☆メディアのツボ-24-

☆メディアのツボ-24-

 電波メディアの老舗と言えばラジオである。あまり知られてはいないが、3月22日の放送記念日は1925年のこの日、東京放送局(現在のNHK東京放送局)が芝浦の仮送信所でラジオ放送を開始した日にちなむ。

      政治オンチのラジオ

  ラジオが誕生した背景には、1923年に起きた関東大震災での情報混乱の経験があったようだ。そして、戦時はラジオの絶頂期と重なる。先の戦争は、「臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部午前6時発表。帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス・・・」で始まりを、「堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ・・・」の玉音放送で終わりをラジオを通じて、国民に知らされた。

  だから、お年寄りの中には、ラジオと言うと「何だ大本営か」といまだに揶揄(やゆ)する人もいる。それだけ戦時における情報統制とラジオの使命は重なった印象がある。もちろんかつて深夜族と言われた我々の世代には前述のような印象はない。

  ところで、今回のテーマは「政治オンチのラジオ」である。オンチは漢字表記で音痴だが、漢字にするとストレートに意味づけされるので、少しクッションを置いた。というのも、けさのFMラジオでアナウンサーのコメント内容がいかにも稚拙に聴こえ、その理由を考えてみたからである。

  その男性アナは今回の北朝鮮の核実験をめぐってコメントしていた。前段で識者のインタビューを受けてのことである。「核実験の狙いは、北朝鮮がアメリカとの2国間での協議を望んでのこととの(識者の)分析があるようです。それだったらアメリカも話し合いに応じてあげればよいと思います。そして、6ヵ国協議での話し合いにも出てもらって、とにかく話し合いを続けることが大切ですね」と言った内容なのだ。

 アメリカは前回のクリントン政権での2国間協議は失敗だったとして、6ヵ国協議の枠組みをつくったのである。つまり、男性アナのコメントは入り口と出口が逆なのである。

  この男性アナは時折りニュースを読んでいる。上記のアドリブのコメントにはこれまでの時事・外交からの視点があればこのような解にはならない。おそらくニュースは読んでいるものの、政治が絡まった討論番組などに身を置いたことはないのだろう。あるいはまったく外交や政治にこれまで無関心だったのかもしれない。突然、プロデューサーから何かコメントするように突然指示されたのかもしれない。その程度の内容だったのである。しかし、この男性アナがこのようなコメントをするようになったのは果たして彼の責任だろうか。

  実は、ラジオは戦争に加担したとの反省から、戦後一転して政治と無関係を装う。情報トーク番組、音楽番組、深夜番組では独自のジャンルを築いた。しかし、報道、とりわけ政治はニュースとして淡々と伝える。速報性という強みがありながらも、政治ネタには頓着しない。そんなメディアになった。

  一方、1953年、戦後生まれのテレビはスタートは娯楽だったが、72年の連合赤軍による浅間山荘事件などをきっかけにニュース番組、硬派のドキュメンタリーなど報道へとジャンルを広げた。政治討論なども番組化し、たとえば升添要一氏ら多くの論客を誕生させた。その勢いが強い余り、1993年の細川内閣誕生のころ、「非自民政権が生まれるよう報道せよ、と指示した」とするテレビ朝日の椿貞良報道局長の発言が新聞メディアから叩かれもした。

  ラジオが権力者のプロパガンダのツールとして時代を逆戻りすることはもうあるまい。ラジオを「大本営」と称する人も稀有だろう。むしろ、その男性アナを政治の雰囲気に引っぱり張り出してトレーニングさせてやってほしい…。いや、ラジオはもっとリアルの政治を伝えるメディアであるべきだと思ってもいる。

 ⇒13日(金)午後・金沢の天気   はれ  

★メディアのツボ-23-

★メディアのツボ-23-

 前回の「メディアのツボ」でNHKが東京都内の48の世帯・事業所について今月中に支払いがない場合、11月に簡易裁判所に支払い督促を申し立てることについて関連して述べた。で、また不祥事である。

