☆「森は海の恋人」の方程式

☆「森は海の恋人」の方程式

 「森は海の恋人」。この詩情あふれる言葉が多くの人々を広葉樹の植林活動へと駆り立てている。先日(8月6日、7日)、金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムの講義に来ていただいた畠山重篤氏(宮城県)=写真=は「森は海の恋人」運動の提唱者だ。気仙沼湾のカキ養殖業者にして、「科学する漁師」としても知られ、著書に『鉄は地球温暖化を救う』(文藝春秋)がある。2日間にわたった講義のテーマは「森は海の恋人運動の22年」「物質循環から考える森は海の恋人」である。以下、要約して紹介する。

 畠山氏らカキ養殖業者は気仙沼湾に注ぐ大川の上流で植林活動を1989年から20年余り続け、約5万本の広葉樹(40種類)を植えた。この川ではウナギの数が増え、ウナギが産卵する海になり、「豊饒な海が戻ってきた」と実感できるようになった。漁師たちが上流の山に大漁旗を掲げ、植林する「森は海の恋人」運動は、同湾の赤潮でカキの身が赤くなったのかきっかけで始まった。スタート当時、「科学的な裏付けは何一つなかった」という。雪や雨の多い年には、カキやホタテの「おがり」(東北地方の方言で「成長」)がいいという漁師の経験と勘にもとづく運動だった。この運動が全国的にクローズアップされるきっかけとなったのは、県が計画した大川の上流での新月(にいつき)ダム建設だった。

 このとき、畠山氏らの要請を受けた北海道大学水産学部の松永勝彦教授(当時)が気仙沼湾の魚介類と大川、上流の山のかかわりを物質循環から調査(1993年)し、同湾における栄養塩(窒素、リン、ケイ素など)の約90%は大川が供給していることや、植物プランクトンや海藻の生育に欠かせないフルボ酸鉄(腐葉土にある鉄イオンがフルボ酸と結合した物質)が大川を通じて湾内に注ぎ込まれていることが明らかとなった。ダムの建設は気仙沼湾の漁業に打撃となることを科学的に示唆した。この調査結果は県主催の講演会などでも報告され、新月ダムの建設計画は凍結、そして2000年には中止となる。

 畠山氏が強調したのは、松永教授に依頼したのは、ダム反対運動の論拠を示すというより、むしろ「漁師が山に木を植えることの正当な理由が科学的に解明すること」であった。ダム反対のスローガンを掲げずに取り組んだ「森は海の恋人運動」はソフトな環境保護運動として人々の共感を得たのだった。

 ここに人と自然を関係を考える大きなヒントがある。里山と里海が、川を通じて自然がネットーワ化されているように、そこで暮らす人々もまたネットワークを結んで地域を再生していく理念となりうるということなのだ。つまり、「森は海の恋人」という詩情と物質循環という科学で裏打ちされた、流域の民の共有理念とも言える。

 話はくどくなるが、里山や地域を再生するには、人と自然をつなぐ理念が必要だろう。理念がなければ、人と自然はどんどんと離れていく。人と自然が離れれば離れるほど、自然は荒れ、人は自然を失って、社会も行き詰ると考える。本題に入る。物質循環など自然のネットワークの仕組みをもっと分かりやすく解明すれば、おのずとお互いがステークホルダー(利害関係者)であるとの認識を科学が教えてくれる。これを個人が有するというより、地域に生きる人々の理念として共有できないだろうか。公共の福祉や利益の実現のために人々がかかわること、あるいはもっと積極的に言えば、助け合うことである。

 このネットワークが、上流域の里と下流域の都市、あるいは大陸では上流域の国家と下流域の国家となろう。人や組織が有機的に結びつくことで、市場では得られない価値、それを「関係価値」と呼んでおこう。従来の物質的な豊かさや利便性だけを追求する価値観とは異なり、環境を理念とする関係価値という新たな公共の概念となり得るのではないか。

 畠山氏は講義の最後にこう述べた。「日本には2万1千もの河川がある。下流と上流の人々が手を携えて、山、川、海の再生に取り組めば、環境や食料、コミュニティなどの問題解決に大いに役立つのではないか」。「森は海の恋人」は地域再生の方程式なのかもしれない。

