★変わる時代の雰囲気

★変わる時代の雰囲気

  民主党の代表選は、小沢一郎氏(63)と菅直人氏(59)の争いとなる。7日に行われる代表選に向けて立候補を表明したが、現段階では、保守系や旧社会党系などに支持を広げる小沢氏が優勢と見られている。

 5日の記者会見を見る限り、ともに自民党との対立軸の明確化を強調し、送金メール問題で傷ついた党の「再生」を掲げていた。が、小沢氏は前副代表、そして菅氏は元代表なのでテレビで映るその姿や主張には新鮮味が感じられなかった。ちょっと酷な言い方かも知れないが、「時代が戻った」という印象なのだ。

 この懸念は自民党に対しても同じだ。おそらく小沢氏が代表になれば、9月の自民党総裁選にも影響が及ぶだろう。「小沢氏に対抗できるベテランを総裁に」との逆ネジ作用が働くからだ。そうなると人気が高い若手の安倍晋三氏の線が弱まり、福田康夫氏(元官房長官)らベテランが党内では浮上してくるに違いない。

 こうなると、経済でも若手の堀江貴文・ライブドア前社長が失速しており、政治からも経済からも若さが失われたような印象になる。ベテランが悪いと言っているのではない。時代の雰囲気に若さを欠くと、意識の上で停滞が起きる。それがなんとも暗く重く、鬱蒼(うっそう)としたように感じるものだ。そんな予感がしてならない。

⇒5日(水)夜・金沢の天気  くもり

☆「次の次」を読む

☆「次の次」を読む

 代表辞任を表明した民主党の前原誠司氏はきょう2日のテレビ番組などに出演していたが、精彩を欠いていた。去年9月18日、前原氏が新代表になった翌日にたまたま京都を訪れた。比叡山のふもとから大原にかけてが前原氏の選挙区でもあり、選挙用ポスターがまだ貼ってあった。そこで初めて、ここが民主の新代表の地盤と知ったのだ。あれから半年余りでの辞任劇である。しかし、これも対応を誤り国政を揺るがせた政治プロセスの一つと冷静に理解すれば当然の帰結なのだろう。

 2月23日付「自在コラム」の「★完結・『真偽の攻防』を読む」で今回の偽メール問題の行く末を読み解いた。大筋で外れていない。新しい代表が小沢一郎氏で決まればほぼ読み通りだ。きょう2日、小松空港に家人を車で送った帰り、小松市内を走っていて、去年9月の総選挙のポスターを見つけた。そのポスターにたまたま小沢氏が映っていたので携帯電話のカメラで撮影した。古びたポスターであるものの、「次なる時の人」が映っていると価値が出てくる。

 しかし、小沢氏はどちらかというと「黒幕」の人である。表に立つとかえって外交や安全保障で党内が鮮明に割れて収拾がつかなくなる懸念がある。それでもこの人が立たないとおそらくいまの民主党は治まらない。そこで党内のバランス論で菅直人氏が幹事長に就任という線が出てくる。

 そして問題は自民である。仮に民主が小沢氏ならば、9月の自民党総裁選は安倍晋三氏に有利に働くのだろうか。自民党内でもバランス感覚が働いて、「小沢氏に対抗できるもう少し毒気のある人物を」いう党内の雰囲気が出てくると、安倍氏の立場は微妙になる。「次の次」を読むポイントではこの点ではないかと思う。

⇒2日(日)夜・金沢の天気  くもり

★ブログと向き合った365日

★ブログと向き合った365日

 ブログを始めて丸1年になる。1年と表現すると感覚のデフレーションを起こしそうなので、あえて365日とした。事実、去年4月にブログを始めて一日一日の区切り、あるいは「けじめ」という充実感が日々あり、意味ある365日だった。

