★「コロッセオ」のような石川県立図書館 地域のシンボル

★「コロッセオ」のような石川県立図書館 地域のシンボル

           何かと石川県立図書館が話題になっている。先日も関西に在住する大学時代の友人が金沢にやってきて、リクエストで図書館を案内した。広い吹き抜けの空間に、何重にも円を描くように本棚が配置されている光景を見た友人の第一声が「古代ローマのコロッセオの雰囲気だね」と。コロッセオは円形格闘場と呼ばれ、自身もその言葉を聞いて、高校時代に学んだ「パンとサーカス」という言葉を思い出した。ローマ皇帝は、民衆から支持を得るため小麦を無料配り、演劇や格闘技を盛んに開いた。そのシンボルがコロッセオだった。

           図書館というとこれまで地味なイメージだったが、石川県立図書館のように地域のシンボルのような存在になるかもしれない。

   面白いのは形状だけでなく、従来の図書分類の枠を超えたコンセプトだ。吹き抜けに面して1階から上へと続く360度の円形書架には、12のテーマで7万冊の本が手に取りやすい形で並べられている。たとえば、「自分を表現する」という書架には、絵を描く、音楽を奏でる、写真を撮る、演じるといった芸術関連の本が並ぶ。それは芸術論ではなく、本を手に取って読むことで自らも表現してみたくなるような内容の本だ。司書が選りすぐった本なのだろう。ほかにも「暮らしを広げる」「文学にふれる」「仕事を考える」「体を動かす」などのテーマで本が並ぶ。また、分類別図書の本棚には30万冊が並ぶ。

   それにしても、これまでの県立図書館のイメージとはがらりと変わって「会話ができる図書館」で、おしゃべりができてスマホも使え、場所によっては飲食もできる空間だ。子どもエリアにアスレチック施設も併設されていて、休日には子ども連れの若いカップルの姿もよく見かける。

   円形劇場のような吹き抜け造りなので、東西を結ぶブリッジが閲覧席にもなっている。ここからは館内全体を見渡すことができ、書棚とイスはまるでアート空間だ。そして、館内のいたるところで、石川県内の著名な陶芸家や漆芸家か描いた作品がさりげなく展示されている。

   友人と訪れた日は、夏休みとあって館内に並ぶ閲覧席は宿題に取り組む小中学生や受験勉強の高校生らでいっぱいだった。そして驚いたことに観光バスできた団体客もいた。観光なので滞在時間は短いかもしれないが、図書館に観光客が訪れるという光景には友人だけでなく、自身もある意味で感動だった。 

⇒13日(日)夜・金沢の天気     はれ

☆旧盆墓参りとブッダのインド料理の話

☆旧盆墓参りとブッダのインド料理の話

   旧盆入りのきょう金沢市の南隣の野々市市と北隣の津幡町へ親戚の墓参に行ってきた=写真・上=。近隣であってもお盆の風習に違いがある。金沢市は7月中旬の新盆、野々市市と津幡町は旧盆での墓参りが多い。

   この時節いつも思うことだが、同じ墓参りでも金沢と能登・加賀では参り方に違いがある。金沢の場合は、墓所にキリコをつり下げる棒か紐がかけてあり、墓参した人は札キリコをかける。札キリコには浄土真宗の墓所ならば「南無阿弥陀仏」、曹洞宗ならば「南無釈迦牟尼仏」と書いて、裏の「進上」に墓参した人の名前を記す。この札キリコをつるすことで、その墓の持ち主は誰が墓参に訪れたのか分かる仕組みになっている。

    これに対し能登・加賀では、札キリコを持参する風習はないが、墓参りの後にその家を訪ねて仏壇にも合掌をする。直接顔を見せる能登・加賀と、名前を札キリコに書き置きする金沢の違いがある。むしろ、札キリコを持参する風習の金沢の方が独特のようだ。金沢での言い伝えでは、代々の加賀藩主の墓地に年寄衆や家老・若年寄らが札キリコを献上したことが、年月を経て庶民にも広まったとする説もある。武家文化の名残りなのだろうか。