⇒12日(木)朝・金沢の天気  あめ

★過疎とコミュニティビジネス

★過疎とコミュニティビジネス

 人の営みによって支えられる里山にとって、過疎・高齢化によって地域の担い手を失うことは存亡の危機であり、人の手が入らなくなった里山は荒廃して原野に戻ってしまう。それを防ぐには、地域を活性化して、共同体や文化守っていかねばならないという視点は一貫している。では、地域を活性化するとはどのような意味かと突き詰めると、地域の課題を地域住民がビジネスの手法でどう解決するかということに行き着く。

 金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムの修了生による「サカキビジネス」はそのよい事例である。耕作放棄率が30%を超える奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)にあって、土地は有り余る。そこに、花卉(かき)市場では品質がよいといわれる能登のサカキを放棄した田畑に挿し木で植えて栽培する。しかも、サカキは摘みやすく、高齢者でも比較的楽な作業である。過疎や高齢化で進む耕作放棄地と、お年寄りの労働力に目をつけたビジネスなのである。いまでは2地区のJAがサカキ生産部会を結成し、高齢者を中心に組織的な取り組みが始まって入る=写真=。

 埼玉県から輪島市の山間部に移住してきた女性は、集落に宿泊施設がないので、自らが住む空き家だった家を「ゲスト・ハウス」として衣替えした。すると、農村調査の学生や棚田の保全ボランティアにやってくる都市住民、一般客が口コミでやってくるようになった。また、近くでは地元の女性グループがお寺の渡り廊下でカフェを営み、地方でも希薄になりがちな近所の人々の憩いの場として重宝されている。この地域に足りないもの、欠けているものは何か、それを自分たちのアイデアで解決しようとする発想なのである。今、能登ではこんな人々が草の根で増えている。このような地域資源を生かしながら地域に役立つビジネス手法は「コミュニティビジネス」と呼ばれている。

 「能登里山マイスター」養成プログラムでは現在、49人の受講生のうち、13人がIターンやJターンなどの移住組である。彼らもまた能登で生きていく生業(なりわい)としてコミュニティビジネスを目指している。驚くのは、「よそ者」である彼らには、地域の課題がよく見えるということである。IT技術者が農業青年グループのリーダーに、広告マンが特産の地豆を使った豆腐屋の店長に、青年海外協力隊員でアフリカ帰りの女性はハーブや地元食材を使った調理師に。彼らの身の処し方を見ていると、まるで地域の空白地帯を埋めるようにはまり込んでいるのである。そして、里山や里海という地域環境は彼らの可能性を無限に引き出しているようにも思える。

 そのささやかなビジネスの経済的な成果は決して大きくはない。ささやかな発想だから、課題解決にもビジネスにも失敗もあるかもしれない。しかし、農村と都市、自然と人間など、今、われわれはさまざまな関係性を失っている。彼らの試みは、新しいつながりを見つけることで少しでも豊かになり、地域に自信と誇りをもたらす動きになるに違いない。これが地域再生、あるいは地域活性化の姿であろうと思う。まだミクロな動きで顕在化はしていないものの、いまここに確かな未来があると感じるからである。日本全国にこうした若者の動きはある。なかで、あえて能登モデルと言ってもよいかもしれない。

⇒11日(水)午後・金沢の天気   はれ

☆人々の死の告知

☆人々の死の告知

 ローカル紙あるいは全国紙の地方版には、新聞社が独自に判断して著名人の死を掲載する記事死亡や、企業経営者ら名士の死を告知する死亡広告とは別に、「おくやみ欄」や「おくやみページ」というものがある。掲載は無料で、短信ながら、市町村別に亡くなれた方の名前や年齢、死亡日、葬儀の日程と場所、喪主、遺族の言葉で構成され、このページのニーズは高い。

 おくやみ欄に目を通すといろいろなことが脳裏をよぎる。若い人の死亡が散見される。20代、30代、40代での死亡は、その死亡原因を想像してしまう。病死か、交通事故死か、あるいは自殺か、と。その喪主が父母だったりすると心中をはかるに忍びない。遺族の言葉に「やさしい子でした」とあると病死か、「精一杯頑張りました」とあると自殺かとつい思いをめぐらしてしまう。喪主が妻だと、妻子の生活や将来を他人ながらつい案じてしまう。

