☆衆院選・石川1区はドカ雪との戦い、ポスター掲示もままならず

☆衆院選・石川1区はドカ雪との戦い、ポスター掲示もままならず

ドカ雪の中、衆院選挙が始まった。ちらつく雪の中、けさ近所を散歩すると選挙ポスターの掲示板にポスターが3枚しか貼られていないことに気がついた=写真、きょう午前8時30分ごろ金沢市泉が丘1丁目のバス停付近で撮影=。石川1区(金沢地区)の立候補者は5人なので、通常ならば5枚が貼られているはずだ。やはり大雪の影響かと考えた。バス停周辺ながらかなりの積雪がある。ということは運動員によるとポスタ-貼りの手が回り切れていないのだろう。

ポスタ-掲示板そのもののがまだ設置されていないところもあるようだ。地元メディアの報道によると、1区ではポスター掲示板が金沢市内592ヵ所が設けられる予定だったが、90ヵ所で間に合わなかった。積雪の多い山間部だけでなく、道路が狭い市内中心部での公園や予定地に除雪された雪が積まれていて、ポスタ-掲示板の設置が間に合わなかったようだ。ポスター掲示板でもこの混乱ぶりだ。

1区では、自民前職の小森卓郎氏、国民民主前職の小竹凱氏、維新新人の小林誠氏、参政新人の川裕一郎氏、共産新人の村田茂氏の5人(届け出順)が立候補している。今月26日付のブログ「☆ドカ雪の金沢であすから衆院選 寒中の路地裏どうする選挙運動」でも述べたが、60㌢余りも積雪がある中、どのように選挙運動が展開されるのだろうか。

総選挙のいつもの光景は「ウグイス嬢」「桃太郎」「ドブ板」だ。ウグイス嬢は選挙カーに乗って、「〇〇をよろしくお願いします」とマイクで叫びながら手を振って街を流す。「桃太郎」はたすきをかけた候補者が、のぼりを持った運動員たちとともに街のメイン通りや商店街を練り歩き、支持を訴える。「ドブ板」は候補者が裏路地まで入って地域の有権者にあいさつする光景だ。ただ、この寒中でウグイス嬢は車の窓を開けてマイクを握り、手を振れるだろうか。雪が積み上がる街中や路地裏で桃太郎やドブ板はできるだろう。ドカ雪の金沢で候補者はどのような選挙運動が繰り広げるのか。

街頭演説は通行の妨げになる可能性がある。とにかく、道路の空きスペースには除雪された雪が積まれている。選挙ポスタ-掲示板の設置も90ヵ所で出来ていない状態だ。公民館や集会所での演説はどうだろうか。5人の候補者の予約の取り合いになっていないだろうか。あす29日以降も第二波の寒波襲来となる。気象庁は30日午後6時までの24時間の降雪量を、多いところで金沢など加賀平地で30㌢、山地40㌢、能登は平地、山地ともに20㌢と予想している。候補者は大雪との戦いでもある。

⇒28日(水)午前・金沢の天気   くもり時々ゆき

★真冬の総選挙始まる 地元石川で10人が「短期決戦」に挑む

★真冬の総選挙始まる 地元石川で10人が「短期決戦」に挑む

きょう27日、衆院選が公示され2月8日の投開票に向けて選挙戦が開始された。衆院選は2024年10月以来、1年3カ月ぶりだ。地元の石川県で立候補したのは、1区(金沢地区)で自民前職の小森卓郎氏、国民民主前職の小竹凱氏、維新新人の小林誠氏、参政新人の川裕一郎氏、共産新人の村田茂氏の5人(届け出順)。2区(加賀地区)は自民前職の佐々木紀氏、共産新人の坂本浩氏の2人(同)。3区(能登地区)は自民前職の西田昭二氏、共産新人の南章治氏、立憲民主と公明が結成した新党「中道改革連合」前職の近藤和也氏の3人(同)。3選挙区で合わせて10人が選挙戦に入った。(※写真は、石川1区の選挙ポスター掲示板=午後6時ごろ金沢市泉野出町で撮影)

