☆旅館的ホスピタリティ

☆旅館的ホスピタリティ

   年の瀬のちょっとした休日を利用して加賀市の山代温泉へ家族旅行に出かけた。冬の料理は彩りが鮮やかだ。「香箱蟹 琥珀ゼリー」(ズワイガニのメスの剥き身と二杯酢のぜリー固め)=写真=から始まって、「寒鰤山椒焼 焼大根」「鯛の白山蒸し」「ずわい蟹宝楽焼」など海幸が豊かだ。ズワイガニの甲羅に熱燗を入れて「甲羅酒」としゃれ込んだ。

  食を豊かにするのは味付けや食材の多さだけではない。「もてなし」という情感のこもった気づかいや応対が伴ってこそ、膳に並ぶ食も輝きを増す。もてなしは英語でホスピタリティといい、最近では学問として研究されてもいる。ところで、このもてなしの原点ともいえる農耕儀礼が能登半島に伝承されており、先ごろ、文化庁はユネスコ(国連教育科学文化機関)が無形文化遺産保護条約に基づき作成するリスト(09年9月)の登録候補の一つとして申請した。「あえのこと」である。「あえ」は饗応(ご馳走をしてもてなすこと)を意味する。

  あえのことで、もてなす相手は「田の神」である。神社で執り行うのではなく、それぞれの農家が毎年12月5日と2月9日に行う。この日、羽織袴の主(あるじ)は襟をただして田の神をお迎えし、そしてお見送りする。ここで読者のみなさんは「田舎の農耕儀礼をなんでわざわざユネスコの無形文化遺産に」と思うかもしれない。でも、ここからが見所なのである。実は田の神は稲穂で目を傷め不自由であるとの設定になっている。まず、田に出迎えに行き、その家に田の神を招き入れる。敷居が少々高ければ、「お気をつけください、敷居が高くなっておりますので・・・」と、田の神が転ばぬように配慮しながら案内して進む。

  家の中ではまず座敷に上がって一服していただく。お風呂に入ってもらい、ご馳走を召し上がっていただくという手順になる。食前に甘酒、煮しめ、ブリの刺身、酢の物など能登の山海の幸が並ぶ。料理は二の膳、三の膳の献立をすべて口頭で判りやすく、そしてどの料理がどの位置にあるかきちんと説明する。主は自ら目が不自由だと仮定して、イマジネーションを働かせながら田の神をもてなすのである。ここが形式化した儀礼とは決定的に違うところなのだ。相手の身になって、自らの感性でもてなす。傍から見ればジェスチャーだ。言葉や所作に手を抜けば単なる田舎芝居に見える。が、磨きがかかったもてなしを演じ切れば名優のごとく、どこに出しても恥ずかしくない。見ていてすがすがしい。

  稲作や農業に感謝の気持ちが薄れつつある昨今、あえのことの後継者も減り、伝承農家は十指に足りぬほどになった。しかし、千年も続いているといわれるあえのことの精神・文化は風土としてこの地に染み渡っている。「能登はやさしや土までも」。能登を訪れ人々と語らうと、食も心も和むのだ。

⇒27日(土)午前・加賀市の天気  あめ 

★竹で復元、内灘砂丘

★竹で復元、内灘砂丘

 整備された竹林にはすがすがしさを感じる。日本人のメンタリティに合う。しかし、薮(やぶ)と化した竹林は手の施しようがない。はやり切るしかない。今回は竹を利用した取り組みを紹介する。

  金沢大学地域連携推進センターが主催する「金沢大学タウン・ミーティング in 内灘」が12月20日、内灘町役場で開催された。金沢大学はタウン・ミーティングを平成14年度からこれまで石川県内7地区(輪島市、加賀市、鶴来町、珠洲市、能登町、羽咋市、穴水町)で開催しており、今回で8回目.。地域からの話題提供の中で、内灘町のボランティア団体「クリーンビーチ内灘作戦」代表の野村輝久さんが「内灘砂丘を蘇らせる」と題して、角間の里山から切り出したモウソウチクを利用した砂丘の復元運動を紹介した。

