☆文明論としての里山20

☆文明論としての里山20

 きょう31日付の新聞各紙を読んで、日本の教育について「大丈夫だろか」と不安を感じたのは恐らく私だけではないだろう。1面のトップ記事。「文科省検定 小学教科書ページ大幅増」「『ゆとり』決別」と見出しが躍った。2011年度から小学校で使われる教科書のページ数が、04年に比べ算数33%増、理科37%増になるという。

             人の力はどこで芽吹くのか

  この記事を読んで、「日本の未来を担う子どもたちよ頑張れ」と共感した大人はいるだろうか。確かに、国際的な学力調査で日本の順位が下がったことを意識して、応用力などを育てることなどに力点を入れた内容を盛り込んでいると記事で説明がされている。が、極論すれば「詰め込み」にすぎない。多くの読者はそう感じたに違いない。電車の中や家庭でテレビゲームに熱中する子どもたちの姿や、「詰め込み」重視の学校での姿を現実的に見てきて、これでよいと思う大人はいないだろう。なぜか、いまの子どもたちに欠けているのは「人間力」、あるいは「生きる力」ではないかと思うからだ。

  いまの子たちを取り巻く環境は、学校の教科書にしても、家庭でのテレビやゲームにしても、バーチャルである。バトルゲームであっても自分が苦痛や汚れを感じることはない。従って、内なる葛藤は存在しない。没頭するだけである。しかし、人はリアルな場面に直面し、心理的葛藤を経て初めて解決の方法を創造していくことができる。これが精神的な成長、あるいは人間力と言ってよい。このリアルというのは自然と向き合いや社会での活動のことである。これが「欠けている」として、「ゆとり教育」が進められたのが10年前である。それがいま「脱ゆとり」、あるいは「『ゆとり』と決別」となって揺り戻しが行われている。もちろんすべて昔のカリキュラムに戻すという内容ではないだろう。新しい教科書では、プレゼンテーション能力を高めるといった内容も盛り込まれていて、時代のニーズに即してはいる。

  同日付の朝日新聞の生活欄に、ドイツで実践されている「森の幼稚園」の事例が紹介されている。屋根がない森という環境で子どもたちを育てる教育手法で、1950年代にデンマークで生まれ、北欧を中心に広がっている。いまドイツだけでも427園もある。3歳から6歳の子どもたちが、森の中で遊びまわる。雨の日も泥だらけになる。山道を歩き、切り株に腰掛ける。鳥の声に耳をそばだて、花に目を凝らす。山道を登れない子を年上の子が手を引いて登る光景も見られるようになる。先生はじっと子どもたちの様子を観察して、リスク管理を怠らない。来る日も来る日も森で3時間ほど過ごす。人間が本来持つ五感(見る、聞く、かぐ、味わう、触れる)を森で芽吹かせる。ドイツの教育はここから始まる。

  いまの日本の教育は「促成栽培」だ。人間の感性や生きる力のベースを十分に得ないままに、「詰め込み教育」というバーチャルの世界に子どもたちを叩き込んでいく。では、人間力や生きる力を人生のどのステージで体得するのかという教育プログラムそのものがない。最終的に「自己責任」「家庭の教育」に押し込められてしまう。野を駆け巡り、川に遊び、海を泳ぐような教育はほんの一部でしか実践されていない。自然環境の深いところから人を育てようとする意識を忘れ去っているいるのではないか。

⇒31日(火)夜・金沢の天気   あめ  

★黄砂をつかまえる

★黄砂をつかまえる

 今月21日、京都で見た空は異様だった。ホテルの窓から見える京都タワーが黄色くかすんでいた。空がどんよりと曇った感じで、黄砂だとすぐ分かった。市内を歩くと、マスクをしている観光客が目立った。花粉の飛散時季と重なって、いかにも辛そうな御仁もいた。

   黄砂研究の第一人者といえば、金沢大学フロンティアサイエンス機構の岩坂泰信特任教授だ。シンポジウムの開催のお手伝いをさせていただく傍ら、岩坂氏の講演に耳を傾けていると、いろいろな気づきがある。印象に残る言葉は「能登半島は東アジアの環境センサーじゃないのかな」である。黄砂と能登半島を考えてみたい。

   黄砂は、タクラマカン砂漠など中国の乾燥地域で巻き上げられ、偏西風に乗ってやってくる。わずか数マイクロメートル(1マイクロメートルは千分の1ミリ)の大きさの砂が、日本に飛来するまでに、まさざまに変化する。「汚染物質の運び屋」もその一つ。日本の上空3キロで捕らえた黄砂の表面には、硫黄酸化物が多くついていて、中国の工業地帯の上空で亜硫酸ガスが付着すると考えられる。日本海の上空では、海からの水蒸気が黄砂の表面に取り付き、汚染物質の吸着を容易にしているのではないかと推測される。

 黄砂に乗った微生物もやってくる。岩坂氏の調査フィールドである敦煌上空で採取した黄砂のおよそ1割にDNAが付着していて、DNA解析でカビや胞子であることが分かった。黄砂は「厄介者」とのイメージがあるが、生態系の中ではたとえば、魚のエサを増やす役割もある。日本海などでは、黄砂がプランクトンに鉄分などミネラルを供給しているとの研究がそれある。

  その黄砂をキャッチするには、日本海に突き出た能登半島がよい。偏西風に乗って飛んできた黄砂をいち早く捕まえることができるからだ。この地の利を生かして、「大気観測スーパー・サイト」という調査研究のフィールドが岩坂氏の発案で形成され、黄砂による環境や気象、ひとの健康への影響の解明が進んでいる。能登半島は日本海を挟んで、中国と韓国、ロシアと向き合う。これらの国々の黄砂研究者と連携を強めれば、能登半島が環境問題の解決の糸口を見いだす研究拠点、あるいは観測地となる可能性は十分にある。岩坂氏はそのような構想を持っている。この趣旨を聴けば、「能登半島は東アジアの環境センサー」という言葉に説得力が出てくる。