1区の小森氏は石川出身ではないが、財務官僚出身でかつて県の総務部長を担った経験から、2021年10月の総選挙で初当選を果たした。2区の佐々木氏は大御所の森喜朗元総理と同じ根上町生まれ。森氏の地盤を引き継いで当選連続5回。ある意味で注目するのが3区。能登は「自民王国」とも称されてきたが、前回2024年10月の選挙では、立憲民主が逆転し、近藤氏が4回目の当選を果たしている。西田氏は比例復活で3回目の当選となった。

「なんで選挙なんかするんや、ダラくさい」。2024年元日の震度7の地震と同年9月の記録的な大雨に見舞われた能登の有権者から何度も耳にした言葉だ。「ダラくさい」は能登の方言でばかばかしいという意味だ。誰のために、何のために選挙をするのかと問うているのだ。能登の被災地の人たちの率直な気持ちではないだろうか。とは言え、能登の人々の性格は律儀さもあり、「選挙に行かねば」は当たり前で、金沢市など都市部に比べて投票率は高い。前回衆院選では3区の投票率は62.5%だった。避難者が現地から離れていて、投票に行けなかったというケースもあったろう。「ダラくさい」と言いながらも投票には行く。ちなみに、1区金沢の投票率は49.5%だった。

今月23日の衆院解散から来月8日の投開票まで戦後最短の短期決戦とも言われる今回の総選挙。短期決戦もさることながら、2月の厳冬期での投開票は1990年以来となる。まさに真冬の決戦が始まった。

⇒27日(火)夜・金沢の天気   あめ

☆ドカ雪の金沢であすから衆院選 寒中の路地裏どうする選挙運動

☆ドカ雪の金沢であすから衆院選 寒中の路地裏どうする選挙運動

こんな寒い雪中で選挙をするのか、と思ってしまう。自宅周囲はきょうも積雪が60㌢もある。金沢の上空で局地的な前線が発生し、雪雲が停滞して降雪が集中したと気象庁は発表している。そして、日中も零度という寒さで、降った雪がそのまま溶ける気配がない。きのう金沢市中心部の香林坊を歩くと、日曜日の午後5時30分ごろだったが、道路には人の気配がない。雪が積もった道路沿いには総選挙のポスター掲示板が備えられていた=写真=。なんとも寒々しい光景だ。あす27日、衆院選が公示される。

総選挙に向けてメディア各社が世論調査を報じている。読売新聞公式サイトによると、世論調査(23-25日)では高市内閣の支持率は69%、前回の12月調査から4ポイント減とやや下がったが依然として高い水準を維持している。衆院選の比例選投票先は、自民が36%で、立憲民主党と公明党が結成した新党「中道改革連合」と国民民主党が9%で続いた。高市総理が今の時期に衆院の解散を決めたことについて、「評価しない」は52%で、「評価する」の38%を上回った。

日経新聞の世論調査(23-25日)によると、高市内閣の支持率は67%で、前回12月の調査から8ポイント低下した。衆院選の比例選投票先は、自民が40%、中道改革連合が13%、国民民主が9%と続いた。高市総理が衆院を解散した判断については、「適切だとは思わない」が49%、「適切だと思う」が41%だった。

共同通信の世論調査(24、25日)によると、内閣支持率は63.1%で、前回12月の調査から4.4ポイント低下した。衆院選の比例選投票先は自民が29.2%で最も多く、中道改革連合が11.9%と続いた。高市総理が衆院を解散した判断については反対が47.3%で、賛成の44.0%を上回った。

話は冒頭に戻る。60㌢余りも積雪がある中、1区(金沢)では自民、国民、維新、共産、参政の5人が出馬するようだ。総選挙のいつもの光景は「ウグイス嬢」「桃太郎」「ドブ板」だ。ウグイス嬢は選挙カーに乗って、「〇〇をよろしくお願いします」とマイクで叫びながら手を振って街を流す。「桃太郎」はたすきをかけた候補者が、のぼりを持った運動員たちとともに街のメイン通りや商店街を練り歩き、支持を訴える。「ドブ板」は候補者が裏路地まで入って地域の有権者にあいさつする光景だ。ただ、この寒中でウグイス嬢は車の窓を開けてマイクを握り、手を振れるだろうか。雪が積み上がる街中や路地裏で桃太郎やドブ板はできるだろう。ドカ雪の金沢でどのような選挙運動が繰り広げられるのか。