   墓参りの帰り、インド料理の店に入った。初めての店だった。店内で流れるBGMはまるでお経の合唱のような、ゆったりとして荘厳な響きで、インドの民謡のような雰囲気だ。マトンカレーとプレーンナン、タドリーエビを注文。

   ふと壁を見ると、ブッダ(仏陀)のポスターが飾ってあった=写真・下=。従業員の許可を得て、写真を撮らせてもらった。インドで製作されたポスターで顔は女性のようなふっくらとした笑顔で描かれている。全体に光沢があり、美しく、じつにまばゆいポスターだ。「南無阿弥陀仏」と唱え、墓参りをした後だっただけに、ありがたい思いで料理を食べた。たわいもない話である。

⇒12日(土)午後・金沢の天気    はれ

★「非常に強い」台風7号 北陸など直撃横断か

★「非常に強い」台風7号 北陸など直撃横断か

   台風6号は朝鮮半島に進み、北上している。今月3日時点での進路予報では北陸を直撃かと身構えたが、その後、北西方向に舵を切った。で、台風6号はその後、どうなったのか。共同通信Web版(10日付)によると、北朝鮮の国営朝鮮中央テレビは10日夕、同日午前0時(日本時間同)から午後5時の間に東部の江原道高城で274ミリの降水量を記録するなど、台風の最接近を前に各地で大雨が降っていると報じている。

   また、台風に関連して、北朝鮮の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は10日、台風6号の接近に警戒を呼びかける記事で、故金日成主席と故金正日総書記の肖像画や銅像などを守る対策を取ることに「最優先の関心を払わなければならない」と強調した。記事では「わが党にとって人民の生命・安全よりも貴重なものはない」とも書いている(10日付・共同通信Web版)。

   そして、台風7号は北陸を直撃するようだ。「非常に強い」台風7号は、きょう11日午前9時には父島の東南東約90㌔を、ゆっくりした速さで北へ進んでいる。中心の気圧は940ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は45㍍、最大瞬間風速は65㍍で、中心から半径130㌔以内では風速25㍍以上の暴風となっている。15日から暴風が吹き、大荒れの天気となる恐れがある。盆休みのUターン移動の時期と重なり、新幹線や在来線、道路、空の便に影響が出る可能性も(11日付・日本気象協会「tenki.jp」)。

   台風と言えば、2019年10月13日、死者・行方不明者100人を出し、北陸新幹線120両を水没させた、あの台風19号が日本に近いづいてきたときが945ヘクトパスカルだった。北陸に住む自身にとっては、千曲川の堤防決壊で長野市にある新幹線車両センターの北陸新幹線の車両が水に浸かった画像はショックだった=写真・下=。

   ヘクトパスカルは気圧の単位で、中心気圧の数字が低くなるほど台風の勢いが強い。気象庁の統計資料によると、上陸時の中心気圧が最も低かったのは、1961年9月に死者・行方不明者200人余りを出した「第二室戸台風」の925ヘクトパスカルだった。ヘクトパスカルは台風の勢いの判断基準でもある。自身も970-960だと気象情報や台風進路が気になり、950を下回ると学校は休校、仕事も休みになるケースがある。今回の台風7号は940ヘクトパスカルで近づいてくる。北陸は直撃コースなのか。

⇒11日(金)午後・金沢の天気    はれ

☆星稜、逆転ならず 「石川の夏」終わる

☆星稜、逆転ならず 「石川の夏」終わる

   きょう午後の予想最高気温は39度、さきほどNHKニュースで報じていた。山越えの風が吹き下ろすフェーン現象の影響で気温が上昇し、能登の羽咋市と加賀の小松市ではすでに午前11時で最高気温が38.7度を観測し、40度に迫っている。金沢では去年9月6日に記録した観測史上1位の38.5度を上回り、まさに経験したことのないような暑さとなる。気象庁は石川県内に10日連続で熱中症警戒アラートを発表している。(※写真はきょう正午過ぎに自宅前で撮影。手前の樹木は五葉松)

