☆豊饒の海を襲った津波

☆豊饒の海を襲った津波

 11日午後2時46分、三陸沖を震源とする国内観測史上最大の巨大地震が発生した。強い揺れと最大10㍍と推定される津波が襲い、火災も発生、岩手、宮城、福島3県で壊滅状態の地区が続出し、110万人が住む太平洋岸三陸地域を中心に犠牲者は相当数に及ぶ。宮城県栗原市で震度7、仙台市など宮城県各地、福島、茨城、栃木各県で震度6強を記録した。マグニチュードは8.8。観測史上最大規模と報じられている。三陸沖から茨城県沖にかけての震源域が連動して揺れが頻発しているようだ。

 気仙沼港に6㍍の津波が到来し、市内は広範囲にわたって水没しているとメディアは伝えている。朝日新聞社のホームページ「アサヒ・コム」は、同社気仙沼支局長の報告として次のように報じている。「気仙沼港は火の海。すごいことになっている。午後5時半すぎ、気仙沼港口にある漁船用燃料タンクが津波に倒され、火が出た。その火が漂流物に次々に燃え移っている。さらに、波が押し寄せるたびに、燃え移った漂流物が街の中に入り、民家に延焼している。周辺は暗くなっているが、一面、真っ黒な煙と炎が覆っている。あちこちで火が上がり、『バーン、バーン』という爆発音もあちこちで聞こえる。気仙沼市街地北側で火柱が3本見える」。記事を読む限り、戦場を想像させる。

 去年(2010年8月)と2008年3月、「能登里山マイスター」養成プログラムの講義に能登に来ていただいた畠山重篤氏(気仙沼市)。講義のテーマは、「森は海の恋人運動」だった。畠山氏らカキの養殖業者は気仙沼湾に注ぐ大川の上流で植林活動を1989年から20年余り続け、約5万本の広葉樹(40種類)を植えた。この川ではウナギの数が増え、ウナギが産卵する海になり、「豊饒な海が戻ってきた」と畠山氏はうれしそうに話していた。漁師たちが上流の山に大漁旗を掲げ、植林する「森は海の恋人運動」は、同湾の赤潮でカキの身が赤くなったのかきっかけで始まった。

 宮城県が計画した大川の上流での新月(にいつき)ダム建設では、畠山氏らの要請を受けた北海道大学水産学部の松永勝彦教授(当時)が気仙沼湾の魚介類と大川、上流の山のかかわりを物質循環から調査(1993年)し、同湾における栄養塩(窒素、リン、ケイ素などの塩)の約90%は大川が供給していることや、植物プランクトンや海藻の生育に欠かせないフルボ酸鉄(腐葉土にある鉄イオンがフルボ酸と結合した物質)が大川を通じて湾内に注ぎ込まれていることを明らかにした。この調査結果は県主催の講演会などでも報告され、新月ダムの建設計画は凍結、そして2000年には中止となった。畠山氏らの、ダム反対のスローガンを掲げずに取り組んだ「森は海の恋人運動」は結果的にソフトな環境保全運動として実を結んだ。

 畠山氏らが心血を注いで再生に取り組んだ気仙沼湾が「火の海」になった。心が痛む。畠山氏らの無事を願う。

⇒12日(土)朝・金沢の天気  くもり

★オイルは暴騰す

★オイルは暴騰す

 金沢市内で良く使うガソリンスタンドで3日、レギュラーが店頭価格143円をつけた。今月に入って市内でガソリン1㍑当たり140円台が相場となった。昨年末は120円台だったので、一気に20円も上がったことになる。今回のガソリンの値上がりは分かりやすい。「中東産油国の政情混乱」だ。問題は、これが一時的な現象なのだろうか、さらに値上がりするのではないか、ということだ。

 3月2日のニューヨーク・マーカンタイル取引所では、原油先物相場の国際的な指標の米国産標準油種(WTI)4月渡しの終値が1バレル=102.23ドルと、2年5ヵ月ぶりに100㌦の大台を突破したと報じられた。

 世界の原油産出国はロシア、サウジアラビア、アメリカ、イラン、中国、カナダ、メキシコ、UAE、イラク・クエートの順(外務省資料)になる。さらに、日本の原油輸入先は、サウジアラビア、UAE、カタール、イラン、ロシアの順(資源エネルギー庁)で、中東への依存率は85%だ。今回の反政府デモの動きは、チュニジアからエジプト、そしてリビアに波及している。

