☆文明論としての里山9

☆文明論としての里山9

 先日、インターネット上の仮想空間の「土地」の投資話で会員2万3千人を違法な手段で勧誘したマルチ商法の会社が、消費者庁から業務停止命令を受け、さらに国税局から100億円もの所得隠しの摘発を受けた(4日付・朝日新聞)。撒き散らかされた「夢」に期待に膨らませる。実態の乏しいこのようなバーチャルな投資話で100億円の利益を得る。そして行き詰る。このような破綻のストーリー展開は歴史上、数多くあった。

                 バーチャルからの目覚め

  かつて父親から聞いたこんな話を思い出す。「大本営」という日本軍の司令塔があった。父親が赴いた仏印(ベトナム)など前線では戦局が悪化し、兵力・兵站(たん)は絶たれ、餓死者も出ていた。終戦間際のそんな状況にあっても、大本営のスタッフは「わが皇軍は勝利せり」と発表して、夕方6時の退社時には帰宅していた。父親の話はここまでである。ここからは私の考えだ。国民はその発表を信じて喜び勇んでいた。おそらく当初は、大本営は国民に動揺を与えないためにあえて戦局の悪化を伝えなかった。それが慣れっこになると国民を鼓舞するために話を次々と作り出して、国民を欺くようになった。戦地に物資を供給する国民も生活が苦しいので、大本営の「つくり話」にも耳を傾け安堵を得た。それが限界点に達したころ、沖縄戦線や原爆投下で現実が露呈すると今度は「一億総玉砕」へと自死を強いるようになる。現実に戻った。

  世界を不況のどん底に叩き込んだアメリカのサブ・プライムローンもそうだ。「低所得者にマイホームの夢を」と幻想を吹き込んで、最終的に土地の値上がり益を誘導するバブル経済が行き詰まり、リーマン・ブラザーズなど投資銀行が破綻して現実に目覚めた。「仮想空間の土地取引の儲け話」から、「大東亜の夢」「低所得者にマイホームの夢を」まで・・・。現実に基づかない夢を煽るバーチャルな話というのは必ず破綻する。現実と噛み合わない夢をいくら見ても最終的には無理が生じる。

  ひょっとして人類最大のバーチャルは「都会」ではないかと仮定してみる。「都会の夢」に憧れ、「地方」から若者たちがどんどん流入している。日本とヨーロッパではすでにピークを過ぎたが、アジアでは都会への流入現象はまだ途上である。地方の若者たちは「夢の職業に就ける」と錯覚を抱いている。都会に住めば、家を持つことができて、友達もつくれ、旅ができて、楽しい人生が待っている。これは「仮想空間」あるいはセカンド・ライフと似ている。しかし、都会で頑張ってかなえる夢というのは、一体何だろう。結局、突き詰めると消費行動しかない。モノを買った、買わないで満足を得る、得ないの基準しかないのである。  しかし消費で人生の充足感は得られるのだろうか。

 ある有名な衣料量販店。安価、トレンディ、温かい着やすいなどさまざま消費者の欲望を満たして急成長している。しかし、「日曜日と月曜日」の現実を見てみるがいい。土曜日に大量に買われた商品が日曜と月曜には次々と戻されている。「返品の山」なのだ。大量に売れているので、返品の山は気づきにくい。返す人はまだいい。一度袖を通しただけで、家庭で返品状態になっている衣料品があふれ返っていないだろうか。消費は覚めやすい。「買わされた」だけにすぎない。都会の過剰な情報で消費欲が刺激され、「トレンドに乗った」つもりで自らの人生を消費している。

  長期不況で消費型の都会での生活スタイルは遅かれ早かれ破綻する。もうそんなバーチャルな人生を生きたくないと本能的に気がついた人々が都会を離れ、地方の里山に入り始めた。そこで、土地を耕し、作物を得て、周囲との人たちと調和し、関係性という現実を構築している。彼ら「ニューカマー」の姿を見ると、人生の満足を得るためにはまだ時間がかかるだろうと思う。社会の壁(土地制度や所有権など)にぶつかりながらも必死にあがいている。都会に残るのも地獄、出るのも地獄。彼らから、そんな深淵に立った人生の選択があるのだと気づかされた。もちろん彼らの表情にそんな悲壮感はなく、明るい。

 ⇒5日(金)朝・金沢の天気 ゆき

★文明論としての里山8

★文明論としての里山8

 能登半島の先端、珠洲市三崎町に「へんざいもん」という言葉がある。自家で栽培した野菜などを知人や近所におすそ分けするときに使う。「へんざいのもんやど食べてくだし」と言って、ダイコンや菜っ葉を手渡す。「へんざいもん」を漢字で当てると「辺採物」、「この辺で採れた物」である。「手作りのもので、立派な商品ではありませんが、どうぞ食べてやってください」と少々へりくだった言い回しの贈り物である。誤解されがちだが、これは単なる物々交換ではない、隣人愛に満ちた贈与なのである。