          作り手の人格と番組

  6日、NHK富山放送局の54歳の局長が富山市内で万引をしていたことが明らかになった。事実関係を詳しく読む。局長はことし5月20日(土)午後5時ごろ、富山市内のホームセンターで、ボールペンやひげそり、木工用のキリなど7点、5000円相当を万引し、上着のポケットや袖に隠して店外に出たのをホームセンターの保安係に発見された。駆け付けた警察官に万引の事実を認めた。警察は被害額が少なかったことから送検しなかった。おそらく素直に事情聴取に応じて、費用を弁済。示談で済んだのだろう。が、万引きは窃盗罪である。万引をした日は休みで、木彫り教室へ行った帰りだった。

  そのことを局長は隠していた。最近になってその事実を嗅ぎつけた地元のメディアから取材を受けた局長が慌てて、本局に報告した。局長は去年6月から富山に赴任していた。予断は禁物だが、54歳の万引きは手癖が悪い。初犯なのか。NHK本局ではニュース番組「おはよう日本」などのプロデューサーだったという。

  これは私の経験則での解釈であるが、番組は作り手の人格そのものである。取材が甘ければ番組の構成も甘くなる。心に欺瞞性があれば、「やらせ」を生む。つまり詐術が含まれる。作り手の人格と番組は表裏一体なのだ。だから、この局長が名プロデューサーであって、今回のことを「出来心だった」あるいは「魔が差した」と弁明しても、私はその人が過去に制作してきた番組そのものを疑ってしまう。過去にその心の緩みや欺瞞が含まれる番組をつくってきたはずと解釈するからである。

  NHKが簡易裁判所に支払い督促を申し立てると言っているが、そんなことより信頼の回復が先だろう。業務上横領、放火、万引き(窃盗)…NHKの番組プロデューサーや記者の犯罪は枚挙にいとまがない。NHKの局内には危機感とか倫理性を重んじる雰囲気が欠けているのではないか。どこか組織のタガが緩んでいるに違いない。

  NHKは局長職を解いて停職3ヵ月の懲戒処分にしたが、局長は6日のうちに退職願を提出し、受理された。局の名誉を著しく傷つける行為であり、報告義務違反でもある。本来なら懲戒免職に相当するのだろうが、懲戒処分にした。その代わり辞表を提出させたとも取れる。退職金のことを考えた「温情」と言えなくもない。

 ⇒7日(土)午前・金沢の天気  くもり  

☆メディアのツボ-22-

☆メディアのツボ-22-

 これはTVメディアの奇観である。時代にあえぐメディアの吐息が聞こえる。
        テレビの奇観3題

 10月3日、この日のニュースは画期的だった。「メディアの日」として日本新聞協会や民間放送連盟はどこかの機関に記念日の申請してもよいのではないか。なにしろ、最高裁が「事実報道の自由は、表現の自由を規定した憲法21条の保障の下にあることはいうまでもない」(最高裁決定の全文から)とし、取材・報道の自由の価値を重く見る司法判断を初めて示したのである。

  アメリカ企業の日本法人が所得隠しをしたとする報道に絡み、NHK記者が嘱託承認尋問で取材源にかかわる証言を拒んだことの当否が争われた裁判の決定である。このところ、人権擁護の名目で個人情報保護法などに押され、メディアの取材は萎縮でもしたかのように窮屈さをかこっていた。それが、今回の最高裁のお墨付きでメディアは「錦の御旗」を得たといえる。

  奇観というのは、新聞メディアなどは一面でトップ扱いだったが、テレビ各社は「NHKが裁判に勝った」程度の扱いで、まるで他人事なのである。メディアがこの最高裁の決定をしっかり噛み締めないと、自分が拠って立つところの論拠を失うではないか。

