☆GIAHS能登対話

☆GIAHS能登対話

 国連食糧農業機関(FAO、本部ローマ)のGIAHS事務局長、パルビス・クーハフカン氏が17日、認証セレモニーに出席のため能登入りした。パルビス氏が能登を訪問したは昨年6月以来、2度目となる。前回は金沢でのシンポジウム出席のため、ついでに能登の里山里海の視察で訪れた。金沢大学の能登学舎では、環境配慮型農業の社会人養成コース「能登里山マイスター養成プログラム」のカリキュラムと水田での生物多様性実習などについて説明を受け、それについて鋭く質問を浴びせた。さらに、実際に能登の田んぼで採集され昆虫の標本を食い入るように見ていた=写真=。パルビス氏が説く農業と環境の共存という主張は、本物だとこのとき私自身実感した。いまにして思えば、彼にとってもこのときの能登視察の第一印象が鮮明に残ったに違いない。言葉の端々に「N0TO」が出てくる。

 パルビス氏は能登空港で開催された認証セレモニーで「GIAHSは過去についてではなく、未来についてがテーマである。これが終わりではなく、始まりなのだ」と語った=写真・下=。氏の演説を録音起こしした早業の女史がいる。その原稿をいただいたので、そのまま掲載する。

 Honorable Governor of Ishikawa Prefecture, Mayor of Noto, Proffessor Takeuchi, members of government, and local community, colleagues and friends, It is an honor and privilege for me to represent the (聞き落とし) of FAO, food and agricultural organization of the United Nations, in this very happy day of celebration of designation of noto peninsula as a globally important agricultural heritage system, or world agricultural heritage.

Dear friends and colleagues, please note Word Agricultural Heritage is not about the past but about the future.
Humanity faces many challenges: financial and economic crises, food and security and poverty, environmental degradation, climate change, and balance population dynamics and many other challenges.
The foundations of our modern development patterns are questioned and globalization is creating many distortions in local values, and direction of our future generation is questioned.
As many scientists and others agree these days, we need to go back to our basic principle to build a new future.
GIAHS is about pillars of sustainability–ecological, economical, and social. It is about local food production and consumption, empowerment of local community, and reduction of our carbon footprint.
It’s about conservation of sustainable utilization of our biodiversity, using our local knowledge to manage and enhance our capacity to live in harmony with nature.

It is about the promotion of cultural diversity, and our deep beliefs and values, and it is about our aesthetic values and conservation of our landscapes or our satoyama.
Becoming a World Agricultural Heritage is both a privilege, but particularly, it is a responsibility.
The first step in working as members of GIAHS community, is stake-holder consultation, and prior informed consent.
This principle is one of the major principles of the convention on biological diversity.
This means, politicians, decision makers, members of the government need to discuss, and decide together with local communities and citizens.

The second step is the mainstreaming of the principles of GIAHS in our policies and practices.
This means cherishing our biodiversity, cherishing our cultural diversity, taking care of our indigenous knowledge, and cherishing our aesthetic values.
It is about empowering local communities, and preparing and assisting them in providing new opportunities, such as labeling, such as eco-tourism, such as installation of young people, and preparation of livelihood order.
I’m very pleased that big nations such as Japan, China, India, and Chile, and many countries are cherishing in agricultural heritage, but this is not an automatic recognition.
We need to identify model farms and model farmers, who are integrating all these principles―principles of GIAHS―into their practices and policies.
And by providing capacity building and helping these communities that everybody could include their livelihood system and crises.
We need a green agriculture in an era of green economy.
I’m confident that we will work together in achieving these objectives and goals, and our children and youngest generation will come back and join our effort in this happiness.
Thank you very much.

⇒18日(土)・金沢の天気  くもり

★GIAHS北京対話-下-

★GIAHS北京対話-下-

 その歌声は懐かしい響きがした。北京で開かれているGIAHS(世界重要農業資産システム)国際フォーラムの11日夜の懇親会でのこと。中国ハニ族の人たちがステージに上がり土地の民謡を歌った後、能登半島・七尾市から武元文平市長に随行してきた市職員が祝い歌「七尾まだら」を披露した=写真=。武元氏もステージに上がり手拍子を打った。朗々と歌うそのシーンは感動ものだった。会場が沸いた。すると、すかさずケニア・マサイ族、ナイジェリアと参加者が続々とステージに上がり土地の歌を披露した。佐渡市長の高野宏一郎氏は「佐渡おけさ」を歌い、職員2人が踊った。ステージは国際民謡大会の様相だった。国際親善とは本来このような在り様なのだろう。

