☆NHK国際放送のCM論議

☆NHK国際放送のCM論議

  NHKの国際放送の拡充を図るべきとの小泉総理の指示を受けて、竹中総務大臣の私的諮問機関「通信・放送の在り方に関する懇談会」はNHKのチャンネル(8波)を減らし、一部CMを導入して海外向けの情報発信力を強化しようと動いている。これに対し民放は「NHK受信料、民放CM」の2元体制を崩すべきではないと、NHKのCM導入には反対している。しかし、これでは民放側の分は悪い。

  逆に考えて見れば分かる。視聴者が月々1395円(訪問集金・カラー契約)の受信料を払っているが、その中に海外放送分も含まれていたとはほとんどの人が知らなかった。NHKの「18年度収支予算と事業計画」によれば、海外放送の番組制作と送出に112億8000万円のうち、国からの交付金22億5000万円がつぎ込まれている。残り90億3000万円は受信料からである。「海外の放送分までなぜ国民が面倒をみなければならないのか」「その分、料金を下げろ」と視聴者感覚では不満を持つのは当然だろう。

  「NHK受信料、民放CM」の2元体制はテレビ局サイドが勝手に決めていることで、視聴者にはどうでもよいことである。民放が「15秒CM一本たりともNHKに渡さぬ」と頑なに主張すれば、視聴者=国民から「それだったら自分の局で海外放送をやってみろ」「国の免許事業で参入の壁がある民放だけがCMを独占してよいのか」との批判が起こりかねない。

  ところが、10日の衆院総務委員会に参考人として呼ばれたNHKの橋本会長も「CM導入を考えてはいない。受信料を財源に番組の英語化率を高める方向で強化する」「しかし、どこまで受信料を使ってよいのか、視聴者のコンセンサスが必要だ」と煮え切らない答えをしている。

  ことし1月に訪れたイタリアのローマやミラノのホテルでもNHKの海外向けの放送は視聴できた。ラジオは22言語で、テレビは3つの放送衛星を使ってほぼ全世界に番組を流しているのである。CM導入となればTOYOTAやCanon、SONYといった企業は無視しないだろう。電通など代理店が飛びつくに違いない。民放はこれが「アリの一穴になる」と危惧しているのであろう。この論議を見守りたい。(※配信エリア図は「NHK平成18年度収支予算と事業計画」から転載)

 ⇒11日(土)夜・金沢の天気  はれ

★能で謎解き「信長の最期」

★能で謎解き「信長の最期」

 先日(3月7日)、「能の世界」について学ぶ講座があり、参加させてもらった。この講座は、金沢大学で学ぶ留学生らを対象にした「金沢学」。それこそ、茶屋街の芸子さんの踊りや伝統工芸、兼六園などさまざまな金沢の文化を貪欲に勉強するバイタリティーのある講座だ。

  この講座のスタッフから、「たびを履きますけど参加しませんか」と誘われたのがきっかけ。「たび」とは日本古来の白足袋のことである。能舞台を見学させていただくので「たび」は必須なのである。訪れたのは金沢市在住の宝生流能楽師、藪(やぶ)俊彦氏のお宅。伝統芸能を継承する家らしく、どこか凛(りん)とした雰囲気が玄関からして漂う。

  金沢では昔から「空から謡(うたい)が降ってくる」といわれるくらい能楽が盛んだ。確かに旧市街を歩いていると、ふと鳴り物と謡が聞こえたりする。結婚式に参加すると、見事な「高砂」を拝聴することになるし、金沢では小学生が授業で能楽を見学し、謡の教室もあるくらいだ。去年12月、ある居酒屋で隣の席に座ったアメリカ人と店の主人が能の話で盛り上がり、いきなり謡の交換会が始まったのには驚いた。金沢はそんな街である。

