★金沢名所めぐり~「金沢の玄関口」鼓門とドームの威容~

★金沢名所めぐり~「金沢の玄関口」鼓門とドームの威容~

   JR金沢駅に到着した知人たちを乗用車で迎えに行くとき言葉は決まって、「鼓門(つづみもん)の下で待ち合わせ」である。個人的というより、市民の間ですっかり馴染んだ言葉ではないだろうか。何しろ、鼓のカタチをした、高さ14㍍ほどの2本の太い柱に支えられた門構えは圧巻である=写真・上=。待ち合わせ場所としてはとても目立つ。列車で金沢を訪れた知人たちは必ずといっていいほど、ここで記念写真を撮影を。そして、「JRはすごい投資をしているね」と。

   「鼓門」のデザインのもととなっているのが、金沢で盛んな伝統芸能である能楽「加賀宝生」の鼓とされる。そして、鼓門とセットになっているのが、3019枚の強化ガラスで造られた「もてなしドーム」=写真・下=。中は広場になっていて1万9400平方㍍(東京ドームの半分足らず)の広さ。ドームのサイドにバスターミナル、タクシー乗降場などが連なる。雨や雪の多い金沢で、「駅を降りた人に傘を差し出す、もてなしの心」を表現したドームだ。鼓門とドームは2005年3月に完成し、その10年後の2015年3月に北陸新幹線の金沢開業が始まる。で、この金沢駅東口広場を整備したのはJRではなく金沢市で、投資額は170億円にもなった。

   JRは民営化(1987年)以降、徹底したコスト主義を経営の柱に据えていて、金沢だからと言って特別なフォルムの駅はつくらないし、つくれないのである。北陸新幹線の駅はどの駅ものっぺりしとした、ワンパターンの建物である。そこで、金沢市が先手を打って、駅の玄関口に170億円を投じた。「金沢の玄関口」に見合う立派な母屋=駅をつくってほしいとのメッセージをJRに対し送ったのだった。

   この投資がなく、金沢駅をのっぺりとした新幹線駅にしていたら、JRと同時に行政にも批判が沸き起こっていたに違いない。一方で、「新幹線の駅が完成していないのに、170億円もの税金を先行的に投入してよいのか、他に税金を回すべきではないのか」といった議論も議会で白熱した。

   結果論で言えば、先行投資は奏功した。東京駅で赤煉瓦の駅舎をイメージするように、鼓門とドームが金沢駅のシンボルにもなった。また、2011年にアメリカの旅行雑誌「TRAVEL + LEISURE」の「世界で最も美しい駅」14の一つに選ばれた。鼓門の写真とともに掲載された記事では「未来観を醸し出したデザインの玄関」をその理由にあげた。ちなみに、1位はベルギーのアントワープ中央駅。2位はイギリスのセント・パンクラス駅などで、金沢駅は6位。こうした効果もあって、2012年ごろから欧米からのインバウンド観光客が徐々に増え始め、2015年の北陸新幹線の開業でさらに増えることになる。

⇒5日(日)夜・金沢の天気      くもり

☆金沢名所めぐり~金沢城は石垣の博物館~

☆金沢名所めぐり~金沢城は石垣の博物館~

   兼六園と道路を隔てて接する金沢城。城壁にはさまざまな石があって、緻密(ちみつ)にそしてさまざまな技法で積み上げていることが分かる。専門の業者や研究者からは、「石垣の博物館」と評されている。

   インバウンド観光のツアーのガイドが金沢城の石垣を指さして、「加賀百万石」を「カガ・ワン・ミリオン・ストーンズ」と直訳しているとこのブログでも紹介したことがある。「百万石」はコメの量を示す尺貫法なのだが、金沢城には百万個の石があると説明されると、妙に納得する。