   夏の甲子園で熱戦が続いているが、やはり気になるのは酷暑だ。高野連は暑さ対策として今大会から五回終了後に選手が体を冷やしたり、水分を補給する10分間の「クーリングタイム」を導入した。これが禍いとなることもあったようだ。新聞メディアの報道によると、6日の開幕試合で、いきなりのアクシデントがあった。第1試合の土浦日大(茨城)対上田西(長野)。六回裏の上田西の攻撃が終了した直後、土浦日大の選手がグラウンドに倒れ込み、そのまま担架で運ばれた。選手の体温は45度くらいあった。この選手を含め、第2試合までに熱中症の疑いで処置を受けた選手は6選手に上った。六回以降が多く、クーリングタイムで体を冷やして再び灼熱のマウンドに出たタイミングだった。救護室や病院への搬送はなかった。

    甲子園に4度出場、高校通算60本塁打の実績がある松井秀喜氏はスポーツ報知Web版(7月25日付)で、夏の甲子園大会の改革について述べている。以下、引用。「高校野球も時代の変化とともに変わった方が良いと思います。真夏の酷暑の中で連日、試合をやったら体への負担は避けられません」「夏の甲子園は前半、後半のような2部制にすれば負担は軽減されるのではと感じます」「夏休みいっぱいを使って、甲子園大会をやってもいいのではとも思います。高校生の体はまだ成長過程ですから、守ってあげないといけません」

   松井氏の2部制は、酷暑の中での過密日程は選手の大きな負担になっているとして、試合を前半と後半で期間を分ける2部制にしたらどうか、というもの。とくに、負担が大きい投手に配慮しないといけないと述べている。

   また、石川県の馳知事は、7月27日に行われた高校野球石川大会の決勝戦は暑さがピークに達した午後0時半に始まり、最高気温34.8度だったことから、「決勝戦の時間帯はおかしいと思います。午後0時30分にプレイボールというのは、私は健康の観点からやはり配慮があってもよいという意味で、おかしいと思います」と記者会見(同月28日)で苦言を呈した。高野連はことしから「クーリングタイム」の導入など行っているが、まだまだ改革の予知はありそうだ。

   そして、石川代表の金沢星稜高校がきょう午後、長崎の創成館高校と対戦し、NHKで視聴した。星稜は2年連続22回目の出場。星稜は先発した武内投手(3年)が5四球と制球に苦しみ序盤で6失点。九回に武内の2ランで3点差に迫ったが「夢の大逆転」は起こらず。「石川の夏」は終わった。(※写真・下は、九回表で2ランを放った星稜の武内選手=NHK中継番組より)

⇒10日(木)午後・金沢の天気    はれ

★デフレからインフレへ 日本経済の新たなステージへ

★デフレからインフレへ 日本経済の新たなステージへ

    自宅近くのガソリンスタンドの会員価格が1㍑181円(一般価格183円)となった=写真=。これまでの最高価格ではないだろうか。この店では先月31日に会員価格177円だったので、10日間で4円の値上げだ。政府は石油の元売り会社に支給している補助金を徐々にカットしていて、9月には補助金がなくなる言われているので、さらに高くなる。ガソリンだけでなく、物価が全体的に上がり出している。インフレの時代に突入か。

   日銀は先月28日の金融政策決定会合で10年来続けてきた「異次元緩和」を柔軟にすると決めた。長短金利の操作(イールドカーブ・コントロール)で長期金利を「0.5%程度」としてきたが、1.0%へと事実上、引き上げることに修正した。少々、違和感を感じたのが、「消費者物価指数の前年比上昇率の実績値が安定的に2%を超えるまで拡大方針を継続します」との発言だった。庶民感覚ではすでに「2%」は超えている。日銀と庶民の物価に関する感じ方に乖離があるのではないか。もちろん、日銀は政策決定会合なので何か政策的な裏読みもあるのではと考えてしまう。

