★能登地震で倒壊の重文「上時国家」 復旧に向けて動き出す

★能登地震で倒壊の重文「上時国家」 復旧に向けて動き出す

この家屋が国の重要文化財に指定された際に、「江戸末期の民家の一つの到達点」との評価を受けていた。それが2024年元日の能登半島で倒壊した。震災以降で何度か立ち寄ったが手付かずの状態が続いていた。確かに、重要文化財だと再建に向けた準備と段取りに相当な時間がかかることは想像に難くない。それがようやく動き出すようだ。

日本史で知られる平氏と源氏が一戦を交えた壇ノ浦の戦い(1185年)。平家が敗れて一族の平時忠(※平清盛の後妻である時子の弟)が能登に流刑となり、その子孫が輪島市町野地区に根付いて製塩業や海運業など営み、現在も2軒の時国家が継承されている。

2軒の住宅(国の重要文化財指定)のうち上時国(かみときくに)家の入母屋造りの主屋は約200年前に造られ、間口29㍍、高さ18㍍に達する。それが能登半島地震で倒壊。さらに、同年9月の記録的な大雨では裏山が崩れ、敷地全体に被害が及んだ。

厚さ1㍍にもおよぶ茅葺の屋根が地面に覆いかぶさるように倒壊した。上時国家の古文書8千点余(石川県指定文化財)も主屋と離れを結ぶ廊下に保管されていたが、家屋の下敷きとなった。それを国立文化財機構文化財防災センターのスタッフや石川県教委の職員、大学教授ら20人でレスキュー活動を行い運び出した。

能登の歴史を語る古文書などは何とか救出できたが、家屋そのものが2年間手付かずの状態だった。地元メディアの報道(今月2日付)によると、新年度から本格的に復旧に向けて動き出すことなり、上時国家近くに現地事務所が設けられるようだ。文化財復旧のための設計管理は公益財団法人「文化財建造物保存技術協会」(東京)が行う。

 文化財の復旧作業は解体した部材を取り出し、それぞれがどの位置にあったかを示す印をつけて管理していく作業が進められる。建築設計図などがないことから、一つ一つの部材が建物のどの部分に使われていたかを類推しながらの作業となる。このため、11年の工期を要するプロジェクトになり、復旧に関わる費用は30億円を超えるようだ。

(※写真・上は、上時国家の賓客をもてなす「大納言の間」=2010年8月撮影。写真・下は、能登地震で倒壊した上時国家の主屋など=2024年2月撮影)

⇒5日(月)午前・金沢の天気  

☆国の特別天然記念物トキ 能登での放鳥まであと6ヵ月

☆国の特別天然記念物トキ 能登での放鳥まであと6ヵ月

ことし石川県でのビッグイベントと言えば、6月に予定されている能登でのトキの放鳥ではないだろうか。日時の詳細はまだ発表されていないが、放鳥する場所は能登半島の中ほどにある邑知潟(おうちがた)周辺=羽咋市南潟地区=と決まっている。本州で初となるトキの放鳥だけに注目されるだろう。

この場所は環境省の専門家による調査などを経て、決定したようだ。選ばれた理由は大きく二つある。一つは、邑知潟を中心に羽咋市南潟地区には2㌔圏内の水田面積が1185㌶あり、放鳥が予定される15羽から20羽のエサ場としても十分な広さがある。もう一つが、地形が佐渡の地形とよく似た場所とされる。潟と平野を挟むように眉丈山系と石動山系があり、トキがねぐらをつくる場所として適している。また、新潟県佐渡から飛来したとみられるトキの姿が2011年以降たびたび目撃されていて、2013年には5ヵ月間ほど住み続けたことなども評価されたようだ。(※写真・上は、輪島市三井町で営巣していたトキの親子=1957年、岩田秀男氏撮影)

かつて能登はトキの生息地だった。眉丈山では1961年に5羽のトキの棲息が確認されている。ところが、田んぼでついばむドジョウやカエルなどのエサは農薬にまみれていた。眉丈山のほかにもいた能登のトキは徐々に減り、「本州で最後の一羽」と呼ばれたトキが1970年に捕獲され、佐渡の環境省トキ保護センターに繁殖のために送られた。ところが、翌年1971年3月、鳥かごのケージの金網で口ばしを損傷したことが原因で死んでしまう。「能里(のり)」という愛称で呼ばれていたオスだった。(※写真・下は、羽咋市南潟地区の邑知潟と水田。左の山並はかつてトキが生息していた眉丈山)

