★メディアのツボ-46-

★メディアのツボ-46-

 日本の裁判で、弁護手法はこれでよいのか、と思う。被告を精神鑑定に持ち込んで、量刑を軽くする。その落とし込み先は決まって、外見は健常のように見えるが、健常ではない、いわゆる発達障害である。しかも、発達障害の中でも名前が聞き慣れない、アスペルガー症候群である。「病名からして精神病様状態なんです、だから量刑を軽く」と弁護士は公判の中でまくしたて、あえて争点にする。

  精神鑑定という弁護手法

  2005年12月、京都・宇治市の学習塾で女児(当時12歳)がアルバイト講師に刺殺された事件の裁判の判決が6日あり、被告に懲役18年の刑が言い渡された。この裁判で、責任能力の有無のために精神鑑定があり、上記のアスペルガー症候群と診断された。

  きょうの記事を丹念に読むと、「アスペルガー症候群に罹患(りかん)し…」という記事(朝日新聞)が出てくる。発達障害は先天性であり、伝染病などのように罹(かか)る病気ではないのである。この罹患という言葉を弁護側が使ったのか、裁判官が使ったのか、この記事では定かではないが、アスペルガー症候群や発達障害がきちんと理解がされないまま公判が進んだように思えてならない。

  発達障害ならば過去の診断歴があるはずである。第一段階として、小学校に入る前の予備検診があり、普通教育なのか養護教育なのかの判断にされる。中学、高校ではどうだったのか。発達障害でよく見られる奇声や繰り返し行動、言葉のオウム返し、ノッキング(体の前後ゆすり)などの行動のうち、いくつかあったはずである。裁判で罹患という言葉が使われていたとなると、「何かのきっかけ(後天的)に病気になった」という誤った認識が法廷にあったのではないか。

  これまでの公判では、謝罪の言葉を述べる一方、「僕を殺してください」「助けてください」と大声をあげるなど、異常な言動も目立った、と記事にある。アスペルガー症候群を裁判官に印象づけるための陽動作戦ではないのか、と私は勘ぐる。発達障害者は自分を対象化することができない。だから罪を苛(さいな)んで「僕を殺してください」などとは言わない。言うとすれば、死刑に対する恐怖から「僕は死ぬのですか。僕は死ぬのですか」と繰り返し叫ぶだろう。

  罪を軽くするために、精神鑑定で発達障害に持ち込み、それを声高に争点にすることに不信感を持つ。一人の被告の量刑を減らすために、罪なきアスペルガー症候群の人たちに「犯罪者予備軍」のレッテルを貼っているのと等しい。発達障害者支援法ができるなど社会救済の法整備が進んでいる一方で、このような障害を背負った人たちを巻き添えにする弁護手法がまかり通っている。一度ではない。犯罪が繰り返される度にエンドレスに病名が使われる。これこそ発達障害者に対する人権侵害ではないのか。

  判決を傍聴した被害者の父親は「反省はしていないと思う。『うそつき。娘を返せ』と言いたい」と話したという。被告は、被害者の入塾から事件当日まで9ヵ月間、個別指導と称して女児を繰り返し呼び出していた。公判を傍聴してきた母親は「平然と反省もなく娘のことを悪く言い、うそをつき、罪を逃れようとしています。人間ではありません。悪魔です」と非難した、という。一連の記事を読んで、桶川ストーカー殺人事件を連想した。 計画的な執拗さ。発達障害者と人の病(やまい)のジャンルが違う。

⇒7日(水)夜・金沢の天気   雪

☆メディアのツボ-45-

☆メディアのツボ-45-

 3月5日付の読売新聞インターネット版で、「スポーツ」に関する全国世論調査の結果が出ていた。少し不可解に思ったのは、聞き慣れないキーワードでの設問だった。

   世論調査と設問

  そのキーワードは「ポストシーズンゲーム」(PSG)。世論調査の結果によると、「ポストシーズンゲームによって、プロ野球が面白くなると思うか」との設問で、「そう思う」が44%となり、「そうは思わない」14%、「どちらとも言えない」28%を上まわったとの内容だ。