   賃金は今後さらに上がるのか。厚労省の審議会は先月28日に今年度の最低賃金を目安を全国平均で現在の961円から41円上げて、時給1002円にすると決めている。今後は各都道府県の審議会がそれぞれの地域の実額を決めていくことになるが、石川県の場合は42円アップして、最低賃金は933円となる。最低賃金の上昇は喜ばしいことだが、国際的なレベルではどうなのか。

   たとえば隣国の韓国。JETRO公式サイト「韓国の賃金水準、日本並みに」(2022年9月5日付)によると、2023年の韓国の最低賃金は前年比5.0%増の9620ウォン(約1010円)にすることが決定されている。他方、日本の最低賃金時間額は全国加重平均で、2021年度(2021年10月~2022年9月)930円、2022年度は961円で、既に韓国が日本を上回っている。これは、バブル経済の崩壊後に長年に及んだ日本のデフレの後遺症ではないだろうか。

   話は横に逸れたが、内閣府は先月20日、2024年度の名目国内総生産(GDP)の見通しを「601.3兆円」と発表した。物価が上がり出したことで、名目GDPが押し上げられる。日本経済は長期にわたるデフレ不況を克服し、インフレの下で新たな成長に向いつつある。当然、経済活動に伴う賃金も上がる。「600兆円の経済」が動き出す。

⇒9日(水)夜・金沢の天気  はれ

☆「ビジネスと人権」 問われるテレビメディア

☆「ビジネスと人権」 問われるテレビメディア

   きょう「8月8日」は二十四節気の「立秋」にあたる。暑い盛りではあるが、秋の気配がほのかに見えるころだ。これ以降は夏の名残りの「残暑」と表現することになる。とは言うものの、この強烈な暑さには参ってしまう。きょうの金沢の予報は最低気温27度、最高気温が35度。同じ日本海側の新潟県糸魚川では、なんと午前3時34分に観測した最低気温31.2度だった(8日付・日本気象協会「tenki.jp」)。日中も日本海側では40度に迫るような危険な暑さとなるところもあるようだ。立秋とは名ばかり。

   前回のブログの続き。各国の人権を巡る状況を調査する国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会の専門家チーム(2人)が日本での調査を終え、今月4日に記者会見を行った。その中で、コンプライアンス体制の整備に「透明な苦情処理メカニズムを確保することが必要」と求めている。その典型的な事例として、故ジャニー喜多川氏の性加害問題は2003年の東京高裁の判決で「性加害がある」と認定されていたにも関わらず、この事実を知りながら一切伝えてこなかったメディア業界、とくにテレビ、ラジオ、新聞、雑誌は「その罪は大きい」と指摘した点だった。

   たとえば、フジテレビのリアリティ番組『テラスハウス』(2020年5月19日放送)に出演していた女子プロレスラーがSNSの誹謗中傷を苦に自死した事件(同5月23日)はまさにテレビメディアのコプライアンスが問われた典型的な事例ではないだろう。

   問題のシーンは、シェアハウスの同居人の男性が女子プロレスラーが大切にしていたコスチュームを勝手に洗って乾燥機に入れて縮ませたとして、「ふざけた帽子かぶってんじゃねえよ」と怒鳴り、男性の帽子をとって投げ捨てる場面だ。放送より先に3月31 日に動画配信「Netflix」で流され、SNS上で炎上した。この日、女子プロレスラーは自傷行為に及んだ。ところが、5月19日の地上波放送では、問題のシーンをカットすることなくそのまま流した。これが、SNS炎上をさらに煽ることになり、4日後に自ら命を絶った。

