★豪雨で崩れた輪島の千枚田 国際的にも注視「持続可能な棚田をどう復元する」
9月21日に線状降水帯も発生して48時間で498㍉という記録的な大雨に見舞われた奥能登。被害が出たのは家屋や道路、橋梁、森林などのほかに農地がある。今月3日付のブログでも述べたが、がけ崩れや河川の氾濫が顕著だった輪島市町野町の農村部では、町野川の周囲の田んぼでは流れ込んだ河川水で横倒しになった刈り入れ前の稲が一面に広がっていた。泥水をかぶり倒れた米はおそらく3等米以下、規格外だろう。元日の能登半島地震で田んぼに亀裂が入ったり水路が壊れたりで、奥能登では作付け面積は例年の6割ほどと言われていただけに、農家にとっては二重の災害だ。
先日(今月8日)輪島の白米千枚田の大雨被害の様子を見に行った。棚田の中腹あたりが大きく崩れている様子だった=写真=。ほかにも、水路が壊れたりしている部分などもあった。千枚田は立ち入り禁止となっていたのでつぶさに見ることはできなかったが、かなりの被害が出ているのではないかと推測した。
この光景を見て正直な話、胸騒ぎがした。元日の地震で地盤が緩み、豪雨で一部土砂崩れが起きたのだろう。千枚田がある能登半島の外浦は海岸と山が接したいわゆるリアス式海岸で、山崩れやがけ崩れがよく起きる。輪島市の「土砂災害ハザードマップ」=図=をチェックすると、千枚田の真ん中を通る国道249号(赤線)から上手の山の斜面は土砂災害特別警戒区域(赤塗)となっている。千枚田がある白米町では、「大ぬけ」と今でも地
元で伝えられる大きな土砂崩れがあった。1684年のこと。いわゆる深層崩壊だ。その崩れた跡を200年かけて棚田を再生という歴史がある。大ぬけの歴史が繰り返さなければよいのだが。
石破内閣の小里農水大臣が10日、輪島市を訪れ千枚田を視察した。案内したのは棚田の維持活動に取り組む白米千枚田愛耕会のメンバーだった。小里大臣は視察のあと記者に質問に答え、「1月の地震から復旧・復興に取り組んでいた矢先の豪雨災害で心を痛める思いだ。地震の被害に対して支援してきたが今回の新たな被害についても同じような形で支援したい」と述べ、能登半島地震での支援の枠組みを活用して壊れた水路や設備の修繕の費用などを能登の農業を支援していく方針を示した(10日付・NHKニュースWeb版)。
千枚田は2001年に文化庁の「国指定文化財名勝」に指定され、2011年に国連世界食糧農業機関(FAO)から認定された世界農業遺産「能登の里山里海」のシンボル的な棚田だ。震災と豪雨後に「持続可能な棚田」をどう復元していくのか、国際的にも注視されているのではないだろうか。
⇒13日(日)夜・金沢の天気 はれ
とを決めた=写真・上=。このほか「核」に関連する平和賞は、「核兵器なき世界」を掲げたアメリカのオバマ元大統領が2009年に、非政府組織「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が2017年に受賞している。ノーベル賞委員会はまさに平和賞の授与を通じて、核廃絶・核軍縮の運動を後押し、国際世論を喚起してきたのだろう。
の活動は、私たちが言葉で言い表せないことを表し、考えられないこと考え、核兵器によってもたらされる理解し難い痛みと苦しみを理解する助けとなっている」「アルフレッド・ノーベルの意図することの核心は、献身的な人々が変化をもたらすことができるという信念だ。ことしの平和賞を被団協に授与することで、肉体的な苦しみや辛い記憶を平和への希望や取り組みに生かす選択をしたすべての被爆者に敬意を表したい」
話は変わる。能登半島を縦断する自動車専用道路「のと里山海道」を走行すると、震災直後と変わらぬ風景がいくつか見えてくる。その一つが山並の山頂にある停止した状態の風力発電の風車だ=写真・上、9月10日撮影=。金沢から走行すると横田ICの手前に見える風景はまるで、「山頂の一本足のカカシ」ではないかと。メンテナンスを施して順次稼働させればよいのではと考えるが、風車は山地にあり、たどり着くまでの山の道路に亀裂ができたり、土砂崩れなどで寸断されているのだろう。風力発電が立地する場所は珠洲市が30基、輪島市が11基、志賀町が22基、七尾市が10基で、いずれも震度6弱以上の揺れがあった地域だ。そのうち再稼働しているのは、志賀町にある日本海発電(本社・富山
市)の9基を含めて10数基ではないだろうか。記録的な豪雨でさらに山道が崩れメンテが難しくなっているところがあるのかもしれない。
が、強烈なのは「バカヤロー解散」だろう。1953年(昭和28)3月の衆院予算委員会で、当時の吉田総理が社会党の議員との質疑応答中に「バカヤロー」と発言したことがきっかけで解散にいたった。日本の政治史に残る名称となった。(※写真・上は、衆院解散を報道する各紙)