  石垣の城郭は城をぐるりと囲むように広がる。中でも壮観なのは菱櫓(ひしやぐら)、五十間長屋(ごじっけんながや)、橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)の石垣=写真・上=だ。「打ち込みハギ積み」と呼ばれる技法で、形や大きさをそろえた割石を用いて積み上げたもの。門の入り口などの石垣は「切り込みハギ積み」と称される、石同士の接合部分を隙間なく加工して積み上げる技法。その中に六角形の亀甲石がある=写真・中=。水に親しむカメを表現したのもので、城の防火のげん担ぎの意味を込めた石といわれている。

   石川門近くの石垣は春の桜の季節になると、絶妙なコントラストを描く=写真・下=。無機質な石垣の鋭角的なフォルムを優しく植物の桜が覆う。ただそれだけのアングルなのだが、それはそれで見方によっては美のフォルムのように思えるから不思議だ。

   金沢城の石垣の石は8㌔ほど離れた戸室山の周辺から運ばれた安山岩だ。金沢では「戸室石(とむろいし)」として知られる。赤味を帯びた石は「赤戸室」、青味を帯びたものは「青戸室」と称される。戸室山で発掘した石を運んだルートを石引(いしびき)と言い、現在でも「石引町」としてその名前は残っている。

   その石を運んだルートに「ダゴザカ」という坂道がある。漢字では「団子坂」と書く。傾斜は20度ほどだろうか、それが200㍍ほど続く。この坂を上り切るとあとはゆるやかな下りになる。加賀藩三代藩主の前田利常(1594-1658)は戸室の石切現場を見回った後、この坂で運搬の労役者たちにダンゴを振舞って労をねきらったとの言い伝えからダゴザカと名が付いた。利常は江戸の殿中で鼻毛をのばし、滑稽(こっけい)を装って「謀反の意なし」を幕府にアピールし、加賀百万石の基礎を築いた人物だった。現場感覚のある苦労人だったのかもしれない。

⇒3日(金)夜・金沢の天気    はれ

★「チークナイフ」こだわるアメリの執念

★「チークナイフ」こだわるアメリの執念

   北朝鮮による弾道ミサイルの発射など挑発が相次ぐ中、米韓両軍は特殊作戦を展開しているようだ。韓国の朝鮮日報Web版日本語(3月1日付)によると、2月28日の米韓合同訓練では特殊部隊を動員した「チークナイフ(Teak Knife)」、別名「斬首作戦」と呼ばれる北朝鮮の指導部を狙った訓練が行われた。この訓練は1990年代以降で毎年実施されているが、尹錫悦政権の発足後の去年9月に続き今回と、わずか半年で2回訓練を実施し公開している。挑発の頻度を高める北朝鮮に向けた警告メッセージなのだろう。

   アメリカ軍はこれまで単独で2回、斬首作戦を実行している。2001年9月11日にニューヨ-ク・マンハッタンなどで起きた同時多発テロを仕掛けた国際テロ組織アルカイダの首謀者オサマ・ビン・ラディンに対して、2011年5月1日、パキスタンのイスラマバードから60㌔ほど離れた潜伏先をステルスヘリコプターなどで奇襲し殺害。2022年7月30日にもう一人の首謀者とされていたアイマン・アル・ザワヒリを潜伏先のアフガニスタンのカブール近郊のダウンタウンで、無人攻撃機に搭載した2発のヘルファイアミサイル(空からの対戦車ミサイル)で攻撃し殺害している。

   これで、アメリカによる対テロ戦争は終わったのか。「9・11」翌年の2002年の一般教書演説で当時のブッシュ大統領が述べた「悪の枢軸」。それ以前からイランやイラク、北朝鮮などを「テロ支援国家」や「ならずもの国家(rogue state)」などと称して敵視を続けている。