 ことし5月の連休に訪れた沖縄では、地元紙に日々掲載される死亡広告の多さに圧倒された。おそらく、沖縄では名士でなくとも、人の死を電話ではなく、地元紙に死亡広告を出して親族に知らせるのが普通なのだろう。その方が、迅速に広範囲に告知できるからだ。現地で「カメヌクー」と呼ばれる亀甲墓はとにかく大きい=写真=。1000坪の敷地の墓もあると観光ガイトから聞いた。このお墓の大きさからして、確かに数十人の参列の葬儀は合わない。死亡広告でファミリーに広く知らせるのが沖縄流なのだろう。ちなみに、沖縄の亀甲墓の形は母親の胎内を象徴しているのだという。死者は常に産まれた所に還り、ご先祖さまはまたいつか赤ん坊になって還って来るという「あの世観」があるそうだ。

 人の死を告知する「おくやみ欄」は、地方紙の販売戦略という意味合いもあるが、それは別として、この欄があることで、人々の死はオープンであり、身近な存在に感じる。もちろん、遺族によっては掲載してほしくないというケースもあるだろう。ともあれ、朝刊で知って、弔電を打ったり、数珠を持って出社して夕方帰りに通夜に参列したりということも日常である。ところが、全国紙の東京都内版ではこの「おくやみ欄」はない。都内版で「おやくみ欄」を入れると数が膨大でニュースのスペースが圧迫されるからだろう。せいぜいが著名人の死亡記事が散発的に掲載される程度だ。

 ここで、東京・足立区で111歳の男性とみられる白骨遺体が見つかった事件を、「人の死の告知」という観点で考えてみる。地方に住む者にとって、「おくやみ欄」を通じて、人の死は告知されるのが普通と考える。では、都内はどうだろうか。おそらく、人の死の告知は死亡記事で書かれるような名士、つまり上場企業の元経営者、作家、あるはよく知られた芸能人とか限られたケースと考えられているのではないか。

 人の死の告知というシステムがなければ、人の死は遺族が知りえる親戚、限られた友人、知人だけの周知にとどまってしまう。ところが、人生は遺族が知りえるほどの狭さではない。その人に会社というステージがあれば、さまざまにかかわってきた人がいて、喜怒哀楽があったはずである。葬儀場に赴かなくとも、どこかで哀悼してくれる人がいるはずである。自身もそうだ。お世話なった人の名が「おくやみ欄」にあればその場で悼む。

 「111歳の男性」は告知されるどころか、その死すら否定されてきた。その後の報道によると、100歳以上の10数人の生存が確認されていないという。これは氷山の一角だろう。生死観は人間のモラルの原点である。人の死の尊厳とは何か。放置される死もあれば、放置される命もある。生と死に関する人々の関与が希薄になっている。

⇒4日(水)朝・金沢の天気  はれ

★地デジ化の扉・下

★地デジ化の扉・下

 7月24日の「地デジカ大作戦」は1年前イベントであり、全国で展開された。あえて沖縄での様子を各メディアのニュースで拾ってみる。今年3月に総務省が実施した地デジ世帯普及率調査で、沖縄県は全国平均の83.7%に対し65.9%と17.8ポイントも低く、全国最下位にあまんじている。

         沖縄の「いちでージーサー」

  沖縄の地デジカ大作戦は、那覇市で実施された。イベントには「沖縄県地デ~ジ支援し隊」をはじめ、沖縄県の放送局各局のキャラクターたちも参加し、うちわを配布するなどして地デジ化をアピール。また、舞踊集団がパフォーマンスを披露し、イベントを盛り上げたという。このまま地デジ完全移行の日が近付くと、テレビの購入や工事などが同時期に殺到し、環境整備が遅れる可能性があり、イベントでは早めの地デジ対応を県民に呼び掛けたのは言うまでもない。

  イベントとは別に、沖縄県では、県地上デジタル放送受信者支援事業として「地デ~ジ支援し隊」のキャンペーンを張り、市町村役場に相談窓口を設置している。とくに、経済的困難などの理由で地デジ受信が困難な世帯に対する支援が中心で、市町村の公営住宅などを中心にキャラバンを行うなどしている。補助の対象は県在住で世帯全員が市町村民税非課税であること。支援金は地デジテレビ関連機器購入費用のうち最大12,000円(対象経費を超えない額)となる。この支援を受ければ、少なくともデジアナ変換のチューナーが買える。

