☆NHKにCMは流れるか…

☆NHKにCMは流れるか…

  一連の不祥事が表面化し受信料の不払いへと連鎖しているNHKを遠巻きに見ながら、民放業界はその周囲の動向をうかがっている。何しろ、受信料未納による減収は年間おそよ500億円にも上る。近い将来NHKが経営危機に直面した場合、国営化なのか民営化なのか、政府はどのように判断するのか、いつ口火を切るのか-。民放が注視しているのはこの点だ。

  NHKにとってショッキングな数字が10日付の日経新聞に掲載された。インターネットによる調査(サンプル1034)で、「NHKがなくなり、テレビ局が民放だけになったら困ると思いますか」の設問に、56.7%が「困らない」と回答した。困らない理由として▽NHKの番組がそれほど優れていない▽ほとんどNHKを見ていない▽受信料を払わなくてよくなる-などといった回答が並んだ。「困る」としたのは23.0%だった。この調査はインターネットによるもので、NHKを比較的よく視聴する高齢層の意見が反映されていないことを加味したとしても、NHKサイドは動揺しただろう。

   実はこの日経の調査でもう一つショッキングなデータが載った。「NHK受信料制度を今後どうしていくべきだと思いますか」の設問で、「廃止して民放のようにCM収入で運営」の回答が56.5%と過半数を占めた。「廃止して国の税金で運営」はわずか12.5%、「現状のままでよい」は10.5%である。つまり、NHKを民営化しろ、との意見が圧倒的に多い。確かに、ちまたでも「郵政も民営化するのだから、NHKがそうなって不思議ではない」という声を聞く。でもこの数字で衝撃を受けているのはむしろ民放の方だ。「民業圧迫だ」と。

   では、NHK民営化の議論が政府内部であるのだろうか。今年3月15日、衆議院総務委員会でNHKの予算審議が行われた。この中で何人かの委員が広告放送や有料放送化について質問している。その審議のやり取りはインターネットの「衆議院TV」でアーカイブされている。4時間余りの集中審議だ。この中で、麻生太郎総務大臣は「NHKがいまやらなければならないのは信頼回復」「(広告放送などを)検討すべきだと考えているが、今直ちにというつもりはない」との主旨の答弁を繰り返している。麻生大臣でこのレベルの発言ならば当面、 NHKの民営化やCM放送はないと見るべきだろう。

   それにしてもである。テレビ受信は全国で4600万件、うち未契約は985万件、1年以上の滞納は135万件、そして支払い拒否が130万件に及んでいる。つまり4件に1件以上が支払っていないのだ。上記のインターネット調査に応じた世代が世帯主になれば、この数字は加速度的に増えるだろう。NHKの経営危機は見えている。

   経営危機に見舞われたとしても、「小さな政府」の流れではNHKの国営化は可能性が薄い。とすれば、上記の世論調査のようなCM放送や民営化論が台頭してくるのは時間の問題だろう。では誰がその口火を切るのか。ひょっとして、「番組でもめた」安倍晋三あるいは中川昭一の両氏かもしれないというのはうがった見方か…。

⇒12日(水)朝・金沢の天気  はれ

★「メディア戦略」で負けたのか

★「メディア戦略」で負けたのか

  9月11日の衆院選挙での敗北の理由を、民主党は「メディア戦略」のせいにしているようだ。負けた側がその理由を分析できないのであれば、次の可能性はない。

  9日付の新聞報道によると、メディア対策で自民党に大きく後れをとったのも敗北の一因との反省から、民主党は「メディア戦略室」(仮称)を新設するという。前原代表の強い意向らしい。その理由として、民主党は選挙期間中に、年金制度改革や子育て支援などを政策を訴えたにもかかわらず、テレビなどはもっぱら「刺客」と言われた女性候補や、ホリエモンこと堀江貴文氏と亀井静香氏が演じた郵政対立劇を取り上げた、との見方をしているようだ。TVカメラが向いてくれなかった、だから民主党は負けたとの論理だ。