            失われた価値を求めて

  この「へんざいもん」という言葉を数年前に知って、中沢新一著『愛と経済のロゴス』(講談社・2003)を想起した。グローバル経済を突き動かしているのは欲望だ。しかし、愛もまた欲望に根ざしている。となれば、愛と経済は深いところでつながっている。そんなところからいまの資本主義の有り様を批判したのが『愛と経済のロゴス』である。以下、著書を自分なり解釈しながら、経済とは何かを考えてみる。

  いまの商品経済を支えているのは交換原理だ。近代資本主義は、この交換原理を全世界にゆき渡らせた。このグローバル経済で、かつてないほど豊かなはずなのに、なぜ幸福感も豊かさも感じられないのか。それは、資本主義という商品経済だけが発達し、何かのバランスが崩れているからだ。そのバランスとは、近代資本主義以前にあった、「贈与」「純粋贈与」という経済の要素である。著者が、例としてあげるのはバレンタインデーのチョコレートだ。もともとチョコレートには値札が付いていたが、贈るときには外され、「商品」としての痕跡が消される。同じチョコレートでも買うのと、贈られるでは価値が違う。そこには贈与とう愛がある。

  贈り物にはそれ以外にも特性がある。例えば、朝市での物々交換ならば、モノはその場で交換しなければ、交渉が成立しなくなってしまう。だが、贈与の場合は違う。その場でお返しをするのではなく、時間をあけてからお礼をした方が隣人愛や信頼関係が持続している証(あかし)とされる。交換はマネーによって価値を決めることで可能となるが、贈与の方は、贈るモノの価値を極力排除することからスタートする。つまり、値札を付けて贈り物をする人はいない。前述の「純粋贈与」は、贈り物と返礼の関係ではなく、一切の見返りを持たない贈与、贈られたことの記憶も見返りも求めない贈与を「純粋贈与」と著者は表現している。

  本来あった経済の「贈与」「純粋贈与」の部分を徹底的にそぎ落とし、「交換」に集約して近代資本主義は完成する。そして、幸福感も豊かさも感じられない経済に突き当たったのが現在である。著者は、最近の自然農法や有機農業、里山保全活動に共通するのは、数万年の時空を超えて、失われた贈与理論を復活させようとする試みではないか、と指摘している。重農主義とも言う。人間は農地に対して労働を注ぐ。重要なのは、贈与において相手を思いやる繊細な心が何よりも大切なのと同じように、耕す人々が細心の心遣いを農地に対して払うことだ。これによって、農地の価値が発生する。つまり、労働は農地に対する一種の贈与なのである。

  話は「へんざいもん」に戻る。大地の恵みを得て、人は感謝すると同時に物質的な豊かさではなく、「隣人との関係価値」を求めて贈与を行う。人と人が結びつくことでより豊かになれると考えるからである。富の独占ではなく配分だ。収奪型のマネーゲームとは対極の構図である。私は何も昔に戻れと言っているのではない。人々は失われた経済の贈与価値を再び求めて始めているのではないかと思っている。

 ⇒18日(月)金沢の天気   ゆき

☆文明論としての里山7

☆文明論としての里山7

 「もったいない」という言葉はいま様々に使われている。環境、省エネ、ライフスタイル、道徳、躾(しつけ)などの場面で登場する。もともと、「もったい」は「勿体」、つまり「物の形」「物のあるべき姿」である。それが「ない」。つまり、「物のあるべき価値が失われる」というふうに自分なりに解釈している。

           転換期のニューカマー

  痛切に感じる「もったいない」は「土」と「人」の失われた関係である。耕作放棄地や荒れ放題の山々を見るがいい。祖先は生きる糧を食料に求め、開墾し耕した。心血を注ぎ、田を耕し命をつないできた。それを子孫はあっさりと捨てて都会に出て行く。労働と引き換えに貨幣を得て、商品を得る。コマーシャルリズムに踊らされて、トレンドだ、ブランドだと物への欲望をかきたてる。商品取引イコール経済活動という交換経済の中に埋没していた。

 こんな話を耳にした。いわゆる「団塊の世代」の男性。地方出身で都会で会社定年を迎え、改めて生まれ故郷を見渡すと、山河が荒れ放題になっていた。「これまで薄っぺらな都会の消費生活に惑わされていた」と気づいた。「我々の同年代は元気だと世間ではいわれるが、故郷に帰って田畑を耕したり、山を整備する元気はない。田舎に帰ろうにも家族の同意が得られない。同じように悩んでいる地方出身者は多い」と自らの無力感を語って見せた。