こうした経緯があり、石川県と能登9市町は環境省に能登でのトキの放鳥を働きかけてきた。国連が定める「国際生物多様性の日」である5月22日を「いしかわトキの日」と独自に定め、県民のモチベーションを盛り上げてきた。そして能登9市町は「トキ放鳥推進モデル地区」を独自の取り組みとして設け、いつトキが舞い降りてもいいように受け皿をつくっている。一連の熱心な動きが環境省で評価され、ことし6月の能登での放鳥につながったとされる。

トキのゆかりの地でもある眉丈山と邑知潟に再びトキが舞う日がやってくる。能登半島地震の災害からの復興のために石川県が策定した『創造的復興リーディングプロジェクト』の13の取り組みの中に、「トキが舞う能登の実現」が盛り込まれている。トキが舞う能登を震災復興のシンボルとしたい。能登の人たちの願いがいよいよ動き出す。

⇒4日(日)午前・金沢の天気     くもり 

★北陸の雪いよいよ本降り 食材の価格高騰か、おせち料理に変化

★北陸の雪いよいよ本降り 食材の価格高騰か、おせち料理に変化

この冬で初めての本格的な雪の降り方だ。自宅の庭は30㌢ほどの積雪になっている。五葉松の枝にはこんもりと覆いかぶさるように積もっている=写真・上、午前8時ごろ撮影=。雪吊りがなかったから枝が折れていたかもしれない。とりあえず、人が通れる幅で「雪すかし」を行った。

気象庁は警報級の大雪の恐れがあると発表している。日本付近は冬型の気圧配置となっており、本州付近の上空5500㍍にはマイナス36度以下の強い寒気が流れ込んでいる。日本海側を中心に大雪となっていて、きょう3日午前6時から24時間の降雪量の予想は、北陸地方で40㌢とさらに雪が積もる。いよいよ冬将軍の到来か。

先月26日付のブログでも述べたが、雪すかしには「暗黙のご近所ルール」がある。何㌢以上の積雪があると町内が一斉に除雪するというルールや当番がいるわけではない。町内の児童たちが登校する前の午前7時ごろ、ご近所の誰かが、スコップでジャラ、ジャラと雪すかしを始めるとそれが合図となり、ご近所の人たちもスコップを持って家から出てる。「よう降りましたね」「冷え込みますね」と朝のあいさつを交わす。いつの間にかご近所が一斉に雪すかしをしている。そんな暗黙のル-ルだ。ただ、きょうは正月なので学校は休み。スコップのジャラ、ジャラという音は1ヵ所でしか聞こえなかった。

話は変わる。この正月、おせち料理を堪能した=写真・下=。例年、金沢市内のホテルから取り寄せている。家族で分け合って食べたが、ちょっとした変化に気が付いた。例年ならば身を詰めたカニの甲羅が入っているのに、ことしはエビが2つ。アワビの煮ものはなく、巻貝が2個。数の子などは例年通りだが、具材の一部が替わっている。価格は例年並み。味に問題があるわけではない。ということは、食材の価格が高騰しているのだろうか。

参考までに農林水産省の公式サイトをチェックすると、先月12月の食品価格動向調査(魚介類)では、エビとブリがそれぞれ高くなっている。エビは前月比で4%、平年比で10%、ブリは前月比で21%、平年比で32%だ。カニやアワビも高騰しているのだろうか。円安の影響なのだろうか。そんなことを思いながら正月のおせち料理を味わった。

⇒3日(土)午前・金沢の天気   くもり

☆能登半島地震から2年、犠牲者700人余 花を手向け追悼式

☆能登半島地震から2年、犠牲者700人余 花を手向け追悼式

大晦日の昨夜、NHKの番組『紅白歌合戦』を視聴していると、地震速報のテロップが入った。「午後11時27分ごろ東北地方でやや強い地震がありました」と。岩手県沖で発生したマグニチュード(M)5.7の地震で、盛岡市で最大震度4だった。東北の人々にとっては恐怖だったろう。それにしても年末を締めくくる番組の大トリの場面で地震か、と。北陸に住む自身は「嫌がらせ」のように感じた。2024年の能登半島地震は元旦だったので、つい関連付けて「大晦日と元旦に事を起しやがって」と思った次第。とは言え、ことしの干支は午(うま)。「人間万事塞翁が馬」という座右の銘がある。安易に一喜一憂しないことだ。

