☆COP10の風~中~

☆COP10の風~中~

 COP10の日本政府系サイドイベント「ダイナミックな大地に生きる~急峻な山地から外洋まで~」に出席した。防災と生態系保全の観点からのワークショップだった。興味深かったのは、暴れ川として知られる木曽川の山地流域に残る「土砂災害伝承」だった。

      国際版「生類憐みの令」なのか

 地元に残る言葉に「四刻八刻十二刻」がある。これは大雨が降った際に木曽三川に洪水が到達する予測時間のこと。揖斐川は四刻(8時間)、長良川は八刻(16時間)、木曽川は十二刻(24時間)で洪水が到達することを意味している。流域住民が水害に対して敏感であったことが実に良く分かる。

 以下はワークショップの後で岐阜出身者から聞いた話。江戸時代の宝暦3年(1753)、幕府は薩摩藩に対し尾張藩の木曽三川分流の工事を命じた。外様の大藩の経済力を削ぐのが狙いで、「御手伝い普請」といわれた。薩摩藩は1年かけ、長良川と揖斐川の分流工事を行った。ところが、工事に駆り出された薩摩藩士には重い労働で、しかも、幕府の厳しい監視下で多くの藩士が切腹したり病死した。なんとか、長良川・揖斐川の分流工事は完成した。しかし、工事の総監督として派遣された総奉行は薩摩藩に多大な負債と多くの藩士を死なせた責めを一身に負い、完成後に自刃した。岐阜の地元では、奉行は治水神社にまつられ、薩摩藩士の遺徳を慕っている。しかし、この一件は後に、薩摩藩を倒幕に走らせる遠因ともなったといわれている。

 印象に残る言葉もあった。土砂災害伝承のいくつかを披露した(財)妻籠を愛する会の理事長、小林俊彦氏の「生物多様性条約というのは国際版生類憐みの令だね」の言葉だ。言い得て妙である。「生類憐みの令」は五代将軍・綱吉が動物愛護を主旨とする60以上の諸政策、法令のこと。綱吉が「犬公方(いぬくぼう)」と陰口されたように専制的な悪法として定着しているが、その保護対象は「猿」「鳥類」「亀」「蛇」「きりぎりす」「松虫から」「いもり」にまで及んでいたとされる。また、捨て子禁止や行き倒れ人保護といった弱者対策が含まれていたという。

 「生類憐みの令」を現代風に解釈し、動物への愛護のまなざし、種の多様性の保護などと位置づけることもできなくはない。「人権」や「人道」という言葉すらなかった時代に法令として昆虫にまで保護の眼を向けたことは、ある意味で画期的だったのかもしれない。

 ※写真は環境省が出した「生物多様性国家戦略2010」の解説用の冊子。江戸時代の浮世絵師、歌川広重の「名所江戸百景」の一枚。いまの東京都日暮里付近に広がる水田や湿地に働く農夫の姿がタンチョウヅルの目線で描かれている。

⇒25日(月)夜・金沢の天気  くもり

★COP10の風~上~

★COP10の風~上~

 生物多様性条約第10回締約国会議(CBD/COP10 )が名古屋市で開催されている。ブース会場で21日から始まった「金沢大学の日」の展示を担当するため、20日夜に名古屋入りした。2008年5月にドイツのボンで開催されたCOP9にも参加しており、2度目のチャンスに恵まれた。きょうは展示の合い間を見計らって、名古屋国際会議場で開かれているワークショップやサイドイベントの会場に足を運んだ。
             サンバの迫力

 午前から午後にかけて開かれた「農業と生物多様性を考えるワークショップ」の会場=写真=をのぞいた。農業による開発と生態系保全のバランスをどう取ればよいのか、先進国や途上国の立場から発言が相次いでいた。会場で知り合いの日本人研究者と出会った。水田の生態学者である。「食料自給率が40%そこそこの日本は食料の超輸入国だ。日本は世界から見透かされている」と憤っていた。世界は農業と生態系のあり様を真剣に論じている。ところが、食料を外国に依存し、耕作放棄地が問題になっている日本はこの問題で何を言っても迫力がない、というのだ。「日本の農業をどう立て直すか考えねば」。確かにもどかしさを感じる。