  TBS系の報道番組「筑紫哲也 NEWS23」の山本モナキャスターが番組をしばらく休むことになった。今月2日夜の放送で「体調不良のため」と発表された。山本キャスターは、民主党の細野豪志衆院議員との不倫を先週発売の写真週刊誌で報じられていた。「NEWS23」は先月25日にリニューアルされ、山本キャスターは起用されたばかりなのだ。

  奇観に思うのは、写真週刊誌で報じられたくらいでなぜ休むのか。視聴者はキャスターに潔癖性を求めてはいない。不倫の相手が民主党の代議士であり、政治的に中立性を失っているではないかと糾弾する自民党寄りの視聴者もなかにはいるかもしれない。しかし、問題はキャスターの発言内容が中立性を保っているかどうかであり、不倫は大人の世界の別次元である。「キャスターが不倫をして何が悪い」くらいの小悪魔的なキャラクターがあった方がむしろ信頼がおける。

  「みなさまのNHK」から「取り立てのNHK」に変身した。不祥事をきっかけに急増した受信料不払い問題で、NHKは5日、再三の説得にも支払いに応じない東京都内の48の世帯・事業所について今月中に支払いがない場合、11月に簡易裁判所に支払い督促を申し立てると表明した。不払い者が簡裁からの督促を放置すれば、財産を差し押さえることも可能だ。

  奇観はNHKが相手を見誤っていることだ。受信料不払いが112万件となっているが、NHKも説明しているように、その理由のほとんどは番組プロデューサーによる業務上横領、記者の放火事件など一連の不祥事に拒否反応を示した「確信犯」だ。実際、私の周囲にいる不払い者は正義感が強い。つまり、レジスタンスなのである。

  この人たちを納得させるには、地上波とBS波の6波に肥大化した組織を徹底的にリストラし、災害と報道に強いNHKに蘇生するしかない。その上で受信料を下げて、なおかつ「今後、不祥事が起きた場合は1件につき月100円下げる覚悟」くらいの厳しさを自ら課さなければ、不払い者は納得しないだろう。さらに未契約者989万件をどうするのかの指針も示すべきだ。

⇒05日(木)夜・金沢の天気   くもり 

★メディアのツボ-21-

★メディアのツボ-21-

 総理の「ぶら下がり」会見を1日2回から1回にするとした官邸サイドに内閣記者会が反発している問題を連続で取り上げた。すると、何人かの方から意欲的なコメントの書き込みをいただいた。

     「ぶら下がり」問題の深層

 「いつも見ています」さんから以下の書き込みを。「結局は情報リテラシー(技術)の問題です。ネットという新しいリテラシーが登場し、TVがそれを敵視したところに始まります。TVジャーナリズムはそれを習得しようとせず、反対に政治は、政府インターネットテレビのように新しいリテラシーを導入し、TVが得られない成果を上げようとしている。それに対する恐れでしょう。通信とネットの融合を拒否した、つまり時代の流れに逆らった付けが、一番根本のところで回って来たと言うことでしょう。どちもどっちというより、明らかに政府が新しい情報リテラシーの習得に一歩先を行っているこの現実を恐れなければならないと思います。」

 「いつも見てます」さんの論評の切り口は、情報リテラシーへの思い入れの差が政府とTVメディアを分けているという主張に読み取れる。即時性や広範囲性、ローコスト配信などネットが持つ価値や凄みを知っているのは政府の方だ、と。「いつも見てます」さん自身がITの相当の使い手とお見受けした。

  それはともあれ、既存のメディアというのはニューメディアを疎んじるものだ。1950年後半にテレビが普及し始めたとき、活字メディアのテレビに対するバッシングが沸き起こった。社会評論家の大宅壮一が述べた「一億総白痴化」は流行語になったほど。テレビというメディアは非常に低俗な物であり、人間の想像力や思考力を低下させると酷評した。大宅だけではなく、作家の松本清張も「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない」と初期のテレビに違和感を露にした。