  藪氏の話が面白い。能面をつけた演者があの高い舞台から落ちないでいられる理由や、小鼓(こつづみ)は馬の皮を用いているが、年季が入ったものは破れる前が一番音がいいといったエピソードはこの世界でしか聞けない話である。その中で、自分なりに「なるほど」と思ったことが、「生霊(いきりょう)」という概念についてである。私的な恨みや怨念という人間特有の精神エネルギーが日常でうずまくことで悲喜こもごもの物語が構成されるのが能のストーリーである。  

 戦国時代、織田信長が本能寺でふい討ちをくらった際、最期に能を舞ったといわれる。繰り返した殺戮(さつりく)と権謀術策で幾多の死霊や生霊を実感しなが天下統一に突き進んだものの、明智光秀の生霊に命運が尽きた。そうした自らの生き様を実感しながら最期の締めに舞った。「人生50年…」と。すさまじい人生パフォーマンスではないか。映画やドラマで、信長が最期に能を舞うシーンが必ず出てくる。これまで理解がないままにそのシーンを見てきた。「生霊の世界=能」というキーワードがあればあのラストカットはよく理解できるし、とても味わい深い。

<お知らせ>
このコラムでご紹介した藪俊彦氏はあす12日、オーケストラ・アンサンブル金沢と新曲「葵上(あおいのうえ)」を共演します。

第197回定期公演マイスター・シリーズ
日時:2006年 3月12日(日)15:00開演(14:15開場)
会場:石川県立音楽堂コンサートホール
指揮:小泉和裕
能 :金沢能楽会、藪 俊彦(シテ)
曲目:高橋 裕  :オーケストラと能のための「葵上」(新曲委嘱作品)
料金:SS:5,000円 S:4,000円 A:3,500円 B:2,500円 B学生:1,500円

 

⇒10日(金)夜・金沢の天気  くもり  

☆続々・奥能登へ早春行

☆続々・奥能登へ早春行

  「金沢大学・タウンミーティングin能登」 (3月4日、5日・石川県能登町)では2日目に分科会があり、私は「食文化と地域資源」をテーマにした分科会のコーディネーターの役回りをつとめた。前述の星野さんを始め6人のパネリストの協力をいただいた。その分科会では、ある一つのテーマで意見が相違した。

   能登の食文化や食材を使って何をやるのか、である。星野さんは「能登に生きる人たちがその豊かさを自覚し、目が輝くことが大切だ。里山や自然をビジネスで考えるな」との持論を述べる。一方、輪島市の名勝、千枚田の近くで天然塩をつくり、「塩千俵」のブランドで売り出している山下昌展さんは「能登の食材や資源を使って魅力ある地域ブランドを生み出し、それぞれでビジネスモデルをつくり、たくましく能登で生きてこそ」と訴える。

   もう少し説明する。山下さんの塩は東京の代理店のネットワークを通じて、フランス料理で有名な三國清三氏や、京都の茶懐石「辻留」が使うようになった。それがきっかけでネット通販などでも有名商品となっている。奥能登の天然塩をブランド化し、ネット通販で全国に販売するというビジネスモデルをつくり上げた。小泉総理が有名にした「米百俵」をとらえて「塩千俵」をネーミングにし、全国で知られる千枚田の横に製塩所を置くという発想はかなり練り上げられたものだ。

   星野さんは前回の「続・奥能登へ早春行」で記したように、自分の語りや食文化で能登をアピールしている。能登の魅力を知ってほしい、訪ねてほしいと願っている。人が能登に来て土地の触れて、能登の人の目も輝く。それが能登の活力になるというのだ。

  星野さん、山下さんとはまた違った意見を持つある人の意見を聞きたかった。高市範幸さん。山中でそばを打ち、豆腐の燻製を「畑のチーズ」との商品名でネット通販をするほか、ブルーベリーワインや魚しょう油「牡蠣(かき)いしり」などオリジナル商品を持つ。元々、地域振興を指導する村役場の職員だったが、職を辞して自ら実践をしている。分科会ではパネリストとしてお招きしたものの、身内に不幸があり、急きょ深夜にUターン。コーディネーターの私にすればハプニングとなった。後日意見をうかがうことにする。

