★メディアのツボ-15-

★メディアのツボ-15-

 18日午後9時から放送された日本テレビの番組「小泉純一郎を知っているか?」を見た。小泉総理の在任2000日の主な出来事の舞台裏を再現したドラマと、20日の自民党総裁選挙を控えた安部晋三、谷垣禎一、麻生太郎の3氏とその応援団の議員をスタジオに呼び生中継で討論させるという、ドラマと生討論を融合させた野心的な番組だった。

     小泉政治とメディア④

 番組の中で次期総理に最も近いとされる安倍氏は、「北朝鮮による日本人拉致問題担当大臣を置く考えはないか」とキャスターから質問され、「外交ルートは二元化してはならないが、被害者の家族のケアもある。全体的に拉致問題を担当する人がいてもいい」と語ったことが、さっそく共同通信や新聞各紙のインターネット版でニュースとして流れた。これを質問したのであれば、すかさず「誰を大臣に」と突っ込めばさらに番組の価値が高まったかもしれない。

 なぜならば、その人物はおおかたの人が想像するように、02年に帰国した拉致被害者の支援を担当した中山恭子氏(元内閣官房参与)だろう。とすると、拉致担当大臣は外務大臣を兼ねることも十分予想されるので、安倍内閣では「中山外務大臣」の線も浮かんでくるのではないか…。

  「組閣」ともあれ、任期を終える総理をドラマ化するというのは前代未聞だ。しかも、高支持率のうちに辞するのである。安倍氏の大きな後ろ盾として小泉氏の存在感が増すに違いない。話をドラマに戻す。総理役の岩城滉一=写真=もツボにはまっていたし、亀井静香役の竜雷太は顔の引きつらせ方やしゃべり方まで亀井氏の仕草を相当研究したのだろう。

  印象に残ったシーンは去年9月の総選挙にいたる攻防だった。「干からびたチーズ」の大芝居は面白かった。森前総理(綿引勝彦)が郵政民営化法案が参院で否決されたら衆院を解散すると言い張る小泉総理を翻意させようと官邸に乗り込む。それは失敗に終わるが、帰り際に「小泉が本気であると(記者に)伝わるように、森さん本気で怒ってくれ」と小泉総理に言い含められる。すると森氏はわざわざ握りつぶした缶ビールの空き缶と干からびたチーズ(ミモレット)を持って官邸の外に出て、「寿司でも出してくれるのかと思ったら、この干からびたチーズだ…。オレはサジを投げたよ」と、とくとくと記者に語って聞かせる。

 この演技で記者はおろか国民も「衆院解散の意志は固い」という小泉総理のシグナルの読み取ってしまった。ここをスタートに300議席へとつながる選挙の政変が起きる。私は勝手にこの下りを「ミモレット劇場」と名付けた。歴史をつくった名演技だったからである。テレビドラマではない。名優は本物の森氏である。逆に見え見えの演技だったら選挙で大敗を喫していたに違いない。

⇒19日(火)夜・金沢の天気   はれ

☆メディアのツボ-14-

☆メディアのツボ-14-

 たとえば事件があったとする。その見方というのはそれぞれの関わり方によって違うものだ。1972年2月、銃を持った連合赤軍の若者が長野県南軽井沢の企業保養所「浅間山荘(あさまさんそう)」に押し入り、管理人の女性を人質に立てこもるという事件があった。警察関係者ならば「過激派による銃撃で2人の殉職者を出した大事件」と言うだろう。ところがテレビ業界では「民放とNHK合わせて89.7%の驚異的な視聴率をとった事件。あの記録はまだ破られていないはず」と言う。

       浅間山荘事件とテレビ

  河出文庫から出ている「浅間山荘事件の真実」を読んだ。元・日本テレビのアナウンサー、久能靖氏の著書だ。この本の見どころは、当時の報道陣が取材現場の視点で書いた初の本というだけでなく、記述が詳細なので、34年前のテレビ局が事件をどう伝えたのかを知る放送史上の貴重な資料であるという点だ。

  それだけ高視聴率を取った事件でも、時は流れ、連合赤軍の名前すら聞いたこともないという若者も多い。そこで簡単に説明しておくと、キューバ革命のチェ・ゲバラを崇拝し世界同時革命をめざす赤軍派と、毛沢東理論で一国革命を唱える京浜安保共闘が連携したゲリラ組織だ。群馬、長野の冬の山中を警察に追われながら逃げ延び、ついに浅間山荘に人質を取って立てこもる。ライフル銃や猟銃のほか実弾2千発余り、手投げの爆弾も持っていた。