⇒26日(月)午後・金沢の天気  くもり

★金沢大雪60㌢、玄関前を雪すかし、さてどうする屋根雪下ろし

★金沢大雪60㌢、玄関前を雪すかし、さてどうする屋根雪下ろし

金沢は大雪だ。自宅周辺では60㌢余りの積雪となっている。庭の五葉松の枝に雪が積もり、すっぽりと覆われた=写真、自宅2階から午前9時10分ごろ撮影=。今月23日付のブログでも同じ場所から撮影したものをブログでアップしたが、その時は30㌢ほどの積雪だった。随分と周囲の雪景色も異なって見える。まさに「10年に一度」の光景かもしれない。

金沢地方気象台によると、金沢市では午前6時までの6時間に降った雪の量が37㌢と、短時間に降った積雪としては1997年に統計を取り始めてから最も多くなった。午前中から小やみになったものの時折、雪が降っている。ただ、ピークは過ぎ、石川県内に発表されていた大雪警報などは午前11時前に解除された。金沢地方気象台は引き続き、降雪による交通障害などに警戒を呼びかけている。

大雪による事故も多発している。地元メディア各社の報道によると、金沢市内の男性が除雪作業中に転倒して重傷を負うなど、きのうは午後5時時点で3人が救急搬送されている。また、県内ではきのう午前9時までの24時間で雪によるスリップなど交通事故が40件発生し、3人が負傷した。JR西日本はきのう午後8時から北陸線の特急「サンダーバート」と「しらさぎ」の運転を取りやめ、きょうも午後6時ごろまで運休の予定。北陸新幹線は通常通り運行している。空の便は、小松ー羽田便のJALとANAの発着便が始発でそれぞれ欠航となった。

大雪の天気情報でこのところよく耳にする言葉が「JPCZ」。日本海を直撃する寒波で、この影響で日本海から活発な雪雲が断続的に流れ込み、局地的に降雪量が多くなる。シベリアから寒気団が日本海に向かって流れてくる際に朝鮮半島北部の白頭山によって、いったん二分されるが、その風下で再び合流し、雪雲が発達しやすい収束帯(ライン)となって北陸地方などに流れ込んでくる。漢字で書けば「日本海寒帯気団収束帯」。JPCZ、最近この言葉を聞くとゾッとする。

豪雪は他人事ではない。自宅前の雪すかしは降雪期の通常作業だが、どうしようかと気になるのは屋根雪だ。これは経験則だが、屋根に60㌢余り雪が積もるとミシリ、ゴトッと屋根裏から不気味な音がかすかに聞こえてくるようになる。自身はこの音を「屋根雪下ろしのアラーム音」と考えている。ブログや日記で調べてみると、直近の屋根の雪下ろしは2018年2月7日だった。このときは、晴れ間をぬってスコップを持って屋根に上がった。大屋根ではなく、2階の屋根だ。2006年1月にも屋根雪下ろしをしているので実に12年ぶりだった。屋根の上で怖いのは予期せぬ突風。平地ではそれほどではない風も、屋根に上がるとまともに受け、倒れそうになることがある。積雪60㌢、さて、リスクを承知で屋根に上がるか、迷うところだ。「10年に一度」のつぶやきではある。

⇒25日(日)午後・金沢の天気    くもり時々ゆき

☆ゴジラが金沢に現る 赤レンガの歴史博物館で迫力の「ゴジラ博」

☆ゴジラが金沢に現る 赤レンガの歴史博物館で迫力の「ゴジラ博」

あのゴジラが金沢市にある石川県立歴史博物館に現れた。1月17日に。とは言っても、企画展。タイトルは「ゴジラ博 in 金沢」(3月22日まで)=写真・上=。ゴジラは1954年に初めて姿を現して以来、日本のみならず世界中を魅了してきた。その71年の足跡を紹介する企画展だ。きょう鑑賞に行ってきた。