  そこで「ポストシーズンゲーム」でインターネット検索をかけてみる。Googleで56000件余り(6日2時現在)。プロ野球改革の目玉として、今季新たに取り組むにしては、件数がちょっと少ない。しかも、この論議は04年からスタートしているのに、である。ともあれ、ポストシーズンゲームとは、ペナントレースで優勝チームを決めた後、各リーグの上位3チームが日本シリーズ出場権をかけて戦う。2位と3位が戦い、勝者が1位と対戦する。「クライマックスシリーズ」という名称だ。翻して言えば、リーグ優勝チーム同士で日本一を争ってきた、57回の歴史を持つ日本シリーズは昨シーズンを最後に消滅している。

  話を世論調査に戻す。それほど認知されていないようなPSGについて、「プロ野球が面白くなると思うか」と質問されて、「そう思う」と答える人が果たして44%もいるものだろうか。そこで調査方法を検証する。調査時期は2月17、18日に実施し、方法は面接方式だった。世論調査における面接方式は、調査員が調査対象者を自宅を訪問し、口頭で質問を行い、その回答を調査員が調査票に記入する方式である。ここがポイントだが、設問がいかにも誘導的な場合がある。これは私の想像だが、「新しいプロ野球改革で、日本シリーズと違ってこんな面白さが特徴としてあります。名称はクライマックスシリーズといいます…」と設問にあって、それを調査員が読み上げた場合、対象者は「初めて聞いた名称だけど、面白そう」などと答えてしまう。こんな調査現場のやりとりが目に浮かぶのである。

  国民に広く認知されていないアイテムの設問には無理があるのではないか。Googleで56000件余りしかない設問アイテムである。むしろ、「日本シリーズがなくなったことをご存知ですか」と聞いたほうがスポーツ世論調査としては意義があったのではないだろうか。

  プロ野球に対する関心度が落ちていることは否めない。2月26日、日本テレビの久保伸太郎社長が記者会見でプロ野球巨人戦の中継で放送延長はしないと述べた。すると翌日27日の日テレの株価は社長発言を好感して、一時前日比420円(2.15%)高の1万9940円まで上昇した。この数字は現実である。

 ⇒6日(火)朝・金沢の天気    あめ

★気になるニュース3題

★気になるニュース3題

 3月に入った。季節の変わり目である。こんなときに面白い、奇妙な、驚くニュースが飛び込んでくるものだ。

  ミツバチの集団失踪が相次いでいる。アメリカでのこと。全米養蜂協会によると、元気だったハチが翌朝に巣箱に戻らないまま数匹を残して消える現象は、昨年の10月あたりから報告され始め、フロリダ州など24州で確認された。しかし、ハチの失踪数に見合うだけの死骸は行動圏で確認されないケースが多く、失踪したのか死んだのかも完全には特定できないという。そんな中、原因の一つとされているのが、養蜂業者の減少で、みつの採集などの作業で過度のノルマを課せられたことによる“過労死説”だ。国家養蜂局(NHB)が緊急調査に乗り出した。ハチを介した受粉に依存するアーモンドやブルーベリーといった140億ドル(約1兆6000億円)規模の農作物への深刻な影響が懸念され始めた。(3月1日・産経新聞インターネット版より)

  「発掘!あるある大事典Ⅱ」のデータ捏造問題の続報。2月28日、総務省へ再報告書を提出した後、関テレの千草社長が記者会見した。再報告書をまとめるにあたって、社員220人以上が作業延べ1860時間かけ520回の番組をすべてチェックした。さらに調査が必要な回に関しては社員20人が延べ4000時間以上をかけて精査した。疑問点などを洗い出し、外部の調査委員会に提出し、検討してもらうのだという(3月1日付・朝日新聞より)。ここからは私見が入る。ざっと6000時間をかけた社内調査だが、むしろダイエットの専門家による調査が必要ではないのか。外部調査委員会にしても5人の委員の職業構成は大学助教授(メディア論)、弁護士、大学大学院教授(メディア法)、メディア・プロデューサー、作家であり、医学的な見地から述べる人がいない。最終的な報告書をまとめ上げるにしてはバランスが悪い。

