、震災を学ぶ学習や観光に活かせないだろうか。そんなことを思ってしまう。

⇒7日(月)夜・金沢の天気  はれ

★安倍元総理銃殺事件から間もなく3年 能登空港で見た「聴衆を20㍍離す柵」

★安倍元総理銃殺事件から間もなく3年 能登空港で見た「聴衆を20㍍離す柵」

安倍元総理が奈良市で選挙応援演説中に銃撃され死亡してから、今月8日で3年になる。今でもこの銃殺は回避できなかったのかと思うことがある。最初、容疑者と安倍氏の直線距離は15㍍だった。その後、安倍氏の背後に回り込むように歩いて車道を横断。ショルダーバッグの中から手製の銃を取りだし、8㍍の距離から発砲した。周囲の人たちが大きな音に身をすくめる中、容疑者は白煙の上がる銃を手にし、さらに5歩前進。2.7秒後に、背後5㍍から2発目を撃った。音の方を振り向くような動きを見せていた安倍氏は身をかがめるようにして倒れた。容疑者は直後、車道上で取り押さえられた。警視庁のSP1人を含む4人の4警察官が警備にあたっていたにもかかわらず起きた事件だった。

今月4日、石破総理の街頭遊説が能登空港で行われたときの警備はどうだったのか。会場は能登空港の第2駐車場という空港ビルから100㍍余り離れた場所で、周囲には空港ビル以外の建物はない。入り口が設けられていで、ここで金属探知と手荷物の検査が行われていた。検査を行っていたのは警備会社のスタッフだった。入り口では警察官がなるべく手荷物を持ち込まないようにと呼びかけていたので、自身はスマホと車のキーのみを持って入ったので、金属探知のみだった。

ただ、一瞬あれっと思ったのは、金属探知が終わっていきなり、警備会社のスタッフが紺色の丸いシールを左胸の上に貼ったことだった。検査済みという意味だと理解するのに数秒かかった。街頭遊説の主催者は自民党石川県支部連合会で、主催者の発表だと参加者は700人とのこと。

石破総理は選挙カーに上がって演説をしたが、聴衆は選挙カーから20㍍余り離れた柵の中で聴いていた=写真=。聴衆の中からは「えらいものものしい雰囲気やな」や「石破さんの顔がよう見えん」などと声が上がっていた。確かに20㍍も離れると、自身も演説者の顔がよく見えなかった。カメラ撮影はOKとのアナウンスがあったので、石破総理ら演説者の表情はカメラ画像で確認した次第。

こうした警備態勢は警察と主催者側が事前に打ち合わせをして敷いたのだろう。能登空港では起きなかったが、安倍事件以降で選挙活動中に政治家が襲われる事件が相次いでいる。2023年4月には、和歌山市の漁港で選挙の応援に訪れていた当時の岸田総理に向かって手製の爆発物が投げ込まれるという事件もあった。政治家の街頭演説の20㍍の柵はさらに伸びていくのかもしれない。

⇒6日(日)午後・金沢の天気   はれ

☆熱中症警戒アラートの中、能登で石破総理が応援演説、熱気の「あばれ祭」

☆熱中症警戒アラートの中、能登で石破総理が応援演説、熱気の「あばれ祭」

金沢はきょうも朝から蒸し暑かった。気象庁と環境省は午前5時に、石川県内で熱中症の危険性が高まったとして今季初めて「熱中症警戒アラート」を発表した。金沢地方気象台によると、きょうの最高気温は能登半島の尖端に位置する珠洲市で34.2度、加賀市で34.1度、小松市で33.5度、金沢市で33.3度と県内11の観測地点すべてで真夏日となった。気象台では、エアコンを適切に利用したり、こまめに水分や塩分を補給したりするなど熱中症予防を呼びかけている。去年元日の能登半島地震の被災地では、公費解体などの作業に追われている被災者や作業員の人たちも多く、熱中症が気になる。

この危険な暑さの中、きのう公示された参院選で自民党総裁の石破総理がきょう党公認候補の応援演説のため、輪島市の能登空港を訪れた。地元メディアの報道によると、石破総理は遊説先の福島県からチャーター機で能登空港に降り立ったようだ。自身も金沢から空港の会場に行き、総理の演説に耳を傾けた。

午後2時ごろマイクを握った石破総理=写真・上=は、1年半が経過した能登半島地震を振り返り、「財政力が弱いから、地形が厳しいから対応できないということは国家が言うことではない。能登から新しい日本をつくっていく」と訴えた。また、「世界有数の災害大国ならば世界一の防災大国にしなければならない」と述べ、事前防災と災害対応の司令塔となる「防災庁」の必要性について強調していたが、どこに本部を置くかなどの具体案はなかった。また、能登の被災地の復旧・復興についての具体策についても言及はなかった。

総理の演説の後、能登半島をさらに北上し、能登町宇出津(うしつ)に着いた。夏から秋にかけて能登の各地で催されるキリコ祭りの先陣を切る「宇出津のあばれ祭(まつり)」が始まっていた=写真・下=。能登では「1年365日は祭りの日のためにある」という言葉があるくらい、人々は祭りにこだわる。その能登の祭りで、一番威勢のいい祭りとして知られるのが、宇出津のあばれ祭だ。

