☆フィリピンの戦争モニュメントと「終戦の日」
きょう「8月15日」は終戦の日である。政府主催の全国戦没者追悼式(東京・日本武道館)をNHKで視聴していた。岸田総理は「いまだ争いが絶えることのない世界にあって、わが国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携え、世界が直面するさまざまな課題の解決に、全力で取り組んでまいります」と式辞を述べた。いまだに続くロシアによるウクライナ侵攻を意識したような言葉だった。
正午の時報とともに1分間の黙とうが捧げられた。その後、天皇陛下は「過去を顧み、深い反省の上に立って再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と述べられた。全国戦没者追悼式は、日本国が不戦の誓いを確認する恒例の行事でもある。
「8月15日」の現場を訪れたことがある。2012年1月に金沢大学の交流事業でフィリピン・ルソン島イフガオ州のキアンガンを訪れた。山中に壮大な棚田が広がる絶景と同時に、人類の米づくりの歴史を感じさせる。土地の識者の人たちから日本との関わりの話を聴いた。当地では9月2日は「勝利と解放の
日」として日本軍との戦いに勝利したことを祝い、10年に一度は大規模な式典が開催されている。本来ならば1945年8月15日が終戦の日だが、ルソン島で最後まで抵抗を続けていた日本軍の山下奉文陸軍大将が降伏を表明したのは9月2日だった。
土地の人たちの話は辛辣だった。アメリカ軍の進行に押された日本軍はマニラから北上してバギオを経由して経て、さらに奥深いキアンガンに最後の拠点を構えた。山中で孤立した日本兵の多くは飢餓や戦病で倒れ、「今でも骨はいたることろで見つかる」と話していた。そして、古老は「日本兵は怖かった。あいさつをしなかったというだけで殴られた。なので、山に逃げて、夜になると食料を探しに村に降りるという生活を続けていた。ヤマシタが降伏したと聞き、走って山から村の家に帰った」と話した。
キアンガンの村で山下は降伏の意思を表明し、翌9月3日にバギオに連行され、そこで降伏文書に署名してフィリピンでの戦闘は最終的に終了した。戦時中フィリピンでは日本兵51万人が戦死しているが、フィリピン人は110万人が命を落としている。別の古老は「戦争当時は日本と日本人を憎んだ。しかし今は平和の時代、日本人とは仲良くやっていきたい」と話し、握手を求めてきたのを覚えている。11年も前の話だ。
(※写真は、キアンガンにある「戦争モニュメント」の塔。激しい戦闘を物語るレリーフがある。この公園では10年に一度、「山下降伏記念式典」が開催される。直近では2015年9月2日に行われた)
⇒15日(火)夕・金沢の天気 くもり
面白いのは形状だけでなく、従来の図書分類の枠を超えたコンセプトだ。吹き抜けに面して1階から上へと続く360度の円形書架には、12のテーマで7万冊の本が手に取りやすい形で並べられている。たとえば、「自分を表現する」という書架には、絵を描く、音楽を奏でる、写真を撮る、演じるといった芸術関連の本が並ぶ。それは芸術論ではなく、本を手に取って読むことで自らも表現してみたくなるような内容の本だ。司書が選りすぐった本なのだろう。ほかにも「暮らしを広げる」「文学にふれる」「仕事を考える」「体を動かす」などのテーマで本が並ぶ。また、分類別図書の本棚には30万冊が並ぶ。
この時節いつも思うことだが、同じ墓参りでも金沢と能登・加賀では参り方に違いがある。金沢の場合は、墓所にキリコをつり下げる棒か紐がかけてあり、墓参した人は札キリコをかける。札キリコには浄土真宗の墓所ならば「南無阿弥陀仏」、曹洞宗ならば「南無釈迦牟尼仏」と書いて、裏の「進上」に墓参した人の名前を記す。この札キリコをつるすことで、その墓の持ち主は誰が墓参に訪れたのか分かる仕組みになっている。
墓参りの帰り、インド料理の店に入った。初めての店だった。店内で流れるBGMはまるでお経の合唱のような、ゆったりとして荘厳な響きで、インドの民謡のような雰囲気だ。マトンカレーとプレーンナン、タドリーエビを注文。
