☆日本を洗濯‐6‐

☆日本を洗濯‐6‐

 5月11日から3日間、宮城県の仙台市と気仙沼市を中心に取材した。5月11日は震災からちょうど2ヵ月にあたり、各地で亡くなった人たちを弔う慰霊の行事が営まれていた。気仙沼市役所にほど近い公園では、大漁旗を掲げた慰霊祭があった。大漁旗は港町・気仙沼のシンボルといわれる。震災では漁船もろとも大漁旗も多く流されドロまみれになっていたものを市民の有志が拾い集め、何度も洗濯して慰霊祭に掲げられた。この日は曇天だったが、色とりどりの大漁旗旗は大空に映えた。

          「想定外」という死語を使う愚

 その旗をよく見ると、「祝 大漁」の「祝」の文字を別の布で覆い、「祈」を書き入れたものも数枚あった=写真=。おそらく、市民有志がこの大漁旗の持ち主と話し合いの上で「祈 大漁」としたのであろう。漁船は使えず、漁に出たくとも出れない、せめて祈るしかない、あるいは亡き漁師仲間の冥福を祈ったのかもしれない。持ち主のそんな気持ちが伝わってきた。

 午後2時46分に黙とうが始まった。一瞬の静けさの中で、祈る人々のさまざま思いが交錯したに違いない。被災者ではない自分自身は周囲の様子を眺めそう思いやるしかなかった。1本100円の白菊の花を手向けた。メディアの取材もあった。慰霊祭の主催者へのインタビュー、NHKは中継を行っていた。取材が終わり、現場をさっさと引き揚げる記者とカメラマンが多い中で、2人の記者が祭壇に向かって手を合わせていた。取材者であり、当事者ではない記者が祈りをささげる光景というのはあまり見たことがない。「ひょっとしてこの記者たちも被災者なのかもしれない」との思いがよぎった。自然な祈りのような気がした。

 公園から港方向に緩い坂を下り、カーブを曲がると焼野原の光景が広がる。気仙沼は震災と津波、そして火災に見舞われた。漁船が焼け、町が燃え、津波に洗われガレキと化した街となっている。リアス式海岸の入り江であったため、勢いを増した津波が石油タンクを流し、数百トンものトロール漁船をも陸に押し上げた=写真=。以前見た関東大震災の写真とそっくりだ。「天変地異」という言葉が脳裏をよぎった。今回の地震と津波は「想定外だった」という言葉をメディアを通じてよく聞く。よく考えれば、1923年9月1日に関東大震災を経験しているわれわれ日本にとって、「想定外」という言葉は死語に近いようなものだった。100年の間に想定外が2度起こることはありうるのだろうか。自らの責任を回避するために使っている、あるいは使っていただけなのだ。

⇒7日(火)朝・金沢の天気   はれ

★震災とマスメディア-11-

★震災とマスメディア-11-

 前回に引き続き遺体写真をテーマに。日本の震災報道では、新聞もテレビも遺体を映した写真や動画は一切ない。私の知る限り、朝日新聞アエラ臨時増刊号「東日本大震災」で掲載されていた、遺体にかけられた布団からのぞいている足首の写真が唯一の写真だった。一方、海外のメディア(ワシントンポストなど)では、遺体安置所で亡き人の顔を覗き込む被災者の姿が掲載されるなど写真は数多い。動画でもアップされている。日本のメディアは、遺体に関して神経質なまでに気を使っている。

      メディアの遺体画像をめぐる学生たちの意見

 こうした日本のメディアに在り様について、金沢大学の学生たちに考えてもらおうとアンケートを実施した(5月24日)。前回のコラムでも紹介したように、「現状でよい」が154人、「見直してもよい」が81人だった。

 では、学生たちの意見はどうなのだろうか、いくつか紹介したい。まずは、日本のメディアの在り様は今のままでよいとする現状派のリアクションペーパーから。

 「海外メディアのようにリアリティのある写真を載せれば、悲惨さや現状をまっすぐ伝えられと思うけれど、それを見てトラウマになってしまう人もいると思うからです。実際中学生のとき戦争中を映したDVDを鑑賞して焼け焦げた死体やバラバラになった身体をみました。それから私は戦争の映像を直視できなくなりました。日本のマスメディアには今のままでいき、言葉やインタビューを組み合わせて、視聴者に伝えてほしいです」(学校教育・1年)

 「見直してもよいと思う人もいると思う。それは自己責任で見ればいいのだから。その点は私も肯定できる点である。しかし、もし偶発的に小さい子供が見てしまったら、どうするのか。私が幼い頃にそんなものを見たらトラウマになることは確実だろう。そうなったら誰が責任をとるのだろうか。そのようなことを考えたら現状のままを維持すればよいのではないかと私は思う」(物質化学・1年)