元旦のきょう、能登半島地震と奥能登豪雨(2024年9月)で亡くなった人たちを弔う追悼式が輪島市にある能登空港に隣接する日本航空学園キャンパス体育館で営まれた。また、能登地区の市役所や町役場、そして石川県庁(金沢市)など10ヵ所で献花台が設けられ、自身も県庁で黙とうを捧げてきた。献花台の横にはテレビモニターが設置され、輪島での追悼式の様子がリアルタイムで映し出されていた。(※写真は、石川県庁に置かれた献花台で黙祷をささげる人たち)

追悼式では、馳知事や地震当時の総理大臣だった岸田文雄議員が追悼の言葉を述べていた。印象的だったのは遺族代表の中山真さんの語りかけるような言葉だった。中山さんは輪島市町野町に住み、地震で自宅が全壊する被害を受け、さらに豪雨災害では当時31歳の姉を亡くした。地域の絆(きずな)を語り合いで繋いでいきたいと、被災地のFM放送である「災害FM」の立ち上げに関わり、現在、パーソナリティーを務めている。中山さんは「今後もラジオを通して震災や豪雨で大切な人を亡くした悲しみを抱える方に寄り添いたい」「姉は空の上から聴いてくれていると信じている」と述べていた。

この後、地震が発生した午後4時10分に合わせて1分間の黙とうをささげた。引き続き、オーケストラアンサンブル金沢のメンバーによる弦楽奏がしめやかに流れる中で献花が行われ、参列した人たちが花を手向けて犠牲者を悼んだ。

地震による犠牲者は2025年12月25日時点で、石川、富山、新潟3県で計703人(直接死228人、災害関連死475人)。石川県内では、関連死の審査を待つ人が12月末時点で251人いて、さらに増える可能性がある。また、輪島市では2人が行方不明となっている。豪雨では災害関連死を含めて20人が亡くなっている。

住宅被害は、3県に福井を加えた4県で計16万5千棟にのぼり、うち石川県内は11万6千棟となっている。石川県内では半壊以上の建物で、申請のあった4万4千棟の公費解体をほぼ終えている。石川県内の被災者で、仮設住宅で暮らす人は9135世帯・1万8586人にのぼる(12月1日時点・石川県生活再建支援課まとめ)。

⇒1日(木)夜・金沢の天気   ゆき

★ゆく年くる年、能登地震から2年⑤~震災の犠牲者を追悼する除夜の鐘

★ゆく年くる年、能登地震から2年⑤~震災の犠牲者を追悼する除夜の鐘

寺の鐘つき堂で勢いをつけて鐘をつくと、その響きが全身を包むように伝わってきて、欲望や執念にかられた煩悩が払われたような気持ちになる。大晦日のきょう、菩提寺の龍渕寺(金沢市野町3丁目)では門徒や近所の人たちが自由に鐘をつくことができる「プレ除夜の鐘」というイベントが行われた。時間は午後2時から2時間と限られていたが、子どもたちも参加して、鐘をついていた=写真・上=。笑顔で鐘をつく人もいれば、ついた後で涙をぬぐっている人もいた。それぞれが想いを込めて鐘をついていたのだろう。寺院ではあす1月1日は能登半島地震で亡くなった人たちの3回忌にあたることから追悼法要が営まれ、犠牲者の鎮魂を祈った。

この一年の大きなイベントと言えば、世界158の国・地域が184日間にわたって歴史・文化や最先端のテクノロジーなどを発信した大阪・関西万博大阪だった。能登から発信したのは、あの輪島塗の地球儀『夜の地球 Earth at Night』だ=写真・下=。展示された万博展示棟には国内外から321万5784人が鑑賞に訪れた。8月には秋篠宮家の次女佳子さまも見学されるなど、能登復興のシンボルとしても注目を集めた。

