★数字で読み解く金沢大学①

★数字で読み解く金沢大学①

  金沢大学で「地域連携コーディネーター」という仕事をしている関係で、大学の概要を説明する際に数字を駆使する。きょうはその一例を。(※数字は流動するので四捨五入する。出典は金沢大学広報室発行のパンフレット「データで見る金沢大学」)

  学生(大学院生含む)は意外と多く10800人。一番多いのが工学部の2100人。そのうちの女子生徒は3分の1に当たる3700人である。これはまったくの主観だが、採用に7年間携わってきた元テレビ局プロデューサーの目で、「この子はアナウンサーに向いているかもしれない」と思わせる女性もいる。私がこだわる条件は①会話などに論理性がありブレない②トレーニングをすれば発音がよくなる可能性があること③ルックスに華(目元や顔の輪郭など)がある④態度に前向きさと謙虚さがある-の4点である。学生がよく集まる2つの学食で、「この子なら最終面接まで行きそう」と思った女性がこれまで3人いた。もちろん、「発掘」の余地はまだまだあり、半年後に同じテーマで書けばその数字は増えているだろう。私は学食でも目と耳をフル回転させている。

  一方の教授、助教授ら教育研究職員は1200人いる。「教える側」と「学ぶ側」の比率で言えば、1200:10800である。1人が9人を教えている計算だ。

  ちょっと驚く数字が収支だ。収入、支出とも概ね491億円(平成16年度)である。収入の45%は附属病院の収入と学費で賄われる。他のほとんどが運営費交付金などの税金である。金沢大学を学生と教職・事務職合わせて1万3000人の自治体だと仮定しよう。人口46万人の金沢市の今年度の一般会計予算が1550億円、人口11万人の小松市の一般会計予算が373億円である。金沢大学の予算は人口が8.5倍もある小松市より予算がひと回りも大きいのである。金沢大学は面積的に金沢市角間町という谷あいの山里に集中している。そういう風に見ると、とてもリッチな山里の町のようにも思える。

⇒5日(日)午前・金沢の天気 くもり 

☆続・ノーネクタイは楽じゃない

☆続・ノーネクタイは楽じゃない

  マスメディアはもうこの手のニュースは止めたらどうだろう。中央官庁で6月から始まった夏の軽装化の経済効果は1000億円に上るとの試算を生保系の経済研究所がまとめたとの記事がきょう4日付の各紙に掲載された。軽装化に伴う一連の出費は普通に夏物スーツを買うより3万円多いとし、国家公務員の男性25万人分なので75億円、さらに地方自治体や民間企業の12%が「今後、軽装を奨励する」という想定で、国内の男性ホワイトカラー計1500万人にこの数字を当てはめた経済効果が619億円、これに衣料関連の小売業などへの間接的な恩恵も含めた全体の波及効果は1008億円に上るというのだ。

  メディアに対し「止めたらどうだろう」と言ったのは、ノーネクタイの提唱は経済効果より本来もっと崇高な目的があったはずだ。夏のオフィス冷房温度を28度に上げて消費電力を抑制、二酸化炭素の排出量を減らし地球温暖化防止に役立てることだ。働く女性にも支持されるだろう。職場はネクタイに上着の男性優先で冷房がきつい。半袖やノースリーブの女性はカーディガンやひざ掛けで必死に冷房病から自衛している。ノーネクタイがあの悪しきオフィスの光景を変えることになるはずだ。

  机上で描いた経済効果の数字が独り歩きするほど怖いものはない。小中学校でのパソコン教育は当初、アメリカやシンガポールの学校を見て国際的な競争力に遅れるとの危機感から出発した。ところが、いつの間にか「IT革命で経済大国の夢よもう一度」と国の「E-ジャパン構想」の柱になってしまった。また、地上波テレビのデジタル化も、「1台30万円のデジタル対応テレビが国内の3000万世帯で普及したとして経済効果は9兆円」などと家電メーカーを勇気づける産業実験(6月1日付の「自在コラム」参照)になっているのである。国の教育や電波行政が、国民の金融資産1200兆円をいかに消費に回すか、そんなレベルの景気浮揚策の話に成り下がっているのだ。