  確かにテレビの取り上げ方は「ワイドショー選挙」という印象だ。しかし、民主党が敗北した理由は①郵政民営化に賛成の議員がいるにもかかわらず支持基盤の労組に配慮して反対した②郵政民営化に反対したことで国の構造改革にブレーキをかけていると有権者から判断された-の大きく2点だろう。小泉総理は選挙結果を受けた会見で「民主党の敗北は郵政民営化に反対したからだ」と即座に語ったが、的を得ている。テレビでの露出が少なかったから負けた、というのは分析が間違っている。

  今後、民主党がメディア戦略に力を注ぐというのであれば、それはテレビではなくインターネットだろう。9月14日に最高裁が判断した「在外選挙権訴訟」の違憲判決を受けて、インターネットの選挙利用について自民党や総務省が動き出しており、2007年夏の参院選には解禁となるはずだ。民主党にはブログを開設している議員が多い。いっそうのこと、すべての議員と立候補予定者にブログを書かせ、いまから「インターネット選挙」に向けて技を磨かせたらどうか。

  それでもテレビを利用したいというのであれば、笠(りゅう)浩史氏や小宮山洋子氏らテレビに精通した人材を軸に広報戦略チームをつくることだ。笠氏はテレビ朝日の政治部記者だった人。あの人当たりのよさは広報マンとしての素養には十分だ。小宮山氏はNHKの元アナウンサー。そもそも今回の総選挙で民主党は新聞広報に偏ったのが失敗だった。岡田代表の全面カラー広告を何度見せつけられたことか。有権者の中には「その金はどこから出ている。政党助成金という税金じゃないか」と反感を持った人も多かったはずだ。広告代理店にPR戦略を丸投げした弊害とも言える。一方、小泉総理を起用した自民党の全面広告は控えめに白黒が多かった。民主党のメディア戦略はそのようなところから考え直す必要があると思う。

⇒11日(火)午前・金沢の天気  はれ

☆アートな古民家

☆アートな古民家

     私のオフィスである金沢大学五十周年記念館「角間の里」にいろいろな才能を持った市民ボランティア「里山メイト」や大学のスタッフが集まる。中でも、女性たちがさりげなく創作している作品に見とれることがある。

    オフィスに入る際にくぐる「のれん」がある。里山メイトの女性グループがつくってくれた。ガーゼのような柔らかい布地に藍染めをほどこしたのれんだ。そののれんには、絣(かすり)などの古着の布でつくったトンボが3匹つけてある。のれんなのだが、私の目には秋晴れの空を泳ぐトンボを描いたコラージュ作品と映る。こののれんをくぐるとき、私は大空に飛び込むような気持ちになる。そして、柔らかな布地がほほに当たる感触はまるで雲に入ったような感じだ。そして癒される。

   「角間の里」の土間から見る部屋の前の廊下に、ひときわ香りのよいキンモクセイが生けられた。香りもさることながら、障子の板戸、キンモクセイ、甕(かめ)、藍染めの敷き物、柿渋で磨いた廊下を組み合わせ。この4つのエレメントで構成されるスケール感のある生け花だ。だから、美術館や会社の受付玄関に置いても見栄えはしない。土間のある築280年の古民家だからこそ華やぐ。

   こうした作品がさりげなく置かれるたびに、私は鑑賞する喜びを感じる。そして彼女たちも作品づくりが楽しそうだ。故・中川一政画伯の作品集「いのち弾ける!」(二玄社)の一文を思い出した。「目に見える形はかれる。目に見えない形はかれない」。作品より、創造への意欲や着想が湧き上がることが芸術にとって大切だ、との意味だろう。芸術論を語るつもりはない。「角間の里」という建物は、人の創作意欲や着想をちょっと刺激してくれる雰囲気のある空間だ、と言いたかったのである。