  内灘海岸は砂が盛り上がった砂丘で有名だが、最近は平らな砂浜になりつつある。そこで砂丘を復元しようと野村さんたちが取り組んでいるのが里山でやっかい者となった竹の利用だ。ことし2月、内灘のボランティアの人たちが100本ほど竹を切り出した。150センチほどに切りそろえ、さらに竹を割って、砂丘地に垣根をつくった。砂丘地につくる竹垣のことを地元では静砂垣(せいさがき)と呼ぶ。

  当初の予定では、砂はゆっくりと3年ほどかけてたまっていくだろうと予想していたが、今年設置した静砂垣はかなり埋まり、一部ではすでに砂丘ができ、美しい風紋が描かれていた=写真=。3年間で1キロメートルの静砂垣を作るこの計画。角間の里山自然学校だけでなく石川工業高等専門学校やいしかわフォレストサポーター会、河北森林(もり)づくりの会などとも協力体制がスタートしており、活動の輪がどんどん拡がっている。さらにクリーンビーチ内灘作戦の皆さんは伐採しても竹垣に使えない部分をチップ化し、河北潟の水質浄化や肥料としての利用も考えているようだ。

  写真家でもある野村さんは「風紋のある砂丘の景観こそ内灘のシンポル。復元活動を続けて生きたい」と話をしめくくった。

 ⇒25日(木)朝・金沢の天気   あめ  

☆「それでも地球は動く」

☆「それでも地球は動く」

 イタリアのフィレンツェはユネスコの世界遺産に登録されている歴史の都である。「美術のパトロン」といわれたメデイチ家が庇護した街でもある。このフィレンツェの精神的な拠りどころがサンタ・クローチェ教会。何しろ、この教会の聖堂には「近代科学者の父」と呼ばれるガレリオ・ガリレイや彫刻家のミケランジェロ、政治理論家のマキアヴェッリなど世界史に燦(さん)然と名を残す偉人たちの墓がある。写真は2006年1月にサンタ・クローチェ教会を訪れたときに撮影したガレリオ・ガリレイの墓である。この偉人の棺の上には望遠鏡を持ち、空を仰ぐ大理石の胸像が配置されている。カトリック教会から異端者として審問にかけられ、自説を取り消さなかったため、軟禁され8年後にこの世を去った(1642年)。裁判の後、ガリレオはつぶやいたという。「それでも地球は動く」

 けさ(23日)の新聞でローマ法王ベネディクト16世がガレリオの地動説を公式に認めたとの記事が掲載されていた。記事を一瞥しただけでは、これまでローマ法王庁は地動説を認めてこなかったのかと勘違いするが、そうではない。1992年に前の法王ヨハネ・パウロ2世が、1633年に有罪とした宗教裁判の非を認め謝罪している。では、なぜベネディクト16世が地動説を認めたことがニュースになったのか。ことし1月17日、ベネディクト16世はイタリア国立ローマ・ラ・サピエンツァ大学で記念講演を予定していたが、90年の枢機卿時代にオーストリア人哲学者の言葉を引用して、ガリレオを有罪にした裁判を「公正だった」と発言していたことを問題視する学生が大学を占拠するという騒ぎがあり、講演は中止になった。それ以降、べネディクト16世がいつ地動説を認めるのかということにメディアが注目していたというわけだ。

 記事によると、ベネディクト16世は21日、ローマ法王庁で信者らを前に、ガレリオについて「彼の研究は(キリスト教の)信仰に反していなかった」「ガレリオは神の業と自然の法則をわれわれに教えてくれた」と述べた。ベネディクト16世が地動説を公式に認めたのはこれが初めてという。

 話はガレリオ裁判に戻る。1633年の裁判は2度目だった。容疑は1616年の裁判で有罪の判決を受け、二度と地動説を唱えないと誓約したにもかかわらず、それを破って「天文対話」を発刊したというものだった。判決は終身刑、その後、軟禁に減刑されたが、死後も名誉は回復されずにカトリック教徒として葬ることも許されなかった。ガリレオの庇護者であったトスカーナ大公が、ガリレオを異端者として葬るのは忍びないと考え、ローマ教皇の許可が下りるまでガリレオの葬儀を延期した。しかし許可はこの時代には出ず、トスカーナ大公の願いがかなったのはガレリオの死後95年たった1737年のこと。埋葬は冒頭で紹介したサンタ・クローチェ教会の聖堂で行われた。