  当時はテレビが白黒からカラー化への普及段階だった。しかも、中継設備といっても、現在のように通信衛星を使って映像素材をリアルタイムに伝送するSNG(Satellite News Gathering)という仕組みはない。中継はマイクロ波を小型パラボラアンテナで何段にもつないで現地と東京を結ぶやり方。いったん固定すると機動性はなく、動きのある事件には対応し切れないという難点があった。

  犯人が立てこもってから10日目、いよいよ人質の生命が危ういと警察側は判断し、強行突入し救出作戦に入る。人命尊重を第一に慎重な態度を崩さない警察に対し、「警察のやり方は手ぬるいのではないか。だから過激派がはびこる」というような批判もピークに達していた。そのタイミングでの突入だったので、視聴率が一気にアップした。

  午前10時ごろからの突入のシナリオはすべて警察とメディアの「報道協定」で取り決めがなされていた。雑誌を含む新聞、テレビ、ラジオなど52社との協定は当時とすれば「史上空前の大報道協定」(「浅間山荘事件の真実」)だった。また、犯人を射殺した場合、射殺した警察官の氏名は公表しない、事件解決後のムービーカメラによる現場撮影は3分(100フィートのフィルム1本分)といった内容まで協定で細かく決められていた。

  午前10時に突入して午前中には終えると思われていたシナリオが狂う。催涙ガスと放水で警察自身もなかなか前に進めない。警官2人が射殺される。この様子は生中継でアナウンサーが逐一リポートする。即時性というドラマが視聴者の目の前でパノラマのように展開された。日本テレビの場合、9時間に及ぶ中継だった。当時、高校生だった私自身もテレビにクギ付けだったことを覚えている。

  この浅間山荘事件が放送史で画期的だったのは、89.7%という驚異的な視聴率だけではない。何よりも報道におけるテレビの存在感を視聴者に植えつけたことだ。1991年1月の湾岸戦争を中継し続けたアメリカのCNNが一躍メジャーになったように、である。

  犯人の引き回しの映像の中継に成功したのはフジテレビだけだった。NHKも日本テレビも中継ポイントの設定を見誤った。早々に事件は解決すると踏んで、犯人の引き回しは山からの俯瞰(ふかん)で撮影する予定だった。ところが夕方になってしまい暗くなった。当時は夜間の高感度カメラの技術はまだ途上だった。放送終了後に帰社した中継スタッフは慰労の言葉どころか大目玉をくらったようだ。テレビの裏面史を読ませてもらった。

 ⇒16日(土)夕・金沢の天気  くもり 

★メディアのツボ-13-

★メディアのツボ-13-

 あす15日は、おそらくインターネット放送がメディアの仲間入りをする記念すべき日になるだろう。

        小泉政治とメディア③

  USENの番組配信サービス「GyaO」はブロードバンドを活用し、番組コンテンツを提供スポンサー企業からのコマーシャル収入を得ることで、ユーザー(利用者)に無料で見せている。ビジネスモデルはテレビと同じだ。スタートは去年、すでに登録会員数1000万人を突破している。その「GyaO」が15日、東京都内で開催される21世紀臨調(「新しい日本をつくる国民会議」)主催の自民党総裁選の3候補者による公開討論会をノーカットで生中継する。総裁選まで5日と迫り、マニフェストを掲げての安部晋三、谷垣禎一、麻生太郎の3氏の激論が期待される。時間は午後3時から5時だが、中継の後はただちにアーカイブで放送(オンデマンド)するそうだ。

  既存のマスメディア、特に新聞は妙なところがあって、政治を扱うメディアをメディアとして認めるところがある。いわば一目を置くのだ。逆に新聞の体裁を整えていても、政治を扱わない新聞はメディアとしては認めない。この意味でGyaOがようやくメディアとして認められることになる。

  これは日本の新聞が政治部を中心にしていることと関係するかもしれない。明治時代の日本の新聞は言論(政論)型が中心の「大(おお)新聞」だった。それは当時の読者と言えば、地方ならば地主、都市ならば中産階級といった中央の政治に敏感な階層だったからだ。そして戦前は軍が、戦後は中央政界や官僚が情報を握ったため、どうしても政治部が新聞の中核となった。また、ローカル紙では県政が中心となった。いまでも政治の動きは扱いが大きい。