 日本はリビアから原油を輸入していないが、問題はサウジアラビアだ。そのサウジは、アブドラ国王が高齢で病気療養中、さらに大卒者の6割が職に就けないという「不満の火種」を内在している。仮に政情混乱がサウジに波及し、中東からの原油供給不安がさらに強まれば、WTIの価格は2008年7月に記録した過去最高値(1バレル=147㌦)を超えるのは確実との見方も出てくる。このときのガソリンの高騰は、アメリカのリーマン・ショックで行き場を失った投機マネーが先物取引市場に向かい原油価格を吊り上げた。当時の店頭価格は金沢市内で180円だったと記憶している。いまのガソリン価格の上昇は序の口なのだろう。

 政情混乱と投機マネー。国際的な金融緩和で投機マネーが先物取引市場に流れ込むという構造は続くだろう。しかも、ガソリン需要は春先から夏場にかけて高まり、価格が上昇する傾向にある。ガソリン価格を下げる要素は何一つない。

 円高(1㌦=80円台)が続く日本でこの価格である。ちなみに、このブログではガソリン価格について何度か取り上げている。それを拾うと、2005年10月31日付「1㍑当たり122円」、2009年1月1日付「1㍑当たり99円」。そしてきょう2011年3月4日付が「1㍑当たり143円」と。

 ガソリン価格は常に乱高下し、世界の政情を映す。その価格が高騰すれば、原油生産シェア世界1位(12.9%)の隣国・ロシアは経済力をつけるという構造に変わりない。

⇒4日(金)朝・金沢の天気  ゆき 

☆この横着モノ

☆この横着モノ

 大学入試の公正性がハイテクで損なわれるということは断じてあってはならない。京都大など4大学の入試問題が試験時間中にインターネットの質問掲示板「ヤフー知恵袋」に投稿された事件が世間を騒がせている。警視庁などは、投稿に使われたNTTドコモの携帯電話の契約者を山形県新庄市在住の人物と特定し、その息子(19歳)の強制捜査(逮捕)に踏み切るだろうと、マスメディアは一斉に報じている。

 京都大学側が2月28日に京都府警に被害届を提出し、さらに世間の注目を集めた。おそらく大学側は対応できないと判断したのだろう。京都府警もネットを使った犯罪にはチカラを入れていて、生活安全部のハイテク犯罪対策室が対応を担っている。その罪は、偽計業務妨害罪。つまり、偽計を用いて人の業務を妨害した、というもの。3年以下の懲役または50万円以下の罰金に処せられる。

 ところが、世間の関心は一方で別なところにある。監視員がいる中で、どうやってケイタイを使って投稿できたのか、という技術的な驚きだ。これまで、入試に関しては、集団カンニングや裏口入学、替え玉受験など入試の公正性をめぐる事件があった。今回のように、偽計業務妨害罪という刑法犯の特定にまで至るというケースは初めてだろう。

 過去の替え玉受験問題(1991年の明治大学の入学試験)では、有印私文書偽造など3人が逮捕されているが、これは大人が絡んだ事件だったから逮捕に至ったのだ。今回は世間を騒がせたものの、19歳の悪知恵である。もし、当の本人がゲーム感覚でしたことで、これほど大事(おおごと)なるとは思ってもいなかったと反省しているのであれば、警察が「この横着モノ。世間を騒がせたらいかん」と一喝しておきゅうを据えるだけで済む話ではないか。逮捕して、断罪して、それで世間がすっきりするのだろうか。むしろ、少年の出来心に対して寛容性がなくなった日本社会のあり様が返って問われることになりはしないか。この方がむしろ後味が悪い。

 もちろん、この事件の背後に協力者として大人が絡んでいる、あるいは未成年であっても他との共謀性があれば別の話になる。

⇒3日(木)朝・金沢の天気   ゆき

★続・追想クライストチャーチ

★続・追想クライストチャーチ

 ニュージーランド南島の中心都市クライストチャーチ付近で22日に発生した大地震。救出された富山外国語専門学校の男子学生(19)の被災体験が朝日新聞の24日付紙面で掲載されていた。学生はビルの4階にいた。昼食をとっていて、大きな揺れを感じた。いきなり、足元の床ごと、体が落ちた。周りの学生も「痛い」などと言いながら、一緒に落下していった。気づいたら、周囲は暗闇だった。右足が動かない。何かに、挟まれていた。奈落の底に落ちるような恐怖だったに違いない。学生は右足を切断し、救助された。

