☆アメリカで有名な社説

☆アメリカで有名な社説

 新聞の役割について論じるとき、優しい眼差しや人間味、大局観というものがある。これを読者が敏感に感じてファンになる。私の知り合いは、1969年7月、アポロ11号が月面に到着し、アームストロング船長が降り立ったときの新聞記事で「地球人が月に立った」の一行に衝撃を受け、それ以来、新聞の切り抜きをしている。「地球人」という言葉の新鮮さと大局観に、「世界を読み解こう」という感性のスイッチが入った。

 アメリカで一番有名な社説というのがある。取り上げるタイミングとしては少々遅きに失したが、「サンタはいるの」という8歳の女の子の質問に答えた社説だ。1897年9月、アメリカの新聞ニューヨーク・サンに掲載され、その後、目に見えないけれども心に確かに存在し、それを信じる心を持つことの尊さを説いた社説と評価され、掲載されてから110年余り経った今でも、クリスマスの時期になると世界中で語り継がれている。その社説を掲載する。
                ◇
 「じつはね、ヴァージニア(※投書の女の子の名前)、サンタクロースはいるんだ。愛とか思いやりとかいたわりとかがちゃんとあるように、サンタクロースもちゃんといるし、愛もサンタクロースも、ぼくらにかがやきをあたえてくれる。もしサンタクロースがいなかったら、ものすごくさみしい世の中になってしまう。ヴァージニアみたいな子がこの世にいなくなるくらい、ものすごくさみしいことなんだ。サンタクロースがいなかったら、むじゃきな子どもの心も、詩のたのしむ心も、人を好きって思う心も、ぜんぶなくなってしまう。みんな、何を見たっておもしろくなくなるだろうし、世界をたのしくしてくれる子どもたちの笑顔も、きえてなくなってしまうだろう。・・・中略・・・サンタクロースはいない? いいや、ずっと、いつまでもいる。ヴァージニア、何千年、いやあと十万年たっても、サンタクロースはずっと、子どもたちの心を、わくわくさせてくれると思うよ。」(訳:大久保ゆう、青空文庫)
                                    ◇
 新聞には社会の木鐸(ぼくたく)であらねばならないと自ら任じ、調査報道や現場主義の取材で真実に迫る気迫が必要であることはいうまでもない。一方で、上記のサンタの社説のようにヒューマンで、普遍的な価値を伝えるというチカラも必要なのだろう。人々の心の扉を開かせる、そんなジャーナリズムであってほしいと願っている。

⇒27日(日)夜・金沢の天気 くもり 

★冬訪ねる兼六園

★冬訪ねる兼六園

 雪の兼六園は別世界に思える。雪という白色が庭園を彩るからだ。名木・唐崎の松の雪つり=写真=はパラソルをさしたように見え、霞が池の水面に映える。兼六園の心象風景は季節ごとに異なるのだ。

 こうした兼六園の心象風景の原点には6つのファクターがある。寛政の改革で有名な松平定信は老中職を失脚した後、白河楽翁と名乗って築庭に没頭したといわれる。その薀蓄(うんちく)から、定信が中国・宋の詩人、李格非の書いた『洛陽名園記』(中国の名園を解説した書)の中に、名園の資格として宏大(こうだい)、幽邃(ゆうすい)、人力(じんりょく)、蒼古(そうこ)、水泉(すいせん)、眺望(ちょうぼう)の6つの景観、すなわち六勝を兼ね備えていることと記されていたのにヒントを得て「兼六園」と名付けたと伝えられている。

  6つのファクターに加え、代々の加賀藩主は色や形の違いにこだわった。兼六園の原形ともいえる蓮池庭(れんちてい)を造った五代・綱紀(1643-1724年)には、園内に66枚の田を作り、全国で品質がよいとされる米を試験栽培させたというエピソードがある。代々の藩主の収集好きは兼六園の植物にも及び、たとえば桜だけでも20種410本も集めた。一重桜、八重桜、菊桜と花弁の数によって分けられている桜。中でも「国宝級」は曲水の千歳橋近くにある兼六園菊桜(けんろくえんきくざくら)である。学名にもなっている。「国宝級」というのも、国の天然記念物に指定されていた初代の兼六園菊桜(樹齢250年)は1970年に枯れ、現在あるのは接ぎ木によって生まれた二代目である。兼六園菊桜の見事さは、花弁が300枚にもなる生命力、咲き始めから散るまでに3度色を変える華やかさ、そして花が柄ごと散る潔さである。兼六園の桜の季節を200本のヨメイヨシノが一気に盛り上げ、兼六園菊桜が晩春を締めくくる。桜にも役どころというものがある。