  「獲らぬタヌキの皮算用」なのか「風が吹けば桶屋が儲かる」なのか、どちらでも構わないが、経済原則を当てはめると物事の本質論が歪められてしまう、と言いたかったのである。

⇒4日(土)午後・金沢の天気 晴れ 

★ノーネクタイは楽じゃない

★ノーネクタイは楽じゃない

  6月の衣替えで、政府がノーネクタイを奨励している。政府が夏の服装でキャンペーンをはるのは、羽田孜元首相の例の「半そでジャケット」以来のことかもしれない。当時、スーツの袖をちょん切って半袖にしただけのファッションにも見え、不評を買ったものだ。本人はいまでも夏はあのルックで通してているが、あれ以来表立って政府が夏の服装でキャンペーンをはることがなかった。でも、今回のノーネクタイはある種の思い入れが自分なりにある。

  私は1991年1月以来、冠婚葬祭を別にして、職場ではずっとノーネクタイを通してきた。当時、ある事情で会社(マスコミ)を辞めたのがきっかけ。その時、会社に残った同僚らが「社蓄」にも思え、ネクタイはその象徴のように感じ嫌悪感を持った。それ以来、ネクタイをすると首が絞まるように感じ、ある種の「絞首恐怖症」になったのである。「なぜネクタイをしないのですか」と問われると、「首に不快感を感じるもので・・・」とだけ説明してきた。その説明が手っ取り早かった。

  しかし、儀礼を重んじる日本の社会でノーネクタイで通すのは至難の業である。目上の人との応対、会議などでジロリと睨まれたこともたびたび。その後に転職した会社(テレビ局)の初めての辞令交付式で、社長から「君はネクタイをしないのかね」と問われ、「ノーネクタイの宇野で通します」と答えると、社長は「そうか、ノーネクタイが君の売りならば、それで通せ」と理解のある言葉をいただいた。それ以来、半ば会社で公認となった。大臣や知事の取材、スタジオ出演、シンポジウムの司会など公の場もこれで通したのである。ただ、先に述べたように、葬式か結婚式か判然としないので礼服は一応、白黒をつけた。

  ところが、金沢大学に再就職したことし4月19日、私はネクタイを締めた。この日、打ち合わせがあり、かつてお世話になった会社をネクタイ姿のまま訪れた。専務に「初めて見た、おーいみんな・・・」と随分と冷やかされた。突然の心変わりのように思えるが、実は大学では周囲のほとんどがノーネクタイなので、「売り」が薄れたのである。自分なりの意地の張り合いがなくなったとも言っていい。むろん、毎日ネクタイで通勤しているわけではない。気分に応じて、である。

  今回の話はこれでお終い。最後にひと言、会社勤めでノーネクタイというのは、性格的にも相当変わった人物が多い。ひねくれているか、アウトローか、腹に一物持っているか、自由人と称すキザ男か、まともな人はいないと思ったほうがいい。これは同じ姿の人物を長らく観察したことから得た経験則である。自分はどのタイプかは分からないが・・・。

⇒3日(金)午後・金沢の天気 晴れ

☆危うさはらむテレビCM

☆危うさはらむテレビCM

  きのうに引き続き、新聞で掲載された民放テレビ局の3月期決算を読み解く。ローカル紙で、ある県の民放の決算内容が出ていた。地方局もスポンサーである企業の業績回復の追い風を受け好業績であるものの、気になった点がある。

  その記事には、営業の収入の伸びを牽引している業種について書かれていて、「交通・レジャー、流通・小売り、自動車関連の広告収入が10%以上伸び」となっていた。その県の視聴者ならおそらく想像がついたはずだ、「交通・レジャー」が具体的に何を指すのかを。パチンコのCMである。ローカル民放で目立つのは、朝の消費者金融、夜のパチンコのCMである。とくに、パチンコは「出玉、炸裂!」などと絶叫型のCMが多いので、見ている方が圧倒される。パチンコはマーケットが狭い分だけ、CMは過激なのである。

