☆上勝 奇跡の葉っぱ-下-
上勝町に宿泊して一番美味と感じたのは「かみカツ」だった。豚カツではない。地場産品の肉厚のシイタケをカツで揚げたものだ。上勝の地名とひっかけたネーミングなのだが、この「かみカツ丼」=写真=がお吸い物付きで800円。シイタケがかつ丼に化けるのである。こんなアイデアがこの地では次々と生まれている。全国的に上勝町といってもまだ知名度は低いが、「葉っぱビジネス」なら知名度は抜群だ。このビジネスはいろいろ考えさせてくれる。女性や高齢年齢層の住民を組織し、生きがいを与えるということ。「つま物」を農産物と同等扱いで農協を通じて全国に流通するとうこと。ビジネスの仕組みを創り上げたこと。たとえば、注文から出荷までの時間が非常に短い。畑に木を植えて収穫する。山に入って見つけていたのでは時間のロスが多いからだ。ただし、市場原理でいえば、つま物の需要が高くなって価格が跳ね上がることはありえないだろう。
過疎地における公共とは何か、何をしなければならないのか
上勝は葉っぱビジネスだけではない。バイオマスエネルギーにも取り組んでいる。上勝町の面積の89%が森林。この資源を有効利用するため、間伐材などの未利用の木材をチップ化して燃料にしている。町の宿泊施設「月ヶ谷温泉・月の宿」ではこれまでの重油ボイラーに替えて、ド
イツ製の木質チップボイラーを導入し、温泉や暖房設備に利用している=写真=。重油ボイラーは補助的に使っている。木質チップは1日約1.2トン使われ、すべて同町産でまかなわれている。チップ製造者の販売価格はチップ1t当たり16,000円。重油を使っていたころに比べ、3分の2程度のコストで済む。町内では薪(まき)燃料の供給システムのほか、都市在住の薪ストーブユーザーへ薪を供給することも試みている。地域内で燃料を供給する仕組みを構築することで、化石燃料の使用削減によるCO2排出抑制を図り、地域経済も好循環するまちづくりを目指している。さらに、森林の管理と整備が進むことになり、イノシシなどの獣害対策にもなる。
上勝ではさらに再生可能エネルギーの開発を進めている。風力、小水力、バイオマスの三本柱。最大の課題は経済性という。風力は初期投資が大きいので、どのように資金調達をし、どう返済していくか。水力は風と違って変動が小さいが、渇水期もあるので、季節による水量と発電量を推測し、そこから収益可能性を考えていくというシュミレーションは今後の課題としてあるようだ。さらに、土石流でこわれた場合にはどうするかなど。風力発電は地権者との話し合い、土地の境界確定も必要となる。小水力についても、地元との水利権の交渉も必要となる。そして、再生可能エネルギーが開発されたとしても、これだけでは上勝の特徴は出ない。エネルギー事業に観光ビジネスをかみ合わせて、多様な雇用・収入源を得ていく。地域が生き残っていくための仕組みづくりをどう構築するか、だ。これが、葉っぱビジネスから再生可能エネルギーへの上勝の次なるステップなのだろう。
上勝町を視察して思うことは、過疎地における公共とは何か、何をしなければならないのかということだ。人々の生きがい、経済の活性化、移住で若者人口を増やすなど取り組むべき課題はいくつもある。これを突き詰めていくと、採算が困難な事業分野で、いかに経済と調整して事業を進めるのかということになる。そうしないと持続可能ではないからだ。その解は、単独ではできないので、他と連携していく、外需へのアプローチということになる。これを横石氏は「ハブとスポークの発想」にたとえた。いかに広げ、域内に人を呼び込むか、共感を得るか、だ。これにまい進する上勝の人々の努力を讃えたい、そして見習いたい。
⇒3日(土)朝・金沢の天気 くもり
事を創るという発想に乏しい。日本全体がチャレンジ性が薄まっている中、受け身型になっていると常々考えている。事業をすることで地域が活性化し、社会貢献の意識があっても事業性がなければ継続しない。しかし、社会貢献をしようという若者を受け入れることは大いにプラスである。それはなぜか、現代は「役割ビジネス」だと思うからだ。