 「第一に受け手の心情という観点から考えると、やはりご遺体の写真を掲載することはしないほうが良いと思います。ご遺体の中には、状態がきれいなものだけでなく、損傷の激しいものもあり、見ている側としては気持ちのよいものではないと思うからです。第二に個人の尊厳を守るという観点から考えると、写真の掲載はするべきではないと思います。震災などで損傷の激しいご遺体の写真をマスメディアで取り上げることは、報道側からすれば、被害の大きさや悲惨さを世間に伝えるという意味では視覚的でとても分かりやすく有効だと思いますが、一方で写真の被写体の人達は世間に”さらしもの”にされるわけで、亡くなったご本人の尊厳が損なわれるだけでなく、そのご家族も二重のショック(家族が亡くなったこととその無残な写真が世間に公表されたこと)を受けてしまう、と考えられます。被害の程度を世間に知らせることも大事ですが、その前に人権を守ることが大切だと思います」(保健・2年)

 では、見直し派(遺体写真の掲載)はどのような意見なのだろうか。リアクションペーパーから。

 「『死』が軽視されるのは、そのような社会と生き物の生死が切り離されているからだと思っている。夢物語のように生死が感じられない情報は自分の世界とは違う非日常で他人事にしか感じられない。だから、被害者以外の人々が差し迫った考えができないのではないか。例を挙げるなら、便利、不便程度で生活に支障をきたすと言ってしまうような都会の人々のように。自分たちが生きている日常が非日常であるということを実感するためにも、メディアは『現実』をある程度報道するべきだと思う」(自然システム・1年)

 「遺体の写真をみせ物のように載せるのはどうかと思うが、現状の日本のメディアのようにタブーとして掲載しないのはどうかと思う。がれきの写真のみを扱うメディアがあってもいいと思う。時には、遺体の写真を載せるメディアがあってもいいと思う。『タブー』という言葉をメディアが簡単に用いるようになり、自分たちに都合の悪い写真や記事を載せなくなる懸念がある。さらにメディアが一律化していくとにもつながりかねない」(国際・1年)

 「まず、遺体の写真を映さないというは”真実を伝えるマスメデイア”という言葉と矛盾している。現場で起きた真実をすべて伝えるのがマスメディアの使命ではないのか。被災者や被害者に『今どんな気持ちですか?』と尋ねまわって、被災者たちの心をえぐってまで、オイシイコメントを手に入れて放送するより、遺体の映像を見せたほうが、視聴者に被害の深刻さを伝えられるのではないだろうか。私は地震の時、マスメディアの報道を見ても津波に対してあまり恐怖を抱かなかった。(唯一、抱いたのはNHKの中継くらいだった。)ネットでYouTubuの津波動画や遺体の写真を見たとき、やっと津波の怖さを理解した。遺体の写真は、視聴者に不快な思いをさせるかもしれないが、日本人が現実から目をそむけて平和ボケしっぱなしでいるより、きちんと見せて現実を知らせ、日本人に危機感を抱かせるべきである」(地域創造・2年)

※写真は、津波で破壊されたバス。乗客は高いビルに避難して無事だったという=5月11日・宮城県気仙沼市で撮影

⇒4日(土)朝・金沢の天気  くもり

☆震災とマスメディア-10-

☆震災とマスメディア-10-

 金沢大学で「マスメディアと現代を読み解く」という共通教育授業を担当している。これまで3回にわたって、震災とマスメディアをテーマに、現地での取材を交え講義してきた。その中で論議のポイントとして話してきたことをまとめる。これまで取材した被災地での記者やカメラマン、ディレクターの有り様は、震災の当事者ではない記者たちが現場で浮いている状態だった。

         震災とメディア、遺体写真をどう考えるか
 たとえば、2007年3月の能登半島地震で実際に私自身が目の当たりにした光景は、輪島市門前町でただ一つのコンビニで食料を買いあさるテレビ局のスタッフの姿であったり、倒壊のしそうな家屋の前でじっとカメラを構え余震を待つ姿だった。記者やディレクター、カメラマン、ADも人の子である。お腹も減れば、ジュースも飲みたい。また、余震で家屋倒壊のシーンを撮影したい、「絵をとりたい」という気持ちは当然であろう。ただ、被災者への目線、被災者との目線がすれ違い、それが違和感を生んでいた。