  ※写真・上は、21日(日)午前9時ごろに写した京都の空。写真・下は同日午後5時半ごろに写した黄砂が晴れた空。JR京都駅にあるホテル11階から撮影した。

 ⇒23日(火)朝・金沢の天気   はれ

☆文明論としての里山19

☆文明論としての里山19

  「文明論としての里山」のシリーズの中で、「持続可能な社会」や「生物多様性」という言葉をよく使ってきた。長らくあり続け住みよい社会、自然と共生する人間のあり方を当然として論じてきたわけだが、では、人はなぜそのようなあり方が「よい」と思うのだろうか。少々理屈っぽくなるが、考えるヒントとしてある著書で出会ったので紹介を交え考えてみたい。

              ミームは選択を始めた

   『なぜ飼い犬に手をかまれるのか』(日高敏隆著、PHPサイエンス・ワールド新書、09年)はタイトル名で注文してしまった。「飼い犬に手をかまれる」という言葉は、部下の反逆を意味する。それに、「なぜ」と付されると、科学の領域のような感じがして手を伸ばしたくなるものだ。動物行動学者の日高氏については、個人的に一度だけエピソードがあり、この『自在コラム』でも紹介したことがある。

  本論に入る。『なぜ飼い犬に…』の本文は新聞に掲載したコラムを集めて編集したもので、読者に分かりやすいように書かれている。その中の「なぜ老いるのか」では、人間が死後に残せるものが2つあると述べている。一つは遺伝子である。これは生物が子孫に伝えていく生物の「設計図」。もう一つは、人間が伝える文化だという。イギリスの進化生物学者リチャード・ドーキンスが最初に言い始め、遺伝子のgene(ジーン)にならって、meme(ミーム)と名づけたもので、「遺伝子以外にも存在しうる理論上の自己複製子の例として提案した」と「ウィキペディア」では紹介されている。ドーキンスが唱えたミーム=情報伝達における単位としての定義だが、具体的な例として、著書を引用すると「人間は後世に技術や業績、作品、名声を残すことができる。これらがミームである」と。日高氏は、ドーキンスのミーム論を著した『The Selfish Gene(利己的な遺伝子)』の訳者として、ミーム論を支持してきた。

  日高氏は続けてこう述べている。「そのミームが遺伝子と異なるのは、伝わる相手が自分の子孫だけではないことだ。ミームが伝わっていくのは、たとえば教え子であったり、読者であったり、民族であったり、信者であったりする。よくもわるくも、人間という生きものが、地球上で繁栄しているのはミームによって複製され、伝えられる文化によるものなのである」。文化の存在は、人が人へと伝えることで続いていく。人間は多くのミームを残そうとするが、よいミームは広く伝わり文化として継承され、わるいミームはやがて消えてしまう。

  ここからは宇野の勝手な解釈である。自然の支配と改造はヨーロッパ諸国を中心とした人々の願望だった。その願望に沿って、植民地獲得競争や、化石燃料の活用による産業革命が起こり、その成果に乗って近代文明を築こうとすると情熱がさらに膨張し、ついに宇宙にまで到達した。資本主義や社会主義というイデオロギーも、この波を支える力として作動したにすぎない。その反動として、化石燃料の使いすぎによる地球温暖化や、その連鎖される気候変動が起きて、地球環境問題が人類の大きなテーマとしてクローズアップされてきた。「支配と改造の発想はもう限界だ」とアル・ゴアやレスター・ブラウンらが世界中で訴えて回り、それまでも先駆者たちが唱えてきた「持続可能な社会とは何か」「生物多様性をどう守るのか」という問いに、人類が気づき始めた。

  これを日高流に言えば、「次世代に伝えるミームの大転換」が始まったのではないかと考える。再度、著書を引用する。「人間を特徴づけている文化は、ミームによって伝えられ、その拘束は、表面上は生物としの本能よりも強固なものになっている。ミームは複数の文化を生み、それらは反発したり、融合したりして、またミームによって次世代へ伝えられる。その過程で人間は殺し合いをしたり、生物としては死ぬ状態にあったものが延命されたりする」

 地球の支配と改造を続ければ、人類は生物として死ぬ状態にある。延命するためにどのような選択をすればよいのか、ミームがうごめき始めたのではないか。著書からこう読み取った。「人類の英知」などという政治的な表現ではなく、生物学的な表現で捉えたところが斬新でもある。

 ⇒22日(月)金沢の天気   くもり 

★文明論としての里山18

★文明論としての里山18

 金沢大学が私がかかわっている「能登里山マイスター」養成プログラムの修了式が20日、珠洲市三崎町の金沢大学能登学舎で執り行われた。2年間のカリキュラム(54単位相当)を履修して、卒業課題研究の審査にパスした16人の門出である。修了生は20代から40代の社会人。とくに卒業課題研究は1年間かけて練り上げ、独自で調査して中間発表、さらに外部の専門家を含めた審査員の眼を通した審査発表という関門だっただけに、「卒業」の喜びもひとしおだったと思う。

                          持続可能社会を支える者たち

  修了生はどんな研究課題に自ら取り組んできたのか紹介する。ある40歳の市役所の職員は、岩ガキの養殖を試み、それが果たして経営的に成り立つのかと探求した。年々少なくなる地域資源を守り、増やして、生かしていこうという意欲的な研究だ。さらに、その実験を自費で行った。コストをいとわず、可能性を追及する姿こそ尊いと心が打たれた。また、32歳の炭焼きの専業者は、生産から販売までに排出する二酸化炭素が、全体としてプラスなのかマイナスなのかという研究を行った。土壌改良剤として炭素が固定されることを考慮に入れて、全体としてマイナスであると結論付けた研究だった。膨大なデータを積み上げ、一つの結論を導いていくという作業はまさに科学そのものである。しかし、自らの生業を科学することは、なかなかできることではない。その結果として逆の答えが出たら怖いからだ。そこに、果敢に挑戦し自らの生業の有用性を立証していくという勇気は感動ものである。