  かつて新聞記者がテレビを見て、記事を書くということはありえなかった。ところが、田原総一朗氏が司会をするテレビ朝日の討論番組「サンデープロジェクト」が政治のホットなテーマを果敢に取り上げ、政治記者の見方が変わった。特に1993年の政治改革論議から細川内閣誕生のころはテレビから目が離せなくなった。そして、「非自民政権が生まれるよう報道せよ、と指示した」とする発言内容が問題となった、いわゆるテレビ朝日の椿貞良報道局長の発言はそれを象徴する出来事であった。新聞が椿発言を徹底して叩いたが、それは裏返しに言えば、新聞の政治部がテレビをメディアとして認めた証拠でもあった。

  そしていまでは、「民放テレビ局の番組に出演した○○氏は…」の書き出しで始まる新聞記事をよく目にするし、当たり前のようになってしまった。

  小泉政治の5年間でインターネットの存在が単なる通信という分野だけでなく、経済、文化などあらゆる分野で大きく占めるようになってきた。そして、来年夏の参院選からいよいよインターネットの選挙活動利用が解禁になる見通しだ。すなわち政治におけるインターネットの存在が大きくなる。これを契機に選挙のあり方が様変わりし、政治における世代交代を促すことにもなろう。それはメディアとしてのインターネットの存在が増すということにほかならない。(※写真はことし5月、金沢市の兼六園を散策する小泉総理)

 ⇒14日(木)夜・金沢の天気  くもり 

☆メディアのツボ-12-

☆メディアのツボ-12-

  小泉総理の靖国神社参拝に対しては数々の意見がある。しかし、政治家としてみれば、「ぶれない政治家」としての印象を得たし、政治家はぶれてはいけないという手本を示した。それより何より、総理の靖国参拝を通して日本人が中国と韓国の外交戦略というものを見てしまったのだ。

     小泉政治とメディア②

 総理は一貫して「靖国は外交カードにはならない」と主張してきた。この意味が当初理解し難かった。ところが、小泉政権の5年間で日中をめぐる事件がはっきりと見えるようになった。たとえば東シナ海の日中中間線付近でのガス田の一方的な採掘、国連の安全保障理事会に日本の常任理事国入りに反対、今なお強化している反日教育(中国版ホロコースト博物館の各地での建設)、反日デモの意図的な煽動…などを冷静に観察した日本人は次のような印象を持っているのではないか。

  「中国政府は小泉首相の靖国神社参拝が中国人民の感情を傷つけ、中日関係の政治的基盤を壊したために日中関係が悪化したと主張しているが、中国はもともと日本の対外政策全般に批判的で、日本を弱者の立場に抑えておくことが真の目的ではないか。これは外交戦略ではないか」と。

  だから、もし日本側が中国側の要求に応じ、日本の総理が戦争の歴史に正直に直面して対中関係を修復するためだとして▽靖国神社を参拝しない▽日中間で問題が起きるたびに第二次大戦での残虐行為について謝罪し続ける▽中国が不満を表明する歴史教科書はすべて書きかえる…などを約束し実行しても、中国は日本を許しもしないし、発展的な外交案を提示したりはしない。むしろ中国側は「日本はまだ十分に悔い改めていない」とし、あくまでも日本の国連安保理常任理事国入りには反対し、また日本領海への潜水艦での侵入を繰り返し、時には大規模な反日デモを扇動を続けるだろう。

  手短に言えば、中国側が日本からのさまざまな実利上の譲歩を獲得するために日本側の贖罪意識を責めることで、外交手段としているからだ。その日本攻撃の材料の一つが靖国参拝である。小泉総理が「靖国は外交カードにはならない」と言い切ったのはこの中国側の対日戦略が露骨に見えてきたためだ。韓国の対日外交ついても同様の意図が読める。

  もう一つ見えてきたことがある。それは、中国における日本のメディアのあり方である。新聞であれ放送であれ日本のメディアは正面切った中国に対する批判記事や番組を避けてきた。なぜか。中国には取材拠点となる支局の開設、取材の許可制など制限が数々あり、批判記事に躊躇せざるを得ないという事情がある。