不記載があった議員と選挙区支部長の計12人は公認せず。不記載があったほかの34人については公認したものの、比例選の重複立候補は認めず。ただ、非公認の議員については、「選挙のみそぎ」を受けて当選すれば、追加公認をする(9日・党首討論)。
ルなどはほぼ解体され、更地に戻りつつある。今月5日に輪島市の現場を視察した石破総理に対し、同市の坂口市長は新たな建物を建てるため、土地区画整理を行うなどと説明していた(5日付・地元メディア各社の報道)。地域の再開発が動き出すのだろう。
このブログの8月9日付で紹介した珠洲市の「3Dプリンター住宅」が完成したとニュースになっていたので見に行った。同市上戸町にことし7月にオープンしたホテルの別室。ホテルの支配人が兵庫県西宮市のスタートアップ企業である建築会社に発注して造った建物。2人世帯向け平屋タイプで、ダイニングや寝室、バスルームなどがある。石川県では初めての「3D住宅」という。中には入れなかったが、日本海が一望できる。そもそもが何が3Dなのかと言うと、3Dプリンターが設計データを読み込み、ロボットがコンクリートを塗り重ねて、壁や屋根を成形する仕組みのようだ。
上町生まれ。森氏の地盤を引き継いで当選連続4回。同じく不記載額が1482万円で党の役職停止となった宮本周司参院議員の後任として4月から自民県連会長の座にある。
し、大関昇進を決めた大の里だ。まさに、故郷凱旋の巡業だ。地元の相撲ファンとすれば晴れ姿を見逃すわけにはいかないという心境なのだろう。それにしても長い列だ。
9月21日の記録的な大雨で河川の氾濫や土砂崩れが起きたため、住家や仮設住宅を離れ二週間経った今でも490人余りが避難所での生活を送っている。このような中、「自衛隊風呂」が珠洲市で再開した。6日付の地元メディアによると、大量の流木や土砂が流れ込み地区全体で断水が続いている同市大谷地区の公民館駐車場で陸上自衛隊が入浴場をきのう開設した。地震による同市での自衛隊による入浴支援は、銭湯などの入浴施設などが復旧したため、8月31日で終了となっていた。しかし、大谷地区は市内中心部とつながる国道の通行止めの状態続いていて、大雨では一時孤立状態となった。男女別風呂で、入浴時間は午後4時から同8時まで。地域の人たちは2週間ぶりの湯船に心が和んだのではないだろうか。これも石破総理の「置き土産」なのかとふと思った。(※写真・下は、自衛隊による入浴支援施設=珠洲市で、2月22日撮影)
続いて、豪雨による床上浸水の被害を受けた同市宅田町の仮設住宅を訪れ、住民の声に耳を傾けた。住民は「(水害で)揃えた物も全部だめになったので、この後の生活がちょっと心配というか、心が折れてしまった」と話し、生活再建への支援を石破総理に直接訴えた(5日付・北陸放送ニュース)。また、浸水前まで仮設住宅で暮らしていた漁協関係者から、漁ができていないことを伝えれられ、石破氏は厳しい表情を見せて「よく水産庁に伝えます」と答えた(5日付・北國新聞夕刊)。
そして、去年5月5日に最大震度6強の揺れに珠洲市は見舞われた。この地震で死者1人、負傷者数48人、住宅の全半壊131棟の被害が出たが、その年の秋に開催した「奥能登国際芸術祭2023」(9月23日-11月12日)を無事やり遂げた。当時、市議会では、震災復興を優先して開催経費(3億円)をこれに充てるべきとの意見や、行政のマンパワーを復旧・復興に集中すべきとの意見が相次いだ。泉谷市長は「地域が悲嘆にくれる中、目標や希望がないと前を向いて歩けない。芸術祭を復興に向けての光にしたい」と答弁し、予定より3週間遅れで開催にこぎつけ、14の国・地域のアーティストたちによる61作品が市内を彩り、大勢の鑑賞者が訪れた。
の大雨によって首都カトマンズの南部や近隣の都市が洪水や土砂崩れに見舞われ、市街地が水没するなど192人が死亡。ネパールでは数ヵ月前にも記録的な大雨や鉄砲水に見舞われている(1日付・CNNニュースWeb版)。去年は世界各地で熱波と干ばつが深刻化した。気象災害をもたらす地球温暖化を抑えることはできるのか。
ぼはどこも手付かずの状態だ。泥水をかぶり倒れた米はおそらく3等米以下、規格外なのだろう。農家にとっては大打撃だ。元日の能登半島地震で田んぼにき裂が入ったり水路が壊れたりで、奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)では作付け面積は例年の6割ほどと言われていた。せっかく作付けした田んぼだが、豪雨で冠水して商品にならないという事態に追い込まれた。それにしても、農家はこの田んぼをほったらかしにしておくのだろうか。