    で、相違する意見はまとまったのかというと、別にまとめようという主旨のタウンミーティングではない。おそらく永遠に続くテーマではある。

⇒8日(水)朝・金沢の天気  くもり

★続・奥能登へ早春行

★続・奥能登へ早春行

  今回の「金沢大学・タウンミーティングin能登」 (3月4日、5日・石川県能登町)では、地域起こしのリーダー的な存在の方々にも多数参加いただいた。その一人、輪島市の門前(旧・門前町)で「手仕事屋」=写真=という看板の店を出している星野正光さんの話は面白い。豆腐をつくり続けて40年。店ではそばと豆腐のセットメニュ-が好評。挽きたて、打ちたて、ゆでたての「三たて」にこだわる。そして「豆腐に旅は禁物」とその日に食する人だけに売る。

  星野さんたちの仲間26人が共同出資で「のとだらぼち」という郷土料理の居酒屋を東京・銀座5丁目に開店させた。99年11月のこと。「銀座に能登の玄関を」という触れ込みだ。この「だらぼち」というのは能登の方言で愚直なヤツという意味である。地酒や能登の旬の食材を出していて結構評判がいい。ここで店の会員を集めての月例会があり、星野さんたちが交代で出張っていき、能登の話題を酒の肴とともに供している。

  次第に会員の輪も広がり、星野さんはいつしか「能登のおやじさん」と呼ばれるくらいにファンも増えた。そこで今月21日から2泊3日で「雪割り草ツアー」という会員の能登旅行を企画した。28人が参加する。このツアーに参加する人たちも元学長夫妻や漫画の原作者ら多士済々だ。人を引き寄せる星野さんの魅力である。

  その星野さんの魅力の一つが独特の話し方のスタイルである。声は俳優の菅原文太ににているが、言い回しが禅問答のようなのである。「その食べ物に心はあるか」「過疎とは人数ではない。人の輝きの問題ではないのか」 といったような言い方をする。しかも話の入り口はたいてい辛口で突いてくるので、初対面の人は面食らう。私自身、20年ほど前に初めて会ったときは、斬られる思いをした。

  でも、最近その星野スタイルの理由が分かる気がしてきた。すぐ横の総持寺である。同寺は曹洞宗つまり禅宗である。これだけ近ければ幼い頃から雲水たちと接点があったろう。そして彼らの影響を受けたに違いない。そこら辺りを一度本人から聞いてみたいと思っている。

 ⇒7日(火)夜・金沢の天気  くもり   

☆奥能登へ早春行

☆奥能登へ早春行

 金沢大学が3月4日と5日の2日間にわたって開催した「金沢大学タウン・ミーティングin能登」の分科会のコーディネーターに指名され、奥能登に出かけた。私自身もこの地方の出身であり、何か心が騒ぎ、熱いものを感じた。そして集った人々が面白かった。そこで「自在コラム」は「奥能登へ早春行」と題してシリーズで。

  まず、会場の石川県能登町のホテル「のときんぷら」に着いた。これは能登の方言かと思ってしまうが、県の宿泊施設でかつては能登勤労者プラザと呼ばれていた。地元の人たちが愛称でキンプラと呼んでいたので「のときんぷら」をホテル名にした。ハプニングが起きた。会場入り口のタウンミーティングの看板を女性スタッフが見て大声を上げた。「こりゃダメだ。間違っている」

 地元の看板業者に発注した看板なのだが、開催期間が「3月4日(土)~3日(日)」となっていたのだ。これでは開催期間が365日になってしまう。急きょ、「3」の文字の上に紙を貼り「5」と修正した。その女性スタッフは「看板代金をきっちりとディスカウントさせます」と怒りが収まらない様子。これが波乱の幕開けだった。