  こうした手厚い支援がこの一年でどこまで浸透するのか、注目したい。実は、地デジの延期論が起きている一つの根拠に県別の普及率が大きすぎるとの意見がある。普及率トップの富山県(88.8%)と沖縄の差は22.9ポイントもある。このまま格差が開けば、日本の地デジ政策を揺るがす火ダネとなりかねない。沖縄県庁のホームページを閲覧すると、情報政策課の地デジ対策のアイコンで「早く地デジにしないと いちでージーサー」とシーサー(沖縄の魔よけ)キャラクターが呼びかけている=写真=。「いちでージーサー」は「一大事だ」の意味だ。

 基地問題と同様に、地デジ問題も「沖縄の憂鬱(うつ)」の一つになっているのは想像に難くない。なにしろ、アナログ停波は「予定された災害」なのである。「ナンクルナイサー(なんとかなるさ)」では済まされない事情を沖縄で検証してみた。

 ⇒30日(金)朝・金沢の天気  雨のち晴れ

☆地デジ化の扉・中

☆地デジ化の扉・中

 珠洲市が総務省が募集した地デジへのリハーサル候補地に手を挙げ、先行モデル地区に採択された理由に一つに能登半島の地形をうまくアピールしたという点がある。それは、三方を海に囲まれ、実験的にアナログを停波しても近隣の市町には影響がほどんどないということ。もう一つはエリアが8800世帯(珠洲市6600世帯と能登町の一部2200世帯)という、実験としては適切な規模であり、また、少子高齢化の過疎地として全国の「地デジ化モデル」となりうることだった。もちろん、切実感を持って取り組んだ首長の意欲もあり、総務省とすると実験地としては最適だったに違いない。もう一つ上げるなら、国の事業として、能登空港があることで、東京からのアクセスが良かったということだろう。

      「珠洲モデル」といわれた町の電器店の働き

  地デジ化ほぼ100%にこぎつけたもっとも大きな理由は2つある。一つは、ケーブルテレビ加入率が高いこと。珠洲市の場合は65%、能登町は94%に達している。珠洲市のケーブルテレビは「デジアナ変換」をで、加入世帯は現行のままの状態で視聴できる。そのコストは工事費3万9900円、年間の利用料1万2100円が少なくともかかる。二つの理由は、チューナーの無料貸与があげられる。これは、デジタル波を直接受信する世帯(約3000世帯)を対象に無料で貸与されるもので、1世帯当たり4台を限度に貸し出される。チューナーはデジタル波をアナログ変換するので、従来のアナログテレビで取り付けて視聴する。3000世帯の中にはデジタル専用テレビに買い換えた世帯もあるが、家庭内の2台目や3台目にまで手が届かない場合はチューナーでとなる。希望があったホテルや事業所、民宿などにも対応した。その総計が4200台にも及んだ。

  では、テレビ電波の直接受信世帯にチューナーを貸与さえすれば、人々は上手に取り付けて、それでOKなのだろうか。能登は少子高齢化のモデルのような地域なのだ。珠洲同市では6600世帯のうち40%が高齢者のみの世帯で、さらにその半分に当たる1000世帯余りが独居である。問題はここから始まる。高齢者世帯を町の電器屋が一軒一軒訪問し、チューナーの取り付けからリモコンの操作を丁寧に教える。このリモコンにはチューナーとテレビの2つの電源がある。一つだけ押して、お年寄りからは「テレビが映らないと」とSOSの電話が入る。このような調子で、「4回訪ねたお宅もある」(電器店経営・沢谷信一氏)という。おそらくこれからもフォローが続くだろう。

  24日の記念セレモニーの中で、泉谷満寿裕市長は「高齢者世帯を一軒一軒回っていただき、電器店のみなさんには本当に感謝したい」とあいさつの中で2度も述べた。今回地デジに対応に一肌脱いだ町の電器屋は珠洲が11軒、能登町が4件の15軒。もちろんボランティアではない。ただ、ボランティア以上に「お年寄りのお宅は何度も何度も、丁寧に丁寧に」対応した。

  地元をよく知る電器店だから動くことができたといえる。この働きは予期せぬ効果を上げたことから、「珠洲モデル」と評価されている。記念セレモニーのステージで、デジタル放送推進協議会の木村政孝理事が一人ひとり電器店の店主の名前を読み上げ感謝状を贈った=写真=。泉谷市長が2度も「感謝したい」と述べた理由がここにある。