  江戸時代に加賀藩主に仕えた料理人の史料を読み解いている富山短大の陶智子(すえ・ともこ)助教授が2月28日に金沢市内で講演をした。その講演内容の紹介記事(3月1日付・北陸中日新聞)。17世紀の前田家の料理人、舟木伝蔵が子孫にレシピや食材を伝えるために多数の文書を残した。その分析から、陶氏は「金沢は北前船がもたらした昆布でだしを取る文化だが、前田家は赤いみそを多く使い、尾張に近い味付けをしていた」と。藩祖の利家は赤みそ文化の尾張国愛知郡(現・名古屋市中川区)の生まれ。味覚というのは、その後の前田家ではDNAのように引きつがれていたようだ。いまのご当主は18代目、関東に住んでおられるが、許されれば、「いまでも赤みそですか」とたずねてみたいものである。食の文化史の事例研究になりそうだ。

 ⇒1日(木)夜・金沢の天気    はれ

☆メディアのツボ-44-

☆メディアのツボ-44-

 情報番組「発掘!あるある大事典2」の捏造問題は随分と面白い展開になってきた。きょう21日、関西テレビの千草社長が自民党通信・放送産業高度化小委員会に出席した後、記者団に対し、番組を制作した番組制作会社に損害賠償を請求する可能性を示唆したという(日経新聞インターネット版)。

    「賠償請求」の意味を考える

  記事を引用する。関テレの社長は、自らの責任問題を尋ねた記者の質問には直接答えず、「責任は重く受け止めている。再発防止、原因究明に努め信頼回復を図る」と話し、さらに「制作会社との契約では賠償責任があり、検討する」と語った。これが「賠償請求の可能性」として報道された。

  今回の問題の一連の報道で見えてこないのは、関テレ自身が番組の欺瞞性に気づいていたのかどうかという点である。放送法第四条(訂正放送)の2項に「放送事業者がその放送について真実でない事項を発見したときも」、訂正放送をしなけらばならないと記している。要は、当事者から指摘を受けなくても、常日ごろから放送の内容に留意し、事実の誤りや人権侵害などは自ら見つけ、糾(ただ)すよう求めているのである。このため、各テレビ局は「考査」というセクションを置いている。

  この考査セクションでは、編成あるいは業務局に置かれ、CMや番組の表現内容をチェックして、時に営業から持ち込まれた誇大表現が含まれるCMなどをストップさせたりする。問題視したいのは、このセクションが520回にも及ぶ番組でいささか疑問を感じなかったのだろうか。あるいは、番組づくりの手の内を知り尽くしている制作部からは何の疑問の声も上がらなかったのだろうか。このテレビ局内のいわば自浄機能を伏して、制作会社の責任だけを問うのは無理がある。放送の最終的な責任はテレビ局にある。

  社長が述べた「制作会社との契約では賠償責任があり」云々は本来、納品が間に合わず番組にアナを開けた場合などであって、番組の構成やつくりにはテレビ局のプロデューサーやディレクターが参加し、チェックしゴーサインを出しているのだから、これも話の筋が間違っている。日本語の吹き替え捏造などはオリジナルのVTRをチェックすれば簡単に分かる。

  それでも関テレが制作会社の賠償を問うのであれば、相当の返り血を浴びる覚悟でやらなければならない。裁判の過程では「関テレ側の黙認」あるいは「暗黙の了解」という、番組の「闇」の部分があぶりだされるはずである。ウミを出し切るためにはむしろ裁判をやったほうがよいのかもしれない。

 ⇒21日(水)午後・金沢の天気   はれ

★メディアのツボ-43-

★メディアのツボ-43-

 日本のテレビは2011年7月にアナログ放送が完全停止され、デジタル放送に全面移行する。その大前提として、デジタル対応テレビの普及率の問題がある。11年に機械的に現在のアナログ波を停波すれば、テレビ視聴ができない大量の「テレビ難民」が出るなど、下手を打つと国政を揺るがすほどの問題となる。だからデジタル化という国策を進める政府も慎重だ。