  時代はめぐり90年代のインターネットの勃興期、テレビがメディアの主流であって、インターネットは有象無象、寄せ集めぐらいの認識だった。ネットがブロードバンド化して映像が流れるようになり、テレビの対抗メディアとしてようやく認識されるようになった。それでも、既存のメディアはいまだに「ネットは裏付けのない情報をまき散らかし、メディアには値しない」と十把一からげで考えているようだ。

  しかし、今回の官邸と内閣記者会の押し問答は既存メディアとニューメディアの相克の構図ではなく、別次元のような気がする。

  花形である官邸の記者はテレビも新聞も比較的若い記者が多い。なぜならどんな人物が総理と会うのか見張り番をしなければならず、これは体力勝負である。そんな記者たちの出番が「ぶら下がり」会見での質問なのだ。その出番が減らされたのでは記者の存在意義にかかわる…。頑なに「1日2回」を主張する記者の本音は案外ここらあたりではないか、と私は睨んでいる。

  ところがそれを「国民の知る権利」云々と理屈づけするからややこしい。また、「記者の取材に、広報である政府のテレビカメラを入れてネット配信するのは筋違い」と言い張るから会見情報を記者クラブが独占する気かとネットユーザーから批判されもする。素直に「出番が減るから何とかしてくれ」と言ったほうが反感を買わずに済む。

⇒4日(水)午後・金沢の天気   くもり

☆メディアのツボ-20-

☆メディアのツボ-20-

 ついに記者たちはゲリラ戦法に打って出ることにしたらしい。でも、それは見苦しい。

       記者たちのゲリラ戦

 懸案となっている「ぶら下がり」会見の回数について、世耕弘成総理補佐官(広報担当)は2日、内閣記者会からの「ぶら下がりは1日2回」との申し入れに対し、「1日1回しか応じられない」との回答をした。これを受けて記者会側は世耕補佐官に対し、総理が1日2回のぶら下がりに応じなければ、十分な取材機会を確保する観点から官邸や国会内などで「歩きながら」の取材に踏み切ると口頭で通告した、と各紙のインターネット版が報じている。

 「ぶら下がり」は総理が立ち止まっての会見だが、「歩きながら」は記者がざっと総理に近づいて、ぞろぞろそと併行しながら質問を投げかける、という取材手法だ。

  総理へのぶら下がりは今年7月、小泉前総理がこれまで原則1日2回から1回にしたのを安倍総理も踏襲するとしたのに対し、記者会側は先月29日、1日2回の取材機会確保など5項目の要望を申し入れていたものだ。記者会側は「ゼロ回答」だっとして、「2回の原則を破ったのは官邸サイドだ。だから、ぶら下がりこだわらずに歩きながらでも質問をする」と、食い下がりのゲリラ戦に出ると宣言したわけだ。

  でも、ゲリラ戦法を実施しても、おそらく安倍総理は口をつぐんだまま答えないだろうし、ヘタをするとSPに遮られてしまう。それでも記者会側は「国民の知る権利に応えるため」と意を決して突撃するのだろうか…。見方によっては、そのくらいの意気込みを記者は持って当然との評価もあるだろう。が、一方でどこかの国の自爆テロを想像しておぞましくもある。

  前回の「メディアのツボ」でも指摘したように、われわれ読者や視聴者は別に「ぶら下がり」の回数にはこだわってはいない。むしろ、どのような総理と記者のやり取りがあったのか全容を知りたい。どこの記者がどんな質問をして、それに対して総理がどう答えたのか、ノーカット編集のものを見たい。それゆえ、記者には質問の回数ではなく、質問の鋭さで勝負してほしい。

  仮にメディアの側が2回にこだわっている本音が夕刊と朝刊、あるいは昼ニュースと夜のニュースという紙面や時間枠に間に合わせるためにあるとすれば、それは「国民の知る権利」に名を借りたメディア側のご都合主義といわれても仕方がない。

 ⇒2日(月)夜・金沢の天気  くもり 

★メディアのツボ-19-

★メディアのツボ-19-

  総理官邸と内閣記者会がもめている。その発端は、世耕弘成首相補佐官(広報担当)が9月27日、安倍総理の「ぶら下がり」会見を1日1回とするよう、内閣記者会に申し入れたことに始まる。