 以前の自在コラムで「科学には『常識』がない」との尾関章氏(朝日新聞論説副主幹)の言葉を引用させてもらった。時代の支配者が常識をつくる。科学はその常識を打ち破る。「それでも地球は動く」と自説を曲げない不屈の精神が時代を変えていく。一つの記事からそんなことを考えた。

⇒23日(祝)午前・金沢の天気  くもり

★テレビは進化するのか

★テレビは進化するのか

 先日、TBS系列のテレビ局の知人と会食した。話題になったのが、来年春の番組改編で始まるゴールデンタイムでの大型ニュース番組(平日午後5時50分-7時50分)について。ゴールデンタイムにニュース番組を持ってくる試みは他系列でもプランはあったが実現していない。ある種の賭けだ。が、知人は「いや、時代の流れだ」と改編のポイントを3つ紹介してくれた。一つには、ゴールデンタイムにお笑いタレントを動員して視聴率を稼ごうとするするテレビ局の意図に少なからぬ反発が視聴者にある。二つめのとして、ニュース番組は50代以上の世代に視聴されており、高齢者化社会に対応した番組づくりとなる。三つ目の要素は、番組制作費の上でVTRの使い回しがきくなどニュース番組はバラエティ番組をつくるよりコストダウンになるということだ。経済リセッションが、「番組の構造改革」ともいえる大胆な編成に背中を押した、ともいえる。

  金沢大学でメディア論を講義していて、私自身よく使う言葉は「テレビにあすはあるか」である。国の免許事業で成り立つビジネスモデルは「最後の護送船団」であり、同じメディアでも新聞などと比べると経営の足腰が「ひ弱」に思える。経済不況の荒波を乗り越え、次世代に進む秘策はあるのか。このヒントとなるのが、「テレビ進化論~映像ビジネス覇権のゆくえ~」(境真良著・講談社現代新書・2008)である。著者は経済産業省メディアコンテンツ課などを経て、早稲田大学で教鞭を執る。コンテンツ流通のプロである。

  著者は挑発的だ。「メディア・コンテンツ産業の本質は娯楽産業」だと言い切り、しかし、「『娯楽の価値』を認められない官僚の心理傾向が、問題の奥底に潜んでいる」と。単純に読み込めば、護送船団の枠の中でいる限り(監督官庁の顔色を伺っていると)、コンテンツの本流である娯楽に徹した産業にはなり得ない、と。挑発がもう一つ。「コンテンツ産業にとってパソコンと付き合うことは、常にビジネスが海賊版によって壊滅的な打撃を受ける可能性に晒されることと同義なのである」と。マイクロソフトなどはパソコン(PC)を「テレビを呑み込む商品」と見定めて戦略を練り、PC上で動画が自由に動く仕組みを構築してきた。そのおかげで、ユーチューブやGyaoとったサービスが始まった。ところが、テレビはPCとの連携を標榜しながらも、心の奥底に「放送と通信の融合」を避けている。実は前述のようにテレビがPCが呑み込まれることを恐れている。もう一つ、家電メーカーもPCがテレビに置き換わることを恐れている。PCは利益率が低いからだ。それでも著者は「情報と通信の融合」を恐れるな、恐れていては「次のテレビ」はないとぞと、ギョーカイ(テレビ業界)を叱咤しているように感じる。

  では、「次のテレビ」とは何か。著者は2004年にネット上で話題になった「グーグルゾン(Googlezon)」をイメージして説明している。要約する。マイクロソフトと戦ってきたグーグルとアマゾンが合併し、その情報サービスの開発競争の中で、ネット上にある新聞ニュースを始めとする様々なデータから新聞記事のような意味ある情報に再編集する技術を開発してしまう。つまり、ネット上で公開された情報がすべてグーグルゾンに利用されてしまうことになった。憤慨したニューヨーク・タイムズ社がグーグルゾンを相手に著作権訴訟を起こすが、敗訴する。ニューヨーク・タイムズ社はネット上から退場し、単なる紙媒体の企業となる。一方のグーグルゾンは世界中のネット上の情報とPC利用者の個人情報を管理する巨大企業へと成長するというストーリーだ。

