☆北朝鮮の弾道ミサイル ようやく日米韓で情報共有

☆北朝鮮の弾道ミサイル ようやく日米韓で情報共有

   この季節になると、「JPCZ」という言葉を天気予報でよく聞く。シベリアから寒気団が日本海に向かって流れてくる際に朝鮮半島北部の白頭山によって、いったん二分されるが、その風下で再び合流し、雪雲が発達しやすい収束帯(ライン)となって北陸地方などになだれ込んでくる。それをJPCZ(Japan sea Polar air mass Convergence Zone)、日本海寒帯気団収束帯と言う。JPCZを印象付けたのは2017年12月17日に降った大雪。金沢市内で積雪が30㌢に達した。

   きょうそのJPCZと同様の雲域が日本海に現れているようだ(12日付・日本気象協会「tenki.jp」)。今回は寒気レベルでは平地で降雪になることはないものの、北陸地方では断続的に雨の降り方が強まり、短時間強雨や土砂災害、落雷や竜巻などの激しい突風が起きるとの予報だ。

   北陸に住んでいると、政治的なJPCZにも敏感になる。北朝鮮が日本海に撃ち落す弾道ミサイルだ。北朝鮮はことし6月15日に2発の弾道ミサイルを挑戦半島の西岸付近から発射、能登半島の尖端の輪島市の舳倉(へぐら)島の北北西およそ250㌔、日本のEEZ内側の日本海に着弾させている。2017年3月6日にも北朝鮮は「スカッドER」とされる中距離弾道ミサイル弾道を4発を発射し、そのうちの1発を輪島市から北200㌔㍍の海上に落下させている。(※写真は、2022年3月24日に北朝鮮が打ち上げたICBM「火星17型」=同月25日付・労働新聞Web版)

   この政治的なJPCZに対応する動きがようやく動き出した。共同通信Web版(12日付)によると、木原防衛大臣はきょう、韓国訪問中のアメリカのオースティン国防長官、韓国の申国防相とテレビ会談し、北朝鮮が発射する弾道ミサイル情報を3ヵ国が即時共有するシステムについて、年内の運用開始に向けた調整を加速する方針で一致した。

   ミサイル情報は日米、米韓の間では即時共有してきたが、日韓間はシステムがつながっておらず、事後的な共有にとどまっている。3ヵ国の情報共有は、ミサイルの性能や軌道の正確で迅速な把握につながる。防衛省によると、ことし8月に試験を行い、技術面では共有できることを確認している。

   日本海に発生した低気圧が急速に発達し、気圧が低下することで大荒れになる天候を「爆弾低気圧」と呼んでいる。北朝鮮の爆弾低気圧をなんとか防いでほしいと願うばかりだ。

⇒12日(日)夜・金沢の天気     あめ

★待ってたズワイガニ初物 「蟹-1グランプリ」300万円

★待ってたズワイガニ初物 「蟹-1グランプリ」300万円

   今月6日にズワイガニ漁が解禁だったが、海が大しけで漁獲は遅れて8日から始まり、きのう9日夜に金沢港などで初競りが行われた。この初競りは毎年ニュースになる。各漁船が選んだカニの最高価格を競う「蟹-1(かにわん)グランプリ」では、重さ1.52㌔、甲羅幅15.9㌢の雄の「加能ガニ」が最高級ブランド「輝(かがやき)」に選ばれ、300万円で競り落とされた。雌の「香箱ガニ」の最高級ブランド「輝姫(かがやきひめ)」は甲羅幅9.9㌢のものが7万円で落札された。きょうも朝から地元のテレビ・新聞メディアは、ようやく訪れたズワイガニの話題で盛り上がっている。

   きょう午前中、金沢の台所でもある近江町市場に行ってきた。ズワイガニの初物が並ぶとあって、鮮魚店の店先では店員の威勢のよいかけ声が響いていた。店先をいくつか回って値札を見る。加能ガニはサイズによって1杯2000円から2万7000円が相場=写真・上=、香箱ガニは1杯800円から3500円ほどだ。去年も初物を見に行ったが、去年並みの価格だろうか。