   リアリティ番組は出演者のありのままの言動や感情を表現し、共感や反感を呼ぶことで視聴者の関心をひきつけ、番組のSNSアカウントにフォロワーの獲得数としてそのまま数字として表れる。視聴率に代わる評価指標のバロメーターだ。番組の制作スタッフはここを狙っていたのだろう。つまり、ツートされたコメントの内容より、コメント数の多さにこだわった。なので、問題のシーンをあえてカットせずそのまま地上波放送で流したのではないだろうか。出演者の人権より番組ありきのテレビメディアの姿勢が浮かび上がった事件だった。

   事件がきっかけで、ネット上などで公然と人を侮辱した行為に適用される侮辱罪は、「1年以下の懲役・禁錮」と「30万円以下の罰金」が加えられて厳罰化された。しかし、視聴率やコメント数などにこだわるテレビメディアの姿勢は変わっただろうか。

(※写真は2020年5月23日付のイギリスBBCニュースWeb版で掲載された女子プロレスラーの死をめぐる記事から)

⇒8日(火)午前・金沢の天気    はれ時々くもり

★国連に届いた性加害問題 芸能界とメディアはどう対応

★国連に届いた性加害問題 芸能界とメディアはどう対応

   日本のメディアの問題点は国内で語られることが多かった。それが国連機関によって指摘されるとは意外だった。各国の人権を巡る状況を調査する国連人権理事会の「ビジネスと人権」作業部会の専門家チーム(2人)は7月24日から8月4日にわたり、日本を公式訪問した。チームは東京や大阪、愛知、北海道、福島などを訪れ、省庁や地方自治体、市民団体、労働組合、人権活動家、企業、業界団体代表などと会談し、政府と企業が人権上の義務と責任にどう取り組んでいるかを聞き取りした。また、ジャニーズ事務所の創設者である故ジャニー喜多川氏の性加害問題についても被害者から聞き取りを行った。

   最終日の4日に日本記者クラブで記者会見した。以下、会見で印象的だった内容をいくつか。その一つが、「声明文」として出したコメントの中で、日本のエンターテインメント業界に「性的な暴力やハラスメントを不問に付す文化」があるとの言及した点だった。「文化」とまで言い切った声明文なので、相当の物証や根拠があったということだろう。確かに、「知ってはいるけど、関わらない」と見て見ぬふりする文化がある。

   そして、コンプライアンス体制の整備に「透明な苦情処理メカニズムを確保することが必要」と求めている。故ジャニー喜多川氏の性加害問題は2003年の東京高裁の判決で「性加害がある」と認定されている。この事実を知りながら一切伝えてこなかったメディア業界、とくにテレビ、ラジオ、新聞、雑誌は「その罪は大きい」と指摘されても当然だろう。

   作業部会の専門家チームは、2024年6月に国連人権理に報告書を提出すると伝えられているので、それまでにメディア各社は「透明性のある対応」と向き合っていくことで必要だ。たとえば、問題として指摘があった故ジャニー喜多川氏の性加害問題についてのメディアの責任と、経営者の受け止めについてまとめた文書を専門家チームに送付したほうがよいのではないか。

   専門家チームの記者会見後に、「ジャニーズ性加害問題当事者の会」のメンバー7人も会見を行い、タレント数百人が性的搾取と虐待に巻き込まれる深く憂慮すべき疑惑が明らかになった。彼らの訴えが芸能界の体質を大きく変え、メディアの体質も変える「最後のチャンス」なのかもしれない。(※記事の作成にあたっては、「月刊ニューメディア」編集部・出版局長の吉井勇氏からいただたメールマガジンを一部引用)

(※画は、バチカン美術館のシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの天井壁画『最後の審判』=撮影:2006年1月)