 2006年8月、家族旅行で訪れたクライストチャーチの街は、ビジネス街もあるものの、歴史が止まっているかのように感じられた。その理由は、若者の姿が少なからだった。同じ年の1月に訪れたイタリアのミラノは古い街並みを若者がかっ歩するという歴史の連続性を感じた。が、クライストチャーチには人々のみずみずしさが感じられなかった。

 若者の姿が見えない理由の一つが、学生がいないことだった。ニュージーランドに7つある大学の一つ、学生数1万3千人のカンタベリー大学がクライストチャーチの中心街から郊外に移転した。金沢の街の事情と少々似たところがある。もう一つの理由が、若者が仕事を求めてオークランドに流れていた。オ-クランドは北島にある人口110万人を数えるニュージランド最大の経済都市である。いうならば一極集中の構造になっているこの国では、2番目の都市規模を誇る35万人のクライストチャーチであっても「ストロー現象」で若者が吸い上げられていたのだ。

 そこにきて今回の震災である。この街のシンボルであり、観光名所でもある大聖堂も崩れた。そして、「ガーデンシティ(庭園の街)」と称されるまでに美しい街であったクライストチャーチは一瞬にしてがれきの街と化した。あの美しい、古都のような街が早く復興していほしいと願う。ただ、この街の復興は前途多難であろうことは、想像に難くない。

 写真は、街路でチェスを楽しむ市民たち(上)、イングリッシュガーデンが見事なクライストチャーチの住宅のたたずまい(下)。2006年8月15日撮影。

⇒24日(木)朝・金沢の天気  はれ

☆追想クライストチャーチ

☆追想クライストチャーチ

 ニュージーランド南部のクライストチャーチ付近で発生したマグニチュード6.3の地震。23日現在の死者は75人、行方不明者は約300人。うち、不明とされる日本人は27人となっている。現地で語学研修中だった金沢市の男性(39)や富山外国語専門学校の学生らの安否が気遣われる。新聞報道では、余震が続き、建物がさらに倒壊する危険性がある。被災地での救出活動も難航している。国家非常事態宣言が出され、クライストチャーチは夜間外出禁止となった。

 クライストチャーチは思い出深い街だ。夏休みを利用して家族でニュージーランドを旅行したのは2006年8月15日のこと。当時のメモを見ながら、被災した街を追想してみる。関空からのフライトで、10時間半でニュージーランド南島のクライストチャーチ国際空港に着いた。現地の時間は午後0時30分、到着を告げるアナウンスでは日中気温は7度。金沢だと2月下旬ぐらいの気温だった。

 クライストチャーチ、語感に古きイギリスのにおいがした。1850年、イギリスから4隻の船で800人が移民したのが始まり。それが現在では35万人の南島最大の都市へと成長した。すさまじい人口増の背景には歴史があった。ニュージーランドへの移民が始まって間もなく、サザン・アルプスの各地で金鉱脈が発見され、1860年代からゴールドラッシュが沸き起こる。これで、ヨーロッパやアジアからもどっと人が押し寄せた。さらに、1870年代からはヨーロッパでウール(羊毛)の人気が高まり、ニュージーランドはその原料の主力供給基地へと実力をつけていった。

 こうしたサクセスストーリーを背景に、街は活気にあふれた。1864年から40年もかけて、街の中心部にイギリスのゴシック様式による大聖堂が建設された。奥行き60㍍、1000人は収容できる。そして大聖堂の名前がそのまま街の名前になった。母国イギリスへの望郷の思いから、オックスフォード通り、ケンブリッジ通りなど大聖堂の周辺には地名もつけられた。人々は「イギリス以外で最もイギリスらしい町」と呼ばれるほどに本国のイミテーション都市をつくり上げた。

