★蘇った玉虫厨子の物語

★蘇った玉虫厨子の物語

 日本史、そしてお札で知られる聖徳太ゆかりの法隆寺(奈良・斑鳩)=写真=は、現存する世界最古の木造建築で知られる。五重塔など建物の国宝・重文だけでも55棟、仏像をはじめとする美術工芸品は国宝20点、重文120点。平成5年(1993)には、日本で最初の世界文化遺産に登録された。

 その法隆寺で、日本工芸のルーツといわれるのが「国宝 玉虫厨子(たまむしのずし)」。日本史では飛鳥美術の代表作とされる。が、現在のわれわれが目にするは黒光り、古色蒼然とした造作物という印象しかない。すでに描かれていたであろう仏教画や装飾などは、イメージをほうふつさせるほどに残されてはいない。歴史の時空の中で剥離し劣化した。

 その玉虫厨子を現代に蘇らせようと奮闘したプロジェクトチームがあった。国家プロジェクトではない、民間の有志によるプロジェクトである。その制作過程を追ったドキュメンタリー映画「蘇る玉虫厨子~時空を超えた『技』の継承~」(64分・平成プロジェクト制作)がきょう27日、金沢市で上映されというので足を運んだ。

 玉虫厨子の復元プロジェクトを発案したのは岐阜県高山市にある造園会社「飛騨庭石」社長、中田金太(故人)だ。私財を投じたこのプロジェクトに輪島塗職人、宮大工、金具職人ら、輪島、高山、京都などの名工たちが結集した。印象的なシーンを紹介する。仏教画を復元する輪島塗の蒔絵師、立野敏昭はすでに消えた図柄を写真をもとに忠実に再現していく。消えてはいるが写真をじっと見つめていると不思議と図柄が浮かんでくる。「時間が図柄を浮かび上がらせる」と。

 タマムシの羽は硬い。鳥に食べられたタマムシは羽だけが残り、地上に落ちる。輪島塗の作品をつくるとなると絶対量が日本では到底確保できない。そこで中田氏は、昆虫学者を雇って東南アジアのジャングルで現地の人に落ちている羽を拾い集めさせる。それを輪島に持ち込んで、カッターで2㍉四方に切る。さらに黄系、緑系、茶系などに分けて、一枚一枚を図柄に合わせて張りこんで行く。

 この復活プロジェクトは2004年に始まり、玉虫厨子のレプリカと平成版玉虫厨子の2つが同時進行で制作された。しかし、当の中田は07年6月、完成を待たずして76歳で他界する。妻の秀子が故人の意志を継ぎ、ことし3月1日にレプリカを法隆寺に奉納した。映画を手がけたのは乾弘明監督。亡き中田は、小学校の時から奉公に出され、一代で財を成し、国宝を蘇らせることに情熱を傾けた。私はかつて中田からテレビ番組の制作依頼を受け、プロデューサーとして番組にかかわった。当時、中田はニトログリセンリンのペンダントを首から提げ、身振り手振りで夢を語ったものだった。映画の中で、俳優の三國連太郎の語りに、こころなしか中田の口調を感じ取ったのは私だけか。中田が三國に乗り移ったのか、ある種の執念めいた気迫をこの映画に感じた。

 上映の後、挨拶した映画プロデがューサー、益田祐美子は「7月の洞爺湖サミットでこの映画が上映されることがおととい(4月25日)決まりました」とうれしそうに話した。

⇒27日(日)夜・金沢の天気   はれ

☆食ありて~野点の風景

☆食ありて~野点の風景

 奥能登・珠洲市に古民家レストランと銘打っている店がある。確かに築110年という古民家には土蔵があり、その座敷で土地の郷土料理を味わう。過日訪れると、中庭で野点が催されていて、ご相伴にあずかった。

  花曇(はなぐもり)の天気の中、その野点の光景に見とれてしまった。モクレンの木の下でのお点前。モクレンの花の白さ、毛せんの赤がまぶしいのである。そして抹茶の緑を心ゆくまで堪能した。母親が点て、半東(はんとう)を長男がつとめる。聞けば、一家全員が茶の湯の心得がある。しかも、それぞれ流派が異なる。それでも家族でさりげなく野点ができる。「もてなしの文化」がこの家族にある。