企画展のチラシによると、1954年に初めて姿を現して以来、日本のみならず世界中に衝撃を与え続けた怪獣王「ゴジラ」。邦画最新作『ゴジラ-1.0』は国内だけでなく北米でも大ヒットとなり、全世界のスクリーンを席巻した、とある。さらに、ハリウッド版第5作『ゴジラxコング 新たなる帝国』は全世界興行収入845億円を突破するなど、その勢いはとどまらない。そして2024年11月に生誕70周年を迎えたゴジラは、最強の怪獣王として今後も君臨し続けている。そんなゴジラの足跡をたどるイベント「ゴジラ博」をこの度金沢の石川県立歴史博物館にて「ゴジラ博 in 金沢」として開催、とある。

企画展は東京・大阪・北海道・岩手での開催に続いての展示。歴代ゴジラの立像、そして、映画の撮影で実際に使われた小道具、機械仕掛けのある「シン・ゴジラ」の上半身などが展示され、初代から最新作まで余すことなくゴジラの世界が展示されている。中でも、迫力があるのは、ゴジラ-1.0が街中を歩くジオラマの展示=写真・下=。このコーナーでは鑑賞者が自身のスマーフォンを使って、まるで特撮映画のような映像が撮影できるような仕組みが備えられている。

自身もゴジラファンではある。というのも、第1作が上映された1954年は自身が生まれた年であり、幼いころからゴジラの圧倒的な存在感に目を奪われてきた。そして、ある意味で核兵器の恐怖を教わったのはゴジラだった。水爆実験で目覚めた太古の怪獣が、戦後復興を果たした首都・東京をのし歩き、再び火の海に変える姿は、核の存在を知らしめ、恐怖を突きつけた。

会場で圧巻さを感じるのは、壁一面に並ぶ歴代のポスター。眺めていると、まさに昭和から平成、令和の時代を映している。レトロな雰囲気を醸しているかポスターかと思えば、世界へとのし歩く姿のポスターはグローバルさを感じさせる。そして、71年続く伝説と現代のゴジラの姿を、赤レンガでレトロな歴史博物館で鑑賞するというコンセプトにもずっしりと重みを感じた。まさに、ゴジラの存在を醸す特別な空間ではないだろうか。

⇒24日(土)夜・金沢の天気   くもり

★早い、なぜ今、争点多すぎ、まるで「選挙のバーゲンセール」

★早い、なぜ今、争点多すぎ、まるで「選挙のバーゲンセール」

寒波の襲来できょう金沢市内は30㌢ほどの積雪になった。近所では朝からか雪すかしに追われた。雪は奥能登でも降り、震災に見舞われた珠洲市では積雪が40㌢を超えた。仮設住宅に暮らす被災者が雪すかしに追われる様子をテレビメディア各社が報じていた。さらにあす24日から25日にかけて、再び大雪のピークとなり、北陸を中心に発達した雪雲のJPCZ(日本海寒帯気団収束帯)がかかり、積雪が増すようだ。(※写真は、けさの金沢の雪模様。自宅の二階から市内の様子を撮影=午前7時30分ごろ)

NHKテレビを視ていた。午後1時すぎ、衆院本会議で額賀議長が解散詔書を読み上げ、国会を解散した。総選挙は今月27日に公示、2月8日投開票の日程で実施する。事実上の選挙戦に突入した。衆院選は石破政権だった2024年10月以来およそ1年3ヵ月ぶりで、小選挙区289、比例代表176の合わせて465議席を争う。それにしても、解散から投開票まで16日間と、戦後最短の決戦だ。2021年衆院選の17日間という記録を塗り替えた。有権者の一人としての印象だが、まるで「選挙のバーゲンセール」の様相だ。