 会場をぐるりと回ると、ポスターやパンフレットがあちこちに積まれ、手にとって見るだけでも楽しい。「食べて考える外来種ワークショップ」というポスターが目についた。日付をみると20日にすでに行われた日本の環境省のサイドイベントだった。このイベントに参加した人に聞くと、会場で「ブラックバスバーガー」が参加者に振る舞われたそうだ。琵琶湖で駆除された外来魚ブラックバスの切り身をフライにして、タルタルソースで味付けしパンではさんだもの。これが結構いける味だった、とか。もちろんワークショップでは、外来種が在来種の生態系を劣化させるなど世界で年数十億ドルの経済損失を引き起こしているなどの問題が話し合われた。

 行き交う人々は国際色豊かだ。午前中、会議場までの道を歩いていると。歌をうたいながら歩く女性3人がいた。サンバの旋律で、「ブラジ~ル、ラララ」と大声で。3人が横切った瞬間に、迫力という圧を感じた。COP10では、2011年からの生態系保全の取り組み指針となる新戦略目標を協議している。ブラジルなどの途上国は「生物多様性の損失を止めるためには、これまでの100倍の資金援助が必要」と先進国側に訴えている。朝の迫力を思うと、紛糾する会議の様子がどれほどか想像に難くない。

⇒21日(木)夜・名古屋の天気  くもり 

☆ジャーナリズムの現場

☆ジャーナリズムの現場

 私は金沢大学の教養科目で「マスメディアと現代を読み解く」「ジャーナリズム論」「いしかわ新情報書府学」の3科目を担当していて、授業はかれこれ5年目になる。授業では、いろいろなゲストスピーカーを招き、報道やメディアの現場を語ってもらったが、今回の講義ほど「生々しさ」を感じたことはなかった。きょう(10月19日)のジャーナリズム論で話していただいた、朝日新聞大阪本社編集局社会エディター、平山長雄氏の講義のことである。

 朝日新聞は、ことし9月21日付の紙面で大阪地検特捜部の主任検事による押収資料改ざん事件をスクープした。この特ダネが評価され、平山氏は今月15日に開かれた第63回新聞大会(東京)で、取材班を代表して新聞協会賞を受賞した。学生は200人、私自身も多少緊張して耳を傾けた。

 一連の事件の発端は、ある意味で当地から始まる。2008年10月6日付けで、印刷会社「ウイルコ」(石川県白山市)が「低料第3種郵便物」割引制度(郵便の障害者割引)を不正利用してダイレクトメールを大量に発送していたことを朝日新聞が報じる。1通120円のDM送料がたった8円になるという障害者団体向け割引郵便制度を悪用し、実態のない団体名義で企業広告が格安で大量発送された事件が明るみとなった。これによって、家電量販店大手などが不正に免れた郵便料は少なくとも220億円以上の巨額な金になる。国税も動き、さらに大阪地検特捜部は2010年2月以降、郵便法違反容疑などで強制捜査に着手した。事件の2幕は舞台が厚生労働省へと移る。割引郵便制度の適用を受けるための、同省から自称障害者団体「凛の会」へ偽の証明書が発行されたことが分かり、特捜部は2009年7月、発行に関与したとして当時の局長や部下、同会の会長らを虚偽有印公文書作成・同行使罪で起訴した。

 ところが、元局長については、関与を捜査段階で認めたとされる元部下らの供述調書が「検事の誘導で作成された」として、ことし9月10日、大阪地裁は無罪判決を下した。そして、同月21日付紙面で、大阪地検特捜部が証拠品として押収したフロッピーディスク(FD)が改ざんされた疑いがあると朝日新聞が報じる。その後、事件を担当した前田恒彦主任検事が証拠隠滅容疑で 、上司の大坪弘道特捜部長、佐賀元明特捜副部長(いずれも当時)が犯人隠避容疑で最高検察庁に逮捕される前代未聞の事態となった。