         生物多様性保全と持続可能な農業、手を携えるパートナーとして

 11日午前9時から開かれた認証式で、能登半島の「能登の里山里海」と、佐渡市の「トキと共生する佐渡の里山」が正式にGIAHS(通称:世界農業遺産)の登録が認められ、授与式があった。武元氏は「大変名誉ある認証をいただき、とてもうれしい。日本の中でも遅れているといわれてきた地域が評価された。豊かな自然、文化、農林水産業が営々と続いている。先人の営みがまとめて評価された。今後は能登と佐渡が手を携えて、環境に配慮した農林水産業の地域づくりにまい進したい」と語った。

 
 そして、高野氏は受賞の喜びをこう語った。「世界農業遺産(GIAHS)の登録はゴールではなく、新たなスタートです。この認定を誇りに思うとともに、佐渡島民は受け継いできたこの農業の価値を認識し、より一層の持続可能な農業生産活動と里山、自然、文化の保全そしてトキをシンボルとした生物多様性保全に取り組みを進めなければなりません。登録を契機に佐渡GIAHSプロジェクトアクションプランを策定し、市民の皆様と産官学の連携を構築し、佐渡島が一体となって、環境再生と経済発展の仕組みが強固となるよう推進し、人と自然が共生する里山の風景、文化、生物多様性保全の新しいモデルとして佐渡の取り組みが確立されるよう努力を続けたいと決意を新たにしているところです」

 今後、能登と佐渡が同じステージに立ち、生物多様性保全と持続可能な農業と地域づくり、そして国際交流、国際貢献とともに手を携えて進むパートナーとなる。

⇒12日(日)朝・北京の朝   はれ

☆GIAHS北京対話-中-

☆GIAHS北京対話-中-

 その瞬間に立ち会えて、北京に来た甲斐があったと感じた。きのう10日午後4時30分から始まった国連食糧農業機関(FAO)主催の「GIAHS国際フォーラム」の委員会で能登半島と佐渡のGIAHS(世界重要農業資産システム)認定が決まった。FAO側の責任者、GIAHSコーディネーターのパルビス氏が「日本からエントリーがあった能登半島と佐渡の申請に対して、拍手をもって同意を求めたい」と提案すると、20人の委員が拍手で採択した。能登地域GIAHS推進協議会(七尾市など4市4町)と佐渡市は去年12月17日にローマのFAOに申請登録書を提出していた。日本の2件のほか、中国・貴州省従江の案件(カモ・養魚・稲作の循環型農業)とインド・カシミールのサフラン農業も今回登録に追加された。

        農山漁村の国際ネットワークをつくろう

 GIAHSはFAOが2002年に設けた制度だ。伝統的な農業の営みや生物多様性が守られた重要な土地利用システムを登録し、農山漁村の持続的な発展を支援する仕組みで、ペルー、チリ、中国、フィリピン、チュニジア、アルジェリア、ケニア、タンザニアのパイロット地区8件が登録されている。もう少し詳しくこの制度を説明すると、1)食料安全保障と人間の福利を確保しながら、農業のシステムと生物多様性を育み適応させる、2)生物多様性と伝統的な知識を元の場所で保護するのと同時に、保護的な政府の政策やインセンティブを支援する、3)食料への権利、文化的な多様性、地元コミュニティーやその地域の人々の成果を評価し認識する、4)天然資源の管理のため、遺伝資源を元の場所で保護するという考え方に、さらに伝統知識や地元の慣例を統合していくというアプローチが必要であることを明確にする(「FAOホームページ」より)。簡単な話でいえば、共通の視点で、農山漁村の国際ネットワークをつくろうとうことなのだ。

 能登半島の場合、ユネスコの無形文化遺産として登録されている農耕儀礼「田の神アエノコト」を始めとして、1300年以上の歴史を持つため池と棚田の稲作、揚げ浜式の製塩技術など伝統と文化を売りとしている。農林水産業をベースとして、生物多様性や自然環境を守り、新たな価値を創造したいとの思いがある。フォーラムの2日目の10日、申請者の武元文平氏(石川県七尾市長)と高野宏一郎氏(新潟県佐渡市長)はそれぞれ能登と佐渡の農業を中心とした歴史や文化、将来展望などGIAHS申請の背景を英語でプレゼンテーションを行った。これ自体が画期的なことだ。

