☆能登の復興を加速 「のと里山海道」ようやく全線で対面通行が可能に
自動車専用道路「のと里山海道」がようやく全線での対面通行が可能になった。きのう(10日)能登大橋付近での片側交互通行(260㍍)が解除され、能登半島地震の発災から254日目にして、能登と金沢の間がノンストップで通行できるようになった。7月17にのと里山海道は全線で通行できるようになったが、能登大橋付近だけが片側交互通行だった。交通インフラは被災地の復興を加速させるに違いないとの想いを込めて、全線の対面通行となったのと里山海道を往復した。
能越自動車道を含めたのと里山海道は片道88㌔となる。全線で対面通行が可能になったものの、道路のアップダウン勾配や、左右の急カーブが続く。そして、一部区間の制限速度は時速40㌔に引き下げられたままだ。これまで盛り土の一部が崩れて1車線しか通行できなかった能登大橋付近は対面通行が可能となり、スムーズに車が流れていた=写真・上=。
走行して思ったことは、率直な話、この道路を使用するのは12月末が限度かもしれない。能登は積雪も多い。去年2023年12月21日から22日かけて能登では60㌢もの積雪があった。同じ積雪があった場合、アップダウン勾配や左右急カーブの道路では、除雪車の走行すら難しいのではないだろうか。さ
らに、土嚢(どのう)が道路際に積まれていて、除雪ができないだろう=写真・下=。こうした箇所が数多くある。もちろん道路の修復は終わったわけではなく、これからさらに改良が重ねられていくのだろう。積雪の時季まであと3ヵ月だ。土嚢はいつ撤去されるのか。
のと里山海道の横田IC付近を走行するドライバーの中には、道路の崩落現場で転落した乗用車を見た人も多いだろう。その転落した乗用車はいまも残されたままになっている。復旧・復興と言っても完全ではない。不都合を残しながらも徐々に進んでいる。
⇒11日(水)午前・金沢の天気
だ。時間は午後4時30分ごろだった。晴れてはいたものの、今月初めは台風10号の影響で能登でも雨もかなり降った。滑って落ち来ないか、パワーショベルの重みで土砂崩れが起きないだろうかと、眺めている方がハラハラ、ドキドキするような光景だった。
から工事を行う、とある。車体も高所の傾斜に対応し、作業体を常に水平に保つリフティング装置を搭載するなど、さまざまな工夫が施されている。
能登の田んぼも稲刈りが最盛期だ。きのう(7日)輪島の白米千枚田を訪れると、ことし耕された120枚の田んぼでほぼ稲刈りが終わっていた=写真・上、7日撮影=。本来ならば1004枚の田んぼは地元の千枚田愛耕会や棚田のオーナー制度の会員、ボランティアによって耕作されるが、元日の能登半島地震でひび割れなどが起きて、ことしはなんとか120枚を耕すことできた。
写真・中、3月4日撮影=。大きなもので幅10数㌢、深さ50㌢ほどの地割れが数㍍続いていた。田んぼは水はりをするので、この地割れでことしの水耕は無理だと素人ながら考えてしまった。一方で、千枚田を運営管理する公益財団法人「白米千枚田景勝保存協議会」では稲作を続けようと、クラウドファンディングで寄付を募っていた。「修復には大量の土砂や杭が必要であり、また、人力での修復となりますので、人を動かすお金も必要です」と。
輪島市に住む知人から、「輪島市の町野に面白い田んぼがある」とメールをもらっていたので、千枚田を後にして見に行った。田んぼに「生きる」という文字や、ハートを抱きしめた人の姿が描かれていた=写真・下、7日撮影=。通りかかった地元の人に尋ねると、小学生が描いた「田んぼアート」という。ハートの赤は古代米の赤米、文字や絵の線の緑は同じく古代米の緑米で、黄色い部分はコシヒカリとの説明をいただいた。
地元メディアの報道によると、仮設店舗は270平方㍍の平屋で、中小企業基盤整備機構の補助金を活用して珠洲市が建設。原則無償で入居でき、光熱費や内装費などは事業者が負担する。合同会社の代表は、典座を営んでいた坂本信子氏。これまで典座で何度も能登の料理をたしなんだことがあり、気安くすずなり食堂を開店した経緯について話を聞いた。「地域の復興の第一歩は食からと思い、共同で食堂を立ち上げました。自分たちの暮らしを取り戻し、珠洲の観光や生活が元に戻るようにしたいですね」と話した。
堂はほとんどが休業状態ということもあり、店はとても繁盛していた。合同店の厨房に立つ板前さんたちも生き生きとした感じで動き回っていた。
道の普及費用など。ただ、集落の共同墓地のみが対象で、宗教法人や市町などの公共団体などが運営する墓地、個人管理の墓石などは対象にならない。
その千枚田で稲刈りが始まったのはきのう(3日)だった。台風10号の影響で31日の稲刈りを延期、今月1日に台風から熱帯低気圧になったものの、能登地方では2日にかけて雨が降っため、稲刈りが遅れていた。地元メディアによると、作業を行ったのは棚田のオーナー制度で田んぼを借りて耕している会員や愛耕会のメンバーら20人。稲刈り機は田んぼに入らないので、鎌で一株ずつ刈り取り、ワラで結んではざ掛けした。稲は「能登ひかり」という早生品種。
する際に住民票を移すことになる。一時的な現象かもしれないが、能登からの転出者が増え、人口流出につながっている。一時的と言うのも、みなし仮設の人たちが能登で住宅を再建して2年以内に故郷に戻れば転入増になるのだが。
この共同声明を読むと、まさに地殻変動を重ねて出来たジオパークについて地形や地質の保存・活用に関する知見を有する自治体の「使命」というものを感じる。「地震で得た多くの教訓を風化させず、防災意識の向上に生かす」と強調。地震の発生要因や被害の実態を国内外へ発信することで連帯感をにじませている。また、能登地震で4㍍隆起した海岸が続いており、石川県ではジオパークに登録申請するために調整を行っている。被災地の復興と合わせてジオパーク登録へと動き出すチャンスではないだろうか。(※写真は、海底が隆起した輪島市門前町の漁港=3月4日撮影)
を余儀なくされている(8月27日時点)。そんな中で被災地の人々にとって、心の安らぎの一つが入浴だったろうと思う。同市では3ヵ所で陸上自衛隊が入浴支援を続けていた。
このブログで何度か取り上げている能登半島地震で亡くなった人たちの「直接死」と「関連死」について。関連死かどうか判断する石川県と被災自治体による6回目の合同審査会(医師・弁護士5人で構成)が今月26日に開かれ、輪島市や珠洲市など5市町の21人を新たに認定するよう答申することを決めた。答申を受けた各市町の首長が正式に認定する。県内の関連死はこれで131人となり、家屋の下敷きになるなどして亡くなった直接死229人と合せて、震災の犠牲者は360人となる。(※写真は、能登半島地震の被災地と金沢の病院を往復する救急車=1月5日撮影)。