  いまの日本を覆う「乾いた雰囲気」は、危機感の前兆だと考えている。物欲に熱狂していた、ほんの数年前まではよかった。それが、金融資本主義が空虚な「ババ抜き」だったと露呈した「リーマン・ショック」(08年9月)の連鎖反応ですさまじい経済不況がやってきた。商品が買えなくなり、熱狂が冷めた。将来の人生と生活をどうすればよいのかと漠然とした不安が若者の間に巻く。前述の団塊の世代が感じ始めている自らの無力感、そして若者が感じている漠然とした不安感がない交ぜになって、日本を「乾いた雰囲気」を覆う。

  デフレスパイラル。人々は、これまで享受してきた「日本の富」は減少し、復活はないと感じ始めている。日本だけではない。リーマン・ショックの震源地アメリカや、ヨーロッパの人々もおそらく感じているだろう。上り調子のインドや中国などは自らの旺盛な物欲で経済が回ってはいるが、早晩「バブルのツケ」も回ってくる。

  「真の豊かさ」とは何か。人間の生きる価値とは何か。人々がずっと追い求めてきたテーマが戦後の振り出しに戻った。そんな感じである。しかし、次にくるのは危機感だ。これまでの「富の源泉」が一体どこから来ていたのか、人々が考えたとき、そこが荒れ果てた姿になっていて愕然とするだろう。農地、川、山のことである。

  最近面白い現象が起きている。農業に関心を持つ若者が増えている。能登半島。金沢大学が実施している、農林水産業の環境人材を育てる「能登里山マイスター」養成プログラムでは現在40人の社会人が学んでいる。そのうちの7人は東京や名古屋といった都会からの移住組である。彼らは自分の体を使い、労働を介して自然とつながれば生きていける、あるいは富の源泉である自然とかかわることで新たなビジネスを始めたいと能登半島にやってきた。それは人間の本来の、自然とかかわり産み出すという本能的な感覚だ。私は彼らを「ニューカマー(newcomer)」と呼ぶことにしている。土地は不動であり、そこを行き交うのは人々である。土地に魅力を感じなくなった人々がその土地を去った後、「もったいない」と荒れ果てた土地を再び開墾するためにやってきたパイオニアである。

  これは予兆ではないかと考えている。金沢大学の能登プログラムだけで7人である。この若者の「帰農現象」は福島県や山梨県などで顕著で、全国規模だとおそらく数千人規模で起きているのではないかと推測している。さらにこの現象は加速し、近未来で数十万人にブレイクするのではないか。文明の転換期に繰り返されきた人々の移動ではないか、そんなふうに直感する。

 ⇒10日(日)夜・金沢の天気  くもり

★文明論としての里山6

★文明論としての里山6

 「ITや科学の技術がわたしたちの問題を解決する」、そんなふうに日本人は信じ続けている。元旦の新聞紙面には「携帯端末向けマルチメディア放送」を携帯電話から広がるバラ色の未来のような感じで紹介されていた。果たしてそうなのだろうか。情報の過剰、ニュース(大事件)の過剰、色彩の過剰、モノの過剰に現代人は悩まされ続けているのではないだろうか。これ以上、情報を得てどうするというのだ。そして、法律の過剰。社会は、窒息しそうなくらいに細かく法律をつくって、それに反した「犯罪者」を量産している。自家中毒に喘ぐ人々の姿、これは文明の行き詰まりではないのか、最近、そんなふうに考えている。

                                        過剰な時代の貧困な精神

  白山ろく、旧・白峰村(現・白山市)に焼き畑の伝統技術を現代に伝える人たちがいる。焼き畑の研究をしている橘礼吉(たちばな・れいきち)氏からこんな話を聞いた。「かつて焼き畑は原始的、粗放的な農耕といわれてきたが、そうではない。循環型の、持続可能な農法なのです」と。焼き畑というと、森林破壊の元凶とのイメージを持つ人が多い。化学肥料をまいて、その土地が持つ地力以上の農産物を搾り取るのが近代農業だ。焼き畑はそうではなく、地力を生かした農業であり、休閑地を設けて自然な森林の再生を促す。ヒエやアワをつくり、木から道具をつくる。炭を焼く、薬草を採取する。