   店先に並んでいるものでもっとも高かったのは、重さ1.42㌔、甲羅幅14.9㌢の加能ガニで7万5000円=写真・下=。グランプリに輝いたものに比べ、サイズ的に重さで100㌘、甲羅幅で1㌢それぞれ足りない。それで、300万円と7万5000円の価格差になるとは、ズワイガニの世界もなかなか厳しいものがある。とは言え、きょうは初物なので、買い手も売り手も気持ちが盛り上がっていて高値だが、あすから徐々に値下がりして庶民価格に落ち着いていく。それが「カニ相場」というものだ。

   鮮魚売り場の一角で人だかりができていた。「この場で食べれます」「すぐ食べられます」との看板が掛かっている。香箱ガニの身をほどいて甲羅にまとめて入れた「カニ面」や、生ガキがこの場で食べることができる。鮮魚店の店頭での立ち食いなのだが、鮮度の高いカニやカキ、エビなどが食べられる=写真・下=。ちなみに、品代はカニ面が高いもので1個1800円、生ガキ1個1000円だ。市場の雰囲気がモチベーションを高めるのか、隣にいた数人の男性グループは「サイコー」「サイコー」と言い合いながら、次々注文していた。

⇒10日(金)夜・金沢の天気   あめ

☆金沢の紅葉はアメリカ楓と兼六園、そして隠れた名所

☆金沢の紅葉はアメリカ楓と兼六園、そして隠れた名所

   きょうは雲一つない秋晴れの空だった。朝は冷えていたものの、日中の気温は25度と夏日。前回ブログの続き。兼六園で雪吊りが始まるころに、紅葉の色どりを見せてくれる場所がいくつかある。

   金沢市役所近くにある「しいのき迎賓館」(旧県庁)と「四高記念館」に挟まれた通りで、「アメリカ楓(ふう)通り」と呼ばれている。紅葉が青空に映えてこの季節の人気スポットだ。樹木のアメリカ楓は別名で、正式には「モミジバフウ」。原産地がアメリカだったことからアメリカ楓と呼ばれている。空を見上げると赤と青のコントラスが目に映える=写真・上=。

   兼六園にも「紅葉山」とも称される名所がある。本来の名称は「山崎山」。高さ9㍍ほどの、いわゆる築山(つきやま)、造られた山だ。雪吊りの唐崎松の雰囲気とはまったく異なる景色で、カエデやトチノキなどが赤や黄に色づいている=写真・中=。山頂にある茅葺き屋根の四阿(あずまや)からは兼六園の紅葉、そして雪吊りを見渡すことができる。

   この時季の紅葉の隠れた名所もある。金沢大学角間キャンパスだ。中山間地にあるキャンパスで、この時季は晩秋と初冬を告げる天候が入り混じる。キャンパスの回廊から見える紅葉の風景だ=写真・下=。木々はゆっくりと紅葉していくが、山間だけにその紅葉を追い立てるかのように風も吹き、冷たい雨も降る。紅葉と冬の訪れを同時に感じさせる、季節のスクランブルが楽しめるスポットだ。

⇒9日(木)夜・金沢の天気    はれ

★きょう立冬 冬の訪れ告げる兼六園の雪吊りとカニ

★きょう立冬 冬の訪れ告げる兼六園の雪吊りとカニ

   きょう8日は二十四節気の「立冬」にあたる。冬の気配が山や里だけでなく、街にも感じられるころだ。晴れ間もあり、きょう夕方までの金沢の最高気温は17度だった。日陰に入ると肌寒さを感じた。

   金沢に住む者にとって、冬の訪れを告げるのは何と言っても兼六園の「雪吊り」ではないだろうか。毎年11月1日から雪吊りが始まり、唐崎松(からさきのまつ)などの名木に施される=写真、撮影は去年11月=。木の横にモウソウ竹の芯(しん)柱を立て、柱の先頭から縄をたらして枝を吊る。まるで天を突くような円錐状の雪吊りはアートのようにも見える。