  修了生一人ひとりに「能登里山マイスター」認定証を手渡した中村信一学長は式辞の中で次のように述べた。「里山里海の事業について思うところを一つ述べます。産業革命以来の大量生産大量消費の社会・経済構造からのパラダイムシフトを迫られている今日、伝統文化をいかにとらえるかは、将来の指針となりえます。過去の歴史が繰り返し示すように、伝統文化は時代とともに変わらなければ衰退し消滅します。しかし、一方で、守り継承すべき遺産としての伝統文化があります。これは新たな行動の立脚点となり、迷った時に回帰できる原点でもあります。能登に残された里山里海は広い意味でとらえれば、伝統文化の一つといえます。この残された里山里海にまつわる伝統文化をいかに継承するかと同時に、その上に立つ21世紀型の新たな里山里海文化を作り出すことが今能登に求められていることです。少し具体的に言えば、伝統文化や伝統農作物に立脚した新たな農業や漁業の構築、大切に残された里山や里海の今世紀への転換などです。これらの成否は、皆さんの今後の活躍にかかっているといっても過言ではありません」

 歴史文化を有する能登の将来を担うのは諸君である、という強いメッセージが込められていたと感じた。学長が述べた、大量生産大量消費の社会・経済構造からのパラダイム変換が起きている今、人は右往左往するばかりだ。そのような中で、「能登里山マイスター」養成プログラムは環境に配慮した持続可能な社会をどのようにつくり上げていくことができるのかをテーマに学んできた。こうした、「目指すべきもの」を持った、あるいは志(こころざ)しを持った若者たちが能登半島で活動を始めているというのは、「いまここにある未来」というものを感じさせないだろうか。

  未来をつくり上げるのは若者しかいないと思う。彼らの前にはおそらく困難も立ちはだかることだろう。日本、そして世界は一筋縄ではなく、混沌としているからだ。そんな中、志しを高くして進む者のみが未来の扉を開くことができるのだ。持続可能な社会というのはこのような若者が社会を支えて持続していくのだと考えている。「能登里山マイスター」養成プログラムは60人以上のマイスター育成をめざす。60人が動き出せば、能登の風景も変わると思う。

 ⇒21日(日)朝・京都の天気  くもり(黄砂)

☆文明論としての里山17

☆文明論としての里山17

 アメリカの農業というと、大規模経営による「農業の工業化」や、除草剤や病害虫に抵抗性を持つ遺伝子組換え農作物(トウモロコシや大豆など)といったイメージが強い。そのアメリカで地産地消(Buy Local)運動が盛り上がっている。このシリーズ15回目でも述べたCSA(Community Supported Agriculture)と呼ばれる取り組みである。『食料危機とアメリカ農業の選択』(食糧の生産と消費者を結ぶ研究会編・家の光協会・2009)から引用するかたちで紹介する。

           今アメリカで起きている地域と農業のうねり

  まず、この本を手にした経緯から。今月4日と5日、金沢大学が能登半島で展開して「能登里山マイスター」養成プログラムなどを見学させてほしいと、愛媛大学社会連携推進機構から村田武特命教授ら3人が訪れた。村田氏は欧米の農業政策などが専門で、CSAやスローフードなど生産者と消費者を結ぶ動きにも詳しい。そこで、能登に足を運ばれたついでに、新年度の同プログラムの授業をお願いしたところ、快く引き受けていただいた。講義は「世界の農業と家族農業経営~アメリカの『コミュニティが支える農業』(CSA)運動~」と題して。その講義の参考文献としてリストアップして頂いたのが、村田氏が執筆に加わった上記の本である。ちなみに、講義は4月23日(金)午後6時20分から、能登空港ターミナルビルで。一般公開型の授業なので誰でも自由に聴講できる。

   『食料危機とアメリカ農業の選択』の要点を抜き出してみる。金融資本主義など経済のグローバリゼーションの恩恵を受けたアメリカでも、富は一部の産業と階層に集中し、経済格差が拡大して、市民や農業者は「貧困化」しつつある。こうした格差に加え、アメリカの食料をめぐる問題は、貧困層ほど良質な生鮮食料品を入手できず、その食事が、カロリーは高いが栄養的にはバランスの悪い「ジャンクフード」と呼ばれる食品に偏っている。さらに日本でもヨーロッパでも忌避されているのがアメリカの遺伝子組み換え(GM)作物だ。アメリカでは、害虫抵抗性や除草剤耐性などの形質を2つ以上保有する「スタック(Stack)」と呼ばれる新たなGM作物が台頭し、作付面積が拡大している。2008年に農業法が「食料・保全・エネルギー法」と改正され、GMトウモロコシを使ったバイオエタノール増産が加速した。どのような害虫抵抗性がGMトウモロコシにあるのかというと、これまで茎の内部に入り込んでトウモロコシを食べてしまうアワノメイガを駆除するため農薬散布を行ってきた。が、アワノメイガは茎や実の中に入り込んでしまうため外からの殺虫剤散布は効果が少ないとされてきた。そこで、遺伝子組み換えが施されたアワノメイガ耐性のBtコーンでは、Btたんぱく質を食べたコブノメイガ幼虫が消化管にダメージを受けることによって駆除される。このことで、農薬散布の手間が省け、作業労力の軽減、燃料コスト削減などのメリットがあるとして、Btコーンが飛躍的に拡大したのである。