  地デジ受信機の世帯普及率は83%(ことし3月、総務省調べ)であり、地デジに対応していない世帯数は1000万近く残っている。全国的には、大型家電店の進出で町の電器屋は減っているという。「珠洲モデル」が果たして、全国のお手本となるのか、どうか。

 ⇒25日(日)夜・金沢の天気  はれ   

★地デジ化の扉・上

★地デジ化の扉・上

 アジアで初めて、放送の地上アナログ波が停波した。こう表現すると、少々おおげさに聞こえるかも知れないが、実際にはそのくらいのインパクトはある。きょう7月24日正午で能登半島・能登町明野地区にある珠洲中継局から発信されていたテレビのアナログ放送を終了し、デジタル放送へ移行した。珠洲市の「ラポルトすず」で開催された記念セレモニー(午前11時30分開始)に出席した。

            扉を開いた人のリスク・マネジメント

  停波に向けたカウントダウンの声が上がったのは、正午より30秒ほど前だ。地元の民放テレビ局の社長らが「スイッチオンセレモニー」に立ち会い、定刻にステージ上に並べた民放とNHKのアナログ放送のモニター放送が一斉に砂の嵐状態になった。すかさず、北陸総合通信局長の吉武洋一郎氏による「珠洲地区デジタル化完了宣言」があった。つまり、ここにアジアでの地デジの第一歩を記したと宣言したのだ。

  きょうは「日本全国地デジカ大作戦」と題して各地で広報イベントが繰り広げられたが、東京の帝国ホテルでは「~地上・BS 完全デジタル移行まったなし1年前の集い~」(主催:デジタル放送推進協会)が開催され、珠洲会場と東京会場が双方向の中継で結ばれた。原口一博総務大臣から「珠洲市は全国に先駆けて完全デジタル化の扉を開いた。今後の発展に期待したい」と珠洲市に向けてお祝いのメッセージが送られた。  新しい構想が打ち上げられた。珠洲市での記念セレモニーであいさつに立った総務省官房審議官の久保田誠之氏が、珠洲で停波で空いた周波数帯(ホワイト・スペース)で、観光目的などに利用する「エリア・ワンセグ放送」の実証実験を行うと述べたのだ。アナログ放送の停波に伴うエリア・ワンセグの実験は全国初ということになる。ホワイト・スペースに関しては、マルチメディア放送や携帯電話、道路交通システムなどへの電波割り当てが検討されている。当初は珠洲市役所周辺の数百㍍、徐々にエリア拡大して地域振興を目的としたエリア・ワンセグにする構想という。ホワイト・スペースの活用によって、地デジの意義付けが実感できるものとなるに違いない。

  ところで、完全デジタル化の扉を開いた珠洲市だが、その旗振り役は同市の泉谷満寿裕市長だった=写真=。総務省のアナログ停波リハーサル事業(2009年度)の候補地に名乗りを上げた。2007年3月25日の能登半島地震では、多くの家庭で屋根のアンテナが落下あるいは向きがずれ、またテレビ本体が棚から床に落ちてテレビ視聴ができなくなった。家電量販店の進出で数少なくなった地元の電器店が右往左往する光景を目の当たりにしてきた。さらに同市では過疎・高齢化が進む。6600世帯のうち40%が高齢者のみの世帯で、さらにその半分に当たる1000世帯余りが独居である。

 泉谷市長には、「地デジに高齢者世帯は対応できるのか。地震のときのように市民がうろたえるのではないか」と、予想されるこの事態をどう乗り切るか常に問題意識としてあったという。「2011年7月24日」は、表現は適切でないかもしれないが、「予定された災害」である。こうした首長の切実感が停波リハ-サルにいち早く名乗りを上げ、着実に地デジ化100%の道をつけた。これはリスク管理といった方が分かりやすいかも知れない。

⇒24日(土)夜・金沢の天気  はれ

☆切れている関係

☆切れている関係

 農産物の直売場がちょっとした人気だ。市場を通した店舗販売より安価で、生産地が近いという安心感も、受けている理由の一つなのだろう。金沢市北部にも、JAが運営する直売場=写真=が来月(8月)にオープンする。ただ、その建築物を見ていて、違和感を感じるのは鉄骨製の金属張り、木がまったく使われていないのだ。山と緑をバックにしながら、まず風景的に違和感を感じる。施工者の発想の中で「農と林の関係性」が切れているのではないかと直感した。