   ブログを始めたおかげで毎日の五感が研ぎ澄まされた。何かを文章表現しなければというある種の「知的な飢え」のようなものである。とくに視覚と言語感覚が連携を始めた。視覚、つまり撮影した1枚の画像から湧いてきた文章表現も多々ある。逆に文章表現によってこれまで視覚的に無視してきたモノに価値を持たせることができたケースもあった。

  「ブログを書く」という一つの行為が習慣を変え、習慣が変わることで思考方法が変わり、思考方法が変わることで人生観も変わった。これがブログを始めて一番大きな収穫ではなかったかと思う。「自在コラム」の365日を数字でまとめてみた。

  237 この1年間で書いた本数である。毎日書けば365本、これを100%とすると65%、つまり「ブログ化率」65%となる。始めたころは「意地でも毎日書こう」と張り切ったが、最近は「週3本ほど」を心がけている。私の書き方はタイトルでも銘打っているようにコラム形式を取っている。結論は出さないが、考え方を整理して書くという手法だ。日々のことを日記風に記録し云々という気負いはない。

  1187 週間のIPアクセス(訪問者)数で最高だった数字だ。「gooブログ」では毎日(7日分)と週間(3週間分)のアクセス状況(IPアクセスとページビュー)が表示される。3月19日から25日の1週間の間に1187人が訪れ、3665ページを見てくれたことになる。一時的だったがgooブログの50万サイトの中で700位ぐらいにランキングされた。この記念すべきヒット数の原動力となったのが「☆祈りの回廊‐野町和嘉ワークス」(3月20日付)だった。一日のIPアクセス数でも250を記録した。

  20 「自在コラム」では長文を避けるために1000字前後の文章を目安としている。このため、シリーズで小分けして書くことがままある。そのシリーズの最も長いのが20回。シリーズ名は「ブログの技術」。ブログ作成のノウハウをまとめたものだ。しかし、この企画は機会を見て再開しようと思っているので記録はさらに更新できそうだ。

 ⇒1日(土)午後・金沢の天気  はれ

☆鯉のぼり掲揚記念エピソード

☆鯉のぼり掲揚記念エピソード

 金沢大学の創立五十周年記念館「角間の里」でこの26日に「鯉のぼり」が揚がった。晴天が続き、気持ちも春へと高まったのだろう。市民ボランティアの人たちがひと足もふた足も早く季節を先取りした。その「角間の里」がオープンしてから間もなく1年、実にいろいろな人がここを訪れた。その時の言葉などをまとめてみた。

  イギリスの大英博物館名誉日本部長、ヴィクター・ハリス氏が訪れたのは去年7月9日だった。ハリス氏は日本の刀剣に造詣が深く、宮本武蔵の「五輪書」を初めて英訳した人だ。日本語は達者である。年季の入った梁や柱を眺めて、「この家は何年たつの?えっ280年、そりゃ偉いね。大英博物館は250年だからその30年も先輩じゃないか…」とハリス氏は黒光りする柱に向かって軽く会釈した。古きもの、価値あるもを大切にするイギリス人の所作を見た思いがした。

 文部科学副大臣の馳浩氏がこの「角間の里」で林勇二郎学長と広報誌向けの対談をしたのはことし2月4日のこと。文部行政から人づくり、さらに話は政治や外交にまで及び時事放談のように熱くなった。炬燵(こたつ)に入っての対談。最後に「こんなにボクをしゃべらせたこの家が悪い」と茶目っ気たっぷりにミカンをパクリと。それにしても、こんなにエキサイトした馳氏を見たのは久しぶりだった。

  金沢大学が外国プレスの東京特派員を招いたのは同じく2月の16日。女性記者のイリス・ジェラートさんはここで「劇的」な出会いをした。近寄ってきた金沢大の留学生ミハルさんと抱き合って喜んでいた。二人はイスラエル出身。初対面だったが、とても懐かしそうにヘブライ語で語り合っていた。その光景が何となく理解できるような気がした。極東の日本、しかも東京から離れた北陸。外は雪。こんな場所で同国人と出会ったら懐かしさが込み上げてくるのも無理はない。