  実は、このパチンコ業界は「自主規制」という装置を持っている。これまでも、警察から「無用に射幸心をあおる」と自粛を求められると、自主規制に動いてきた。テレビCMがストップしてしまうのである。記事が掲載された同じ日、金沢市内のパチンコ店経営の会社が事業を停止し、自己破産を準備中との記事が出ていた。負債は7億円。かつて、この店の過激なテレビCMを見たことがある。企業業績が回復し経済の循環がよくなると、人の足は「身近なレジャー」であるパチンコに向かわなくなる。自己破産のニュースは小さい扱いながらも、パチンコ業界に衝撃が走ったはずだ。ローカルのテレビCMを牽引してきたパチンコ業界も曲がり角にある。

  「売上アップのためには、背に腹は代えられぬ」とパチンコのCMを無制限に受け入れてきたローカル民放もそろそろ方針転換を図るべきだ。総量規制や時間規制を設けてソフトランディングすべきだろう。いや、その前にパチンコ業界が自主規制の先手を打ってくるかもしれない。この場合、ローカル民放に激震が走る。

⇒2日(木)午前・金沢の天気 くもり

★デジタル・ブラックホール

★デジタル・ブラックホール

  テレビ業界の3月期決算が出そろった。新聞などで見る限り、スポンサーである企業の業績回復を受けて広告収入が伸び、多くが経常増益となっている。営業収入は各社でバラツキはあるものの4%から8%の伸び、民放テレビ局の経営陣はホッと胸をなで下ろしているだろう。しかし、新聞記事から読めるいくつかの問題もある。

  5月31日付の朝日新聞経済面では、関西の主な民放テレビ5社の3月期決算が紹介されていた。おおむね好決算の内容の記事の末尾は「だが、地上デジタル放送に対応した放送機材の高度化費用が負担となっており、06年3月期はほぼ全社で経常減益を見込む」と締めくくられていた。簡単に言えば、今年度はデジタル放送関連の設備投資が膨らみ、経常利益は減るというのだ。この記事の意味するところは何か。

  東京、大阪、名古屋のいわゆる東名阪地区はローカル局より早く地上波のデジタル化を終えている(2003年12月)。記事にある「放送機材の高度化費用」とは、データ放送の充実や、携帯向けの「1セグ放送」などの次なるデジタル化への設備投資なのだ。放送機材はそれぞれの局に応じたオーダーメイドで生産されるため高コストが常だ。問題は、データ放送や1セグ放送の設備投資をしたからと言って、十分なペイがあるかという一点に尽きるが、これはない。企業の広告宣伝費がデータ放送、つまりテキストコンテンツにまで回るだろうか。さらに、地上放送とは別の番組を流すことになっている1セグ放送も余程魅力あるコンテンツでないと課金などのビジネスモデルの構築は難しいだろう。

  民放は利益率が高い。国はそこをよく見ていて、地上波のデジタル化によるさまざまな可能性を試すことによって、家電の売れ行きなど経済への波及効果を期待している。これは、とりもなおさず「大いなる産業実験」なのだ。いくら利益を出しても、国の産業実験に次から次へと付き合わされ利益を吐き出していく。際限なきデジタル化投資、まるで、ブラックホールかアリ地獄に落ちた徒労感を感じている経営者も少なくないはずだ。民放が国のライセンス事業である限りつきまとわれる。

  そうこうしているうちにインターネットの広告市場がテレビCM市場を追い上げてくる。ブロードバンド放送(ビデオ・オン・デマンド)が爆発的に普及し始めるのも時間の問題だ。そうなればテレビメディアのそのものの存在感が薄れ、広告シェアが落ちる。テレビ業界は今後どう新たなビジネスモデルを開発していくのか。