地元でキリコと呼ぶ「切子灯籠(きりことうろう)」を老若男女が担ぎ、「イヤサカヤッサイ」の掛け声が港町に響き渡っていた。熱気あふれるとはこの事をことを言うのだろうと実感した。絶好調になると、神輿を川に投げ込んだり、火の中に放り込むなど、担ぎ手が思う存分に暴れる。それを神が喜ぶという伝説がある祭りだ。

⇒4日(金)夜・金沢の天気   はれ

★炎天下で参院選、石破総理あす能登で遊説 復興具体策どうする    

★炎天下で参院選、石破総理あす能登で遊説 復興具体策どうする    

きょうは参院選の公示日ながら、金沢の街中はえらく静かだ。そもそも選挙の争点が見えない。きのう(2日)午後、NHKで放送していた与野党の8党首による討論会(日本記者クラブ主催)を視聴したが、なんとなく見えた争点は、物価高対策として現金給付なのか消費税の減税なのか、だろうか。

「バラマキの2万円はいつ配るのか。財源は足りるのか」。国民民主の玉木氏は与党の現金給付案について自民の石破氏(総理)に突っ込みを入れた。これに対し、石破氏は野党の消費税減税案について、「恩恵を受ける対象が誰なのか重点化せずに減税するのは、むしろバラマキに近い」などと応酬していた(コメントは意訳)。石破氏は「一番重要なのは賃上げ」とも強調していた。

このやり取りを有権者の目線で見れば、自民の現金給付は一時的な家計支援であり、野党の消費税減税の方が国政選挙の争点として価値があるのではないか。それよりもっとスケール感のある与野党の論争を聴きたいものだ。たとえば、「身を切る改革」として、衆院と参院の二院制のそのものの是非論を争点にしてはどうか。(※写真は、参院選石川県選挙区のポスター掲示板。5氏が出馬し1議席を争うが、うち4人のポスターが貼られていた=金沢市泉野出町3丁目の金沢市総合体育館横、午後4時ごろ撮影)

きょうの地元新聞の5段広告で「明日7月4日 石破総裁来る! 石川能登の復興のために 街頭遊説13時45分~ 場所能登空港・第2駐車場」と掲載されている。能登の有権者は、能登復興の具体策をこの場でぜひ示してほしいと期待しているに違いない。

話は変わる。前回ブログで能登半島地震で被災した輪島市で最大のホテル旅館が閉鎖、その原因の一つが観光需要が見込めず、再建に向けた投資がままならないことだ、と述べた。以下、それを裏付けるような話。金沢国税局が今月1日に公表した2025年分の路線価(1月1日午前0時時点、平方1㍍当たり)によると、輪島市河井町の朝市通りは昨年比で16.7%減の3万5000円となった。地震前の評価だった前年は4.5%減だったので、地震で下落率が一気に拡大したことになる。この16.7%減は全国で最大の下落率だった(メディア各社の報道)。不動産需要を見いだし難い輪島の現状が数字として表れてきた。

もう一つ。石川県は去年1月1日からことし6月1日時点の県内の人口と世帯数の推移を発表した(今月1日)。輪島市は去年1月の2万1903人から2823人減り、1万9080人(減少率12.9%)。減少数は能登の9市町で最も多かった。地震による人口減少や観光客の入込数が見込めない状況がいつまで続くのか。暗い数字の話が続いた。

⇒3日(木)午後・金沢の天気  はれ

☆「ホテルこうしゅうえん」閉館 能登の観光業に及ぼすインパクト

☆「ホテルこうしゅうえん」閉館 能登の観光業に及ぼすインパクト

前回ブログの続き。輪島市で一番客室が多い「ホテルこうしゅうえん」がきのう閉館したことをニュースで知って、きょう現地を見に行った。1968年に「ホテル高州園」として海沿いにオープンした。自身は地元新聞の記者だった1983年4月から2年間、輪島支局に勤務した。初代と二代目社長とは取材を通じて知り合った。当時、高州園は増築を重ねていて、その後132室にまで増やしていった。高州園という名前は、奥能登で最も高い山である高洲山(567㍍)が輪島市にあることから名付けたとのことだった。

二代目の社長はアイデアマンで、テレビCMには自ら輪島駅の駅長役として出演したものがあった。また、テレビ画面から魚と海水が噴き出す、あのユニークなテレビCMも二代目社長のアイデアだった。ユニークなCMで全国から話題を集めたものの、二代目が亡くなり、その後の後継者問題から、2018年に東京のホテル運営会社が事業を引き継いでいた。

去年元日の能登半島地震では大浴場が使えなくなったり、基礎部分が傾いたりしたため一般客の受け入れを休止し、応急修理を行いながら、復旧工事の関係者に宿泊場所を提供してきた。ただ、営業を続けるためには大規模な工事が必要となるほか、観光客の回復の見通しが立たないことから運営会社は閉館を決め、先月30日ですべての利用客がチェックアウトした(メディア各社の報道)。

きょう輪島市内をめぐると、高州園だけでなく旅館や民宿なども被災をきっかけに休業していた。輪島市観光協会のまとめでは、地震前に47あった宿泊施設のうち6つの施設が廃業していて、現在営業している施設は19ヵ所にとどまっている(同)。地震の被害が残り、観光客の回復が見込めない状況で果たして投資をして宿泊業を続けていけるのかどうか。

⇒2日(水)夜・金沢の天気  はれ