 今回の東日本大震災は大きく違っていた。広範囲での災害だっただけに、地域のマスメディア(ローカル紙やブロック紙、ローカルテレビ局)そのものが被災者となった。取材で訪ねテレビ局の社屋を見せてもらった。外見はそのままだが、社屋の上の鉄塔が揺れた5階(総務や役員室)は天井があちこちで落ちていた。自家発電や取材車のためのガソリンの確保、食料の確保などの課題が次々と襲ってきた。身内に犠牲者が取材スタッフもいる。だから、報道制作局長は「被災者に寄り添うような取材をしたい」とローカル番組では避難所からの安否情報を、ニュースでは生活情報に視点を注いだ。これから何十年とこのメディアの被災者目線が地域に生かされていくのなら、ローカルメディアの新たな姿がそこに確立されるのではないかと期待もした。

 学生たちにあるテーマを投げかけ、意見を書いてもらった。こういうテーマだった。「【設問】日本のマスメデイア(新聞・テレビなど)は通常、遺体の写真を掲載していません。読者や視聴者の感情に配慮してのことだと考えられます。一方で、海外メディアはリアリティのある写真を掲載しています。以下の問いのどちらかを○で囲み、あなたの考えを簡潔に述べてください。」。少々シビアなテーマだ。震災報道では、新聞もテレビも遺体が映された写真や動画はない。ある新聞社が写真特集で、遺体にかけたれた布団から足だけが出ている写真が唯一、マスメディアを通じて見た遺体写真だった。ただ、海外のメディアは毛布にくるまれ顔がのぞく遺体を親族ではないかと覗き込む人々の遺体安置所での写真を掲載し、ネットでも掲載している。日本のメディアは、遺体に関して露出することにかなり神経を使っているのである。

 こうした日本のメディアの姿勢への学生たちの反応は、「現状でよい」が154人。「見直してもよい」が81人。二者択一だったが、どちらも丸で囲まなかった者が2人いた。一番多かった現状肯定派の言い分は、1)見る側への心理的な影響(トラウマ、PTSDなど)、2)人権・人の尊厳、プライバシーへの配慮、3)別の表現方法がある(ネットやデータ放送など)、4)日本人の独自の文化、メンタリティーである、など4つに大別できた。中には、「その遺体写真を見た幼い子どもたちがトラウマになったら誰が責任をとるのですか」と強く反対する論述もあった。

 一方、見直し派はの言い分は、1)「現実」「事実」を報道すべき、2)メディアはタブーや自己規制をしてはならない、3)見る側の選択肢を広げる報道を、に概ね分けることができた。遺体の見せ方には配慮は必要としながらも、事実や現実を意図して隠すことに違和感を感じ取った学生が多かったようだ。ある学生は「テレビは嘘は言わないが、真実も言わない」と手厳しい。

 こうした議論はマスメディアの中でもぜひしてほしい。238人の学生の意見でも熱く論じる者が多数いた。国民的な論議になるかもしれない。

※写真は、5月11日に気仙沼市に営まれた大漁旗を掲げての慰霊祭。

⇒31日(火)朝・金沢の天気   はれ

★日本を洗濯-5-

★日本を洗濯-5-

 「伝統なき創造は盲目的であり、創造なき伝統は空虚である」。昭和20年代の戦後の混乱期、文部大臣相をつとめた哲学者、天野貞祐(1884-1980)の言葉だ。敗戦でこれまでの価値が大きく変わり、人々は戸惑っていた。過激な思想や宗教が跳梁跋扈した時代だった。そのときに、天野は新しい時代を生き抜く行動のヒントとして冒頭の言葉を考えた。これは今という時代も貫ぬく。

        「日本は安全である」という勘違い

 前回のブログでも取り上げた、ユッケを食べた4人が死亡した焼き肉チェーン店「焼肉酒家えびす」の集団食中毒事件。肉の生食用に関して、料理人は表面をトリミングする(削る)、タタキのようにあぶるといった調理法を施してきた。これは、痛い目にあった経験を元に生をより安全に食べるという知恵、ないし工夫としてあみ出されたものだ。長くつとめた職人なら誰でも知っているようなトリミングの手法を、「食のベンチャー企業」と称する若い会社がコストカットしたことが原因だろう。また、腸管出血性大腸菌「O-111」が肉の卸側にあったのか、店側にあったのかという点が調査のポイントになっていて、責任のなすり合いの様相を呈している。が、最終的には提供した店側の問題であることは言うまでもない。新たな食の産業を興そうという若社長の志(こころざし)には敬服するが、「伝統なき創造は盲目的である」の言葉が一方で響く。