 選定のための委員会を傍聴して感じたことがある。当初非公開の会議と聞いていたが、オープンであり、撮影もとくに問題はなかった。足を引っ張る意見もなく、未来志向で人々と農業と環境の明日を考える、という雰囲気が漂っていた。きょう11日午前中に認証状の授与式がある。

※写真は、選定のための委員会で日本からの能登と佐渡のGIAHS登録を拍手で採択
⇒11日(土)朝・北京の天気  くもり

★GIAHS北京対話-上-

★GIAHS北京対話-上-

 中国・北京に来ている。この国際フォーラムのテーマが面白い。「Dialougue among agricultural civilization」。中国で開催されているので中国語訳は「農業文明之間的対話」となる。国連食糧農業機関(FAO)が主催する「GIAHS国際フォーラム」のことだ。やぶっからにローマ字が出てきて読みにくいが、GIAHSについては以前の「自在コラム」で書いた。

         里山イニシアティブとの相乗効果
 GIAHSは、Globally Important Agricultural Heritage Systems(GIAHS). 「世界農業遺産」とも呼ばれる「世界重要農業資産システム」のことだ。GIAHSは地域の環境を生かした伝統的な農法や、生物多様性が守られた土地利用システムを後世に残し、また世界に広めることを目的に、FAOが2002年に設立した。現在、世界遺産にも登録されているフィリピンのイフガオ州の棚田など8件が認定されている。

 昨年12月、先進国では初めて日本として、石川県能登半島の4市4町、それに新潟県佐渡市が同時に登録申請した。GIAHSは世界遺産の陰に隠れて目立たない存在だが、国連大学サステイナビリティと平和研究所などが生物多様性条約第10回締約国会議(COP10、昨年10月、名古屋市)で注目された里山イニシアティブとの相乗効果を高めようと動いて日本の申請が実現した。

 フォーラムの討議はきのう9日から始まり、きょう午前、申請者の武元文平氏(石川県七尾市長)と高野宏一郎氏(新潟県佐渡市長)がそれぞれ能登と佐渡の農業を中心とした歴史や文化、将来展望などGIAHS申請の背景を英語で紹介した。その内容を要約する。能登の七尾市など4市4町は、1300年の歴史を持つため池と棚田の稲作、沿岸部での製塩技術などを「里山里海」「半農半漁」の生業(なりわい)、ユネスコの無形文化遺産として登録されている農耕儀礼「田の神をもてなすアエノコト」を申請書に盛り込んだ。武元氏は「能登の8つの市と町がいっしょになって農林水産業をベースとした持続可能な地域づくりを行いたい」「GIAHS認定を契機として先祖から引き継いだ生物多様性や自然環境を守り、新たな価値を創造して次世代につなげたい」と述べた。

 高野氏は、国際保護鳥トキの放鳥で減農薬の稲作農法が広まったことを紹介し、「トキの餌場となる水田が増え、農家は収入も増えた。生物多様性と農業のよい循環が起きている」とブランド化の成果を説明した。「トキを守ることは人間の生活の糧を守ることと位置づけたい」と生物多様性と農業の将来戦略を語った。

 会場からは、「エコツーリズムも盛んになり、よいことだが、人が都会から押し寄せ、環境破壊などが起こらないか」などの質問があった。きょう10日午後4時半からGIAHS認定に関する運営委員会があり、能登と佐渡の登録が承認される見込み。あす11日午前にも認証状の授与式がある。

※写真(下)は会場からの質問に答える武元七尾市長(左)と高野佐渡市長(右から3人目)

⇒10日(金)午後・北京の天気  くもり

☆日本を洗濯‐6‐

☆日本を洗濯‐6‐

 5月11日から3日間、宮城県の仙台市と気仙沼市を中心に取材した。5月11日は震災からちょうど2ヵ月にあたり、各地で亡くなった人たちを弔う慰霊の行事が営まれていた。気仙沼市役所にほど近い公園では、大漁旗を掲げた慰霊祭があった。大漁旗は港町・気仙沼のシンボルといわれる。震災では漁船もろとも大漁旗も多く流されドロまみれになっていたものを市民の有志が拾い集め、何度も洗濯して慰霊祭に掲げられた。この日は曇天だったが、色とりどりの大漁旗旗は大空に映えた。