  茶の湯をたしなむ人が心がける言葉に、「茶は常なり」というのがある。茶の湯というものは日常の暮らしからかけはなれたものではなく、まして世間の常識を超えないという心がけだ。だから派手な服装は控え、礼節を重んじ、相和すことを重んじる。そんな凛(りん)とした雰囲気が感じられる野点だった。

  茶の湯の後は、座敷に上がって花見弁当をいただく。メバルの姿焼きがメインデッシュ。焼きたての香ばしさが食欲を誘う。たけのこご飯、海藻(ギバサ)の味噌汁。このギバサはホンダワラ科アカモクのこと。この海藻のぬるぬる成分は、抗がん作用をもつとされるフコイダンという食物繊維。これだけでもなんと贅沢な食事かと思う。

  帰り際、ふと見ると玄関に珠洲焼のレリーフが飾ってあった。この家の主(あるじ)の作品という。テーマは「月の砂漠」。風紋のあしらい、月光に写るキャラバンの姿が印象深い。古民家レストランというよりミュージアム。「入場料」はしめて2000円、満足度は高い。

 ⇒14日(月)朝・金沢の天気   はれ

★食ありて~辺採物

★食ありて~辺採物

 食品偽装や中国食材の農薬混入など食をめぐる問題が次々と噴出している。そこで注目されいるのが地産地消という消費行動。口にするものは地域の顔の見える人がつくった、安心安全なものをという考え。能登に古くから「へんざいもん」という言葉がある。漢字で表記すると辺採物。近場で採れた野菜や魚のことを指す。かたちが整っていなかったりしたため、つい最近まで辺採物は地元の商店やスーパーでは敬遠されてきた。ところが、上記の食の問題でこの辺採物が見直されている。

ご 飯:すえひろ舞(コシヒカリ)
味噌汁:メカブ
揚げ物:サバの竜田揚げ
煮 物:ジャガイモ,ニンジン,タケノコ,シイタケ,キヌサヤ,卵,厚揚げ
ウドの天ぷら:ウド,ニンジン
イカの煮付け:イカ
葉ワサビの粕和え:葉ワサビ
アオサの佃煮:アオサ
青菜の辛し和え:青菜
干イワシ:イワシ
イモの茎の佃煮:イモの茎
ダイコンの酢の物:ダイコン,ニンジン,コンブ

  上記のメニューはすべて地元で取れた食材でそろえた郷土料理。ウドの天ぷらは季節感があふれている。ほのかに香ばしいような春の味である。地面から少し顔を出したばかりのウド。当地では「初物を食べると長生きする」と言い伝えがあり、有難味が出てくる。

  このメニューは能登半島・珠洲市で金沢大学が開設している「里山里海自然学校」(三井物産環境基金支援プロジェクト)の学食で提供される日替わり定食。日替わりといっても週1度、毎週土曜日に地域のNPOのメンバーが中心になって運営している「へんざいもん」という名の食堂だ。里山里海自然学校が行っている「奥能登の食文化プロジェクト」(食育事業)の一環で予約があれば提供してもらえる。地域の人による、地域の人のための、地域のレストラン。いわばコミュニティ・レストランなのである。メニューは定食で700円。

  地域の食は地域が賄う。もうそんな時代に入ってきたのかもしれない。へんざいもんでは、「けさ港にイカがたくさん揚がった」「ウドが顔を出した」など、それこそ新鮮な情報が会話の中で行き交っている。そして何より、ここで給食のサービスをしていただくご婦人たちの顔が生き生きとしている。

  この光景はかつて見たことがある。地域のお寺で毎月28日開かれていた「お講」である。親鸞上人の命日とされ、この日は海藻の炊き合わせや厚揚げなど精進料理が供された。幼いころ、米を1合だったか2合だったか定かではないが、持って行くとご相伴にあずかることができた。そして地域の人は会話を交わした。お寺がコミュニティの中心の一つとして存在感があった時代のことだが、いまでもこの伝統はまだ各地で生きているはずである。

  ファーストフードではなく、顔の見える手作り感を大切にしたスローフード。希薄となったコミュニティを食を通じて再生する。「へんざいもん」にはそんな試みが込められている。理由づけはともあれ、ここのお薦めは海藻がたっぷり入った味噌汁。いつもお代わりをいただく。 (※写真は4月5日のメニュー)