   アメリカが北朝鮮を悪の枢軸」に位置付けるのは、朝鮮戦争(1950年6月-53年7月)に由来する。北朝鮮が、国境線といわれた38度線を南下し、韓国に侵攻した。これにアメリカなど国連軍は反撃したが、アメリカ軍は3万6000人にもおよぶ多大な犠牲を払った。しかも、朝鮮戦争は終戦ではなく、現在も休戦状態にあり、一触即発の状況に変わりない。朝鮮戦争にどう決着をつけるか、アメリカにとって、冒頭のチークナイフはその選択肢の一つなのだろう。(※写真は「The White House」公式ホームページより)

⇒2日(木)夜・金沢の天気     くもり

☆金沢名所めぐり~兼六園桜の散り際と曲水の美学~

☆金沢名所めぐり~兼六園桜の散り際と曲水の美学~

   国の特別名勝に指定されている兼六園の園名が付いたのは文政5年(1822)とされる。一説に、中国・洛陽の名園を紹介した書物『洛陽名園記』から引用し、宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の6つの景観を兼ね備えることが名園の誉(ほまれ)と命名された。ただ、命名した人物には諸説ある。これ以降、兼六園のシンボルとも言える霞ヶ池が造られるなど本格的に手が入ることになる。兼六園に隣接する「いしかわ生活工芸ミュージアム」に、当時の加賀藩主から依頼を受けた幕府の老中・松平定信の筆「兼六園」の扁額=写真・上=が飾られている。

   兼六園には四季折々の楽しみ方がある。春といえば、兼六園は桜の名所で40種類、400本を超える木々がある。「兼六園菊桜(ケンロクエンキクザクラ)」という遅咲きの桜がある=写真・中=。ソメイヨシノが散るころに花を咲かせ、3回色が変わり、最後は花ごとポロリと落ちる。桜の季節を終わりまで楽しませてくれて、潔く花の命を終わらせる。まさに散り際の美学である。武家の庭園らしい見事な花だと語り継がれる桜でもある。慶應年間(1865-68)に天皇より加賀藩主が賜わったものと伝えられ、別名「御所桜」ともいわれている。

   兼六園の6つの風景の一つが「水泉」。春、夏、秋、冬、いつ来ても曲水(きょくすい)のせせらぎが心を和ませてくれる=写真・下、「花見橋」から=。じっと眺めていて、不思議に思ったことがある。雨が降っていれば当然、水かさが増して流れも激しくなるものだ。でも、兼六園の曲水が大雨で荒れて氾濫したという話は聞いたことがない。逆に、夏に日照りが続いて、曲水が干せ上がったという話も聞いたことがない。なぜ、この穏やかなせせらぎが絶えないのか、と。

   10年ほど前の話だが、この曲水の源流を訪ねて水の流れの上流をさかのぼってみた。すると「山崎山」という兼六園のもっとも東側の小高い山の下に小さな洞窟があった。この中には入れないので、山崎山の裏側に回ると、池があった。ガイドマップには「沈砂池(しんさち)」という池だった。ここから向こうは兼六園ではないので、ここが曲水の発生源の池だと分かった。池は深く、よく見ると水道管と思われるパイプラインとつながっている。そこで、兼六園管理事務所を訪ねると、当時の所長が丁寧に説明してくれた。「この池は辰巳用水という江戸時代につくられた用水から水を引いている。ここで水を調整し、1秒間に160㍑の水が流れるように計算して下流に流している」と。

   雨が降れば水門を少し閉めて水量を調整し、水が足りなくなれば、ほかの貯水池から水を補給するようにもしている。160㍑以上になっても、以下になっても、曲水のせせらぎは流れないとの話だった。兼六園の曲水の美学は「人力」の景色でもある。