     「テレビ難民」問題化に国の先手

  そんな中、短文ながら日経新聞のインターネット版でこんな記事を見つけた。2月17日付である。「地デジチューナー、低所得者に無料配布―政府・与党が検討」という見出し。要約すると、政府・与党はテレビの地上波がデジタル放送に全面移行をスムーズに進めるため、低所得の高齢者世帯などへ、外付けのデジタル受信機(チューナー)を無料配布する支援策を検討している。外部取り付け型の受信機は2万円弱から市販され、簡易型なら1台数千円程度で調達可能とみている。配布は地方自治体が担い、国が財政支援する。新たな交付金のほか、地方債発行を認めて元利償還費用を交付税で賄う案を軸に調整。自治体の負担は1割程度に抑える見通しだ。

  つまり、政府とすれば、「テレビ難民」が問題化する前から手を打っておこうというものだ。すでに47都道府県でデジタル放送の視聴が可能となっているので、この4年余りで対策を講じるというわけだ。

  しかし、問題はそう簡単ではない。対象となるのは低所得の高齢者宅など。確かに、余命いくばくもない独り暮らしのお年寄りが今後10数万円もするテレビを購入するとは想像し難い。そこで、独居老人宅の統計を拾う。総務省の「2005年国勢調査抽出速報集計結果の概要」によると、65歳以上の「一人暮らし高齢者」は405万人となっている。この数字は急速に増加していて、2000年の統計と比べると102万人(34%)増。さらに5年後となると500万人を超えても不思議ではない。この数字は生易しくはない。

  1台1万円のチューナーとして500億円である。これに取り付けの人件費やPRなどを加えて1000億円という対策費が必要だろう。「一人暮らし高齢者」対策だけでこの数字である。配布の対象を生活保護や母子家族などに広げるとさらに数字は膨らむ。

  デジタル放送を日本より早く始めた韓国では、当初2010年としていたアナログ停波の期日を2年延期したようだ。デジタルテレビの普及率は06年末で24%と想定され、このペースでは10年になっても50%余りと試算、当初もくろんでいた95%とは程遠い数字になるからだ。このため、アナログ放送の停止時期を12年12月31日とし、生活保護300万世帯にチューナーの購入費用を支援するという方針を打ち出している。

  日本と韓国の対応を比べると、韓国の方が現実的に思えるが、ロスという面では韓国の方がダメージが大きいのではないか。2年の延長で、さらにデジタル対応テレビの普及のテンポが落ちる。するとさらに対応が困難となり、再延期となる可能性も出てくる。こうなると政争の具にもなり、長い議論が始まる。何しろ韓国ではデジタル放送の方式をヨーロッパ方式(DVB-T)にするのかアメリカ方式(ATSC)にするのかで5年近くももめた。

  日本でも今後、いろいろな論議が出てくるだろう。経費の負担をめぐって「テレビ業界にも応分の負担をさせよ」とする意見などである。ちなみに、アナログ放送の周波数を変更して、デジタル放送のための周波数を空ける「アナアナ変換」対策で投じられた国費は1800億円だった。このときも論議を呼んだ。その第二幕が始まる。この論議に、例の番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」データ捏造問題が絡められると、話はややこしくなる。「国と自治体は借金までして(デジタル化)対応しているのに、民放業界は偽のデータを垂れ流し、ぬくぬくと収益をむさぼっている。こんなことで国民の理解が得られるのか」とったたぐいの意見が必ず噴出する。

 ⇒17日(土)夜・金沢の天気  あめ

☆「ニュース異常気象」3題

☆「ニュース異常気象」3題

 1月の積雪がゼロという金沢地方気象台始まって以来の暖冬異変。この異変は何も気象だけではないようだ。「ニュースの異常気象」を3題まとめてみる。

  関西テレビの番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」で捏造問題が発覚して以来、テレビ業界全体の信頼度が落ちたように思える。そしてついにというか、きょう13日の閣議後の記者会見で、菅義偉総務相は「捏造再発防止法案」なるものを国会に提出すると述べたそうだ。その理由は「公の電波で事実と違うことが報道されるのは極めて深刻。再発防止策につながる、報道の自由を侵さない形で何らかのもの(法律)ができればいい」と。放送法第三条と第四条は、放送上の間違いがあった場合は総務省に報告し、自ら訂正放送をするとした内容の適正化の手順をテレビ局に義務付けている。さらにこれ以上の防止策となると、罰則規定の強化しかないのではないか。個別の不祥事イコール業界全体の規制の構図は繰り返されてきた負のスパイラルではある。