⇒10日(木)夜・金沢の天気   あめ

☆食ありて~星の「わけ」

☆食ありて~星の「わけ」

 過日、東京の知人に「星のついた店を紹介しますよ」と誘われた。レストランの格付けガイドブックとして知られる「ミシュランガイド東京」で一つ星がついたフランス料理の店だ。ブログで店の宣伝をするつもりはないのであえて店名は記さない。でも、なぜ星の栄誉を与えられたのか想像をたくましくしてしてみたい。

 ミシュランガイド東京に掲載されているレストランは150軒で、最も卓越した料理と評価される「三つ星」は8軒。「二つ星」は25軒、「一つ星」は117軒選ばれている。フランスやイタリア料理が多いのかと思いきや、ガイド全体では日本料理が6割を占めている。和食への評価が世界的に高まっていることがベースにあるのだろう。ちなみに、一つ星は「カテゴリーで特に美味しい料理」、二つ星は「遠回りしてでも訪れる価値がある素晴らしい料理」、三つ星は「そのために旅行する価値がある卓越した料理」の価値基準らしい。

 私が訪れた一つ星の店は、入り口がいたってシンプル。あの名画の名前を店名に付けているので、名画の複製を掲げるだけで看板となる=写真=。「リーズナブルな価格で最高のフランス料理を創造し、一人でも多くの方に本物を味わっていただきたい」とインターネットの公式ページで謳っているだけあって、ディナーのコースは6800円から。せっかく遠方からきたのでと、下から2番目の1万円のコースを注文した。

 ロケーションはJR東京駅の前にある丸の内ビルの36階なので、皇居も見渡せる。これだけでも随分と値打ちがある。前菜の紹介は省いて、メインディッシュは「和牛フィレ肉のグリエ わさび風味 山菜添え」。私はフランス料理を論評する言葉を持ち合わせてはいないが、ただ、和牛なのに食後のさっぱり感は新発見の食味だった。わさび風味のせいかとも思った。

 メインディッシュが終わり、星のついたレストラン物語はこれで終わりかと思いきや、実はここから物語の第二幕が開く。「お口直しのイチゴのシャーベットでございます」とまずは甘口モードに。そしてプレートに載って出てきたデザートは3種類、ボリュームがあって、甘みの世界にどっぷり浸ることになる。

 デザート攻めにあって、これで終わりかと思っていると、「お口直しのハーブティーでございます」と。ミント系のハーブティーだった。その後、コーヒーでコースは終了する。2時間半ほどの星のついたレストラン物語。「お口直しでございます」の言葉がこの物語の場面切り替えに上手に使われ印象深い。別の席では、オルゴールの「Happy Birthday」ソングが聞こえ、店員がろうそくを立てたケーキを運んで、おそらく親子連れの家族なのだろう客席の雰囲気を盛り上げている。

 店員の言葉使いと洗練された身のこなし、コースの演出、「リーズナブルな価格で最高のフランス料理を」のポリシーと実践、ロケーション、その星には「わけ」があった。ただ、一つ難を上げれば、じゅうたん敷きではないので客席の声が響く。それをうるさいと感じる人もいるだろう。

⇒6日(日)午後・金沢の天気   はれ

★食ありて~客が礼を言う店

★食ありて~客が礼を言う店

 たまに無性にラーメンが食べたくなるときがある。そんなときに出かけるラーメン屋が金沢市寺町にあるK店。この店で見る光景は普通のラーメンの店とは一風異なる。店内は飾りがなく、静かで落ち着いていて、客層は老紳士・淑女然としたお年寄りが多いのだ。

   この数年、われわれの身の回りのもので携帯電話とラーメンほど進化したものはない。さまざまな食味を追求したラーメン店が巷(ちまた)に看板を競っているが、K店は「自然派らーめん」と称している。無化調(無化学調味料のこと)を売りに、鶏をベースに鰹節、煮干、コンブの海産物からとった薄味のスープ。インパクトはなく優しい味わいで美味。ちじれ麺は足踏みだから腰がある。ちじれ麺にスープが絡んでいるのでのど越しがいい。