 たとえば、こんな事例ある。駐中国の外国人記者協会(FCCC)はことし8月、北京で声明文を発表し、中国政府は北京オリンピック開催資格の条件付けとして「中国にいる外国記者に自由な取材環境を提供する」と誓約したにもかかわらず、現状では実現されていないと指摘し、さらにメディアへの干渉や妨害の撤回を求めた。この取材妨害とは、取材対象が環境汚染やエイズ病問題、農民の集団暴動などに及ぶと公安警察から干渉と妨害が入ることを指す。

  このような状態だから、ましてや日本のメディアが中国の外交戦略を真っ向から批判をしようものならどうなるか。日本のメディアは沈黙することで、その「難」を避けているのである。だから、前記のFCCCの声明ですら日本では記事にならなかった。

  こう考える。「正面切って中国を論評できない日本のメディアはもどかしい。中国に対し毅然とした態度を取っているのは小泉総理だけではないか」と日本人は見透かしてしまったのではないか。さらに言えば、1990年代からの中国側の外交戦略(前述のガス田問題など)は本来きちんと論評すべきであったのに、「ぼかしの表現」で隠してしまった。これはメディアの責任ではないか、と。(※写真はことし5月、石川県輪島市の千枚田を訪れた小泉総理)

 ⇒12日(火)夜・金沢の天気   はれ

★メディアのツボ-11-

★メディアのツボ-11-

 9月20日の自民党総裁選の結果を見越して、すでに各メディアは「安倍シフト」で走り出している。「安倍氏、政治資金がこの1年で急増」といった見出しが新聞1面で踊っているのも、当面のご祝儀記事の後は政治資金関連で攻めますよと宣言しているようなものだ。

       小泉政治とメディア①

 総裁選の結果がどうなれ、小泉総理はおそらく「無傷」で引退する歴代総理でも数少ない一人ではないか。前総理のように支持率が10数%という結果であえなく退場ということではない。小泉内閣支持率は各世論調査で今でも40-50%を維持している。なぜ高支持率を維持できているのだろうか。

 小泉総理が誕生した01年4月はITバブルが弾けて株価が1万4千円のころ、さらに景気は下り坂だった。同じ年の9月にアメリカで同時多発テロが発生し、それこそ「世界同時うつ病」になった。03年3月にイラク戦争が始まったころは株価が7千円台の底に落ちた。本来ならば経済の不振だけでも退陣だったろう。それが何とか持ったのも、前年02年9月で北朝鮮を訪問し拉致問題の存在を認めさせた、いわゆる「小泉サプライズ」があり、何かやってくれるとの期待を抱かせたからであろう。その期待は今でもずっと有権者の心の奥底に残っている。それが支持率50%なのだ。

  この数字をメディアはどう評価するのか…、である。結論から言えば、正面切って分析なり評価をする新聞あるいは放送メディアはおそらく出てこない。マスメディアは政治権力の腐敗や暴走を監視する機関と自らを任じている。それは正しい。だから、その小泉政権の流れが総裁選以降も続くとすれば、「小泉さんの政治手法は素晴らしかった。だから支持率50%を維持できた」などと礼賛するような論調は張れないし、その必要もないというのが編集局のスタンスだろう。つまり、政権交代がない限り小泉氏は過去の人ではなく政権の奥の院の権力者の一人、だから監視を続ける、という論法になる。

  ただ、ストレートに小泉政治を評価しないにしても、それとなく婉曲に評価するメディアもある。オヤっと思ったのは9月10日付の朝日新聞で掲載された「“総裁選劇場”様変わり」という企画記事。要するに今回の総裁選の最有力・安倍氏は小泉総理が01年4月に総裁選出馬したときに比べると、ワイドショーも取り上げないほど人気がないと酷評している。それは「安倍氏は育ちが良くてイケ面という以外に茶の間に訴える、刺激する情報が少ない。要は人間味の問題です」と芸能リポーターのコメントを引用して分析している。

  が、よく読むと逆に「小泉さんは首相という公人であることのほか、生身の人間としてのサブ情報があふれている」というコメントが際立つ。そして、20日の総裁選直前の18日に日本テレビ系で放送される小泉総理を主人公にしたドキュメントドラマ(日本テレビ)の紹介までしている。両者を比べて一方を酷評することで、もう一方を肯定する「噛ませ犬」的な手法で、結果として、小泉総理が高く評価されているのである。