選挙の争点がよく分からない。高市政権が進める政策の是非や、消費税の扱いを含む物価高への対応、外交・安全保障政策などが争点となる見通しとの報道だが、有権者にはその解散の意義が伝わって来ない。新年度予算の成立を前に、なぜこのタイミングなのか。高市総理が強調しているように「高市早苗が総理大臣でいいかどうか」を争点とするのは、有権者の感覚とズレているのではないか。

そもそも、信頼できるような候補者がいるのかどうか。それが、未来を託せる人物かどうか。そして、小選挙区289、比例代表176の計465議席なのだが、多すぎる。小選挙区の289で十分だ。「議員は年収3000万円」とよく言われているが、この半分に削減すべきではないか。それでも議員になり、地域のために貢献したいというのであれば応援したい。あくまでも個人的な想いだ。

⇒23日(金)夜・金沢の天気   くもり

☆大寒波がやって来た/能登の首長選、無投票再選もバンザイせず

☆大寒波がやって来た/能登の首長選、無投票再選もバンザイせず

「爆弾低気圧+強烈寒気」の、まさに強烈な大寒波がやってきた。気象庁はきのう(20日)「大雪に関する全般気象情報」を発表。上空5000㍍でマイナス40度以下の強烈な寒気が流れ込むため、きょう夜から北陸から山陰にかけて警報級の大雪となるようだ。金沢は晴れ間も出て、積雪は10㌢ほどだったが、時折、分厚い雲に覆われた=写真は、金沢・大乗寺丘陵公園から市内中心部を撮影・午前11時10分ごろ=。夕方午後6時から24時間に降る雪の量は、北陸の多いところで80㌢、金沢など加賀地方の山地で70㌢、平地で40㌢、能登では山地と平地いずれも30㌢と予想されている。いよいよ大雪か。2021年1月にはシベリアからの強烈な寒気団がJPCZ(日本海寒帯気団収束帯)となって停滞し、北陸自動車で1600台が2日間動けなくなる大雪となったことを思い出す。

大荒れは天気だけではない、大相撲の初場所もだ。石川県津幡町出身の郷土力士、横綱・大の里はきのう10日目、取り直しの末に熱海富士に敗れて3連敗を喫し、6勝4敗となった。2場所ぶりの優勝は遠のいた。きょうは霧島に勝って、7勝としたが、あと4日間で横綱の意気地を見せることができるのか。

話は変わる。前回のブログで能登半島の尖端部分の穴水町では20日は町長選ならびに町議補選の告示日で、投開票日は今月25日となる。それが終わってすぐに総選挙が今月27日に公示、2月8日に投開票となる。さらに、石川県知事選は2月19日に告示、3月8日に投開票だ。まさに「選挙3連発」となる、と述べた。地元メディアの報道によると、町長選は現職の吉村光輝氏に対する立候補はなく、無投票で再選が決まった、とある。吉村氏は集まった支援者ら100人と握手を交わした。ただ、能登半島地震から「復興の途上」ということもあり、バンザイはせずにお茶で乾杯をして当選を喜び合ったようだ。町議補選は選挙戦に入った。

⇒21日(水)夜・金沢の天気   ゆき

★36年ぶり2月の総選挙、能登地震後3回目の国政選にため息

★36年ぶり2月の総選挙、能登地震後3回目の国政選にため息

高市総理はきのう(19日)記者会見で、今週23日に召集される通常国会の冒頭で衆院を解散し、来週27日に公示、2月8日に投開票を行うと表明した。解散から投開票日まで2週間余りの短期決戦となる。それにしても、真冬の2月に・・・。1990年以来、36年ぶりとなる2月の総選挙だ。

36年前、自身は金沢の地元新聞社から出向し、ローカル局の立ち上げに携わっていた。4月の開局を控え、雪の中で早朝出勤、深夜帰宅を繰り返していたことを思い出す。当時、報道デスクを担当していたので、新人記者たちに選挙報道とは何か、などと教えていた。新聞やテレビなどマスメディアは選挙報道の公正さが求められている(公選法148-1、放送法4)。とくに国からの免許で運営するテレビ放送では、候補者の平等条件での放送が求められている(放送法13)。法律に従って、公示・告示の日から投票終了まで、候補者の公平的な扱いを原則守らなければならない。たとえば、候補者の扱いでの公平性はテレビ局の場合、候補者を紹介する映像の時間の長さ(秒単位)などを厳格に守る、など実に細かい。