  「次のテレビ」の要は、視聴者が欲しがる番組をネット上で取り出せる仕組みをつくることだ。グーグルゾンは極端な話ではあるが、使ってよい番組コンテンツを限定し、ユーザーが「マイ・チャンネル」をつくれるような巨大なハードディスクレコーダをネット上で構築することである。著者は、「つまり、『次のテレビ』とは、ニューヨーク・タイムズとケンカをしないような、穏健型の映像版『グーグルゾン』なのである」と説明している。

  著者が紹介する「次なるテレビ」のくだりから、「10年後、新聞とテレビはこうなる」(藤原治著・朝日新聞社・2007)で紹介されている「eプラットフォーム」を連想した。冒頭に述べたように、いまテレビ業界では編成上での「番組の構造改革」が起きようとしている。おそらく次の改革は経営改革(系列の持ち株会社)、そして2011年の完全デジタル化にともなうメディアとネットの融合・再編へと進むシナリオだろう。そのときに「次のテレビ」あるいは「eプラットフォーム」が熱く論じられることに期待したい。

 ⇒21日(日)朝・金沢の天気   くもり

★「へんざいもん」の味

★「へんざいもん」の味

 金沢大学が能登半島で展開している「里山里海自然学校」は廃校となった小学校の施設を再活用して開講している。ここでは生物多様性調査や里山保全活動、子供たちへの環境教育、キノコ山の再生などに取り組んでいる。もう一つの活動の目玉が「食文化プロジェクト」だ。

   学校の施設だったので、給食をつくるための調理設備が残っていた。それに改修して、コミュニティ・レストランをつくろうと地域のNPOのメンバーたちが動き営業にこぎつけた。その食堂名が「へんざいもん」。愛嬌のある響きだが、人名ではない。この土地の方言で、漢字で当てると「辺採物」。自家菜園でつくった野菜などを指す。「これ、へんざいもんですけど食べてくだいね」と私自身、自然学校の近所の人たちから差し入れにあずかることがある。このへんざいもんこそ、生産者の顔が見える安心安全な食材である。

   地元では「そーめんかぼちゃ」と呼ぶ金糸瓜(きんしうり)、大納言小豆など、それこそ地域ブランド野菜と呼ぶにふさわしい。そんな食材の数々を持ち寄って、毎週土曜日のお昼にコミュニティ・レストラン「へんざいもん」は営業する。コミュニティ・レストランを直訳すれば地域交流食堂だが、それこそ郷土料理の専門店なのである。ある日のメニューを紹介しよう。

ご飯:「すえひろ舞」(減農薬の米)
ごじる:大豆,ネギ
天ぷら:ナス,ピーマン
イカ飯:アカイカ,もち米
ユウガオのあんかけ:ユウガオ,エビ,花麩
ソウメンカボチャの酢の物:金糸瓜、キュウリ
カジメの煮物:カジメ,油揚げ
フキの煮物:フキ
インゲンのゴマ和え:インゲン

  上記のメニューがワンセットで700円。すべて地域の食材でつくられたもの。郷土料理なので少々解説が必要だ。「ごじる」は汁物のこと。能登では、田の畦(あぜ)に枝豆を植えている農家が多い。大豆を収穫すると、粒のそろった良い大豆はそのまま保存されたり、味噌に加工されたりして、形の悪いもの、小さいものをすり潰して「ごじる」にして食する。カジメとは海藻のツルアラメのこと。海がシケの翌日は海岸に打ち上げられる。これを細く刻んで乾燥させる。能登では油揚げと炊き合わせて精進料理になる。