  さらに、私がこの店で食べたいのは、実はチャーシュー。燻煙の風味のする炭火焼きのチャーシューだ。地元産の豚モモ肉を使っている。炭火焼きチャーシュー麺を注文すると、麺鉢とチャーシュー皿が別々に盆に乗って出てくる。というのも、スープにチャーシューを入れると風味が損なわれ、硬くなるからだ。

  主人のM氏は「うちはラーメンではなく、中華そばの店」とこだわる。M氏のこだわりとは計算され尽くした食のプロセスにある。無化調のスープをちじれ麺でからませ、食感とのど越しを満足させる。炭火焼きチャーシューと麺鉢を分離するこでチャーシューの風味を守る。この緻密な計算式が狂うときがる。時折、臨時休業の貼り紙が。「腰痛で足踏み麺ができない」、「土佐の煮干が入荷しない」などの理由だ。客もそこは心得ていて、「納得いく中華そばがつくれないのであれば仕方ない」と文句は言わない。つくり手が満足しないのに、食べる人が満足する訳がないからだ。休業する理由も不思議なことに、顧客満足度を高めている。

 冒頭に述べた、この10数人にしか入れない小さなこの店にお年寄りが多いというのは凛(りん)とした店の雰囲気と清潔感、薄味といった、まるで「ラーメン界の料亭」といった趣きを醸し出しているからかもしれない。もう一つ、ほかの店と雰囲気が違う点がある。炭火焼きチャーシュー麺はチャーシュー3枚入り(950円)と5枚入り(1150円)の2種類。値段もそこそこ高い。でも、客がお金を払って、「ありがとうございました」とお礼を言っているのは、なんと客の方なのだ。レジのそばの席に座って観察してみるがいい。

 ⇒30日(日)夜・金沢の天気   あめ

☆能登半島地震、人々の1年

☆能登半島地震、人々の1年

 能登半島地震からあす25日で1周年を迎える。震度6強の揺れで人生と生活をすっかり変えられてしまった人々も多い。そんな被災者の生の声をつづった「住民の生活ニーズと復興への課題」というリポートがある。金沢大学能登半島地震学術調査部会の第2回報告会(3月8日)で提出されたものだ。その中からいくつか拾ってみる。

  今回の地震で被害がもっとも大きいとされた石川県輪島市門前町は住民のうち65歳以上が47%を占める過疎、高齢化が進む地区だ。持ち家がほとんで、外出時でも鍵をかけない。間取りが大きいので、クーラーなどのエアコンもそう必要ではない。そのような土地柄である。

 <避難所について>
・畳一畳分のスペースは狭い。
・狭くて、よく眠れなかった。人にぶつかる。踏まれる。
・配られた毛布はかぶるに重く、暖かくなかった。
・避難所に行かなかったので行政からの情報が何もなかった。

 <仮設住宅での生活について>
・エアコンが嫌いだから暑くて困る。
・浴槽のまたぎの部分の高さが高く、高齢者には不便。風呂の湯船が深すぎる。風呂の床が滑りやすい。お湯と水の調整が難しい。タクシーで風呂に入りに行く人もいる。
・内側から鍵をかけてしまうと外から誰も入れなくなってしまう。一人暮らしの人など心配。
・買わなくちゃいけないから野菜不足。
・お花がつくれなくなった。

<被災者支援制度について>
・制度が難しくて分からない。非常に制度が複雑。お年寄りにはわからない。疎外されているように思う。
・住宅応急修理制度は、仮設住宅に入ると利用することができない。自分で賃貸住宅に入って倒壊した建物を建て直すケースでは利用できる。しかし、田舎にはアパートが無い。神戸のような都会では機能しても田舎の輪島市では機能しないのではないか。

<これからの生活・地域の将来について>
・もう田んぼでは食べていくことも無理だし、若い人はこないだろう。
・若い人に帰ってきてほしいが、働くところがないのでどうしようもない。
・震災が起きて、一時的に外に住んでいる人も皆自分が生まれ育った地元に戻って来たいと思っている。お年寄りにとって住むところを変えられるということは死に値する。
・家再建のめどがついた人、つかない人、立場がバラバラなので、これからの生活のことや、地域の将来についてまとまって話しにくい。
・お宮さんの復興が大変だ。