   金沢の雪はさらさら感のあるパウダースノーではなく、湿っていて重い。庭木に雪が積もると「雪圧」「雪倒」「雪折れ」「雪曲」といった雪害が起きる。金沢の庭師は樹木の姿を見て、「雪吊り」「雪棚」「雪囲い」の雪害対策の判断をする。唐崎松に施されるのは「りんご吊り」という作業で、このほかにも「幹吊り」(樹木の幹から枝に縄を張る)や「竹又吊り」(竹を立てて縄を張る)、「しぼり」(低木の枝を全て上に集め、縄で結ぶ)など樹木の形状に応じてさまざまな雪吊りの形式がある。

   雪吊りの話から逸れるが、先日、兼六園近くを車で通ると、インバンド観光客がグループ、家族連れで多く訪れていた。兼六園はミシュラン仏語ガイド『ボワイヤジェ・プラティック・ジャポン』(2007)で「三つ星」の最高ランクを得てからは訪日観光客の人気は高まっていたが、2000年の新型コロナウイルス感染のパンデミックで下火に。最近ようやくコロナ以前に戻ったようだ。兼六園の雪吊りはインバウンド観光の人たちにとっては珍しく、熱心にカメラを向けているに違いない。

   話は変わる。今月6日に解禁となったズワニガニ漁だが、まだ口にしていない。強風など天候不良のために、解禁日からきのうまで石川県内全域で漁船が出漁を取り止めたようだ。きょう夜、ようやく出漁するとメディア各社が報じている。となれば、あすの午後にはスーパーの売り場などに雄の加能ガニ、雌の香箱ガニが並びそうだ。雪吊りとカニ、金沢の景色は着実に冬に向かっている。

⇒8日(水)夜・金沢の天気    くもり

☆解散請求逃れ、財産保全逃れ旧統一教会「100億円供託」

☆解散請求逃れ、財産保全逃れ旧統一教会「100億円供託」

           解散請求逃れ、財産保全逃れのための悪あがきの光景だった。きょう午後2時からの旧統一教会の記者会見をNHKのテレビ中継で視聴していた=写真・上=。今回の会見で、教団側は「つらい思いをしてきた2世や国民の皆様に心からおわび申し上げます」と、元信者らに補償が必要になった場合の原資として最大100億円を国に供託したいと述べた。

   旧統一教会の高額な献金や霊感商法の実態調査を行った文科省は10月13日、東京地裁に教団に対する解散命令を請求した=写真・下=。そして、国会では教団側が命令の確定前に被害者救済に充てるべき財産を海外や別の団体に移転させるおそれがあるとして、財産保全の措置法の整備を進めている。このタイミングでの国への100億円の供託となると、冒頭の「解散請求逃れ、財産保全逃れ」の意図としか読み取れない。

   さらに気になったのは、この発言だった。高額献金について、「家庭事情や経済的状況に対し配慮が不足していた」「法人の指導が行きわたっていなかった」と述べていた点だ。教団として高額献金を要請してはいない、あくまでも現場でのことと言い逃れしている。

   もう一つ。教団側が元信者らに補償が必要になった場合、「心からおわび」として100億円を供託すると述べたことについて、会見の質疑で記者から「今回は謝罪の会見か」と問われた。すると教団側は「謝罪という言葉とは距離を置きたい、おわびの会見だ」と述べる場面があった。解散命令請求が出されたタイミングなので、教団とすれば謝罪は罪を認めることになる。そこで、配慮が足りなかった「おわび」という言葉に執着したのだろう。

   旧統一教会は巨大な集金システムだ。韓国の教団トップの韓鶴子総裁がことし6月末、教団内部の集会で「日本は第2次世界大戦の戦犯国家で、罪を犯した国だ。賠償をしないといけない」「日本の政治は滅ぶしかないだろう」と発言していたことが、関係者への取材や音声データで分かった。日本の教団側は6月中旬までに、年間数百億円にも上るとされる韓国への送金を今後取りやめると説明していたが、トップが依然、韓国への経済的な見返りを正当化したことになる(7月3日付・共同通信Web版)。

   日本に戦前の罪を押し付け、信者から献金という「賠償金」を吸い上げるという集金システムだ。教義そのものが変らない限り、この集金システムは変わらないだろう。

⇒7日(火)夜・金沢の天気    くもり

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~14 番外アート

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~14 番外アート

   奥能登国際芸術祭が開催されている珠洲市の正院地区の道路を車で走っていると、田んぼに羽を休めるコハクチョウの群れが見えた=写真・上=。毎年この時季に舞い降りて来る。この日は、ざっと30羽はいただろうか。1枚の田んぼに水がはってあり、地元の愛鳥家の人たちが11月初旬に飛来するコハクチョウのために予め準備していたのだろう。