      「ぶら下がり」会見問題の実相

 この「ぶら下がり」会見とは、総理が立ちながら記者の質問に答えるもの。小泉総理のときは、政権発足当初は1日2回行っていたが、ことし7月から1回に半減した。安倍内閣では1回を踏襲したいとしたが、記者会側は「本来2回、一方的な通告は認められない」と申し入れを拒んでいる。

  広報担当の世耕補佐官の説明では、ぶら下がりは夕方1回のみだが、夜のテレビニュースに間に合う時間帯に実施。1回とする代わりに取材時間には配慮するとし、「より密度を濃くしたメッセージを国民に発信したい」「1日1回でも国際的には非常に多い回数」とした。つまり、今回の内閣では広報担当の総理補佐官が新設されたこともあり、総理の負担を減らしたいとの意向だろう。

  では実際、どのようなかたちで「ぶら下がり」会見が行われているのだろうか。その27日の当日は、午後8時50分から総理執務室での安倍-ブッシュの電話会談があり、午後9時15分ごろから、安倍総理の「ぶら下がり」会見があった。翌日の28日は午後7時過ぎから総理の「ぶら下がり」会見があった。が、この日は午後から総理と新聞各社論説委員との懇談、続いて総理とテレビ解説委員との懇談、さらに総理と内閣記者会各社キャップとの懇談があった。つまり、「ぶら下がり」会見は1回だったが、マスメディアとの対話には官邸サイドは応じているのである。

  記者会側は「ぶら下がり」会見は政府と報道各社の合意に基づいて実施しており、一方的な通告による変更は認められない」と主張し、29日には要請文を広報担当補佐官の世耕氏に提出した。あくまでも小泉政権で合意した1日2回を継続するよう求めたほか▽内閣記者会が緊急取材を求めた場合は応じる▽ぶら下がり取材はインターネットテレビで収録しない▽官邸や国会内で総理が歩行中の取材に応じる▽現在制限されている総理執務室周辺の取材を認める-など合計5項目を要請した。

  この「インターネットテレビで収録しない」との下りは、官邸ホームページの掲載のため政府のカメラも「ぶら下がり」会見の様子を撮影したいと世耕氏が提案したものだ。これに対して、記者会側は、政府のテレビ撮影は「取材の場であり広報ではない」と拒否したわけである。

  記者会側が要請文を提出した29日の安倍総理は所信表明演説の中でこう述べた。「私は、国民との対話を何よりも重視します。メールマガジンやタウンミーティングの充実に加え、国民に対する説明責任を十分に果たすため、新たに政府インターネットテレビを通じて、自らの考えを直接語りかけるライブ・トーク官邸を始めます」と。  この日の夜の会見で、記者が安倍総理に質問した。「国民の知る権利にこたえるためにも2回に応じるべきではないのか」と。これに対し、総理は「必ず1日1回、こうしたかたちで国民の皆様に私の言葉で語りかけて参ります」と述べた。

  27日から始まったもめ事が真相が29日になってようやくはっきりしてきた。つまり、官邸サイドはマスメディアのほかにインターネットテレビやメールマガジン、タウンミーティングなどを通じて国民に直接語りかけたいとの意向。これに対し記者会側は「国民の知る権利」はマスメディアを通じてのみ成立するのであって、官邸が直接インターネットなどで流す情報は「広報」であり、「国民の知る権利」に応えたことにはならない、としているのである。

  突き詰めれば、おそらく官邸サイドは記者のフィルターを通した会見内容より、会見の全容をインターネットで流し、国民が直接内容を判断してくれた方がよいとの考えなのだろう。ところが、記者会側は「広報と取材をいっしょにするな」と会見の政府のカメラ収録を拒否している。マスメディアはどう頑張っても字数や時間枠の制限のためにカットや編集が多くなるのだ。