  里山里海自然学校の研究員や、環境問題などの講義を受けにやって来る受講生や地域の人たちで40席ほどの食堂はすぐ満員になる。最近では小学校の児童やお年寄りのグループも訪れるようになった。週1回のコミュニティ・レストランだが、まさに地域交流の場となっている。金沢大学の直営ではなく、地域のNPOに場所貸しをしているだけなのだが、おそらく郷土料理を専門にした「学食」は全国でもここだけと自負している。

 ※写真・上は「へんざいもん」で料理を楽しむ。写真・下は文中のメニュー。赤ご膳が祭り料理風で和む

 ⇒19日(金)朝・金沢の天気   くもり

☆人形は悲しからずや

☆人形は悲しからずや

 私のオフィスがある金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」にけさ(19日)出勤すると、室内に異様な光景が広がっていた。おびただしい数の人形やぬいぐるみが並んでいたのである。「これ一体なに」。思わず叫んでしまった。

  女性スタッフの話では、記念館の入り口左側にある薪(まき)棚に置いてあった。45リットルのゴミ袋4つ分もである。今月13日にぬぐるみの入った袋の存在は確認されていたが、誰かまた取り戻しにくるかも知れないとしばらくそのままにしておいたというのだ。それから1週間近く経つので開封して並べてみたというわけだ。薪棚には木々が積まれているので、ちょっと見るとゴミの貯蔵場所に見える。そんな状況から捨てられたものと判断した。

  数えて見ると、抱き人形5、大きなもの14、小さいもの70、合計89個。プーさん人形やディズニーのキャラクターのぬいぐるみも。中にはタグシールがついたものもある。女児を持つスタッフの話では買うと数千円するものもあるとか。でも、なぜぬいぐるみは捨てられなければならなかったのか。金沢には有名な人形供養のお寺がある。愛着があるものでも不要になれば、そのお寺に持っていく人が多いのだが。

  年の瀬。経済不況を伝える殺伐としたニュースが日々流れる。おそらく、やむを得ずにこっそりと捨てられたものと想像する。というもの、女の子の名前が記されたぬいぐるみもいくつかあった。名前を消す余裕もなかったのだろう。ともあれ、このまま廃棄物として出すには忍びないと、女性スタッフたちは記念館の縁側に並べ=写真=、しばらく飾っておくことにした。

⇒19日(金)昼・金沢の天気   はれ

☆科学に「常識」はない

☆科学に「常識」はない

 科学記事がメディアに登場しておおむね50年が経つという。では、科学記事がメディアの中でどんな役割を果たしてきたのだろうか。金沢大学で私が担当している朝日新聞特別講義「ジャーナリズム論」(後期・毎週火曜3限)の第11回目(12月16日)は、尾関章氏(論説副主幹)に登壇していただき、冒頭の内容で講義していただいた。題して「理系シフト時代への社説」。以下、講義のまとめを試みる。

  教育界では子供たちの理科離れが進んでいるとよくいわれるが、メディアの世界では科学記事の割合が広がり、たとえば朝日新聞社では30年前に20人ほどだった科学担当記者は現在では50人ほどに増えている。戦後は60年安保、70年安保と大学キャンパスでも政治闘争の嵐が吹き荒れた。が、高度成長に伴ってハイテク、ロボット、宇宙、IT、新型感染症、医療・生命倫理、食の安全と危機管理、そして環境へと、メディアの記事テーマは政治・社会から科学への「理系シフト」が起きている。それが極まったのが、ことし8月の洞爺湖サミットだ。地球温暖化についての科学的な研究の収集、整理のための政府間機構であるIPCCの科学者たちが動いて、地球環境問題をサミットの主議題に押し上げたといわれる。少なくとも、政治家が地球環境問題を無視できないような状態になった。科学者のメッセージで世界が動く時代に入ったともいえる。

  メディアにおける科学記事の役割というのは尾関氏の表現だと、70年前途までは「啓蒙の時代」、公害問題が噴出した70年前後以降は「批判の時代」、そしていまは「批評の時代」に入っているという。この批評の時代というのは、たとえば04年のアメリカ大統領選挙で、中絶反対の立場に基づいて「ES細胞(受精卵から作る万能細胞)を使った再生医療の研究」に反対を表明したブッシュと、賛成だったケリーが激しく争った。生命倫理のハイテク化なのだが、これ一つをとっても早急に決を出せるテーマではない。むしろ評論や批評というスタンスで臨まないと、世論をミスリードする可能性があり、「メディアが厳に戒めなけらばならなことである」(尾関氏)。