⇒24日(月)夜・金沢の天気  はれ

★「玉虫厨子」復元に夢とロマン

★「玉虫厨子」復元に夢とロマン

 タマムシという昆虫をご存知だろうか。政治の世界に足を踏み入れたことがある人ならば、「玉虫色の決着」などという言葉を思い浮かべるだろう。タマムシの羽は光線の具合でいろいろな色に変わって見える。そこから、解釈のしようによってはどちらとも取れるあいまいな表現という意味に使われ、「玉虫色の改革案」などと新聞の政治面で見出しになったりする。でも、多くの人がタマムシと聞いて連想するのが法隆寺(奈良県斑鳩町)の国宝「玉虫厨子」だろう。その玉虫厨子を現代に蘇らせるプロジェクトが完成し、その制作過程を追ったドキュメンタリー映画が輪島市と金沢市で上映されることになった(3月16日付・北陸中日新聞)。

 玉虫厨子の復元プロジェクトを発案したのは岐阜県高山市にある造園会社「飛騨庭石」社長、中田金太さん(故人)だ。実は、私がテレビ局に在籍していた9年前、中田氏に依頼され、輪島塗にタマムシの羽を使った作品の数々を紹介するテレビ番組「蘇る玉虫の輝き」(60分)をプロデュースした。そのときの記憶はいまも鮮明だ。いくつかエピソードがある。

  タマムシの羽は硬い。鳥に食べられたタマムシは羽だけが残り、地上に落ちる。輪島塗の作品をつくるとなると絶対量が日本では到底確保できない。そこで中田氏は、昆虫学者を雇って東南アジアのジャングルで現地の人に拾い集めさせる。それを輪島に持ち込んで、レーザー光線のカッターで2㍉四方に切る。それを黄系、緑系、茶系などに分けて、一枚一枚漆器に貼っていく。江戸期の巨匠、尾形光琳がカキツバタを描いた「八橋の図」をモチーフにした六双屏風の大作もつくられた。大小30点余りの作品を仕上げるのに延べ2万人にも上る職人たちの手が入った。

  これらの作品は中田氏がオーナーの美術館「茶の湯の森」(高山市)で展示されている。東南アジアでタマムシの羽を拾い集め、輪島塗の工芸職人に制作させるという着想は中田氏のオリジナルだった。すべての工程をお金で換算すれば数億にも上る、まさに「玉虫工芸復活プロジェクト」だった。その着想の成功を得て、今回、中田氏の夢は玉虫厨子に帰結したのだった。

  新聞によると、2004年から玉虫厨子のレプリカと平成版玉虫厨子の2つが同時進行で制作された。制作は前回同様に輪島塗産地の蒔(まきえ)絵や宮大工、彫刻師らが携わった。しかし、当の中田氏は07年6月、完成を待たずして76歳で他界する。妻の秀子さんが故人の意志を継ぎ、ことし3月1日にレプリカを法隆寺に奉納した。映画を手がけたのは乾弘明監督。国宝の復刻に情熱を傾ける職人たちの苦悩や葛藤を描いた作品になったという。映画のタイトルは「蘇る玉虫厨子~時空を超えた『技』の継承~」(64分・平成プロジェクト製作)。俳優の三國連太郎らが出演と語りで登場する。小学校の時から奉公に出され、一代で何百億の財を成し、国宝を蘇らせることに情熱を傾けた男の夢とロマンだった。人は死すとも、名品は残る。

  上映会は4月26日(土)午後7時から輪島市文化会館、翌27日(日)午後2時から金沢市本多町のMROホールで。

 ⇒16日(日)夜・金沢の天気   はれ

☆バーチャルは悪の温床か

☆バーチャルは悪の温床か

  「かかってくる電話はセールスかオレオレ詐欺。電話は取りたくない」。こんな話を最近よく聞く。個人宅にかかってくる電話はまるで悪の温床のような言われ方だ。こんな状態が続けば早晩、個人が加入するNTTの固定電話はなくなる。そんな予感がする。