  本来の「国民の知る権利」とは何かを考えれば、マスメディアによる情報の独占より、会見内容の全容を直接知ることができるインターネットがあった方がよいに決まっている。新聞やテレビを通してでしか一国の総理の言葉が伝わらないというのは合理性を欠く。今回のもめ事の本質は「ぶら下がり」会見の回数の問題ではなく、会見の政府のカメラ収録を記者会側が拒否していることこそ、国民にとっては問題なのではないだろうか。(※総理官邸のシンボルは竹と石)

 ⇒30日(土)夜・金沢の天気  はれ

☆メディアのツボ-18-

☆メディアのツボ-18-

 この春に関東地方から転勤で金沢にやってきた男性会社員が当地の民放テレビを視聴した感想をこう述べてくれた。「金沢のテレビって、仏壇と和菓子、そしてパチンコのCMがやたらと多いね」と。

         危うさはらむパチンコCM

   これは去年、当地の新聞で掲載されたある民放テレビ局の3月期決算の記事。その中に、営業の収入の伸びを牽引している業種について書かれていて、「交通・レジャー、流通・小売り、自動車関連の広告収入が10%以上伸び」となっていた。金沢の視聴者ならおそらく想像がついたはずだ、「レジャー」が具体的に何を指すのかを…。パチンコのCMである。とくに、パチンコは「出玉、炸裂!」などと絶叫型のCMが多いので、見ている方が圧倒される。

  「売上アップのためには、背に腹は代えられぬ」とローカル局はパチンコのCMを受け入れてきた。何しろローカルスポンサーの取り扱い高のランキングではパチンコの会社が常連で上位に入っている。極端に言えば、パチンコ業界を抜きにしてはローカルCMは成り立たないのである。そしてパチンコ業界では、自社で広告代理店を持つ会社まで現れた。こうした系列の広告代理店のことを業界では「ハウスエージェンシー」と呼んでいる。

 ともあれ、パチンコ業界にすれば、ローカル限定の狭いマーケットでシェア争いに勝つにはテレビCMは欠かせない。そんな持ちつ持たれつの関係が続いているのである。

   しかし、ローカルのテレビCMを牽引してきたパチンコ業界も曲がり角にある。くだんのテレビ局の3月期決算の記事が掲載された同じ日、金沢市内のパチンコ店経営の会社が事業を停止し、自己破産を準備中との記事が出ていた。負債は7億円。かつて、この店の過激なテレビCMを見たことがある。企業業績が回復し経済の循環がよくなると、人の足は「身近なレジャー」であるパチンコに向かわなくなる。自己破産のニュースは小さい扱いながらも、パチンコ業界だけでなくテレビ業界にも衝撃が走ったはずだ。

  実は、テレビ局ともたれあっているように見えるパチンコ業界は「自主規制」という装置を持っている。過去に何度か、警察から「無用に射幸心をあおる」と自粛を求められると、すばやく自主規制に動いてきた。テレビCMがストップしてしまうのである。

  パチンコ業界に依存しないローカルのCM構築はテレビ局の課題だが、妙手がなく悶々としているというのが現状だろう。これまで何度か「メディアのツボ」で取り上げてきた消費者金融(サラ金)のCMも同様である。サラ金の方は政府の金利制限が強まれば利益率は落ちるわけで自ずとテレビCMは徐々に落ちてくる。しかし、パチンコのCMは突然止まるかもしれない。ローカルテレビ局にとっては、危うさをはらんだCMなのである。

 ⇒28日(木)朝・金沢の天気   くもり

★「新米」2題

★「新米」2題

 能登半島に金蔵(かなくら)という地名の集落がある。標高150㍍ほどの山村で段々畑が連なっている。ここを訪れると、日本の農村の原風景に出会える。稲はざで干されたコシヒカリがいかにも黄金色に輝いて見える。