  科学記者に必要な素養、それは10年先、20年先を読むイマジネーションなのだろう。そして、決して結論を急がない。たとえば、低炭素社会や医療の未来図をいま性急につくり上げることはできない。先に述べたアメリカ大統領選におけるES細胞をめぐる議論は発端にすぎない。議論はこれからなのである。この議論を科学記者はどうタイムリーに提供していくか、ということなのだ。

  「科学には『常識』がない」。尾関氏が講義の最後に強調した言葉である。遺伝子、代理母、クローン、原子力、捕鯨などの問題は社会通念で推し量れない。推し量れないから議論を尽くさなければならない。一方で科学のマーケットはどんどんと広がっている。それを支える公的な研究費は膨らむばかりだ。だから納税者の理解や提案、研究者との意見調整が必要だ。「科学はみんなで考える」。そんなスタンスが双方に必要になってこよう。その間に立ち、的確な記事を発信していく。科学記者が心得なければならない科学ジャーナリズムの原点ではある。

 ⇒18日(木)朝・金沢の天気    あめ

★ナメクジと危機管理

★ナメクジと危機管理

 どれほどインフラ整備を施してもフイを突かれ、パニックを起こすことがある。我が家で起きた話だが、どの家で起こりうることなのでブログに記す。昨夜(16日)、午後8時半ごろ帰宅すると我が家だけが真っ暗な状態だった。この時点でいろいろなことを想像してしまう。家人が一人もいないということは、事前の連絡がない限りあり得ない。「何か変だ」と緊張が走る。玄関ドアの鍵を開けて、そっと入る。

 想像したのは強盗が入るなどの最悪の事態。すると奥の方で懐中電灯の明かりが揺れている。「やっぱり」と思い。大声で「誰かいるのか」と凄んだ。すると奥から家内の声、「停電なの」。力が抜ける。

 数分前から停電になったという。配線用遮断器を調べると、漏電ブレーカーが落ちていた(「OFF」状態)。ブレーカーをオンにしても、カチッとならずにすぐ下に戻ってしまう。そこで、我が家の電気工事を担当した会社に電話した。勤務外時間だったが運よく電話がつながった。事情を話すと、「それでは配線用遮断器にある各室用の子ブレーカーをすべてオフにしてください。それしてから漏電ブレーカーを再度オンにして、子ブレーカーを一つ一つオンにしてみてください」という。その通りに子ブレ-カーをすべてオフにして、漏電ブレーカーを上げて、子ブレーカーをオンにしていく。すると、浴室用の子ブレーカーをオンすると漏電ブレーカーが落ちることが分かった。再度、会社に電話し状況を説明すると、「それは浴室周りの漏電ですね」といい、即来てくれた。

 浴室周りの外壁の外灯、ガス給湯機といろいろと調べ、会社の人が「あやしい」とにらんだのが、外付けのガス給湯機と直結している屋外防水コンセントだった。コンセントから電線を抜いて、配線用遮断器を絶縁抵抗器で検査をすると正常値が出て、やはりここだと分かった。同じ型の屋外防水コンセントを会社の持参してくれていたので付け替えてもらった。

 で、その原因は何か。コンセントを開いてよく見ると、長さ3ミリくらいの黒いナメクジがコンセントの中に入っていた。「ナメクジがコンセントに入ってきて電極に挟まってショートを起こすことはたまにありますよ。ナメクジは水と同じですから」と会社の人は苦笑した。外壁を伝ってコンセントの差し込み口のわずかな隙間から侵入したらしい。ナメクジは感電して死んでいた。ナメクジを指先で触ると確かに水っぽい。

 住宅を新築する際、それなりに危機管理を意識して住宅メーカーには「震度8に耐える耐震設計」「積雪3メートルの雪の重み耐える屋根設計」「耐火外壁」をお願いした。ところが、ナメクジ一匹で停電パニックが起きるとは・・・。
 ※写真は屋外防水コンセントの漏電の原因となったナメクジ(真ん中の黒)