   能登半島は川がない地域も多く、農業用水を確保するために中山間地に「ため池」が造成されてきた。その数は2000もあるとされ、中には中世の荘園制度で開発された歴史あるため池も各地に存在する。コハクチョウや国指定天然記念物オオヒシクイなどがため池や周辺の水田を餌場として飛来する。ため池や田んぼは水鳥たちの楽園でもある。越冬のためにシベリアから飛来したコハクチョウたちは3月になると北へ帰って行く。

   珠洲の海岸を歩くとクロマツ林が所々に広がっている=写真・中=。日本海の強風に耐え細く立ちすくむクロマツを眺めていると、逆境に耐え忍ぶ自然の姿にむしろ寂寥感を感じてしまう。この能登の海岸のクロマツ林を描いたとされるのが長谷川等伯の国宝「松林図屏風」。もやに覆われ、松林がかすんで見える傑作である。

   等伯が松林図屏風を描いたのは長男・久蔵が没した翌年の1594年。等伯56歳だった。京都で画壇の一大勢力となっていた狩野永徳らとのし烈な争い。強風に耐え細く立ちすくむ能登のクロマツに等伯が心を重ねたのはこの心象風景だったのだろうか。

   今月4日付のブログで「能登の民家は特徴がある。黒瓦と白壁」と書いた。すると、ブログをチェックしてくれた知人から「どんな風景なんだ。ブログでアップしてくれよ」とメールが届いた。そこで、能登半島の中ほどにある七尾市中島地区の民家の外観を撮ったものがあったので載せてみた=写真・下=。この風景は、金沢と能登半島を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」の横田インター付近に見え、移動中の車中から横目で眺めることができる。

   家屋は旧加賀藩の農家の特徴といわれた「東造り(あずまづくり)」の建築様式。切妻型の瓦屋根は、建物の上に大きな本を開いて覆いかぶせたようなカタチをしている。左右にある蔵は黒瓦と白壁のコントラスが鮮やかだ。黒瓦は「能登瓦」と呼ばれる。七尾市と珠洲市は瓦の産地で、耐寒性に優れると重宝されてきた。もう10年も前のことだが、新潟県の佐渡島に渡ったとき、神社仏閣や古民家の屋根が黒瓦だった。佐渡の人に尋ねると、「佐渡ではかつて北前船を通じて能登から瓦を仕入れていた。いまでも能登瓦と呼んでいる」と。このとき初めて能登瓦という言葉を耳にした次第。

⇒6日(月)午後・金沢の天気   くもり

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~13 歴史をアートに

☆能登さいはての国際芸術祭を巡る~13 歴史をアートに

   珠洲市の観光のシンボルは見附島(みつけじま)ではないだろうか。この名前は弘法大師(空海)が佐渡島から能登半島に船で渡って来たときに名付けたとの言い伝えがある。その見附島を見渡す松林の中に、シュー・ジェン氏(中国)の作品『運動場』=写真・上=がある。

   白い砂利石を利用して、道が複雑につながる。ここは歩けるのだが、作品を鑑賞にきた人の多くは見附島と迷路のような白い道をセットで眺めている。歩いている人は少ない。ガイドブックによると、この道は世界各地で起きたデモ行進の痕跡をトレースしたものだという。確かに、道はまっすぐであったりくねくね横に逸れたりと、確かに複雑に動くデモ隊の行進のようなルートだ。それが妙に見附島につながっているようにも見え、過去と現在がつながったような、複雑で面白い風景を描いている。

   海岸べりの公園に万葉の歌人として知られる大伴家持が珠洲を訪れたときの歌碑がある。「珠洲の海に 朝開きして 漕ぎ来れば 長浜の浦に 月照りにけり」。748年、越中国司だった家持は能登を巡行した。最後の訪問地だった珠洲では、朝から船に乗って出発し、越中国府に到着したときは夜だったという歌だ。当時は大陸の渤海からの使節団が能登をルートに奈良朝廷を訪れており、日本海の荒波を乗り切る造船技術が能登では発達していたとされる。家持が乗った船も時代の最先端の船ではなかったのかと想像する。