 一連の事件の概略は以上だ。では、なぜ元局長が無罪となったのか。報道してきた責任として検証しなければならない。さらに、浮かんできたのが主任検事による押収したフロッピーの改ざん疑惑だった。取材記者はすでにこの端緒となる話を7月ごろに聞いていた。元局長無罪の判決を受けて、疑惑を検事に向けて取材しなけらばならない。相手は政治家も逮捕できる検察である。その矛先が新聞社の取材そのものに向いてくる場合も想定され、一歩間違えば、「検察vs朝日新聞社」の対決の構図となる。被告側に返却されていたフロッピーを借りに行った記者に、被告側の弁護士は「検察そのものを取材にあなたは本当に入れるのか」とその覚悟の程を問うた、という。

 こうした伸るか反るか、取材者側のギリギリの判断があったことが淡々と授業では語られた。それが返って、私には臨場感として伝わってきた。最後に平山氏は「権力の監視、チェックこそがジャーナリズムの本来の使命であるということを改めて心に刻んだ」と締めた。ジャーナリズムの現場の重く、そして尊い言葉として響いた。

⇒19日(火)夜・金沢の天気   くもり

★『里山復権』~下~

★『里山復権』~下~

 では、単行本『里山復権~能登からの発信~』(創森社)の出版に携わった一人として、私自身、この本の中で何を言いたかったのか。それはパラダイム・シフト、つまり大きな価値の転換を訴えたかったのだと思う。産業革命以来の大量生産、大量消費の社会・経済構造からの転換を迫られている今日、里山や里海をいかに活用し人々に役立ていくのか、ということだ。

        未来可能な社会を生きていくために

  日本でいったん絶滅した国際保護鳥のトキはかつて能登半島などで「ドォ」と呼ばれていた。田植えのころに田んぼにやってきて、早苗を踏み荒らすとされ、害鳥として農家から目の敵(かたき)にされていた。ドォは、「ドォ、ドォ」と追っ払うときの威嚇の声からその名が付いたとも言われる。米一粒を大切にした時代、トキを田に入れることでさえ許さなかったのであろう。昭和30年代の食料増産の掛け声で、農家の人々は収量を競って、化学肥料や農薬、除草剤を田んぼに入れるようになった。人に追われ、田んぼに生き物がいなくなり、トキは絶滅の道をたどった。

  だが、その発想は逆転した。トキが舞い降りるような田んぼこそ生き物が多様で環境にすぐれ、安心安全な田んぼと評価される。そこから収穫されるお米は「朱鷺の米」(佐渡)に代表されるように高級米ともなる。人は生き物を上手に使って、食料の安心安全の信頼やブランドを醸し出す時代となったのである。農家も生き、トキも生きる、まさに環境配慮がビジネスにつなげられる時代を迎えつつあるのである。

  トキ1羽が能登で羽ばたけば、いろいろな波及効果があると考えられる。環境に優しい農業、あるいは生物多様性、食の安全性、農産物への付加価値をつけることができる。トキが能登で舞うことにより、新たなツーリズムも生まれる可能性もある。そうした能登半島にビジネスチャンスや夢を抱いて、あるいは環境配慮の農業をやりたいと志を抱いて若者がやってくる、そんな能登半島のビジョンが描けるのではないだろうか。そんな時代に突入したのだと思っている。

  里山と里海はこれまで別々に捉えられてきたが、もちろん両者は川と人々の営みを通じてつながっている。自然のネットワークがそこにはあり、陸の環境が悪くなれば、海も汚れることになる。この自然のネットワークの仕組みを解き明かすキーワードは「物質循環」である。海と陸が一体となった食物連鎖がそこには残されている。古くから漁村では、海の生態系と陸の生態系とのつながりを示す言葉として、魚は森に養われているという意味で魚付林(うおつきりん)と呼び慣わされてきた。自然のネットワークは里、川、海で連環しているが、人間のさまざまな営みと構造物によってネットワークは断絶、あるいは歪められてきた。

  陸と川と海がつながっている、この自然のネットワークの仕組みを科学的にもっと分かりやすく解明し、再生することで人間は自然から大きな利益=生態系サービスを得るはずである。また、人々もお互いがステークホルダー(利害関係者)であるとの共通認識ができる。自然のネットワークを人のネットワークづくりの理念として生かせないか、と考えるのである。人々がこれからも持続可能な、あるいは未来可能な社会を生きていくために。