 老舗料理店がなぜ生き残ってきたかというと、味の良さのほかに調理法をきちんと守り、世間を騒がすような食中毒事件を過去起こしてこなかったという点に起因するのかもしれない。その老舗の信頼を揺るがせたのが「船場吉兆」事件だった。2007年に賞味期限切れや産地偽装問題が発覚し、翌年には客の食べ残し料理の使い回しが問題となった。結局廃業に追い込まれた。老舗が基本を忘れるとどのようになるかという見本のような事件だった。ちなみに、いま老舗と呼ばれる料理店が客足が減り次々と廃業に追い込まれている。時代ととともに人々の味覚や視覚は微妙に変化する。それを鋭敏に嗅ぎ取って料理のメニューや店構えに生かす「創造」というものがなければ、単なるカビた店に過ぎない。まさに、「創造なき伝統は空虚である」。

 戦後、日本人はその生真面目さで、生産現場でコスト(手間暇)をかけ、安全性と利便性を追及してきたらこそ、日本の安心安全は実現された。その時代がしばらく続き、いつのまにか「安全が当たり前」と人々は信じ込んでしまった。「価格が安いものは危ない」というのはひと昔前までは常識だった。ところが、われわれ消費者側もそうした経済的な価値判断をいつのまにか忘れてしまっている。「安いのは店の真心サービスだから」とか身勝手に想像してはいないだろうか。これを「平和ボケ」ならぬ、「安全ボケ」と呼ぶことにする。外国産は危ないが、「日本にあるものは安全」という勘違いが蔓延している。

 うがった見方だが、今回食中毒事件を起こした会社自体がこの安全ボケになっていなかっただろうか。「日本の卸会社の肉は大丈夫…」と。放射状汚染にしても、食中毒にしても、「見えない敵」と戦うことの難しさが露呈している。この世に絶対安全がない以上、コストをかけ忠実に安全への知恵を磨くこと、そしてそのサービスを受ける側は疑うことだろう。

⇒25日(水)朝・金沢の天気  はれ

☆日本を洗濯-4-

☆日本を洗濯-4-

 このブログで何度か紹介した畠山重篤氏の東京講演の情報が入った。気仙沼で森と海の連環に取り組んでこられた畠山さんが、森・里・海の連環、森づくりの循環、生物多様性、農林漁業の振興など多様な観点から震災復興と地域再生をテーマに話す予定。5月22日午後1時半から、国連大学 ウ・タント国際会議場(東京都渋谷区)で。

     「利益優先」「コスト削減」この言葉の呪縛    
 
 ブログのシリーズ「日本を洗濯」は、大震災を通して、あるいは日常から垣間見える日本の矛盾の断面を考えている。今回は「薄利多売」という経営を考える。北陸を中心に展開する焼き肉チェーン「焼肉酒家えびす」の砺波店で集団食中毒が発生し、生肉のユッケを食べた男の子(6歳)が4月29日、腸管出血性大腸菌「O-111」に感染して死亡した。福井市の同チェーン店でも食事をした未就学の男児がO-111に感染し、死亡しており、その関連性が報じられている。焼き肉チェーン店の食中毒は珍しくないが、死亡となると話は別だ。

 以下記事を拾ってみる。「焼肉酒家えびす」の20店舗に肉を卸販売している東京都板橋区の食肉販売業者は生食用の肉は扱っておらず、加熱用の肉を扱っていた。卸した肉の包装などにも生食用とは記載されていない。焼き肉チェーンを経営する金沢の会社も「生食用でないことはわかっていた」と認めた、という。つまり、生食用ではない肉をあえてユッケに仕立て商品として提供していたということになる。

 私自身このチェーン店を何度か利用したことがある。100円メニューが誘客のキャッチフレーズ。店構えを今風に派手に見せて、若い学生たちをアルバイトで安く使い利益を確保する、典型的な薄利多売の経営だと一目瞭然の店だ。日本一の焼き肉チェーンを目指し、昨年は横浜にも出店した。資本金は4000万円、売上は18億円(2010年3月期)、従業員数は正社員90人、パート・アルバイト400人。 社長は43歳の若さだが。今回の焼き肉チェーンの食中毒による死亡事故は、利益追求にひた走る「経営のきしみ」にも思える。もちろん、安全性に配慮しながら成功している焼き肉チェーンは全国にあまたある。

  翻って、今回の大震災による福島第1原発の事故を考えてみる。地震による津波で、外部からの電源と発電所内の非常用ディーゼル発電機による電源の双方を失う「全交流電源喪失」状態に陥り原子炉の冷却機能が失われ、炉心溶解などで大量の放射能物質が放出された。この事故で初めて知ったのだが、原子炉が6基並んで建設されている。さらに2基が2013年度と14年度の稼動を目指して計画中だった。常時6000人の従業員が第1原発働いていた。