          「想定外」という死語を使う愚

 その旗をよく見ると、「祝 大漁」の「祝」の文字を別の布で覆い、「祈」を書き入れたものも数枚あった=写真=。おそらく、市民有志がこの大漁旗の持ち主と話し合いの上で「祈 大漁」としたのであろう。漁船は使えず、漁に出たくとも出れない、せめて祈るしかない、あるいは亡き漁師仲間の冥福を祈ったのかもしれない。持ち主のそんな気持ちが伝わってきた。

 午後2時46分に黙とうが始まった。一瞬の静けさの中で、祈る人々のさまざま思いが交錯したに違いない。被災者ではない自分自身は周囲の様子を眺めそう思いやるしかなかった。1本100円の白菊の花を手向けた。メディアの取材もあった。慰霊祭の主催者へのインタビュー、NHKは中継を行っていた。取材が終わり、現場をさっさと引き揚げる記者とカメラマンが多い中で、2人の記者が祭壇に向かって手を合わせていた。取材者であり、当事者ではない記者が祈りをささげる光景というのはあまり見たことがない。「ひょっとしてこの記者たちも被災者なのかもしれない」との思いがよぎった。自然な祈りのような気がした。

 公園から港方向に緩い坂を下り、カーブを曲がると焼野原の光景が広がる。気仙沼は震災と津波、そして火災に見舞われた。漁船が焼け、町が燃え、津波に洗われガレキと化した街となっている。リアス式海岸の入り江であったため、勢いを増した津波が石油タンクを流し、数百トンものトロール漁船をも陸に押し上げた=写真=。以前見た関東大震災の写真とそっくりだ。「天変地異」という言葉が脳裏をよぎった。今回の地震と津波は「想定外だった」という言葉をメディアを通じてよく聞く。よく考えれば、1923年9月1日に関東大震災を経験しているわれわれ日本にとって、「想定外」という言葉は死語に近いようなものだった。100年の間に想定外が2度起こることはありうるのだろうか。自らの責任を回避するために使っている、あるいは使っていただけなのだ。

⇒7日(火)朝・金沢の天気   はれ

★震災とマスメディア-11-

★震災とマスメディア-11-

 前回に引き続き遺体写真をテーマに。日本の震災報道では、新聞もテレビも遺体を映した写真や動画は一切ない。私の知る限り、朝日新聞アエラ臨時増刊号「東日本大震災」で掲載されていた、遺体にかけられた布団からのぞいている足首の写真が唯一の写真だった。一方、海外のメディア(ワシントンポストなど)では、遺体安置所で亡き人の顔を覗き込む被災者の姿が掲載されるなど写真は数多い。動画でもアップされている。日本のメディアは、遺体に関して神経質なまでに気を使っている。

      メディアの遺体画像をめぐる学生たちの意見

 こうした日本のメディアに在り様について、金沢大学の学生たちに考えてもらおうとアンケートを実施した(5月24日)。前回のコラムでも紹介したように、「現状でよい」が154人、「見直してもよい」が81人だった。

 では、学生たちの意見はどうなのだろうか、いくつか紹介したい。まずは、日本のメディアの在り様は今のままでよいとする現状派のリアクションペーパーから。

 「海外メディアのようにリアリティのある写真を載せれば、悲惨さや現状をまっすぐ伝えられと思うけれど、それを見てトラウマになってしまう人もいると思うからです。実際中学生のとき戦争中を映したDVDを鑑賞して焼け焦げた死体やバラバラになった身体をみました。それから私は戦争の映像を直視できなくなりました。日本のマスメディアには今のままでいき、言葉やインタビューを組み合わせて、視聴者に伝えてほしいです」(学校教育・1年)

 「見直してもよいと思う人もいると思う。それは自己責任で見ればいいのだから。その点は私も肯定できる点である。しかし、もし偶発的に小さい子供が見てしまったら、どうするのか。私が幼い頃にそんなものを見たらトラウマになることは確実だろう。そうなったら誰が責任をとるのだろうか。そのようなことを考えたら現状のままを維持すればよいのではないかと私は思う」(物質化学・1年)

 「第一に受け手の心情という観点から考えると、やはりご遺体の写真を掲載することはしないほうが良いと思います。ご遺体の中には、状態がきれいなものだけでなく、損傷の激しいものもあり、見ている側としては気持ちのよいものではないと思うからです。第二に個人の尊厳を守るという観点から考えると、写真の掲載はするべきではないと思います。震災などで損傷の激しいご遺体の写真をマスメディアで取り上げることは、報道側からすれば、被害の大きさや悲惨さを世間に伝えるという意味では視覚的でとても分かりやすく有効だと思いますが、一方で写真の被写体の人達は世間に”さらしもの”にされるわけで、亡くなったご本人の尊厳が損なわれるだけでなく、そのご家族も二重のショック(家族が亡くなったこととその無残な写真が世間に公表されたこと)を受けてしまう、と考えられます。被害の程度を世間に知らせることも大事ですが、その前に人権を守ることが大切だと思います」(保健・2年)