  しかし、生産者はそれでよいかもしれない、あるいはエタノールの生産だったらそれでよいかもしれないが、そうしたGM作物が普及すればするほど、違和感を感じる人々が本場アメリカでも増えていて、有機農法で栽培された農作物を求める動きが高まっている。これが、今アメリカで起きているCSA運動のバックグラウンドとしてある。アメリカのCSAは日本語で「地域が支える農業」とも呼ばれ、1970年に公害問題を背景に広がった日本の有機農業運動の「産消提携」と似た仕組みを持っている。有機農家と消費者グループが契約を結び、農家は可能な限りの多種多様な農産物(主に野菜)を生産し、農産物の詰め合わせセットをつくり、毎週消費者グループへ配給する。

  アメリカのCSAの特徴は次のようにまとめられる。第1に、農業経験のない新規の就農者によって農場が経営される場合が多い。異業種から若者がCSA農家に弟子入りしてノウハウを学び、独立するケースが多い。第2に、消費者や都市住民からの働きかけでCSA農場を開設するケース。消費者が農場を確保して、そこでSCA向けの野菜をつくってくれる農業体験者を探して来てもらう。第3に、農場の運営組織はNPO法人や協同組合が多く、農作従事者と農場経営者が分離されている。つまり、組織運営や投資は消費者側が行っているいる。第4は、第3とリンクするが、経営継承は親から子へではなく、CSA農場にふさわしいと認められた人である。第5は、農場の所有形態。都市に住む消費者が主導なので、都市近郊の農場のケースが多い。

  著書では、ワシントン州シアトルにある「CSAルート・コネクション」という農場の例が挙げられている。経営面積は6.4ヘクタール。栽培のための労働者はフルタイム8人、パートタイム2人、ボランティアが15~20人。ボランティアはすべて女性で、毎日2人がローテーションを組み、1週間に5時間以上働くとレギュラーの詰め合わせセットの野菜がもらえる。農場では豆、ニンジン、トウモロコシ、レタスなど17種を作付けしている。農場を支える会員は560世帯。会費は2009年度で623ドル、前払いである。この前払い制度が生産者の安定した雇用と収入を保証している。会員はシアトル市内など3ヵ所に設けられた「ドロップ・オフ・サイト」と呼ばれる配布所に野菜セットを毎週取りに行く。また、会員が野菜を直接収穫することができる畑「ユーピック」もある。会員に配布した後に余った野菜は福祉団体に寄付される。また、長期間メンバーだった会員で世帯主が死亡した会員には無料で配布するという扶助的な活動も行われる。持続可能な運営を目指し、毎週ニュースレターを出すほか、料理のレシピを配布して料理教室を開催するなど会員拡大の活動も併せて行っている。

  このようなCSA農場は2006年に全米で1308ヵ所だったが、2008年には2236ヵ所に急増、さらに増えているという。一つのムーブメントになっているのだ。また、オーガニック農産物を専門に扱うスーパーマーケットも出現しており、「ホールフーズ・マーケット」という店は地域の農産物にこだわって販売し、「ローカルを買う10の理由」というパンフレットを店で配布している。その「理由」とは、1)季節と連結して暮らす、2)農場から食卓までの距離を短くする、3)新鮮な生産物を得ることができる、4)生産物をもっと楽しむ、5)生産者の顔が見える、6)地域の仕事を支援する、7)地域のコミュニケーションを支援する、8)自立した農家を支援する、9)生活できる賃金を農家に払う、10)責任ある土地開発を支持する・・・である。

  資本主義の総本山といわれるアメリカで、今起きている地域の新しいうねりを『食料危機とアメリカ農業の選択』を通じて紹介した。

 ⇒7日(日)朝・金沢の天気 はれ 

★文明論としての里山16

★文明論としての里山16

 山のお寺にカフェがあり、海辺の学校にレストランがある。半島の先端で1個400円の豆腐が飛ぶように売れると言ったら、ちょっと立ち寄ってみたと思わないだろうか。ボランティアではない、れっきとしたビジネスなのである。

              スモールビジネスの根強さ

  輪島市町野町金蔵(かなくら)は朝日新聞「にほんの里100選」の一つ。山中に棚田が広がり、どこか懐かしい里山の原点のような地域。ここの特徴は、160人足らずの在所にお寺が5つもあること。その一つ、慶願寺には円窓の回廊とデッキテラスがある。カフェ「木の音(こえ)」。午前10時から午後5時まで営業(休日:水・木曜)。喫茶メニューは、各種コーヒーや紅茶ほか、オリジナルの古代米ケーキ、古代アイス、手作りピザ(ちなみに700円)、古代米シフォンケーキ(450円)、古代米団子(350円)・・・。寺の坊守さんを中心に地域のNPO法人が運営している。土日ともなると若いカップルも訪れる。

  珠洲市三崎町にあるコミュニティ・レストラン「へんざいもん」。小学校の廃校舎の調理室を利用した、毎週土曜日のお昼だけのレストランだ。近所の主婦たち4、5人が食材を持ち寄って集まり、700円の定食メニューを提供してくれる。秋になると土地で採れるマツタケを具材に「まつたけご飯定食」が目玉となる。特に宣伝はしていなが、どこからうわさが立ってこの日は利用者がぐっと増える。そのほか、魚介類や山菜類、根菜、菜っ葉ものすべて近くの海、山、畑で採れたもの。ちなみに「へんざいもん」とは、この土地の方言で、漢字を当てると「辺菜物」。つまり「この辺りで採れた物」のこと。地産地消を地でいく屋号なのである。

  能登半島の先端、珠洲市狼煙町。23日、この地区の集会場を訪れると20人ほどのお年寄りたちが全員マスクを着けていた。館に入ると、プーンとにおう。納豆をつくっていたのだ=写真=。においが気になってマスクをしていたのかと思ったが、食品衛生上のことらしい。束ねた稲ワラの腹の部分に煮豆を詰めていく。それをこたつを利用したムロに入れて寝かせ、発酵させる。28日に市内で食のイベントがあり、そこで販売するのだという。1本400円で、1200本つくる。狼煙地区で伝統的に栽培されている大浜(おおはま)大豆という地豆がある。これが市内ではとても有名な豆で、この豆でつくるワラ納豆は行列が出来るほどの人気だ。