 うかがった見方をすれば、福島第1原発は「電力の安定供給」という言葉に名を借りた、東京電力の壮大な「コストカットの現場」と化していたのではないのか。原子炉事故のリスクを分散させるのではなく集中させ、人を大量に投入して安価な電力の生産現場を構築する。そこに見えるのは危機意識ではなく、コスト意識の構図ではないのか。東電が事故当初打ち出した「計画停電」はその裏腹である。電車を止め、信号機を止め東京を混乱に陥れた。東京大停電(ブラックアウト)になったらどうすると「脅し」をかけて家庭や事業所、病院に停電を強いた。これは本来、発想が逆だろう。ブラックアウトにならないように、コストをかけてでもリスクを分散させて、電力の安定供給策を取るのが公共の事業のあり方ではないのか。

 食の安心・安全や、電力の安定供給という基本を逸脱させた経営とは何だったのか。利益優先、コスト削減、こんな言葉に多くの経営者は呪縛されているのだろうか。

⇒1日(日)朝・金沢の天気   くもり

★日本を洗濯-3-

★日本を洗濯-3-

 節電ムードで夜がこれまでより薄暗くなった東京の街の印象を、知人がこう言った。「ようやくパリ並みになったじゃないか。これまでが明る過ぎたんだ」と。東京やニューヨークしかり、都市は膨張し輝度を競った。文明の象徴だった。今回は電力をテーマに考えてみる。

   、    「全国一斉」という発想を崩して見える可能性      

 石原東京都知事は、「節電」ではなく「無駄」を省けと主張している。そのヤリ玉に上げているのが自動販売機とパンチコ店だ。自動販売機は果たしてどこまで必要だろうかと問いたくなる。先日、能登半島の先端にある大学の施設に、ある飲料メーカーが自販機の設置を打診してきた。結局「近くに店があり、飲みたい人はそこで購入すればよい」との判断で設置を断った。空き缶の放置問題や、自販機そのものが原色で景観上もなじまい。一つ置けば、「当社も」と別の飲料メーカーも来るだろう。都知事の真意は、こうしてわずかな利益を競って不要不急のモノがはびこる日本の社会の悪しき断面を指摘したのだ、と考えている。

 話を「節電」に戻す。蓮舫・節電啓発担当大臣は「節約・倹約」を訴えている。しかし、今回の問題は節電よりむしろ「ピーク崩し」「集中排除」だろう。恐れられている東京のブラックアウト(停電)は、電力消費がピークに達した時であり、いくら節電を訴えても、ピーク時の電力消費量を抑えることができなければ意味がない。つまり、消費量が低い真夜中にあえて冷房を止めて寝苦しい思や、暖房を止めて寒い思いをしてまで節電する必要はない。もちろん節電するに越したことはないが、今回の問題の趣旨とは様相が異なる。

 個々の節電よりむしろ、政策的にどう電力消費のピーク崩しを行うかだろう。たとえば、最近は盆休みやゴールデンウイークの休暇日の選択の幅が広がり分散型となってきた。このため、JRの乗車率や高速道路の混雑も随分と平準化している。これに倣う。電力需要量は土曜と日曜、祝日が少ない。そこで、会社や製造業は週5日間を月曜から金曜の固定ではなく、土曜と日曜を取り込んだ選択制で操業し、電力需要を均(なら)すのである。つまり、「全国一斉」という発想を崩せば、電力消費量を抑えることができるのではないか。

 そもそも、電力需要のピークを生むのは「真夏のエアコン」だろう。そこで、消費電力が少ないエアコンや冷房効果を高めるペアガラス(複層ガラス)を導入する家庭はエコポイントをもらえるようにする。また、短期的には消費電力が少ないLED(発光ダイオード)照明を。長期的には電力網のスマートグリッド化は必要だ。電力の送配電網をIT化して、太陽光や風力発電を家庭や地域で生かしていく。こうした未来型の省エネの発想を政策として進めることだ。

 東西に長い日本では、真夏の電力消費は地域によってタイムラグがある。ところが、静岡県の富士川と新潟県の糸魚川付近を境にして東側は50Hz、西側は60Hzの電気が送られている。そこで、東西の電力を接続し、電力会社がいつでも電力の貸し借りができる体制をつくるべきだろう。もちろん、相当の工事費用はかかることは想像に難くない。

 菅総理は4月1日の記者会見で「すばらしい東北、日本をつくる夢を持った計画を進めたい」と述べ、津波対策のために高台の住居から海沿いの事業所に通勤する都市構想を例示した。被災地だけでなく、この際、日本を再構築する発想と政策を具体的に提示すべきだ。

