☆続・ブログと選挙

☆続・ブログと選挙

    私は反省したい。公示前の8月26日と27日付「自在コラム」で、小泉総理は選挙最終盤になって「年金の一本化を郵政民営化法案の可決直後に着手する」とブチ上げ、来年9月以降の総裁任期の延長を受け入れるだろうとの内容の予測を書いた。しかし総裁任期の延長について、小泉総理はいまでも否定している。当時の森喜朗氏らの総裁延長発言から推測したのだが読み違えてしまった。つまり、結果として「飛ばし」となってしまった。

      小泉総理の任期延長論は8月25日、自民党本部で小泉総理や森氏らが弁当を食べながら何かを話し合い、森氏が当日のテレビ朝日の番組(収録)で延長論をほのめかしたことによる。真実はどこにあるのか。前回に引き続き、同党の世耕弘成広報本部長代理(参議員)のブログ「世耕日記」に記されている当時の模様を引用してみる。

   「…小泉総理が党本部へやってくる。居合わせた森前総理、武部幹事長、二階総務局長と私とで総裁室で夕食、雑談。『今日はおいしい弁当だ』と森さんはうれしそう。やっぱり森さんと小泉さんは長年の盟友だ。干からびたチーズ事件の後遺症など微塵も見えない。」(8月25日)

   確かに文面を読む限り、「重要な話し合い」があったような緊張感というものが伝わってこない。要は和やかに夕食の弁当を食べていただけなのだろう。総理総裁、総裁派閥の会長、幹事長ら党幹部が集まったからと言って何か重要なことが話し合われたというのはちょっと早合点だった。このブログを先に読んでいれば「飛ばし」もなかったかもしれないと今は反省している。

    でもすごい世の中になった。国会議員がブログを書き、それを我々が読めて、政治の奥の部分を垣間見ることができるのである。もちろん政治家は都合の悪いことは書かないだろう。しかし、事象の前後左右をつなぎ合わせれば全体像が見えてくるものだ。そして嘘もバレる。ブログというのは国会議員へのチェック機能になったり、あるいは議員のアピールの場になったりとさまざまな役割を担うのではないか。その書き込みの誠実さが有権者に伝われば信頼され、そして支持される。

 ⇒18日(日)朝・金沢の天気  晴れ

★ブログと選挙

★ブログと選挙

   郵政民営化に反対した人たちの精神構造の一端が理解できるようなコメントだった。広島6区で堀江貴文氏に勝った亀井静香氏が12日、TVメディアのインタビューで、296議席を得た自民について感想をこう述べた。「国民は覚せいしないといけない。これでは民主主義が滅んでしまう」と。郵政民営化は小泉内閣の暴挙だと反対し、今回の選挙も小泉総理の暴政だと言い放っていた。そして、自民が圧勝すると今度はその批判の矛先を有権者に向けているのだ。東京10区の小林興起氏も「(小池百合子氏に敗れたのは)マスコミが煽ったせいだ」と述べていた。要は、相手を批難することで存在感を示したい人たちのようだ。

                ◇    

   ところで、今回の「自在コラム」のテーマではインターネットが今回の選挙にどうかかわったのか、抽象論に陥らないように具体例から考察したい。選挙公示前の8月25日夜、自民党がメールマガジンの発行者やブログのユーザー(ブロガー)と党幹部との懇親会を開いて話題となった。招待されたのはネットエイジや「はてな」の運営会社や「忙しいあなたの代わりに新聞読みます」などのメールマガジン運営者、それにブロガーら33人。自民党から出席したのは武部勤幹事長と世耕弘成広報本部長代理だった。

    自民党には「コミュニケーション戦略チーム」があり、有権者からのメールや電話の応対のほか、メディア対策も行っている。世耕氏はその中心メンバーだ。そして自らもブロガーである。今回の懇談会の仕掛け人はどうやら世耕氏であることが見えてきた。

     そこで「もしや」と思い、世耕氏のブログ「世耕日記」を読むと8月25日付があった。懇談会の模様を記した文を引用する。「夜7時からブログ、メルマガ作者の皆さん33名と武部幹事長とで懇談会。安倍さんは台風で新幹線に閉じ込められてしまって間に合わない。政党とブロガーの対話は日本ではじめての企画であり、武部さんとブロガーの皆さんの波長が合うだろうか等心配事も多かったが、非常に実りある懇談であった。終了後は皆さんを総裁室にご案内して見学してもらう。居合わせた竹中大臣にも顔を出してもらい、非常に和気藹々とした雰囲気の中、企画は終了した。台風の中来て下さった33名の皆さんに感謝だ。」