 農と林は本来一体である。かつて、野菜を耕す土壌は落ち葉を堆肥化してきたし、人々は農と林の仕事の組み合わせで里山の生業(なりわい)を立ててきた。ところが、農は化学肥料に依存し、外材の輸入による価格低迷で林の仕事はコスト的に見合わなくなった。1960年代からの高度成長期を経て、その有り様が鮮明になり、農と林の関係性はまったく別ものになってしまった。

 同じことが陸と海、つまり里山(農山村)と里海(漁村)でも言え、その関係性が切れている。古くから漁村では、魚は森に養われているという意味で「魚付林(うおつきりん)」と呼び、森を大切に保全してきた。里山と里海は個別に考えられがちだが、川を通じてつながっており、「自然のネットワーク」がかたちづくられている。この自然のネットワークの仕組みを解き明かすキーワードは「物質循環」である。栄養塩で言い表される、陸と海が一体となった食物連鎖であり、海の生態系と陸の生態系とのつながりを示す言葉である。魚付林はそのような自然のネットワークを守る人間のネットワークのことだった。

 さらに、人と自然の関係性も切れつつある。人と自然が離れれば離れるほど、自然は荒れ、人は自然を失って、社会も行き詰ると考える。物質循環から自然のネットワークの仕組みをもっと分かりやすく解明すれば、おのずとお互いがステークホルダー(利害関係者)であるとの認識を科学が教えてくれる。これを公共の理念として再構築できないだろうか。いわば、今風の「魚付林の再生」である。人や組織が有機的に結びつくことで、市場では得られない価値、それを「関係価値」と呼んでおこう。従来の物質的な豊かさや利便性だけを追求する価値観とは異なり、環境を理念とする関係価値という新たな公共の概念となるのではないか。

 話は前段に戻る。鉄骨製の金属張りの農産物の直売場はおそらく、コスト性を追求した結果だろう。そのために犠牲になったもの、それは周辺を含めた景観であり、農と林の総合的な直売という発想だろう。農だけで品揃えができるのだろうか。林から提供できる商品も多々ある。冬場は何を売るのだろうか。農と林という着想があれば、外観で木材を使おうといった設計になり、周囲に溶け込んだものになっただろう。

 人と自然、農と林、里山と里海、下流域と上流域、さまざまな関係価値を失って、荒涼として殺風景な世界が広がっている。それが今の日本だ。おめでたい開店を前に、ある直売場の建設現場から見えた心象風景を吐露した。

⇒22日(木)夜・金沢の天気  はれ   

★選挙のテレビ関係者

★選挙のテレビ関係者

 参院の新議員51人の顔ぶれを見ると、その党が選挙ポリシーが理解できる。まず目に付くのは、民主はテレビ関係者が多いことだ。TVリポーター(北海道)、テレビ局記者(滋賀)、蓮舫氏も元テレビ局のキャスターだった。落選したが、大阪ABCの人気番組「探偵…」の女性司会者や、富山の元テレビ局アナウンサーなどかなりの数でテレビとかかわった人たちが今回、選挙を戦った。その点、自民は県議、市議ら地域で基盤を築いてきた、いわゆる「叩き上げ」が多い。ざっと数えただけで県議出身が7人も。

 民主党は、知名度が抜群なテレビ局関係者をイメージ戦略として利用したのだろう。国政選挙にあるいは、政界に打って出たいというテレビ関係者はいくらでもいる。ちょっとした人脈を得て、候補者として起用されたであろうことは想像に難くない。また、こう述べると、「テレビ局関係者はタレントとは違うので、軽々に選挙に出るべきはない」と言っているのではない。自らのポリシーを持って、国政に出ればよい。

 ただ、言いたいのは有権者の多くは、テレビ関係者とタレントを同列視する傾向がある。視聴者からすれば、司会者であっても、キャスターであっても、テレビのモニターに映る人はみんな同じタレントに見えるのである。テレビ局側もその司会者やキャスターのキャラ(個性)を生かして、番組を構成している。そのキャラとは話し方や仕草など番組のコンセプトに違和感のない人物を登用しているのだから、いわばタレントである。視聴者がそう思うのも当然である。