  この地豆でつくった豆腐がまた旨い。腰のあるプリンのような舌触りで、飲み込むと食道からスルスルと落ちるようなのど越しのよさがある。販売している「交流施設狼煙」の店長に聞くと、地豆本来の味に加え、豆腐を固めるニガリが他と違うのだという。同市内で生産されている揚げ浜塩田の天然塩の製造過程でできたニガリを使用している。その中でもいろいろと試したが、この地豆の豆腐はこの人のつくるニガリでしか固まらない。この人とは、国の重要無形民俗文化財の指定を受けた保存会代表、角花(かくはな)豊さん。揚げ浜の5代目。たとえれば、「塩づくりの人間国宝」である。そのような背景を知っている地元ではこの豆腐に人気が集まる。1パック400円。

  億兆円の利益を稼ぎ出すビッグビジネスに比べたら、鼻で笑われる、瑣(さ)末なスモールビジネスだろう。逆に、豆腐などは広域のビジネスとして伸ばそうと思えば、やれなくもないが、それだけ材料の品質管理が難しくなる。しかも、彼らはそれを望んでいる様子もない。あえて市場化しないと言ったほうが適切かもしれない。地域に信頼されるコミュニティ型のビジネスなのである。

  ビッグビジネスを否定しているのではない。本来、ビジネスというのは地域の人に喜ばれて成立する、公共的なものである。利益の追及だけに走らず、地域に根ざして持続可能性を追及する、そんなビジネスがもっと多種多様にあってもよい。地域に愛されない、信頼されないビジネスがビジネスと言えるのだろうか。金儲けの手段とは別の話だ。

 ⇒25日(木)朝・金沢の天気 はれ

☆文明論としての里山15

☆文明論としての里山15

 「日本の農業を変えていこう」と壇上で声高に叫んだのは、石川県羽咋(はくい)市の農協の組合長だった。この言葉を耳にして、「本気か」といぶかった人もいれば、「いよいよ変わる」と期待した人もいるだろう。時代の臨場感を感じさせるステージだった。確かに、農業が変われば、自民と民主の政権交代の比ではない、文明が変わる、ひょっとして社会の構造が徐々に変わるかもしれないと予感がした。講演のステージに立ったのは、「奇跡のリンゴ」でNHK「プロフェッショナル仕事の流儀」でも取り上げられ、一躍「農業カリスマ」になった木村秋則氏である。9年間も低収入に苦しみながら、「無農薬・無肥料でリンゴは栽培できない」との常識を覆し、自然の力を引き出す自然栽培を実践している農家の物語を津軽弁をにじませながら淡々と語る。前売1500円、主催者発表で900人のホールは満杯となった。

            いま世界でうねっている動き

  農薬や除草剤、化学肥料を使わなくても農業はできると説くのだから、これまでそれらを一手に販売してきた農協の立場は180度ひっくり返る。しかも、この講演会を実施したのは、冒頭で紹介した農協や市役所の職員たちである。トップダウンではない。職員たちの発案によるボトムアップの企画だ。税金は一切使わない。1500円の前売券にはそのような意味がある。それより、農協の組合長が実行委員長となり、「日本の農業を変えよう」と自然栽培の木村氏を講師に招いたところがポイントであり、メッセージ性がある。これは、単に石川県能登半島での一つのシーンではない。

  神戸市。きのう(20日)ときょう、「食がささえる食と農~神戸大会~」。有機農業の国際会議でもある。私も参加している「新たな公共を考える市民キャビネット」のメンバーが大会に出席していて、けさ、その模様をメールで配信してくれた。以下は、そのリポート。行き詰まった資本主義の次の社会経済モデルを模索する動きが農業を中心に世界各地で起きている。有機農業の関係者を中心に国内外から500人が集まった。日本で始まった都市と農村の「提携」はアメリカやフランスではCSA(Community Supported Agriculture)と呼ばれて広がり、都市生活者と近郊の有機農家を直接つないでいる。リーマンショック以降のアメリカでは急増しているとの報告が大会であった。CSAはアメリカやカナダでは、都会から離れた新規就農者たちが始めるケースが多い。私が能登半島で見る移住組、つまりニューカマーたちと同じである。日本における有機農業の流通販売は、1970年代に反公害、反市場主義、新協同組合主義などさまざまなファクタから始まった。反市場主義は食べ物を商品にしないことや、消費者の選択の対象にしないことが目的である。新協同組合主義は、消費者と生産者が支え合う関係を作ろうというもの。日本でも早くからこの方式を取り入れてる生協がある。

  この大会では、行政の動きが顕著になった。たとえば地元・兵庫県では、8年後の平成30年までに「環境共生型農業」(農薬や合成肥料は慣行の3割減)を全農地の75%に広げようという目標を掲げている。さらに、「ひょうご安心ブランド」(同半減)を20%に、有機農業を2%にするという。同県では豊岡市で「コウノトリ育む農法」(環境共生型農業)が奏功して、勢いがついている。

  能登半島と神戸の事例はきのうときょうの動きのほんの一部にすぎない。農協あるいは地域での取り組みがうねり始めている。そして若者が動き始めている。

 ⇒21日(日)夜・金沢の天気 はれ

★文明論としての里山14

★文明論としての里山14

 今回のブログのシリーズ「文明論としての里山」で問いかけているのは、人々と里山の関係性、あるいは関係価値とも言ってよいかもしれないが、どう復活させるかである。あえてそれを「復権」と表現してみたい。受動的な意味合いではなく、それはまさに、知恵と技術を生かして、現代社会が里山を必要とするような関係性を取り戻すための復権闘争である。

