☆情報化社会にあって 能登半島地震の復旧・復興どう発信するのか
それにしても衝撃的なニュースだ。日本時間できのう14日、アメリカ・ペンシルベニア州で演説中に銃撃されて負傷したトランプ前大統領が右耳あたりから血を流しながらも、こぶしを振り上げて無事だと聴衆にアピールする映像が繰り返し放送されている。ニュースを知ったのはきのう朝7時過ぎ。一瞬いろいろと思いが交錯した。「トランプ氏に同情票が集まり、大統領選に優位か」「トランブ、ケネディ、安倍晋三・・・、民主政治の国になぜ銃撃事件が起きるの
か」、そして「この事件が能登半島地震の風化を加速させるのではないか」などと。
元日の能登半島地震では299人もの貴い命が失われた(7月9日時点、関連死を含む)。メディアは大きく取り上げ、海外にもこのニュースは流れた。しかし、記事の扱いは時間の経過とともに徐々に小さく少なくなっている。世の中はニュースにあふれていて、古い順番でニュースは忘れ去られていくのか。
これは何も情報化社会に生きる現代人の特性ではない。265年前、イギリスの経済学者アダム・スミスは著書『道徳感情論』で、災害に対する人々の思いは一時的な道徳的感情であり、人々の心の風化は確実にやってくる、と述べている。日本人に限らず、災害に対する人々の心の風化や記憶の風化は人としての自然な心の営みと説いているのだ。しかし、変らないのは被災地の人々の心情だ。「忘れてほしくない」という言葉に尽きるだろう。被災地の復旧や復興は一般に思われているほど簡単に進まない。
この被災地の人々と一般の人々の意識のギャップを埋めるのが、新聞やテレビ、ネットなどメディアの役割ではないだろうか。災害発生から定期的に被災地の現状と課題、そして被災した人々の心情を伝えることだ。ただ、メディアにも難題がある。「既視感」という視聴者や読者が有するハードルだ。「以前どこかで読んだ記事」「以前に視聴した番組と同じ」などと、視聴者や読者から指摘されることをメディアは嫌がる。なので常に斬新で新たな視点からの切り口で問題に挑もうと、ディレクターや記者は懸命になる。
話はずいぶんと逸れた。今月26日に開幕する「パリ2024オリンピック」、11月のアメリカ大統領選などこれから話題は尽きない。情報化社会にあって、能登半島地震の復旧・復興を国内外に前向きにどう発信、アピールしていくのか。重要なテーマではないだろうか。
⇒15日(月・海の日)夜・金沢の天気 くもり
なっていて、見た目で2分に1ほどになっていた。巣の下を見ると、営巣で使われていたであろう木の枝がかなり落ちていた。住宅に例えれば、「半壊」状態だったのはないだろうか。
3回目が7月6日だった。このときは巣に親鳥もひな鳥もいなかった=写真・下=。ただ、一瞬見えたのが遠方へ飛んでいく二羽のコウノトリの姿だった。また台湾に帰っていく姿だったのか。思わず、「来年も来てくれよ」と心で叫んだ。
地元メディア各社の報道によると、きょう130人の海女たちが午前6時半ごろから漁船15隻で輪島港を出て、8㌔沖合で素潜りでモズク漁に励んだようだ。例年だと7月1日が「解禁」のなのだが、しけ続きできょうになった。例年ならば海女一人で200㌔採ることもあるが、きょうは1人15㌔に制限されていて、今回の全体の水揚げは2㌧だった。荷捌き場がある輪島漁港は地震で2㍍も隆起していて、船からモズクを運ぶのにも大変だったようだ。(※写真は、文化庁「国指定文化財等データベース」サイトより)
先日(7月5日)に能登町の仮設住宅の横を通ると、簾(すだれ)が掛かっている家々があった。そして、窓の日よけのためだろうか、つる性の植物が伸びていた。夏の暑さ対策をエアコンだけでなく、いろいろと工夫している様子がうかがえた=写真・上=。これまでの日常の生活で行ってきたことを仮設住宅でもさりげなく、そんな雰囲気を感じた。
人たちは初対面の人たちと違和感なく話すことに長けている。これは能登の特性と言えるかも知れない。
陸路が脆弱ならば海路で。公費解体を迅速に進めるため、石川県は災害廃棄物の海上輸送をきょう10日から始める。その積み出し拠点の一つ、能登町の宇出津新港をきのう見に行った。岸壁の近くの広場には公費解体で発生した木くずが山と積まれていた。そして、クレーンを搭載した運搬船が接岸していた。地元メディア各社の報道によると、船は1千㌧クラスで、2千立方㍍の木くずを搭載できる。ほぼ25棟分に相当する。陸上輸送に換算すると、連結トレーラーの33台分に相当するという。今月下旬からは珠洲市の飯田港でも積み出しを始める。(※能登町宇出津新港に運ばれた木くずと新潟県へ輸送する運搬船=7月9日撮影)
などが把握できない、たとえば金沢の親族宅に身を寄せている人や、マンションやアパート、借家に自ら借りて移住している人はさらに多くいる。
側から見ると7階部分と地面と間に高さ3㍍ほどの空白があり、今後さらに倒れるようにも見える。そのためか、支え棒などが入れてある=写真・上、6日撮影=。
同じ輪島市の門前町道下(とうげ)の町並みを歩いた。 2007年3月25日、門前町の沖合を震源すると震度6強の地震が起きた。あれから17年目で再び6強の揺れに見舞われた。全壊の住宅も多く=写真・下、同=、2007年3月に見た光景と重なった。
「イヤサカヤッサイ」の掛け声が、鉦(かね)や太鼓と同調して響き渡る。高さ6㍍ほどのキリコが柱たいまつの火の粉が舞う中を勇ましく練り歩く=写真・上=。数えると、神輿2基とキリコ37基が港湾側の広場に集っている。キリコの担ぎ手は老若男女で衣装もそれぞれ。キリコに乗って鉦と太鼓をたたく人、笛を吹く人には女性も多い=写真・下=。熱気あふれるとはこの事をことを言うのだろうと実感した。
祭りは暴れることで神が喜ぶという伝説がある。江戸時代の寛文年間(1661-73)、この地で疫病がはやり、京都の祇園社(八坂神社)から神様を勧請し、盛大な祭礼を執り行った。そのとき大きなハチがあらわれて、病人を刺したところ病が治り、地元の人々はこのハチを神様の使いと考えて感謝した。それから祭りでは「ハチや刺いた、ハチや刺いた」とはやしながら練り回ったというのが、この祭りのルーツとされる(日本遺産「灯り舞う半島 能登〜熱狂のキリコ祭り〜」公式ホームページより)。
=。気象庁によると、4.7㍍(痕跡高)の津波が200世帯の白丸地区に到達した。発生から半年がたっても、大量のがれきがそのままになっている。
業者とコンタクトを取っても、2ヵ月や3ヵ月先の待ちとなるという。屋根瓦の被害など一部損壊は石川県全体で5万9700棟にもおよぶ(7月1日現在・石川県危機対策課まとめ)。きょうは特に暑い。金沢の最高気温は35度と猛暑日=写真・上、午後3時30分ごろ撮影=、輪島は33度の真夏日だった。屋根に上って修繕をする業者にとっては、過酷な一日だったのではないだろうか。
(あいろ)となる課題を霞が関一体となって解決する」と述べ、政府が一丸となり復興を迅速化させること強調した。(※写真・下は、総理官邸公式サイトより)