 昨日(12日)のテレビ朝日「報道ステーション」で、有権者がこのような趣旨のことをインタビューに応えて述べていた。「大阪は、横山ノックさんでタレント候補はもういらんと思っている」と。2000年に強制わいせつ罪で在宅起訴され、知事を辞職した横山ノック(山田勇)大阪府知事のこと。大阪人の「タレント候補アレルギー」は相当なものだと日ごろ思っていた。07年1月にそのまんま東(東国原秀夫)氏が宮崎県知事が当選したとき、朝日新聞大阪本社は大阪の世論に配慮して、一面トップとはせず、準トップとして扱った。同じ朝日新聞東京本社や各紙は一面トップだった。

 これは大阪だけの傾向なのだろうか。民意や世論は必ずしも有名人を欲してはいない。有名人は票が取れなくなっているのではないか。むしろ、県議や市議といった、有名ではないが、基盤を持っている候補者は信頼感がある。無党派層の取り込みを狙ったタレント候補時代、あるいはテレビ関係者候補の時代は終わったように思う。政党はワンパターン化したイメージ戦略を見直すべきなのだ。

⇒13日(火)朝・金沢の天気  あめ

☆当確打ちの舞台裏

☆当確打ちの舞台裏

 11日の第22回参院選の選挙特番は各局、チカラが入っていた。テレビ朝日の「選挙ステーション2010」(午後7時57分スタート)は、投票が締め切られた午後8時で出口予想として、「民主47-自民50」とした。結果は、民主党は2004年の50議席に及ばない44議席にとどまり、自民党の51議席を下回る大敗となった。自民党は「改選第1党」に復調。みんなの党も改選第3党となる10議席に躍進し、民主党は国民新党との連立与党で過半数を割り込んだ。続々と出てくる当確に、テレビ各局の当確(当選確実)打ちの技術はスキルアップされたと印象を受けた。

 昨日は家族といっしょに投票場に出かけた。ここ数年、市議選から国政選挙まで欠かしたことがない。政権交代など流動化している政治が面白いし、当落予想は楽しみだ。その実感をつかむには投票行動を起こすことが何よりと考えているからだ。投票場の出入り口には、NHKと地元新聞社の調査員が待機していた。出口調査のためだ。新聞社の調査員が寄ってきて、「ご協力をお願いします」と依頼され応じた。今回の選挙区では誰に、比例ではどの政党にのほかに結構細かな質問がある。「石川県知事を評価するか」などといった、今回の参院選に直接関連しない項目もある。地元新聞社なので、県内の動向をつかんでおきたいのだろうと、むしろその姿勢に好感が持てた。この出口調査の結果は新聞社系列のローカルテレビ局にもデータが共有され、当確打ちの判断材料となっているはずだ。

 このテレビ局の当確打ちの根拠となるデータは出口調査だけではない。投票が締め切られる午後8時以降、調査の舞台は開票場に移る。各投票場から投票箱が続々と開票場に集まってくる。そして9時過ぎごろから実際の開票が始まる。投票箱が開けられ、票がばらまかれる台は「開披台(かいひだい)」と呼ばれる。その票を自治体の職員が候補者ごとに仕分けしていく。その職員の手元を双眼鏡で覗き=写真=、どの候補者が何票得ているかカウントする。この作業は、マスメディアの業界用語で「開披台調査」と称している。開票場は普通、体育館で行われるので、観覧希望者は2階に上げられる。その2階から覗くのである。双眼鏡で覗くので「違法性」があるのではと一般の観覧者は思うのだが、メディア各社は選挙管理委員会に「双眼鏡で調査する」旨を届けており、選管も了解済みだ。

 開披台調査はペアが基本だ。一人が双眼鏡で仕分けされる候補者の名前を読み上げ、もう一人それを数字でチェックしていく。「A候補が100、B候補が59、C候補が10」というように、軸となるA候補が100になるまでカウントして、その他の候補の数字と比較する。こうしたペアが同じ開票場に5組ほど配置され、それぞれ異なった開披台を調査する。A候補が100になった時点で電話でデータ集計本部に連絡される。開披台調査では、A候補が2000になった時点で、実際の開票終了時との集計誤差はプラス、マイナス3%にまで高められるとされる。この開披台調査では大学生らが新聞-テレビの1系列で数千人規模でアルバト動員され、各局が当確打ちの速さを競うことになる。