  「団塊の世代」を中心とした55~59歳の男性が自宅の火災で死亡するケースが全国で増えているそうだ。死者は「無職」「独り暮らし」の割合が高い。明確な理由は分かっていないが、家族との別居、深酒、タバコ火の不始末、火災へとこれも負のスパイラルである。北海道では、05年の男性の死者は57人おり、このうち56~60歳が全体の4分の1にあたる13人を占めたという。個人的な話だが、金沢の高校時代の知り合いがこれまで2人もアパートで孤独死している。2人とも上場企業の元サラリーマンだった。交通事故などの不祥事による退職、離婚、深酒、病死である。病死はアルコールによる肝硬変。60歳の定年時に熟年離婚がはやっているそうだ。おそらくろくなことはない。男は逆境に弱いのだ。

  「発掘!あるある大事典Ⅱ」の捏造事件の続報が大きく扱われ、目立たない扱いで記事になっていたが、朝日新聞のカメラマンが写真に付ける記事を書く際に読売新聞の記事を盗用していたという事件もある意味で異常である。1月30日付の夕刊社会面に掲載された富山県立山町の「かんもち」作りの写真の記事を盗用したというもの。ローカル記事をインターネットで探して拝借するという構図だ。それにしても、ローカル記事なら東京で盗用してもバレないだろというのは安易に考えたものだ。カメラマンは実名公表のうえ、解雇となった。「もち」のツケは大きかった。

⇒13日(火)夜・金沢の天気  はれ

★メディアのツボ-42-

★メディアのツボ-42-

 それにしても関西テレビは番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」の不祥事で大きな負債を背負ったものだ。自業自得と言えばそれまでなのだが、ひょっとして再起不能ではないかと思ったりもする。何しろ、一度や二度ではすまない、520回という気の遠くなるような時間との戦いなのである。

     捏造番組の大きな負債

  捏造問題で、関テレの社長が2月7日、総務省近畿総合通信局を訪れ、捏造についてまとめた報告書を提出した。ところが、近畿総合通信局側は納得しなかったと、報じられている。なぜか。疑惑が次から次と出てきて、7日の説明は説明にならなかったからである。どとのつまり、「520回すべてを調査し報告しなければ、調査したことにはならない。これはあくまでも途中経過説ある」と監督官庁である近畿総合通信局側から灸を据えられたに違いない。こんなことは素人でも想像がつく。

  では、どのように520回の調査を行うか、手順はこのようなものだろう。まず、①第三者の専門家による55分番組の検証、②シナリオ台本のチェック、③当時のプロデュサーとディレクター、カメラマンからのヒアリング、④放送後の視聴からの苦情の分析など、これらをワンセットにした報告書の作成しなけらばならない。これが1回分である。

  その道の専門家を探し出し、番組をチェックしてもらい、当時の関係者を呼び寄せる。疑義があれば、その理由をチェックし、さらに第三者の専門家のコメントを聞く。つまり、一本の番組を制作するくらいの労力が発生する。これを520回やり遂げて、ようやく報告ができる。1回につき1㌢の報告書を積み上げれば520㌢となる。

  近畿総合通信局を訪れた後、記者のインタビューに答えた関テレの社長は「調査委員会で検証する」と12回も繰り返し、「3月中旬に全容を解明して報告する」と述べたそうだ。これは無理だ。毎日1本の番組について検証したとしても、520日かかる。ここで、なぜ520回すべてを検証しなけらばならないのか。理由は簡単である。もし、3月中旬の報告で「問題なし」と報告した番組に後日疑惑が生じた場合、今度は「検証が甘いのではないか」というさらなる不審を生み、検証のやり直しが要求される。だから、520回について徹底して検証をしなければ、この問題は収拾がつかいない。