  こうした名園のこだわりは現在も引き継がれている。季節の花の眺めがすばらしいことから名前がついた木橋の花見橋(はなみばし)。川底の玉石をなでるように緩やかに流れる曲水は多くの人々を魅了する。ゆったりと優雅に流れるようにと、毎秒800㍑の水が流れるように水量を一定にしている。計算づくなのである。しかも、サギやカモなどの鳥が来て足で水を濁さないように、上流では目立たないように水面の上に糸を張って予防線をつくっている。鏡のような川面を演出するために2つの工夫がある。

  兼六園を訪れたきのう24日、兼六園の樹木には冬芽が出て、春の出番を待っていた。「冬来たりなば春遠からじ」(イギリスの詩人シェリー『西風に寄せる歌』より)

 ⇒25日(金)朝・金沢の天気  はれ

☆米国版メディア・スクラム

☆米国版メディア・スクラム

 日本のマスメディアの取材手法を否定的に表現する言葉として「メディアスクラム(media scrum)」がある。メディアスクラムとは、テレビ局や新聞社、雑誌社の記者やカメランが大人数で取材に押しかけること。集団的過熱取材ともいう。「横並び取材、みんなで渡れば怖くない、そんな日本的な取材手法」と説明できる。どうやらアメリカでも同じ現象が起きているようだ。ゴルフ界のスーパースター、タイガー・ウッズの不倫騒動を巡る報道が過熱している。

  新聞各紙やテレビのニュースをまとめる。11月27日、フロリダ・オーランドの自宅前でウッズが乗用車で自損事故を起こし重傷との一報を、地元テレビ局が報じた(11月27日)。スーパースターのけが。マイケル・ジャクソンの急逝も記憶に新しいアメリカでは、国民の関心が一気にウッズに集中したのも無理はない。ウッズは顔面に軽い傷を負った程度で、病院で手当して帰宅したが、ウッズの退院後の姿を取材しようと、「ゲートコミュニティ」と呼ばれる塀で囲まれた高級住宅街のメインゲートにはテレビ中継用のSNG(Satellite News Gathering)車がずらりと並んた。このSNG車はカメラで撮影した素材(映像と音声)を電波として通信衛星を経由させ、本局に伝送する装置を搭載していて、パラボラアンテナが付いている。つまり、「おわん」の付いた車が横一列に並ぶ、日本のニュース現場ではおなじみの光景がオーランドでも再現されたのである。

  ウッズは姿を現さず、おそらくゲートコミュニティの住民からのクレームもあったのだろう、おわん付きの車は徐々に減っていった。ところが、その自損事故の原因がウッズの不倫を巡る夫婦げんかと一部で報じられ、報道合戦が再燃した。今度はスキャンダル専門のタブロイド紙などもこれに参戦してきた。ここがアメリカの面白いところで、「私が不倫相手」と称する女性が次々と10人以上も名乗り出ている。ここまで過熱したのは、超有名人という一方、ウッズは慈善事業に熱心な模範市民というイメージが定着していて、それが覆った。その落差感がさらに国民の関心を引き付けたのだろう。

  日本の取材ならば、ここで新聞とテレビそれぞれのメディアのまとまって話し合い、ウッズ側の代理人と交渉し記者会見を設定するという「手だれた」手法を用いる。が、独立独歩の取材でスクープを身上とするアメリカのメディアには「一致団結して、ウッズを会見に引っ張り出そう」という雰囲気が取材現場にないだろう。

  ともあれ、ウッズのスキャンダル報道から感じることは、経済の閉塞感に覆われたアメリカ国内の関心事が内向き、あるいは「巣ごもり」状態になっているのではないか、と。

 ⇒23日(水)夜・金沢の天気  くもり   

★ベートーベンの響き

★ベートーベンの響き

 おそらく日本人ほど「第九」が好きな民族はいない。その曲をつくった偉大な作曲家ベートーベンを産んだドイツでも第九は国家的なイベントなどで披露される程度の頻度なのだ。それを日本人は年に160回ほどこなしているとのデータ(クラシック音楽情報サイト「ぶらあぼ」調べ)がある。これは世界の奇観であろう。