    ブログによると、和やかな雰囲気の会合であったことが分かる。とくに世耕氏が「政党とブロガーの対話は日本ではじめて」と記したように、確かに政党の取り組みとしては画期的なことではある。

     この懇談会に出席した人はどう受け取ったのか。泉あいさんというブロガー(「GripBlog~私が見た事実~」を開設)は懇談会に参加した一人。泉さんの場合、「取材させて」と頼み込んだらタイミングよく「どうぞ」となったらしい。泉さんはその経緯について、「blog.goo」の選挙特集の中で寄稿している。以下、懇談会の模様をこう記している。「天下の自民党には、こんな多彩なキャラクターのおじさんたちがいましたが、自民党だけではなく、選挙の取材で他の政党の政治家ともお会いして、難しい政策論争をしている政治家も、実は威張った嫌な奴なんかじゃなく、普通の人なのだと知り、今までよりも政治を身近なものと感じられるようになりました。」。元OLの泉さんの目には好意的に映った。

     ところが、違和感があったのはむしろ既存のマスメディアだったと記している。「今回の懇談会で威圧感を放っていたのは、政治家ではなくメディアの人たちでした。退室した後も、ガラスの壁に張り付いて中の会話に聞き耳を立てる必死な姿は、見習うべきものだと思いますが、どうも一段高い所から見下ろされているような気がして仕方がなかったです。」と。そして、「インターネットで、既存メディアとは違う、普通の人が身近に語ることのできる草の根ジャーナリズムを実現できる日が来るのは、そう遠くはない。自民党本部で私はそう感じました。」と記している。

     泉さんの言葉は画期的である。既存のメディアを向こうに回して「草の根ジャーナリズム」を目指すと宣言しているのだ。この後、彼女はデジカムを担いで西へ東へと党首の街頭演説の録画に自費で出かけている。泉さんだけではない。こうした志(こことざし)の高いブロガーの出現のおかげで、既存のメディアでは報じられなかった選挙の別の一面を知ることができたと私は思っている。

 ⇒13日(火)午後・金沢の天気   晴れ

☆自民1強、ロイヤルサルートの夜

☆自民1強、ロイヤルサルートの夜

    総選挙の大スペクタクルをテレビで「観戦」するのを楽しみにしていた。昨夜はとっておきのスコッチ(「ロイヤル・サルート21Y」)をそばに置いて、刻一刻と積み上がる数字を自分なりに楽しんだ。何しろこれまで総選挙の時はテレビモニターの向こう側のテレビ局で慌ただしくしていた。ゆっくりテレビ観戦というのはとても贅沢な時の流れのように思えた。で、スコッチを傍らに置いた。

    結果は自民の圧勝。「自民296議席」だが、実質「297」だ。比例代表の東京ブロックで、自民は8議席を獲得できる票を得ながら、重複立候補の小選挙区当選者を除く名簿登載者が7人しかいなかったため、1議席は結果的に社民党に割り振られたのだ。これは誰も予想しなかった。都市部での自民支持のすさまじさが数字となって現れたかっこうだ。

    話題をローカルに転ずる。きのう(11日)午前、金沢は土砂降りだった。石川県加賀地方には大雨洪水警報が発表された。北信越高校野球の県大会も6試合のうち5試合が雨で順延となった。当然、投票の出足に影響をもたらすと想われたがフタを開けてみると、石川1区は68.71%(前回59.58%)と9ポイントも上回った。予想外の投票率。そして自民の馳浩氏が2万9千票余りも差をつけて民主の奥田建氏を振り切った。投票率の上昇効果で無党派層を取り込んだのは自民だった。 

