★TVマン、デフォルトの構図

★TVマン、デフォルトの構図

 テレビ業界の社員が高収入であることはすでに知られている。その高収入に憧れて入社をめざす学生も多い。概要を説明しておこう。民間のテレビ局の総売上高はざっと2兆円あり、そのうちの70%を在京の5つのテレビ局(フジ、日本テレビ、TBS、テレビ朝日、テレビ東京)が占める。関西と名古屋が20%、そしてローカル局が10%である。国の放送免許制に守られ、新規参入が難しいので、企業として高収益は保たれ、社員の賃金水準も非常に高い。かつての銀行によく似ており、テレビ業界は「最後の護送船団」と揶揄(やゆ)されたりもする。

 高収益の恩恵を一番受けているのが東京キー局の社員である。ヤフー・ファイナンスの企業概要を見ても、フジが平均39.8歳で平均年収1529万円、日本テレビが39.4歳で1481万円である。これは社員全体の平均であり、たとえば記者や番組ディレクターは時間外(残業)が無制限に近い状態、いわば「青天井」で支給されるはずである。30代で時給2200円ならば100時間の残業をしたとして、割り増しがついて月30万円ぐらいにはなる。年収で360万円も他のセクションの社員と差がつく。

 これは実際に起きている話である。あるテレビ局の労働組合が若手の社員=組合員を対象に「人生設計」の勉強会を催した。というのも、高収入を得ていながら、裁判所に自己破産の申し立てをする若手社員が目立つようになってきたからである。そのデフォルト(破産)の構図はこうだ。若手がクリエイティブ部門、つまり番組制作やニュース部門に配属されると、残業が先の「青天井」状態になる。2、3年もすると軽く1000万円近くの蓄えができ、人生に自信がつく。これを頭金に会社近くの都心の高級マンションを思い切って購入する。ついでに憧れのBMWも買う。ところが、5、6年目で業務・管理部門に異動になったととたんに残業が減り、ローン返済がサラリーを上回り、極端な話が自己破産に追い込まれるというケースである。

 また、ローンに負われた社員が残業代を稼ごうと仕事もないのに「先方からのアポ待ち」などと理由をつけて必死に机にしがみつく姿もあったり、モラル・ハザード(職業倫理の欠如)さえ招くケースもある。「若手社員が頻繁に組合の小口融資を利用し始めたら赤信号」とある管理職が嘆いた。もちろん、自己破産はほんの一部の現象であろう。しかし、これに似たケースはキー局だけでなく、ローカル局でも聞き及ぶ話である。高収益、高収入の体質に潜む「甘さの構図」でもある。

⇒16日(月)午前・金沢の天気 

☆里山自然学校の初夏

☆里山自然学校の初夏

 金沢大学角間キャンパス(200㌶)は昔から金沢市民の里山として親しまれてきました。アベマキ、コナラ、スギ、モウソウチクが茂るほか、多くの動植物が生息しています。かつて金沢大学は「お城の中にある大学」と呼ばれましたが、移転後は「里山の中にある大学」と言えます。大学ではこの自然を教育・研究のフィールドとして利用するだけでなく、地域住民や子どもたちの自然体験の場として開放するため1999年に「角間の里山自然学校」をスタートさせました。そしてこの春、里山自然学校の活動の拠点として、築280年の古民家を旧・白峰村から移築し、創立五十周年記念館「角間の里」をつくったのです。きょうはその活動の一端を紹介します。
畑のある風景

 写真を見てください。竹林で採れたタケノコです。グッと反り返った姿がエビに似ているので、自然学校のスタッフが「えび竹」と名付けました。なぜこれほどまでに「エビ反り」しているのか。実は竹林が荒れているのです。竹が密生し根が地下で縦横に絡まっているため、このタケノコは身を反らしながらようやく頭を地上に出したのです。竹林を整備中のボランティアが「努力して地上に這い上がってきたが、潜伏期間が長い分ひねていて(味は)まずいだろう」と苦笑していました。というわけで、観賞用として「角間の里」で展示されています。

