☆能登半島地震 山沿いで液状化現象のがけ崩れ住宅倒壊
元旦の能登半島地震では震源地から100㌔以上も離れている金沢市、そして隣接する内灘町でも住宅被害(全半壊・一部破損)が出ている。震度5強だった金沢市ではがけ崩れなどで4247棟、震度5弱だった内灘町では液状化現象などで1469棟に被害が及んでいる(石川県危機管理監室まとめ・2月9日現在)。
今回の地震で金沢市内も混乱した。JR金沢駅では改札口が大渋滞となり、コンコース中央部の天井から水がしたたり落ちて構内は一時封鎖された。海沿いに近い県庁舎には津波から避難する大勢の市民が建物に駆け込んだ。初詣でにぎわっていた市内の神社では参拝客が混乱した。市内のマンションでは火災ベルの発報が多発し、エレベーターが止まった。金沢城の石垣の一部が崩落し、兼六園の石灯籠も崩れた。元日の県都金沢は大混乱に陥った。
そして、金沢大学の近くにある山手の住宅街でがけ崩れがあり、民家4軒が道路ごと崩れ落ちた。断続的に揺れが続いたことから、周辺の32世帯に避難指示を出していた。がけ崩れの現場を再び現場を訪れた。
現場では、土嚢(どのう)を積むなどの応急工事が行われていた=写真=。避難指示は10日に解除になっていた。崩れ落ちた民家の一部では解体作業が行われていた。現場を眺めているシニアの女性がいた。この付近に40年余り住んでいるという。「このあたりで30年前にも大雨で土砂崩れがあって、2度目なんですよ」と。
土砂災害に詳しい東京農工大学のチームの現地調査(1月3日)では、1600平方㍍の斜面が崩壊し、全壊した4棟のうち3棟が10㍍から20㍍西へ移動していた。地盤を調べたところ、大きさがほぼ均一の細かい砂地でできていて、斜面に設置された排水管からは地下水が流れ続けていた。このため、地下水を含んだ砂地に地震の揺れが加わったことで地盤が液体状になる液状化現象が起き、崩落したとみられる(1月6日付・NHKニュースWeb版)。
この記事はたまたまネットで見つけたものだが、上記の女性の言葉と妙に一致している。液状化現象というリスクは内灘町で起きた湖畔の災害だけでなく(1月9日付・ブログ)、山沿いでも起きるのだと理解した。それにしても、30年前の液状化現象によるがけ崩れが教訓として活かされていなかったのだろうか。復旧工事を行ったのは宅地開発業者だったのか、あるいは行政だったのか。市民の一人として疑問の目を向けてしまう。
⇒13日(火)夜・金沢の天気 はれ
き場に行ってみると、ソファやベッドなどの家具、家電など10種類のコーナーがあり、市民が持ち込むことができるようになっている。写真は1ヵ所だけを撮影したもので、この数十倍に廃棄場所は広がっていて、相当なごみの量だった。
県では17市町で5万棟が全半壊、部分損壊したと推計し、うち2万2000棟の解体が必要になると仮定して災害廃棄物の発生量を見積もった。解体・撤去は所有者の申請に基づき市町が行い、公費での解体の対象となるのは「全壊」「半壊」と認定された建物。個人で業者に依頼して解体した場合も公費負担にできるケースもあるという。県では2025年度末までに処理を完了する目標を掲げている。
大陸に面した半島北側の外浦(そとうら)は冬場の荒波で知られるが、漁港の倉庫に当たるほどの波ではない。そもそも、この地域では津波が起こらないと言われていた。なので、沿岸部の人たちは「津波は3分でやってくる」と恐れ始めた。以下憶測だ。北陸電力の志賀原発=写真=は志賀町赤住の海岸べりに位置している。地域の人たちの中には、「津波への備えは大丈夫か」と危惧する向きも出始めているのではないだろうか。
この冬の季節のノリを「寒ノリ」と言って、能登の海沿いの家々では、波が穏やかな天気を見計らって海岸の岩場に出かける。手で摘み、竹かごに入れて塩分を洗い流して水切りした後、自宅の軒下などで竹かごの上に乗せて陰干しする。干しかごが並ぶ様子は季節の風物詩でもある。
近くに住む人に話を聴くと、冬場に入った12月末まではノリがよく採れたそうだ。しかし、元旦の地震以降は誰も海岸には近寄ろうとはしない。それは、「津波は3分後に来る」という恐怖を今回の地震で共有したからだ、という。
1321年に開創された総持寺は曹洞宗の禅の修行寺として知られ、末寺は1万6千余を数える。1898年、明治の大火で七堂伽藍の大部分を焼失。これを契機に1910年、布教伝道の中心は横浜市鶴見区に移る。能登の総持寺は「祖院」と改称され別院扱いとなった。その後の再建で山門や仏殿などがよみがえり、周囲の山水古木と調和して大本山の面影をしのばせる(総持寺パンフ)。
円を集め、14年の歳月をかけて再建。開創700年に当たる2021年4月には落慶法要も営まれた。また、輪島市とともに復興を宣言し、観光誘客も順調に進んでいた。そして、2024年元旦に震度7の揺れに見舞われた。
行ってみると港には刺し網漁船や底引き網漁船などが肩を寄せ合うように停泊していた=写真・上=。冬場はタラやブリ、ズワイガニなどの水揚げでにぎわうのだが、静まり返っている。漁港の様子を見にきていた近くの輪島前町の漁師がいたので聞くと、海底が隆起して水深が足りないので船が出せないのだという。実際、港内で漁船2隻が座礁していた。