   圧勝した小池百合子氏(東京10区)やかろうじて逃げ切った片山さつき氏(静岡7区)、健闘した堀江貴文氏(広島6区)の戦いぶりを見ると、もはや「地盤」や「看板」という選挙のキーワードは通用しなくなったように思える。この結果を見て、投票前に会った元金沢市会議員のNさんの言葉を思い出した。N氏はこう言った。「市会議員は県のことを、県議は国のことを、国会議員は世界と日本のことを考えるべきだ。有権者はそう願っているのではないか」と。つまり大きなテーマで1票を投ずることの醍醐味を有権者は味わいたいのである。日本の選挙は「しがらみ」や「地縁」という旧態依然としたあり方を超えて、本来あるべき政治の姿へと脱皮したのではないか。

   テレビを見ていて、小泉総理の言葉が耳に残った。「民主の失敗は郵政民営化に反対したことだ」。そして、視覚として残ったのは、小池百合子氏と小宮悦子キャスターの2人はとても顔が似てきたこと。後者はロイヤル・サルートの酔いのせいかもしれない。自民の1強時代に入った。組閣も早いだろう。

⇒12日(月)朝・金沢の天気  晴れ

★女子学生も悩んだ選挙

★女子学生も悩んだ選挙

   総選挙の公示の前々日だった。知人の新聞記者から金沢大学の学生を紹介してほしいという内容の電話があった。地元の大学生の目線で選挙をルポしてみたい、という。ただし条件が2つあり、金沢市出身(つまり石川1区)で選挙権があること。私自身も興味があり、この条件にかなう学生を探した。金大生の7割は県外出身者で、しかも金沢市出身の選挙権がある学生で、さらに「やってみよう」という意欲のある学生となると案外難しい。いてもアルバイトの方が実入りがあるのでそちらを優先されてしまう。

   土壇場になって1人現れた。女子学生でマスコミに関心があるという。さっそく記者に連絡、取材が始まった。学生がさらに友人を誘って2人が取材に協力することになった。彼女たちはのべ3日間、記者といっしょに公示の日の候補者の第一声や選挙カーでの地区回り、ミニ集会などをつぶさに見て、若者の視点から感想を述べる、記者はそれを記事にするという手法で「【総選挙05】大学生は見た!」の選挙企画になった。

   その触りを紹介する。10日付は選挙終盤の様子だ。以下は抜粋。「台風一過の8日、選挙カーの後ろについて回った。公示日と比べて、候補者の印象は変わったか。大勢の応援弁士と一緒に話していた第一声に比べると、各候補とも少人数で回っていた。住宅地の小さな路地まで入り込み、わずかな人の前でもマイクを握る候補者を見て、『意外と地道な活動なんだ。高いところからでなく、同じ目線で話すと、どの候補も身近に感じる』と感心した様子。」。彼女たちが見た路地裏の候補者たちの様子である。

   その後、2人の学生はそれぞれの政党のマニフェストを比べて感想を述べ合ったりと選挙の争点について考えていく。そして考えれば考えるほど深みにはまり、2人は「1人の候補を選ぶのって大変なんだ。誰を選ぶか、考えれば考えるほど、一票の重みを感じる」と感想を漏らすに至る。記事のクライマックスはここにある。記者は彼女たちのこの一言を待っていたのだ。もう一度、「一票の重みを感じる」。

   そう、選挙(選択)は真面目に考えればそれだけ難しくなる。そして我々の生活や未来のことを想えばまた一段と難しくなる。「一票は重い」のである。

   学生が選挙を通じてメディアと接触したことで、人間社会のもっともリアリティのある部分(戦い)というものを目の当たりにした。ここで選挙と政治を考察したり、投票行動における人間心理というものを考えたり、あるいはマスメディアの取材手法そのものに興味を持ったかもしれない。選挙を通じさまざまな知的な欲求の端緒を見出してくれればよい。私が彼女たちを記者に紹介した理由はこの一点だ。

   総務省が発表した9日現在での期日前投票者数(小選挙区)は672万5122人になった。過去最高だった前回衆院選(2003年11月)の不在者投票の669万人をすでに上回り、最終的な投票者数は前回比25%増の836万人(有権者全体の8.1%)に達する見通しという。大変な盛り上がりだ。「政治を変えてやる」という有権者の意識の現れと、私はこの数字を見る。今回のコラムの結論はない。ただ、「9月11日」で日本の政治史の1ページが書き換えられるような気がしてならない。