 きのう14日、里山自然学校のボランティアの人たちが「角間の里」の前の空き地を耕し、サツマイモやトウモロコシの苗を植えました。なるべく農薬を使わず栽培しようとの申し合わせです。来週は大学付属養護学校の子どもたちも苗植えをします。おそらく今後、水やりや害虫などさまざまな問題がこの畑をめぐって生じることでしょう。それを一つ一つ知恵を出し合って解決していくのです。

⇒15日(日)午前・金沢の天気  

★岩城流ネオ・ジャパネスク

★岩城流ネオ・ジャパネスク

 オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の音楽監督、岩城宏之さんは口癖のように「ベートーベンは嫌いだ」と言いながら、去年の12月31日、東京文化会館でN響有志とベートーベンの交響曲1番から9番までを一人で連続して指揮するというクラシック界での偉業を成し遂げた。その岩城さんが今度はこの偉業の連続記録に挑戦する意志を固めたらしい。
岩城氏の挑戦は続く

 去年10月にお会いしたとき、「なぜ1番から9番までを」と伺ったところ、岩城さんは「ステージで倒れるかもしれないが、ベートーベンでなら本望」とさらりと。岩城さんは72歳、休憩を挟んだとは言え9時間にも及ぶ演奏、しかも胃や喉など25回も手術をした人である。体力的にも限界が近づいている岩城さんになぜそれが可能だったのか。それは「ベートーベンならステージで倒れても本望」という捨て身の気力、OEKの16年で177回もベートーベンの交響曲をこなした経験から体得した呼吸の調整方法と「手の抜き方」(岩城さん)のなせる技なのである。そして、残りの人生の大晦日を毎年、ベートーベンの1番から9番に捧げるというのだ。

 大晦日の「第九」コンサートは世界中で行われているが、1番から9番を同一指揮者で演奏するのは世界でたった一つのコンサートである。この岩城さんの志(こころざし)は正月を迎える新しいスタイルになる可能性を秘めている。1番から9番をじっくり聴き、哲学する音楽家ベートーベンを心ゆくまで楽しむというスタイルである。経済産業省は新しい国家商標に「ネオ・ジャパネスク(新日本様式)」を提唱している。メード・イン・ジャパンに代わる新しいブランドを創造するというのだ。アニメが世界のスタンダードに躍り出たように、日本発の1番から9番のベートーベンチクルス(連続演奏会)は世界のスタンダードになり得る、まさにネオ・ジャパネスクではないのか。「マエストロ・イワキのベートーベンを聴きに年末はトウキョーに行こう」。そんな言葉が世界のクラシック通の間で交わされ始めているに違いない。私には聞こえる。

⇒14日(土)午前・金沢の天気

☆兼六園の楽しみ方②

☆兼六園の楽しみ方②

 金沢市にある国の特別名勝・兼六園でもっとも古い建物が茶亭「夕顔亭(ゆうがおてい)」です。この茶室から滝を見ることができるので、別名「滝見の御亭(おちん)」とも呼ばれています。
「利家、居眠りの柱」 

 この夕顔亭の見本となったといわれるのが、京都の茶道・藪内家の「燕庵(えんなん)」という茶亭です。かつて藪内家の若宗匠、藪内紹由氏に取材したことがあり、そこで出た話です。藪内家には、「利家、居眠りの柱」とういエピソードがあるそうです。京の薮内家を訪れた加賀藩祖の前田利家が燕庵に通された時、疲れがたまっていたのか、豪快な気風がそうさせたのか、柱にもたれかかって眠リこけてしまったというのです。こうした逸話が残る燕庵を後に利家の子孫、11代の治脩(はるなが)が1774年に燕庵を模してつくった茶亭がこの夕顔亭です。おそらく、治脩も利家の居眠りの話を聞いたに違いありません。そして、「ご先祖さまはなんと…」と苦笑したことでしょう。