  ちなみに、電波法では「総務相は無線局の適正な運用を確保するため必要があると認めるときには、免許人などに対し、無線局に関し報告を求めることができる」(81条)と記されている。つまり、報告は義務なのである。

  番組検証の現場の様子が目に浮かぶ。外部調査委員の厳しい査問、当時の制作スタッフ同士の責任のなすりつけ合い、責任逃れに終始する弁明、罵倒…。おそらく誰も責任を取ろうとしないから、収拾はつかない。こんな後ろ向きの調査をさせられる外部調査委員会(委員長=熊崎勝彦・元最高検公安部長)はたまったものではない。3月中旬に全容を解明するなどというのはそもそも見通しが甘い。

 ⇒9日(金)夜・金沢の天気   あめ  

☆メディアのツボ-41-

☆メディアのツボ-41-

 連絡や意見調整をEメールでやり取りしていて気づくことがある。それは、マスメディア業界からのレスポンスが遅いとう点だ。とくに、テレビ業界は格段に遅いように感じるのは私だけだろうか。もちろん、全員というわけでない。すばやく返信をもらえる人も中にはいるが、全体として遅いと感じる。

      視聴者の顔は見えているか

  先日、あるテレビ局から金沢大学に取材の申し込みが電話あった。ニュースリリースなどの詳細をメールで送る旨を伝え、教えてもらったメールアドレスに送り、届いたら返信をくださいとお願いしたが、それがない。果たして送信できたのかとこちらが心配になって電話で確認すると、相手は「受け取りました」と。それだったら、受け取った旨の返信をくれればよいのにと思うことはしばしばある。その点、地元紙と呼ばれる新聞社は割とこまめに返信をくれる。

  この違いは何か。自らの経験も踏まえて言うと、おそらく視線の差ではないか、と思う。テレビ局の場合、「系列」という世界がある。東京キー局を中心とした放送ネットーワークのことである。金融ビックバン以前は旧・財閥と呼ばれる銀行を中心とした系列や、自動車メーカーなど部品の裾野が広い産業でも系列があった。しかし、その旧・財閥系の銀行そのものが合併するなどしたため系列意識は薄れた。いまのビジネス界で「系列」は死語と化している。ところが、テレビ業界では系列という言葉も意識も脈々と生きているのである。

  番組「発掘!あるある大事典Ⅱ」のデータ捏造事件で、制作していた関西テレビとキー局のフジテレビの関係は、厳密に言うならばフジテレビは番組の購入者側であり、テレビ局の信頼を著しく傷つけられた「被害者」でもある。ところが、フジの社長は1月29日の定例会見で「視聴者、スポンサー、放送業界全体に迷惑をかけた」と陳謝している。この不祥事は系列全体の責任との意識だろう。ことほどさように系列の絆(きずな)は強いのである。

  話を元に戻す。言いたかったことは、系列というある意味でのムラ社会にいると、足元の地域の人たちや視聴者よりキー局や系列の動き、あるいは同業他社の動向が気になる。すると地域とのかかわりが意識の上で薄れる。現場から離れた管理職になり、上にのぼるほど薄いのではないか。それがEメールのレスポンスの遅さとどう関係するのかという論理とは直接結びついてこない。が、系列局間のやりとりで、メールを放っておくだろうか。

  「発掘!あるある大事典Ⅱ」のプロデューサーやディレクターにしても、視聴者の顔は見えていたのだろうか。視聴率という数字だけが見えていたのではないか。視聴者の視線を感じれば、ごまかしはできないし、怖くなる。人の顔は納豆の粒か、白インゲンか、カボチャぐらいにしか映らなかったのかもしれない。

 ⇒6日(火)夜・金沢の天気 はれ

★奇跡の雪だるま

★奇跡の雪だるま

  1月の金沢は「雪なし暖冬」で観測史上の新記録。それが2月1日から雪が降り、きょう3日には金沢大学角間キャンパスで市民交流イベント「雪だるままつり」が開催できた。開催をめぐって、「雪がないのに雪だまるまつりができるのか」と論議をした1月の空模様に比べれば、ほぼ奇跡に近い。

