☆トクソウの落とし穴
大阪地検特捜部のフロッピーディスク(FD)改ざん事件を隠したとして、犯人隠避罪に問われた元特捜部長と元副部長の判決が30日午後、大阪地裁であった。裁判長は2人に懲役1年6ヵ月、執行猶予3年を言い渡した。2人は即日控訴した。
政治家汚職、大型脱税、経済事件を独自に捜査するのが地検特捜部だ。東京地検特捜部が発足したのが1947年。10年後の1957年に大阪地検特捜部ができた。さらに39年後の1996年に名古屋地検にも特捜部が置かれ、「3特捜」の態勢となった。
名古屋地検特捜部が発足した翌年、さっそく「手柄」を立てた。1997年10月、当時北國銀行(金沢市)の現役の頭取であった本陣靖司氏(2005年11月無罪確定)と石川県信用保証協会役員3人を背任行為で逮捕したのだった。容疑はこうだった。1993年、北國銀行が同県の機械メーカーに8000万円の融資をしていたが、このメーカーが倒産。信用保証協会は、担保不足などを理由に代位弁済(負債の肩代わり)をいったん拒否したが、後になって応じた。この背景には、頭取が協会に対し、「(信用保証協会への)拠出金の負担に応じない」などと圧力をかけた上で代位弁済をさせ、損害を与えたと特捜部は判断。信用保証協会に対する背任の共同正犯としたのだった。
一審(金沢地裁)では、本陣氏と協会役員らに執行猶予付きの有罪判決。「役員と頭取が共犯関係になって信用保証協会に圧力をかけて不正に肩代わりさせ、8000万円もの損害を出した」と認定した。この判決に対して協会役員3人は有罪判決を受け入れたが、本陣氏のみが控訴した。二審(名古屋高裁)では、協会役員でなく、代位弁済にかかわれる存在でもなかった本陣氏が役員らと共謀する「身分なき共犯」が成り立つかどうかが争われた。判決は一審判決を支持して懲役2年6ヵ月、執行猶予4年の有罪判決。本陣氏側はこの判決を不服として上告した。
裁判の流れは最高裁で逆転する。2004年9月10日、最高裁第二小法廷は、事実誤認があるとして二審への差し戻した。当時の新聞報道によると、(1)石川県内の自治体や金融機関が応分の負担をするなかで、北国銀行だけが拠出金を出さないという態度を実際に取り得たのかどうか疑問がある、(2)協会役員は利害得失を総合的に判断して態度を決定する立場にあり、代位弁済が背任行為だったとは速断できない、(3)代位弁済を拒否するという事務担当者間の決定を役員交渉で覆したことを不当とはいえない―などと指摘。有罪とした二審判決について「事実を誤認し、法律の解釈適用を誤った疑いがある」と検察側が主張する事件の構図そのものに疑問を投げかけたのだった。
2005年10月、差し戻し控訴審となる二審(名古屋高裁)では、「当時頭取が協会役員と背任の共謀を遂げたと認定するには合理的な疑いが残る」と判断して無罪判決を下した。一方、既に有罪判決が確定していた協会役員に対しては、背任罪が成り立つとした。同年11月、名古屋高検は「適法な上告理由を見出せなかった」として上告を断念、本陣氏の無罪が確定した。
逮捕当時、メディアの論調はどうだったのか。「銀行の現職頭取が逮捕されるのは極めて異例のことで、大きな注目を集めたが、この事件は単なる銀行トップの不祥事にとどまらない。事件の背景には、地銀と信用保証協会の間の密接な関係がある…」などと最初から「地域の癒着」を匂わせる論調もあった。ただ、頭取の逮捕直後、名古屋の地検回りの知り合いの記者から「トクソウでは『ちょっと無理があったかも知れない』とささやかれている」との話を聞いた。さらに記者に尋ねると、当時は名古屋地検に特捜部が発足したばかりで、「東証一部の上場企業で、しかも現役の頭取なら大きな手柄になるので、功をあせったのではないか」との解説してくれた。
単純な話だ。特捜部というセクションがあるから、配属された検事は手柄を挙げたいと職業意識をかきたてる。政治家汚職、高級官僚が介在する事件、大型脱税、経済事件…。メディアもこぞって注目する。そこで、特捜は分かりやすく、きれいな事件のストーリーや構図を描こうとする。ただ、現実をすべてストーリーや構図にあてはめようとすれば必ず無理が生じる。しかし、もう後戻りができない。そこで、そのギャップを埋めようと必死になり、大阪のようなFD改ざんや、名古屋のような「身分なき共犯」のこじつけ、となる。人間くさい話だが、構造的な落とし穴かもしれない。もちろん、この落とし穴は「特捜部廃止」で問題の解決などと言っているのではなく、取り調べの可視化(録画・録音)など多様な視点と改革を経なければ改善できないことは言うまでもない。