デザインの著作権にまつわる約束事

 この夕顔亭をつくる際、薮内家と加賀藩には一つの約束事がありました。茶器で有名な古田織部が指導してつくったこの由緒ある茶亭を簡単に模倣させる訳にはいかない。そこで、もし燕庵が不慮の事故で焼失した場合は「京に戻す」という条件で建築が許された、との言い伝えです。知的財産権の観点からいうと、広い意味での「使用権」だけを加賀藩に貸与したのです。もちろん、契約者の前田ファミリーは明治維新後この夕顔亭を手放し、今では石川県の所有になっていますので、その約束事は消滅したといえるでしょう。

 知的財産権という法律は当時なかったにせよ、「知財を守る」という精神は脈々と日本の歴史の中に生きていたということでしょう。この苔むした古い茶亭にはそんな現代に通じるエピソードがあったのです。 

⇒13日(金)午前・金沢の天気 

★兼六園の楽しみ方①

★兼六園の楽しみ方①

 金沢の兼六園は意外にも雨で映える庭だと思っています。散歩しながらそのように感じることがよくあります。ついでに私なりの兼六園の楽しみ方をいくつか紹介します。

  大人の時間が流れる「時雨亭」

 兼六園で大人の作法が楽しめるのが茶室「時雨(しぐれ)亭」です。ここで味わう抹茶は心が和みます。茶席の静寂、広がる庭園、洗練された作法、季節の和菓子など「完成された文化」を感じさせます。最近、和装の女性からお辞儀をしてもらったことはありますか…。これだけでも感動ものです。大人の時間が流れます。

 次は、この茶室を出て銅像を眺めましょう。実はこの銅像は世界的に有名です。世界で最もばかばかしいと認められる業績に贈られる「イグ・ノーベル賞」(米ハーバード大学制定)の2003年度授賞者が金沢大学の広瀬幸雄教授です。「金沢市内のブロンズ像がハトに人気のない理由の化学的考察」のテーマで化学賞を受賞。この研究テーマとなった「金沢市内のブロンズ像」が兼六園の日本武尊(やまとたけるのみこと)の銅像なのです。兼六園の周辺にはカラスやハトが多いのに、なぜ日本武尊にはこれらの鳥が止まってないのだろう、なぜカラスやハトのフンの汚れがないのだろうと、広瀬氏は兼六園を散歩しながら考えたそうです。平成の改修工事の際、銅像の成分を調べたところ微量のヒ素が含まれており、この「ヒ素のにおい」を鳥が嫌うという「世界的な発見」になったというわけです。

 日本武尊を見上げてみよう  
  
 兼六園に詳しい下郷稔さん(元兼六園管理事務所長)の話では、この改修の際に「巨大なブロンズ像は兼六園にふさわしくない、園外に移設を検討しては」との意見が文化庁からあったものの、下郷さんたちが「慰霊碑には歴史的な意味があり、台座の石積みにも価値がある」と断ったそうです。結果的に、この銅像に思わぬ価値が生まれ、残してよかったというわけです。兼六園にお立ち寄りの際は、本当にカラスやハトが止まっていないか、検証してみてください。これが兼六園の私流の楽しみ方です・・・。

→12日(木)午後・金沢の天気 

☆松井、生まじめな北陸人

☆松井、生まじめな北陸人

 きのう(10日)アメリカ大リーグでヤンキースとマリナーズが今シーズン初対戦。ヤンキースの松井秀喜選手とマリナーズのイチロー選手がともにタイムリーヒットを放ちました。「4番」松井選手は1回1アウト1塁、3塁のチャンスでセンター前にタイムリーを放ち先制点。松井選手は北陸出身だけに、テレビのプロ野球ニュースはチャンネルを変えて何度でも見てしまいます。