 ⇒6日(水)朝・金沢の天気  くもり

☆『里山復権』~中~

☆『里山復権』~中~

 単行本『里山復権~能登からの発信~』(創森社)は、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)の開催をめがけて出版された。そこには、条約事務局長アハメド・ジョグラフ氏と能登半島の関わりがあった。

      ジョグラフ条約事務局長が見た能登の里山里海

  2008年5月、ドイツのボンで開催された生物多様性条約第9回締約国会議のハイレベル会議でのことだ。この会議では、「日本の里山里海における生物多様性」をテーマに、生物多様性条約事務長のジョグラフ氏や国連大学高等研究所(UNU-IAS)のA.H.ザクリ所長(当時)のほか、環境省の審議官、石川県と愛知県の知事、名古屋市長らが顔をそろえ、生物多様性を保全するモデルとして里山について言及した。120席余りの会場は人であふれた。COP9全体とすると、遺伝子組み換え技術や、バイオ燃料が生物多様性に及ぼす負の影響を最低限に抑え込むことなどが争点だったが、<SATOYAMA>が国際会議の場で、新しいキーワードとして浮上した感があった。これは、次回COP10の開催国が日本に固まっていたことや、先立って開催されたG8環境大臣会合(神戸)で採択された「生物多様性のための行動の呼びかけ」で、日本が「里山(Satoyama)イニシアティブ」という概念を国際公約として掲げたというタイミングもあった。

  このハイレベル会議でのジョグラフ事務局長の言葉が印象的だった。「人に魚の取り方を教えると取りすぎてしまう。けれども、里山(SATOYAMA)という概念はそれとはまったく異なる」と述べて、人と自然が共存する里山を守ることが、科学への偏った崇拝で失われつつある伝統を尊重する心や、文化的、精神的な価値を守ることにつながると強調した。そのジョグラフ氏が能登半島を訪れたのは、COP9から4ヵ月後の2008年9月のことだった。金沢大学、石川県、能登の自治体が連携して開催した里山里海国際交流フォーラム「能登エコ・スタジアム2008」の催しの一環で開催した1泊2日の里山里海の現地見学にジョグラフ氏の参加が実現したのである。

  輪島の千枚田やキノコの山をスタッフが案内し、人々の生業(なりわい)や里山里海を保全する取り組みについて見聞きし、また、金沢大学が取り組む「能登里山マイスター」養成プログラムにも耳を傾けていただいた。そして、子供たちの環境教育のためにつくられたビオトープ(休耕田を活用)では、自らカメラを構えて撮影した=写真=。翌日は、早朝1時間半も一人で海岸を散策されたという。日程の最後に訪れた「にほんの里100選」の輪島市町野町金蔵(かなくら)地区では、ため池を使った田んぼづくりの見学や、民家を訪ねて人々の暮らしぶりを目の当たりにして、次のようなコメントを得た。

  「(条約事務局がある)モントリオールで日本の里山里海について勉強してきたが、実際に里山里海を訪問し、本物に触れることができとても勉強になった。里山里海は、生き物と農業、そして人の輪が調和して成り立ち、そこには人の努力があることを実感した。生物多様性については、生き物を保護するだけではうまくいかず、人の暮らしと結びついた取り組みが必要であるが、里山里海はまさにそのモデルとなるものであり、このことを世界に向けて発信してほしい」

 このコメントから分かるように、ジョグラフ氏にとって、能登は日本の里山里海をつぶさに見てまわる初めてのチャンスにだったに違いない。

  ジョグラフ氏が能登を訪れた意味合いは大きく2つあったと考えられる。1つは、そこで見た里山里海は「生き物と農業、そして人の輪が調和して成り立つ」一つの社会モデルであった。それは何のモデルかというと、名古屋市で開催される生物多様性条約第10回締約国会議で論議されることになる、「生物多様性の持続可能な利用」のモデルである。平たく言えば、環境保全と人間の社会経済活動(農業や漁業など)の両立を、どのように進めていけばよいのかというイメージをこの能登の視察からつかんだのではなかろうか。