→1日(水)午前・金沢の天気 晴れ

☆デジタル兼六園を散策す

☆デジタル兼六園を散策す

   池の向こうに茶亭の静なるたたずまい。水面に林と空の相克がある。この「和の空間」には緊張感すら漂う。江戸時代、歴代の加賀藩主は兼六園(金沢市)の造り始めから現在のかたちにするまで180年余りの歳月をかけた。明治以降、庭の主(あるじ)が代わり、兼六園が公園として市民の庭になってから130年、毎日のようにこの庭に手入れが施されてきた。金沢の人々や旅人が感動するのは、庭の造形美や草木の美しさもさることながら、営々とこの庭に注がれてきた人の心血を思うからである。その兼六園が21世紀にデジタル映像で表現された。

   兼六園の風景を収録したDVDとCD‐ROMの2枚組みの「名園記」が発売された。北陸朝日放送と博文堂が中心になって制作した。いわば、テキストと動画、画像による兼六園の集大成である。DVD(24分)の映像は、四季折々を1年間かけてハイビジョン撮影したもの。普段は入ることのできない茶室「夕顔亭」から滝の眺望、雪の積もった早朝の園内など、地元でもあまり知られていない兼六園の様々な表情を紹介している。ハイビジョン撮影は木々の色の深みを感じさせ、これまで肉眼では気付かなかった枝葉の表情までもが見て取れる。CD‐ROMには兼六園の貴重な古地図なども収録された。日ごろ見ることのできない画像もふんだんにある。内容としては、兼六園の百科事典と言える。

   今回のDVD化とCDーROM化は、石川県が進める「石川新情報書府」事業の一環として制作された。文化資産を、将来にわたって継承するために最先端の情報技術で記録・保存する試みだ。デジタル化された最新の映像で兼六園を改めて眺望する、これは「21世紀に生きる価値」というものではないだろうか。税込み3990円。問い合わせはシナジー社 <synergy@notomedia.com>。

⇒31日(火)午前・金沢の天気 くもり

★イリジウムのトラウマ

★イリジウムのトラウマ

   誰にだって二度と思い出したくないことがあるものだ、特にそれがひどいのをトラウマ(精神性外傷)という。その言葉を聞いただけで、神経症やヒステリーなどの精神障害の発生原因となる。私の場合、そこまではいかないが、トラウマの一つになっているのが「イリジウム」である。きのうある新聞を広げると見出しが目に飛び込んできて、過去の暗い思い出が一瞬によみがえってきた。

   以下は記事の要約である。衛星携帯電話「イリジウム」が復活する。KDDI子会社のKDDIネットワーク&ソリューションズ(KNSL、東京)は6月上旬にもイリジウムサービスを始める。日本では一度終了したサービスだが、一般の固定電話や携帯電話がつながりにくくなる災害時への備えとして官公庁や地方自治体などに売り込む予定。初年度300台の契約を目指す。

   あれは、1999年のことだった。当時、地元金沢の民放テレビ局の報道制作部長だった私は、山間地が多く取材上で携帯電話がつながりにくいことにヤキモキすることが多かった。その時、テレビのCMで流れていた、砂漠や南極からも電話がかかるというキャッチコピーのイリジウムに随分魅せられ飛びついた。その時、導入を渋っていた当時の総務局長に「NTTの衛星電話という手もあるのではないか。君はあのCMにほだされているのではないか」とまで言われたが、「NTTはセットアップに時間がかかる。山岳遭難があってもこれがあれば電話中継もできる」と大見得を切って、最終的にイリジウムを導入してもらったのである。

   ところが、そのイリジウムは米イリジウム社が経営不振に陥り、2000年にサービスが打ち切られた。結局、山岳遭難もなく、取材らしい取材には一度も使わずに、イリジウムは私の目の前から去っていった。総務局長から「だから言ったろう、CMにほだされるなって」とニコニコ顔だったもののきつい言葉を浴びた。