  当地ではこうした生産スタイルを「出(で)づくり」と呼ぶ。水田の確保が難しい奥山の山中にあって、どうすれば暮らしを持続可能にさせることができるか、人々が自然と向き合い、自然の摂理を脳と体に叩き込んで得た知恵だったのだろう。人と自然の絶妙なバランスを限りなく追求した姿だった。焼き畑の時代に戻れと言っているのではない。その精神が「うつくしい」のである。『文明崩壊』(ジャレド・ダイアモンド著、草思社)で紹介されているように、マヤの小国の王たちは気候変動の危機に直面しているにもかかわらず、「よりみごとな神殿をより分厚い漆喰で塗り固め、互いに負けまいと懸命になった」、そして文明の崩壊を招いた。この姿は、情報過多で喘いでいるにもかかわらず、さらに多くの情報を得ようと血道を上げる現代人の姿に似ている。

 ⇒8日(金)夜・金沢の天気   あめ   

☆文明論としての里山5

☆文明論としての里山5

  「文明の繁栄には崩壊の芽が内包されている」。こんなキャッチフレーズが目に留まって、『文明崩壊』(ジャレド・ダイアモンド著、草思社)=写真=を手にした。上下巻で800㌻余りに及ぶ。イースター島、マヤ文明、現代中国など文明の繁栄は環境に負荷を与え、それが跳ね返って崩壊が始まる。一方で、環境危機を巧みに乗り越えて続く文明もある。文明の盛衰のサイクルの謎に、臨地的な調査(フィールドワーク)で迫った労作である。

            危機は見えているのか           

  本文を引用しながら、いまから1千年以上前にメキシコ・ユカタン半島とその周辺で崩壊したマヤ文明の謎解きをしてみる。その崩壊のプロセスはこうだ。マヤ民族は少なくとも500万人はいた。「入手可能な資源の量が人口増加の速度に追いつけなくなった」ことで人口と資源の不均衡が始まる。「森林破壊と丘陵地の侵食」が農地の総面積を減らす。減少する食料資源をめぐって、人間が争いあうようになり「戦闘行為が増加」した。小国同士がつばぜり合いを演じた。統一帝国ができなかったのは、マヤにはウマやロバといった運送に利用できる家畜がいなく、陸路の運搬は人の背に載せて行われたからだ。つまり、長距離の戦闘はできなかった。しかも、主食であるトウモロコシを兵士も荷役も食べるので、長期間の戦闘でできなかった。マヤの軍事行動は「期間も距離も大きく制限されていた」のである。そして、マヤを気候変動が襲う。旱魃(かんばつ)だ。

  こうした目に見える危機に対しても、小国の王たちは、「よりみごとな神殿をより分厚い漆喰で塗り固め、互いに負けまいと懸命になった」。結局、現実の重大な脅威を前にしながら、支配者たちはなんら能動的な打開策を講じなかった。

  著者は文明の崩壊だけを論じているのではない。危機に対応した例として徳川幕府を挙げている。首都・江戸の明暦の大火(1657年)、火災としては東京大空襲、関東大震災などの戦禍・震災を除けば、日本史上最大だったとされる。江戸再建のために膨大な木材を必要とした。森林を切り出した後、幕府は直轄山林に管理者(勘定奉行)を置き、さらに各藩の大名もそれにならって森林の管理者(山回り役)を設けた。また、村々の森林についても、村人全員が利用できる共有財産、いわゆる入会(いりあい)地として管理させた。このように、トップダウンで山の管理を徹底させることで、日本の森林の乱伐は防がれた、と述べている。

  現在、自然環境を守る主役は国家権力や支配者ではない。国民や市民である。著者は、「神は大地を創ったが、オランダ人はオランダを創った」とのことわざを引き合いに出して、海抜がマイナスの干拓地(ポルダー)に肩を寄せ合って住むオランダ人の環境問題(地球温暖化など)に対する機敏な対応や、人々の連帯感を高く評価している。対照的に、アメリカの風潮を「裕福な階層はどんどん、ほかの階層から隔絶を図り、自分たちだけの仮想ポルダーを築き上げて、個人の安全と快適さを金で買い…」と痛烈に批判している。アメリカの仮想ポルダーとは塀で囲まれ、富裕層が住むゲート・コミュニティのことを指す。「そういう別格化の底には、エリートは一般社会の問題とは関わらずにいられるという誤った信念がある」とさえ。マヤの小国の王たちは危機に瀕してもひたすら神殿をつくり続けた。いまのアメリカのエリートたちはそれと同根だと著者は下巻の最終章で述べている。

  以下、感じたことを述べる。このマヤの小国の王やアメリカの富裕な階層は、そのまま今の日本人に当てはまるのではないか、と。「豊かなニッポン」という仮想ポルダーをつくり、安全保障を他国に任せ、自国の農地や森林を放棄して食料や森林資源を海外から買いあさる。どこに日本人の危機感があるのだろうか。