  「人を懐かしくさせる場の演出」「価値ある古建築」「会話を醸し出す雰囲気」などこの建物にはいくつもの魅力がある。この家で交わった数々の人のエピソードの中からほんの触りを紹介した。

 ⇒31日(金)朝・金沢の天気   くもり   

★凍えるツクシ

★凍えるツクシ

 これを名残り雪という。戻り寒波の影響で、今朝(30日)の最低気温は金沢で2.6度、輪島の山間部で氷点下1.3度だったとテレビの昼のニュースで伝えていた。金沢大学角間キャンパスでも数㌢の積雪があった。

  積もったに雪に顔を出していたのが春の使者、ツクシだ。携帯電話のカメラで撮った凍えるツクシ。「せっかく陽気に誘われて顔を出したのに、無粋な雪や」と文句を言い合っていそうな立ち居姿ではある。

  あす31日まで寒波は残るという。クリーニング屋に持っていくために家人がたたんくれた厚手のセーターをまた広げた。そんな朝があとしばらくは続きそうだ。

⇒ 30日(木)午後・金沢の天気   ゆき

☆ミステリーゾーンを踏査する

☆ミステリーゾーンを踏査する

 さながら探検のようだった。きょう28日、金沢大学「角間の里山自然学校」の市民ボランティア「里山メイト」のM氏(75)のガイドで「ミステリーゾーン」を踏査した。地元では、御瀑野(おたきの)と呼ばれる地名で、昔から土地の人が近づきたがらない場所である。風が吹いていないのに木の葉が舞い、大木がそよぐ。誰も木を切っていないのに、大木が倒れる。ベテランが道に迷う。地元の多くの人が「不思議な体験」をしている場所だ。

 場所は金沢大学角間キャンパスの北側隣接地に当たる。尾根伝いに道があり、「仏教道」と土地の人は呼んでいる。15世紀の終わりごろ、浄土真宗の蓮如上人が北陸布教の折に利用した道と言われ、「蓮如の力水(ちらかみず)」という湧き水や「御講谷(おこうだん)」と呼ばれる地名も残っている。尾根の道は幅1㍍ほど。偉いお坊さんと村の人々がこの道ですれ違う度に、お坊さんは「極楽へいくために念仏を唱えるのじゃ」などと声をかけ、蓮如ファンを獲得したのだろうなどと想像しながら歩いた。

 ミステリーゾーンはその仏教道から横道にそれる。M氏が30年ほど前の記憶をたどりながら歩いて行く。途中で道はなくなった。笹薮だ。それをかき分けて進むとまた道らしきもものがあり、ようやく御瀑野にたどり着く。M氏はここで何度も何度も道に迷う不思議な感覚に襲われ、命からがら自宅に戻った。すると、父親から「よう戻った。あそこには魔物がいる。近づくな」と昔からの言い伝えを聞かされた。だからM氏がこの地に立つのは30数年ぶり。

 この地は海で言えば岬の突端にようになっていて、三方が谷にかこまれている。見晴らしがよい。向こうにはゴルフ場が見える。M氏は「ゴルフ場が見えるようじゃ、魔物の力も落ちたのかな」とつぶやいた。すると私を含め同行した4人のうちの1人が「あっ」と叫んだ。そして「あのゴルフ場はバブルの末期に造成したんですが、確か工事中に2人が死んでいますよ」と。この後しばらく沈黙が続いた。

 確かに薄気味が悪い、と私も感じた。とくに、谷から風がゴーッと鳴り響いているのである。どこかで聞いたことがある音だと。思い出した。1983年5月26日、能登半島の突端にある輪島市で日本海中部地震の津波に遭遇した。海の向こうから押し寄せてくる波。その時の轟(ごう)音と似ているのだ。三方からの谷風が絶え間なく吹き上げてくる。