⇒17日(水)朝・金沢の天気    はれ
 

☆病める森林に希望が

☆病める森林に希望が

 昨日(11月14日)聴講した森林をテーマにした講義に思わずのめり込んだ。「面白い。山にも希望がある」。金沢大学が主催する「能登里山マイスター」養成プログラムの「地域づくり支援講座」(能登空港ターミナルビル)。地域の再生をテーマに各界のスペシャリストを呼んで講義を聴く。今回、15シリーズの13回目は「環境に配慮し地域に密着した組合を目指して」と題しての有川光造氏の講義だった。

 有川氏が組合長を務める「かが森林組合」は日本海側で唯一FSC認証を取得している。FSC(Forest Stewardship Council=森林管理協議会)は国際的な森林認証制度を行なう第三者機関。この機関の認証を取得するには4000万円ほどの経費がかかり、毎年、環境や経営面での厳しい査察を受ける。林業をめぐる経営環境そのものが厳しいのにさらに環境面でのチェックを受けるは、普通だったら資金的にも精神的にも体力は持たない、と思う。ところが、その「逆境」こそがバネになるというのが今回の講義のポイントなのだ。

 初めて聞く言葉をいくつか紹介すると。「渓流バッファゾーン」。谷川に沿って植林がされると樹木の枝葉が茂り、谷川には光が差し込まなくなる。すると、渓流の生態系が壊れるので、川べりから5㍍は枝打ちや間伐を行い光を入れる。FSC基準ではそのバッファゾーンの毎年植生の変化を確認するという継続調査を行う。かが森林組合でも小松市や加賀市の4カ所で林内照度や植生変化の調査を行っている。次に、「境界管理」。森林には私的所有権が設定されているが、実のところオーナーが健在である場合、その隣地との境界は代々からの言い伝えで分かるが、代を重ねるごとにあいまいになり、分からなくなる。これが日本の山林の大きな問題となっている。そこで有川氏らは、GIS(地理情報システム)を導入して、GPS(人口衛星)測量を行っている。全体の図面は引けなくても、所有地の入り口だけでも何点か分かれば、あとは植林の樹齢などによってだいたいの境界の検討がつくという。これを組合が一括管理していれば、集団間伐や出荷のための伐採にはオーナーにもメリットがある。

 ロシア産の外材など海外の安価な木材の輸入で国内の林業はここ30年で低迷し疲弊した。スギ花粉などアレルギー源として都会人から森林は嫌われた。山に一歩入れば家電ゴミの不法投棄。さらに、最近のクマの出没で森林は一気に危険、暗闇の心象が広がった。こんな所には若者も来ない。経済価値もどん底。そんな病める山林、負のスパイラルが起きていた。ところが、いったん落ちた森林の価値が国際的な資源の争奪戦(経済)の中で再び起き上がってきた。ロシアが丸太の輸出に高い関税をかけ、加えて、丸太のままでは輸出しないといい始めてきた。また、インドと中国を巻き込んで、資源としての木材争奪戦が繰り広げられている。そこで、国内の木材価格がじわりと上昇している。柱となるA材はもちろんのこと、少々曲がりのあるB材でも引き合いが来るようになり、C材でもチップ化すれば製紙会社が引き取るようになった。不安定な外材より、安定供給が見込めるならば国内産のものを確保しておきたいという意識が働くようになった。

 さらに、有川氏の話で興味深かったのは、「使い物にならず野積みされている木の皮にも引き合いがくるようになってきた」と。石炭と混ぜて燃焼させることによって燃焼効率が高くることに国内の火力発電所などが注目し始めているのだ。「今後、この木の皮も市場取引される時代がくるかもしれない」と。そして、有川氏は「山には捨てるものがない。そんな時代がきたのです」と締めた。山に風が吹き始めている。