 では、見直し派(遺体写真の掲載)はどのような意見なのだろうか。リアクションペーパーから。

 「『死』が軽視されるのは、そのような社会と生き物の生死が切り離されているからだと思っている。夢物語のように生死が感じられない情報は自分の世界とは違う非日常で他人事にしか感じられない。だから、被害者以外の人々が差し迫った考えができないのではないか。例を挙げるなら、便利、不便程度で生活に支障をきたすと言ってしまうような都会の人々のように。自分たちが生きている日常が非日常であるということを実感するためにも、メディアは『現実』をある程度報道するべきだと思う」(自然システム・1年)

 「遺体の写真をみせ物のように載せるのはどうかと思うが、現状の日本のメディアのようにタブーとして掲載しないのはどうかと思う。がれきの写真のみを扱うメディアがあってもいいと思う。時には、遺体の写真を載せるメディアがあってもいいと思う。『タブー』という言葉をメディアが簡単に用いるようになり、自分たちに都合の悪い写真や記事を載せなくなる懸念がある。さらにメディアが一律化していくとにもつながりかねない」(国際・1年)

 「まず、遺体の写真を映さないというは”真実を伝えるマスメデイア”という言葉と矛盾している。現場で起きた真実をすべて伝えるのがマスメディアの使命ではないのか。被災者や被害者に『今どんな気持ちですか?』と尋ねまわって、被災者たちの心をえぐってまで、オイシイコメントを手に入れて放送するより、遺体の映像を見せたほうが、視聴者に被害の深刻さを伝えられるのではないだろうか。私は地震の時、マスメディアの報道を見ても津波に対してあまり恐怖を抱かなかった。(唯一、抱いたのはNHKの中継くらいだった。)ネットでYouTubuの津波動画や遺体の写真を見たとき、やっと津波の怖さを理解した。遺体の写真は、視聴者に不快な思いをさせるかもしれないが、日本人が現実から目をそむけて平和ボケしっぱなしでいるより、きちんと見せて現実を知らせ、日本人に危機感を抱かせるべきである」(地域創造・2年)

※写真は、津波で破壊されたバス。乗客は高いビルに避難して無事だったという=5月11日・宮城県気仙沼市で撮影

⇒4日(土)朝・金沢の天気  くもり

☆震災とマスメディア-10-

☆震災とマスメディア-10-

 金沢大学で「マスメディアと現代を読み解く」という共通教育授業を担当している。これまで3回にわたって、震災とマスメディアをテーマに、現地での取材を交え講義してきた。その中で論議のポイントとして話してきたことをまとめる。これまで取材した被災地での記者やカメラマン、ディレクターの有り様は、震災の当事者ではない記者たちが現場で浮いている状態だった。

         震災とメディア、遺体写真をどう考えるか
 たとえば、2007年3月の能登半島地震で実際に私自身が目の当たりにした光景は、輪島市門前町でただ一つのコンビニで食料を買いあさるテレビ局のスタッフの姿であったり、倒壊のしそうな家屋の前でじっとカメラを構え余震を待つ姿だった。記者やディレクター、カメラマン、ADも人の子である。お腹も減れば、ジュースも飲みたい。また、余震で家屋倒壊のシーンを撮影したい、「絵をとりたい」という気持ちは当然であろう。ただ、被災者への目線、被災者との目線がすれ違い、それが違和感を生んでいた。

 今回の東日本大震災は大きく違っていた。広範囲での災害だっただけに、地域のマスメディア(ローカル紙やブロック紙、ローカルテレビ局)そのものが被災者となった。取材で訪ねテレビ局の社屋を見せてもらった。外見はそのままだが、社屋の上の鉄塔が揺れた5階(総務や役員室)は天井があちこちで落ちていた。自家発電や取材車のためのガソリンの確保、食料の確保などの課題が次々と襲ってきた。身内に犠牲者が取材スタッフもいる。だから、報道制作局長は「被災者に寄り添うような取材をしたい」とローカル番組では避難所からの安否情報を、ニュースでは生活情報に視点を注いだ。これから何十年とこのメディアの被災者目線が地域に生かされていくのなら、ローカルメディアの新たな姿がそこに確立されるのではないかと期待もした。