  今回の雪だるままつりは、2日朝から雪を10㌧トラックで9台分も運ぶという仕込みがあって可能となった。この日の夕方、地元テレビ局が夕方のワイド番組で金沢大学から中継をした。「雪だるままつり雪輸送大作戦」。

 金沢市民にとって雪の感触は久しぶり。また、テレビ中継のPR効果か、きょうのイベントには次々と見学の家族連れが会場を訪れ、雪像の見学を楽しんだ。夜は雪だるまのお腹にろうそくを灯すライトアップの催しがあり、見学の人出は終日途切れることはなく、1000人余りの市民が訪れた。それほどことしは雪が珍しいのである。

 もう10年も前の話だが、テレビ朝日の「ニュースステーション」でピアニスト羽田健太郎氏のピアノ中継が金沢・東山茶屋街であった。江戸時代の花町の雰囲気を残す古民家の土間でのピアノ演奏。この年も暖冬だったが、番組中に雪がしんしんと降ってきて、ピアノ中継のラストカットは、和傘を差した芸妓さんが足元を気にしながら雪化粧した通りを楚々と歩くという、まるで映画のようなシーンになった。雪は雨と違って、ローケーションを一変させる劇的な演出効果がある。

⇒3日(土)夜・金沢の天気  はれ

☆メディアのツボ-40-

☆メディアのツボ-40-

 大学でマスメディア論の授業を持っていることから、新聞の切り抜きは絶やさないが、きょう30日の朝刊ほどマスメディア関連の記事スクラップが多い日はなかった。

     「期待権」とメディアの奇観   

 列記すると、各社一面を飾ったのが、NHKの番組が放送直前に改変されたとして、取材を受けた市民団体がNHKなどに総額4000万円の賠償を求めた控訴審判決で、東京高裁が取材された側の「期待権」を認めてNHKに200万円の賠償命令を命じたニュース。さらに同じ一面で、裁判員制度フォーラムを共催した産経新聞社などが謝礼を払ってサクラ(参加者)を集めていたこと。

  そして、社会面や特集面などでは、「あるある大辞典」の納豆データ捏造事件の続報の見出しが躍っている。「関テレ、看板失墜で広告減も」「ひっかかりやすい中高年女性に照準」など…。  NHK、民放、新聞社がこれだけそろって、マスメディアネタになることは稀有なこと。しかも、一面と社会面のトップを独占しているのである。まるで、マスメディアが自家中毒でも起こして悶え苦しんでいるような、まさに奇観である。また、その当事者のコメントを読むと、版で押したように、「信頼回復に努める」と。

  欧米のメディアは今、新聞の紙面改革や身売り、放送メディアは合併の嵐が吹き荒れている。インタ-ネットの普及拡大で、メディアそのものの利用価値が揺らいでいるからだ。いわば存在価値が問われ、構造改革に迫られている。ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は新年から従来の紙面の横幅を38㌢から30㌢に縮小し、つまりスリム化してコスト削減と紙面の改革(解説・分析記事を50%から80%に拡大)を図っている。改革の痛みに身悶えしているのである。早晩、日本にもこの改革の嵐が来る。あるいはその序章としてスキャンダルが噴出しているのかもしれない。

  それにしても、NHKの今回の裁判はこれも奇観である。取材される側が番組内容に対して抱く「期待権」を高裁が認めたのである。こうした「期待権」が取材のたびに常に成立するとなると、おかしなことになる。たとえば、あるテーマで政治家にインタビューしたとする。ところが取材を重ねていく過程で編集方針は変化するものである。そして別の政治家にインタビューすることになり、先の政治家のインタビューを反故(ほご)にするとういケースが生じる。放送後に「期待権」を盾にとってその政治家が「なぜ私のインタビューを使わない。だいたい番組は私がイメージしていたものと異なる」などとねじ込んでくる可能性があるのだ。

  こうなると「編集の自由」はどうなるのか。判決では今回の「期待権」は例外的としているが、それでも一度認められると拡大解釈される。そのつど裁判をやり、このケースは例外であるのか否か認定をしなければならなくなる。この意味で、今回の判決は単にNHKではなく、メディア全体にかかわるやっかいな判決であると言っても過言ではない。

 ⇒30日(火)夜・金沢の天気  あめ