 ⇒11日(月)夜・金沢の天気  はれ

☆メディアのツボ-10-

☆メディアのツボ-10-

 同時多発テロ「9・11」ほどその後のメディアのあり方を変えた事件はないだろう。あす11日を前にこれまでのメディアの論調に触れてみたい。

     9・11とメディアの論調    

  国家VS国家の戦いではなく、アフガンで展開したようにテロ集団と国家の図式である。国際法にもとづく定義とか、もちろん戦争作戦でもなく、紛争あるいは掃討作戦という地域限定の争いである。その延長戦上にイラク攻撃もあった。実はこれならメディアは乗りやすい。国家と国家の争いならイスラエルとパレスチナのようにそれぞれの言い分がある。しかし、テロは絶対悪である。その理由はどうであれ報道しやすい。そのことに反発する世論が形成されないからである。

 その事例がある。2001年のテロの翌年、「テロ支援国家」「悪の枢軸」とブッシュ大統領が決めつけたイラクへの攻撃を想定してアメリカ国防省が02年10月から軍とメディアの合同演習を開き、これにメディアも参加した。翌03年2月には500人以上の記者とカメラマンが参加する一大イベントとなった。いわば「従軍」である。アメリカ兵と寝食を共にして、食料も移動車も提供される。分担金はあったにせよ丸抱えだった。

  その後のメディアの論調は、「テロが発生」「報復攻撃」「市民が犠牲」「アメリカ兵が合計で何人死亡」と発表文を基にした報道の繰り返しだった。イラク人捕虜の虐待などのスクープはあったものの、この報道パターンはいまも同じである。そのうち読者や視聴者の感覚は段々と麻痺してきた。それは人が死ぬということが特別なことではなく日常の紙面であり、あるいは自爆テロということに遠い国の日本人も恐怖心を抱き、JR駅からゴミ箱が撤去されても当たり前という感覚にいつの間にかなってしまった。

  そして、テロに対しては「やられる前にやりかえせ」という風潮がいつの間にか醸成される。03年1月、北朝鮮が日本にミサイル攻撃を仕掛けてきた時の対応が論議された際、時の石破防衛庁長官は「(北がミサイルに)燃料を注入し始めたら(攻撃に)着手する」と答え、物議をかもしたが、それも一時的だった。その延長線上で、ことし7月5日の北朝鮮ミサイル発射問題が起きた。額賀防衛庁長官も同じ発言を繰り返した。が、その時は物議にすらならなかった。韓国の盧大統領が「北東アジアの平和をかき乱すような事態を引き起こす可能性がある」と思いつきの日本政府批判を展開したものの、逆に韓国内で「攻めるべきは北であって日本ではない」と反発を招いた。

  日本のメディアの中で、この先制攻撃論について論陣を張った社はあるだろうか。アルカイダ、イラク、北朝鮮の延長線では斬り込み難いと思っているメディアが多いのだろう。そして「北朝鮮がミサイル再発射か」というニュースが流れる度にドキリとしている我々である。01年9月9日から06年7月5日の5年間で心理の底に堆積したテロ、戦争の膨大なニュースのおかげで、「身構えること」だけが本能となったかのようである。

⇒10日(日)午後・金沢の天気   あめ

★トキが能登に舞う日

★トキが能登に舞う日

 国内のトキは環境省が佐渡保護センターで集中的に飼育していて、その数は現在98羽に増えている。しかし、1カ所に集めた飼育では鳥インフルエンザなどのリスクも大きいとして、分散飼育の方針を打ちしている(03年)。環境省では100羽になるのをめどに国内の複数の動物園で分散飼育して繁殖させる計画。さらにその先には放鳥による野生化計画も視野に入れているようだ。

  こうした環境省の動きを見越した「いしかわ動物園」(石川県能美市)ではトキ類人工繁殖チームが発足し(04年)、近縁種のクロトキで繁殖方法のノウハウを磨いている。石川のほか、東京の上野動物園や多摩動物園なども、環境省が公募した分散飼育先に名乗りを上げた。その公募がこのほど打ち切られ、飼育先の決定を待つばかりとなっている。

  石川が熱心になっているのも、本州最後の1羽は能登半島に生息していたオスだったからだ。「能里(のり)」という愛称まであった。佐渡のトキ保護センターに移され、1971年(昭和46年)に死亡した。その後、剥製となって里帰りし、毎年の愛鳥週間(5月10日から)には県立歴史博物館で展示されている。最後の生息地としては、何とか分散飼育で「トキよ再び」の夢をつないでいるのだ。