⇒9日(日)午後・金沢の天気  はれ   

★「岩、動く」「もはや運命」

★「岩、動く」「もはや運命」

                                                         インターネットのフリー百科事典「ウィキペディア」で、「岩城宏之」と検索すると、「…近年の顕著な活動としては、2004年12月31日のお昼から翌2005年1月1日の深夜にかけて、東京文化会館でベートーヴェンの全交響曲を一人で指揮したのが知られている」と記されている。クラシック界のことをきちんと理解し評価できる人が執筆していると思う。

  8月に肺の手術を受け療養中だったオーケストラ・アンサンブル金沢の音楽監督で指揮者の岩城宏之さんがきのう(4日)、金沢市での復帰公演となる「モーツアルトフェスティバルIN金沢」(6日)を前に記者会見をした。今回で25回目の手術。岩城さんが音楽堂のオフィスに入るや、スタッフから拍手が沸き起こった。声の張りも以前と変わらず。その気迫に私は、「不死身(ふじみ)」という長らく忘れていた言葉を思い出した。石川県立音楽堂での記者会見の1時間ほど前に岩城さんにお目にかかることができた。時間にして15分間ほど。

  今回お目にかかって改めて岩城さんの超人ぶりに心を揺さぶられた。上の2枚のチラシを見ていただきたい。チラシは表と裏の一枚チラシなのだが、岩城さんの生き様を2つの意味で表現している。向かって左は「岩、動く」「岩城宏之、大いに暴れる」のキャッチコピー。10月30日のコンサート(東京)のチラシだ。最初、選挙ポスター風のチラシなので、9月11日の総選挙のパロディー版だと思った。そこで私の方から「面白いコピーですね」と水を向けた。すると意外な言葉が返ってきた。「あと10年、周囲は無理せず穏やかにと言う。これでは面白くないと思ってね、三枝さんの所で暴れることにしたんだ」(岩城さん)。なんと10月から、これまで自らつくり育てた所属事務所「東京コンサーツ」から、作曲家の三枝成彰氏の事務所「メイ・コーポレーション」に移籍したのである。「大いに暴れる」ために「岩、動く」(つまり移籍)。これは「移籍記念」コンサートのチラシなのだ。

  もう一枚のチラシ。「もはや運命」「岩城宏之ベートーベン第一から第九まで振るマラソン」。ことしも12月31日、東京芸術劇場で9時間かけて、ベートーベンの全交響曲を指揮する。ウィキペディアで記載されたように、評価が定まった偉業をことしもさらに続ける。あくなき挑戦だ。「チャンスを見てヨーロッパに。三枝さんは誇大妄想だから」と笑う。額面どおり受け止めれば、西洋クラシックの総本山、ヨーロッパに乗り込んでベートーベンの第一番から第九番までのチクルス(連続演奏)をやる、そのために身柄を三枝さんに預けたと言うのである。入院中にこの壮大なプランが生まれたのか。73歳、岩城さんから鬼気迫るものを感じた。

  手術を25回もして、「生きる」とか「生き抜く」というレベルを超越して、オーラがみなぎっている。岩城さんの凄まじい生き様を文章表現することは私には到底できない。この眼で見届けてみたいと願うだけである。たまにその様子を描写してみたいとも思う。

⇒5日(水)朝・金沢の天気  くもり

☆実りは美しい

☆実りは美しい

  決して美しい棚田ではない。田も畦(あぜ)も草がぼうぼう。それでも収穫の喜びは格別である。

   金沢大学の里山自然学校ではきのう(1日)、角間キャンパスの北谷(通称「キタダン」)の棚田で稲刈りがあった。当初、稲刈りは9月24日を予定していたが生育を少し待って1週間遅らせた。

  普通の田とちょっと違っているのは冒頭の草ぼうぼうだ。3年前に市民ボランティア「里山メイト」の手で復元された棚田だ。田んぼは14枚あり、学術調査も実施されている。稲が植えられることでどのような昆虫や植物が棚田にやってくるのか、が研究テーマだ。土中や空中にトラップ(わな)を仕掛け調査が続けられてきた。だから、田植えの後はあえて草取りや農薬散布はせず、自然のままに保たれてきた。