  年末になると指揮者の岩城宏之さん(故人)=写真・上=を偉業を思い出す。2004年と2005年の大晦日にベートーベンのシンフォニーを一番から九番まで一晩で演奏した人である。世界で初めて、しかも2年連続である。それはCS放送「スカイ・A」で生中継、05年のときはインターネットでもライブ配信された。私は放送と配信の仕掛けづくりに携わった。

  意外な反響があった。そのCS放送を、帰国した野球の松井秀喜選手が自宅で見ていて、「(岩城さんは)すごいことに挑戦しているいる」と思ったという。また、当時岩城さんもニューヨークヤンキーズで活躍する松井選手に手紙を出すほどのファンになった。そして、岩城さんはオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の演奏で応援歌をつくり、世界へ発信する構想を温めていた。「ニューヨークで歌っても様になるように」と、歌詞は簡単な英語のフレーズを含むことも考えていた。この2人は会うことなく、06年6月に岩城さんは他界した。応援歌構想の遺志は引き継がれ、宮川彬良(須貝美希原作、響敏也作詞)/松井秀喜公式応援歌『栄光(ひかり)の道』とうカタチになった。曲の中の「Go、Go、Go、Go! マツイ…」というサビの部分は松井選手が出番になるとヤンキー・スタジアムに響いたのだった。

  話は岩城さんのベートーベン全交響曲演奏に戻る。このときは演奏者はN響メンバーを中心にOEKメンバーも加わった混成チーム「岩城オーケストラ」だった。指揮者も演奏者たちも、そしてその挑戦者たちを見届けようとする観客も一体となった、ある種の緊張感が会場に張り詰めていた。そして元旦を向かえ第九が終わるとスタンディングオベーション(満場総立ち)の嵐となったのは言うまでもない=写真・下、06年1月1日、東京芸術劇場=。岩城さんは演奏を終えてこう言った。「ベートーベンのシンフォニーは一番から九番までが巨大な一曲。だから全曲を一度で聴くことに価値がある」と。今にして思えば凄みのある言葉である。

  松井選手がことし11月、ワールドシリーズ第6戦で2ラン、6打点をたたきだしてヤンキースを優勝に導き、MVP(最優秀選手)に耀いたときのニューヨーク市民の歓喜の嵐と、岩城さんのベートーベン演奏のスタンディングオベーションが、私には今でも重なって聞こえる。

⇒22日(火)夜・金沢の天気  くもり

☆北極振動

☆北極振動

 06年1月22日、イタリア出張を終え、ミラノ・マルペンサ空港から飛び立ち、シベリア上空を経由して成田空港で降りる便でのこと。機内からシベリアの雪原をカメラ撮影した。詳しい緯度経度は調べずに撮影したので、シベリアのどこか、地名などは定かではない。ただ、蛇行する河が凍てついていて=写真=、見ただけでシベリアの厳冬に身震いしたことを覚えている。その年の冬は日本海側も寒冬となり、記録的豪雪だった。シベリアの寒波をそのまま日本海側にもたらした現象は「北極振動」と呼ばれた。その北極振動がことしも世界各地に豪雪を。

 アメリカ東部を覆った強い寒気。ワシントンでは吹雪が止まず、バスや鉄道はほぼすべてが運行停止になった(18日)。ワシントンに隣接するバージニア州では、積雪最大56㌢が予想されたことから、非常事態宣言が出された。ヨーロッパ各地では、寒さの影響でヨーロッパ大陸とイギリスを結ぶ高速鉄道「ユーロスター」の4つの便がトンネル内で相次いで故障して立ち往生し、2500人の乗客が一時閉じ込められた。氷点下のフランス側から比較的暖かいトンネルに入った時に生じた温度差が故障の原因らしい。

 ウィキペディア(Wikipedia)などによると、北極振動が起きる原因はこうだ。北極を中心を周回するようにジェット気流が流れている。このジェット気流の北極側に冷たい寒気が控えているが、何らかの理由でこのジェット気流が南側に蛇行することがある。すると寒気もジェット気流に沿って南下する。このブレを「北極振動」と呼ぶ。ジェット気流が北アメリカ大陸の上空で南へ蛇行すれば北アメリカが強い寒気に襲われ、ヨーロッパの上空で起これば、ヨーロッパが寒気に見舞われ大雪になる。その現象がいま日本海側で起きている。