⇒11日(日)朝・金沢の天気  曇り

☆早とちりの選挙謀略説

☆早とちりの選挙謀略説

   国際比較あるいは世界ランキングというのがマスメディアでたまに出てくる。「日本は何位…」という例のランキングだ。タイミングがよいのか悪いのか、今回の衆院選と絡めるとこのようなうがった見方もできる。8日付の新聞各紙で掲載された、国連開発計画(UNDP)による2005年版「人間開発報告書」によると、日本は健康、教育など「人間の豊かさ」を測る人間開発指数で177カ国・地域中11位(前年は9位)と、初めてベスト10から転落したそうだ。この大きな理由が、女性の政治・経済分野への進出度を示す性別権限指数(ジェンダー・エンパワーメント・メジャー=GEM)が43位と、先進国では極端に低かったことによる。

   このランキングを前向きに受け止め、もっと女性候補者を国会に送り出そうと考えれば、今回の衆院選で多く女性候補を出している党を応援しなければならないことになる。ちなみに一番多く女性候補を出している党は共産党で69人、次いで自民党26人、民主党24人と続く。さらに当選の可能性を言えば、比例代表の1位に女性候補者を据えている自民党となるだろう。

   この記事を読んで、私は正直言って「これは巧妙な世論誘導だ」と思った。ある党の党首クラスなどはさっそく「新聞にもありましたが、女性の政界進出は国際的に見ても遅れております。その点、わが党は優先的に女性候補を擁立しております…」などと街頭演説のネタにするだろう。この意味で今回の人間開発報告書のニュースリリースは謀略に近い、と感じたのだ。この時期、このタイミングでこんな国際統計を出してくる「霞ヶ関」は一体どこなのだろうかと勘ぐった。

   新聞をつぶさに読んだ。しかしリリースした省庁名がどこにも記載がない。そこで数紙の記事をもう一度読むと、冒頭に「ニューヨーク」あるいは「ジューネーブ」とある。つまり特派員が記した記事なのである。ここで私の謀略説は一気に崩れた。早とちり。

   しかし、そもそも紙面をよく読めば、この統計もなんとなく怪しい。日本のGEMが38位から43位に低下した理由は女性国会議員の割合が9.9%から9.3%に下がったのが響いたのだとか…。個人的な思いだが、女性の権限を統計化するのであれば、「家計における女性の権限」を追加してほしい。年代は忘れたが、総理府統計では、家計の財布を握る女性は70数%と欧米に比べ群を抜く。個人の金融資産はトータルで1300兆円。預貯金や保険をやり繰りしている日本の女性は世界に類を見ない金融パワーの持ち主なのだ。これが統計として評価されれば、ランクは一気に上がるはずだ…。

⇒9日(金)午前・金沢の天気  晴れ

★静かなる怒りの1票

★静かなる怒りの1票

きょう期日前投票(不在者投票)を済ませてきた。投票日の9月11日は所用があるからだ。というより、「早く選挙がしたい」と思ったからかもしれない。同じような思いをもった人が多いらしく、総務省によれば、8月31日から9月4日までに期日前投票を済ませた人は全国で201万人余り。2003年11月の前回衆院選で同時期の不在者投票者数を集計していた21都府県で比べると投票者数は前回より62.4%も増えているのだ。

   きょうは自宅近くの金沢市泉野福祉健康センターで投票した。1階が「投票所」になっていて、入ると宣誓書を書かされる。期日前投票をする理由を選んで○をつける。私の場合、「仕事」が理由だ。ほかに氏名、生年月日、住所などを記入する。次の受付で小選挙区、比例代表、最高裁判事の国民審査の3種の投票用紙が渡される。あとはいよいよ投票だ。石川1区だから、仮に投票率が65%として、23万分の1程度のことなのだが、ちょっと緊張する。心のどこかで「オレの1票が」との思いが潜んでいるのだろう。期日前投票は午前8時30分から午後8時まで行われている。

   ところで、「清き1票」を済ませて、外に出ると、中年とおぼしき女性2人がおしゃべりをしていた。2人の横を通り過ぎるとき、1人の女性が「あんなん、懲らしめてやらんとね…」と言っているのが聞こえた。残念ながら前後の会話は分からなかったが、選挙の話であることは雰囲気で理解できた。戻って聞けるはずもない。ただ想像するだけである。「小泉総理のやり方は横暴だ。だから、あんなん…」となったのか、あるいは、「民主党はなんでも反対して改革が前へ進まない。だから、あんなん…」となったのか。

