☆能登地震から半年の風景~③ 逆境にめげない熱狂の「あばれ祭」
先日(6月24日) 能登空港近くの県道を通ると道路規制の看板が見えてきた=写真・上=。「7月5日・6日 あばれ祭の為 宇出津町内は全域通行止となります」と書いてある。交通規制予告の看板を出したのは「宇出津祭礼委員会 珠洲警察署長」とある。これを見ただけで、祭りで地元が盛り上がっていると感じた。
能登では「盆や正月に帰らんでいい、祭りの日には帰って来いよ」、「1年365日は祭りの日のためにある」という言葉があるくらい、能登の人々は祭りが好きといわれる。その能登の祭りで、一番威勢のいい祭りとして知られるのが、能登町宇出津(うしつ)の「あばれ祭」だ。この祭りは曳山巡行ではなく、地元でキリコと呼ぶ「切子灯籠(きりことうろう)」を担いで巡行する。
40基のキリコが繰り出し、広場に集まって松明(たいまつ)のまわりを勇壮に乱舞するのが見どころだ=写真・下=。また、神輿を川に投げ込んだり、火の中に放り込むな
ど、担ぎ手が思う存分に暴れる。祭りは暴れることで神が喜ぶという伝説がある。江戸時代の寛文年間(1661-73)、この地で疫病がはやり、京都の祇園社(八坂神社)から神様を勧請し、盛大な祭礼を執り行った。そのとき大きなハチがあらわれて、病人を刺したところ病が治り、地元の人々はこのハチを神様の使いと考えて感謝した。それから祭りでは「ハチや刺いた、ハチや刺いた」とはやしながら練り回ったというのが、この祭りのルーツとされる(日本遺産「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」公式ホームページより、写真・下も)。
逆境に立たされれば、立たされるほど闘争心をむき出しにして元気よくキリコを担ぐ、そのような言い伝えのある祭りなのだ。元日の地震では、キリコの材料を作る製材所と、神輿を製作する工務店の作業場や仕事道具が壊れたりしたため、地元の有志らがクラウドファンディングで復旧に必要な資金を必死になって集めた。その甲斐あって、祭りの開催にこぎつけることができた。
あばれ祭は夏から秋にかけて能登各地で行われるキリコ祭りの先陣を切る代表的な祭りでもある。発災から半年、地震に負けない、能登人の意地をむき出しにするあばれ祭に期待したい。
⇒2日(火)夜・金沢の天気 あめ
いまも避難生活を余儀なくされている被災者は2288人に上る。うち、市や町の1次避難所には970人、県が指定した金沢などの宿泊施設での2次避難所には1222人、などなっている。(※写真は、輪島市朝市通り周辺で進められている公費解体の作業=6月6日撮影)
「仮設住宅の整備」と続いた。「その他」としてライフラインの復旧や介護体制の整備を指摘する人もいた。
担する公費解体が可能となった。公費解体は所有者の申請、あるいは同意に基づいて行われる。県では公費解体の作業を来年度末までに終える計画だ。
また会見では、仮設住宅は6810戸の需要に対し、6642戸を着工し、今月末には当初目標の5000戸の完成を達成できるとした。ただ、仮設住宅を造ればそれでよいのだろうか。入居した人たちの中には、知り合いがいないために孤独を感じるといった人も多いのではないか。ゴミ出しや駐車場の使い方など生活に関するルールがないことに対する不安の声などもあがっているだろう。
249号の寸断箇所は残り3ヵ所。そのうちの一つ、勇壮な太鼓で知られる御陣乗太鼓の発祥の地の輪島市名舟町から曽々木海岸に行く途中の道の崩壊がすさまじい。ネット上で掲載されている国交省の「能登半島地震 国道249号 道路啓開5工区の状況」によると、道路そのものが大規模に崩落している=写真=。地元メディア各社の報道によると、国交省はこの現場で年内に1車線を確保するとしている。