 ところで、ことし4月に読んだ赤祖父俊一著『正しく知る地球温暖化』(誠文堂新光社)によると、いまの地球温暖化は人類が関与するところの少ない地球の気候変動の一環であり、現在は1400~1800年の小氷河期からの回復期にあるためだとしている。つまり、江戸時代などは前は今より寒かった。そして、北極振動もブレにブレて頻繁に寒気が南下していたらしい。ロンドンのテムズ川も凍てついて、スケートができたという。歌川広重の出世作「東海道五十三次」で蒲原(静岡市清水区)を描いた「雪之夜」があるように、かつては雪の名所だったのかもしれない。

 北極振動は一説に太陽活動との連動が言われている。そうなると、我々人類にはなす術(すべ)がない。気象はコントロールが効かない。

⇒21日(月)夜・金沢の天気 雪

★身構える冬~下~

★身構える冬~下~

 雪が降ると人々の活動は止まる…。そう思っている人は案外多いかも知れない。「こんな雪の寒いに日に、風邪を引いたら大変」「駐車場が雪に埋もれていて、会場に行けないのでは」など。ただ、雪国では、雪が降ったからそれだけでイベントが中止になったとか、学校が休みになったとか、議会が流れたとか、センター試験が中止になったという話を聞いたことがない。むしろ、鉄道やバスといった公共交通機関が雪でストップしたので中止ということはままある。雪国では雪が降って当たり前、つまり日常なのである。このブログのシリーズの最後は「積雪と人の集まり」をテーマに綴ってみたい。

 きのう(19日)、金沢大学と能美市が主催する「タウンミーティングin能美」が開催された。会場は同市辰口にある石川ハイテイク交流センターで、丘陵地にあり、積雪は30㌢ほどあった=写真=。それでも、参加登録者150人のうち、欠席はおよそ10人だった。これは歩留まりから考えて想定内の数字だ。つまり晴れていてもこの程度は欠席率があるものだ。タウンミーティングは、地域との対話を通じて連携を探るため、金沢大学が平成14年(2002)から石川県内で毎年連続して開催しており、今回で9回目。雪のタウンミーティングも始めての経験だった。

 自然現象と人の集会という点では、印象に残るシンポジウムがある。昨年(08年)1月26日、能登半島をトキが生息できるような環境に再生することをめざしたシンポジウム「里地里山の生物多様性保全~能登半島にトキが舞う日をめざして~」を輪島市の能登空港で開いた。この日は能登も金沢も30㌢ほどの積雪があり、さらに能登半島地震の余震と思われる大きな揺れが午前4時33分にあった。震度5弱。それでも開会の午前10時30分には当初予想の150人を超えて180人の参加があり、スタッフは会場の増設に慌てた。

 トキのシンポジウムのスピーカーは兵庫県立コウノトリの郷公園 の池田啓研究部長が「コウノトリ野生復帰に向けた豊岡での取り組み」と題して、50年にわたる豊岡市の先進事例を紹介した。また、佐渡でトキの野生復帰計画に携わっている新潟大学の本間航介准教授が「トキが生息できる里山とは-佐渡と能登、中国の比較」をテーマに講演した。能登半島が本州最後の一羽のトキが生息した地域であることから、トキに対する関心はもともと高い。

 人々が集まるか、集まらないのかの行動原理は、少々の気象条件には左右されない、むしろ関心が高いのか低いのかが要因だろう。参加者にすれば、「雪の日だったけれど、参加してよかった」と、返って悪天候が脳裏に刻まれ、美しき心象風景として残る。逆境が思い出になるのである。逆境よりよき感動を、雪国の人はこれを繰り返して逆境に順応し、忍耐強く辛抱強くなるに違いない。

⇒20日(日)朝・金沢の天気 ゆき
 

☆身構える冬~中~

☆身構える冬~中~

 きのう18日も雪。めざすネギ畑は一面、銀世界に覆われていた=写真=。石川県内の大学が連携して結成している「大学コンソーシアムいしかわ」の事業「能登半島全国発信プロジェクト」の取材ため学生を連れて七尾市能登島町の農場を訪れた。