 松井選手のイメージは高校時代から鮮烈です。1992年(平成4年)、星稜は4年連続11度目の甲子園出場を果たし、2回戦であの物議をかもした「連続5敬遠」(対明徳義塾戦)があり、高校野球ファンでなくても松井選手を知ることになったのです。華々しい経歴の松井選手ですが、私は「まじめな北陸の子」と思います。質問をされればきちんと答える、答えないと気がすまない、相手に悪いと思うーそんなタイプです。これは高校時代から一貫しています。松井選手に似たまじめタイプの北陸人がもう1人、ノーベル賞の田中耕一さん(富山市出身)です。偉ぶったり、権威をかざしたりはしません。2人には北陸人に通じるキャラクタ-の共通性があるのです。

 松井選手の父親、昌雄さんはこう言って息子を育てそうです。「努力できることが才能だよ」。無理するなコツコツ努力せよ、才能があるからこそ努力ができるんだ、と。北陸から眺める松井選手の活躍はこの言葉の延長線上にあるように思えてなりません。

⇒11日(水)午前・金沢の天気

★ドクターと電子カルテ

★ドクターと電子カルテ

 先日、風邪をこじらせ金沢の病院(独立行政法人)に行きました。この病院では去年11月、電子カルテが導入され、各科に分散していた患者のカルテが一つの端末(パソコン)で閲覧できる「1患者1カルテ」が実現しただけでなく、同じ端末で心電図やX線写真なども瞬間に見ることができるようになりました。また、診察が終了した時点で診療費が計算されるので、不評を買っていた「会計30分待ち」も解消されたのです。

 待合室で順番を待っていると、面白いことに気がつきました。内科には第8診察室まであって、たとえば、「○○さん、1シンにお入りください」と医師のアナウンスがあると、呼ばれた患者は第1診察室に入るわけです。よく聞いていると、第5診察室の医師は「○○さん、5バンにお入りください」と言っている。本来なら「5シン」とするところを「5バン」と言っているのはなぜか。「5シン」だと「誤診」の意味もあり、ゴロが悪い。だから、あえて「5バン(番)」と…。これは私の推測です。念のため。

 もう一つ待合室で気付いたことがありました。待合室にはモニターがあり、医師が30分ごとに予約を受け付けた患者の数がどこまで診察を終えているか棒グラフで表示されます。電子カルテがスタートした去年11月に行った時は、ある医師の進ちょく率がとても遅れていました。午前11時なのに午前9時00分-9時30分の受け付け分の表示となっているのです。つまり、1時間30分は遅れていたのです。

 当時、待ちあぐねた患者が看護師にその理由を尋ねると、看護師は「先生は不慣れなもので…」と返事に困っていました。その医師は丁寧な診察で評判なのですが、パソコンのキーボード入力が苦手らしく電子カルテの入力に時間がかかっていたのでした。あれから6ヵ月余り、その医師はどうなったか。驚くなかれ、ほぼリアルタイムで棒グラフが表示されているではないですか。世間では、「キーボード適応年齢は45歳まで」と言われています。見たところ50歳半ばの医師。おそらく、特訓したのでしょう。やればできる。その努力の跡がモニターに浮かんで見えました。

⇒10日(火)午前・金沢の天気

☆散居村で育むリアル教育

☆散居村で育むリアル教育

 きのう8日、「散居村(さんきょそん)」で有名な富山県砺波市へタケノコ掘りに行ってきました。散居村は平野部の水田に点在する家々のことで、それぞれに屋敷林(地元では「カイニョ」と呼ぶ)があり、家構えや庭木に至るまでそれぞれが独自の造形を凝らしています。どれ一つとして同じものがない、まさに日本の居住文化ではアパートやマンションと対極をなすのではないかと思います。

 その散居村で子育てグループを世話しているのが森満理(もり・まり)さんです。自らの住宅=古民家を「まみあな(狸穴)」と称して、「出会う、関わる、気遣い合う、支え合う」ということを実践している女性です。その森さんの自宅竹林でのタケノコ掘りです。
炊き上がりを待つ 