  2つ目は、ジョグラフ氏が「そこには人の努力があることを実感した」と述べたように、キノコ山を手入れする人々や、休耕田をビオトープとして学校教育に生かす教師たち、村内に5つある仏教寺院を長らく守ってきた金蔵地区(人口は160人余り)の人々の姿ではなかったか。金蔵では、「自然と人、農業、文化、宗教が共生していることに感動した」ともジョグラフ氏は述べている。里山里海に生きる人々のモチベーションの高さを見て取ったに違いない。COP9のハイレベル会議でジョグラフ氏が強調した、失われつつある伝統を尊重する心や、文化的、精神的な価値を守る人々の姿を実際に能登で見たのである。

  生物多様性条約事務局長として、COP10を取り仕切ることになるジョグラフ氏はこの能登視察で里山(SATOYAMA)の有り様、そして里山と里海とのつながりを心に深く刻んだに違い。その後、ジョグラフ氏はコウノトリ野生復帰計画を支援する兵庫県豊岡市における農業と環境の取り組みについても視察(2010年3月)するなど、日本各地の里山里海に関心を寄せている。

 ⇒5日(火)夜・金沢の天気  くもり

★『里山復権』~上~

★『里山復権』~上~

 今月中旬から名古屋市で開催される生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)に向けて、一冊の本が出版された。金沢大学「里山里海プロジェクト」の研究代表、中村浩二教授・学長補佐と農業経済学者の嘉田良平教授(総合地球環境学研究所)ら編者となり、複数の研究者らが執筆した単行本『里山復権~能登から発信~』(創森社)である。私も執筆に携わった。本文を少々引用しながら、内容を紹介したい。

     ささやかな夢に計り知れない社会的価値       

  能登半島の先端・珠洲市に「里山里海自然学校」という看板が掲げられて4年あまり、里山里海という言葉がようやく地域内に定着しつつある。当初、里山里海といっても、地域の人々には何を意味するのか、さっぱり理解されなかった。しかし今では、その意味と大切さが地域住民の間にかなり浸透して、広く理解されるようになっているという。おそらくその背景には、「能登里山マイスター」養成プログラムによって、次世代を担う人材が地域の農林漁業の現場に配置され、また常駐研究員たちが地元の人々と共に日常的に汗を流してきたことがあると思われる。

  ところで、能登里山マイスターの三期生と四期生45人の中には、県外からのIターン、Jターン、Uターンの受講生が計13人もいる。能登での人生設計の夢を抱いてやってきた人たちばかりだ。特にIターンやJターンの場合、都会での生活に終止符を打って能登に移住してくるので、その期待度は大きい。もちろん、夢の実現は決して簡単ではなく、現実にはさまざまな壁があるにちがいない。受講生たちの夢がはたして能登で叶えることが可能なのかどうか、実は大問題なのである。

  能登に移住してきた受講生たちの夢は、おしなべて実にささやかである。しかし、その夢を実現したいという熱意は大きく、その取り組み姿勢は受け入れ側を真剣にさせ、地域によい刺激を与える。埼玉県から輪島市の山間部に移住してきた女性は、集落に宿泊施設がないので、自らが住む空き家だった家を「ゲスト・ハウス」として衣替えした。すると、農村調査の学生や棚田の保全ボランティアにやってくる都市住民や一般客が口コミでやってくるようになった。地域社会へのインパクトはすこぶる大きいのだ。

  サカキビジネスを展開する金沢の男性は、農家の耕作放棄地にサカキを植えて栽培し、金沢に出荷する。サカキは摘みやすく、高齢者でも比較的楽な作業である。これはしかも地域資源の有効利用であり、過疎・高齢化で進む耕作放棄地と、お年寄りの労働力に目をつけたビジネスである。地域の実情やニーズにあった、「コミュニティ・ビジネス」といえる。一見、ささやかな夢、小さな事業ではあるが、そこには計り知れない社会的価値が存在するように思われる。

  「よそ者」である彼らには、むしろ客観的に地域の実態や課題がよく見えるらしい。それを自分の夢と合致させながら、自己実現を図ろうとしているのである。もちろん、里山プログラムでは担任スタッフが受講生の相談に応じ、ときには地域連携コーディネーターを交えてアイデアを具体的に提案して試行錯誤が始まる。