   刈り取られた稲は五十周年記念館「角間の里」脇の稲はざにかけ、天日干しする。359束をすべてかけ終えると、作業に携わった人たちからパチパチと拍手が自然にわき起こった。収穫の喜びである。田起こしから始め、苗床づくり、田植え、ようやく稲刈りにたどりついた達成感だ。そして「実りは美しい」という実感もわいた。

   今回刈り取った稲はモチ米だ。それをどうするかと言うと、12月17日の「里山の収穫感謝祭」でもちつきをして皆で食べる。もちろん、ボランティアで参加してくれた市民や手伝ってくれた学生も招待する。収穫は皆で分かち合う。こんな美徳も農作業から自然と生まれたのであろう。田んぼに学ぶことは実に多い。

⇒2日(日)夜・金沢の天気  くもり

★そばとソバの間

★そばとソバの間

  ひいきにしている金沢のそば屋から「新そば」の案内はがきが届いた。「・・・今年も若草色の暖簾の季節がやって来ました。今年の新そばも九月十五日より北海道から始まります。」。この店は新そばの季節になると若草色の「のれん」を出す小粋な店なのだ。

  季節感を強調することは商品をブランド化する重要な要素である。その最近の成功例はワインのボージョレーヌーボーだろう。わざわざ解禁日まで設定している。日本海のズワイガニも例年11月6日ごろに解禁となる。この場合、資源保護のため禁漁期間が設定されているのだが、解禁日が設定されると自然保護の思惑を超えて待ち遠しくなるものだ。季節感も取り込んで「味」にする、そば屋も随分と商売上手になったものだと思う。ちなみに、ひいきにしているそば屋は金沢の繁華街・片町にあり、ご主人が私と同じ奥能登出身ということで気が合い、通っている。東京で修業を積んだ「更科そば」である。

  そばと言えば、私が勤めている金沢大学の創立五十周年記念館「角間の里」の周辺で栽培されているソバが真っ白な花をつけている。畑をよく観察すると、ミツバチやチョウが忙しそうに飛び交っている。秋空に映えるソバの白い花、その花に群れる昆虫・・・。別の言い方をすれば、太陽の日差しで植物が生長し、その周囲に昆虫も息づく、そんなマクロからミクロへと連続するダイナックな生態系がこのソバ畑で見て取れる。

  そのソバの実を収穫し、そばとして加工して販売する。また味覚を楽しもうと行動を起こせば、それが経済活動(生産と消費)になる。そばを食べる所作をつくれば文化になり、それを年代ごとに論ずれば歴史となる。また、地域としてそばとソバをテーマに取り組めば「村おこし」という行政的なテーマにもなる。そばとソバの間を行き交うとそうした眼差し(まなざし)が生まれる。

  「9・11」という激動の衆院選があった9月がきょうで終わる。名残を惜しんでいるのではない。脳裏に刻んでいるのだ。

⇒30日(金)午前・金沢の天気  くもり

☆続々・ブログと選挙

☆続々・ブログと選挙

  日本の国政選挙のあり方が大きく変わるかもしれない。これまで禁止されてきた選挙運動でのインターネット利用が解禁される見通しとなったからだ。

  公職選挙法(以下「公選法」)では、選挙運動のために使用する文書図画は、はがきやビラのほかは頒布することができないとの規定(142条)がある。パソコンのディスプレイで画面表示されたテキストや画像も文書図画に相当すると解釈されていて、候補者が個人のホームページで投票を呼びかけると違法な媒体を使った選挙運動とみなされる。だから、公示・告示以降はホームページやブログを更新して内容を書き換えることは事実上できない。これは候補者だけでなく、一個人であったとしても「候補者を推薦し、支持し若しくは反対する者の名を表示する文書図画を頒布し又は掲示することができない」(146条)。これに違反した場合、「2年以下の禁錮また50万円以下の罰金」(248条)である。