   私は前向きに物事を考える性格で、失敗があれば人生の教訓として生かすことにしている。が、このイリジウムの一件は、見通しの甘さだったのか、単なる倒産というハプニングだったのか、教訓を引き出せなかった。トラウマのようになったのは、むしろ自分なりの心の割り切りができないまま今日に至ったからだろう。確かに、「たかがイリジウムで」というレベルの話ではある。最後にイリジウムのサービスを再開するKNSL社に言いたい、経営が傾くほどCMに力を入れるなよ、と。

⇒5月30日(月)午前・金沢の天気 晴れ

☆教授が市民に語るとき

☆教授が市民に語るとき

  私は、金沢大学「地域連携コーディネーター」という肩書きの名刺をもらい仕事をしています。その仕事の一つが、大学が取り組んでいるプロジェクトを地域に広く知ってもらうという、いわば広報なのです。そこできょうは以下のお知らせをさせてください。
                 ◇
6月8日に朝日新聞金沢総局で勉強会
「里山に学ぶ――金沢大学の実践から」をテーマに/中村浩二・金沢大学教授が講演

 読者と記者が語り合う朝日新聞金沢総局の第17回勉強会が6月8日(水)午後7時から、金沢市片町1丁目の総局4階ホールで開かれます。今回の講師は金沢大学教授(自然計測応用センター)で、同大学が角間キャンパスに99年に開校した「角間の里山自然学校」の代表を務めている中村浩二さんです。豊かな自然と人間の触れ合いの場である里山は、教育・研究の場であるとともに、地域住民の生涯学習や子どもたちの自然体験の場として近年、注目を集めています。金沢大学では、自然科学、人文・社会科学の諸分野の成果を生かした体系的な「里山学」の構築に取り組んでいます。中村教授はそのリーダーで、昆虫の生態学を中心に環境と生物の多様性についての研究を重ねています。勉強会では、金沢大学のこれまで取り組みや里山のもつ多様性などについて、スクリーンに拡大写真を写すなどしてわかりやすく説明します。参加は無料です。お気軽にご参加ください。問い合わせと申し込みは金沢総局(076・261・7575)へ。
                      ◇
  写真の人が中村教授です。教授はちょっと嫌がりましたが、写真を撮らせていただきました。中村教授は上記の紹介のように生態学の優れた学者ですが、おそらく本人も気付いていない、別の才能を私は見出しています。ちょっと強面(こわおもて)の風貌、関西弁の交渉術、褒(ほ)め上手の人心掌握術、根回しの外交術、そして何より野性味のある創造力が持ち味です。これは政治家の才なのです。歴史上の人物でいえば、司馬遼太郎が「国盗り物語」で描いた斉藤道三とその人物像がダブります。

  6月8日は、FIFAワールドカップ・アジア最終予選の「日本-北朝鮮」戦の日ですが、おそらくこの時点では勝負もついていることでしょう。朝日新聞金沢総局に足をお運びいただければ幸いです。
  
⇒29日(日)午前・金沢の天気 晴れ 

★バーチャルを出よ

★バーチャルを出よ

  作家・村上龍氏の近未来小説「半島を出よ」が話題になっている。北朝鮮のコマンド9人が開幕戦の福岡ドームを武力占拠し、続いて輸送機で484人の特殊部隊が来襲、市中心部を制圧する。彼らは「反乱軍」を名乗り、財政破綻し国際的孤立を深める日本がパニックに陥るという設定だ。村上氏には、何を話題にすれば「ミリオンセラーになるか」を見抜くクールなビジネス感覚がある。90年代の金融危機、日本人の自信喪失、学歴社会の崩壊、子どもの就業意欲などテーマ選定はどちらかというとジャーナリスト的かもしれない。小説のタイトルをもじった訳ではないが、今回は「バーチャルを出よ」をテーマにした。