29日朝、徳島県の山間部にある上勝町(かみかつちょう)は雪だった=写真=。28日夜からの寒波のせいで積雪は5㌢ほどだが、まるで水墨画のような光景である。ただ、土地の人達にとって、この寒波は31年前の出来事を思い起こさせたことだろう。1981年2月2月、マイナス13度という異常寒波が谷あいの上勝地区を襲い、ほとんどのミカンの木が枯死した。当時、主な産物であった木材や温州みかんは輸入自由化や産地間競争が激しく、伸び悩んでいた。売上は約半分にまで減少し、上勝の農業は打撃を受けていた。そこへ追い打ちをかけるように強力な寒波が襲ったのだ。主力農産品を失って過疎化に拍車がかかった。若年人口が流出し、1950年に6356人あった上勝町の人口は一気に減り、2011年には1890人にまで低下した。高齢化率は49%となった。人口の半分が65歳以上の超高齢化社会がやってきた。
のつま物として商品化したもの。山あいの村では自生しているが、市場出荷が本格的になるにつれ、栽培も盛んに行われるようになった。採取は掘り起こしたり、機械を用いない。しかも、野菜などと比べて軽くて小さいので高齢者には打ってつけの仕事なのである。懐石料理など日本食には欠かせない、このつま物はこれまで店が近くの農家と契約したり、料理人が山に取りに行ったりすることが多かった。これを市場参入させたのが当時、農協の営農指導担当だった横石知二氏(1958年生)=写真=だった。
著書の中で興味深い下りがある。「地震情報が、いわゆる『予言』に近い情報から、純粋科学情報に移行しつつあった時代だったのだが、行政も企業も『予言時代』そのままの対応をしたのであった」「市民は、家具の固定といった、きわめて狭い範囲の防衛策であったとはいえ、生活レベルでの対応を始める兆しがみえるが、行政、企業は、そうした具体的防御策への想像力を全く欠いていた」。これは阪神・大震災(1995年1月17日)が起きる10日前に神戸新聞の一面で報じていた、当時兵庫県猪名川町で続発していた群発地震に触れ「いつM7級の大地震が起きても不思議ではない」との専門家の見方を警告として発していたものだ。しかし、パブル経済の崩壊で行政も企業も内需拡大策、開発に神経を集中していた。むしろ、この記事に反応していたのは市民だったという。
けさ(17日)は金沢の自宅周辺でも30㌢の積雪となった。2月2日以来、2週間ぶりの銀世界だ。ただ寒気が少々緩く、雪が融け始めている。屋根から雨だれがパラパラと落ちる。早朝から「雪すかし」(除雪のこと)だ。この季節、スコップで道路を除雪すると響く、ザッ、ザッッという音を耳にすると北陸の人は居ても立ってもいられなくなる。「お隣さんが雪すかしを始めた。我が家もしなければ」と、寝ていても目覚めるのだ。そして誰かが始めて30分もすると、近所中で雪すかしをしている光景が見られるようになる。簡単に近所同士で挨拶はするが、皆黙々と除雪を進める。雪すかしには、決まりや町の会則というものがあるわけではない。あたかも、DNAが目覚めるがごとくその行動は始まるのだ。
原発だけでなく、高層ビルもまた進化する災害(=文明のパラドックス的逆襲)になりうる。2月13日放送のNHK「クローズアップ現代」でも紹介されたように、東日本大震災では、震源から遠い場所(大阪など)にある高層ビルが大きく揺れたり、同じ敷地にありながら特定の建物だけに被害が出たりするなどの不可解な現象が起きたのだ。原因は、建物と地盤の「固有周期」が一致することで起きた「共振現象」と見られている。事例として紹介されていた、震源から770㌔離れた大阪府の咲州庁舎(地上55階地下3階、高さ256㍍)の揺れ幅は3㍍にも。そのとき大阪府は震度3だった。1995年の阪神淡路大震災では、街中を走る阪神高速道路の高架橋が橋脚ごと横倒しとなった。
さらに、能登にはUFO伝説がある。羽咋市に伝わる昔話の中にある「そうちぼん伝説」がそれ。そうちぼんとは、仏教で使われる仏具のことで、楽器のシンバルのような形をしている。伝説は、そうちぼんが同市の北部にある眉丈山(びじょうざん)の中腹を夜に怪火を発して飛んでいたというのだ。この眉丈山の辺りには、「ナベが空から降ってきて人をさらう」神隠し伝説も残っているという。同市の正覚院という寺の『気多古縁起』という巻物にも、神力自在に飛ぶ物体が登場する(宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」のホームページより)。