  アドバルーンを揚げたりネオンサインで投票を呼びかけたりする外国の選挙と比べ、かくのごとく地味で細やかな公選法の規定ができ上がった背景には、かつて「金のある者が勝つ」という状況が日本の選挙あったからで、選挙の公正を国会議員自らが追求した結果なのだ。ところが、インターネットの特性である低コストとボーダレスという2点で風穴が開いた。

  一つは、たとえば衆院選の小選挙区の立候補者が頒布できる通常はがきは3万5千枚、ビラ7万枚に制限されている。大量にビラをまける候補者が有利にならないよう、競争条件を等しくするための措置である。はがきもビラも使わない、安上がりの文書図画と言えばインターネットのブログだろう。なにしろサイトを構築する経費がかからない。コストのかからない選挙を目指すのであればインターネットを併用する方がいいのである。特に金も地縁も血縁もない新人候補が名前や政策を知ってもらうのにインターネットを利用しない手はない。

  二つ目の風穴は絶妙なタイミングで開いた。総選挙投票の3日後、9月14日に最高裁が判断した「在外選挙権訴訟」の違憲判決である。在外邦人の投票は、衆参両院の比例代表に限って認められていたが、選挙区についは、候補者が在外邦人にまで政策などの情報を伝えることは「極めて困難」などの理由で認められなかった。このため、イラク復興支援のためにサマワに派遣されている陸上自衛隊員600人も投票ができなかったくらいだ。今回の判決で最高裁は「通信手段の発達で候補者個人の情報を在外邦人に伝えることが著しく困難とは言えない」と指摘した。つまり、インターネットを使えば海外であろうと情報は届くと判断したのである。在外有権者はざっと72万人だ。

  この判決で、インターネットの選挙利用について自民党や総務省が動き出した。自民党のメディア戦略を担当している世耕弘成広報本部長代理(参議員)のブログ「世耕日記」の9月20日付によると「…総務省滝本選挙課長が来訪。選挙におけるネット利用に向けた公選法のあり方に関して基本的な部分について意見交換。最高裁判決が出た在外投票の問題や電子投票のあり方についても議論。」とある。判決を受けて、総務省の選挙担当課長が世耕氏のもとに根回しにやってきたのである。うがった見方をすれば、在外投票を電子投票にする構想なども話し合われたことは想像に難くない。

   自民党は、すでに最高裁判決前の9月9日の党選挙制度調査会で「選挙におけるインタ-ネット利用に関する小委員会」(仮称)の設置を決めている。また、民主党も以前からインターネットの選挙利用解禁に積極的であり、早ければ来年の通常国会にも公選法改正案が議員立法で提出されるだろう。「マニフェスト選挙」、「小泉劇場選挙」、そして2007年夏の参院選は「ネット選挙」あるいは「ブログ選挙」がキーワードとなるに違いない。

⇒25日(日)夕・金沢の天気   くもり

★京都の街で考えたこと

★京都の街で考えたこと

   京都市左京区は広い。大原の三千院も、そして9月18日に訪れた「京女の森」も同じ区である。ここは民主党の新しい代表、前原誠司氏の地盤でもある。山奥の小さな集落にも前原氏のポスターがまだ貼ってあり、衆院選挙の余韻が残る。

   私は京都という土地を踏むたびに、幾多の怨念や無念が渦巻いた歴史のことを想像してしまう。新選組や坂本竜馬らが行き交い、そして血を流した土地なのだ。そして何より、地元の人が「前の戦争の時、この当たりは焼け野原やった」という場合、「前の戦争」は太平洋戦争ではなく、「応仁の乱」(1467年-78年)を指す。この地に息づく独特の歴史感覚に京都人の凄みを感じる。