 「文明の繁栄には崩壊の芽が内包されている」と冒頭に紹介した。いまその崩壊の芽が膨らんでいる。

 ⇒2日(土)夜・金沢の天気 あめ  

★文明論としての里山4

★文明論としての里山4

  里山をノスタルジックに感じる人もいれば、ビジネスチャンスがあると考えている人もいる。国連の提唱によって行われた地球規模の生態系に関する環境アセスメント「ミレニアム生態系評価(MA)」(2001-2005年)では、生態系サービスの変化と、その人間の福利への影響に焦点が当てられた。引き続き、国連大学高等研究所などが中心となって、日本では里山里海のサブ・グローバル評価(里山里海SGA)が実際されており、科学的なデータによる現状認識の合意形成を目指している。こうした生態系サービスといった概念の導入や、科学者の眼といったものが里山に注がれ始めるようになった。さらに、里山保全は環境問題の打開策(二酸化炭素の森林吸収、生物多様性の保全)の一つであるといわれるようになり、一般の理解が進んだ。

             一体、どこが病んでいるのか

  前回述べたように、<SATOYAMA=里山>は国際用語として認知されようとしている。環境省がG8環境大臣会合(08年5月)で採択された「生物多様性のための行動の呼びかけ」を受け、「実行のための日本の約束」として「SATOYAMA=里山イニシアティブ」(以下「里山イニシアティブ」)を打ち出した。生物多様性条約事務局長のアフメド・ジョグラフ氏は、人と自然が共生するモデルとして描く里山イニシアティブに対し、「日本は成長を続けて現代的な社会を形成した一方で、文化や伝統、そして自然との関係を保ってきた。そのコンセプトは世界で有効であり、日本の経験に大きな期待が集まっている」(COP9での発言)と、条約事務局として支援を表明している。2010年10月にCOP10が名古屋市で開催されることもあり、日本発の<SATOYAMA=里山>は国際会議のキーワードになりつつある。

  こうして、里山という概念のグローバル化が起きている。里山を先駆的に調査研究してきた研究者たちは新たなチャンスと感じ始めている。また、COP10に向けて知事を先頭に里山の再生を政策課題として取り組む自治体も、石川県を始め多くなってきた。そして企業もだ。生態系サービスの手法は生物・生態系に由来し、人類の利益になる機能を経済的価値として算出するもの。たとえば、アメリカドルで年平均33兆㌦(振れ幅は16-54兆ドル)と見積もる報告もある(「Wikipedia」より)。こうした生態系が数値で示されることで企業が目を向け始めてきた。そして、いま里山で起きていることは「都会の若者の移住」という現象である。

  金沢大学が能登半島で環境配慮型の第一次産業の担い手を養成をしている。現在50人の社会人が土曜日を中心に学んでいるが、うち7人が移住組だ。元映画製作者やITエンジニアなど多彩。能登に移住して、農業法人やNPO、ショップで働きながら学んでいる。横須賀市から一昨年移住してきたITエンジニアは顔が青白かった。ところが、いまは農業法人に勤め、実にたくましくなった。先日も雪のネギ畑を訪ねると、「雪のネギは甘みがあってうまいっすよ」と一本差し出してくれた。36歳、農業での独立を夢見ている。彼らは、都会を捨ててなぜ能登半島にやってきたのか。行き詰っているのは経済ではなく、消費するだけの都会ではないのか。文明の曲がり角論をひも解くカギ、それは地方にあるのではないかとにらんでいる。

 ⇒1日(土)夜・金沢の天気  ゆき

☆大晦日の喧騒

☆大晦日の喧騒

 地上デジタル放送対応のテレビを購入してよくなったと思うのは画質もさることながら、音声だ。これまでのアナログ対応ではクラシック音楽の高音の部分が聞き取れなかったりしたが、地デジ対応テレビではすっと耳に入ってくる。こうした音質の改善もあってか、最近テレビでクラシック番組が増えたように感じる。ところで、きょう大晦日は地デジをめぐって我が家でちょっとした喧騒があった。

  NHK教育で、N響による第九の演奏が放送された。指揮者はクルト・マズアだ。82歳・マズアといえば、「あれから20年」である。ベルリンの壁崩壊につながったとされる1989年10月9日、旧東ドイツのライプチヒで「月曜デモ」が起きた。民主化を要求するデモ参加者に、秘密警察と軍隊が銃口を向け、にらみ合いとなった。このとき、マズアは東ドイツ当局と市民に「私たちに必要なのは自由な対話だ」と平和的解決を要望するメッセージを発表した。この流血なき非暴力の反政府デモが広がり、「月曜デモ」の9日後にホーネッカー議長が退任し、11月9日のベルリンの壁崩、東西ドイツは統一へと向かう。そして、ベートーベンの第九は東西ドイツ統一の賛歌になった。そんなマズアの歴史的な功績に思いを重ね合わせながら、NHK教育の第九に耳を澄ませていた。

