☆続・過剰適合の悲劇
一方、先日、金沢の知人から「あなたの英知に判断ゆだねる」とある候補者の推薦の葉書が届いた。能弁な友人なのだから自分の思いを葉書ではなく、電話なり、直接の会話で表現すればよいだろうと思う。日本全体がこの時期、人に向かって「私は○○候補に一票を投じたい。それの理由はこうだ」と話すことを控え、まるで自粛しているようだ。そのくせ、新聞やテレビの世論調査に目を凝らし、耳を傾けている。そして、最近声がかすれた候補者の乗った選挙カーが市内を走り回っている。この風景は何十年も変わらない。盛り上がらない、まさに、選挙停滞の風景なのだ。
この日本の停滞した、淋しい選挙戦は今の日本を象徴している。いや、日本そのもののように感じる。何も友人や知人たちと選挙の議論もしないまま、もう明後日に投開票の日を迎える。選挙運動の公平さを期する余り、選挙期間中に指定している枚数のビラなど以外の文書図画を配ることを禁じている。このためホームページやブログ、ツイッターなどは指定外の文書図画とみなされ、公示後の更新などは公選法にふれるおそれがあると選挙管理員会は警告する。選挙に過剰に適合したがゆえに選挙運動の柔軟さや多様性を拒否してしまっている。ネット選挙をしている候補者はいないかと監視している選挙管理委員会よりも、法律をそのまま放っておいた政治家の方に罪があるだろう。
もちろん、選挙のネット解禁で投票率が上がるかとなるとこれは別のレベルの話かもしれない。フェイスブックやツイッターで飛び交う言葉には、誹謗や中傷、不確かな情報も少なくない。これを民意だと錯覚しては、民主主義はおぼつかない。なぜなら、ネット上で支持されても投票行動に結びつくかどうかは分からない。ネットは民意の集合体を形成しうるかはまだ先の話だ。
それでも、この選挙期間の停滞感は人々の気持ちを暗くしている。なぜなら、誰しもがなぜネット選挙が許されないのか、「韓国にも先を越されているではないか」と惨憺たる思いでいるからだ。過剰適合の悲劇のスパイラルに落ち込んでしまっている。盛り上がらない選挙ムードをつくっている状況こそが問題なのだ。
⇒14日(金)夜・金沢の天気 はれ
昨日、北朝鮮が弾道ミサイルの技術を使って、自前の運搬手段で人工衛星を打ち上げた世界10番目の国になったと報じられた。最初に打ち上げたのはソビエト(当時、1957年)で、韓国も人工衛星を打ち上げているが、自前のものではなく、ランキング上では北朝鮮に抜かれた格好だ。
この過剰適合の悲劇は実際に日本の社会のあちこちで起きている。人種も言語も多様ではない、この国の社会は画一性を生み、工業化社会では断トツのチカラを発揮した。しかし、多様性が発揮される情報化社会では出遅れてしまった。その代表例が「民主主義と選挙」の関係ではないかと考える。
では、なぜそうしなけらばならないのか。これは法律で決められている。「新聞紙(これに類する通信類を含む)又は雑誌が、選挙に関し、報道及び評論を掲載する自由を妨げるものではない。但し、虚偽の事項を記載し又は事実を歪曲して記載する等表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない」(公選法第148条)
昨夜のテレビ報道を見ていると、脱原発世論の高まりを背景に「今のままだと選ぶ政党がない」「党、または個人で手を挙げてくれる人に『この指止まれ』方式で呼びかけたい」と新党設立を理由を説明した。その、基本的な政策は「全原発廃炉の道筋をつくる『卒原発』」「消費税を増税する前に徹底的した行政の無駄を排除する『脱増税』「地域中心の行政を実現する『脱官僚』」を柱とすると述べた。ただ、嘉田氏自身は代表を務めるが総選挙には立候補せず、知事は続投する。あくまでも関西1200万人の水がめである琵琶湖の「守護人」との立場を崩さない。
今朝7時35分ごろ、金沢市内の平野部で霰(あられ)が降った=写真=。自宅近くでも1分間ほど降り、登校の子どもたちが騒ぎながら小走りで学校へと急いだ。きょうの朝刊も騒がしい。「卒原発」を掲げる滋賀県の嘉田由紀子知事が、新党結成に動き出したことでもちきりだ。きょう27日午後、記者会見するという。
中津の旧居近くの駐車場に立て看板があった=写真=。団体名に「北部校区青少年健全育成協議会」とあるので、青少年に向けた啓発看板。これに福沢の文が引用されていた。「願くは我旧里中津の士民も 今より活眼を開て先ず洋学に従事し 自から労して自から食い 人の自由を妨げずして我自由を達し、修徳開智 鄙吝(ひりん)の心を却掃し、家内安全天下富強の趣意を了解せらるべし 人誰か故郷を思わざらん 誰か旧人の幸福を祈ざる者あらん」(明治三年十一月二十七 旧宅敗窓の下に記 「中津留別之書」)。明治3年(1870)、中津にいた母を東京に迎えるため一時帰郷した福沢が旧居を出る際に郷里の人々に残したメッセージだ。「敗窓の下」とあるので、家屋も壊れていたのであろう。
断崖絶壁の難所に342㍍の隧道を掘り抜かれたのは寛延年間(1750年代)。観光案内の立札の説明によると、諸国遍歴の途中に立ち寄った禅海和尚がこの難所で通行人が命を落とすのを見て、托鉢勧進によって資金を集め、石工たちを雇ってノミと槌だけで30年かけてトンネルを完成させたと伝えられている。能登半島にも同じような逸話がある。かつて「能登の親不知」と言われた輪島市曽々木海岸の絶壁に、禅僧の麒山和尚が安永年間(1772-1780)前後に13年かけて隧道を完成させた。いまでも、地元の人たちは麒山祭を営み、遺徳をしのんでいる。
い、競い合うように連なる「競秀峰(きょうしゅうほう)」=写真・下=と呼ばれる山がある。江戸時代からの名所で、中津藩の名勝でもあった。明治27年(1894)年2月、福沢諭吉は息子2人(長男、次男)を連れて、20年ぶりに墓参のため中津に帰郷した。当時の福沢は、私塾だった慶應義塾に大学部を発足させ、文学、理財、法律の3科を置き、ハーバード大学から教員を招くなど着々と大学としての体裁を整えていた。また、明治15年(1882)に創刊した日刊紙『時事新報』は経済や外交を重視する紙面づくりが定評を得ていた。
の血液であった水分が現在の河川の水流になったり、昨夜の夕食のスープの材料になっていることも十分にありえます」と筆者、月尾嘉男氏は考えた。おそらく趣味のカヤックをこぎながら海を眺め、そう発想したに違いない。著書『水の話』(遊行社)は水にまつわる時空を超えた壮大な話である。
冒頭で述べたように、もともと淡水という資源は限られ、人口が増えるにつれ、源流から河口までに複数の国を流れる「国際河川」では紛争が起きやすい。インドシナ半島を流れる大河メコンは、中国南部のチベット高原を源流とし、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムを通過する。中国が最近巨大なダムの建設を開始している、という。中国側は水力発電をするだけで、水はそのまま下流に放水するとから影響はないと言っているが、「下流の国々は疑心暗鬼です」(筆者)と。