  金沢大学のこの催しは「地域に開かれた大学」を合言葉に2002年度から輪島市、加賀市、白山市、珠洲市で開催していて今回で5回目。ことしのテーマは「能登の自然と文化を生かす途(みち)」。初日100人余りの参加があった。なかで、ひときわ声の大きな参加者がいた。安田宏三さん(62)、ニューヨークヤンキースの松井秀喜選手の出身地である能美市の山間地で15年間、炭焼きをしている。

  顔見知りだったので、こちらから声をかけた。「安田さん、中国が木炭の輸出を禁止しましたが、国内産の炭の価格が上がって、儲かっているんでしょう」と。すると安田さんは「大手の貿易会社は確かに手を引いたが、日本の個人のバイヤーが中国の役人に鼻薬(はなぐすり)を効かせて地方の港からどんどん密輸しているんだよ。だから我々が期待したほど木炭価格は上がっていない。あの国は法律はつくってもザルやな、ガハハハ」と。

  今度は安田さんの方から。「ところで宇野さん。病院の救命道具に木炭が欠かせないって知ってた?」。「えっ、それって何か枕の下に置いて、ぐっすり眠るとかですか…」。「違うよ。救命道具には木炭を粉にしたものがあって、薬物自殺をしようとして運ばれた人に水で溶かして無理やり飲ませて一気に吐かせる。炭は薬物を吸着するから、胃の中を洗うって訳だ。どうだ、炭で命が救えるんだ」とテンションが高い。

  会議は午後1時半から5時半ごろまで、大学教授や地域起こしの活動家ら7人が能登の水産資源や森林資源の活用、バイオマス発電などさまざまな角度から話題提供をした。初日の会議が終わり、外を見ると夕日が山並に映えていた。

 ⇒6日(月)午後・金沢の天気 くもり   

★冬の名残に

★冬の名残に

 名残の雪というには少々多く積もった雪ではある。きょう3日の朝までの寒波は、冬物の衣装を仕舞いかけた人々の手を止めさせたのではないか。

  冬は最高のメーキャップ・アーチストである。雪というパウダーを山河に振りまき、その景色を一瞬に変えてみせる。この一年でいえば、春や夏や秋よりも、冬の方がずっとカメラの撮影回数が多かった。金沢大学のバス停からオフィスまで10分かかって歩いている坂道をこの日の朝は30分かけた。雪化粧に見とれていたのである。

  見慣れた風景が変わると、感情や感覚が異常に騒ぐ。そして行動までも変える。足元の道路のマンホールのフタが古墳時代の銅鏡のように見え(写真・上)、小さな河川の堰(えん)堤が何か遺跡のように見えたら(同・中)、心が騒がないほうがどうかしている。そして、山の竹やぶが巨大ダムの決壊を特撮した映画のシーンのように見えたら…(同・下)。まさに幻想の世界である。

  どう見えるか、想像はそれぞれにお任せする。冬という芸術家は何か意図を持って作品をつくっているわけではもちろんない。あれやこれやと鑑賞する人が楽しめばよいのである。その意味でこの冬は存分に幻想の世界を楽しませてもらった。

⇒3日(金)朝・金沢の天気 くもり

☆この記事をどう読むか

☆この記事をどう読むか

 新聞記事には絶妙のタイミングというものがあり、時としてブラックユーモアだったり時代を見通していたりする。紙面の編集者と広告の担当者はそれぞれ違うので意識はしていないだろうが、読者にはそれが分かる。その紙面とは2日付の日経新聞11面で展開された記事と広告のことである。

 その11面のトップ。「NTT、光回線シフト加速、累計契約数1.7倍に」の記事だ。NTT東西地域会社は06年度の事業計画で光ファイバー通信回線の販売を強化し、これまでの1.7倍にあたる617万回線、中期経営戦略では2010年までに3000万回線を販売するとしている。なぜ「2010年3000万回線」か。それは、2011年7月で地上波のアナログ放送が終了する。あわせて、現在作業が進んでいるIPマルチキャスト放送に対する「著作権の緩和」をセットで考えるとよく見える。