  こうした機運を盛り上げようと、石川県立自然史博物館(金沢市銚子町)では特別展「トキを石川の空へ2006」を開いている。県内で所蔵されているトキの剥製4体のうち2体を並べて展示。トキの複数展示は珍しいというので、きょう訪れた。係りの人は「トキのくちばしは湾曲しているので、ドジョウをついばむのは苦手だったかもしれない」などと熱心に説明してくれた。

  能登半島にトキが舞う日を夢見ている人がいる。半島突端の珠洲市で小学校の校長をしている加藤秀夫さん。「トキの野生化計画が進んで仮に放鳥が始まれば、佐渡から真っ先に飛んでくるのは奥能登なんです。何しろ佐渡から能登は見える距離なんですから。飛来したときに田んぼに水がはってあれば必ず舞い降りるはず」と熱く語る。そこで、冬の田んぼの水はり運動を農家に呼びかけている。その効果があってか、実はことし1月にはコウノトリの飛来が1羽観測されている。

  加藤さんの試みはまだ孤軍奮闘の状態。分散飼育が具体化して機運が盛り上がれば、加藤さんの運動の輪も広がるのかもしれない。

 ⇒9日(土)夜・金沢の天気  はれ  

☆トイレットペーパーと豆腐の考察

☆トイレットペーパーと豆腐の考察

 既成概念にとらわれてはいけないと日ごろ思っている。そう思っている割には、意表をつく商品デザインがあったりするとドキリとしたり、思わず笑ったりする。そんな話題を2つ。

  広告入りのトイレットペーパーを見たことがあるだろうか。先日、家人が金沢市内の電気店に用事に行って、サービス品として2本もらってきたものだ。普通の巻紙タイプのトイレットペーパーなのだが薄いブルーで文字とイラストがプリントがしてある。その内容は「地上デジタル放送のご案内」である。2011年7月24日をもって現行のアナログ方式が終了する。そして、「お使いのテレビは今のままではタダの箱。他人事ではありません」と。デジタル放送が始まりますよというキャンペーンであり、要は当社のテレビを買ってくださいというPRなのだ。

  ところが、家の者はだれも使いたがらない。「お尻にブルーのインクがつくのではないか…」などといぶかっているのだ。使用する側に「トイレットパーパーは白色」という既成概念がある限り、せっかくのアイデア(PR}商品も使ってもらえそうにない。

  豆腐といえば四角とだいたい相場は決まっている。中に、能登の「ちゃわん豆腐」のように丸型もある。この豆腐はなんとサーフボード型なのだ。ネーミングが面白い。「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」。2パック入っていて298円だ。受け狙いの流行商品だろうと思ったら、商品開発に5年も費やしたこだわりの味だという。味は濃厚でまるでクリームチーズかプリンのようだ。

  この「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」を調べるといろいろなことが分かってきた。ブランドの豆腐は現在、京都の「男前豆腐店」と、茨城の「三和豆友食品」の2社が製造販売している。西と東でメーカーが違うのである。ちなみに我が家が買った「ジョニー」は東のものだった。男前豆腐の社長が三和豆友時代に開発したヒット商品だが、 三和豆友を辞め05年9月に京都で独立店舗を構えた。その後、ことし5月に三和豆友は大手の「篠崎屋」と業務提携を結び、大手の傘下に入った。どうやら、男前豆腐の38歳のヤリ手社長が独立したのはこの業務提携を嫌って、自分は西で独立し「棲み分け」をしたということらしい。

 その三和豆友は現在、ホームページすらつながらない。つまり豆腐をつくっているだけのようだ。それに比べ、男前豆腐は斬新な切り口のHPで勝負している。そして、雑誌のインタビューに38歳の社長は「ことし夏にアメリカ西海岸で販売網を構築する」と、「ジョニー」の海外戦略を語っている。豆腐の味も人生の波乗りもうまい…。

 ⇒5日(火)夜・金沢の天気  はれ

★続々々々々・ニュージーランド記

★続々々々々・ニュージーランド記

 1週間のニュージーランド旅行の締めくくりは最大の都市オークランドだ。人口110万人。ニュージーランドの人口は410万人、日本で言えば静岡県(380万人)をひと回り大きくした規模だ。オークランドは人口の4分の1が集まる一極集中の都市と言える。何しろ2番手はクライストチャーチの35万人なのでダントツだ。