   もう一つ、凄みを感じさせるのが、京都ならではの「権威」という存在感だ。街には「大本山○○寺」「宗教法人○○本部」「茶道○○家元」「華道○○流本部」「財団法人○○会」などの寺社、ビル、看板がやたらと目に付く。会員100万人を擁する茶道家元があったとする。本部に上納する年会費が1万円だと100億円が自動的に集まる。また、有名なお寺は拝観料収入が入る。拝観料は非課税だ。そのようなマネーがこの地に一体いくら吸い込まれているのか、おそらく税務署でも全体を把握するのが難しいのではないか。

     よい意味で解釈すれば、日本における「知的財産権」をいち早く確立したのが京都人と言えるだろう。教義と流儀と作法を全国に流布し、広く薄く定期的にお金を集める「集金システム」こそ、京都におけるビジネスモデルの真骨頂ではないか。国際観光都市は京都の表の顔だが、上納で潤う「権威の都」という別の顔を持つ。この地を歩きながらそんなことを考えた。

 ⇒23日(金)朝・金沢の天気  くもり 

☆京都の森で考えたこと

☆京都の森で考えたこと

  「汗をかくことが嫌い」という若者が増えている。しかし、汗をかきながら野や森を歩けば何かが得られるものだ。今月18日と19日に京都女子大学で開かれた交流会に参加した。「里山」をテーマに参加したのは九州大、神戸大、龍谷大、金沢大、それに京都女子大の学生や社会人ら合わせて21人。発表会やフィールドワークが繰り広げられた。   

   フィールドワークは大学から30㌔、京都市左京区の大原の森であった。宿舎となったのは、市有林にある市営ロッジだ。このロッジの前を一本の山道が続いている。大原の奥山で暮らす下坂恭昭さん(77)によれば、この道は昔から越前小浜に続く「鯖(さば)街道」と呼ばれてきた。塩鯖を入れたカゴを前と後ろにくくりつけた天秤棒を担いだ小浜の人たちがよく往来したという。小浜でも「京は遠くて十七里」との言葉が残る。およそ70㌔の山道である。

   人間だけではない。1408年、南蛮船が小浜に着き、時の将軍、足利義持にゾウが献上された。「そのゾウはこの道を歩いて京に入った可能性もある。文献での確証はないが・・・」と、今回の交流会の主宰者である高桑進教授は推測する。初日の夕食、若狭湾の名物「鯖のへしこ」(塩鯖のヌカ漬け)を肴に学生たちと焼酎を酌み交わした。この夜は中秋の名月だった。 

  翌日、市営林の背中合わせにある京都女子大所有の山林(通称「京女の森」)にフィールドワークに出かけた。24㌶ある京女の森には手付かずの自然が残る。その中に、「女王」と呼ばれる赤マツの大木がある。樹齢500年を生きた。過去形にしたのは2年前、枯死したからだ。その姿をよく見れば、急斜面によく立ち、雷に打たれ裂けた跡もある。500年もよく生きたと、感動する。むき出しになった根の部分を切ってみると、琥珀(こはく)色の松ヤニが上品な香りを放った。

  尾根伝いに歩くと、金沢大の同僚の研究員N君が「ここのササは金沢のものに比べ小さい」とつぶやいた。ササはチマキザサのこと。京都では祇園まつりの時、このササで厄除けのチマキをつくるそうだ。しかし、四角形をした金沢の笹寿しを巻くには確かにこのササでは幅が足りないような気がした。標高800㍍ほど、チマキザサでもちょっと品種が違うのかもしれない。

   林道に出る。スズメバチにまとわりつかれた。スズメバチがホバリング(停止飛行)を始めた。「動かないで」の言われ、恐怖で体がすくんだ。ホバリングはスズメバチの攻撃態勢を意味する。その時、プシュッという音がした。N君がハチ駆除用のエアゾールを噴射してくれた。スズメバチはいったん退散したが、再度向かってきた、今度はエアゾールを手にとって自分で噴射した。スズメバチの姿が見えなくなったので、全員で足早にその場を去った。用意周到なN君のおかげで命拾いをした。後で聞くと、N君は刺された場合の毒の吸出しセットも持参していた。緊張感漂うフィールドワークだった。