  15日の新聞各紙にこんな事件が報じられた。石川社会保険事務局は14日、野々市町の男性が約43万円の還付金詐欺の被害にあったと発表した。同事務局によると、12日午後1時半ごろ、男性方に「タナカ」と名乗る男から「過去5年間の医療費の返還金があり、昨年10月に案内のはがきを送った」と電話があった。男性がはがきを見ていないと答えると「返還金の期日が過ぎているのでATM(現金自動出入機)から振り込む」と言われたため、近くのATMに行った。そこで男から操作を指示され、口座から43万3097円を振り込んだという。手の込んだ、計算し尽された詐欺である。

  野々市町だけではない。全国で還付金をネタにした電話による詐欺が横行している。その被害はおそらく数億円に上っているだろう。こうなると「電話詐欺」は一つの産業である。誰でも簡単に参入できて、ビジネスモデルをつくればよい。交通事故の示談、還付金、痴漢の示談、架空請求詐欺、融資保証など。こんな素敵な商売はないと詐欺師たちはほくそ笑んでいることだろう。しかも、逮捕例をみると多くが20代や30代の若者である。

  もう固定電話は詐欺の温床なのである。固定電話は止めて、携帯電話にした方がまだましである。汗を流さず徒党を組んで悪知恵を働かせる社会。なんともいたたまれない思いだ。自然環境がCO2などで悪化しただけではない。社会環境も悪化していると実感する。電話だけでない。インターネットによる詐欺行為も目に余る。メールに何度も身に覚えのない料金請求をしてくる。そして、「裁判に訴える」と語気を強めて、数万円を振り込ませる。私の身の回りに驚くことに数人が振り込んだ経験者がいた。ということは日本全体でとてつもない金額だと想像する。

 もちろん日本だけではないだろうが、文明の利器といわれるモノに我々は自家中毒症状を起している。そして、風潮が「だまされるヤツが悪い」となっている。これはおかしい。これが人間が進化した発想だろうか、と思う。この延長線は、突き詰めれば「殺されたヤツが悪い」である。

  「こんな浅はかな文明やめよう」と異議を唱える人たちも出始めている。作家の柳田邦夫氏は「(テレビゲームは)手先の反射的動作ばかりが速くなり、前頭葉の中の、じっくり考えて判断したり、感情をコントロールしたりする部分がまるで発達しない」(著書「壊れる日本人」から)と訴えている。

 ⇒15日(土)夜・金沢の天気  はれ

★袋かけシイタケの話

★袋かけシイタケの話

 大きさをたとえればアンパンぐらい。バターの炒め焼きは新感覚の味。キノコ一個一個にビニール袋をかけ、まさに手塩にかけて育てるから1個500円もする。キノコは菌で育まれるので栽培過程で農薬や化学肥料は必要ない。自然の食材として見直されている。

  先日、能登半島の先端・珠洲市にあるシイタケ栽培農家、奥野弘吉さんを訪ねた。「袋かけシイタケをやっている」という話を何人かから聞き、興味がわいた。奥野さんはシイタケ栽培のほか農家民宿も経営していて、その名称も「しいたけ小屋・ひろ吉」。さっそく針葉樹の林にある栽培フィールドを見せてもらった。

 コナラやアベマキなどの原木を市内の林業家から調達して、シイタケ菌を植える。その植える菌は「115」と呼ばれる、(財)日本きのこセンター (鳥取市)が開発した「菌興(きんこう)115号」。親指ほどに成長したシイタケにビニール袋をかけ、ピン止めする。袋の中で直径11センチ、厚さ3センチほどに育つ。見た感じは前述したアンパンぐらいの大きさ。袋をかける意味合いは、雨に打たれ色が黒ずむのを防ぐ。そして、頭の傘の部分に白い線が入っていて亀甲模様のようになる。肉厚のことを「どんこ」と言い、頭が白いので「天白どんこ」とこの業界では言うそうだ。誰が考案した名称か知らないが、いかにも高級感が漂う。そして、市場価格はぐんと跳ね上がるのだ。

 奥野さんに頼んで、この115の天白どんこを食させてもらった。バターで焼いてステーキに。緻密でみっちりと詰まった肉質。ステーキや網焼にしても焼き縮むことはない。切り口はツルンと滑らか。しかも、確かな食感、噛むたびに香りのエッセンスが口中にほとばしる。