⇒1日(水)夜・金沢の天気     はれ

★金沢名所めぐり~花街の美術館~

★金沢名所めぐり~花街の美術館~

   金沢の「ひがしの茶屋街」は紅殻格子の町家が建ち並び、江戸時代の花街の風情を今に伝えている。界わいの家々は1階に出格子を構え、2階の建ちを高くして座敷を設けた建築が特徴で、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。初見の観光客は時代劇の映画のロケ地、あるいはテーマパークの印象を抱くかもしれない。和の趣を感じ、インスタ映えする画像を撮るには絶好のスポットでもある。レンタルの着物を羽織った女性グループや、男女が街並みをバックに撮影している姿をあちらこちらで見かける。中には、和装のインバウンド観光客もいる。

   先日、茶屋街に「お茶屋美術館」の看板がかかる建物に入った。パンフによると、この家は文政3年(1820)に加賀藩の施策で茶屋街が造られた当時の建物、とある。じつに200年余り前の歴史ある建築物で、金沢市指定文化財でもある。かつて屋号は「中や」と呼ばれた。お茶屋は訪れた町人衆に遊ぶ場を提供する「貸し座敷」のような場所だった。客の求めに応じて仕出し屋から料理を取り寄せ、酒を供し、芸妓を呼ぶなど遊宴を盛り上げた。勘定はすべて後日払いだった。お茶屋はそうした、なじみの客との信頼関係を大切にした。なので、なじみの客から紹介があったとしても、新規の客は「一見さんお断り」を貫いた。

   逆に言えば、なじみの客は足しげく通ったのだろう。2階の座敷には「お座敷太鼓」が展示されている。三味線の囃子に合わせて、客が平太鼓と締め太鼓を用いてドンドン・ツクツク・ドンなどと叩く。この太鼓は別名「散財太鼓」と呼ばれる。この太鼓の技は何度も座敷遊びに通ってようやく芸として身につく。一人前になるまでには相当な散財を要するという意味のようだ。

   由緒ある「中や」にはもてなしの宴を彩る加賀蒔絵や加賀象嵌、九谷焼など優美な御膳や碗などの道具が遺され、「美術品」として展示されている。中でも目を引いたのは櫛(くし)や簪(かんざし)など芸妓たちの黒髪を飾った品々だった=写真・下=。実際に使用されていたべっ甲や象牙などの櫛や簪はとても意匠(デザイン)にこだわりが感じられる。踊りや衣装だけでなく、こうした櫛や簪にも芸妓たちは華やかさを込めたのだろう。

   何百とある櫛や簪を見て、ふと思った。それに込めた想いと同時にそれぞれの人生があった。この花街で生涯を遂げた女性たちの形見の品のように思えた。

⇒27日(月)夜・金沢の天気    くもり

☆ 金沢名所めぐり~ピアノも弾ける円形劇場の図書館~

☆ 金沢名所めぐり~ピアノも弾ける円形劇場の図書館~

     金沢は伝統的な街並みのほかに、斬新な形状の建築物もあり、新旧の風景が楽しめる街でもある。そうした名所をいくつかめぐってみる。去年7月にオープンした石川県立図書館。入って圧倒されるのは、広い吹き抜けの空間に、何重にも円を描くように本棚が配置されている。まるで円形劇場なのだ=写真・上=。

   面白いのは形状だけでなく、従来の図書分類の枠を超えたコンセプトだ。吹き抜けに面して1階から上へと続く360度の円形書架には、12のテーマで7万冊の本が手に取りやすい形で並べられている。たとえば、「自分を表現する」という書架には、絵を描く、音楽を奏でる、写真を撮る、演じるといった芸術関連の本が並ぶ。それは芸術論ではなく、本を手に取って読むことで自らも表現してみたくなるような内容の本だ。司書が選りすぐった本なのだろう。ほかにも「暮らしを広げる」「文学にふれる」「仕事を考える」「体を動かす」などのテーマで本が並ぶ。

   上記のテーマを含め、分類別図書の本棚には並ぶのは30万冊。それにしても、これまでの県立図書館のイメージとはがらりと変わって「会話ができる図書館」で、おしゃべりができてやスマホも使える空間だ。子どもエリアにアスレチック施設も併設されていて、休日には子ども連れの若いカップルの姿もよく見かける。