この地球儀は輪島塗の人間国宝の小森邦衛氏を中心に5年がかりで制作した作品。間近で観賞すると、宇宙に浮かぶ夜の地球にロマンを感じさせ、まさに漆黒の芸術作品だ。そういえば、万博会場で地球儀を見学した東京の知り合いからこんなSMSメールが届いた。「夜の地球儀は名作だね。ところで昼の地球儀はあるの」と。なるほど思いながらも、説明するのに窮した。「輪島塗は黒をベースに金箔や蒔絵で模様を描くので、昼の地球儀は難しいかも」と返信。すると、「調べたら、輪島塗は漆黒がベースで、朱色もあるね。夕焼けの地球儀もいいかも」と妙に理解してくれたようだった。夜の地球儀は、石川県輪島漆芸美術館で常設展示されている。

受け継がれる万博のレガシーもある。大屋根リングは1周2㌔、高さ最大20㍍の世界最大の木造建築物としてギネス世界記録にも認定された。万博閉幕後は解体され、木材は無償で譲渡されている。能登半島の尖端に位置する珠洲市もその一部を譲り受ける。能登地震の「復興公営住宅」の一部に活用されるようだ。関わっている建築家は坂茂(ばん・しげる)氏だ。阪神・淡路大震災(1995年1月)を契機に復興支援に取り組んでいて、能登半島地震でもいち早く行動を起こしたことで知られる。珠洲市にはすでに坂氏が監修した仮設住宅なども整備されている。復興公営住宅では万博のシンボルである大屋根リングがどのように再活用されるのか。まさに万博のレガシーが能登でよみがえるのではないだろうか。

⇒31日(水)午後・金沢の天気   あめ

☆ゆく年くる年、能登地震から2年④~大の里関、永井豪氏のメッセージ

☆ゆく年くる年、能登地震から2年④~大の里関、永井豪氏のメッセージ

この一年を振り返って、人物名として浮かぶのはやはり石川県の郷土力士、横綱・大の里関だ。同じ横綱の輪島以来52年ぶりに地元から横綱に昇進した。6月29日に大の里関の祝賀バレードが出身地の津幡町で開催された。同町に住む親せきが自宅の2階から撮った写真を送ってくれた。オープンカーに二所ノ関親方と大の里関が乗り、こちらに向かって手を振ってくれている=写真・上=。1.2㌔のルートを30分ほどかけて進み、沿道の町民やファンが「おめでとう」などと盛んな声援を送っていたようだ。去年9月の大関昇進、そしてことし5月の横綱昇進は、去年元日の能登半島地震に見舞われた地元石川の人々にとって、「唯一無二」の励みとなったのではないだろうか。

大の里関は第75代横綱となり、石川県では「3人目の横綱」と呼ばれている。「黄金の左」と呼ばれた第54代横綱の輪島(1948-2018)は能登半島の中ほどにある七尾市出身、そして江戸時代後期に活躍した第6代横綱の阿武松緑之助(おおのまつ・みどりのすけ、1791‐1852)は半島尖端に位置する現在の能登町の出身だ。阿武松は個性の強い人物と伝えられ、立合いでよく「待った」をかけたようだ。当時の江戸の庶民はじれったいことをすると、「待った、待ったと、阿武松でもあるめぇし…」と相手をなじった、という。それほど話題になった人物だった。能登町の海辺に、高さ4.5メ㍍、幅2.4㍍の石碑(1937年建立)がある。案内板によると、相撲力士碑としては日本一の大きさのようだ。能登半島地震にも耐え、堂々と海を望むように建っている=写真・中、2024年4月撮影=。

石川県とゆかりのある人物をもう一人。11月の秋の叙勲受章式で、芸術文化の分野で漫画家の永井豪氏に旭日小綬章が贈られた。永井氏は能登半島の輪島市出身で、朝市通りにあった「永井豪記念館」の名誉館長をつとめていた。今から40年余り前の話だが、自身は新聞記者として輪島支局に赴いた。当時の永井氏の作品のイメージは、『ハレンチ学園』などギャグ漫画だった。地元の人たちは永井氏が輪島出身ということを知ってはいたが、当時それを自慢話として語る人はいなかった。

地元での評価が一転したのは日本のアニメが海外で大ブームとなり、永井氏の『UFOロボ グレンダイザー』などがヨーロッパで人気を博したことだった。輪島市役所は2009年に「永井豪記念館」の設置へと動いた。2019年、フランス政府から芸術文化勲章「シュバリエ(騎士)」が永井氏に贈られた。永井豪記念館にはインバウンド観光の見学者が増えるなど、観光スポットにもなった。その記念館が能登地震で朝市通り一帯が焼けて、ビルも焼け焦げた=写真・下、2024年3月撮影=。