 学生たちにあるテーマを投げかけ、意見を書いてもらった。こういうテーマだった。「【設問】日本のマスメデイア(新聞・テレビなど)は通常、遺体の写真を掲載していません。読者や視聴者の感情に配慮してのことだと考えられます。一方で、海外メディアはリアリティのある写真を掲載しています。以下の問いのどちらかを○で囲み、あなたの考えを簡潔に述べてください。」。少々シビアなテーマだ。震災報道では、新聞もテレビも遺体が映された写真や動画はない。ある新聞社が写真特集で、遺体にかけたれた布団から足だけが出ている写真が唯一、マスメディアを通じて見た遺体写真だった。ただ、海外のメディアは毛布にくるまれ顔がのぞく遺体を親族ではないかと覗き込む人々の遺体安置所での写真を掲載し、ネットでも掲載している。日本のメディアは、遺体に関して露出することにかなり神経を使っているのである。

 こうした日本のメディアの姿勢への学生たちの反応は、「現状でよい」が154人。「見直してもよい」が81人。二者択一だったが、どちらも丸で囲まなかった者が2人いた。一番多かった現状肯定派の言い分は、1)見る側への心理的な影響(トラウマ、PTSDなど)、2)人権・人の尊厳、プライバシーへの配慮、3)別の表現方法がある(ネットやデータ放送など)、4)日本人の独自の文化、メンタリティーである、など4つに大別できた。中には、「その遺体写真を見た幼い子どもたちがトラウマになったら誰が責任をとるのですか」と強く反対する論述もあった。

 一方、見直し派はの言い分は、1)「現実」「事実」を報道すべき、2)メディアはタブーや自己規制をしてはならない、3)見る側の選択肢を広げる報道を、に概ね分けることができた。遺体の見せ方には配慮は必要としながらも、事実や現実を意図して隠すことに違和感を感じ取った学生が多かったようだ。ある学生は「テレビは嘘は言わないが、真実も言わない」と手厳しい。

 こうした議論はマスメディアの中でもぜひしてほしい。238人の学生の意見でも熱く論じる者が多数いた。国民的な論議になるかもしれない。

※写真は、5月11日に気仙沼市に営まれた大漁旗を掲げての慰霊祭。

⇒31日(火)朝・金沢の天気   はれ

★日本を洗濯-5-

★日本を洗濯-5-

 「伝統なき創造は盲目的であり、創造なき伝統は空虚である」。昭和20年代の戦後の混乱期、文部大臣相をつとめた哲学者、天野貞祐(1884-1980)の言葉だ。敗戦でこれまでの価値が大きく変わり、人々は戸惑っていた。過激な思想や宗教が跳梁跋扈した時代だった。そのときに、天野は新しい時代を生き抜く行動のヒントとして冒頭の言葉を考えた。これは今という時代も貫ぬく。

        「日本は安全である」という勘違い

 前回のブログでも取り上げた、ユッケを食べた4人が死亡した焼き肉チェーン店「焼肉酒家えびす」の集団食中毒事件。肉の生食用に関して、料理人は表面をトリミングする(削る)、タタキのようにあぶるといった調理法を施してきた。これは、痛い目にあった経験を元に生をより安全に食べるという知恵、ないし工夫としてあみ出されたものだ。長くつとめた職人なら誰でも知っているようなトリミングの手法を、「食のベンチャー企業」と称する若い会社がコストカットしたことが原因だろう。また、腸管出血性大腸菌「O-111」が肉の卸側にあったのか、店側にあったのかという点が調査のポイントになっていて、責任のなすり合いの様相を呈している。が、最終的には提供した店側の問題であることは言うまでもない。新たな食の産業を興そうという若社長の志(こころざし)には敬服するが、「伝統なき創造は盲目的である」の言葉が一方で響く。

 老舗料理店がなぜ生き残ってきたかというと、味の良さのほかに調理法をきちんと守り、世間を騒がすような食中毒事件を過去起こしてこなかったという点に起因するのかもしれない。その老舗の信頼を揺るがせたのが「船場吉兆」事件だった。2007年に賞味期限切れや産地偽装問題が発覚し、翌年には客の食べ残し料理の使い回しが問題となった。結局廃業に追い込まれた。老舗が基本を忘れるとどのようになるかという見本のような事件だった。ちなみに、いま老舗と呼ばれる料理店が客足が減り次々と廃業に追い込まれている。時代ととともに人々の味覚や視覚は微妙に変化する。それを鋭敏に嗅ぎ取って料理のメニューや店構えに生かす「創造」というものがなければ、単なるカビた店に過ぎない。まさに、「創造なき伝統は空虚である」。