⇒26日(火)朝・金沢の天気  はれ

☆日本を洗濯-2-

☆日本を洗濯-2-

 震災で日々伝えられていることをつぶさに読み、視聴すると物事は大胆にスピーディにやった方が評価は高まる。「石原軍団」と称される石原プロモーション(渡哲也社長)が4月14日、東日本大震災で被災した宮城・石巻市を訪問し、大規模な炊き出しを行ったと報じられた。20日までの1週間分で、カレーやおでんなど1万5000食を被災者に振る舞った。トラックにして28台分に及ぶ。渡社長らは寝袋で泊まり込んだ。1995年の阪神・淡路大震災でも石原軍団が活躍した。

         情報発信に問題はないか、そのタイミングやネーミング

 「トモダチ作戦」と呼ばれる在日アメリカ軍による被災者の救援活動も印象に残る。沖縄の普天間基地から来たヘリコプターや貨物輸送機などが、物資を厚木基地から山形空港や東北沖にいる空母ロナルド・レーガンなどに輸送した。また、一時使用できなくなった仙台空港の瓦礫の撤去作業など行った。ロナルド・レーガンは原子力空母であり、平時だったらメディアでも問題視されいたことだろう。それを差し引いてもその迅速な救援活動は好印象で伝えられた。

 それにしても不思議に思うこと。それは当然やっているだろと思いつく人が行動を起こしていないことだ。甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市は民主党の小沢一郎元代表のかつての選挙地盤だった。その小沢氏が岩手入りしたのは3月28日だった。岩手県知事と会談した。それ以前もそれ以降も小沢氏の被災地にかかわる動きはメディアを通しては見えてこない。小沢氏の公式サイトをのぞいても、4月27日に予定していた「第62回小沢一郎政経フォーラム」の延期のお知らせ以外は、被災地での活動が記載されていない。

 日本相撲協会は3月24日と25日に東京都内で街頭募金活動をした。25日に上野の松坂屋前で募金箱を首からぶらさげた高見盛が「首が重い」と善意に感謝した様子がテレビで映し出されていたが、それ以外、力士が被災地で炊き出しを行ったというような大相撲協会の救援活動が見えてこない。力士には東北出身者も多いはずである。そのくらいのことは当然していると思ったのだが。

 物事にはタイミングというものがある。タイミングが悪いとあらぬ誤解を受けたりする。4月12日、日本政府は福島第1原子力発電所の事故評価をチェルノブイリと同等の「レベル7」に引き上げると発表した。当初は「レベル4」だと発表していた。ここに来て一気に「レベル7」に引き上げた。これが国内外に不信を招いた。「日本政府は原子炉について事実を公開していないのではないか」、「何らかの事故に対する隠蔽工作があったのではないか」・・・。結果的に、「やはり日本政府は隠していたのか」との不信を煽る結果になった。

 もう一つ、ネーミングの問題がある。地震が発生した3月11日、気象庁はこの地震を「東北地方太平洋沖地震」と命名した。その後、日本政府は4月1日の閣議で震災の名称を「東日本大震災」とすることで了解した。新聞やテレビはこれ以降、「東日本大震災」の名称に統一した。政府とすれば、広範囲な名称で激甚災害の大きさを強調した方が今後復興に向けた取り組みで行いやすいと判断したようだ。ところが、これが海外からすると「日本の東半分は地震でやられた」との印象を与えている。今回の震災では原発事故とセットで被害を受けたとのイメージもあり、日本海側の東北地方や北海道などでも外国人旅行客が激減するなど風評被害が起きている。

 震災をめぐる一連の動きで感じるのは、情報の発信力やコミュニケーション能力の落差である。発表のタイミングや、情報の伝え方は誤解や過剰反応を生む原因にもなる。逆に、うまく伝えれば評価を上げたり、汚名返上にもなりうる。野球賭博や八百長問題があったとしても、大相撲協会は力士を被災地に派遣して、避難所でちゃんこ鍋の炊き出しなどの救援活動をすると喜ばれるのではないだろうか。

⇒24日(日)朝・金沢の天気  はれ 

★日本を洗濯-1-

★日本を洗濯-1-

 明治維新の立役者、坂本龍馬が姉の岡上乙女に宛てた文久3年(1863)6月29日付の手紙で「日本を今一度洗濯いたし申すことにすべきこと神願」と書いた。同月に起きた長州藩と、イギリス、フランス、オランダ、アメリカの列強四国との間の武力衝突(下関攘夷戦争)について、幕府は列強の船を江戸で修復させ、再び下関に送り出していることを知り、「幕府側の腹黒い売国奸物官僚」の仕業と憤った。他国の武力を使って長州を成敗させるほどに幕府は腐敗していると感じ、「日本を洗濯」と述べたものだ。今回の東日本大震災を通して、日本の政治や経済のあり様がさまざまな矛盾というカタチで噴出し始めている。それをいくつか取り上げてみたい。この際、日本を洗濯しよう。