  シイタケのほだ木のオーナー制度を取り入れていて、5本で8000円。どんこのシイタケを収穫して、宅送りもしてくれる。このほだ木は4年ほどでシイタケが出なくなる。もう終わりかと隅っこに移動するとまた出る可能性もある。「どうやら菌はひっくり返しを好むようだ」(奥野さん)

 余談かもしれないが、「袋かけシイタケ」というのはちょっと舌が回りにくい。マスクメロンをもじって「マスクしいたけ」、あるいは「袋茸」などというネーミングが必要だと思う。115を使ったブランド名は鳥取県では「茸王」、岡山県では「茸太郎」と名づけている。岡山の場合、「桃太郎」伝説からヒントを得たのだろう。で、能登の場合は「のと天白」、あるいは「F(エフ)茸」はどうだろう。「F」というアルファベットが能登半島とかたちが似ていることから当地で使われ始めている。 ちょっと舌足らずか…。

⇒12日(水)朝・金沢の天気   はれ

☆メディア縦乱‐6

☆メディア縦乱‐6

 04年3月31日、東京ドームで行われたアメリカ大リーグ、ヤンキース対デビルレイズの第2戦(3月31日)、松井秀喜選手は2番レフトでスタメン出場して、タイムリーとホームランで3打点。第1戦でもいきなり公式戦、初安打を飾った。大リーグの公式戦というステージも松井選手の活躍ぶりも鮮烈だった。あれから4年。日本時間の今月7日、松井選手がレジェンズ・フィールドのロッカールームで水漏れ事故に遭遇したとのニュースが流れていた。右ひざや首が治りかけたところに、今度は“災難”に見舞われたかっこうだ。

        松井選手にふりかかる「不運」    

  スプリンクラーか水道管が破裂。ロッカールームが水浸しになった。たまたま松井選手が残っていて被害に遭った。右ひざのリハビリが進むと首痛、首痛の治りかけに今度は水難。見方によれば、不運続きだ。「故障持ち」のレッテルが貼られた上に、今度は「不運なヤツ」という新たなレッテルが貼られそうである。

  現地では松井選手の賞味期限はとっくに終わっているのではないだろうか。本来メディアは辛らつである。一度イメージがおかしくなると、手の平を返したような態度に出るものだ。前サッカー日本代表監督、イビチャ・オシム氏はかついてこう述べていた。「若い選手が少し良いプレーをしたらメディアは書き立てる。でも少し調子が落ちて来たら一切書かない。するとその選手は一気に駄目になっていく。彼の人生にはトラウマが残るが、メディアは責任を取らない」

  松井選手の理解者といわれたジョー・トーリ監督が辞めてから、松井選手はチームでは“箱入り”ではなくなった。オーナーのスタインブレナー氏は造船会社を経営し、シビアなビジネス感覚の持ち主といわれる。おそらく、フロントに対し、松井選手の今季の可能性を数字化して出せ、と命じているに違いない。年俸と試合出場数、ホームラン数などで予測し、数字が悪ければペナントレース前にチームから外される可能性だってある。日本のように負傷を公傷扱いにしないのが大リーグ流とされる。勝ったか負けたか、打ったか打てなかったのかが基準。アメリカ流の考えが徹底されているのが大リーグといえる。

  日本のメディアは松井選手を温かく見守っているのだが、果たして現地アメリカの評価はどうなのか。松井選手を高校野球時代から見つめてきたので、その方がむしろ気になる。

  最後に、オーナーのスタインブレナー氏のことを鬼のように書いたが、03年秋、大リーグで松井選手が最優秀新人賞(新人王)を獲得する資格があるかどうかと問題になったとき、「日本で10年もプレーした松井選手には新人王の資格はないのでは」と疑問を投げかけたデビルレイズのピネラ監督に対し、スタインブレナー氏は「松井は新人王に値する。松井は紳士で、成績(通算打点106)もこの上ない」とオーナー自らが松井バッシングの矢面に立って反論した。「BOSS RIPS PINIELLA FOR MATSUI BASH」(03年9月25日付・ニューヨーク・ポスト紙)。なかなか選手思いの一面もある。

 ⇒8日(土)夜・金沢の天気    はれ