   円形劇場のような吹き抜け造りなので、東西を結ぶブリッジが閲覧席になっている。ここからは館内全体を見渡すことができ、書棚とイスはまるでアート空間だ=写真・中=。そして、館内のいたるところで、県内の著名な陶芸家や漆芸家か描いた作品がさりげなく展示されている。

   ショパンの曲『ノクターン』を奏でるピアノの音色が聞こえてきたので、1階の屋内広場に行った。置いてあるピアノを誰でも奏でることができる「街角ピアノ」ならぬ「図書館ピアノ」だ。弾いていたのは中年の女性だった。「それにしても、図書館でピアノはないだろう」と一瞬思ったが、音色が柔らかで、図書館の空間と合わなくもない。ピアノの横にある説明書きを見ると、「能登ヒバ」でつくったピアノという=写真・下=。金沢の木材卸売業者が製作して、図書館に無償で貸し出しているようだ。ピアノも弾ける図書館、まさに文化交流のエリアではある。

⇒26日(日)夜・金沢の天気    あめ

★メディアの生き残り戦略 「広告」から読む

★メディアの生き残り戦略 「広告」から読む

   新聞や雑誌など、いわゆる「紙媒体」の市場が縮小している。日本の週刊誌の草分けとして100年の歴史を持つ週刊朝日がことし5月最終週の発行をもって休刊すると、朝日新聞が報じたのは1月19日付だった。1950年代には100万部を超える発行部数があったものの、去年12月の平均発行部数は7万4000部にとどまり、広告費も落ち込んでいた。アメリカでも、新型コロナウイルスの感染拡大が始まった2020年以降で日刊や週刊の地方紙など360紙余りが廃刊となり、情報が届けられない「ニュース砂漠(news deserts)」が広がっている。

   ただ、メディアがそのまま消え失せるのではなく、紙媒体からインターネットメディアへと転換を図ってる。冒頭の週刊朝日もユーチューブで「週刊朝日チャンネル」を開設し、今月21日に配信を始めている。編集長とデスクが出演する動画を視聴すると、休刊の大きな理由として発行部数の減少もさることながら、広告収入の落ち込みがダメージとなったと説明している=写真・上=。電通がきのう24日に発表した「2022年 日本の広告費」を見ても、その傾向が数字として表れている。

   以下、電通公式サイトから引用する。2022年(1-12月)における日本の総広告費は7兆1021億円で、2007年に記録した7兆191億円を上回り、過去最高となった。前年比では104.4%となり、コロナ禍での落ち込みから再び成長軌道に回復したといえる=グラフ、電通「日本の総広告費推移」=。

   広告費は過去最高となったものの、新聞や雑誌などの紙媒体の数値は落ちている。雑誌は1224億円で前年比93.1%、新聞は3697億円で96.9%となっている。ちなみに、電波メディアのテレビ(地上波、BS・CS)は1兆8019億円と前年比98.0%で下降。これは、2021年の東京オリンピック・パラリンピックは広告増に寄与したのものの、2022年はその反動減という面もあるだろう。ラジオは1129億円で102.1%と伸ばしている。

   一方で、デジタル社会を反映して、インターネット広告費は3兆912億円と好調で前年比114.3%だ。インターネット広告費が2021年に2兆7052億円となり、マスコミ4媒体(テレビ、新聞、雑誌、ラジオ)の広告費(2兆4538億円)を初めて上回り、その後、続伸している。こうなると、紙媒体に続き、テレビいよいよ凋落かと思ってしまう。ところが、テレビそのもののデジタル化が進んでいる。