   きょういっしょにお茶を飲んだ友人が言うには、会社の若い社員(女性)がきのう期日前投票を済ませたらしい。「今度ばかりはと思って初めて投票をした」とちょっと興奮気味にしゃべっていたという。「今度ばかりは」の言葉の前後はいったい何なのか。「懲らしめてやる」「今度ばかりは」という言葉は怒りの表現である。何の怒りが有権者を期日前投票に駆り立ているのか。偶然にも耳にしたこれらの言葉は案外、今回の総選挙のキーワードなのかもしれない。

⇒6日(火)夜・金沢の天気   くもり

☆失恋海岸の指輪物語

☆失恋海岸の指輪物語

  昨夜、午後7時ごろだったろうか。日本銀行金沢支店前の大通りでちょっとしたトラブルがあった。福井ナンバーの軽自動車がバス停のまん前に停めてありバスが近づけない。車にはドライバーがいない。バスの運転手が激しくクラクションを鳴らしても、ドライバーが現れないのである。帰りのラッシュで日銀前はごった返した。

  で、ドライバーはというと日銀の入り口で女性ともめていた。二人とも若い。さりげなく近づき耳をそばだてると、どうやら「別れる」(女)「別れたくない」(男)の会話である。「こんなところで車を停めたらダメやろう」と注意した人がいて、二人はようやく車に戻り、去った。非常識と言えば非常識な話なのだが、二人にとっては周囲の状況がまったく見えないほど深刻な別れ話なのだ。夏に燃えるような恋をして、秋風が吹くころに失恋する。国や時代を超えて繰りかえされる人生の儀式みたいなものだ。

  その人生の儀式のメッカのようなところが石川県にもある。内灘海岸だ。先日、友人と話をしていたら、失恋しプレゼントしようと買った指輪を内灘海岸に投げ捨てたという。25年ほども前の話である。実は私の弟も20年前にこの海岸で指輪を投げている。さらにかつての会社の後輩も13年前に社内恋愛をして失恋、そして内灘海岸に指輪を投げ捨てたと聞いた。ちなみにこの3人に共通することは、夕日に向かって「バカヤロー」と叫びながら投げていることである。

   しかし、よく考えると、周囲に3人も同じ行動をしているということは、相当な確率である。ひょっとして何千という指輪が内灘海岸に投げ捨てられたのではないか、とも想像する。ここでちょっと現実的な話を。捨てられた指輪が落下した海は海岸べりからせいぜいが数十メートルの範囲だろう。引き潮のときを狙って、アサリを採る越し網で海底をさらえば指輪がアサリ以上にザクザクと出てくるのではないか。現に内灘海岸の波打ち際で指輪を拾ったという知人もいる。

   恋愛の数だけ失恋もある。内灘海岸でこうだから、サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」で有名な茅ヶ崎海岸ではエボシ岩に向かって何万という指輪が投げられたに違いない。指輪1個が平均20万円として一体何億円になるのか。そしてきょうもまたどこかで月収分くらいの指輪を海に向かって投げている男がいるかと思うと、妄想する男の脳の滑稽さや切なさを感じる。結論の出ない、締まりのない話題なってしまった。

⇒1日(木)午後・金沢の天気  はれ

★タマムシと輪島塗の輝き

★タマムシと輪島塗の輝き

  先日、金沢大学「角間の里山自然学校」で昆虫採集の集いがあった。いま人気のゲーム「ムシキング」の影響もあってか、あるいは夏休みの宿題の便乗か、このところ子どもたちの参加が多い。ある子どもが「これキラキラムシだね」と捕ってきたムシを見せてくれた。それは、和名・ヤマトタマムシだった。

   タマムシと聞いて、6年前の番組のことを思い出した。当時、輪島塗の産地・石川県輪島市でタマムシを使った壮大な作品づくりが行われた。東南アジアのジャングルからタマムシの羽を拾い集め加工し屏風や茶釜など30点にも上る輪島塗に仕上げるとうもの。タマムシを使った工芸品と言えば、法隆寺の国宝「玉虫の厨子」が有名だ。実に1300年の時を経ているが、それ以降、タマムシを使った作品が鎌倉や江戸時代にも見当らない。乱暴な言い方かもしれないが、「玉虫の厨子」から1300年ぶりの作品ではないか、と思ったりもした。