  午後9時10分ごろ、第4楽章に入って合唱でクライマックスを迎えた。このとき、家人が「もうそろそろチャンネルをNHK総合に切り替えてくれない」という。 「えっ、第4楽章のいいところなに何で」といぶかると、午後9時過ぎごろからNHK紅白歌合戦にスーザン・ボイルが出演して、そろそろ歌うのだという。スーザン・ボイルはイギリスのスター発掘番組でミュージカル「レ・ミゼラブル」の「夢やぶれて」を歌って、一気にスターダムにのし上がった「おばさん歌手」。「数分で終わるから聴きたい」と半ばすごまれて、しかたなくNHK総合にチャンネルを変えた。スーザン・ボイルの歌声もそれはそれでよかった。眉毛も細くなっていて、あか抜けした感じがした。

  スーザン・ボイルが終わって、即NHK教育にチャンネルを戻した。間に合って、第4楽章の感動のフィナーレを聴くことができた。すると、リモコンを握った家人が演奏が終わると同時にブチッとNHK総合に切り変えた。「何するんだ。演奏には余韻というものがあるだろう」と抗議すると、「スーザン・ボイルに続いて矢沢永吉が出る」という。「時間よ止まれ」と「コバルトの空」を歌うらしい。マズアが聴けただけでも良しとして、その場を退散した。

  それにしても、NHKはマズアの第九の第4楽章と、スーザン・ボイルの歌声が同時刻ぐらいに重なると計算していたのか、いなかったのかとふと思った。そんな喧騒は我が家だけだったのだろうか…。

  ことろで、マズアがつい最近(09年12月15日)、金沢でオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)と共演してメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」を振った。OEKのプロデューサー氏から後日聞いた話だ。ことしはベルリンの壁崩壊20周年に当たり、当然話題に上った。すると、マズアは「革命の闘士のようにいわれることは今でも心外。私は指揮者なのだ」と笑っていたという。ベルリンの壁崩壊は、先導者によるものではなく、あくまでも市民革命だったのだ。そういいたかったのだろう。

⇒31日(金)夜・金沢の天気  くもり

★文明論としての里山3

★文明論としての里山3

 日本の里山は、1960 年代から始まったとされる燃料革命や大規模な宅地開発などで、その役目を終えて荒廃の道をひた走っているかのように見えた。ところが、ここ数年で里山の価値が見直されつつある。多くの動植物を育み、人が恩恵を受ける場所としての里山。「生態系サービス」という言葉が使われ始めていることはその象徴である。里山を守るための行政や市民などによる取り組みが始まっている。里山保全は日本の環境問題(二酸化炭素の吸収、生物多様性の保全)を打開するキーワードの一つになっているともいえる。

         ジョグラフ氏が見た能登半島の里山

  さらに、<SATOYAMA=里山>は国際用語として認知されようとしている。その認知度を一気に高めたのが、生物多様性条約第9回締約国会議(CBD/COP9、ドイツ・ボン)で日本の環境省と国連大学高等研究所が主催したサイドイベント「日本の里山・里海における生物多様性」(2008年5月28日)だった。スピーチの中で、環境省の黒田大三郎審議官(当時)らが「人と自然の共生、そして持続可能社会づくりのヒントが日本の里山にある」と述べ、科学者による知識と伝統的な自然との共存を組み合わせることを目的とした「里山イニシアティブ」を生物多様性の戦略目標として提唱した。さらに、石川県の谷本正憲知事は「石川の里山里海は世界に誇りうる財産である」と強調し、森林環境税の創設による森林整備、条例の制定、景観の面からの保全など具体的な取り組みを紹介した。

  これに、生物多様性条約事務局長のアフメド・ジョグラフ氏は、日本が提唱する里山イニシアティブに「成長を続けて現代的な社会を形成した一方で、文化や伝統、そして自然との関係を保ってきた。そのコンセプトは世界で有効であり、日本の経験に大きな期待が集まっている」と、条約事務局として支援を表明した。COP10の名古屋開催が予定されていたこともあり、会場に集まった海外の環境NGOや研究機関、メディアの関係者の脳裏には2010年のテーマとして<SATOYAMA=里山>が刻まれた。