         外国人の帰国ラッシュから透ける「人を安使いする社会」

 震災後から始まった外国人の帰国ラッシュ。身近でも、能登半島の観光施設で働いていたアメリカ人女性が最近タイに移った。両親から勧められたらしい。「日本にいては危ない」と。悲惨な津波の様子や原発事故は世界中のテレビで繰り返し流れている。それを視聴すれば、普通の親だった日本にいる娘や息子の身を案じるだろう。まして、政府が帰国を勧めれば、在日外国人の日本脱出は当然の成り行きだ。ただ、そこから浮き上がってくる問題がある。

 たとえば、日本全国の繊維産業で中国から「研修生」と称する数万人規模の労働者がいる。3年の間研修と実習を行うが、研修というより現場になくてはならない労働力となっている。この労働者の大半が帰国し、ニットを中心とする縫製業の中小企業が操業がままならない状態に陥っているという。繊維産業以外でも、飲食店やコンビニなどがある。たとえば、牛丼の吉野家は14日の決算発表の会見で、首都圏で働く外国人アルバイトの4分の1に相当する約200人が退職したと明らかにした。これ以外にも、自動車部品業界でも多くの中国人ほか外国動労者が帰国したと報じられている。

 日本企業が安価な外国の労働力に頼り切っていた中で今回のようなことが起きた。もちろん、その背景には日本の若者が中小零細企業に見向きもしなくなっていたという状況もあるだろう。一方で高校、大学の就職は「超氷河期」と呼ばれている現実がある。細かな理由はどうあれ大きな矛盾、ひずみが生じている。

 日本を脱出している外国人の多くは正社員ではなく、アルバイトである。能登半島で働いていた女性もパートだった。報道では、コンビニのローソンでは、中国に帰国した正社員は1人もいなかったものの、アルバイトに関しては急きょ、人材派遣会社を通じて日本人のアルバイトを補填したという。ここから見えてくるのは、日本企業は研修生やアルバイト、パートとった労働力を安易に使っているから、外国人も不安定な研修生やアルバイトには見切るをつける。つまり、外国人が逃げたのではなく、見切りをつけられたのだ。これは外国人だけに限らない。日本の派遣労働にも通じる。労働形態の多様性はあるべきだと考えるが、雇う側に「人を便利に安く使う」という発想に慣れきっていることが根底にあるのではないか。

 おそらく、外国人が去るとき、日本人経営者は「君たちがいなければわが社は困る」と正面切って慰留できなかっただろう。研修生やアルバイトにそう言えるはずもない。今回を一時的な現象とせずに、日本再生のために雇用そのもののあり方を再考する機会にすべきだと考える。

⇒15日(金)朝・金沢の天気   はれ

☆震災とマスメディア-9-

☆震災とマスメディア-9-

 昨夜(7日)午後11時32分に東北地方で強い揺れがあり、仙台市など震度6強、盛岡市などで震度5強を観測した。震度6強は民家は半壊あるいは全壊するくらいの激しい揺れだ。復興に向け、被災地の人々の心がまとまり始めていた矢先に追い打ちをかけるようにして起きた。

         メディアの現場も戦場と化している

 先ほど、知り合いの月刊ニューメディア編集長、吉井勇氏からメールでニュースレターをいただいた。その中で、東北の民放テレビ局関係者からテレビの現場の様子を取材した一文があったので以下抜粋する。要約すると、テレビの現場もガソリンの確保、食糧の確保、そして取材者たちの精神的疲労が募っているとの内容だ。

「震災直後の停電は、放送局の使命である電波を出す作業も際どいという、自家発の油入手との戦いだったそうだ。八方どころか、32方にも及んだ油作戦は、裏技も駆使しながら確保できたという。放送局は取材ができないと、ただの送信局設備になってしまう。ここでも中継車、取材車、ローカル応援局の取材車などのガソリンが必要・・・」

「食糧事情も厳しい。物流が途絶えたため、約340食を用意するのもギリギリ。炊き出し部隊はおにぎり一つでしのいだそうだ。物流が途絶えた中での、これも戦い。」

「一番気にかけたのは、取材先、つまり被災者たちのあまりにもむごい現実に向き合うことで、取材者自身が夜に眠りきれないなど、精神的に疲労してきているという。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の心配も、被災地にある局だから真剣に対応すべき問題なのであるだろう。」