   タマムシの羽は硬い。鳥に食べられたタマムシは羽だけが残り、地上に落ちる。東南アジアのジャングルで現地の人を雇い、拾い集める。それを輪島に持ち込んで、レーザー光線のカッターで2㍉四方に切る。それを黄系、緑系、茶系などに分けて、一枚一枚漆器に貼っていく。江戸期の巨匠、尾形光琳がカキツバタを描いた「八橋の図」をモチーフにした六双屏風の大作もつくられた。これには延べ2万人にも上る職人の手が入った。

   この作品を発注した岐阜県高山市の美術館「茶の湯の森」のオーナー、中田金太氏から依頼を受けて私は番組をプロデュースした。タマムシで輪島塗を作る、タマムシの羽を拾い集めるという着想は中田氏のオリジナルである。すべての工程をお金で換算すれば数億にも上る「玉虫工芸復活プロジェクト」であった。完成したこれらの作品はすべて茶の湯の森に納められた。輪島塗業界に新たな新風を吹き込んだ中田氏のアイデアの面白さを番組に盛り込んだ。

   見る角度によって異なる輝きを放つ。「玉虫色の決着」などと政治の世界ではいまでもよく耳にする。俗な言い方は別として、輪島塗の高度な技と生物の輝き、それを考え出す人の着想の面白さは一見の価値がある。タマムシの四文字から連想ゲームのようにして千文字ほどの文章を書いてしまった。

⇒30日(火)朝・金沢の天気  晴れ   

☆あすからニッポンの選挙

☆あすからニッポンの選挙

    あすは総選挙の公示日だ。この日を境にしてマスメディアの取材対応は新聞もテレビもがらりと変わる。やけに公平、ことに客観的、妙に紳士的になる。たとえば、公示日の各候補者の動きを報じるテレビの「お昼のニュース」を見てほしい。トリキリと言って各候補者の第一声をそのまま流す。各候補者のトリキリ(15秒程度)の秒数は同じだ。つまり平等だ。仮にこれがA候補が10秒で、B候補が12秒だとすると、A候補の選挙事務所から「なぜウチの候補者の声が短い」と抗議の電話がかかってくる。対応がまずかったりすると「公平性を欠く」「選挙妨害」と総務省にねじ込まれたりもする。特にテレビ局の場合は放送法で選挙に関する公平さが法律で規定されている。

     おそらくそれを見越しての自民党の動きである。新聞各紙によれば、自民党は28日、郵政民営化法案に反対した前衆院議員への対立候補について「刺客」という言葉を使わないよう報道各社に文書で申し入れた。郵政民営化反対派への強硬策あるいは見せしめなどを意図する言葉としてマスメディアは使っている。これが選挙区に送り込んだ相手が女性だと「くノ一」などと、いずれもイメージの悪い死語を用いている。申し入れの理由については「刺客は暗殺者を意味し、候補の呼び名としてふさわしくない」「自民党とその候補のイメージダウンを図る効果が生じている」としている。自民党とすれば申し入れは当然だろう。真面目に争点を論じようにも、「くノ一の刺客」などとマスメディアに喧伝(けんでん)されてはかなわない。

     この措置は、自民党選対本部が総務省と連絡を取り合って、公職選挙法(選挙妨害)や放送法(報道の公平性)などの法律に抵触するかどうか相談した上でのことだろう。つまり、「予め警告しておく。公示以降は法的な措置も検討する」という意味合いだ。しかし、これを受けた29日の紙面は対応がバラバラだ。相変わらず「刺客」と使っている紙面もあれば、「郵政民営化法案に反対した前職に党本部が公認候補らをぶつける郵政分裂型の選挙区」(朝日新聞)などとすかさず対応している新聞社もある。

     しかし、あす30日からは、みなが紳士的になり、「くノ一の刺客」やホリエモンという言葉は使わないだろう。「郵政民営化に賛成の自民党の女性候補」「堀江貴文候補」となる。そして、9月11日午後8時の投票終了以降はまた「くノ一の刺客」やホリエモンに戻る。こうしたマスメディアの対応を外国人ジャーナリストが記事にすれば「選挙に見るニッポンの奇観」との見出しが立つのではないか。