  こうしたオーダーメイド型の対応によって、ささやかな夢、小さな事業の第1歩が踏み出されるのであるが、それは地域社会にとっても少なからぬ刺激と勇気が与えられる。『里山復権~能登からの発信~』はこのような事例が詰まっている。

 ⇒4日(月)夜・金沢の天気  はれ

☆猛暑一転、波立つ

☆猛暑一転、波立つ

 先日までの猛暑が嘘のように一気に秋めいてきた。昨日は「夏じまい」の日だった。夏場で汚れた自家用車を洗った。ところどころに鳥のフンがついていた。家族から「むさくるしい」と言われ、6月以来の散髪に行った。ひと夏でこんなに伸びたのかと実感した。

 ところで、尖閣諸島で海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件が起きて、外交が波立っている。中国の例の大人気ない「対日圧力」が続いた。中国側が招待した千人規模の日本青年上海万博訪問団の受け入れ延期や、日本向けのレアアース(希土類)の輸出を全面禁止など、思いつくまますべての約束事を棚上げ、禁止して圧力を強めているという感じだ。きょう24日になって、河北省で、ゼネコンの邦人社員4人が軍事管理区に無断で侵入し、軍事目標を違法にビデオ撮影したとして検挙されたというニュースが流れている。報復措置と見られている。そしてダメ押しは中国の温家宝首相が「日本側に、(船長を)即刻、無条件で解放することを強く促す。日本が独断専行するなら、中国は一歩、行動を進める。発生する一切の深刻な結果は、すべて日本側の責任だ」と非難していることだ。なんとなく北朝鮮の非難声明と似た論調に聞こえる。

 漁船の衝突でなぜ中国がこれほど過敏に反応するのか、なぜ中国側がいきり立っているのかと誰しもが思っている。理解できない。こうまでされると、この漁船には何か漁業以外の目的があったのではと推測してしまう。今思い出したが件、毒ギョーザ問題(08年)でも「日本側の捏造だ」と当初、中国政府がコメントを出していた。

 前原外務大臣は23日、ニューヨークでクリントン米国務長官と会談し、尖閣諸島沖の海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件について、国内法に基づき刑事手続きを進める方針を説明した。これに対し、クリントン長官は尖閣諸島について「日米安全保障条約は明らかに適用される」と述べ、アメリカの対日防衛義務を定めた同条約第5条の適用対象になるとの見解を表明した。また、クリントン長官は衝突事件に関し「日中両国が対話によって、平和的に早期に問題を解決するよう望む」との期待を示した、と報じられている。尖閣諸島はどこの領土かを第三者によって外交的に確認し、その上で日本の国内法で処罰の手続きを進めるという中国側に対するメッセージだろう。日本側は、法にのっとり粛々と進めるという方法をとっている。

 さらにこんなことも考えてみる。もし、先の民主党代表選挙で小沢一郎氏が勝ち、総理大臣になっていたとすると、どんな手法をとるだろうか。そこで思い出してしまうのが、昨年12月に問題となった、宮内庁の「30日ルール」を官邸側が強引に破って、天皇と中国国家副主席との会見を設定した一件だ。民主党の幹事長だった小沢氏はこのとき、反対した宮内庁長官に対し「内閣が決めたことを一官僚が記者会見まで開いて言うものではない。言うのなら、辞めてから言うべきだ」と言ったのを覚えている。この小沢氏のスタンスなので、もし総理になっていれば、「人道に基づき、船長を中国に帰す」など言っていたかもしれない。小沢氏の強引な政治手法は、中国側のそれと少々似たところがある。

 問題はさらに根深い。前原外務大臣がかっこくよクリントン国務長官の言質を引き出したおかげで、「思いやり予算」(在日米軍駐留経費負担)は事業仕分けどころか、アメリカからの増額要求を飲まざるを得ないかもしれない。これはこれで問題なのである。「安上がり」のことを考えれば小沢流の超法規的措置なのかもしれない。小沢流か前原流か、外交は複雑である。

