★北陸「晴れもつかの間」 暗雲漂う・・・「関税男」がアメリカ分断、「戒厳令」対立の韓国
けさ午前8時過ぎに自宅2階から撮影した金沢の東の空の様子。青空が広がって、北陸の冬とは思えない光景だ=写真=。ただ、この晴れ間も続かず、日本気象協会 tenki.jp によると、日本海側を中心に雲が多く、北陸は昼頃まで雨や雪で、雷を伴う所があるとのこと。確かに、窓から外を眺めていると、徐々に雲が覆ってきた。晴れもつかの間、これが北陸の本来の天気なのかもしれない。
ニュースを見ていると、世界が「晴れもつかの間」状態に陥っているようだ。アメリカ大統領選で共和党のトランプ前大統領が返り咲き、あと1週間もすれば大統領の座に就く。「アメリカ第一主義」を掲げるトランプ氏の再来は、国際社会にどのような影響をもたらすのか。「Tariff. It’s the most beautiful word in the dictionary.」(関税。辞書のなかで最も美しい言葉だ)と、関税男を自称するトランプ氏は執着深い。関税にこだわるのは、海外製品を締め出し自国の製造業を守るとの姿勢が有権者の支持を得ているからだ。ただ、関税をかけられたメキシコやカナダ、中国などは報復関税をかけることになり、世界経済に混乱をもたらしかねない。
さらに世界に物議を醸したのが、トランプ氏がデンマーク領のグリーンランドを購入したいと発言したことだ。ロシアに近い世界最大の島で、軍事的な要衝でもある。買収発言はこれが初めてではなく、政権1期目の2019年にも買収計画を提案し、デンマークと外交摩擦を引き起こしていた。さらに、トランプ氏は不法移民を全部追い出すと言っている。こうなると労働者不足でコスト高となり、インフレとなって跳ね返ってくるのではないか。トランプ氏の執着心が自国や世界に暗雲をもたらすのか。
もう一つ暗雲が見えるのは隣国の韓国だ。12月3日、尹大統領の深夜の演説には正直驚いた。「非常戒厳」を宣布すると発表した。韓国の憲法では、非常戒厳は戦時やそれに準じる国家非常事態に陥った際に大統領が宣言するものなので、世界は朝鮮戦争が再開するのかと身構えた。ところが、尹氏は戒厳令をその後、6時間で解除した。あれはいったい何だったのかと、混乱を招いた。ソウルでは大規模な市民による抗議行動と支持行動が連日のように起きている。
そもそも、尹氏を支える与党「国民の力」は2022年の政権発足時から少数与党だったが、それが去年4月の総選挙で大敗を喫した。このため、国会運営がままならない状態に陥っていた。追い詰められ、衝動的に戒厳令を発したのだろうか。その後は裁判所が出した拘束令状の執行を拒否し、公邸で籠城を続けている。ことしは日本と韓国の国交正常化60周年にあたる節目の年なのだが。
⇒13日(月・祝)午前・金沢の天気 くもり
それにしてもアニメを用いたポスターは、少々派手で楽しい雰囲気を醸し出している。アニメそのものが素人ぽくない。ポスターを制作したのは輪島市教委の生涯学習課で、SNSで話題になり、参加者が増えるように仕掛けたのかもしれない。
240棟が焼け、東京ドームの広さに匹敵すると広さといわれる4万9000平方㍍が焼失した朝市通りの周辺地域。ここは公費解体による撤去作業がほとんど終わっていた。復旧・復興に向けて動きも始まっている。地元メディアの報道によると、震災からの復興計画を進めている行政の復興まちづくり計画検討委員会は先月20日に計画案をとりまとめ、市長に提出した。目玉となるプロジェクトに「朝市通り周辺再生」を掲げ、商店街や住まいの共生を目指して市街地整備を行う。行政は市民から意見を求め、ことし2月中に正式決定する。復興は10年計画で、上下水道などのインフラ整備などを進める「復旧期」、朝市通り周辺の新たな街づくりを進める「再生期」、地域資源を活用した新たな観光や産業を創出する「創造期」を段階的に定め、復興プロジェクトを推進していくという。
この検討委員会には地元の若手経営者らも出席し、朝市通りの「にぎわい創出」の提案を行っている。市内外の新たな事業者を受け入れる賃貸型店舗を整備することや、建物の高さや色に制限を設け朝市通りの外観を統一すること、海産物の共同加工場を併設した公設市場を整備することなどを要望している。じつに具体的なプランではないだろうか。
のような木造2階建ての建築が進められていた。数えると12棟ある。工事看板を見ると、「西ノ草仮設住宅」とある。西ノ草はこのあたりの地名だ。そこで、現場を見守っていた作業スタッフに「雪の中たいへんですね」とさりげなく尋ねると、「能登豪雨の仮設住宅です」と答えてくれた。工事看板をさらに見ると、完成が「2月下旬」とあるので、あと50日ほどだ。着手したばかりの現場もあり、作業をはやく進めなければとの緊張感が現場に漂っていた。