   インターネット回線へ接続されたテレビ端末であるコネクテッドTVが普及し、普及率は50%を超えているといわれる。さらに民放テレビ動画プラットフォーム「TVer」でテレビやPC、スマホ、タブレットでレギュラー番組や見逃し配信など600もの番組が視聴できる。1台のテレビで地上波番組もネット動画もシームレスに視聴できる時代になった。これを背景に、インターネット広告費のテレビメディア関連動画広告は350億円と前年比140.6%も伸びている。今後さらに伸びるのではないか。

   マスコミ4媒体のデジタル広告費は1211億円と114.1%とこれも二桁の伸びだ。もはや、デジタルなしにはメディアの存続はありえないという状況だ。

⇒25日(土)夜・金沢の天気   くもり時々あめ

☆ウクライナ侵攻1年 世界の流れをどう読む=下

☆ウクライナ侵攻1年 世界の流れをどう読む=下

   ロシアによるウクライナ侵攻からきょう24日で1年となった。ロシアが掲げる「偽旗(にせはた)=false flag」は世界から不信感を買った。偽の国旗を掲げて敵方をあざむいたり、被害者を装ったり、降参したふりをして相手のスキを突いたりと相手方を騙す意味で使われる。

          ~ディープフェイク vs ITアーミー 戦いはデジタル戦に~

   去年3月11日にロシアの要請で国連安全保障理事会の緊急会合が開かれ、ロシアの国連大使は「ウクライナで渡り鳥やコウモリ、シラミなどを利用した生物兵器開発計画があり、テロリストに盗まれ使われる危険性が非常に高い」「生物兵器の開発にはアメリカが関与している」「同様の研究は悪名高い旧日本軍731部隊も行った」と一方的に主張し、まさに偽旗を掲げた。

★ウクライナ侵攻1年 世界の流れをどう読む=上

★ウクライナ侵攻1年 世界の流れをどう読む=上

   ロシアによるウクライナへの侵攻は今月24日で1年を経過することになる。終わりの兆しが見えない。そして、世界はいったいどこに向かって流れていくのか、和平なのか大戦なのか、不透明な潮流を読んでみる。

   ~国連安保理は機能不全 ロシアは核兵器かざし孤立深める~

   このテーマを描いたとき、「国連安全保障理事会は機能しているのか、なぜその役割を果たさないのか」という素朴な疑問が浮かぶ。ロイター通信Web版日本語(23日付)によると、 国連のグレテス事務総長は22日に開催された国連総会緊急特別会合で、ロシアによるウクライナ侵攻は国連憲章および国際法に違反していると述べた上で、「核兵器を使用するという暗黙の脅迫を耳にしている。いわゆる核兵器の戦術的使用は全く容認できない。今こそ瀬戸際から退くべきだ」とロシアの脅迫を非難した。

   23日に開催される緊急特別会合では、決議案を採択する予定で、ロシアに対し軍の撤退および敵対行為の停止を再び求めるとみられる。国連総会での決議に法的拘束力はないが政治的な影響は大きい(同)。では、国連の安全保障理事会はどう機能しているのか。(※写真・上は国連安全保障理事会の会議室=国連広報センター公式サイトより)

   国連安保理は日本時間21日午前、北朝鮮の相次ぐミサイル発射を受けた緊急会合を開いた。日米欧などは北朝鮮の安保理決議違反を厳しく非難したが、中国とロシアは米韓の軍事演習などが緊張を高めていると北朝鮮を擁護。安保理として一致した対応は取れなかった(21日付・東京新聞Web版)。ロシアによるウクライナ侵攻も同様で、ロシアは常任理事国で拒否権があるため、安保理は法的な拘束力がある決議を何一つ成立させていない。

   国連に対する評価は世界的に低下している。ピュー・リサーチ・センターが去年6月に発表したアメリカ国内の調査で、「国連の影響は弱まっている」が39%だった。「変わらない」が46%、「強まってる」が16%だった。ウクライナ侵攻を仕掛けたロシアに非難声明すら出せない国連安保理への憤り、そして無力感ではないだろうか。