その後、ビルは公費解体で撤去された。永井氏と所属プロダククションは輪島市と石川県にそれぞれ1000万円、計2000万円の義援金を贈っている。永井氏は「漫画はつらいときこそ、力になって希望を満たすことができる。漫画を描くことで『前に進もう』というメッセージを伝えたい」と語っていた(2024年1月25日付・読売新聞オンライン)。永井氏はことし6月に輪島市を訪れ、市役所に輪島塗の額に入った『マジンガーZ』の活版印刷作品など11点を寄贈した。翌7月には永井氏らが行ったチャリティーオークションで得た収益金1億2300万円を石川県庁を訪れて寄付している。ふるさとへの想いが伝わって来る。「前に進もう」

⇒30日(火)午後・金沢の天気   あめ

★ゆく年くる年、能登地震から2年③~クマが「参拝出没」、能登に泳ぎ渡るのか

★ゆく年くる年、能登地震から2年③~クマが「参拝出没」、能登に泳ぎ渡るのか

前回ブログで述べた日常で警戒するリスクは地震のほかにもある。。クマの出没が金沢でも相次いでいる。石川県自然環境課がまとめている「令和7年ツキノワグマ目撃痕跡情報」(12月24日時点)によると計409件に上り、このうち金沢市内では61件だ。身近なケースでは、11月11日午後6時35分ごろ、山手に近い銚子町で体長1㍍ほどの1頭を目撃したと住民から行政に出没情報が寄せられた。このため、市職員と警察署員がパトロールを行い警戒した。銚子町は付近に北陸大学があり、金沢大学とも近い。金沢大がある角間キャンパス付近では「クマ注意」などの看板が掲げられている。通学する学生たちの間でも緊張感が漂っているのではないだろうか。

懸念されるのは正月の神社への初詣だ。「白山さん(しらやまさん) 」と呼ばれる、白山市の白山比咩神社は金沢からの参拝者も多い。その白山さんの境内に七五三詣での時季にクマが出没してニュースになった。11月1日午前6時10分ごろ、「クマが南参道から神社の建物の方へ向かっていくのを参拝者が目撃した」と神社から市に通報した。境内では10月22日午後にもクマが目撃されていた。白山比咩神社に行くと、本殿入り口の山門などに「クマ出没注意」の立て看板が置かれていた=写真・上、10月23日撮影=。クマによる人身被害は令和2年(2020)に金沢市や白山市などで15人に及んでいる。注意したい。

冒頭の目撃痕跡情報409件のうち、白山麓の加賀地区の4市(加賀、小松、能美、白山)で360件、医王山がある金沢と周辺の2市1町では81件となる。では能登地区ではどうか。9市町で28件となっている。半島という立地、そして標高の高い山がないことからクマの出没は少ないのだろうと考えがちだが、そうでもない。令和3年(2021)は年間で計264件だったが、うち60件が能登地区だった。同年の目撃痕跡のマップ図=写真・下=を見ると、加賀地区や金沢周辺では山沿いが多いが、能登では海沿いが多い。とくに半島尖端の珠洲市や能登町での情報はまさに海岸沿いだ。とうことは、クマは対岸の富山県から富山湾を泳いで能登に渡って来たのだろうか。あくまでも憶測だ。 

実際、泳ぐクマを見たことがある。40年余り前の話だ。新聞記者時代にレジャー欄で『ぐるり白山』という企画記事を担当していた。富山県の庄川峡を訪ね、小牧ダムで遊覧船に乗って、大牧温泉に向かった。季節は6月だった。曇り空で今にも雨が降りそうな天気。出港してしばらくして乗客がざわめいた。「クマが泳いでる」。船の舳先を横切るように犬かき姿で泳いでる。しかも、かなり速いスピードで、対岸に向かっていた。エサを求めて泳ぎ渡る。本能として泳ぐ。生き抜くための生命力というものを当時感じた。

それ以来、クマは泳ぐ動物というイメージが自身にはインプットされている。能登半島の尖端の海岸沿いで目撃されるクマ情報。繰り返すが、富山湾を泳いで渡って来るのだろうか、これからも注視したい。