  その後、ジョグラフ氏は谷本知事がスピーチで紹介した日本の里山を実際に見てみたいと能登半島を訪れる。名古屋市で開催された第16回アジア太平洋環境会議(エコアジア、2008年9月13日・14日)に出席した後、15日に石川県入り、16日と17日に能登を視察した。初日は能登町の「春蘭の里」、輪島市の千枚田、珠洲市のビオトープ、能登町の旅館で宿泊し、2日目は「のと海洋ふれあいセンター」、輪島の金蔵地区を訪れた。珠洲の休耕田をビオトープとして再生し、子供たちへの環境教育に活用している加藤秀夫氏(同市立西部小学校長=当時)から説明を受けたジョグラフ氏は「Good job(よくやっている)」を連発して、持参のカメラでビオトープを撮影した=写真=。ジョグラフ氏も子供たちへの環境教育に熱心で、アジアやアフリカの小学校に植樹する「グリーン・ウェーブ」を提唱している。訪れた金蔵地区で、里山に広がる棚田で稲刈りをする人々や寺参りをする人々を目の当たりにしたジョグラフ氏は「日本の里山の精神がここに生きている」と述べた。金蔵の里山に多様な生物が生息しており、自然と共生し生きる人々、信仰心にあふれる里人の姿に感動したのだった。

  能登視察はジョグラフ氏にとって印象深かったのだろう。その後の生物多様性に関する国際会議で、「日本では、自然と共生する里山を守ることが、科学への崇拝で失われてしまった伝統を尊重する心、文化的、精神的な価値を守ることにつながっている。そのお手本を能登半島で見ることができる」と述べていたそうだ。

 ⇒30日(水)夜・金沢の天気   くもり

☆文明論としての里山2

☆文明論としての里山2

 先回述べた国際スローフード協会設立大会が1989年にはパリで開かれ、スローフード宣言を出して国際運動となった。活動には3つの指針がある。「守る:消えてゆく恐れのある伝統的な食材や料理、質のよい食品、ワイン(酒)を守る」「教える:子供たちを含め、消費者に味の教育を進める」「支える:質のよい素材を提供する小生産者を守る」 である。伝統的な食材、地域の食の教育、小生産者、これらは、市場原理主義のグローバルマーケットの渦の中で無視されてきたアイテムである。市場では競争を前提として、経済主体の多数性、財の同質性(一物一価)、情報の完全性、企業の参入退出の自由性という4つの条件が担保されないと相手にされない。つまり、市場では「死ね」と宣告されたも同然なのである。こうした地域のアイテムを必死に守ろうというのがヨーロッパにおけるスローフード運動なのである。

             混沌とした状況の中から

  日本でも食の問題が起きた。どこの国で生産されたのかも不明な食材や加工食品を、安全性を二の次にして安価というだけで市場に流す。そのため価格では太刀打ちできない国内の小生産者は生産を止め、地域そのものが疲弊していく。地域の労働の担い手は都会に出て行く。土地を離れた労働者は現金収入によって生活をする非熟練労働者になる。彼らを待ち受けているのは結局、失業と貧困である。  これまで、「国民の経済」に歪みや偏りが起こると政府は、税金や補助金や社会保障給付というカタチで所得の再配分を行ってきた。ところが、一部を除いて世界的な不況となると自動車産業などグローバル企業でさえ赤字決算に陥る。日本を始め欧米は軒並み巨額な国債発行で財政をしのいでいが遅かれ早かれ国家自体が破綻する。民主党政権が、郵貯の民営化にストップをかけたのも、再び郵貯を「国債消化機関」として復活させようとしているからだとの見方もある。資本主義だけではなく、政治も国家も疲弊している。

  混沌とした中である現象が起きている。その現象の先陣を切っているのは芸術家たちだ。「大地の芸術祭」は3年に1度、越後妻有地域(新潟県十日町市・津南町)の里山で開催される。越後妻有は1500年にわたって棚田など農業にかかわってきた。市場原理主義の流れの中で、農業は切り捨てられ、広い大地は見捨てられ過疎地となった。しかし、そこが今や芸術の舞台となった。760平方㌔の里山に330を超えるアートを仕込む作業。一人の女学生が各戸を訪問して、手ぬぐいを何枚か集めて縫って、刺繍を描く作業。最終的に4500人のおばあさんと子供たちの協力で1万2000枚の手ぬぐい刺繍が完成した。また、廃校になった分校に残されていた卒業式の送辞、答辞、スナップ写真、あるいはいろいろな文集を再構成した。校舎に入ると、ここで過ごしたであろう子供たちのざわめきが聞こえて、子供たちが走っているような錯覚に陥る。美術が時間を形象化したと高い評価を受けた。「大地の芸術祭」は8万人そこそこの地域に50日間に数十万人の人が訪れる一大芸術祭の様相を呈してきた。