 戦後、日本人はその生真面目さで、生産現場でコスト(手間暇)をかけ、安全性と利便性を追及してきたらこそ、日本の安心安全は実現された。その時代がしばらく続き、いつのまにか「安全が当たり前」と人々は信じ込んでしまった。「価格が安いものは危ない」というのはひと昔前までは常識だった。ところが、われわれ消費者側もそうした経済的な価値判断をいつのまにか忘れてしまっている。「安いのは店の真心サービスだから」とか身勝手に想像してはいないだろうか。これを「平和ボケ」ならぬ、「安全ボケ」と呼ぶことにする。外国産は危ないが、「日本にあるものは安全」という勘違いが蔓延している。

 うがった見方だが、今回食中毒事件を起こした会社自体がこの安全ボケになっていなかっただろうか。「日本の卸会社の肉は大丈夫…」と。放射状汚染にしても、食中毒にしても、「見えない敵」と戦うことの難しさが露呈している。この世に絶対安全がない以上、コストをかけ忠実に安全への知恵を磨くこと、そしてそのサービスを受ける側は疑うことだろう。

⇒25日(水)朝・金沢の天気  はれ

☆日本を洗濯-4-

☆日本を洗濯-4-

 このブログで何度か紹介した畠山重篤氏の東京講演の情報が入った。気仙沼で森と海の連環に取り組んでこられた畠山さんが、森・里・海の連環、森づくりの循環、生物多様性、農林漁業の振興など多様な観点から震災復興と地域再生をテーマに話す予定。5月22日午後1時半から、国連大学 ウ・タント国際会議場(東京都渋谷区)で。

     「利益優先」「コスト削減」この言葉の呪縛    
 
 ブログのシリーズ「日本を洗濯」は、大震災を通して、あるいは日常から垣間見える日本の矛盾の断面を考えている。今回は「薄利多売」という経営を考える。北陸を中心に展開する焼き肉チェーン「焼肉酒家えびす」の砺波店で集団食中毒が発生し、生肉のユッケを食べた男の子(6歳)が4月29日、腸管出血性大腸菌「O-111」に感染して死亡した。福井市の同チェーン店でも食事をした未就学の男児がO-111に感染し、死亡しており、その関連性が報じられている。焼き肉チェーン店の食中毒は珍しくないが、死亡となると話は別だ。

 以下記事を拾ってみる。「焼肉酒家えびす」の20店舗に肉を卸販売している東京都板橋区の食肉販売業者は生食用の肉は扱っておらず、加熱用の肉を扱っていた。卸した肉の包装などにも生食用とは記載されていない。焼き肉チェーンを経営する金沢の会社も「生食用でないことはわかっていた」と認めた、という。つまり、生食用ではない肉をあえてユッケに仕立て商品として提供していたということになる。

 私自身このチェーン店を何度か利用したことがある。100円メニューが誘客のキャッチフレーズ。店構えを今風に派手に見せて、若い学生たちをアルバイトで安く使い利益を確保する、典型的な薄利多売の経営だと一目瞭然の店だ。日本一の焼き肉チェーンを目指し、昨年は横浜にも出店した。資本金は4000万円、売上は18億円(2010年3月期)、従業員数は正社員90人、パート・アルバイト400人。 社長は43歳の若さだが。今回の焼き肉チェーンの食中毒による死亡事故は、利益追求にひた走る「経営のきしみ」にも思える。もちろん、安全性に配慮しながら成功している焼き肉チェーンは全国にあまたある。

  翻って、今回の大震災による福島第1原発の事故を考えてみる。地震による津波で、外部からの電源と発電所内の非常用ディーゼル発電機による電源の双方を失う「全交流電源喪失」状態に陥り原子炉の冷却機能が失われ、炉心溶解などで大量の放射能物質が放出された。この事故で初めて知ったのだが、原子炉が6基並んで建設されている。さらに2基が2013年度と14年度の稼動を目指して計画中だった。常時6000人の従業員が第1原発働いていた。