   高桑教授はパソコンなどデジタルに慣れきった学生を見てこう指摘する。「自然環境で学生を学ばせることでバーチャルとリアリティーのバランスの取れた人間形成ができる。その場が里山だ」と。現代人は里山を離れ街に出た。しかし、人は癒しを求めて再び里山に入るときがくる。京女の森はそんなことを教えてくれた。

⇒22日(木)午前・金沢の天気  くもり 

★民放とNHK、近未来の視界

★民放とNHK、近未来の視界

   テレビ業界をめぐる動きが急だ。そして、近未来の姿が見えてきたようだ。ソフトバンクがテレビ番組のインターネット配信に乗り出す方向で、テレビ朝日やフジテレビなど民放キー局5社と調整を進めていることが明らかになった。来春めどに専用サイトを開設し、ユーザーが好きな時にネットを通じて番組が視聴できるビデオオンデマンド方式を採用。収益はサイトの広告収入がメインで、一部番組の有料化も検討しているとう。USENのブロードバンド放送「Gyao」(ギャオ)のビジネスモデルを追いかけるかっこうとなる。

   配信コンテンツはニュースやスポーツ番組が中心で、著作権処理が済み次第、バラエティーやドラマも加えていく。ソフトバンクは民放キー局と組むことで、コンテンツ配信事業を拡大。民放キー局はこれまでの系列ローカル局以外に番組販売料を稼ぐことができ、収益源の多様化につながるというわけだ。

   このニュースを見て、おそらくローカル民放の経営陣は背筋に寒いものが走ったに違いない。再び「ローカル局の炭焼き小屋」論が脳裏をよぎった経営者もいることだろう。何しろ民放キー局のキラーコンテンツ(視聴率が取れる番組)が見たいときに見ることができるようになれば何も決まった時間にテレビにチャンネルを合わせる必要がなく、テレビ離れが起きる。そしてローカル局は細々と自社制作の番組をつくり続けるしか生き残る術(すべ)はなくなる。TVメディアにおける炭焼き小屋論だ。

   ましてローカル民放は来年12月までに莫大な投資(民放連試算で45億円)を伴うデジタル化をスタートさせなければならない。このタイミングで放送(キー局)と通信(インターネット)の融合のスピードが加速度的に進めば、特にローカル局に配分されているスポンサーの広告宣伝費はさらに通信へとシフトしていく。キー局の経営陣はローカル局のこうした焦燥感をどれほど理解しているだろうか。

   NHKも悪いスパイラルに陥った。橋本元一会長はきのう(20日)、一連の不祥事による受信料不払いの拡大などを受けた新たな経営改革計画「新生プラン」を発表したが、このニュースを見て共感した視聴者はいるだろうか。それどころか、受信料の支払い拒否・保留130万件に対して、支払いを法的に督促することを正式に明らかにし、960万件にも上る未契約の人に対しても民事手続きを導入する構えを示した。身から出たサビで237億円の減収(上半期)となり、法的な強硬手段で訴えるという。

   一般の視聴者の反応はどうか。答えは簡単、「それならNHKはスクランブル化を導入せよ」だ。実際にテレビを見なくなっている世代や層が増えている。その人たちを納得させるのは並大抵ではない。つまるところ、「見る見ない」の判断はスクランブルが一番納得できる。しかし、スクランブルを導入すれば、拒否者は130万件どころではなくなる。劇薬というより毒薬になる可能性もある。

   法的手段と同時に、NHKは来年度から3年間で全職員の10%にあたる1200人を削減すると発表した。これをまず実行して、未払い・保留の視聴者の理解を得るのが本来の姿、つまりソフトランディングだろう。法は最終手段だ。

⇒21日(水)午後・金沢の天気 くもり