冒頭の話に戻る。2月総選挙となると、ため息をついているのは能登の自治体関係者ではないだろうか。とにかく選挙が続き、それも能登半島地震の復旧・復興の最中だ。一例を言えば、能登半島の北部、奥能登地区の穴水町の場合、町長選などが続く。きょう20日は町長選ならびに町議補選の告示日だ。投開票日は今月25日となる。それが終わってすぐに総選挙が今月27日に公示、2月8日に投開票となる。さらに、石川県知事選は2月19日に告示、3月8日に投開票だ。まさに「選挙3連発」となる。

穴水町ではすでに、町長選・町議補選の選挙ポスターの掲示板が設置されている=写真は、穴水町の震災用仮設住宅に設置された町長選・町議補選のポスター掲示板・今月19日撮影=。今月27日に総選挙の公示となり、25日までには衆院選用の掲示板も設置することになるので、掲示板が3つ並ぶことなる。ただ、地元メディア各社の報道によると、いまのところ現職の町長以外に立候補を表明している人はいないようなので、選挙戦にはならないとの見方もある。さあ、どうなるか。

それにしても、奥能登地区の4市町各選管(輪島、珠洲、穴水、能登)は2024年元日の能登半島地震から3回目の国政選挙となる。今月7日付のブログ「★『二重災害』能登の人口13%減、自治体職員も1割減るという現実」でも述べたが、自治体職員が中途退職して、人員が減り復旧・復興の業務そのものが大変なことになっている。その中で、選挙業務を急ぐことになる。

きょうから日本海側などは大雪との情報が行き交っている。冬場の選挙は震災後の路面状況を含め、路面の凍結などにも気を付けたい。期日前投票の呼びかけや、投票時間の繰り上げなど、投票場への雪道のリスク対策も必要になってくるだろう。

⇒20日(火)午前・金沢の天気   ゆき

☆UFOからトキへ 能登・羽咋ときめきのストーリー

☆UFOからトキへ 能登・羽咋ときめきのストーリー

ことし6月上旬に国の特別天然記念物トキが放鳥される能登半島の羽咋(はくい)市に行くと、道路脇にトキの看板が掲げられている。かつて羽咋に飛来したトキの写真がデザインされているようだ。そして、市役所に行くと、「本州初 トキ放鳥決定 2026」の文字と田んぼを舞うトキの写真が入った懸垂幕がエントランスに掲げられている=写真、17日撮影=。街中がトキ一色のような雰囲気だ。

石川県の馳知事は先日5日の年頭記者会見でトキの放鳥について、予定している6月に加え、9月にも実施することを明らかにした。6月の放鳥は羽咋市南潟地区(邑知潟周辺)で実施される。知事の説明によると放鳥式を同市の余喜グラウンドゴルフ場で実施しする。皇族を招く予定で交渉中のようだ。放鳥されるトキは佐渡市で順化訓練を受けた個体で、15羽から20羽を予定している。こうして、放鳥に向けての段取りが具体化するにつれ、市民のテンションも高まっているようだ。

羽咋と言えばもう一つ、「UFO伝説」の街としても知られる。同市で伝わる昔話の中に「そうちぼん伝説」がある。「そうちぼん」とは、仏教で使われる仏具のことで、楽器のシンバルのような形をしている。伝説では、そうちぼんが羽咋の北部にある眉丈山(びじょうざん)の中腹を夜に怪火を発して飛んでいたと伝えられている。さらに、眉丈山の辺りには「ナベが空から降ってきて人をさらう」という神隠し伝説もある。また、羽咋の正覚院という寺の『気多古縁起』という巻物には、神力自在に飛ぶ物体について書かれている(宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」のホームページより)。UFOという歴史文化遺産を有する世界でも珍しい地域でもある。