  「大地の芸術祭」の総合ディレクターである北川フラム氏は昨年(08年)9月の金沢での講演でこう述べた。「私たちは都市の時代で20世紀を生きてきた。都市がすべてを解決してくれると思っていた。けれども都市が傷み、病むにつれて、美術も病み、傷んできた。そのときにもう一度、美術が持っている場所を発見する力、人と人をつなぐ力、場所と人をつなぐ力というものが越後妻有で起きだしたということ」「ちなみに、イギリス、オランダ、フランス、オーストラリア、フィンランドは、もう大地の芸術祭はベニスのビエンナーレを超えたランクでいろいろ手伝ってくれている。もしかしたら21世紀の美術というのはそこで、つまり里山、そういう生活の中で生き返るのではないだろうか」と。そして最後に「芸術は里山に救われた」とも。

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★文明論としての里山1

★文明論としての里山1

 もう35年前にもなる。学生だったころ、ドイツの社会経済学者マックス・ウェーバーの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905年)をゼミで論じ合った。資本主義はどのようにしてヨーロッパで生まれたのかというテーマを精神的土壌からひも解いていくものだった。

           「強欲」と呼ばれる資本主義

  プロテスタントの教義は、身分は低くとも自分の仕事に誇りを持って専念しなさいと人々を諭した。これがカルヴァンが説いた予定調和説の「あらかじめ神が決めたこと」だ。プロテスタントの教会には階級序列がなく、人々にも上昇志向や贅沢志向というものがなかった。こうした生真面目な精神性が、高い生産性と「働いて貯める」倫理を生みだし、それが資本主義の蓄積へと間接的に連なって行く。一方、カトリック社会では階級序列があり、より高い階級へ上昇できる可能性がある。すると、今の仕事はより高い地位に就くための通過地点にすぎないと考える人々は実入りのよい仕事に目を向け、現状の仕事に専念しなくなる。その結果として生産性は低くなる、とウェーバーは分析したと覚えている。

  こうした「清貧な労働」はその後に変容していく。カルヴァンと同じく予定調和説に立ち「神の見えざる手」として市場原理主義を考えたアダム・スミスは、『国富論』の中で、労働こそ富の源泉とし、それまで富といえば宝石や農産物という考え方を覆した。労働価値というものがあり、貧しい社会が隆盛で幸福であろうはずはないとして高賃金論を展開していく。1776年に『国富論』が出版された当時、賃金が上昇すると労働者が怠慢になるという風潮があったからだ。この時代あたりから、予定調和説と利益追求が一体となって、現在イメージされる資本主義の原型が出来上がったようだ。

  時代は飛んで、「東西冷戦」という歴史があり、旧ソビエト連邦が1991年に崩壊し、誰もが資本主義が共産主義に勝ったと思った。ところが、2008年にサブプライムローンの破綻によって、アメリカの金融マンや経営者がカジノの胴元のように称され、「カジノ資本主義」や「強欲資本主義」などと資本主義の評価は急落した。テレビで映るアメリカのデモ行進で、「GREED(強欲)」と書かれたプラカードを掲げているのは、「あらかじめ神が決めたこと」予定調和説を無視して、おのれのに利益追求に暴走し経済を混乱に陥れたと糾弾する姿である。

  資本主義と表裏一体で進んだ産業革命では、生産性や物流を促すために、地下に封じ込めてあった化石燃料を掘り上げて大気中に二酸化炭素として撒き散らした。それが地球温暖化や気候変動という現象として見え始め、地球的な環境問題としてクローズアップされている。人為的な地球温暖化という点ではさまざまな論争があり、その原因は単純ではないが、石油資源は枯渇へと進んでいることだけは間違いない。

  冒頭で述べた資本主義を生んだヨーロッパで現在起きていること。アメリカ文化を象徴するファストフードのマクドナルドの1号店が1980年代にイタリア・ローマに出来たことが刺激となって、イタリア北部ビエモント州ブラという人口3万人ほどの町で「スローフード運動」の声が上がった。1989年にはパリで国際スローフード協会設立大会が開かれ、スローフード宣言を出して国際運動となった。活動には3つの指針がある。「守る:消えてゆく恐れのある伝統的な食材や料理、質のよい食品、ワイン(酒)を守る」「教える:子供たちを含め、消費者に味の教育を進める」「支える:質のよい素材を提供する小生産者を守る」 である。

  このスローフード運動は食行動の見直しから生きることの見直しへと波紋を広げて、ヨーロッパに広がった。スローフード運動はいまやスローライフやスローワークへとカタチを変えて、資本主義による文明社会の見直し運動へと展開している。

 ⇒28日(月)夜・金沢の天気  はれ