 うかがった見方をすれば、福島第1原発は「電力の安定供給」という言葉に名を借りた、東京電力の壮大な「コストカットの現場」と化していたのではないのか。原子炉事故のリスクを分散させるのではなく集中させ、人を大量に投入して安価な電力の生産現場を構築する。そこに見えるのは危機意識ではなく、コスト意識の構図ではないのか。東電が事故当初打ち出した「計画停電」はその裏腹である。電車を止め、信号機を止め東京を混乱に陥れた。東京大停電(ブラックアウト)になったらどうすると「脅し」をかけて家庭や事業所、病院に停電を強いた。これは本来、発想が逆だろう。ブラックアウトにならないように、コストをかけてでもリスクを分散させて、電力の安定供給策を取るのが公共の事業のあり方ではないのか。

 食の安心・安全や、電力の安定供給という基本を逸脱させた経営とは何だったのか。利益優先、コスト削減、こんな言葉に多くの経営者は呪縛されているのだろうか。

⇒1日(日)朝・金沢の天気   くもり

★日本を洗濯-3-

★日本を洗濯-3-

 節電ムードで夜がこれまでより薄暗くなった東京の街の印象を、知人がこう言った。「ようやくパリ並みになったじゃないか。これまでが明る過ぎたんだ」と。東京やニューヨークしかり、都市は膨張し輝度を競った。文明の象徴だった。今回は電力をテーマに考えてみる。

   、    「全国一斉」という発想を崩して見える可能性      

 石原東京都知事は、「節電」ではなく「無駄」を省けと主張している。そのヤリ玉に上げているのが自動販売機とパンチコ店だ。自動販売機は果たしてどこまで必要だろうかと問いたくなる。先日、能登半島の先端にある大学の施設に、ある飲料メーカーが自販機の設置を打診してきた。結局「近くに店があり、飲みたい人はそこで購入すればよい」との判断で設置を断った。空き缶の放置問題や、自販機そのものが原色で景観上もなじまい。一つ置けば、「当社も」と別の飲料メーカーも来るだろう。都知事の真意は、こうしてわずかな利益を競って不要不急のモノがはびこる日本の社会の悪しき断面を指摘したのだ、と考えている。

 話を「節電」に戻す。蓮舫・節電啓発担当大臣は「節約・倹約」を訴えている。しかし、今回の問題は節電よりむしろ「ピーク崩し」「集中排除」だろう。恐れられている東京のブラックアウト(停電)は、電力消費がピークに達した時であり、いくら節電を訴えても、ピーク時の電力消費量を抑えることができなければ意味がない。つまり、消費量が低い真夜中にあえて冷房を止めて寝苦しい思や、暖房を止めて寒い思いをしてまで節電する必要はない。もちろん節電するに越したことはないが、今回の問題の趣旨とは様相が異なる。

 個々の節電よりむしろ、政策的にどう電力消費のピーク崩しを行うかだろう。たとえば、最近は盆休みやゴールデンウイークの休暇日の選択の幅が広がり分散型となってきた。このため、JRの乗車率や高速道路の混雑も随分と平準化している。これに倣う。電力需要量は土曜と日曜、祝日が少ない。そこで、会社や製造業は週5日間を月曜から金曜の固定ではなく、土曜と日曜を取り込んだ選択制で操業し、電力需要を均(なら)すのである。つまり、「全国一斉」という発想を崩せば、電力消費量を抑えることができるのではないか。

 そもそも、電力需要のピークを生むのは「真夏のエアコン」だろう。そこで、消費電力が少ないエアコンや冷房効果を高めるペアガラス(複層ガラス)を導入する家庭はエコポイントをもらえるようにする。また、短期的には消費電力が少ないLED(発光ダイオード)照明を。長期的には電力網のスマートグリッド化は必要だ。電力の送配電網をIT化して、太陽光や風力発電を家庭や地域で生かしていく。こうした未来型の省エネの発想を政策として進めることだ。

 東西に長い日本では、真夏の電力消費は地域によってタイムラグがある。ところが、静岡県の富士川と新潟県の糸魚川付近を境にして東側は50Hz、西側は60Hzの電気が送られている。そこで、東西の電力を接続し、電力会社がいつでも電力の貸し借りができる体制をつくるべきだろう。もちろん、相当の工事費用はかかることは想像に難くない。

 菅総理は4月1日の記者会見で「すばらしい東北、日本をつくる夢を持った計画を進めたい」と述べ、津波対策のために高台の住居から海沿いの事業所に通勤する都市構想を例示した。被災地だけでなく、この際、日本を再構築する発想と政策を具体的に提示すべきだ。

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