   海に面する薄暗い船小屋にカラフルな糸のグラデーションがぼんやりと浮かんでている。城保奈美氏(日本)の作品『海の上の幻』=写真・下=。作品は家持が詠んだ歌にインスピレーションを得て、色とりどりのレース糸の重なりの中に家持が渡ったであろう海に「幻」が浮かび上がることをイメージしている。この幻とは、蜃気楼を意味している(ガイドブックより)。

   それにしても、大伴家持と蜃気楼、じつにダイナミックな発想から創られた作品だ。蜃気楼は春から初夏にかけて立山連峰から富山湾に流れ込む冷たい雪解け水が海面の空気の温度を低くして層となり、海上の空気との温度差ができることで光の屈折で起きる現象とされる。ガイドブックによると、作者は「富山県出身」とあり、実際に蜃気楼を見て育ったアーティストなのだと理解した。

⇒5日(日)夜・金沢の天気    はれ

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~12 民家をアートに

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~12 民家をアートに

   能登の民家は特徴がある。黒瓦と白壁、そして「九六の意地」と呼ばれる間口9間(約16㍍)奥行き6間(約11㍍)の大きな家だ。これらの民家を眺めて、アーティストたちはイメージを膨らませた。台湾のアーティストグル-プ「ラグジュアリー・ロジコ」の作品『家のささやき』=写真・上=。場所は、「日本の渚・百選」にも選ばれた鉢ヶ崎海岸。海岸のクロマツに林の中に黒瓦の屋根がある。

   アーティストたちはどのようなイメージを描いてこの作品を制作したのだろうか。公式ガイドブックによると、家は記憶を集めるエネルギーの象徴と考え、「集まることはチカラになる」をコンセプトにしているという。その家の象徴が瓦なのだ。能登の家々を見渡しても、瓦が整っている家は住んでいる人がいる。瓦が割れていたり朽ちている家は廃家だと分かる。瓦を通して家の状況だけでなく、地域の人口減少や産業などの実情が分かる。

   この作品を鑑賞していて、気が付いたのは風が吹くと瓦の一枚一枚が上下に少しずつ揺れる。まるで、家に戻っておいでと瓦が手招きして呼んでいるような。この地を離れた人々が再び戻ってくるようにと表現しているようにも思える。作品名の「家のささやき」は家に家族が集まるようにささやいているとの意味なのだろうか。

   かつて珠洲市は養蚕業が盛んだった。昭和40年代から国の事業で国営パイロット開拓事業が進められ、農地開拓では蚕の飼料となる桑畑が広がっていた。その後、養蚕業は下火になる。梅田哲也氏の作品『遠のく』はかつての養蚕飼育所で使われていた道具などをテーマにしている。

   ふと見ると、能登の古民家の奥座敷を感じさせるインスタレーションがある=写真・下=。床組が一面に張られている。そして奥には外が見える。床組を畳に見立てると、外の風景は掛け軸のようにも思える。作者は古民家をめぐりこの作品をイメージしたのだろうか。

⇒4日(土)夜・能登の天気    くもり時々あめ

☆ジョン・レノン「Now And Then」から空想する世界

☆ジョン・レノン「Now And Then」から空想する世界

   イギリスのザ・ビートルズの最後の新曲が、日本時間の2日夜にリリースされ、ニュースで大きく取り上げられている。曲名は 「Now And Then」。ジョン・レノンが生前、ニューヨークの自宅でピアノを弾きながら歌って録音した音源がもとになっているという。このデモテープの音源に、AIを使って歌声だけを取り出すことに成功。これをもとにポール・マッカートニーとリンゴ・スタ-が、ボーカルと演奏を加えて完成させた。 ザ・ビートルズとしては、27年ぶりの新曲となった。