 「ネギは雪が降ると糖度が増して甘くなる。ほら食べてごらん」。農場のスタッフが収穫したばかりのネギを差し出してくれた。ネギは切ると辛くなるが、剥いている分には甘い。白い部分をバナナでも食べるようにガブリと。確かに甘い。しかも、その甘みが不思議と口の中に残っている。そして喉あたりがいつまでも温かく感じる。初めての取材で緊張の面持ちだった福井出身の女子学生は「おろしそばに刻んで入れて食べてみたい」と相好を崩した。雪のネギ畑でひとしきり会話が弾んだ。

 前回のコラムで「家の前の除雪は金沢では男性より女性が多い」という話をした。同じ除雪でも屋根雪の除雪、つまり「雪下ろし」となるとこれは男性の仕事である。直近で我が家の屋根雪下ろしは、忘れもしない2006年1月だった。その1ヵ月前から記録的な積雪となり、金沢市内で80㌢にもなった。1月14日からイタリア・フィレンツェに出張が入っていて、「渡航中にさらにドカ雪でもきたら…」と不安がよぎった。1999年に新築したとき、建築設計士から「構造的に屋根雪の積雪は3㍍まで大丈夫」と説明を受けたが、何しろ金沢の雪は樹木の枝を折るくらい重い。そこで、早めの雪下ろしを決意した。屋根雪下ろしとなると滑落の危険もあるので、相当な覚悟が必要なのだ。

 屋根雪下ろしは雪が解けにくい北側の屋根から下ろす。雪止めはしてあるものの、雪もろとも落ちるというリスクもあり慎重を期す。しかも、日中の仕事を終えてからなので、当然夜の作業となる。屋根の上では突風も時折あって、バランスを崩しそうになる。スコップを手に3時間ほど黙々と雪と格闘する。ひと通り雪を下ろすのに2晩かかった。翌朝、安堵感を得て旅立つことができた。

 ことしの雪の降り方を見ていると、「2006年」と似ている。ホワイトクリスマスは確実。気象庁の発表だと、日本海側では北陸地方を中心に19日にかけて大雪となる見込み。山形県鶴岡市では93㌢の積雪という。このまま降り続くのか。先が思いやられる。

⇒19日(土)朝・金沢の天気  雪

★身構える冬~上~

★身構える冬~上~

 私が住む北陸・金沢は昨日(17日)からうっすらと雪化粧が始まった。市内で5㌢、山沿いでは10㌢ほどだろうか。雪は人々の生活を一変させるから不思議だ。まず、「(雪が)くるぞ」とばかりに人々は身構える。たとえば、自家用車で通勤している人は、天気予報で雪マークが出始めるとノーマルタイヤをスタッドレスタイヤに履き替える。多くの人は近くの自動車整備工場に予約を入れ、順番を待つ。相場はタイヤ4本で3000円ほど。春には同金額で外す。

 庭木のある家では「雪つり」を施す=写真=。雪つりは北陸特有の水分を含んだ重い雪から樹木を守るため。地球温暖化だから雪つりはいらない、あるいは、気象庁が暖冬を予想したから雪つりを怠ったという家庭はおそらくない。雪は多かれ、少なかれ降るのである。この雪つりの形状が三角錐で、冬の金沢の風物詩にもなる。庭師を雇ってのことなので経費はかかる。補助員を含めて3人がかりなら5万円ほどになる。春には外すので合計10万円ほどになる。

 家庭ではスコップを用意する。自宅前の除雪用だ。面白い現象がある。除雪をするのは金沢では女性が多い。おそらく除雪は伝統的に家事の一つとしてとらえられているからだろう。一度に大量の雪を運んで捨てる「ママさんダンプ」という除雪用具があるくらいだ。樹木に雪つりが必要なくらい金沢の雪は重く除雪は結構な重労働だ。ちなみに、整骨院が繁盛しだすのもこのころ。除雪は腰に負担をかけるからだ。おそらくこの事実を降雪地帯ではない人たちが知ったら、ブーイングが起きるに違いない。「金沢の男性は重労働を女性に押し付けている」と。もちろん、家庭によっては我が家のように男性が除雪の家事分担をする家もあるにはあるが、見渡しても少ない。