 その真骨頂は気品のある住宅街である。エイボン川沿いの瀟洒な住宅群、あるいは前庭は草花、後庭は芝生のイングリッシュガーデンの住宅が建ち並ぶ。クライストチャーチは「ガーデンシティ(庭園の街)」と称されるまでに美しい街となった。そして、クライストチャーチは豊かだ。サザン・アルプスを背景にカンタベリー平野に展開する牧羊などの酪農、そしてカイコウラ漁港を中心とした水産業も盛んだ。そこに住む人々の表情は穏やで、路上でチェスを楽しむ姿があちこちに見受けられた。

 しかし、今回の地震でシンボル的存在の大聖堂の塔は崩れ落ちた。

⇒23日(水)夜・金沢の天気  はれ

★懐かしい未来

★懐かしい未来

 先月1月27日、東京・経団連ホールで三井物産環境基金特別シンポジウム「~がんばれNPO!熱血地球人~」に参加した。その基調講演で、日本野鳥の会会長の柳生博氏が「森で暮らす 森に学ぶ」をテーマに話した。独特のテンポの語りが人をひきつけた。

  柳生氏が35年前に八ヶ岳に移り住んで森林再生を始めたきっかけや、いまの環境問題に関する人々の意識の高まりについて、生活者目線で語った。印象に残ったのが「確かな未来は、懐かしい風景の中にある」という言葉だった。人が生き物として正常な環境は「懐かしい風景」だ。田んぼの上を風が吹き抜けていく様子を見た時、あるいは雑木林を歩いた時、そんな時は懐かしい気持ちになる。超高層ビルが立ち並び、電子的な情報が行き交う都会の風景を懐かしい風景とは言わない。「懐かしい風景」こそ、我われの「確かな未来」と見据えて、自然環境を守っていこうという柳生氏のメッセージなのだ。

 つい先日2月12日、金沢で開催された自動車リサイクル企業「会宝産業」の講演会に誘いを受けて出席した。東北大学大学院環境科学研究科の石田秀輝教授が「遊べや遊べ、もっと遊べ!~あたらしいものつくりと暮らし方のかたち~」をテーマに話した。我慢する環境の取り組みではなく、心豊かに暮らしながら環境負荷をどう低減させるものづくりを進めたらよいかというのが話の趣旨。そのためには、大量生産、大量消費の「イギリス産業革命」的な発想と決別して、自然観を持った、ある意味で日本的な産業革命が必要だ、と。その中で、石田氏は「懐かしい未来」とたとえて、こんな話をした。ご近所の熊さんと八っつあん。熊さんが旅に出るので、「うちのソーラー発電の電気、どうぞ自由に使ってくださいな。その代わり、留守中は頼むよ」といった昔懐かしい日本的なセリフが、テクノロジーを伴って言えるような未来の姿をイメージさせる。

 我われが地球から受けた恩恵を次世代にどうやって引き継ぐのか、手渡すのか、その岐路に立っている。柳生氏の「確かな未来は、懐かしい風景の中にある」と、石田氏の「懐かしい未来」の表現は多少違うものの、我われが共有する自然観や人間観をベースにした「未来への遺産」こそ確かなのであると強調している。今の我われが想像もできなような未来観というのは、映画『バイオハザード』のようでなんだか危なかしい。良き光景は懐かしい。それは未来も変わってはならない。そんなメッセージを二人から頂いた。

⇒14日(月)朝・金沢の天気  くもり

 

☆地デジ、東京の陣・下

☆地デジ、東京の陣・下

  東京スカイツリーが完成すれば634㍍となり、自立式電波塔として世界一の高さを誇ることになる。この高さ634を「むさし」と呼ばせて、「武蔵」の漢字を当てる。武蔵は今の東京、埼玉、神奈川の一部を含む武蔵の国のこと。歴史的な味わいのロマンを演出している。知恵者がいるのだろう。

            「武蔵の国」では地デジは2度切り替わる

  すでに観光名所になっているスカイツリー本来の役割はテレビ塔としての機能である。問題は、「本家テレビ塔」の東京タワーとの電波の切り替えだ。ことし2011年7月24日正午にアナログが停波された後は、東京タワーから地デジの電波が発射されるが、来年2012年春にスカイツリーがオ-プンすれば、試験放送期間を経て、地デジの電波は東京タワーからスカイツリーにスイッチされる。つまり、武蔵の国では地デジは2度切り替わる。