⇒30日(金)夜・金沢の天気 あめ
震災後、畠山さんとは3回お話をさせていただくチャンスを得た。1回目は震災2ヵ月後の5月12日にJR東京駅でコーヒーを飲みながら近況を聞かせていただき、9月に開催するシンポジウムでの基調講演をお願いした。その時に、間伐もされないまま放置されている山林の木をどう復興に活用すればよいか、どう住宅材として活かすか、まずはカキ筏(いかだ)に木材を使いたいと、長く伸びたあごひげをなでながら語っておられた。2回目は9月2日、輪島市で開催したシンポジウム「地域再生人材大学サミットin能登」(主催:能登キャンパス構想推進協議会)で。シンポジウムが終わり、居酒屋で地域の人たちと畠山さんを囲んで話し込んだ。3回目はことし2月2日、仙台市でのシンポジウム「市民による東日本大震災からの復興~創造と連携~」(主催:三井物産)の交流会で。9月のシンポジウムのお礼の挨拶をした。すると畠山さんの方から、「内緒なんだけれど、今度ニューヨークに表彰式があるんだ」とうれしそうに話された。UNFFのフォレストヒーローのことが新聞記事になったのはその数日後だった。
今回の大震災から学んだことが多々ある。その一つが日本は「災害列島」であるということだ。地震だけではない。津波、水害、雪害、火災、落雷などさまざまな災害がある。「天災は忘れたころにやってくる」(寺田寅彦の言葉とされる)は現代人への災害に備えよとの戒めの言葉だろう。改めてかみしめる言葉だ。
もう一つ。ことし金沢の自宅周辺は雪が多かった。スコップでの除雪は、2月前半は来る日も来る日もだった。そのうち、右肩が上がらなくなってきた。軽い腱鞘炎だと自己判断している。カバンがいつもより重い。テーブルに座って、ワインのボトルを持って、グラスに注ぐのでさえ痛みがある。57歳の身にとって、数日安静にして、休養すればよいのに、不徳のいたすところで、毎日酒は欠かさず、夜中に起きてはPCに向かってもいる。
上勝町に宿泊して一番美味と感じたのは「かみカツ」だった。豚カツではない。地場産品の肉厚のシイタケをカツで揚げたものだ。上勝の地名とひっかけたネーミングなのだが、この「かみカツ丼」=写真=がお吸い物付きで800円。シイタケがかつ丼に化けるのである。こんなアイデアがこの地では次々と生まれている。全国的に上勝町といってもまだ知名度は低いが、「葉っぱビジネス」なら知名度は抜群だ。このビジネスはいろいろ考えさせてくれる。女性や高齢年齢層の住民を組織し、生きがいを与えるということ。「つま物」を農産物と同等扱いで農協を通じて全国に流通するとうこと。ビジネスの仕組みを創り上げたこと。たとえば、注文から出荷までの時間が非常に短い。畑に木を植えて収穫する。山に入って見つけていたのでは時間のロスが多いからだ。ただし、市場原理でいえば、つま物の需要が高くなって価格が跳ね上がることはありえないだろう。
イツ製の木質チップボイラーを導入し、温泉や暖房設備に利用している=写真=。重油ボイラーは補助的に使っている。木質チップは1日約1.2トン使われ、すべて同町産でまかなわれている。チップ製造者の販売価格はチップ1t当たり16,000円。重油を使っていたころに比べ、3分の2程度のコストで済む。町内では薪(まき)燃料の供給システムのほか、都市在住の薪ストーブユーザーへ薪を供給することも試みている。地域内で燃料を供給する仕組みを構築することで、化石燃料の使用削減によるCO2排出抑制を図り、地域経済も好循環するまちづくりを目指している。さらに、森林の管理と整備が進むことになり、イノシシなどの獣害対策にもなる。
事を創るという発想に乏しい。日本全体がチャレンジ性が薄まっている中、受け身型になっていると常々考えている。事業をすることで地域が活性化し、社会貢献の意識があっても事業性がなければ継続しない。しかし、社会貢献をしようという若者を受け入れることは大いにプラスである。それはなぜか、現代は「役割ビジネス」だと思うからだ。