  きょう26日、この集落を訪れたのは金沢大学が委嘱している研究員で、郷土史家の井池光夫さんに会うためだった。「新米を食べてみませんか。私もことし始めてです」と井池さんにすすめられた。金蔵の農家は米のブランド化に熱心だ。増産はせず、10㌃あたり450㌔以下の収穫、有機肥料、はざ干し、そして何より汚染されていないため池の水を使っての米作り。つまり、正直に丁寧に米をつくるのである。

  井池さんが懇意にしているお寺の坊守りさん(住職の奥さん)が新米のご飯をたいてくれた。そして能登の天然塩を一つまみ入れたおにぎりを「お昼に」と出してくれた。

  はざ干しに近づいてにおいをかぐと、光を吸収したなんともかぐわしい香りがするものだ。感覚で言えば、干した布団のぬくもりとでも言おうか…。おにぎりもそんな健康的なにおいがした。口にすると、ふっくらとして甘みがある。「うまい」という言葉が自然に出てきた。3個もいただいたせいか、終日腹持ちがした。

  新しい総理の安倍晋三氏が就任後初めて記者会見する様子が26日夜、テレビでライブ中継されていた。財政再建の模範を示すため自らの給与の3割、閣僚の給与の1割をカットすることを明らかにした。国家公務員の給与をばっさり落としていくと宣言したとも取れる内容だった。

  3割給与カットは並大抵の決意ではない。発表した組閣内容と会見内容を自分なりに読み解くと、内政的には、公務員改革、財政の見直し、社会保険庁の民営化、地方のリストラと裏腹の道州制への移行などがキーワードになろう。つまり、小泉政権を継承し、外交と防衛のみを担当する「小さな政府」を目指すと言葉に濃く滲ませた。

  外交では、北朝鮮の拉致問題で得た経験を生かし、今後は人権外交を展開していく。そのために塩崎恭久氏に官房長官と拉致担当大臣を兼務させ、総理の直轄とした。さらに、アドバイザーとして拉致被害家族の人望が厚い中山恭子氏(元内閣官房参与)を起用した。また、国連安保理の常任理事国入りに再度挑戦するという意志表示もした。政治の命脈はいかに政策の鮮度を保つか、である。52歳、新米の総理の手腕は未知数だ。

  きょうは「新米」という言葉を2度考えたのでそのまま「自在コラム」のタイトルとした。他意はない。

⇒26日(火)夜・金沢の天気  はれ

☆メディアのツボ-17-

☆メディアのツボ-17-

 9月24日の朝日新聞の1面スクープ記事。「アコム、遅延金利率 違法の疑い」。前回の「メディアのツボ-16-」でテレビと消費者金融(サラ金)のCM問題点について触れたばかりだったので、関心を持って読んだ。

        ゼニのトライアングル

  記事を要約すると、消費者金融「アコム」は地方銀行など10社と提携し、地銀が商品化している消費者ローンで滞納者が発生した場合、アコムが債務保証、つまり借り手の保証人として残金を肩代わりしている。その後、アコムが新たな債権者として借り手に日数に応じて年率17%から26%の遅延損害金を課しているという。アコムの遅延損害金は消費者契約法で認められた利率(14.6%)を上回っており、同法違反の疑いが強いとしている。

  審査や回収のノウハウを持つサラ金と、個人向けの融資を増やしたい地銀がタイアップしたかたち。地銀にしてみれば貸し倒れのリスクが少なくて済み、消費者金融側にとっては手数料収入を得られるというわけだ。アコムの提携先は朝日新聞によれば、北海道、スルガ、十六、広島、青森、西日本シティ、長崎、南都、北陸の9銀行のほか、三菱東京UFJ銀行との合弁会社DCキャッシュワンの10社。北海道と北陸の両銀行は「ほくほくHD」の傘下。

  ちなみに北陸銀行の消費者ローン「クイックマン」をインターネットで調べてみる。借入限度額は1万円から300万円まで。審査によりこの範囲内で銀行が決める。ただし、初めての申し込みは100万円までとなる。専用のローンカードを発行し、北陸銀行やコンビニATMで引き出せる。融資利率は(保証料含む) 極度額100万円未満の場合は18.0%、極度額100万円以上の場合は15.0%となる。担保は不要だが、「アコム㈱の保証を受けていただきます」と明記されている。

