ことし8月、石川県輪島市三井町の小学校の校長だった岩田秀男氏(故人)の遺族宅を訪ねた。岩田氏は昭和30年代から、能登で生息してた本州最後のトキを熱心に撮影して歩いた人だった。遺族から能登のトキを写真を見せられた時、胸が熱くなった。写真のトキが「ワタシは能登に帰りたい」と叫んでいるような、そんな衝撃を受けた。岩田氏のクレジットを必ず入れることを条件に写真の使用許可をいただいた。
トキが再び能登の空に舞う日
トキが急激に減少したとされる1900年代、日本は食糧増産に励んでいた。レチェル・カーソンが1960年代に記した名著「サイレント・スプリング」で、「春になっても鳥は鳴かず、生きものが静かにいなくなってしまった」と記した。農業は豊かになったけれども春が静かになった。1970年1月、日本で本州最後の1羽のトキが石川県能登半島で捕獲された。オスの「能里(ノリ)」だった。繁殖のため佐渡のトキ保護センターに送られたが、翌1971年に死亡した。解剖された能里の肝臓や筋肉からはDDTなどの有機塩素系農薬や水銀が高濃度で検出された。2003年10月、佐渡で捕獲されたキンが死亡し、日本産トキは沈黙したまま絶滅した。
その後、同じ遺伝子の中国産のトキがトキ保護センターで人工繁殖し、2007年7月現在で107羽に増殖している。環境省では、鳥インフルエンザへの感染が懸念されることから場所を限定しての本州での分散飼育を検討し、08年にも分散場所の選定がなされる見込み。石川県能美市にある県営「いしかわ動物園」は分散飼育の受け入れに名乗りを上げ、近縁種のシロトキとクロトキの人工繁殖と自然繁殖に成功し、分散飼育の最有力候補とされている。分散飼育の後、人工増殖したトキを最終的に野生化させるのが国家の目標である。
金沢大学「里山プロジェクト」では、平成18年度三井物産環境基金の支援を得て、「能登半島 里山里海自然学校」(石川県珠洲市)を設立した。その活動の一つであるポテンシャルマップ作成は、奥能登における生物多様性の調査である。珠洲市や輪島市の4ケ所の重点調査地区を設定し詳細なデータの蓄積を進めている。この生物多様性調査から、トキが再生する可能性を能登に見出している。奥能登には大小1000以上ともいわれる水稲栽培用の溜め池が村落の共同体により維持されている。溜め池は中山間地にあり、上流に汚染源がないため水質が保たれている。ゲンゴロウやサンショウウオ、ドジョウなどの水生生物が量、種類とも豊富である。溜め池にプ-ルされている多様な水生生物は疏水を伝って水田へと分配されている。
また、能登はトキが営巣するのに必要なアカマツ林が豊富である。かつて、昭和の中ごろまで揚げ浜式塩田や、瓦製造が盛んであったため、高熱を発するアカマツは燃料にされ、伐採と植林が行なわれた。さらに、能登はリアス式海岸で知られるように、平地より谷が多い。警戒心が強いとされるトキは谷間の棚田で左右を警戒しながらドジョウやタニシなどの採餌行動をとる。豊富な食糧を担保する溜め池と水田、営巣に必要なアカマツ林、そしてコロニーを形成する谷という条件が能登にある。
来年度から、金沢大学の生態学と環境経済の研究者を中心にトキならびにコウノトリが生息できるための学際研究を行なう。ポイントは2点。①トキが能登に再生するための具体的な適地のモデル選定とステークホルダー(自治体、地域住民、地権者、生産者)との合意形成、②水田の減農薬化と生態環境のための基礎調査を実施する。トキはコウノトリ目の鳥であり、コウノトリとは絶滅の経緯などで類似点が多い。そのコウノトリが兵庫県豊岡市で野生復帰し、43年ぶりに自然繁殖した。豊岡市での取り組みなどをお手本に、本州最後の1羽のトキがいた能登半島で、野生化する最初の1羽のトキを再生させたい。そのためのロードマップを描き、ステークホルダー(自治体や地域住民、地権者、生産者)との合意形成ならびに協働するプログラムを作成する。その上で、トキの生息地として適しているとされる谷間の棚田フィールドの確保(20haほどを想定)、生産者による減農薬での水田栽培を一斉に実施し、GIS(地理情報システム)などの技術を用いて数年かけ生態環境の基礎調査を実施する。
生態ピラミッドの頂点に立つトキを野生復帰させるためには生態系自体の修復(再生)が必要であるのは言うまでもない。しかし、昔に戻って過去の環境を復元するのは無理としても、同じものをつくり出せる要点を明らかにして、部分的にでも徐々に創出していくというアプローチが必要である。そのためには科学的な手法を取り入れる。うまくいかなければ何が問題なのかを、考えられる順応的な研究を行う。
こうした研究の成果は2010年に予定される生物多様性締約国会議(「COP10」、名古屋市)のエクスカショーン等で発表することを目指している。金沢大学が独自に研究調査をする意味合いは、ともすれば政治案件化するトキの野生化の候補地選定を客観的なデータと研究調査で担保したいと思うからである。 ※写真は石川県輪島市三井町で営巣していたトキの親子(昭和32年・岩田秀男氏撮影)
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