  スカイツリーのもともとの建設目的は、都心部に建てられる超高層ビルが増え、東京タワーからの送信が電波障害を生じるようになったからで、地デジのために建設計画が持ち上がったわけではない。というもの、関東地区で地デジをスタ-トさせた2003年12月にNHKと在京民放キー局5社が600㍍級の新電波塔を求めて、「在京6社新タワー推進プロジェクト」を発足したのがきっかけだった。2006年3月に建設地が決まった。当初は2011年7月に間に合わせようとしたがスケジュールがずれた。

 ここで懸念される問題がある。東京タワーにアンテナを向けて地デジを視聴している世帯が、来春の東京スカイツリー切り替え時に、アンテナの向きを調整しなくていいのかという問題だ。総務省は情報通信審議会情報通信政策部会の「地上デジタル放送推進に関する検討委員会」(第42回・2009年1月16日)で、関東広域圏の地デジの発射局(親局)が東京タワーから東京スカイツリーに移行することが視聴者にほとんど影響を与えないという見解を示している。また、 情報通信審議会の第6次中間答申(2009年5月25日)でも、 東京スカイツリーへの親局移転にかかわる影響について、「移転による受信設備への影響はほとんどなく、デジタル対応した設備がそのまま使えること」「影響が発生した場合には、放送事業者による対策等がなされること」が記載された。

  本当に影響はないのだろうか。確かに、地デジはビル陰であっても、近隣のビルで反射された波(反射波)を受信できてしまうので、電波の比較的強い地域の場合では、アンテナの向きが違っていても反射波を拾って地デジが映ることもある。 ただ、常識的に考えて、現在の東京タワーに向けている家庭用のUHFアンテナを来春にはスカイツリーに向けてアンテナを調整をした方がより良い画質が得られるのはは当然だろう。とくに東京タワーとスカイツリーを直線でつないだ中間の地域の場合は逆向きになる。地デジが2度切り替わることの影響については、来春のスカイツリーのオ-プン後、試験電波を発射し、測定車で受信する検証作業が行われるので、それまでは憶測でしかない。

 もし、それで影響が出てテレビ視聴に混乱が生じた際は、「放送事業者による対策等がなされること」(前出の第6次中間答申)になっている。今さら蒸す返すのも大人げないが、スカイツリーの開業と、アナログ停波の順番が逆になっていることがそもそもの原因だ。

 そして、このことは関東エリアの多くの視聴者の関心事なのだが、NHKと在京民放キー局5社のホームページを閲覧しても、東京タワーとスカイツリーで地デジが2度切り替わることの視聴者への影響についてはよく説明やPRがされていない(見落としかもしれないが)。おそらく、キー局側とすれば、まず東京タワーでの完全地デジ化(7月24日)を乗り切って、その次にスカイツリー対策に重点を置くという戦略なのだろう。確かに視聴者は2重の混乱に陥るものの、それだったら、そのように順序だてて説明をすればよいのではないだろうか。

⇒13日(日)朝・金沢の天気   ゆき

★地デジ、東京の陣・上

★地デジ、東京の陣・上

 1月17日は東京へ日帰り出張だった。先日から大雪となり、風も風も強かったので、早朝JR金沢駅から「はくたか1号」に乗った。乗り換え駅の越後湯沢付近は1㍍を超える積雪で、屋根雪を下ろす人々の姿が車窓から見えた。上越新幹線で長野を過ぎると、とたんに顔空になった。目的地の市ヶ谷では駅のプラットホームから釣り堀が見え、のんびりと釣り糸を垂れる人々の姿があった。越後湯沢で見た屋根雪下ろしの光景と余りにも対照的だった。人は生まれた環境に育まれる。粘り強く、持続性がある北陸の人の行動パターンは案外、雪が育んでいるのかもしれない。