⇒15日(土)午前・珠洲の天気  はれ

★能登再生「待ったなし」

★能登再生「待ったなし」

 きょう(10月23日)、共通教育「公共政策入門Ⅱ」の授業で講義を依頼され、「大学と地域連携」をテーマに話した=写真=。学生は100人ほど。講義場所を古民家の創立五十周年記念館「角間の里」にした。ほとんどの学生はここを訪れたことがなく、「昔にタイムスリップしたみたい」「田舎のおじいちゃんの家(ち)みたい」「木のにおいがする」と天井を見上げたり、柱を触ったり。授業はこんな雰囲気で始まった。

  以下、講義の概要。大学の地域連携とは何か。国立大学の担当セクションを見渡してみると取り組み方法はインドア型とアウトドア型の2つのタイプに分類できそうだ。インドア型は、窓口を開いておいて来客があれば対応するというもの。持ち込まれた課題に関して、その課題の解決に役立ちそうな教授陣(教授や准教授)を紹介する。この方法は多くの大学で実施されていて、金沢大学でもさまざまな案件が持ち込まれる。多種多様な相談事が持ち込まれるものの、すべての案件に十分対応できるわけではない。さらに、仮に相談には乗ることができても、時間を割いて現場に足を運んでくれる熱意のある人材となるとそう多くはなく、もどかしさを感じることもままある。これは何も金沢大学に限った話ではない。

  だからといって、「大学の殻に閉じこもって、学生だけを相手にしている教授陣に地域連携なんてやれっこない」などと思わないでほしい。果敢に地域課題に取り組むアウトドア型もある。地域に拠点を設け、そこに人材を配置して課題に真っ向から取り組むタイプである。これから紹介するアウトドア型の取り組みは稀なケースといえるかもしれない。ひと言で表現すれば「大学らしからぬこと」でもある。そして、キーワードを先に明かせば、「連携効率」と「連携達成度」、そして「ビジョン」と「仕掛け」の4つである。

  能登半島の先端にある石川県珠洲市三崎町。廃校となった小学校を再活用した「能登学舎」で07年10月6日、社会人を対象にした人材養成プログラムの開講式が執り行われた。開講式では、受講生も自己紹介しながら、「奥能登には歴史に培われた生活や生きる糧を見出すノウハウがさまざまにある。それを発掘したい」「能登の資源である自然と里山に農林水産業のビジネスの可能性を見出したい」などと抱負を述べた。志(こころざし)を持って集まった若者たちの言葉は生き生きとしていた。あいさつと看板の除幕という簡素な開講式だったが、かつて小学校で使われていた紅白の幕を学舎の玄関に張り、地元の人たちも見守ってくれた。5年間に及ぶ金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムはこうして船出した。では、このプログラムは地域連携を通じて何を目指して、どのようなビジョンを描いているのか述べてみたい。

  まず、能登の現状についていくつか事例を示す。能登半島の過疎化は全国平均より速いテンポで進んでいる。とくに奥能登の4市町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の人口は現在8万1千人だが、7年後の2015年には20%減の6万5千人、65歳以上の割合が44%を占めると予想される(石川県推計)。この過疎化はさまざまな現象となって表出している。能登半島では夏から秋にかけて祭礼のシーズンとなる。伝統的な奉灯祭はキリコを担ぎ出す。キリコは本来担ぐものだが、キリコに車輪をつけて若い衆が押している。かつて集落に若者が大勢いた時代はキリコを担ぎ上げたが、いまは人数が足りずそのパワーはない。車輪を付けてでもキリコを出せる集落はまだいい。そのキリコすら出せなくなっている集落が多くあり、社の倉庫に能登の伝統的な祭り文化が眠ったままになっている。

  さらに、07年3月25日の能登半島地震。マグニチュード6.9、震度6強。この震災で1人が死亡、280人が重軽傷を負い、370棟が全半壊、2000人余りが避難所生活を余儀なくされた。自宅の再建を断念し、慣れ親しんだ土地を離れ、子や孫が住む都会に移住するお年寄りも目立つ。能登の過疎化に拍車がかかっている。能登の地域再生は「待ったなし」の状態となった。(次回に続く)

 ⇒23日(木)夜・金沢の天気   あめ