 M氏によると、御瀑野という地名は、見下ろす谷に瀑布(ばくふ=滝)があって、その近くの洞穴に昔、修験者がいたとう言い伝えがある。ここには土地の人が近づかないので、いいジネンジョが採れるらしい。それでもM氏ら土地の人は近づかない。

 ここに30分ほどいて、道を戻って大学キャンパスに着いた。道すがら、オウレンやキンキマメザクラが可憐な花をつけていた。

(写真・上は「仏教道」と呼ばれる尾根の道、中は30数年前の不思議な体験を話すM氏、下は苔むしたアベマキの老木)

⇒28日(火)夜・金沢の天気   雨

★不思議な春の日差し

★不思議な春の日差し

 北陸にもようやく春がやってきた。風には冷たさが残るものの、金沢市の中心部、兼六園に通じる広坂通りには花見のぼんぼりが取り付けられ、春のムードを醸し出している。その広坂通りを歩いていると、旧・県庁の正面にある2本の巨樹の目立つ。

  この2本のシイノキは「堂形(どうがた)のシイノキ」と呼ばれ、この界わいのシンボルともなっている。樹齢が400年とも推定され、国の天然記念物(1943年指定)なのだ。幹のまわりが5㍍から7㍍もある巨樹だけに、枝葉を円形に広げてバランスをとっている姿がなんとも威風堂々とした感じだ。

  いつもは通勤バスの車窓から眺めるだけなのだが、きょうは春の日差しに誘われた歩いて近寄ってみた。不思議な感覚にとらわれた。まるで、森に入ったような気分になったのである。枝葉からこぼれる日差しがわずかな風に揺れている。野鳥のさえずりもして、「里の錯覚」に陥る。不思議な光景だった。

  このシイノキの持つオーラ(樹霊)なのか、単なる春の迷いなのかは分からない。話はこれだけである。

 ⇒24日(土)午前・金沢の天気  はれ

☆波乱、薄氷の勝利

☆波乱、薄氷の勝利

  今週の話題はなんと言っても、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本がキューバを下して「初代世界一」になったことだろう。2次リーグではアメリカ戦で「誤審騒動」もあって1勝2敗と苦しんだ。しかし、アメリカがメキシコに敗れる波乱もあり、2位で準決勝に進出。今大会では2戦2勝している韓国に6-0で雪辱して決勝進出と、運も手伝った薄氷の勝利だった。

  ところで、連日のWBCの大見出しに他のニュースはかき消されたかのような感じのこの一週間だったが、石川県でもヒヤヒヤの勝利があった。19日に投開票された石川県議補選で、森喜朗前総理の長男、祐喜氏(41)=自民新人、森氏の地元秘書=が相手候補に405票の僅差で逃げ切った。

  この県議補選では、森前総理は出陣式でもマイクは握らず、ただ支持者に頭を下げているだけだった。その代わり、公示前後に麻生外務大臣、安倍官房長官、自民党の中川政調会長らそうそうたるメンバーが選挙区に入り、まるで国政選挙並みの応援だった。競り合った相手候補は無所属新人の53歳、現在は建築設計士で元県職労委員長だった人。激戦を反映して、投票率は同時に行われた県知事選(40.10%)をはるかに上回る70.28%だった。

  僅差で逃げ切った祐喜氏だが、敗れた相手の方が敗戦の弁に勢いがあった。「勝敗では負けたが、選挙では負けてはいない」と。なぜか。森氏の地元である能美市では、祐喜氏の11728票に対し、相手方は12085票と357票上回っているのである。テレビのインタビューで、森氏の選挙参謀が「17日の総決起大会で予想外に多くの参加があり、気が緩んだのではないか」と分析していたのが印象的だった。