         越後湯沢の空とスカイツリーの空

 東京の空をにぎわせているスカイツリー。正式には「東京スカイツリー」。高さ634㍍の世界一の電波塔を目指している。ことし12月に完成、来年春に開業を予定している。NHKと在京民放5局が利用する。総事業費は650億円。このツリーを下から眺めると、いろいろなことを思う。その一つが、「電波は空から降ってくる」という発想は、東京のものだ、と。東京タワー(333㍍)しかり、東京にいるとシャワーを浴びるように、電波が空から降ってくる。もちろん一部にビル陰による電波障害があり、そのビル陰の障害を極力減らすために600㍍級のタワーが構想された。まるで「恐竜進化論」だ。電波塔(東京タワー)が立つ。周囲に200㍍を超える超高層ビルが林立するようになる。すると今度は、さらに高い電波塔(スカイツリー)を立てなければならないと、どんどんと図体が大きくなってきた。「電波を空から降らせる」ために、限りなく巨大化し続けているのだ。

 翻って、日本海の能登半島の先端。山陰で電波が弱い、届かない。あるいは、電波は届くが強風と塩害のため屋根に上げたアンテナは常にリスクにさらされる。このため、集落ごとにしっかりとしたアンテナを共同で立て、そこから有線で各家庭にテレビ線を引き込むというやり方をとってきた。これを「共聴施設」、あるいは「共聴アンテナ」という。テレビを視聴するのに住民が共聴施設を維持管理費を負担をする。簡易水道の維持費を払っているのと同じ感覚だ。同じ日に屋根雪を下ろしている地域があり、片や青空の下で釣り糸を垂れている地域がある。同じように「電波が空から降ってくる」地域と、「電波を金を払って取り込む」地域がある。不公平だと言っているのはない。電波は家庭に多様な届き方をしている、と言いたいのだ。

 ただ、スカイツリーは電波を空から降らせるためものだけではない。道路や橋、病院、公園などといった経済や生活環境のベースとなるインフラストラクチャー(略して「インフラ」)のモデル的な要素が強い。東京タワーのように、一つのシンボルとして何百万人の訪れる施設を目指している。その意味では公(おおやけ)の、パブリックな建物になる。イギリスの元首相チャーチルの有名な言葉に、「われわれは建物をつくるが、その後は、建物がわれわれをカタチづくる」と。いまは「東京のスカイツリー」だが、十年も経てば「スカイツリーの東京」となるのではないか。ただ、そのときの人々のメンタリーはどうカタチづくられているのかと気になる。

⇒18日(火)朝・金沢の天気   くもり

☆地デジ、電器屋の夏

☆地デジ、電器屋の夏

 前回のブログで、昨年7月24日に能登半島の先端エリアがアロナグ波を止め、完全デジタルに移行した話をした。この日は地元に総務省や民放・NHKのテレビ業界の関係者らが訪れ、記念セレモニーが開かれた。このとき、「珠洲モデル」という言葉を初めて聞いた。

 珠洲モデルというのは、地域の電器店15軒が手分けして、高齢者世帯などを一軒一軒回り、アナログ受信機(テレビ)にチューナーの取り付けをした。ボランティアではない。ただ、お年寄り宅を何度も訪ね、丁寧に対応し、見事に地デジ化のウイークポイントといわれた高齢者世帯の普及に成し遂げたと評価された。記念セレモニーでは、デジタル放送推進協議会の木村政孝理事が一人ひとり電器店の店主の名前を読み上げ感謝状を贈ったほどだ=写真=。

 その珠洲モデルの内容をさらに詳しく説明する。能登半島は少子高齢化のモデルのような地域だ。珠洲市では6600世帯のうち40%が高齢者のみの世帯で、さらにその半分に当たる1000世帯余りが独居である。デジタル対応テレビの普及は進まない。では、そうした世帯にチューナーを無償貸与すれば、お年寄りは自ら上手に取り付けて、それでOKなのだろうか。問題はここから始まる。高齢者世帯を町の電器屋が一軒一軒訪問し、チューナーの取り付けからリモコンの操作を丁寧に教える。このリモコンにはチューナーとテレビの2つの電源がある。一つだけ押して、お年寄りからは「テレビが映らないと」とSOSの電話が入る。このような調子で、「4回訪ねたお宅もある」(同市・沢谷信一氏)という。チューナーを配っただけでは普及はしない。丁寧なフォローが必要なのだ。