            里と人の関係性の復活

   何も、昔に戻ってクヌギやコナラを切り出して炭を焼こう、木の葉から肥料をつくろうと言っているのではない。21世紀における里山の保全と利用を考えていこうという期待感である。あるいは、里山という生態系を見直すことで得られる新たな価値を再評価したいという思いもある。最近、一般的にも使われ始めた生態系サービスを地域の里山に見出すことから始めてもよい。とはいえ、一度失われた関係価値を取り戻すには時間がかかる。

  もう一つの視点がある。ことし2010年、国際生物多様性年はそんな里山と人のかかわりがテーマとなる。名古屋で開催される生物多様性条約第10回締約国会議(CBD/COP10)では、日本政府が提案する「里山イニシアティブ」という言葉に注目が集まることだろう。国際会議に「なぜ里山が」といぶかる向きもあるかもしれない。それは突飛なことではなく、里山=SATOYAMAは国際用語としても認知度が高まりつつある。

  なぜ国際的に里山なのかと言うと、まず生物多様性(biodiversity)と相性がよい。多くの動植物を育み、人々が恩恵を受ける場所でもある。そんな里山について、国連大学を中心としてサブグローバル評価が行われている。日本国内では、里山を守るための行政や市民などによる取り組みが様々なかたちで始まっている。里山保全は日本の環境問題を打開するキーワードの一つとして浮上している。それを、世界の生態学者が意味で注目している。人と自然の共生という日本流の人と里山のかかわりについて、自然を収奪の対象と考えがちな欧米流の視点からは理解が難しいかもしれないが、実践事例に科学的な評価を加えることによって、少なからず理解は得られるように思う。

  超えるべき問題もある。たとえば、里と人の関係性を考えると所有権というテーマに突き当たるが、それより何より、人と自然が共生する場を守り活かすという新しい公共の概念をつくらなければ、人と自然はどんどんと離れていくのではないか、とも考える。人と自然が離れれば離れるほど、自然は荒れ、人は自然を失って、社会も行き詰る。新たな公共の概念とは、机上で哲学的に生まれるものでも、法律論で語るべきものでもない。試行錯誤の実践事例の中に潜むものと私は考えている。その中から人の知恵を拾い出し、どう整合性のとれた知恵の輪としてつなげるかが問われるのであろう。それが、里山復権の第一歩であると思う。

 ⇒20日(土)朝・金沢の天気 はれ

☆文明論としての里山13

☆文明論としての里山13

 ここまで「文明論としての里山」を書いてきて、果たして都市の文明は大丈夫なのかと思うときがある。先日、東京に建設中の電波塔「東京スカイツリー」を眺めた。2月16日現在で高さ300㍍を超え、2011年12月に完成すれば高さ634㍍に達する電波塔となる。そして、「世界一の観光タワー」として東京の新名所となるのだろう。が、私の眼には「バベルの塔」のようにも映る。

         巨大な電波塔の下で・・・

  スカイツリーが建設される意味合いは、関東エリアの地上デジタル放送と密接に関係している。東京タワー(正式名称「日本電波塔」、高さ333㍍)から新タワーに移行すると、地上デジタル放送の送信高は現在の約2倍となる。関東の地デジは2003年12月から放送が開始されたが、都心部に林立する200㍍級の高層ビル群から抜ける600㍍級の新タワーからの送信が始まれば、電波障害なども低減し、放送エリアも拡大するという技術的な面での有利さが強調されている。しかし、ハードルの高い問題がいくつかある。

 2011年7月24日正午をもって、アナログ波が停止し、地上デジタル放送へと完全移行する。地デジ対応テレビを購入した大部分の視聴者はUHFアンテナを東京タワーに合わせている。2012年のスカイツリー開業でまた向きを変えなければならない。それにかかる受信インフラコストが高い。つまり、地デジ対応テレビのほかにUHFアンテナの設置に3万5千円から4万円かかる。さらに向きをスカツリーに合わせるコストだ。普通の人が屋根に上って、アンテナのRF(Radio Frequency=高周波)を測定しながら角度設定することは難しいので、町の電器屋さんに頼むことになる。すると2万円前後の費用がかかる。地デジ化による、これらのコストに耐えうる世帯はいい。が、都市の住民は多様であり、耐え切れずに「テレビ難民」化する人々が巨大な電波塔の下では続出するのではないか。

  ミクロな現場を見てみる。ことし1月22日から24日にかけて2日間(48時間)、能登半島の先端・珠洲市(1万7700人)で総務省のアナログ停波のリハサールが実施された。昨年7月24日には1時間の停波を実施しており、2度目の停波リハーサルである。停波リハーサルに向けて行政の下支えをした町会長や電器業者の話を聞いた。秋の祭りやご近所のよい関係が保たれている町内会でも、「地デジ移行の現場」はすさまじい。地区ごとに説明会を開き、一般家庭ほか高齢者世帯や生活保護受給者、障害者、独居老人宅を回り、ケーブルテレビへの加入を促す、あるいは国から支給された簡易チューナー(デジタル波からアナログ波への変換器)の配布し、その取り扱いを説明する。チューナーの配布と取り扱いの説明のために4度も足を運ぶケースもある。無料の簡易チューナーとはいえ、受け手が能動的に対応するのと、「国がやることだからしかたない」と受動的に対応するのとでは理解力や操作の飲み込みが異なるものだ。1万7700人の小さな自治体であっても町の世話役たちの相当のマンパワーが発揮されて、リハーサルはなんとかうまくいったという感じだ。しかも住民同士のコミュニケーションが普段から取れている地域で、である。結果、リハーサル期間の2日間でデジサポ珠洲のコールセンターに寄せられた視聴者からの問い合わせは49件。これが多いか少ないかの判断は別として、事前説明会など入念に準備を整えてもこれだけの問い合わせがある。