 選挙特番を視聴していると、その番組のスタジオの裏舞台が見えてくる。どのテレビ局が確実なデータを収集して、それを当確打ちにいち速く反映しているのか…。テレビ局の総力が試されているのが、選挙である。

⇒12日(月)朝・金沢の天気  あめ

★所信表明を読み解く

★所信表明を読み解く

 6月11日の菅総理の所信表明演説が翌日、新聞各紙に掲載された。つぶさに読むと、「生物多様性」という言葉が2度、ほかに「グリーン・イノベーション」や「ライフ・イノベーション」「少子高齢社会を克服する日本モデル」「一人ひとりを包摂する社会」とい新たな言葉がちりばめられた演説文となっている。菅氏と言えば、市民運動家というイメージが浮かぶ。有名な話は、市民からの寄付の領収書代わりに「菅直人株」を発行し、配当する利益は「良い社会」というアイデアを打ち出し、ボランティアによる「市民選挙」を進めたことだろう。母親から「子ども手当て」をもらってぬくぬくと育った前総理とは違って、目線が広く鋭い。そんなことを思いつつ、所信表明演説を読み解いてみる。

 面白いと思ったのは、「少子高齢社会を克服する日本モデル」だった。少子高齢化は日本だけでなく、ヨーロッパを含めて問題だ。ただ問題とするのではなく、積極的に打って出て、「克服する日本モデル」をつくろうと提唱している点だ。これは年金、介護、子育て支援を含めた社会保障をトータルでハンドリングできる仕組みづくりを進めるという意味合いだと読める。そのために、過去さまざまに論議をされてきた「社会保障や税の番号制度」などに踏み込んで基盤整備を進めるとしている。確かに、「崩壊」が危惧され、若者が見限りつつある年金制度にしても、問題が個別化してしまって見えにくくなっている。この際、「揺りかごから墓場まで」の強い社会保障の再構築が必要であり、それを国際モデル化するという発想なのだろう。さらにその信念のほどについて、演説では「企業は従業員をリストラできても、国は国民をリストラすることができない」と述べている。市民目線の貫きを感じる。

 市民派宰相の地域への目配りはどうだろうか。農山漁村を有り様を意識して、「農山漁村が生産、加工、流通までを一体的に狙い、付加価値を創造することができれば、そこに雇用が生まれ、子どもを産み育てる健全な地域社会が育まれます」と述べ、さらに、林業は「低炭素社会で新たな役割が期待される」としている。残念ながら、地域の有り様は総論なのである。

 ここで提起したいのは、先に菅氏が強調した「少子高齢社会を克服する日本モデル」は何も都市現象ではない。農山漁村の方がテンポが速い。さらにこれは国内問題ではなく、国際的な問題でもある。そこで、たとえば、海外の類似の人口形態系の国、イタリア、イギリス、フランスなどヨーロッパ諸国と連携して、日本が先端を切って少子高齢化と農山漁村の問題に立ち向かうアピールした方が説得力がある。 

 演説文で違和感があったのは外交問題だ。北朝鮮に関して、「不幸な過去を清算し、国交正常化を追及します」とまず述べ、その後に「拉致問題については、国に責任において、すべての拉致被害者の一刻も早い帰国・・・」と綴っている。これは逆だろうと誰もが思うだろう。現在進行形の問題(拉致問題)が優先である。6月8日付のアサヒ・コムによると、自民党の安倍晋三氏は、北朝鮮による拉致事件の実行犯とされる辛光洙(シン・グァンス)容疑者の釈放運動に菅氏が土井たか子氏(元社民党首)と関わった事実を挙げて批判していると報じている。今後の国会で、この釈放運動に関する過去問題と今回の演説の絡みが追及されそうだ。

 「自在コラム」でも述べてきた普天間基地の移設問題については、『平和の代償』を著した国際政治学者、永井陽之助氏を引き合いに出して、「現実主義を基調とした外交を推進する」と前置きして、「日米合意を踏まえつつ、同時に閣議決定でも強調されたように、沖縄の負担軽減に尽力する覚悟」と述べるに止まった。ただ、「今月23日、沖縄全戦没者追悼式が行われます。この式典に参加し、沖縄を襲った悲惨な過去に思いを致すとともに、長年の過重な負担に対する感謝の念を深めることから始めたい」と沖縄行きを明かした。これが菅氏が沖縄問題に踏み込む第一歩となるのだろう。

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