☆磨かれた禅の永平寺 掃除修行の雲水が減るとどうなる

☆磨かれた禅の永平寺 掃除修行の雲水が減るとどうなる

   20年前の2003年12月に家族で福井県の永平寺を訪れた。寺院の建物「伽藍(がらん)」をガイドしてくれた雲水の説明に「寝るのも修行、食べるのも修行、掃除も修行」との言葉があった。そこで、スリッパを履き忘れていた息子の白い靴下をチェックしてみると、確かに汚れはまったくなかった。雲水はあの長い伽藍の廊下を毎日のように掃除して清め、それが修行へと気持ちを昇華させているのだと教えられたことを覚えている。

   その永平寺を久しぶりに見学に訪れた(今月3日)。寛元2年(1244)に道元によって開かれた坐禅修行の道場というだけあって、凛としたたたずまいと風格が漂う。これ以上の言葉ではなかなか言い表すことができない。「七堂伽藍」をめぐるだけでも相当に時間がかかる。すると、木魚の音と読経が聞こえてきた。「祠堂殿(しどうでん)」に向かうと、法要が営まれていた。祠堂殿では宗派を問わず、一般の家々の納骨や供養などの法要が毎日営まれているという。7人の僧がときに立ち上がり、動きのある読経だ。これを見た人の中には、「納骨の法要は永平寺で」と遺言を残す人も多いかもしれない。

   それにしも七堂伽藍のほか相当数の建物がある。冒頭で述べた廻廊の雑巾がけなどの「作務」は、修行の一つとはいえ、これだけ数多くの建物群で毎日こなせるのかどうか。作務をこなすには雲水の人数が相当必要なのではないか。そこで、永平寺門前観光協会の事務局に尋ねた。現在130人の雲水が修行をしていて、中には数人の外国人もいる。女性はいない。雲水の人数は減っていて、5、6年前までは200人の雲水がいた。理由を尋ねると、「お寺も少子化なんですよ」と。

   以下は憶測だ。雲水の多くは曹洞宗の寺の跡継ぎではないだろうか。日本創成会議(座長・増田寛也元岩手県知事)が2014年に発表したリポート「消滅可能性都市」では、2040年の段階で49.8%の自治体が消滅するという。地方の自治体が減っていくとなれば、全国に1万4200の曹洞宗の寺院も人口減少で減っていくと推測できる。永平寺の雲水の人数も今後さらに減っていくのでないか。七堂伽藍ほか広大な寺院施設の雑巾がけはいまも大変だ。そうなると、雲水の人数が先細る中で永平寺の作務はこれからどうなるのか。ふと考えてしまった。

⇒6日(日)夜・金沢の天気   くもり

★植栽帯をコンクリートに ビッグモーターここまでやるか

★植栽帯をコンクリートに ビッグモーターここまでやるか

   中古車販売大手「ビッグモーター」の前方の植栽帯がコンクリ-トで覆われていると石川県の地元メディアがニュースで取り上げていたので、きのう4日、現地を見に行ってきた。場所は石川県かほく市にある「イオンモールかほく」の広大敷地の一角。確かに、他のショッピング施設の歩道と車道側にある植栽帯にはさまざまな樹木が植わっているが、ビッグモーターだけはコンクリートが盛られていた=写真=。距離にして100㍍ほどあるだろうか。

   この風景を見て、浮かんだのは「ズルイ」という言葉だった。簡単に言えば、コンクリート化された植栽帯側の駐車スペースには販売用の中古車がずらりと並べてあり、歩道と車道からは実によく見える。100㍍の展示コーナーとして活用しているのだ。

   報道によると、植栽部分はイオンモールかほくが進出した2008年から、イオンが環境整備の一環で植樹を進めてきた。その植栽が撤去された上、コンクリ-ト化されているのだ。

   ただ、疑問に思う点もある。すぐ近くには環状道路、つまり幹線が走っていて、通行量も多い。ビッグモーターはある意味でイオンモールの入り口の一つに位置する。このような重要なポイントなのに、これまで、イオン側はコンクリート化に気が付かなかったのだろうか。黙って見過ごしていたという訳ではないだろう。あるいは、私有地なのでテナント店には厳しく言えなかったのか。そこらあたり解せない。