では上記の西ノ草仮設住宅を含め4ヵ所で264戸、珠洲市では1ヵ所22戸、合わせて286戸の設置を準備している。
奥能登では平地で20㌢余り積もっているとニュースで知って、去年元日の能登地震、そして9月の奥能登豪雨の被災地はどうなっているのかと思い、きょう現地の様子を見に、二重被害が大きかった輪島市に向かった。金沢と能登を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」は多いところで30㌢ほどの積雪だった。路面は除雪されていたが、道路の両サイドが雪で覆われていて=写真・上=、時折吹く強風でその雪が車のフロントガラスに吹き付ける。
輪島市街地の入り口に当たる熊野トンネル周辺では地震による土砂崩れが起きた。このため、落石から通行する車を守る屋根「プロテクター」が設置されている。プロテクターの上をよく見ると、土砂崩れの跡がスコップの底のようにわん曲になっていて=写真・中=、今後さらに雪が積もると雪崩が発生し、道路を塞ぐのではないだろうかと案じた。
さらに進み、市街地の手前にある河原田小学校グラウンドの仮設住宅(44戸)に行くと、20㌢ほどの積雪だった=写真・下=。住宅と住宅の間隔が2.5㍍ほどあり、この程度の雪だったら住宅の出入りに問題はなさそうだ。が、1㍍くらいの大雪になるとどのように除雪すればよいのか。小型除雪車は入れるかどうか。さらに雪捨て場をどこに設定すればよいか。他人事ながら心配になる。
展覧会場は石川県立美術館(11月15日-12月21日)、金沢21世紀美術館(12月13日-来年3月1日)、国立工芸館(12月9日-来年3月1日)で、金沢での3ヵ所となる。展示品はそれぞれの会場で異なるので、一定期間(12月13-21日)では3ヵ所を見て回れる。収益の一部は被災者へ義援金として寄付される。東京国立博物館では「所蔵する文化財に復興への祈りを込めたメッセージを託す事業を実施します」と述べている(同館公式サイト「プレスリリース」より)。
まも能登の浜辺でよく見かける風景だ。(※写真・下は国宝「松林図屏風」=国立文化財機構所蔵品統合検索システムより)
能登生まれの自身は「能登駅伝」という言葉は脳裏に浮かんでくる。昭和39年(1964)9月に国鉄能登線が半島先端まで全線開通したことから、能登に観光ブームが盛り上がった。さらに、同43年(1968)に能登半島国定公園が指定され、これを記念して1968年に始まったのが能登駅伝だった。名勝地を走る駅伝として、箱根駅伝や伊勢駅伝と並ぶ「学生三大駅伝」の一つとされていた。富山県高岡市を出発し、半島の尖端の珠洲市や輪島市などの海沿いを通って金沢市に至る26区間、342㌔を3日間かけてたすきをつなぐ行程だった。ただ、リアス式海岸の能登の道路はアップダウンが続き、当時は「日本一過酷な駅伝」とも称されていた。観光ブームでバスや乗用車の台数が急激に増えことなどから、1977年の第10回で終えていた。
には4.7㍍の津波が押し寄せ、火災も発生した=写真・下、4月16日撮影=。面識はないが、「坂口さん」と呼ばせていただき、以下、20ページにまとめられた紙面を拾い読みした感想を。
に、近所のお姉さんに乗せてもらって私だけ金沢に戻ることになりました。帰り道、自衛隊や支援物資のトラック、県外からのパトカー等、たくさん見ました、本当にありがとうございます、、、」(1月7日付)
ら出張して久しぶりの店なんやけど、出張経費がかってるんで、5800円でどうかね」、客「そうか、出張経費がかさんでいるんだね。では、ありがたく5800円で」。この客は2セット購入していた。
テントにいた氏子総代の人の話によると、ことし元日の午前9時からテントの中で地震と豪雨の犠牲者を悼む慰霊祭と復興祈願祭が営まれたという。「初詣に来られている地域のみなさんはことしの平穏無事を祈っておられます」。金沢大学の学生がボランティアで支援に入っていて、テントの中へ参拝客の誘導など行っていた。名古屋から帰省し初詣に訪れたという女性は「テントでの参拝は初めてですが、復興への祈りは同じなので気持ちを新たにすることができました」と話していた。
います」「能登半島が一日でも早く復興されることを祈ってます」と兵庫県や北海道など各地から届いていた。報道によると、須須神社の神職が去年10月に北海道から送られてきた絵馬を写真投稿サイトで紹介したところ、全国から絵馬が届くようになり、その数は280枚に上っているという。