⇒24日(金)朝・金沢の天気  くもり
 

★猛暑とスパム

★猛暑とスパム

 連日、真夏日(30度)を超える暑さ。そんな中、さらにヒートアップするような事件の数々が。アラカルトで思いつくまま。

 昨晩(1日)、知り合いのイラン人研究者の名前で「Help」という件名の英文メールが届いた。メールの内容は、イギリスでパスポートやクレジットカードの入ったカバンを盗まれたので、お金を工面して欲しいというもの。日本人の知り合いに多数届いていて、そのうちの1人が研究者の所在を電話で確認したところ、昨日も金沢にいることが分かった。つまり、メールはスパムメールだったのだ。

 今晩、本人で電話で話をした。すると、彼が使っているGメールがハッキングされ770人のメールアドレスに上記のメールが送られていることが分かった。履歴をたどるとハッカーの所在地はナイジェリアだった。当然、本人には朝から確認と問い合わせの国内外の電話がかかってきた。私で「100本目だ」という。中には、メールを返信したところ「もう空港から飛行機に乗るので、送金を急いでほしい」と哀願され、口座番号の確認のため彼に電話して被害を免れた人もいた。メール版オレオレ詐欺だ。

 先のブログで、「ニュースは毒を飲まされてしまった」のタイトルで肉親の死亡を隠して年金をだまし取る詐欺の横行について書いた。案の定、全国で続々と発覚している。誰も読みたくない、奇妙、奇怪、おぞましい、空恐ろしい人の心の闇が次々と暴かれている。

 きのう(1日)は大阪・和泉市の91歳の男性が、洋服ダンスからポリ袋入りの白骨遺体で見つかった。男性は50代の娘と2人暮らしだった。元銀行員で厚生年金など年約200万円が支給され、2007年9月と09年9月には、市から敬老祝い金合わせて3万円が贈られていた。おそらくこのようなケースは今後続々と出てくるだろう。ニュースを読むのが嫌になるくらいに。

 2日付の朝日新聞に「日本で一番暑い夏」の記事があった。1898年からの気象庁の統計上で、平年(6-8月)よりも1.64度高く、一番暑い夏ということだった。仙台では平年より2.8度、金沢でも1.7度高い。この猛暑で熱中症で死亡が連日伝えられ、総務省消防庁の速報値で搬送直後に死亡が確認されたのは計158人という。殺人的な暑さ。

写真は、石川県羽咋市にある「なぎさドライブウエイ」で撮影した砂像。何かを怒っているように見える。

⇒2日(金)夜・金沢の天気  はれ

☆庭園の美と草むしり

☆庭園の美と草むしり

 趣味を問われれば、あえて「草むしり」と答えている。我が家には庭園というものはないが、庭に雑草が生えれば無心に取る。そんな所作とは縁遠いテーマだが、「日本庭園の美」と題した講演会があり、魅かれるものがあり出かけた。

 講師は、西洋美術から名園鑑賞まで幅広く解説する立命館大学非常勤講師の門屋秀一氏(京都市)。以下はレジュメを基に講演をたどる。庭園は時代の思想を反映している。11世紀中ごろから、仏法の力が弱まる末法になると信じられ、公家は阿弥陀如来に帰依して来世である西方極楽浄土に救われるため、阿弥陀堂を池の西側に配置する浄土式庭園をつくらせた。

 1185年、源頼朝の時代になり、武家が台頭してくると、書院造りが好まれる。新しく到来した禅宗の思想に帰依した武家は、公家のように舟で詩歌管弦を楽しむことはせず、仏道修行として池泉の周囲を回遊して思索することを好んだ。さらに書院から庭を眺める座観賞式庭園も生まれた。

 禅の修行の厳しさを表現するのが枯山水。臨済宗の僧であった夢窓疎石は、水を使わず象徴的に山水を表現した。鯉に見立てた石を配置した。「鯉の滝登り。滝を上り詰めれば、鯉は竜になると。それだけ修行を積まねばならない鯉なので、修行を尊ぶ禅宗では絵のモチーフにした」。苔寺で知られる西芳寺や天龍寺の庭はその代表作だ。

 鎌倉幕府が崩壊して、室町時代、そして応仁の乱(1467-1477)で都は荒廃する。無を標榜する禅宗が隆盛し、枯山水庭園が発展する。臨済宗の僧でもあった足利義満は金閣寺を造営する。「この建物は実にちぐはぐ。3階建ての1階は公家の寝殿造風、2階は武家の書院造風、そして3階は仏殿風で、結局、仏教で世を治めたいとの表れになっている」