⇒29日(月)午後・金沢の天気   はれ

☆ゆく年くる年、能登地震から2年②~金沢直下の断層帯が動くと被害は

☆ゆく年くる年、能登地震から2年②~金沢直下の断層帯が動くと被害は

この2年で感じていたリスクは何だったかと考えてみると、やはり地震だ。能登半島地震で少々過敏になっているのかもしれないが、2024年元日に半島尖端を震源とするマグニチュード7.6、震度7の地震以降、11月26日にも半島の西方沖を震源とするM6.6、最大震度5弱の揺れがあった。元日の地震が南下したように感じる。半島西方沖の地震はことしに入って、M4クラス、最大震度3の揺れが3回起きている。

そんな折、石川県危機対策課はことし5月7日に地震の被害想定を27年ぶりに見直し、報告した。政府の地震調査委員会が去年8月に示した「長期評価」などに基づき、9つの断層帯で将来、大地震が発生することを想定したものだ。それによると、人や建物への被害が最も大きいとされるのは金沢市の直下を走る「森本・富樫断層帯」(全長26㌔)で、最大震度7の揺れが金沢市で想定されるとしている。今回の見直しで特徴的だったのは、被害想定が正月やゴールデンウィークなど5つの状況を設定され、精密に被害を予測していることだ。以下、冬の被害想定をチェックすると。

冬の朝5時に地震が発生した場合、2212人が亡くなると見込まれている。要因別では、雪の重みなどによる建物の倒壊での死者が2029人と最も多く、次いで火災が94人、ブロック塀の倒壊や自販機などの転倒などによる死者が81人などと推定されている。けが人は9344人に上ると試算される。地震発生から1週間後の避難者は19万1898人と想定されている。

冬の午後6時に地震が発生した場合、もっとも多くなると推定される。この時間は、火気の使用で火災の危険が高まることや、積雪の重みで倒壊する家屋が増えることも考慮され、4万6947棟が全壊・全焼、5万5359棟が半壊と予測される。金沢市では36%の建物が全半壊することになる。

今回の被害想定の見直しは、1998年3月の被害想定が現状とかけ離れていることも背景にあった。前回の想定では能登半島北方沖断層(50㌔)を震源とするマグニチュード7.0の地震が起きた場合、死者は7人、建物の全壊は120棟になると想定していた。実際に起きた去年元日の能登半島地震では、建物の倒壊などによる直接死は228人、関連死は456人にのぼる(今月23日時点)。住家の全半壊は2万4891棟におよんでいる(11月20日時点)。

県の被害想定の見直し発表以降、金沢の町内会でも震災に関するセミナーや、震災を想定した避難訓練が行われるようになった。数値のリアルさ、そして能登半島地震が金沢の住民を災害訓練へと動かしている。

⇒28日(日)午前・金沢の天気   はれ

★ゆく年くる年、能登地震から2年①~金沢城の「しめ飾り」と崩れた石垣その後

★ゆく年くる年、能登地震から2年①~金沢城の「しめ飾り」と崩れた石垣その後

きょうを含めてことしもあと5日。雪景色の金沢市内は多くの観光客でにぎわっているが、一方で正月の準備も進んでいる。市の中心街にある金沢城公園の橋爪一の門では恒例の「しめ飾り」が取り付けられた。きょう街に出たついでに見学に行くと、ここも人だかり。正月飾りを珍しそうに撮影するインバウンド観光客も多くいた。金沢城の橋爪門は正門とされ、しめ飾りはここだけに取り付けられている=写真・上=。

面白いのはしめ飾りの呼び方で、「数の子飾り」。藩政時代に浮世絵の巌如春(いわお・じょしゅん)が描いた『加賀藩儀式風俗図絵』の中で、元日の登城の風景画として出てくる=写真・中、金沢大学附属図書館デジタルアーカイブ「儀式風俗図絵」より=。しめ飾りは稲なわで造られ、縄の長さは約3間(5.4㍍)あり、数の子を横にしたカタチにも見える。見た目だけではなく、数の子を「子が多い」という意味でとらえ、子孫繁栄の願いが込められているようだ。しめ飾りは1月14日まで設置されている。