県農林水産部などの調査によると、漁港の海底の隆起は1㍍から1.5㍍ほど。もともと日本海側は満潮干潮の潮位の変動は少なく、1年を通じても50㌢から60㌢ほど。なので、日本海側の漁港では干潮を見込んでの深めの水深を設定しておらず、3㍍から4㍍のところが多い。そこに1㍍から1.5㍍ほどの海底の隆起となると船底がつかえる漁船が出てしまう。
その火災の様子をNHK中継番組で視聴していた=写真・上=。なぜこんなに燃える広がるか少々疑問に思った。元旦だったので、消防士の人数が不足していて消火活動が十分にできないのかといぶかった。その後、消火栓が断水で使用できず火災が広がったと報じられていた。そのときも、それなら朝市通りは海岸に近いので海の水をポンプでくみ上げて消火に使えばよかったのではと、またいぶかった。ところが、津波警報が出ていて、海に近づくことすらできなかったとことも後で理解した。さらに、朝市通りの近くを流れる河原田川も地震による地盤の隆起で当時は干し上がった状態になっていたようだ(2月1日付・NHKWeb特集)。
いろいろな悪条件が重なって焦土と化した朝市通り周辺に行った(今月5日)=写真・下=。1ヵ月以上経ってはいるものの、焼けごげた臭いがした。トラロープの結界を超えて、朝市通りに入ると懐かしさもこみ上げてきた。おばさんたちの「買うてくだぁー」「買うてくだぁー」の呼び声があちらこちらから響いてくるようだ。海の幸と山の幸の物々交換がルーツとされ、千年の歴史を有する輪島朝市。確かここには蒸しアワビを売るおばさんのテントの店があった。1個1万2千円の「蒸しアワビ」(120㌘)を思い切って買った、6年前のことを思い出した。
震度7を記録した能登半島の西端の志賀町香能(かのう)地区は小高い山の中にある=写真・上=。周囲にはレストランや牧場もあり、民家も点在している。外見を見る限り、建物の倒壊や屋根のめくれなどの被害もなく、道路などでの地割れも見られなかった。むしろ、香能から5㌔ほど離れ、震度6弱の揺れに見舞われた富来領家(とぎりょうけ)地区の方が被害は甚大と感じた=写真・中=。海沿いの平地で家並みが続く。両地点のこの違いは地盤の固さによるものなのか。富来領家地区のすぐそばには富来川が流れていて、地盤が柔らかかったことが被害拡大の要因なのだろうか。
その富来領家地区では、仮設住宅の建設が進んでいた=写真・下=。いわゆる「トレーラーハウス」で、説明書を見ると、高さ4㍍、幅11㍍、奥行き3.4㍍、広さ37平方㍍の1LDKだ。浴室やトイレのほか、キッチンやエアコンも備え付けられている。水道などが整えば、早ければ今月下旬ごろ入居が可能になるようだ。
り上げる「みなし仮設住宅」を3800戸、県内の公営住宅800戸、県外(富山、愛知両県や大阪府など)の公営住宅8000戸の計1万5600戸を3月末までに確保すると発表している。
この目で確かめたかったこと、それは珠洲市で開催された奥能登国際芸術祭の作品だった。金沢市在住のアーティスト山本基氏の作品『記憶への回廊』(2021年制作)=写真・上=が倒壊したとメディア各社が報道していた。作品がある場所は、旧・保育所の施設。真っ青に塗装された壁、廊下、天井にドローイング(線画)が描かれ、活気と静謐(せいひつ)が交錯するような空間が演出されている。遊戯場には塩を素材にした立体アートが据えられ、天空への階段のようなイメージだ。途中で壊れたように見える部分は作者が意図的に初めから崩したもので、地震によるものではない。作品には10㌧もの塩が使われている。2023年5月5日に起きた震度6強の揺れには耐えたが、今回の地震では塩の作品が崩れたという(※写真は2022年8月23日に撮影)。
塩田千春氏(日本/ドイツ)の作品『時を運ぶ船』=写真・下=は芸術祭の公式ガイドブックの表紙を飾るなどシンボル的な作品だ。この作品は2017年の第1回芸術祭で制作された。赤い毛糸は強烈なイメージで、作品を観賞するたびに人間の本能をくすぐるような感動を覚える。この作品は無事だったようだ(※写真は2023年8月23日に撮影)。
志賀町の全壊・半壊など家屋被害は4900棟におよび、その多くがこの富来地区での家屋だった。増穂浦海岸は、さくら貝が流れ着く観光名所として知られる。8月になれば30基の奉灯キリコが威勢よく担がれ冨木八朔祭礼が行われる。町の中を歩くと、本祭りで神輿が集う住吉神社の鳥居が砕け落ちていた=写真・上=。2007年3月25日の能登半島地震は震度7クラスの揺れだったが、石灯ろうが倒れるくらいで済んだ。しかし、今回倒壊した鳥居を見ると相当な揺れだったことが分かる。全壊の家も数多く、全壊は免れても窓ガラスが割れたり、屋根の瓦が崩れ落ちたりしている家は相当な数にのぼる。
察するため現地を訪れた。当地でのヒナの誕生は2年連続だった。気になるというのも、コウノトリの巣が地震で落ちたり、壊れたりしているのではないかと思ったからだ。