☆GIAHS国際会議の視座‐1
GIAHSへの流れをトップセールスから読み解く
ローマのFAO本部にジョゼ・グラジアノ・ダ・シルバ事務局長を、石川県の谷本正憲知事が訪ねたのは昨年2012年5月23日だった。このときの会談で、谷本知事は次回2013年のGIAHS国際会議フォーラムを石川県で開催したい旨を提案した。これに対し、グラジアノ・ダ・シルバ事務局長は、この知事提案を歓迎する旨を表明した。このニュースは知事に同行した石川県の地元紙が翌日一面で伝えた。
紙面を見て意外だったことがある。私は2011年6月の北京開催のGIAHS国際フォーラムに出席した。そのとき、パルビス・クーハフカンGIAHS事務局長は閉会式で、「次回はカリフォルニアで開催を予定している」と述べていた。カリフォルニアワインの代名詞となっているナパ・バレーは、高級ワインの産地として知られると同時に有機栽培のブドウ園が多くある。パルビス氏は講演などで、ナパ・バレーのことを引き合いに出して、「農業と生物多様性が共存するアメリカの現代の里山」と高く評価している。「The farmer gets his reward, not only he produces good things but also he maintains the ecology and biodiversity. You can call this an American modern Satoyama.」(2013年2月19日)
上記のようなパルビス氏の思い入れもあり、てっきり2013年のGIAHS国際フォーラムはカリフォルニア開催と思っていた関係者も多かったと思う。逆に言えば、谷本知事のトップセールスが熱心だったのだろう。国際会議を誘致する知事のトップセールスの腕前はこれだけではない。2008年5月24日、ドイツのボンで開催中だった生物多様性条約第9回締約国会議(COP9)の現地事務局に条約事務局長のアフメド・ジョグラフ氏を知事は訪ねた。このときすでに、2010年のCOP10の名古屋開催が内定していたので、「2010国際生物多様性年」のオープニングイベントなど関連会議を「ぜひ石川に」と売り込んだのだ=写真・上=。このとき、国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットのあん・まくどなるど所長(当時)が通訳にあたり、「石川、能登半島にはすばらしいSatoyamaとSatoumiがある。一度見に来てほしい」と力説した。27日にはCOP9に訪れた環境省の黒田大三郎審議官(当時)にCOP10関連会議の誘致を根回した。
ジョグラフ氏は実際に石川、能登を訪れた。知事のトップセールスから4ヵ月後の2008年9月15‐17日の旅程だった。名古屋市で開催された第16回アジア太平洋環境会議(通称「エコアジア」、9月13日・14日)に出席した後、金沢に入り、16日と17日に能登半島の里山里海を見学した。能登町九十九湾の旅館に泊まったジョグラフ氏は17日の早朝、一人で奇岩や絶壁のある湾の名所を散策した。その後、国際生物多様性年のオープニングイベントはベルリン、そしてクロージングイベントは金沢開催(12月18、19日)と決まった。知事のトップセールスは実を結んだのである。
金沢で開催された国際生物多様性年のクロージングイベントは翌年の「2011国際森林年」にちなんだ式典でもあった=写真・下=。印象的だったのは、各国の大使クラスの参加者が参加した兼六園への散歩コース。雪つりを終えていた兼六園の樹木を眺めながら、海外からの来賓たちが「木の保護の仕方が独特。300年以上生きている木があることは驚き。これこそ日本の遺産だ」と絶賛していた。