   本場イギリスのBBCニュース(2日付)も「The Beatles’ last song Now And Then is finally released」(意訳:ザ・ビートルズのラスト・ソング「Now And Then」がついにリリースされる)の見出しで報じている=写真=。それによると、この物語は1978年、レノンがニューヨークの自宅でボーカルとピアノのデモを録音したことから始まる。1980年、ニューヨークの自宅前で凶弾に倒れる、未亡人のオノ・ヨーコはこの録音カセットを残っていたビートルズのメンバーに渡す。

   そのカセットには「Free as a Bird」と「Real Love」のデモも収録されていて、1995年と96年にそれぞれシングルとしてリリースされた。「Now And Then」のレコーディングも試みられたが、録音の品質が低かったことから、困難と判断された。ポール・マッカートニーはそのカセット手放さなかった。

   その後、ザ・ビートルズのドキュメンタリー映画『Get Back』を制作した映画会社が、重なり合う音の混ざった録音を「デミックス(分離)」できるソフトウェアを開発。オリジナルのカセット録音からジョン・レノンの声を「持ち上げる」ことができ、バックグラウンドの音を取り除くことに成功し、今回のリリースにこぎつけた(BBCニュース要約)。

   では、「Now And Then」の日本語の意味はどうなのか。歌詞の一部には「Now and then I miss you Oh, now and then I want you to be there for me」とある。「時には」か、「たまには」か、「時に感じる」か、訳すとなると表現がいろいろある。

   かつて、ビートルズ研究家の講演で聴いた話だ。ジョン・レノンはオノ・ヨーコと出会ってからインド哲学など東洋思想に興味を抱き、1968年にはインド旅行で瞑想修行を体験し、禅など仏教の世界観にも惹かれたようだ。そう聴くと、1970年にリリースされた「Let it be」はなんとなく仏教の雰囲気も漂う。以下、勝手解釈で「Now And Then」の「Then」を「禅」と置き換えると、禅の表現の一つである円相をイメージする。円は欠けることのない無限を表現する、つまり宇宙を表している、とされる。「Now And Then」は「Now And Zen」ではないのか、そう考えると、この曲に深みが湧いてくる。もちろん空想にすぎない。

⇒3日(金・祝)夜・金沢の天気    はれ

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~11 さいはてのアート

★能登さいはての国際芸術祭を巡る~11 さいはてのアート

   能登半島の尖端で開催されている奥能登国際芸術祭もあと10日となった。先日日帰りで足を運んだ。木ノ浦海岸は風光明媚で海水の透明度も高く、国定公園特別地域に指定されている。映画『さいはてにて』(チアン・ショウチョン監督、2015年公開)のロケ地にもなった。幼い頃に生き別れた父の帰りを待つため、故郷の奥能登に焙煎コーヒーの店を開いた女主人と、隣人のシングルマザーの物語。さいはての地で女たちが身を寄せあいながら生きる道を探る。人生の喜びを知る奥深い映画だった。この地をアートのテーマとしたのが、リチャード・ディーコン氏(イギリス)の作品『Infinity 41.42.43』。

   ガイドブックによると、作者は45度の角度で空からの光を集めて反射する送受信機のような彫刻作品『Infinity』を2001年からシリ-ズで創っていて、木ノ浦海岸で3点を制作した。写真はInfinity 41にあたる。たしかに、作品の向こうに見える岬と交信しているようにも感じられ、SFっぽいイメージが面白い。能登半島にはUFO伝説もあり、作者はその話を聞いて、この作品を喜んで創ったのかもしれない。

   能登半島の最尖端は珠洲市狼煙(のろし)地区。禄剛崎灯台という「さいはての灯台」が観光名所にもなっていて、その下の漁港に音楽家、小野龍一氏の作品『アイオロスの広場』=写真・下=がある。かつて保育所で使われていたアップライトのピアノ。ピアノから伸びたワイヤーに触れると音が鳴る。そして、ピアノは自然の風で音を鳴らすエオリアンハープになっていて、さいはての漁港からの風が音となって奏でられる。

   最初見たとき、古ぼけたピアノと朽ち果てた柱が並んでいて、さいはてとは「朽ちる」ということをイメージした。ところが、そこで奏でられる自然の音を聴いていて、癒された。さいはてのアートだ。

⇒2日(木)夜・金沢の天気    はれ