⇒18日(金)朝・金沢の天気   雪

☆「多対1」のメディア

☆「多対1」のメディア

 戦後日本の民主主義を機能として支えてきたのは紛れもなくマスメディア(新聞やテレビなど)である。権力のチェック、世論調査による民意の反映など国民の知る権利に応えてきた。ところが、マスメディアを取り巻く環境は大きく変わりつつある。インターネットの普及で、誰でも情報を発信できる時代となり、社会の情報化が沸騰している。「情報の過剰」の時代なのである。

 その氾濫する情報の中にあって、逆にマスメディアの果たす役割が重要になっている。というのは、新聞やテレビのニュースや情報はある程度、品質が保証されるからである。情報源からたどり、客観的な判断を加え、あるいは情報の価値を見いだして文字表現や映像表現をする。そのようなプロセスを踏んでいるので信頼性が担保されている。では、マスメディアはどのように品質保証をしているのだろうか。端的に言えば、ニュースや情報の価値を見抜き、文字や映像で伝える専門家(記者、ディレクター)を養成しているからである。記者やディレクターの養成には実に手間隙がかかり、もちろんコストもかかる。逆ピラミッドの記事構成、形容詞を使わない文体、記事を書くスピード、記事用語の習得に時間と労力がかかる。新人記者がこなれた記事を書くまでには4、5年はかかるだろう。

 なにも記事を書くことや情報を発信するためには、記者やディレクターという専門家であらねばならいと言っている訳ではない。情報を発信することこそ表現の自由であり、万人の権利でもある。

 問題は、情報の過剰の時代に果たしてマスメディアは生き残ることができるのかという点である。『2030年 メディアのかたち』(坪田知己、講談社)は「マスメディアがデジタル化をすることで生き延びようとしていますが、デジタル化によっとビジネスモデルが構築できた、という実例はまだない…」と断言する。そして、既存のマスメディアとデジタルメディアは逆転する、と。

 著者は、その理由としてメディアは万人に向けた「1対多」から「多対多」へ、そして「多対1」へと進化と遂げ、その過程で「多対多」のマスメディアはその使命を終えると説く。従来、メディアのパワーは購読部数や視聴率で示され、不特定多数に情報を送るのがメディアと考えられてきた。これからは特定の個人に、そのニーズに応じた情報を「適時・適量で送れるかどうかがポイント」と指摘する。近未来に「マイメディア時代がやってくる」とも。そうした究極のメディアが生み出されるのが2030年ごろ、と。おそらくその時代になると、不特定多数を意識して記事を書く記者はいなくなり、ターゲットを絞り込んだ記事をデジタルメディアを通じて「個」に送る、そんな時代の「予言の書」のような本である。

⇒15日(火)朝・金沢の天気  くもり

 

★おっぱいはお尻の擬態

★おっぱいはお尻の擬態

 動物行動学者の日高敏隆さんが逝去された(11月14日)。享年79歳。2度お会いするチャンスを得た。一度目は、06年8月30日、当時、総合地球環境学研究所(京都)の所長時代、その年の10月9日に開催した「能登半島 里山里海能登自然学校」のキックオフシンポジウムの基調講演のお願いをするための訪問だった。総合地球環境学研究所は京の森に囲まれた環境にあり、名称の印象から受ける威容さを削いだ洒脱な建物だった。日高氏の人柄もそのような感じの第一印象だった。

 お話をさせていただくと、専門の動物行動学の話になった。女性の下着メーカーのワコールが中心となって乳房(にゅうぼう)文化研究会を発足させ、なぜ女性のおっぱいは大きく丸いのかという形状を研究しているという。そのメンバーである日高氏は面白い話をしてくれた。いわく「おっぱいはお尻の擬態である」と。詳細は後段で記すが、目からウロコが落ちて、本人には失礼だったが笑ってしまった。本人も笑う姿を見て「どうだ参ったか」と言わんばかりにニヤリと。

 2度目にお会いしたのは、10月9日の珠洲市でのシンポジウムだった。日高氏の基調講演=写真=のタイトルは「自然界のバランスとは何か」。私はシンポジウムの司会者だった。講演の後、会場から質問が相次ぎ盛り上がった雰囲気となった。時間はオーバーしていたが、司会者の特権であえて「おっぱいはお尻の擬態」論に水を向けた質問をした。基調講演の締めくくりに会場から笑いを取ってやろう下心があった。日高氏も心得ていた様子で即座に乗ってきた。以下は、講演の録音テープから質問に答えていただいた部分の抜粋である。