29日朝、徳島県の山間部にある上勝町(かみかつちょう)は雪だった=写真=。28日夜からの寒波のせいで積雪は5㌢ほどだが、まるで水墨画のような光景である。ただ、土地の人達にとって、この寒波は31年前の出来事を思い起こさせたことだろう。1981年2月2月、マイナス13度という異常寒波が谷あいの上勝地区を襲い、ほとんどのミカンの木が枯死した。当時、主な産物であった木材や温州みかんは輸入自由化や産地間競争が激しく、伸び悩んでいた。売上は約半分にまで減少し、上勝の農業は打撃を受けていた。そこへ追い打ちをかけるように強力な寒波が襲ったのだ。主力農産品を失って過疎化に拍車がかかった。若年人口が流出し、1950年に6356人あった上勝町の人口は一気に減り、2011年には1890人にまで低下した。高齢化率は49%となった。人口の半分が65歳以上の超高齢化社会がやってきた。
のつま物として商品化したもの。山あいの村では自生しているが、市場出荷が本格的になるにつれ、栽培も盛んに行われるようになった。採取は掘り起こしたり、機械を用いない。しかも、野菜などと比べて軽くて小さいので高齢者には打ってつけの仕事なのである。懐石料理など日本食には欠かせない、このつま物はこれまで店が近くの農家と契約したり、料理人が山に取りに行ったりすることが多かった。これを市場参入させたのが当時、農協の営農指導担当だった横石知二氏(1958年生)=写真=だった。
著書の中で興味深い下りがある。「地震情報が、いわゆる『予言』に近い情報から、純粋科学情報に移行しつつあった時代だったのだが、行政も企業も『予言時代』そのままの対応をしたのであった」「市民は、家具の固定といった、きわめて狭い範囲の防衛策であったとはいえ、生活レベルでの対応を始める兆しがみえるが、行政、企業は、そうした具体的防御策への想像力を全く欠いていた」。これは阪神・大震災(1995年1月17日)が起きる10日前に神戸新聞の一面で報じていた、当時兵庫県猪名川町で続発していた群発地震に触れ「いつM7級の大地震が起きても不思議ではない」との専門家の見方を警告として発していたものだ。しかし、パブル経済の崩壊で行政も企業も内需拡大策、開発に神経を集中していた。むしろ、この記事に反応していたのは市民だったという。
けさ(17日)は金沢の自宅周辺でも30㌢の積雪となった。2月2日以来、2週間ぶりの銀世界だ。ただ寒気が少々緩く、雪が融け始めている。屋根から雨だれがパラパラと落ちる。早朝から「雪すかし」(除雪のこと)だ。この季節、スコップで道路を除雪すると響く、ザッ、ザッッという音を耳にすると北陸の人は居ても立ってもいられなくなる。「お隣さんが雪すかしを始めた。我が家もしなければ」と、寝ていても目覚めるのだ。そして誰かが始めて30分もすると、近所中で雪すかしをしている光景が見られるようになる。簡単に近所同士で挨拶はするが、皆黙々と除雪を進める。雪すかしには、決まりや町の会則というものがあるわけではない。あたかも、DNAが目覚めるがごとくその行動は始まるのだ。
原発だけでなく、高層ビルもまた進化する災害(=文明のパラドックス的逆襲)になりうる。2月13日放送のNHK「クローズアップ現代」でも紹介されたように、東日本大震災では、震源から遠い場所(大阪など)にある高層ビルが大きく揺れたり、同じ敷地にありながら特定の建物だけに被害が出たりするなどの不可解な現象が起きたのだ。原因は、建物と地盤の「固有周期」が一致することで起きた「共振現象」と見られている。事例として紹介されていた、震源から770㌔離れた大阪府の咲州庁舎(地上55階地下3階、高さ256㍍)の揺れ幅は3㍍にも。そのとき大阪府は震度3だった。1995年の阪神淡路大震災では、街中を走る阪神高速道路の高架橋が橋脚ごと横倒しとなった。
さらに、能登にはUFO伝説がある。羽咋市に伝わる昔話の中にある「そうちぼん伝説」がそれ。そうちぼんとは、仏教で使われる仏具のことで、楽器のシンバルのような形をしている。伝説は、そうちぼんが同市の北部にある眉丈山(びじょうざん)の中腹を夜に怪火を発して飛んでいたというのだ。この眉丈山の辺りには、「ナベが空から降ってきて人をさらう」神隠し伝説も残っているという。同市の正覚院という寺の『気多古縁起』という巻物にも、神力自在に飛ぶ物体が登場する(宇宙科学博物館「コスモアイル羽咋」のホームページより)。