  もちろん、銀行が消費者金融の保証をつけることに違法性はない。地銀はサラ金に残金を肩代わりしてもらい、回収さえすれば、後はどうでもよいのである。ただ、この先、どんな回収のされ方をするのか、おそらく銀行は知っていて知らん顔をしている。現実、今回の記事のように消費者契約法違反の疑いがある遅延金利が問題となっている。

  さらに債権者となったサラ金は今度は生命保険会社と提携して、借り手に生命保険をかけ、死亡した場合の「担保」に取ってじわじわと相手を追い立てる。ちなみにアコムなど大手消費者金融5社が借り手の自殺によって、3649件(2005年度)の保険金の支払いを受けた。5社だけで3649人の自殺者が出ているのである。これは社会問題ではないのか。

  サラ金は大手銀行から融資を受け、さらに地銀から「顧客」をもらう。生命保険会社と手を結び、借り手の「命を担保」にして高利の回収に入る。サラ金、銀行、生命保険会社の「ゼニのトライアングル」である。

  今回はメディアとのかかわについては触れなかったが、前回との成り行きで書いた。

 ⇒25日(月)朝・金沢の天気  はれ

★能登に生かす民間ファンド

★能登に生かす民間ファンド

  7月初め、申し込んでいた民間企業の環境基金の採択が内定したとの第一報が電話で入ったとき、オフィスにいた5、6人ほどのスタッフから「やりましたね」と歓声が上がった。先方から何度か問い合わせがあり、その度に問い合わせの内容が細かくなり、手ごたえを感じていた。そして、内定の電話でその期待と緊張が一気に喜びに変わったのである。

  今回受けることになった三井物産環境基金はことしで2年目の新しいファンドだ。内容は、念願だった「能登半島 里山里海自然学校」の開設と運営に要する向こう3年間の運営資金の大部分をファンドが支援するという内容だ。先述のようにかなり細かな内容まで吟味が行われた。というのも、この環境基金の一部は社会貢献をしたいという社員たちのポケットマネーが原資になっているので、選ぶほうも真剣なのだ。

  このファンドの応募にはドラマがあった。 ことし3月、能登半島で金沢大学社会貢献室が開いたタウンミーティングにこの企業の北陸支店の社員も参加していた。討議の中で、地元の人たちから「能登の自然は素晴らしいが、過疎で悩んでいる。大学は知恵を出してほしい」 「大学が地域貢献を叫ぶのであれば即実行に移してほしい」と熱い要望が相次いだ。が、「できるだけ希望に沿うようにしたい」と大学側は答えるしかなかった。

  後日、参加した社員がエントリー用紙を持って大学を訪ねてきてくれた。「ぜひわが社の環境基金に申し込んでください。私もお手伝いします」と。金沢大学はキャンパス内の自然環境を生かし、里山自然学校を運営している。子どもたちを対象にした自然観察会や環境教育、市民ボランティアによる森林の保全、棚田の復元など活動は活発だ。ところが、これを能登で展開するとなると距離的に遠く、また、能登半島の独自の研究課題も山積している。当然、やるとなると腰の据えた取り組みとなる。

  今回の三井物産環境基金の採択で、ようやくその取り組みのスタートに立てた。その拠点に、石川県珠洲市の廃校となった小学校を活用する計画が進んでいる。民間の志(こころざし)を受けて、大学が地域に何ができるのか、いよいよ金沢大学の社会貢献の真価が問われるときがやってきた。

  手始めに10月9日(祝)午前10時から、「能登半島 里山里海自然学校」の設立記念シンポジウムを開催する。(※写真は「里山里海自然学校」の拠点となる旧・珠洲市小泊小学校)

 ⇒24日(日)夜・金沢の天気  はれ