                   ◇

 変な話なのですが,進化とは何をもって進化というかということになるのですが,先ほど象という動物が鼻を大きくしたというお話をしましたけれども,なぜそのようになってしまったのかよく分かりません。
 鼻が大きくなったのも進化一つなのでしょうが,人間の場合は,京都にワコールというブラジャーの会社があります。あそこが中心となって,乳房(にゅうぼう)文化研究会というものをやっています。要するに,人間のおっぱいは子供に乳をやるための器官です。ところが,普通の動物の乳房は,大体哺乳類以外は細長く,乳首が長くて子供が乳を非常に吸いやすいようにできていますが,人間の女のおっぱいはそうではなく,丸くて非常に形が美しい。丸くて乳首が短くて,赤ん坊が吸うには非常に不便であるということです。
 私はやったことがないのであまり分かりませんけれども,初めて子供さんを持ったお母さんが病院で,自分の生まれて初めて持った赤ん坊に自分のおっぱいをあげようとしますと,大変だそうですね。なかなかうまく吸いつけないですし,吸いついてもあまり押しつけたりしますと,今度は乳首の丸いところに赤ちゃんの鼻がびたっとくっついてしまって息ができなくなって泣くことがよくあるそうです。随分皆さん困って,看護婦さんがこうするのですよと教えないといけないそうです。
 ところが,ほかの動物はそんなことにはなっておりません。人間だけがそうなっているのです。非常に丸くて,とにかく子供におっぱいをあげるためには非常に不便な哺乳器官であるということで,変なことなのです。それが一つです。
 もう一つ変なことは,これは哺乳器官で,赤ん坊におっぱいをあげるために進化してきた器官なのに,どういうわけか男がそれを好きで,見たい,触りたい。だからセクハラという話が頻繁に起こっているのはそういうことなのです。しかも,それは赤ん坊が生まれるずっと前のお話です。本当は赤ん坊に乳をやるための器官であったはずなのが,男に性的な信号を与えるような器官になっているのです。
 それはどういうことなのだということを昔からいろいろな人は研究していたわけです。デズモンド・モリスというイギリスの動物行動学者ですが,この人のことは「あんな話はインチキだ」という話もありますからあまりまともに信じなくてもいいのですけれども,その人はこのようなことを考えたのです。つまり,人間は要するに類人猿ですから,メスは,自分はいいメスだろうということを相手のオスに知らせたいのです。類人猿やサルの仲間は,皆その「メスであるぞ」という信号はおしりなのですね。おしりが赤いなど,いろいろなものがあり,四つんばいで歩いていますから,おしりを見せて歩いていると,オスも四つんばいになって後ろから来て,前にいるおしりを見て,「おっ,いいおしりしているな,いいメスだな」と思い,そのメスを口説きに行くわけです。
 ところが人間は,何を考えたかこれもよく分かりませんが,まっすぐ立ってしまったのです。そして,人と会うときは目を見て向き合うようになってしまったのですね。ですから,女がいて,男がいて,話をしているときに,この女が男のことを気に入っていれば,自分がいい女でしょうと口説かれたいですし,自分も口説きたいわけなのですが,もともとはオサルの仲間ですから,要するに女である信号はおしりなのです。おしりはこちらを向いているのです。当の男は前を向いています。こちら向きに「いい女でしょう」と言いたいのですが,それはおしりが言っているわけなのです。それでデズモンド・モリスは多分,何とか前向きに言いたかったので,エイヤとばかりにおっぱいをおしりの擬態にしたのです。おっぱいを大きくしておしりにしてしまったのです。それを向けるのが前にいるわけですから,それをこうやって見せれば,「いい女でしょう」と言えるわけです。それで結局,おっぱいはそのようなものになってしまったのだろうというお話なのです(笑い・拍手)。

(司会) どうもありがとうございました。日高先生のお話,この間京都でしていただきましたが,このようなお話がどんどん出てきますので離れられなくなるのですね。動物行動学の日高敏隆先生に,もう一度拍手をお願いいたします(拍手)。

                ◇

 シンポジウムの司会をこれまで何度か経験したが、講演者と司会が妙に呼吸が合って、しかも笑いが取れた講演は日高氏が初めてだった。一期一会の名講演だった。

⇒14日(月)朝・金沢の天気   くもり