先日(今月24日)珠洲市を訪れた際、山を見上げるとやはり風車はストップしていた=写真・上=。同市にある30基の風力発電を管轄している「日本風力開発」(東京)の公式サイトによると、発電所や変電所の敷地内外を徒歩によるアクセスやドローンおよび航空写真で確認した。その結果、1基についてはブレイド1枚の損傷を確認した、としている。「6月10日現在の状況」として、ブレイドの損傷原因を現在も引き続き追究中で、それ以外の風車およびほかの設備についても周辺安全に影響する損壊がないことを確認しながら、具体的な復旧方法や工程を関係機関とともに策定中、とある。しかし、再稼働の日程については公式サイトで記載はなかった。
までのアクセス(山道)が相当に崩れているのだろう。そのため、風力発電とつなぐ回線なども切れて電気が共有できなくなっているのではないだろうか。市内を車で走行していても、あちこちでがけ崩れなどを目にする=写真・下=。
朝鮮による弾道ミサイル発射は5月30日以来で、その技術を用いた「人工衛星」の発射も含めてことしに入って7回目となる。(※イメージ図は、防衛省公式サイト「北朝鮮のミサイル等関連情報」より)
話は変わる。能登半島地震で金沢と奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」は輪島方面のみの一方通行が続いているが、来月7月17日から対面通行が可能になる。国土交通省がきのう発表した。ただ、穴水町の能登大橋付近では路面が一部崩落しており、9月末まで工事用信号で行き交う片側交互通行となる。(※写真は、国交省公式サイト「報道・広報」資料より)
きのう(24日)半島の尖端、珠洲市の被災地をめぐった。同市では3ヵ所で陸上自衛隊が入浴支援を続けている。その一つが市立宝立小中学校に設置されている仮設風呂。校舎の裏手に「男湯」テントと「女湯」テントがある=写真=。通りかかった中年男性に尋ねると、午後3時から入浴の受付が始まるとのこと。近くの仮設住宅に住んでいるという男性は「無料でとても助かっている」と話した。仮設住宅にも小さな浴槽はあるものの、足の膝を痛めていて足を伸ばすことができないので、ここを利用しているとのことだった。
ったり、下水管が復旧していないために風呂の湯が流せないというケースもあるようだ。
「美しき川は流れたり」と讃えた犀川だが、けっこう暴れる川でもある。いつも通る橋から見ると、川かさはかなりだったが、なんとか治まりそうだったので安心した=写真・上=。
を結ぶ「才田大橋」(365㍍)。橋梁の取り付け部分が液状化により1.5㍍ほど地盤が沈下した=写真・中=。この周辺は河北潟干拓地で、大小あわせて9本の橋梁があり、その中でも一番長い橋だ。
はないだろうか。大橋の周辺では路面の沈下で大きな水たまりもできていた。
その作品が気になり、きょう午前中に21美を訪れた。美術館のメインエントランスに鎮座するこの作品は『死の海』。説明書きによると、ブラジルの作家、エンリケ・オリヴィエラの作品(2024)。生命体のように曲がりくねるフォルムはオリヴィエラが20年来続けているシリーズの一つで、入り口という空間を支配する生き物のようにも感じる。
て、家具や建物といった消費財にしている。こうした工程から出た木材をあえて作品として展示することで、人間と環境問題を考察してもらいたいとの意味を持たせている。今回の作品も、ブラジルで拾った膨大な合板の廃材に芸術作品という新たな生命に吹き込んだものだ=写真・下=。
梅雨の大雨で、案じるのは能登の被災地だ。震源近くの珠洲市や輪島市の中山間地をめぐると、山のがけ崩れ現場があちらこちらにあり、落ちてきた巨大な岩石が民家に迫っているところもある。あす予想される大雨でさらに土砂崩れによる二次災害が起きるのはないかと、被災地の人たちは懸念していることだろう。(※写真・上は、元日の地震で民家の裏山が崩れた輪島市内の中山間地)
孤立した輪島市内の民家=1月4日、国土交通省TEC-FORCE緊急災害対策派遣隊がドローンで撮影)