  きょう28日、金沢大学の角間キャンパスで「里山自然学校」の田植えがあった。市民ボランティアがキャンパスの谷間にあるかつての棚田を復元してくれた。そこに家族連れらが集って、田植えをしたのである。写真は苗床から自分が植える分の苗を取っている光景だ。この苗床でちょっとしたハプニングがあった。就学前と思われる男の子が田んぼに入ろうとしないのである。「ヌルヌルで気持ちが悪い。汚れる」と頑なに皆の誘いを拒否する。強制もできないので、しばらく様子を見ることにした。そして苗床にほとんど人がいなくなって、自分の身の処し方に困ったか、男の子は突然、田んぼに入り苗を取り始めたのである。

  いったん田に入ると、男の子は田植えに夢中になった。頑なに田に入るのを拒否していたときの顔と、田植えに夢中になっている顔が全然違うのである。時間にして30分ほどの時間差でこれほど生き生きとした表情になるのかと周囲が驚いたくらいだ。男の子は田に入ることを拒否したものの、どうしようか葛藤したはずだ。そして、自分で決断し、ヌルヌルの田に自ら入ったのである。

  いまの子供達はテレビゲームなどバーチャルの環境に浸りきっている。バトルゲームであっても自分が苦痛や汚れを感じることはない。従って、内なる葛藤は存在しない。没頭するだけである。しかし、田植えなどの作業は疲労や汚れ、アンバランスなどリアルの感覚を伴う。しかし、人はリアルな場面に直面し、心理的葛藤を経て初めて解決の方法を創造していくことができる。これが精神的成長だ。この男の子がたどった心理的なプロセスはおそらくこのようなことだったのだろう。そして、「半島を出よ」で北朝鮮の特殊部隊に立ち向かっていく若者たちも戦場のリアリティーを目の当たりにし、戦いに挑んでいくのである。

→28日(土)午後・金沢の天気 晴れ 

☆学食グルメで「5月病」対策

☆学食グルメで「5月病」対策

   職場である金沢大学へはバスで通勤している。時間にして30分ほど。途中で、大学の女子寮の学生が大勢乗ってきて、バスは立錐(りっすい)の余地がないくらいに混む。ところが最近、バスに乗ってくる学生の数が目に見えて減ったように感じる。さては、「5月病」かと。教育学部のある教授によると、「学部によっては20%余りの学生が5月のゴールデンウィーク明け頃から学校に来なくなる」という。確かに、5月病はいまに始まったことではない。30年前、私が学生時代にもその言葉はあった。だからあえてその説明は繰り返さない。

   私がオヤっと思ったのは、その「5月病」になりかけた学生をいかに大学に来させるかという工夫である。それは「学食」を楽しくすることに尽きる。友と語らい、おいしい物を食べる。大学っていいな、と思わせる。つまり、食べ物で「釣る」のである。ずばり「九州・沖縄フェア」、今月9日から始まった学食のグルメ・キャンペーンである。「大阿蘇鶏卵とじ丼」(380円)、「黒豚メンチかつ」(240円)など盛りだくさん。中でも私が気に入っているのは、「冷やし五島うどん」(380円)だ。越前そばの「おろしそば」と同じく、辛みのダイコンおろしに花がつおが添えてあって、細麺のうどんののど越しが絶品である。これが380円なら、毎日でも食べたいと思う。最近人気の沖縄ゴーヤチャンプルなどもメニューにあって、会話が弾まないはずがない。ひと昔前の「安い、まずい、冷たい、混む」の学食とは様変わりである。このフェアはきょう27日まで。おそらく「5月病」対策第2弾を考えているはずだ。期待したい。

   ついでに、学食で拾った小咄(こばなし)を2つ。女子大生の会話である。A子「最近、ケータイのストラップを首にかけている男の子って多いよね」。B子「男の子って、生まれつきぶら下げて歩くの好きなんじゃないの」。B子「・・・・?」。もう一つ。ちょっと甲高い声で話すファンキーな感じのC子が帽子のコレクションの自慢話をしていた。C子が飲み物を買いに席を立った。D子とE子の会話である。D子「あの子って、APAのCMに出てくるおばさんに感じ似ているよね」。E子「そうそう、アパおば子・・・」。

→27日(金)午後・金沢の天気 晴れ