 以上が東北ローカル局の生々しい実情である。

 東北太平洋側のテレビ局記者・カメラマンはまさに「戦場のカメラマン」状態だと思う。おそらく毎日が「悲惨な事故現場」での取材の連続だろう。私自信も記者時代(新聞、テレビ)に自殺、交通死亡事故、水難事故など人が死ぬという現場を取材してきた。今回の東日本大震災の映像をテレビで見るたびに、遺体は映し出されてはいないものの、当時の現場がフラッシュバックで蘇ってくる。「現場」というのもはそれほど心に深く刻まれ、ときに連想で追いかけてくる。

 ただ、現場にいるのは記者とカメラマンだけではない。検死に立ち会う医者、警察、消防、自衛隊などがいる。記者はその遺体を自らの腕で抱きかかえ運ぶということはしない。記者やカメランマンのPTSD(心的外傷後ストレス障害)が時折問題となるものの、現場の後処理をしなければならない警察や消防のことを考えると、PTSDをメディアの中で問題化することにちょっと引け目を感じる。これは自分自身の体験からの思いである。

 心情支援しか送れないが、現場で奮戦する記者、カメラマン、技術スタッフ、ロジを担当する総務のスタッフ・・・。10年、20年の長い戦いになる。未来を信じて、メディアそしてジャーナリズムの職務をまっとうしてほしいと思う。

※写真は、2007年3月の能登半島地震の被災地(輪島市門前町)。寺院は全壊したが、地蔵は倒れず残った。

⇒8日(金)朝・金沢の天気   くもり

★震災とマスメディア-8-

★震災とマスメディア-8-

 東日本大震災(2011年3月11日)と新潟県中越沖地震(2007年7月16日)のメディアの取材テーマに類似点がある。それは、被災地の原子力発電所に損傷が及んだという点である。能登半島地震(2007年3月25日)でも震源近くに北陸電力志賀原発1・2号機があったが、ともに点検などのため停止中だったので、メディアの取材が集中するということはなかった。

       メディアの取材資源には限りがある

 新潟県中越沖地震では、東京電力柏崎刈羽原発3号機から火災が発生した。放射能漏れは当初確認されなかったが、NHKのヘリコプターが火災現場の空撮を行った。この原発火災の映像が全国ニュースで放映され、視聴者は不安を募らせた。この火災では、東電職員4人が現場に駆けつけたものの、消火用配管が壊れていて、消火活動は行われなかった。また、地震の影響で地元消防署との専用電話は使用できず、消防隊の到着が遅れ、鎮火までに2時間近くかかった。メディアの取材は東電の初期消火の体制と地元消防署との連携の不手際に集中した。当然、柏崎市など行政の対応も震災と原発に2分化された。その後の調査で、少量の放射性物質の漏れが確認されたが、人体や環境に影響はないレベルとされた。もし放射性物質の漏れが火災の発生と相まっていたら騒ぎはさらに大きくなっていたかもしれない。

 私が柏崎市を取材に訪れたのは震災から3ヵ月余りたった10月下旬だった。住宅街には倒壊したままの家屋が散見され、メインストリートの駅前の商店街の歩道はあちこちでひずみが残っていて歩きにくかった=写真=。復旧半ばという印象だった。能登半島地震の復旧に比べ、そのテンポの遅さを感じたのが正直な印象だった。事実、取材した被災者の人たちも「原発対応に追われ、復旧に行政の目が行き届いていない」と不満を述べていた。当時のニュースの露出も原発関連が先にあり、後に震災関連という順位だったと記憶している。

 当時、原発火災は「あってならないことが起きた」というインパクトを周辺住民にも全国の視聴者にも与えた。したがって、メディアの取材が原発関連に集中したのも不思議ではなかった。が、メディアの取材資源(マンパワーと機材)も無限ではない。地域のテレビ局にしても、もっと被災者の生活や被災地のインフラの復旧状況を取材したいと思っても、原発関連に人と機材が割かれるという場面も相当あったろうと想像する。

 では、今回の東日本大震災の場合はどうだろう。全国ニュースで見る限り、テレビ画面や紙面からの印象として「福島」に集中してはいないだろうか、「宮城」「岩手」は手薄くなってはいないだろうか。ニュースの露出の多寡によって復旧や復興のテンポに地域格差や温度差が出てはならない。復旧が遅れると、それだけその地域の人々の不満や疲労度は募る。メディアは復旧のシンボルは取材するが、それ以外には取材資源を割けないのである。

⇒4日(月)朝・金沢の天気  はれ