  今回は県議補選。一年後に県議選があり、両者の熾(し)烈な選挙はもう始まっているのかもしれない。

⇒24日(金)午後・金沢の天気  はれ

★「フレスコ画のダイナア」

★「フレスコ画のダイナア」

 人と人の顔が似ている、似ていないはそれを見る人の感性の違い、と言われる。その点を踏まえて秘蔵の写真を一枚を紹介しよう。イタリアのフィレンツェにあるサンタ・クローチェ教会の壁画に描かれている「聖十字架物語」の一部。フレスコ画である。金沢大学は国際貢献の一つとして、この壁画全体(幅8㍍、高さ21㍍)の修復プロジェクトにかかわっており、ことし1月、現地を訪れた。

  キリストが掛けられた十字架の木の由来を説明する8枚の連作の一部に描かれたこの絵は、4世紀はじめ、ローマの新皇帝となったコンスタンティヌスの母ヘレナ(中央)がキリストの十字架を発見し、エルサレムに持ち帰るシーンを描いたもの。ふと、聖女ヘレナの横顔が故・ダイアナ妃にとても似ている感じがして思わずカメラを向けた。1380年代にアーニョロ・ガッティが描いた大作がこの「聖十字架物語」なので、正確に表現すれば、97年8月に事故死したダイアナ妃がこの作品に似ているとすべきなのだろう。

  と同時に、「うつくしい」女性を見る感性や描き方はヨーロッパでは14世紀も21世紀もそう違いがない、ということに気がつく。聖女なので一番「うつくしく」表現されている。側の侍女もそれなりだが聖女にかなわない。ここで思う。日本ではいわゆる万葉美人や江戸の美人画からは現代のそれとは感覚を異にするのではないか。歌麿の美人画を私は「うまい」(巧み)と思うが、「うつくしい」と感じたことはない。でも当時の感性には訴えたのであろう。

 日本のように、歴史を経て美の感性や表現は変わるものだと思っていた。時代とともに人々の感性が変わるからだ。ところがヨーロッパでは変わらない。これは一体何なのかと、この「フレスコ画のダイアナ」を見て思いをめぐらした。結論はない。

⇒21日(火)午前・金沢の天気  はれ

☆祈りの回廊‐野町和嘉ワークス

☆祈りの回廊‐野町和嘉ワークス

 インターネット上ではすでに無数の動画があふれている。でも私自身これまで心を揺さぶられたとか、最後まで心して視聴したという動画は正直お目にかかったことはなかった。でも、きのう19日、初めて「感動もの」と言えるムービーとめぐり会えた。写真家、野町和嘉氏のサイトである。

  去年5月、金沢の知人の紹介で初めてサイトを見て、この「自在コラム」でリンクを勝手にはらせてもらっていた。きのう久々にサイトを訪問して動画の存在に気がついて視聴した。そして、目頭が熱くなった。

  野町氏はイスラム教のメッカ、カトリック教のバチカン宮殿、チベット仏教、ヒンズー教のインドと、それこそ彼自身が「祈りの回廊」と呼び、世界の宗教の祈りの現場を撮影に歩いた。死を迎えるため、200㌔も離れた村からインダス川のほとりにやってきた老女、マイナス10度のチベットの聖地を野宿しながら向かう人々、一日わずか15分しか日差しのない洞穴で祈りを捧げるエチオピアのキリスト教信者…。

  野町氏は「なぜ人々は祈るのか」を念頭に置き、撮影を続けてきた。その世界は、金で心も幸福も買えると信じている人々とはまったく別世界の人たちの姿である。そして、野町氏は「なぜ人間は祈るのか。それは人間のDNAかもしれない」と言う。自らの来し方行き先をふと振り返ってみると、余りにも慢心し敬虔さを失ってしまっている自分の姿が見えてくる。

  ストリーミングに引き込まれる。砂漠と天空のコントラスト、野町氏を受け入れ信者の目線と一体化したアングル。そこには自然と人間、生と死が活写されている。この映像をぜひとも文化遺産として残してほしいと思った。

 ⇒20日(日)朝・金沢の天気   くもり