 このニュースの理解のポイントはマルチキャストの言葉の意味だ。ブロードキャストだと受信が誰でも可能となる。ユニキャストだと特定個人が対象だ。マルチキャストはその中間、つまり契約した多数に同時に送信するものだ。いまなぜこのIPマルチキャスト放送の著作権問題が出ているのかというと、地上デジタル放送はことし中に各ローカル局が対応するので全国でデジタル放送網が出来上がる。しかし、電波の届きにくい山間地などへはブロードバンドのインターネットを使って放送を流す計画(総務省案)だ。この際にネックとなるのが、インターネットを使った放送の著作権上での扱い。従来、文化庁はこのネット経由の放送を「自動公衆送信」と呼んで現在の有線放送(CATV)と区別してきたが、それを有線放送と同じ扱いしようというのが「著作権の緩和」の狙いだ。

 結論を急げば、2010年には3000万の契約世帯を持った巨大なIPマルチキャスト放送網、つまり「光有線放送網」が出来上がる可能性があるということだ。北海道にいながら、沖縄のローカル放送局の番組が視聴できる。そんな壮大なプランなのである。

 その記事の下、同じく11面で経済誌「財界展望」(4月号)の広告が掲載されている。「NTT゛放送進出゛で『民放TV局』が全滅する」といささかショキングな見出しがついてる。同誌の中身を読んではいないが、NTTが光有線放送網を確立すれば放送インフラはNTTの手に落ちる。「全滅」は大げさな言い方にしても、そのような意味だろう。ともあれ、記事と広告がこれほどマッチした紙面はない。

 この11面を読んで、ほくそ笑んだのは「財界展望」、苦笑いしたのはNTTだろう。そして、居心地の悪い思いをしたのは民放テレビ局、苦虫を噛み潰す思いで記事を読んだのはCATV会社、そしてADSLで「ヤフーBB」を手がけるソフトバンクかもしれない。

⇒2日(木)夜・金沢の天気  ゆき

★五箇山の春まだ遠く

★五箇山の春まだ遠く

 きのう久しぶりに富山県の五箇山をドライブした。金沢市森本から福光を経由しての山越えである。トンネルを抜けて五箇山に入ると、道路沿いに雪がうず高くうねっていて、ハンドル操作をちょっとでも誤ると雪壁に衝突しそうなくらいの圧迫感がある。

 世界遺産に指定され、合掌造りで有名な菅沼集落も道路以外はすっぽりと雪に覆われていた。積雪はまだ2㍍もあるだろうか。集落の中には大雪でひさしが壊れている家屋も見え痛々しい。もともと雪に強い五箇山の家屋が傷むほど今年の冬は大雪だったのである。   

 集落の真ん中にある郵便ポストもご覧の通り、雪に埋まっていた。では、通常で郵便を出すときはどうしているのか、との疑問も残った。郵便ポストと言えば、この辺りは、郵政民営化反対のドン、綿貫民輔氏の地盤である。去年9月の郵政をめぐる総選挙では盛んにマスコミに登場した。見事再選を果たしたものの、自民圧勝で郵政民営化の流れが決定的になるとマスコミでの露出もほとんどなくなったようだ。

 五箇山を歩くと、「アゲハチョウ」の家紋を土蔵などに記している家がところどころある。五箇山は熊本県五家荘などとともに平家落人の隠れ里伝説で有名だ。ひょっとして、綿貫氏は「永田町の五箇山」で反小泉の大同団結を画策しているのかもしれないなどとイメージを膨らませながらこの里を後にした。それにしても五箇山の春はまだ遠い。