 江戸時代になると、大名は将軍や他大名の迎賓館の一部として庭園を整備した。それは幕府に謀反の意がないことを示すことでもあった。加賀藩の兼六園はその代表格でもあった。

 「ところで」と門尾氏は続けた。「その兼六園の写真スポットは琴柱灯籠(ことじとうろう)が有名。琴柱に似た灯籠なのだが、写真は灯籠だけが写っているものが多い。本来は、灯籠の手前にある琴に似た虹橋を入れると、その琴と琴柱の雰囲気が出るんですね」。これは、長年金沢に住んでいる私も気づかなかった指摘だった。

 以下は、「庭園の美と草むしり」について門尾氏が言及した部分。「日本の庭園は美しい。これは雑草を抜き去り、落ち葉をかいてきれいしているから、その美は保たれる。まるで雑念を払う修行のような作業です」と。草むしりとは禅の修行のようなものである、というのだ。眼からウロコと言うべきか。

※写真は、京都・龍安寺の庭園で撮影した雑草取りの作業=2010年3月

⇒25日(水)朝・金沢の天気  はれ

 

 

★ニュースは毒を飲んだか

★ニュースは毒を飲んだか

 テレビの電源を入れれば、新聞を広げれば、ニュースは目に入ってくる。最近はパソコン画面でインターネットを経由してニュースを読むことも多い。われわれはそのニュースを脳に入れて生活している。最近は、痛ましいニュースが多すぎると感じている。幼児への虐待死、保険金殺人、高齢者の死亡放置と年金詐取など。このようなニュースに毎日接すれば、視聴する側の精神構造は一体どのようになってしまうのかと考えてしまう。

 「不明100歳超 279人に」「京阪神3市に集中」との見出しがきょう13日付の朝日新聞に躍った。朝日新聞社が集計した、不明100歳超279人のうち221人が京阪神、つまり京都府、大阪府、兵庫県の3自治体なのだ。また、東北や北陸など26県は1人もいなかった。人口が1300万人の東京都が13人なので、人口比としては京阪神は異常に多いことになる。すると、印象として「行政の怠慢」「年金詐取」「老人への虐待死」などいろいろと考えてしまう。もし私が京阪神に住んでいたら、思いはもっと複雑だろう。

 こんなニュースを書いてもらって迷惑だと言っているのではない。このようなニュースで心が憂鬱になったり、会話の話題が暗くなる。京阪神の人たちはこのニュースをいつものように、明るく笑い飛ばせているのだろうか。こんなニュース、誰も目にしたくはない。不快なのである。

 この「不明100歳超 279人に」のニュースは始まりであって終わりではない。いまは住民登録上の話であるものの、実態調査が行政と警察が一体となって今後進むはずである。すると何が暴かれるのか。想像しただけでさらに身震いが起きるほどの現実が見えてくることになる。そこに「金(かね)」という現実が見え隠れしてくると「詐取」という刑事事件となる。

 このニュースに終わりもない。さらに、世論に突き動かされて、「不明100歳超」から「不明90歳超」の実態調査へと進んでいくだろう。恐らく何年と実態解明に時間がかかるだろう。奇妙、奇怪、おぞましい、空恐ろしい…。これから続々と出てくるであろう「ニュース」である。肉親、家族にまつわる深淵が暴かれる。

 このニュースを突破口に浮かび上がるのは日本の社会の現実だ。フランスの社会学者デュルケームはかつて、社会の規範が緩んで崩壊に至る無規範状態をアノミー(anomie)という言葉を使って説明した。個人レベルでは、欲求と価値の錯乱状態、つまり葛藤(かっとう)が起きている。「不明100歳超279人」のニュースが今後映し出していくのは、まさに社会の混乱や崩壊へと至る個人の葛藤の数々ではないか。それにしても、そのようなニュースを取り上げざるを得なくなったメディアには同情せざるを得ない。「ニュースは毒を飲まされてしまった」あるいは「お気の毒」と。

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