シンポジウム参加のため、冬の帯広にやって来た。帯広畜産大学と帯広市が主催する「第5回十勝アグリバイオ産業創出のための人材育成シンポジウム~十勝の『食』を支える人づくり~フードバレーとかちのさらなる前進を目指して~」(1月26日、ホテル日航ノースランド帯広)。シンポジウムの講評をお願いしたいと依頼があり、引き受けた。帯広畜産大学は帯広市と連携して、平成19年度から5年計画で「地域再生のための人材養成」のプログラム「十勝アグリバイオ産業創出のための人材育成事業」を実施している。社会人を対象に、十勝地方で産する農畜産物に付加価値の高い製品を産み出す人材を養成しようと取り組んでいる。今回のシンポジウムはいわばこの5年間のまとめのシンポジウムでもある。帯広市(人口16万)を中心とする十勝地方(19市町村)の農業産出額は北海道全体の4分の1を占め、一戸あたりの農家の平均耕作面積は40㌶に及び、全体でも26万㌶、全国の耕地の5%に相当する。食料自給率は1100%、小麦やスイートコーン、長芋などは全国トップクラスの生産量を誇る。年間2000時間を超える日照時間も強みだ。帯広畜産大学の取り組みはこうした恵まれた環境に甘んじることなく、「さらに十勝の農力を伸ばせ」と人づくりにチカラを注いでいる。
世界遺産でもあるイフガオの棚田でブランド米と呼ばれるのが、「WONDER」の米。赤米で、粒が日本のジャポニカ米と似てどちらかといえば丸い。値段は1㌔100ペソ。マニラのマーケットでは米は1㌔35ペソから40ペソなので、ざっと3倍くらいの値段だ。この米をアメリカのNGOなどが買い付けてイフガオの棚田耕作者の支援に動いているという。もう一つ、「棚田米ワイン」も味わった。甘い味でのど越しが粘つく。アルコール度数は表示されてなかったが25~30度くらいはありそうだ。ブタ肉のバーベキューと合いそうだ。イフガオでは棚田米に付加価値をつけて販売する動き出ているのだ。こうした取り組みが一つ、また一つと成功することを願う。
ちの田から心が離れてしまっていることではないかという印象を受けたのですが、そういう解釈でよいか」と質問を投げた。
いまでもイフガオ族には一神教には違和感を持つ人が多いといわれる。コメに木に神が宿る「八百万の神」を信じるイフガオ族にとって、一神教は受け入れ難い。一方で、それゆえに少数民族が住む小中学校では、欧米の思想をベースとした文明化の教育、「エデュケーション(Education)」が徹底されてきた。今回の訪問では、14日に現地イフガオ州立大学で世界農業遺産(GIAHS)をテーマにしたフォラーム「世界農業遺産GIAHSとフィリピン・イフガオ棚田:現状・課題・発展性」(金沢大学、フィリピン大学、イフガオ州立大学主催)を開催したが、発表者からはこのクリスチャニティとエデュケーションの言葉が多く出てきた。どんな場面で出てくるのかというと、「イフガオの若い人たちが棚田の農業に従事したがらず、耕作放棄が増えるのは特にエデュケーション、そしてクリスチャニティに起因するのではないか」と。
られたとされる棚田は「天国への階段」とも呼ばれ、イフガオ族が神への捧げものとして造ったとの神話があるという。村々の様子はまるで、私が物心ついた、50年前の奥能登の農村の光景である。男の子は青ばなを垂らして鬼ごっこに興じている。女子はたらいと板で洗濯をしている。赤ん坊をおんぶしながら。車が通ると車道に木の枝を置き、タイヤが踏むバキッという音を楽しんいる子がいる。家はどこも掘っ建て小屋のようで、中にはおらくそ3世代の大家族が暮らしている。ニワトリは放し飼いでエサをついばんでいる。器用にガケに登るニワトリもいる。七面鳥も放し飼い、ヤギも。家族の様子、動物たちの様子は冒頭に述べた「昭和30年代の明るい農村」なのだ。イフガオの今の光景である。
つぶさにその様子を観察していると一つだけ気になることがあった。人と犬の関係が離れている。子供の後をついてきたり、子供が犬を抱きかかえたり、「人の友は犬」という光景ではないのだ。今回の訪問に同行してくれた、イフガオの農村を研究しているA氏にそのことを尋ねると、こともなげに「イフガオでは犬も家畜なんですよ。それが理由ですかね…」と答えた。人という友を失ったせいか、その運命を悟っているのか、犬たちに元気がない、そしてどれも痩せている。気のせいか。