   ロシアのプーチン大統領はさらに戦況を煽る宣言を出した。NHKニュースWeb版(23日付)によると、ロシア大統領府は「祖国防衛の日」と呼ばれる軍人をたたえるロシアの祝日にあわせて、プーチン大統領の動画のメッセージを公開。この中で、「ことし、大陸間弾道ミサイル『サルマト』の実戦配備を行う。また極超音速ミサイル『キンジャール』の大量製造を継続していく。そして、海上発射型の極超音速ミサイル『ツィルコン』の大量供給を始める」と述べ、ロシア軍が保有する陸や海そして空軍の核戦力を増強していくと宣言した。

   プーチン大統領は21日に行った年次教書演説でも、アメリカとの核軍縮条約「新START」の履行停止を表明。ウクライナへの軍事支援を強めるアメリカなどを牽制する狙いとみられる(同)。ロシアは核兵器をかざし、国際的にますます孤立を深めている。

⇒23日(木)午後・金沢の天気      はれ

✰岸田総理のウクライナ電撃訪問は可能なのか

✰岸田総理のウクライナ電撃訪問は可能なのか

   ロシアによる軍事侵攻開始から1年になるのを前に、アメリカのバイデン大統領は20日、ウクライナを電撃訪問した。ホワイトハウスの公式サイトでは、「Statement from President Joe Biden on Travel to Kyiv, Ukraine」の見出しで、バイデン大統領とゼレンスキー大統領がいっしょにキーウのムィハイール大聖堂前を歩く姿の画像を掲載している=写真=。

   バイデン大統領は声明で、ウクライナの人々を空爆から守るため、砲弾や対装甲システム、空中監視レーダーなどの重要な装備を供与するとしている。また、ロシアに加担する人物や企業などへの追加制裁を今週末に行うと明言している。

   今回の電撃訪問は緻密に計算されていた。NHKニュースWeb版(21日付)によると、バイデン大統領は19日夜にポーランド南東部の街、ジェシュフに大統領専用機で到着したあと、車で国境に近い街、プシェミシルまで移動し、ここで列車に乗り換えてウクライナに入った。列車での移動は首都キーウに到着するまでおよそ10時間に及んだ。現地時間20日午前8時半すぎに、ゼレンスキー大統領が待つマリインスキー宮殿に到着。会談や共同発表を終えたバイデン大統領は午前11時19分に宮殿を離れ、キーウ中心部にあるムィハイール大聖堂を訪れ、その後、戦死したウクライナ兵士を追悼した。

   その後、正午ごろキーウにあるアメリカ大使館に到着。バイデン大統領は46分間、大使館にいたあと再び車に乗り、午後1時すぎに列車でキーウを離れた。滞在時間はおよそ5時間だった。こうした詳細はバイデン大統領がウクライナを離れたあと公開され、メディアも報じた。その理由は、ロシアからの攻撃を避けるためだろう。

           ここで思うのは、G7の首脳らは次々と戦地ウクライナを訪れて連帯を表明しいるのに、ことし議長国の日本の岸田総理は訪問をためらっているのか。岸田総理はすでに、侵攻から1年を迎える今月24日にG7首脳によるオンライン会議を議長国として開催し、ゼレンスキー大統領を招くことを明らかにしている。が、一度は現地に足を運ぶべきではないか。ただ、問題がある。

   上記のNHK記事のように、アメリカメディアはホワイトハウスとの取り決めで、バイデン大統領がウクライナを離れるまで沈黙を守った。では、日本のメディアは沈黙を守れるのだろうか。岸田総理の秘書官が今月3日に内閣記者会所属の各社記者とのオフレコ懇談(通称「オフ懇」)で語った「同性婚差別」問題を一部メディアが報じた。つまり、オフレコという取り決めは日本のメディアでは通用しない。このような状況では岸田総理のウクライナ電撃訪問などはムリではないだろうか。

⇒21日(火)夜・金沢の天気    くもり