 ここに集う子どもたちが元気なのです。写真をご覧ください。タケノコご飯の炊き上がりを今か今かと待つ子どもたちです。炊き上がり後は想像に難くありません。子どもたちは元気に「おかわり」と茶わんを差し出していました。子どもらしい姿を久しぶりに見たような気がしました。

 森さんたちの活動は、テレビゲームやパソコンなどバーチャルな環境にどっぷり浸かっている今の子どもたちに自然や農業、手作業というリアリティーを体験させることで、心あるいは精神のバランスを取ることを教えているのです。まるで、「マンション」VS「散住村」のように「バーチャル」VS「リアリティー」の対極の構図にも見えます。人はこうした対極を体験することで複眼的な思考やバランス感覚を養うのです。

 ドイツの哲学者、ショーペンハウエルの寓話から生まれた「ヤマアラシのジレンマ」という心理学用語があります。寒い日、互いを温め合おうとする2匹のヤマアラシ。近づきすぎれば互いに傷つき、離れすぎれば凍える。そんなジレンマです。今の子どもたちはバーチャルの世界で妄想や攻撃的な感情を膨らませ、トゲがどんどんと長く鋭くなっているようにも思えます。人と人との適切な距離を保てなくなっているのです。森さんたちの活動は地道ながら、子どもたちの教育のあすを示唆する大きなテーマでもあるのです。

⇒9日(月)午後・金沢の天気

★仕掛け人がいる美術館

★仕掛け人がいる美術館

 オープンから7ヵ月、金沢市の「金沢21世紀美術館」がゴールデンウイーク期間中に80万人に達した。当初、年間の予想入館者数30万人と市は公言していたので、その数字を軽くクリアして初年度で3年分以上の数字を稼ぐ計算になりそう。
宇宙船のような外観 

 では、なぜこれだけの人が入るのか分析してみる。まず、壁面総ガラス張りの宇宙船のようなデザインの建物そのものがアートであり、話題性がある。この建物で、建築家の妹島和世さんと西沢立衛さんが去年9月、ベネチアビエンナーレ第9回国際建築展で金獅子賞を獲得している。その評価を受けて、最近でも、一般向けの建築・デザイン誌「カーサブルータス」や専門誌「建築技術」の表紙を飾った。

 もう一つの大きな理由が「仕掛け人」の存在だろう。館長の蓑(みの)豊さん。金沢生まれ、慶應義塾大学(美学美術史)、米国ハーバード大学大学院を修了し、シカゴ美術館東洋部長などを歴任、現在、全国美術館会議会長も務めている。その華麗な経歴に似合わず、話し振りは「人懐っこいオヤジさん」という感じ。アイデアやユーモアがポンポンと飛び出す。たとえば、館内にはこの建物に工事にかかわった2万人の名前を金属板に刻んで掲げてある。「その家族や兄弟、子孫が名前を見に足を運んでくれる。いいアイデアでしょう」とニヤリ。過日、蓑さんから直接聞いた話である。そうした「にぎわい」を創出するアイデアと実績が買われ、この4月から金沢市助役に抜擢された。その手腕に期待したいところ。

 ちなみに、この21世紀美術館には総工費113億円がつぎ込まれた。収入は年1億5千万円と見込むものの、管理運営費は年7億4千万円を予想、差額の5億9千万円は市の一般財源から毎年補填していくことになる。

⇒8日(日)午前・金沢の天気

★珍客がキャンパスに

★珍客がキャンパスに

金大院生の井上耕治君撮影 

 私のオフィスがある金沢大学の記念会館の裏山では、クロサンショウウオが産卵を終え、もうそろそろモリアオガエルが産卵の時季です。季節は確実に夏へと移ろっています。ところで、上の写真をご覧ください。ニホンカモシカです。角間キャンパスの里山に現れました。栄養が行き届いているのか、毛並みもつややかです。確かに最近数が多くなっているのですが、大学の構内に野生のカモシカがいるのはユニーク、まさに珍客です。

⇒7日(土)午前・金沢の天気