 話はがらりと変わる。先日、金沢市内の電器店の経営者と雑談を交わした。電器屋氏いわく、「ことしの7月24日が怖い」と。街の電器店が1年の中で一番忙しいのは6月から7月という。エアコンの工事も増え、冷蔵庫などの修理も多くなる。そんなときに、ことしは「地デジ」と重なり、駆け込み発注でパニックになるかもしれない、と。

 地デジの場合、家庭ごとに条件が違っていて、アンテナの位置が少しずれただけで映りが悪くなったり、屋内の配線やブースターが原因で映らない場合もある。「とにかく、やってみないと分からないケースが多い」。普通、アンテナ工事は2、3時間で済むが、地デジのアンテナの場合は半日から丸1日かかるケースもあるという。しかも、長梅雨が続けば、屋根には上がれない…。

 7月24日といえば、ことしは日曜日。おそらく夏の高校野球ローカル大会の決勝戦がこの日、ラッシュを迎える。そんな日に、歴史的な日本の地デジ化が訪れるのだ。

⇒10日(祝)朝・金沢の天気  ゆき

★地デジ、能登半島から

★地デジ、能登半島から

  日本、いやアジアで最初にアナログ放送が停止し、完全デジタル化したのは能登半島だった。2010年7月24日正午に停波した珠洲市と能登町の一部8800世帯(珠洲市6600世帯と能登町の一部2200世帯)がそのエリアである。同日珠洲市での記念セレモニーであいさつに立った総務省の久保田誠之官房審議官は、今回の停波で空いた周波数帯(ホワイト・スペース)で、観光・行政情報をローカル番組として流す「エリア・ワンセグ放送」の実証実験を珠洲で行うと打ち上げた。アナログ放送の停波に伴うエリア・ワンセグの実験は全国初ということになるが、地デジへの先行モデル地区として自治体が先頭に立って頑張ったという「ごほうび」の意味合いもあるだろう。

  では、能登半島が先行モデル地区として役割は果たせたのだろうかと振り返ってみる。丘の上から珠洲市内を眺めると、受信障害となるような高いビルはないし、当地の民放4局のうち3局がいわゆる「Uチャン」なのでアンテナ交換の必要もない。都市型の地デジ問題とは一見かけ離れているようにも思えるが、山陰や北風・塩害問題による共聴施設が市内で36ヵ所あり、市の世帯の40%をカバーしていた。しかも、珠洲市の場合、65歳以上の最高齢者率は40%を超え、高齢者のみの世帯率は36%、さらに高齢者世帯の半分1000世帯余りが独居のまさに過疎・高齢化の地域だ。電波障害による共聴と高齢者宅の対策は地デジの2大問題で、それを乗り切った能登の先行実施は「モデル」といえるだろう。

 去年8月18日、東京都北区の区議3人が珠洲市役所を地デジ対策の視察に訪れた。同区(33万人)の高齢者率は22%を超え、集合住宅に住む独居の高齢者も多い。だれがどう対応すべきなのか、区議の質問は高齢者世帯への地デジ対策に質問が集中した。応対した同市総務課情報統計係長の前田保夫氏は「お年寄りにとって、テレビはさみしさを紛らわすための生活の一部」と話し、市職員の戸別訪問や市内の電器店との連携による簡易チューナーの取り付けの経緯を説明した。能登であれ、東京であれ、高齢者対策は地デジ対策のポイントなのだ。

 能登を調査に回って、気がかりな点が2つある。一つは、自治体の動きが読めないこと。珠洲市への議員視察は複数あるものの、他の自治体からの視察はゼロである(8月末現在)。前田氏は「地デジ対策は自治体の仕事ではなく、国とテレビ局の仕事と思っているところが多いのはないか」と懸念する。

 もう一つ。地デジ移行を終えた同市内で、高齢者20人に地デジに関する簡単なアンケート調査を試みた。その中で、「国はなぜ地デジに移行するのかご存知ですか」の問いに、正解だったのは「電波のやり繰り」と答えた2人だけだった。15人が「分からない」と答えた。わずか20サンプルで、しかも高齢者へのアンケートで推測するのは危険だが、地デジ移行の本来の目的が国民の間で理解されているのだろうかと気になった。国民の理解なき政策は政争の火種になりかねないと思うからだ。

※写真は、アナログ波を停波した民放局の珠洲中継所。周囲は葉タバコ畑。

⇒9日(日)朝・金沢の天気  くもり