   これまでニュースになっている全国のビッグモーターの事例をチェックすると、複数の店舗で道路の一部である街路樹が不自然に枯れていたり、植栽がなくなっていて、国土交通省などが調査している。かほく市のケースでも、管理会社「イオンリテール」が不正な対応が認められた場合には法的な措置も含めて対応するとしている。

⇒5日(土)夕・金沢の天気     はれ

☆ヒロシマ78年目の夏 日本とアメリカの意識の隔たり

☆ヒロシマ78年目の夏 日本とアメリカの意識の隔たり

   前回ブログの続き。原子爆弾を開発するマンハッタン計画の中心人物だったオッペンハイマーは、原爆投下による広島と長崎の惨状を知った後に次なる水素爆弾の開発には反対した。科学者の罪悪感だったのだろう。当時、マンハッタン計画に関わった科学者の中には核軍縮の熱心な活動家になった人物も多くいた。オッペンハイマーも活動に参加していた。

   戦後間もなく風向きが変わる。アメリカとソビエトを中心とする「米ソ冷戦」時代に突入する。そして、アメリカでは共産党シンパを摘発し、公職などから追放する、いわゆる「赤狩り(red purge)」が社会運動にもなり、水爆に反対していたオッペンハイマーも巻き込まれる。そして、妻や実弟が共産党員だったこと、そしてオッペンハイマー自身も共産党系の集会に参加したことからソ連のスパイ疑惑が取り沙汰され、1954年4月、アメリカの原子力委員会(AEC)はセキュリティークリアランスの剥奪処分、つまり国家機密に関わる資格を剥奪した。この処分により、休職処分、事実上の公職追放となった。そして、私生活もFBIの監視下にあった。1967年2月、喉頭がんのため62歳で死去する。

   オッペンハイマーの名誉が回復したのは68年後の2022年12月16日だった。アメリカのエネルギー省のグランホルム長官は、公職から追放した1954年の処分は「偏見に基づく不公正な手続きだった」として取り消したと発表した。処分撤回の理由は「歴史の記録を正す責任がある」との説明だった。実際、スパイ行為は確認されていない(2022年12月17日付・共同通信Web版)。当時の原子力委員会は統合などを経て、1977年にエネルギー省に統一されている。

   ネットなどで調べると、オッペンハイマーは1960年9月に来日している。日本人科学者の追悼に訪れ、東京で記者会見した。「マンハッタン計画に参加した一人として私は日本に原爆が落とさたことを深く悲しんではいるが、この原爆生産計画の技術的成功について責任者の地位にあったことは後悔していない」と述べた。広島には立ち寄っていない(中國新聞ヒロシマ平和メディアセンター「ヒロシマの記録」Web版)。

   原爆投下に関する歴史認識には、日本とアメリカでいまだに隔たりがある。アメリカでは「原爆投下によって戦争を終えることができた」と正当化する意識がいまも強い。アメリカの世論調査機関「ピュー・リサーチセンター」の調査(2015年)では、65歳以上の70%が「正当だった」と答え、18歳から29歳の若者も「正当だった」との答えは47%だった(2020年8月21日付・ロイター通信Web版日本語)。2016年5月28日、当時のアメリカ大統領のオバマ氏は歴代大統領として初めて広島の原爆死没者慰霊碑を訪れて献花した。アメリカ国内の反対世論を意識して、「謝罪はしない」と事前に公言していた。

   アメリカ人の感性で制作された、この映画『オッペンハイマー』は果たして日本で上映できるだろうか。広島・長崎への原爆投下の映像はないようだが、仮に上映されるとなれば、かなり議論を呼ぶに違いない。あさって8月6日は広島原爆投下から78年となる。

(※写真は、2016年5月28日、オバマ大統領が安倍総理とともに原爆慰霊碑で献花=外務省公式サイト「オバマ米国大統領の広島訪問」より)

⇒4日(金)夜・金沢の天気     はれ