実は、12月19日の国際生物多様性年クロージングイベントの記念シンポジウム(県立音楽堂)で「次の一手」を谷本知事を打ち上げる。「生物多様性の保全に向けたいしかわの挑戦」と題して、石川県が取り組む里山・里海の保全政策のプレゼンテーションを行った中で、過疎高齢化で里山が危機にあり、持続可能な形で利用保全していくことが大事」と述べ、「能登の里山里海が、国連食糧農業機関の農業版世界遺産に立候補した」と明らかにした。ちょうど2日前の17日、能登半島の8つの自治体でつくるGIAHS推進協議会が申請書をFAO日本事務所(横浜市)に提出した。FAOへの申請は県が主導したわけでもなかったが、知事をその動きを察知して、代弁したカタチで公表したのである。当時、国内で初めての申請であり、GIAHSの認知度はないに等しかった。GIAHSは「農業版世界遺産」と当時言われていた。
⇒23日(木)朝・金沢の天気 はれ
北海道旅行の4日目(5月6日)は札幌を巡った。朝は気温が5度と低く、吐く息が白い。市内全体がガスがかかった感じで、テレビ塔(147.2㍍)=写真・上=もかすんで見える。オホーツク海に停滞している低気圧の影響で上空に寒気が流れ込んでいるためらしい。午前中のニュースでは、北海道の東部が雪に見舞われ、帯広では積雪3㌢となり、5月としては2008年以来の積雪を観測した、と。3日に新千歳空港に到着してからずっと春冷えで、まるで冬を追いかけてきたようだ。
の新聞を読んでの印象だ。それにしても、1855年産のワインはロシアからの相当前向きなメッセージではないだろうか。
こうした北海道の海陸の接点が重視され、金融や輸送の関連企業が続々と小樽に集まってくることになる。もう一つの国指定重要文化財である旧・日本郵船小樽支店=写真=は、日露戦争直後の明治39年(1906)に完成した。石造2階建て、ルネッサンス様式の重厚な建築だ。この建物が注目されたのは、日露戦争の勝利だ。明治38年(1905)9月5日締結のポーツマス条約で樺太の南半分が日本の領土となり、翌年明治39年の11月13日、その条約に基づく国境画定会議が日本郵船小樽支店の2階会議室で開かれたのである。このとき、ロシア側の交渉団の委員長が宴席のスピーチで「北海道は日本の新天地なり」と褒めちぎったといわれる。すなわち、北海道内の物流の結節点だけでなく、大陸貿易の窓口としての機能に期待が膨らんだのである。
道央自動車道を走り、登別から小樽に着いた(4日)。予約しておいた小樽運河沿いのホテルにレンタカーを停め、周辺を散策した=写真・上=。2007年8月にも家族で小樽に来ているので、5年9ヵ月ぶりになる。で、小樽はどうのように変わったのか印象を述べてみたい。
きしていると、中国語の会話をしながらワイワイと歩くグループとよく会う。海外からも観光客を呼び込む戦略も成功しているのだろう。
ば、北海道どこでも味わえるのではないか。その土地で磨かれた文化としての食はどこのあるのだろうか。
定的となったのか、熱が出るやら咳き込むやらで体長不良に陥った。季節は春とは言え、今回の寒さは、地元紙の北海道新聞にも「札幌 21年ぶり5月の雪観測」(3日付)と1面の見出しで、2日夜に札幌でみぞれが降り、積雪(1㌢未満)を観測した、季節外れの戻り寒波を記していた。タマネギやジャガイモを作付する道内の農家が「寒い春」の影響で低温と日照不足を案じる声も記事にされていた。
登別温泉に到着して。さっそく地獄谷を見学に行った。硫黄のにおいが立ち込め、いまも水蒸気を噴き上げている。「地熱注意」の看板も目につく。下に降りると、薬師如来の御堂がある。看板が書きに江戸時代に南部藩が火薬の原料となる硫黄を採取した、とある。そしてところどころに、閻魔大王の像やら漫画風のキャラクターが温泉街を彩っている。そして、楽しそうに写真を撮影しているグループの中には中国語が飛び交っている。
昨日から金沢では時折、雷が鳴り、荒れ模様の天気となった。そしてきょう27日は先ほど7時50分ごろに激しく「あられ」が降った。数分間だったが叩きつけるような激しい降りだった。金沢地方気象台の気象予報では、きょう27日は、上空に強い寒気を伴う気圧の谷が本州付近を通過するため、石川県では昼前まで雨や雷雨となる所がある、と。