⇒27日(月)朝・金沢の天気    くもり

☆季節は移ろう

☆季節は移ろう

  私のオフィスがある金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」は春めいたとは言え、上の写真でご覧の通り、大屋根にまだ雪を頂いている。

   その上に見えるアベマキの枝の先端が赤みを帯びているふうには見えないだろうか。実物に目を凝らすと、枝先が赤紫色にけむっている。これまで堅く締まっていた冬芽が少しずつ膨らみ始めているのだ。まだ2月。でも、角間キャンパスの山々は冬の険しい表情から、優しい表情に変わりつつある。季節の移ろいを、木々の表情から実感するこの頃ではある。

   そしてきょう25日、人々の心は春を待ちきれないかのような光景があった。「角間の里」を拠点にボランティア活動をしている女性たちが七段飾りの雛(ひな)人形を組み立て始めたのだ。ワイワイとにぎやかな弾む声がすると思ったら、あっという間に組み上がっていた。

   階段を上り切って、ちょうど2階の正面に位置する。周囲の太い柱や梁(はり)とマッチしてどこかお城に飾られた雛人形のようにも見える。雛祭りは3月3日。ところで、金沢ではモモの花が咲く4月の旧暦まで雛人形を飾っておく習慣がある。そのことを聞いた関東出身の女性は「えっ、 3月3日過ぎても雛飾りを飾る女性はお嫁にいけないという言い伝えが関東にはありますが…」と雛人形を飾る時期に話題が弾んでいた。

  木々の芽が膨らみ、雛の心が騒ぎ出せば、三寒四温で春が来る。

⇒25日(土)午前・金沢の天気  はれ

☆続々「真偽の攻防」を読む

☆続々「真偽の攻防」を読む

  民主党は「穴蔵戦術」に入ったのだろうか。22日15時からの党首討論で、民主党の前原代表はライブドア前社長の堀江貴文被告が武部自民党幹事長の二男への送金を電子メールで指示した証拠として示すとしていた、送金元などの金融機関名を提示しなかった。

  党首討論で前原氏は「口座名や口座番号を提示する。元帳を出してほしい。後ろめたくないなら国政調査権に応じて、白日の下に明らかにすればいい」と求めた。これに対して小泉総理は「本物か偽物か分からない情報を元に、具体的な個人を非難中傷している。(具体的な証拠を)出す出す出すといっていまだに出していない」「確かな証拠があれば(国政調査権を)行使することにやぶさかではないが、その前に本物だという証拠を出せば分かる」と述べた。

   問題は、前原氏が「新しい証拠を出せば、国家権力がその証拠を握りつぶしてしまう。そうなればわれわれの追及のカードはなくなる」との一点張りで証拠を出さないことだ。果たしてそうだろうか。マスメディアほか衆人環視の中で、これほど注目されている証拠(銀行口座など)を国家権力が握りつぶすことはできるのか。逆に握りつぶせば国家のスキャンダルになり、一気に政局となる。

   うがった見方をすれば民主は、自民党が国政調査権の発動に応じないことを前提に「出さない」「責任は自民側にある」と言い続け、前に出ない「穴蔵戦術」に入ったのだ。

   よく考えれば、武部幹事長の二男は民間人である。仮に二男が3000万円を受け取っていたとして、二男からその金が武部氏の銀行口座や政治資金に流れていたということならば政治問題である。民主が国政調査権を発動せよという場合は二男から武部氏への金の還流についてであろう。二男が金を受け取っただけだと、武部氏の関与の度合いや道義的な責任問題となる。

   この党首討論のやり取りは衆院ホームページで動画で公開されている。上の写真はその画面のひとコマである。討論46分間のうち、最後の7、8分がメール問題をめぐる攻防である。普通に考えれば、前原氏は時間切れになることを想定して、あえてこの問題を最後に持ってきた。それほど民主自身がこの問題の処理に困っているということだろう。

 ⇒23日(木)朝・金沢の天気  くもり