       オークランドの旅愁

  ニュージーランドの経済の中心地オークランドの街を歩くと、不思議なことにマネーの活況ほどに街は騒がしくないのである。投資家の間では有名なニュージーランドドル建て債券は5%~6%を維持している。それだけ高金利で世界中からマネーを集めているので、さぞ都市開発も盛んだろうと思い、ホテルの部屋(18階)から街を見回してみた。クレーンが立っているのを確認できたのは2カ所だけ。ホテルの周囲は新しい高層ビルが建ち並んでいるので開発ブームは過ぎ去ったという感じだ。

  それではどこに投資の金が回っているのかと思う。確かに、ハントリーでは新しい石炭火力発電所が建設されるなどインフラ投資が行われている。また、クイーンズタウンのリゾート開発にもマネーが回っているのだろう。しかし、現実をよく見ると「祭りは終わった」という印象だ。そのせいか、ニュージーランドドルは下落している。去年11月末には1NZ㌦=87円だったレートは、12月末に80円程度まで下落し、ことしに入って72円程度まで下がり、今月76円で持ち直してはいる。もともと市場規模が小さく急降下しやすいのだ。

  旅行する前、郵政関係者と話をしていたら、ニュージーランドの郵政改革が話題になった。その時の印象では、「郵政改革では世界のお手本になった国」というイメージだったので、試しに郊外の郵便局に入ってみた。なるほど、郵便局コンビニという感じで、雑誌、飲料、日常生活品など並べている。その雑誌の中に「PIG HUNTER」というのがあり、ページをめくるとイノシシ狩りのノウハウものだった。

 これが日本の郵便局の近未来の姿かと思った。が、在ニュージーランド歴17年という現地の日本人ガイド氏によると、労働党のヘレン・クラーク氏が99年に政権を就いてからは、郵政改革は行き過ぎたとして「(規制緩和を)半分戻した」という。

  オークランドの街を歩くと、物価は高いと感じる。ガソリンスタンドでは1㍑が1㌦76㌣(134円)である。消費税が12.5%の国なのでとくに物価高との印象になるのかもしれない。

  1990年代、ニュージーランドには規制改革と経済活性化の熱い嵐が吹き荒れた。当時の日本は「失われた10年」のただ中にあり、その勢いは羨望の的でもあった。時は流れ、その勢いは調整過程に入った。季節で言えば、ニュージーランドはゆっくりと秋に入っているのだ。(※シリーズは終了)

 ⇒30日(水)朝・金沢の天気   はれ

☆続々々々・ニュージーランド記

☆続々々々・ニュージーランド記

 旅行中、kiwi(キーウィ)という言葉がいたるところに目につく。この国の国鳥でシンボルでもある。そして、ニュージーランドの人たちは自分たちのことをkiwiと読んだり、書いたりする。日本でキーウィといえばフルーツのことだが、語源はこの鳥である。

      愛される鳥・キーウィ

  現地の新聞で「BBQ is kiwiana」という文が目に止まった。BBQはバーベキューのことなので、バーベキューならキーウィの肉、かといぶかった。このKiwianaを英和辞書で検索しても出てこないので、現地の日本人ガイド氏に聞くと、笑いながら「そうですね、日本語で近いのは『ニュージーランド名物』とでもいいましょうか…」、「あえて訳せば『バーベキューはニュージーランド名物』ですね」と。

  「キーウィ」と口笛のような声で鳴くため、ニュージーランドの先住民であるマオリ族からキーウィと名付けられたそうだ。ニワトリくらいの大きさで、飛べない。たくましい脚を持ち、速く走る。しかし、ヨーロッパからの移民とともにやって来たネコやネズミなどの移入動物の影響でキーウィは一時絶滅の危機に瀕したこともある。体の3分の1ほどの大きさの卵を抱くのはオスの仕事である。そこで、kiwihusband(キーウィハズバンド)と言えば、面倒見のよい夫のたとえだとか。

  実は飛べない鳥はニュージーランドには5種類もいる。その中で、国のシンボルとなり、この国の人々の代名詞にもなりと、さまざまなかたちで言葉となるのは、背を丸めた、その愛くるしほどの姿ゆえか。オーストラリアのコアラ、中国のパンダほど世界的に有名ではないにしろ、ニュージーランド国民410万人に愛されている鳥なのである。

⇒29日(火)夜・金沢の天気  はれ