朝日新聞の書評欄に『海女(あま)のいる風景』(大崎映晋著・自由国民社)=写真=を見つけ、本を書店に注文した。大正9年(1934)生まれで、水中撮影家でもある著者は昭和30年代から全国の海女村に取材に出向き、特に石川県輪島市の舳倉島(へぐらじま)に通い、当時は普通だった裸海女の仕事ぶりを撮影した。その写真が多数収録されているというので、価値があると思い、注文した。当時の裸海女の写真はモノクロではいくつか本がある。ただ、カラー写真はお目にかかったことがない。届いた本の写真は予想通りカラーだった。水中を潜る裸海女の写真は、まるで人魚のような美しさである。それはまったく無駄のない、潜水技術の洗練されたフォルムなのである。素潜りで数分のうちに、岩にへばりついたアワビを見つけ、剥ぎ取るのである。採取ではない、海底でへばりついたアワビと格闘する、まさに自らの命をかけた狩猟なのである。英語での表記は female shell diver だ。
P10)は名古屋市で開催された。石川でのクロージングイベントは締め括りであり、2011年の国際森林年への橋渡しのイベントでもあった=写真・上=。COP10では「SATOYAMAイニシアティブ」が採択され、里山が国際用語として認知された。そして、能登半島がSATOYAMAのエクスカーション(視察旅行)の公認コースになった。
いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットのあん・まくどなるど所長が案内役となって、FAOのパルビス・クーハフカンGIAHS事務局長が能登を視察に訪れた。金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムの取り組みを案内してほしいと依頼があり、里山と里海の景観が広がる金沢大学能登学舎(珠洲市)や輪島市金蔵(かなくら)地区を回り、古いたたずまいの農家レストランで昼食をご相伴させていただいた。パルビス氏は里山マイスターの授業で取り組んでいる水田での生物多様性実習について説明を受け、能登の田んぼで採集され昆虫の標本を食い入るように見ていたのが印象的だった=写真・中=。この翌日(6月5日)、国連大学の武内和彦副学長(東京大学教授)やパルビス氏、あん所長、中村浩二金沢大学教授、農林水産省北陸農政局の角田豊局長が出席して「里山とGIAHS」をテーマに金沢市文化ホールでワークショップが開催された。この視察とワークショップがGIAHSへのキックオフであり、1年後にGIAHS認定にこぎつけた。
登の里山里海」と佐渡市の「トキと共生する佐渡の里山」のほか、インド・カシミールと中国・貴州省従江の農村の代表にそれぞれ認定書が授与された。同日の夜の懇親会はまるで「世界民謡大会」の様相を呈していた。ホスト国の中国ハニ族の人たちがステージに上がり土地の民謡を歌うと、続いて能登半島・七尾市から武元文平市長に随行してきた市職員が祝い歌「七尾まだら」を披露した。武元氏もステージに上がり手拍子を打った。朗々としたその歌はどこか懐かしい響きがした。そして、ケニア・マサイ族、ナイジェリアの参加者が続々とステージに上がり土地の歌を披露したのだ。最後に佐渡市の高野宏一郎市長が「佐渡おけさ」を歌い、市職員2人が踊り、ステージを締めくくった。会場は盛り上がった。その後、ハニ族の参加者代表が武元氏の元に駆け寄ってきて、「気持ちが通じ合いますね」と握手を求めた。
連携協定」(2007年7月13日)を結び=写真・上=、同年10月に「能登里山マイスター」養成プログラムの開講にこぎ着けた。過疎地で大学できること、それは人材養成、あるいは人材開発しかないという中村浩二教授を中心としたチームのアイデアだった。というより、大学の教員・スタッフができることは地域のニーズに応じたカリキュラムをつくり、教育を施す、これしかないのである。
的に診断した「ミレニアム生態系評価」(MA)を公表しており、その後、世界各域でサブグローバル評価が実施され、JSSAは日本初のサブグローバル評価として注目されていた。石川県はその調査拠点の一つでもあった。
し、森林環境税の創設による森林整備、条例の制定、景観の面からの保全など様々な取り組みを展開していくと述べた。同時通訳を介してジョグラフ氏は知事のスピーチに聞き入っていた。ジョグラフ氏の能登視察はその4ヵ月後に実現した。
先にこのブログで紹介した、能登有料道路が