そして、台風7号は北陸を直撃するようだ。「非常に強い」台風7号は、きょう11日午前9時には父島の東南東約90㌔を、ゆっくりした速さで北へ進んでいる。中心の気圧は940ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は45㍍、最大瞬間風速は65㍍で、中心から半径130㌔以内では風速25㍍以上の暴風となっている。15日から暴風が吹き、大荒れの天気となる恐れがある。盆休みのUターン移動の時期と重なり、新幹線や在来線、道路、空の便に影響が出る可能性も(11日付・日本気象協会「tenki.jp」)。
台風と言えば、2019年10月13日、死者・行方不明者100人を出し、北陸新幹線120両を水没させた、あの台風19号が日本に近いづいてきたときが945ヘクトパスカルだった。北陸に住む自身にとっては、千曲川の堤防決壊で長野市にある新幹線車両センターの北陸新幹線の車両が水に浸かった画像はショックだった=写真・下=。
さに経験したことのないような暑さとなる。気象庁は石川県内に10日連続で熱中症警戒アラートを発表している。(※写真はきょう正午過ぎに自宅前で撮影。手前の樹木は五葉松)
また、石川県の馳知事は、7月27日に行われた高校野球石川大会の決勝戦は暑さがピークに達した午後0時半に始まり、最高気温34.8度だったことから、「決勝戦の時間帯はおかしいと思います。午後0時30分にプレイボールというのは、私は健康の観点からやはり配慮があってもよいという意味で、おかしいと思います」と記者会見(同月28日)で苦言を呈した。高野連はことしから「クーリングタイム」の導入など行っているが、まだまだ改革の予知はありそうだ。
日銀は先月28日の金融政策決定会合で10年来続けてきた「異次元緩和」を柔軟にすると決めた。長短金利の操作(イールドカーブ・コントロール)で長期金利を「0.5%程度」としてきたが、1.0%へと事実上、引き上げることに修正した。少々、違和感を感じたのが、「消費者物価指数の前年比上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまで拡大方針を継続します」との発言だった。庶民感覚ではすでに「2%」は超えている。日銀と庶民の物価に関する感じ方に乖離があるのではないか。もちろん、日銀は政策決定会合なので何か政策的な裏読みもあるのではと考えてしまう。
たとえば、フジテレビのリアリティ番組『テラスハウス』(2020年5月19日放送)に出演していた女子プロレスラーがSNSの誹謗中傷を苦に自死した事件(同5月23日)はまさにテレビメディアのコプライアンスが問われた典型的な事例ではないだろう。
最終日の4日に日本記者クラブで記者会見した。以下、会見で印象的だった内容をいくつか。その一つが、「声明文」として出したコメントの中で、日本のエンターテインメント業界に「性的な暴力やハラスメントを不問に付す文化」があるとの言及した点だった。「文化」とまで言い切った声明文なので、相当の物証や根拠があったということだろう。確かに、「知ってはいるけど、関わらない」と見て見ぬふりする文化がある。
その永平寺を久しぶりに見学に訪れた(今月3日)。寛元2年(1244)に道元によって開かれた坐禅修行の道場というだけあって、凛としたたたずまいと風格が漂う。これ以上の言葉ではなかなか言い表すことができない。「七堂伽藍」をめぐるだけでも相当に時間がかかる。すると、木魚の音と読経が聞こえてきた。「祠堂殿(しどうでん)」に向かうと、法要が営まれていた。祠堂殿では宗派を問わず、一般の家々の納骨や供養などの法要が毎日営まれているという。7人の僧がときに立ち上がり、動きのある読経だ。これを見た人の中には、「納骨の法要は永平寺で」と遺言を残す人も多いかもしれない。
それにしも七堂伽藍のほか相当数の建物がある。冒頭で述べた廻廊の雑巾がけなどの「作務」は、修行の一つとはいえ、これだけ数多くの建物群で毎日こなせるのかどうか。作務をこなすには雲水の人数が相当必要なのではないか。そこで、永平寺門前観光協会の事務局に尋ねた。現在130人の雲水が修行をしていて、中には数人の外国人もいる。女性はいない。雲水の人数は減っていて、5、6年前までは200人の雲水がいた。理由を尋ねると、「お寺も少子化なんですよ」と。
この風景を見て、浮かんだのは「ズルイ」という言葉だった。簡単に言えば、コンクリート化された植栽帯側の駐車スペースには販売用の中古車がずらりと並べてあり、歩道と車道からは実によく見える。100㍍の展示コーナーとして活用しているのだ。