 地上デジタルへ移行が進む条件は、人間同士の関係性が保たれている地域コミュニティがあることだ。翻って、そうした人間の関係性が希薄な都会はどうだろう。集合住宅や受信障害の対策エリアなど複雑な問題解決にマンパワーを発揮する人々が、問題の数だけいるのか、近所の独居老人とは日ごろ誰がコミュニケーションを取っているのか、海外からの移住者はどうか・・・。バベルの塔は『旧約聖書』の「創世記」に記されたレンガ造りの高い塔だ。人類はノアの大洪水の後、バビロニアの地にレンガをもって町と塔を建て、その頂(いただき)を天にまで届かせようとした。神はこれを怒り、それまで一つであった人類の言語を乱し、人間が互いに意志疎通できないようにしたという物語である。大建造物が人々を一致させるどころか、分裂させていくということを諭したのである。

 これになぞらえて、新たなテレビ文明への移行過程で高齢者や低所得世帯など生活弱者を中心に大量の「テレビ難民」が発生し、新たな情報の格差社会がつくり出されるのではないかとの想像は杞憂だろうか。いや、そうであってはならない。東京でこそアナログ停波のリハーサルを実施すべきだと思う。テレビ局が「地デジ移行に協力を」と繰り返し叫んでも、視聴者の理解は進まない。これははっきりしている。問題を先送りせず、地デジを「予定された災害」と見立てて危機感を持って対応に当たらなければ、2011年7月24日、東京を中心にテレビ難民は続出するだろう。スカイツリーをバベルの塔にしてはならない。

 ⇒17日(水)朝・金沢の天気  くもり

★文明論としての里山12

★文明論としての里山12

 2009年5月23日、生物多様性条約事務局長のアフメド・ジョグラフ氏が金沢大学を訪れ、小学生や学生たちと「グリーン・ウェイブの日」を記念して植樹をした。その際のジョグラフ氏の記念スピーチは自然破壊を戦争になぞらえた刺激的な内容だった。前回に続きジョグラフ氏のスピーチ(抜粋)を紹介する。(※写真はスピーチをするジョグラフ氏=09年5月23日・金沢大学)

          続・ジョグラフ氏のスピーチ

  I think the charter establishing the United Nation Education Science and Culture UNESCO provide that it is in the mind of the mankind that the seeds of war are planted and it is also in the mind of mankind that the defense for war are also needed. I am making this because I think there is a close relation between science, education, and culture and there is a very close relation between culture, nature, and biodiversity. And UNESCO has been established after the Second World War to prevent future war and I think today war has another name and it is the disruption of nature.
 ユネスコ(国連教育科学文化機関)設立の憲章は「戦争の種が植えつけられるのは人類の心の中のである。また戦争防止が必要なのも人類の心の中である」とうたっています。今憲章を取り上げたのは、科学、教育、文化がそれぞれに深くかかわりがあり、また文化、自然、生物多様性もとても深くかかわっていると思っているからです。ユネスコは第二次世界大戦後に設立され、その目的は将来起こりうるかもしれない戦争を防ぐことです。今日、戦争は別の名前を持っています。それが自然破壊です。

  So, we need to plant the seeds of stopping this war in the mind and in the soul of the people in order to promote the peace with nature and in order to promote I think a new culture, a new science, and the new education which will allow the elite of today and tomorrow to be prepared to build a sustainable future and the future in harmony with all living species including one species, we human being.
 この自然破壊と呼ばれる戦争を止める種を、人々の心の中に植え付けなければなりません。自然と共に平和を目指し、新しい文化、新しい科学、新しい教育を目指します。この新しい文化、科学、教育がすすめられていく中で、今日のリーダーたち、また将来のリーダーたちが持続可能な未来を構築し、人類という種を含めて、すべての生物種が調和して共存できる未来を構築してくことでしょう。

  I think in the 80s the Secretary General of the UN has said that the new name for peace is development. I think today the new name of peace is sustainable development and you cannot achieve sustainable development without protecting biodiversity. It is not I think fortuitous that the Nobel Peace, the institution has awarded in 2004, the Nobel Peace Prize for the first time to an environmentalist Madam Wangari Maathai and in 2007 to IPCC and former vice president of the US Al Gore. Therefore, to build this new peace and the new sustainable development the education and science and culture have tremendous role to play.
 1980年代に国連事務総長は度々「平和の新しい名前は発展だ」と話されました。私は平和の新しい名前は「持続可能な発展」だと思います。生物多様性を守らなければ持続可能は発展に到達することはできません。その証拠に、2004年のノーベル平和賞は、初めて環境にかかわってきた人に授与されました。ワンガリ・マータイさんが受賞したのです。また2007年にはIPCC(気候変動に関する政府間パネル)とアル・ゴア アメリカ合衆国副大統領が受賞しています。ですからこの新しい平和と新しい持続可能な発展を構築するため、教育、科学、文化が大切な役割を果たさなければなりません。

 Therefore, each time I have the immense privilege of visiting a university I feel very humble. Because it is not only I think a temple or a mosque or a church of knowledge, but I think it is also the needs of the construction or the establishment of a responsible elite and we all know the role and the responsibility of the elite of any country. Indeed in the theory of Antonio Gramsci about the organic and the traditional intellectual, the intelligentsia of any country so those who have been privileged of being educated have an historical responsibility towards the future of that nation.
 私は大学を訪問するすばらしい機会を与えられる度に、謙虚な気持ちになります。知識の神殿のような場所です。責任あるリーダーを育てる必要があります。どの国であっても、国を引っ張っていくリーダーたちの果たす役割を私たちはみんな知っています。アントニオ・グラムシ(20世紀のイタリアの思想家)の「有機的知識人と伝統的知識人に関する理論」にあるように、「幸いにも教育を受ける機会に恵まれた知識人は自国の未来に対し歴史的な責任がある」のです。