作家の田口ランディ氏はこのUFO伝説に満ちた羽咋に滞在して、小説『マアジナル』(角川書店)を書き上げた。マアジナルは、「marginal 【形容詞】 辺境の、周辺部の、縁にある、末端の、ぎりぎりの。二つの社会・文化に属するが、どちらにも十分には同化していない、境界的な」という意味を持つ(『リーダーズ英和辞典』)。物語は、「こっくりさん」が流行した1980年代、UFOを目たという少年が中心になって少年少女6人がある日、手を取り合って輪を作り、夏の夜空にUFOが現れるのを祈った。その直後、そのうちの1人の女子生徒が消息不明となる。この夜をきっかけに、彼らの運命の歯車は少しずつ狂い始める。UFOや宇宙人を内容とする雑誌「マアジナル」編集部にたまたま入った羽咋出身の編集者がこの運命の糸をたぐり始める。すると、残りの5人の人生が再び交錯し始める…。

この小説は400ページにも及ぶ。羽咋ではそのUFOと同時にトキでもストーリ-が生まれそうだ。

⇒19日(月)午前・金沢の天気   はれ

★ネット・通信環境を大きく変えた阪神淡路大震災

★ネット・通信環境を大きく変えた阪神淡路大震災

あれから31年の歴史を刻んだことになる。「1・17」の記憶は自身の脳裏から徐々に風化している。こんなときに重宝しているのが自身のブログだ。あのときの自身の行動はどうだったのか、書き留めておいたことが検索で浮かんでくる。きょう検索すると、「2017年1月17日」付のブログに当たった。「1・17」だけでなく、当時のネットやメール、通信環境のことなど絡めて記していて、まだ記憶が鮮明だったころの備忘録でもある。以下、2017年1月17日付「★『あのとき』のケータイとネット」を再録する。

                     ◇

1995年1月17日5時46分、金沢も大きく揺れた。当時、テレビ局で報道デスクの仕事をしていた。確か、当時は成人式が1月15日だったので、翌16日は振り替え休日、その連休明けの朝だった。22年前の阪神淡路大震災のことである。

さっそくテレビをつけた。「近畿地方で大きな地震がありました」とアナウンサーはコメントで繰り返し述べているが、映像が入ってこない。そこでキー局のテレビ朝日の報道デスクに電話をした。情報が錯綜していたのだろう、これもなかなかつながらない。地震で死者が出ていれば、取材の応援チームを現地のテレビ局(大阪ABC)に派遣する準備をしなければならないので、その情報が知りたかった。

まもなくしてNHKで映し出された映像を見て仰天した。倒れたビル、横倒しになった高速道路などの空撮の映像が次々と。あの映像を見ただけでも、事態が容易に想像できた。すぐに若手の記者とカメラマンに現地に行くよう指示した。その時、記者に持たせたのが携帯電話だった。被災地では安否を親族に伝えるため、公衆電話に長い行列ができていたこともあり、当時会社に数台しかなかったケータイを連絡用に持たせた。

このときは携帯電話は「売り切り制」(1994年)に移行した時期だった。つまり、それ以前はNTTとのレンタルで携帯電話を契約していた。デジタルホングループ(現在「ソフトバンク」)などが新規参入したころで、携帯電話が一般で普及する初期のころだった。その後、爆発的に普及したのは言うまでもない。

このとき、聞き慣れない言葉が飛び交った。「インターネット」だ。神戸大学の研究者たちが、インターネットを通じて被災地の状況を世界に発信したことがニュースとなった。当時はインターネット、メールを知る人も少なく、通信環境も一般化していない時代だった。私が勤務していた職場(テレビ局)で初めて、メールを使い始めたのは大震災から1年たった1996年だった。このときはネット環境をいち早く手掛けていた朝日新聞東京本社から中古のパソコン(確か富士通製)を払い下げてもらい、社内の数人で試験的に使ったのだった。その後、会社全体で通信環境が整備され、社内で一気にネット環境が整った。

1995年、ケータイとネットの幕開けは阪神淡路大震災だった。その後、2011年3月の東日本大震災では避難所でケータイを使う姿が普通になっていた。

                        ◇

⇒18日(日)午前・金沢の天気   はれ