それにしても金沢城公園をぐるりと取り巻く石垣は壮観だ。城郭は石の素材やカタチや大きさ、積み方、そして年代など実に多様性に富んでいて、「石垣の博物館」とも称される。2024年元日の能登半島地震で石垣の一部が崩れ落ちた。半島尖端の震源地から直線距離にして120㌔ほど離れていたが、金沢は震度5強の揺れに見舞われた。このため、石垣の被害は30ヵ所に上り、うち江戸から昭和期にかけて造成された5ヵ所で崩落が起き、23ヵ所で壁面が膨らむなど変形した。(※写真・下の上はきょう27日に、下は能登地震直後の去年1月2日にそれぞれ撮影)

その一つ、「本丸南石垣」に行って見ると、復旧途中であるものの石垣が元の姿に戻りつつあった。落ちた石195個を回収して、1ヵ所に集め、形状などから元の配置場所を特定。その場所を示す数字を回収した石にそれぞれナンバーリングした。それを元に再度積み上げる作業が行われている。

金沢城の石垣の石は8㌔ほど離れた戸室山の周辺から運ばれた安山岩だ。金沢では「戸室石(とむろいし)」として知られる。赤味を帯びた石は「赤戸室」、青味を帯びたものは「青戸室」と称される。戸室山で発掘した石を運んだルートを石引(いしびき)と言い、現在でも「石引町」としてその名前は残っている。石垣の石には歴史が刻まれている。

「ゆく年くる年、能登地震から2年」と題して、2024年元日の能登半島地震のその後の現状をまじえながら各地の年末年始の光景を綴る。

⇒27日(土)夜・金沢の天気   はれ

☆金沢で今季初の積雪 「雪すかし」に暗黙のご近所ルール

☆金沢で今季初の積雪 「雪すかし」に暗黙のご近所ルール

朝起きると雪が積もっていた。金沢の自宅庭では5㌢ほどになっている。この冬初めて庭に雪が積もった。近くにある道路の気温計は正午過ぎで、「0度」となっていた=写真=。そして風も強い。金沢地方気象台によると、金沢では午前2時前に28.4㍍の最大瞬間風速が観測されている。この強風で金沢市のフットボール専用スタジアムの屋根が20枚ほど剥がれ落ちたと地元メディア各社が報じている。気象台によると、27日朝6時までにさらに平地で5㌢、山地に10㌢の積雪が予想され、今夜遅くにかけての落雷や突風に注意するよう呼びかけている。いよいよ本格的な冬の訪れだ。

雪の積もった自宅前の道路で今季初めて「雪すかし」をした。「雪かき」という言葉を使う人もいるが、いわゆる除雪のこと。すかした雪を家の前の側溝に落とし込み、積み上げていく。冬場の側溝は雪捨て場だ。気温が5、6度に上がると雪解け水が側溝を流れ出す。すると、積み上げられ固まった雪を融かして用水や川に流れていく。翌朝、また側溝に雪を捨てるということを繰り返す。

この雪すかしにはちょっとした「暗黙のご近所ルール」がある。何㌢以上の積雪があると町内が一斉に除雪するというルールや当番がいるわけではない。町内の児童たちが登校する前の午前7時ごろ、ご近所の誰かが、スコップでジャラ、ジャラと雪すかしを始めるとそれが合図となり、ご近所の人たちもスコップを持って家から出てる。「よう降りましたね」「冷え込みますね」と朝のあいさつを交わす。いつの間にかご近所が一斉に雪すかしをしている。

雪すかしをする範囲についても暗黙のご近所ルールがある。すかす範囲はその家の道路に面した間口部分となる。角にある家の場合は横小路があるが、そこは手をつけなくてもよい。家の正面の間口部分の道路を除雪する。しかも、車道の部分はしなくてよい。つまり、登校する児童たちが歩く「歩道」部分でよい。

暗黙のご近所のルールに従わなかったからと言って、罰則や制裁があるわけではない。雪は溶けて消えるものだ。しかし、町内の細い市道でどこかの家が積雪を放置すれば、交通の往来に支障をきたすことになる。もちろん、道路の雪害は住民の責任ではなく、行政にある。一方で道路を使うのは住民なので、公共の意識で出来る範囲で除雪を行う。そんなルールだ。町内の雪すかしは、雪国の住民の「自助・共助」の光景でもある。

⇒26日(金)夜・金沢の天気  くもり