 So Nakamura-san, I wanted to thank you very much for giving me the privilege of being with you in this I think prestigious temple of knowledge which has I think merit the tradition like this building 300 years and modern science.
 中村学長、このようなすばらしい知識の神殿とも言える大学で、ご一緒させていただき本当にありがとうございます。これこそ、築後300年のこの古い建物と、大学で教えられている現代科学との融合にふさわしいものです。

So, for us the implementation of the convention that we call it the convention on life on earth which has three objectives; conservation, sustainable use and fair and equitable sharing cannot be achieved without the unique and distinct contribution of the scientific community and the new elite that is to save yourself.
 生物多様性条約を私たちは地球上の生命に関する条約と呼んでいますが、その実行において3つの目的があります。保護管理、持続可能な使用、公平に分かち合うこと。科学分野と新しいリーダーのユニークで明確な貢献があれば、この3つは達成できます。それがあなた自身を救うのです。

 Indeed, I think the challenge you know it is immense and I think it is unprecedented. The loss of biodiversity component by climate change I think require more than ever the mobilization of the science community in order to address this challenges that are really unique and unprecedented and new to the mankind. New science is emerging, new ecosystem are emerging, older are being destroyed and therefore more than ever we need the brain to predict and to guide the implementation of future action of the policy makers.
 私たちに課せられた課題は、計りしれないほど大きく、先例のないものです。生物多様性をつくりあげている構築要素は気候変動によって失われつつあります。今こそ科学界を総動員し、人類にとって前代未聞の課題に取り組まなければなりません。新しい科学、新しい生態系が出現しています。古いものはこわされていきます。今こそ私たちには未来の活動を実行に移す、予測や指導のできる政治家たちの頭脳が必要なのです。

 Therefore on 20th September 2010 and for the first time in the history of the international organization, there will be one day heads of the states and the heads of government meeting exclusively devoted to biodiversity and the preparation of the Nagoya Summit in October 2010.
 2010年9月20日に、国際機関の歴史上はじめて、世界中の首長たちが生物多様性のためだけに集い、2010年10月のCOP10名古屋サミットの準備をします。

 As we know when my bosses involve I get anxious and of course I make sure that the files are well prepared because he will be interested to know if I have done a good job or not. So therefore it is extremely important for the heads of states to engage in this battle for life on earth and this is what the Nagoya Summit will be about and this is what the New York Summit will be about.
 ご存じのように、上司がかかわる会議では、資料が充分に準備されているか心配になるものです。上司は私がちゃんと仕事をしているかどうか知りたいでしょうから。ですから首脳たちがこの地球上の生命戦争ともいうべき問題にかかわっていくことが、非常に大切なのです。名古屋サミットとニューヨークサミットはそんな大切な会議となるでしょう。

 But this is not enough, we need also those who are involved at local level because as you know action are taking place at local level. So, there would be a summit of cities and biodiversity in Nagoya and we expect more than 300 cities mayor to be there and it will be the first time that we have mayors and the cities and local authorities of the world engaged in the implementation of the Convention on Biological Diversity.
 しかしこれではまだ十分ではありません、行動を起こすのは地方レベルなので、地方レベルでかかわる人々が必要です。名古屋で「市と生物多様性サミット」が行われ、300以上の市長たちが集うでしょう。はじめて世界中の市長たちや地域の首長たちが生物多様性の実行について話し合うことでしょう。

  We need the laws and we need the regulations so we need to involve the parliamentarian and to educate the parliamentarian about biodiversity. And there will be with GLOBE International and the Diet a meeting of the parliamentarian and biodiversity in Nagoya. We need also money and there would be a meeting the first ever forum on bilateral and multilateral donor agency and biodiversity. And we need those that are involved in the economic sectors, the companies so with Keidanren, there will be also a meeting on business and biodiversity. So, in Nagoya we hope to achieve a global alliance of all stakeholders for life on earth.
 法律や条例が必要です。国会議員を巻き込み、生物多様性についてもっと知ってもらう必要があります。GLOBEインターナショナルと国会の協力でCOP10名古屋では、「国会議員と生物多様性」の会議が開かれるでしょう。金銭的サポートも必要です。二ヵ国間、多国間の金銭的サポート提唱団体と生物多様性を議題に、はじめてのフォーラムが開かれるでしょう。財界、企業、経団連などを巻き込むことも必要です。「ビジネスと生物多様性」の会議も開かれます。名古屋では地球上の生命にかかわるすべての関係者の地球規模の連携が実現することを望んでいます。

 These will take place while the world would celebrate for the first time also an international year on biodiversity starting from 1st January to 31st December 2010. So, these will culminate here in Ishikawa, Kanazawa with the closing ceremony in December 2010 of the international year on biodiversity. We will not only close the international year, but we will launch a new international year on forests. 
 世界が2010年1月1日から12月31日まで、はじめて国際生物多様性年を祝う間に、これまで話してきた会議が次々と開かれるでしょう。そのハイライトである閉会式は、2010年12月に、ここ石川県金沢市で開かれるでしょう。この機会は、国際生物多様性年を閉会するだけでなく、2011年の国際森林年の開始も兼ねています。

 So, I wanted to pay tribute to Japan, to Japan as authorities, but Japan as civil society, Japan as university, Japan as citizen and Japan as students and I wanted to thank all of you for welcoming the world here in Kanazawa in December 2010 to share the experience of Japan, but also to provide leadership through you and through the universities because you are the elite of tomorrow. So, thank you very much for this unique opportunity to be with you this morning.
 日本に、また日本の政府、市民社会、大学、市民と学生たちにお礼を申し上げます。みなさんが2010年12月にここ金沢へ世界をむかえてくださることに感謝します。日本のこれまでの経験をみなさんと大学と共有し、リーダーシップを発揮することができます。みなさんは明日のリーダーですから。今回このような貴重な機会をいただきありがとうございます。

 ⇒16日(火)夜・金沢の天気 ゆき