    それではインターネットのブログは自由に書けるのか。公職選挙法では、公示日から投票日までは立候補者や政党はホームページの更新や開設が原則禁止となる。候補者はもちろん、関係のない個人であってもメールやブログ、掲示板で特定候補への投票呼びかけは禁止である。違反した場合は2年以下の禁固、もしくは50万円以下の罰金だ。日本の選挙はかくのごとく厳粛なのである…。

 ⇒29日(月)午後・金沢の天気  晴れ

★「ミモレットの約束」と同調

★「ミモレットの約束」と同調

   この「ミモレット」をめぐる選挙のコラムは3部作シリーズのようになってしまった。意図したわけではない。選挙をめぐる動きが急なのである。

   さて、25日夜の小泉総理、総裁派閥会長の森氏、武部党幹事長による会食では、ミモレットを話題にしながらも次なる選挙の秘策が交わされたと私は推測している。会食は、民主の小沢氏が「年金問題」をクローズアップさせるため「一対一の党首討論」を持ち出してきたことがきっかけだった。会食の席で、森氏は「総理も年金を一本化すると派手にぶち上げたらいい」と提案した。しかし、小泉総理は「総裁任期は来年9月までと公言しており、法案整備に数年かかる年金問題をいま声高に持ち出せば、野党が矛盾だと突いてくる」と渋った。そこで、森氏が「任期延長(小泉続投)もありうる」と地ならしをした上で、選挙最終盤になって小泉総理が「郵政民営化法案の可決後に直ちに年金一本化に着手する」とぶち上げ一気に追い込みに入る、というシナリオが出来上がった。話がまとまり、会食に集った自民首脳はほくそ笑みながら「選挙に勝ってミモレットをツマミに祝杯を上げよう」と約束した。私はこの推論上の秘策のシナリオを「ミモレットの約束」と名付けることにした。

    話はローカルになる。25日午前10時ごろ、金沢大学角間キャンパスにある郵便局の前を横切ると、「奥田と言います。よろしく」とパンフを渡された。ふいだったので思わず手に取った。顔を見ると、郵便局から出てきたのは石川1区の民主・奥田建氏本人だった。かつて取材したことがあり、「奥田さん大変ですね」と今度はこちらから声をかけた。すると本人は「本当に大変なんです。よろしくお願いします」と。会話はそこまで。本人は足早に次の郵便局へあいさつ回りに向かった。

    なぜ2日前の話を持ち出したかというと、小泉総理がきのう26日夕、自民党本部で記者団の質問に答えた内容が気になったからだ。 衆院選で与党が勝利した場合、郵政民営化法案への対応から民主が分裂して一部が自民に合流する可能性について、「民主党の中でも、本音では民営化賛成の人がかなりいるだろう」と総理が自信ありげに語ったという記事だ。奥田氏のように多くの民主の候補者は公示以前からこまめに郵便局回りをしているはずだ。ということは、逆にいま郵便局回りをしていない民主の候補者はひょっとして当選後に造反する可能性があると見てよい。これは私の推測だ。

       経団連が自民支持を鮮明に打ち出すとの記事も先日流れた。かつての「総資本VS総労働」(自民VS民主)の構図が浮き上がってきた。郵政民営化に賛成か反対か、労働側の支援を受けるのか受けないのか。いくつかの対立軸のはざ間で相当動揺している「自民に近い民主」の人たちも確かにいるだろう。関が原の戦いで、同調に躊躇(ちゅうちょ)していた小早川秀秋が、徳川家康に大砲を撃ち込まれた。「決断せい」とのシグナルと受け取った小早川軍勢が西軍に反旗を翻し、これが西軍全体の動揺となり総崩れとなる。

    先の小泉総理の言葉は、同調者を揺さぶり出すと言っているようにも聞こえる。選挙後にどのような「決断の大砲」を撃ち込むのか。選挙という戦(いくさ)はリアリズムに満ちあふれている。この膨大なリアリズムの糸の中から本筋をたどり、切れている箇所を冷静に推論しながら繋いでいく。すると一本に繋がったリアリズムの糸の先に近未来のシナリオが見えてくることがある。その「発見」はささやかな喜びにもなる。

⇒27日(土)夕・金沢の天気    晴れ