★看板の価値
是正指導を受けたのは、私が通勤している金沢大学角間キャンパスの近くにある「のうか不動産」で、学生たちの評判はよい。学生たちが部屋のカギを紛失すると、合鍵を持参して夜中でも対応してくれるというのだ。問題となった看板は、人目を引く宣伝をしたいと2009年1月から設置を開始し、大学周辺を中心に40基ほどある。その看板は私自身も気にはなっていた。
看板の文言は実によく練られている。その特色をひと言で表現すれば、「場の表現」だ。たとえば、交差点では「右へならえの人生に疲れたあたなも右折してください」と。右折すれば40㍍でその会社がある。飲料の自動販売機の横にある看板では、「ノドが乾いたら、人生が乾いたら」と表現する。強烈なのは、警察の交番に隣接するビルでは、交番の真上部分に、「『苗加』を『なえか』と読んだ人、タイホします」と書かれた看板=写真=がある。金沢の名字で「苗加」を「のうか」と呼ぶ。交番を絡めたこの表現は、ある種のパロディではある。著作権上は問題ないのだが、警察への「おちょくり」ととらえる人もいるかもしれない。また、この表現で警察の気分を悪くしないかとおもんばかる人もいるかもしれない。その看板を見て、人々が微笑むか、考え込むか。良くも悪しくも、これが看板の価値というものだ。
冒頭の全国放送というのは、2012年11月9日放送のフジテレビ「めざましテレビ」。兼六園の近くのコインパーキングに、「兼六園までほふく前進であと5分」と表記された同社の看板がある。実際の距離はおよそ300㍍。はたして5分で兼六園まで行けるのか、元自衛官のお笑いタレントが実際に匍匐前進を試みた。すると、結果は15分ほど、3倍もさばを読んでいた。そこで、同社の担当者に表記の数字と実際にかかった数字にかい離があると意地悪く質問するという設定。担当者は「まさか本当に匍匐前進する人がいるとは思わなかった。人の印象に残るような看板をつくりたかっただけ」と笑って答えた。もちろん、テレビ局側もそのリアクションを計算しての演出である。
ところで、全国放送にもなった名物看板が金沢市の屋外広告物設置基準に違反しているとして今秋までに撤去することになった。言葉の表現が問題視されたわけではない。大きいものでは縦横4㍍ほどになる看板もあり、現在ある屋上看板や野立看板、壁面広告30件のうち、25件が設置面積や高さなどで基準を満たしていないというのがその理由。2年ほど前から撤去かサイズ変更の指導を受けてきたという。基準を満たさない屋外広告物は撤去費用が必要なため、新しい看板への更新時や老朽化した場合などに改善・撤去するケースが多い。ただ、同社の看板は有名すぎて、他の違反した業者が市の指導の折に「あの看板の場合はどうなんだ」と引き合いに出すケースがあり、市と同社が協議して撤去となったようだ。
⇒27日(水)夜・金沢の天気 くもり時々あめ
きょう(25日)朝、自宅の庭の梅の木を見ると満開になっていた=写真=。金沢はすっかり春めいてきた。ただし、肌寒い。朝、青空駐車場の車のガラスは凍りついた状態になっていて、しばらく車を温めた。9時ごろだった。突然、ホーペケキョとウグイスの鳴き声が聞こえた。ぎこちない、初鳴きだ。
これに対して、18日のメディア各社のネットニュースでは、中国国防省報道事務局は18日、中国海軍艦艇による海上自衛隊護衛艦へのレーダー照射問題で、中国軍幹部が射撃管制用レーダー照射を認めたとする日本の一部メディアの報道について「事実に合致しない」と改めて否定する談話を発表した、とある。さらに、同局は「日本側がマスコミを使って大げさに宣伝し、中国軍の面目をつぶして、国際社会を誤解させるのは、下心があってのことだ」と非難。「日本側は深く反省し、無責任な言論の発表をやめ、実際の行動で両国関係の大局を守るべきだ」と求めた、というのだ。
次に翌年10月、「里山マイスター」育成プログラムという社会人の人材養成カリキュラムをつくった。文部科学省の科学技術振興調整費という委託金をベースにした。これで、常駐するが教員スタッフ(博士研究員ら)が一気に5人増えた。対外的には、「地域づくりは人づくり」と言い、学内的には「フィールド研究」といい、地域貢献と学内研究のバランスを取った。当初予想しなかったのだが、このプログラム(5年間)の修了生62人を出すことで、大学は大きなチカラ=協力者を得たことになった。この62人は卒業課題論文を仕上げ、パワーポイントでの発表を通じて審査員の評価を得、またプレゼンテーション能力を磨いた若者たち(45歳以下)である。そして、その後もアクティブに活動している。
日本海に突き出た能登半島に金沢大学の能登学舎(石川県珠洲市)がある。しかも、地元の人たちが「サザエの尻尾の先」と呼ぶ、半島の先端である。ここに廃校となっていた小学校施設を市から無償で借り受けて、平成18年から研究交流拠点として活用している。学舎の窓からは、日によって海の向こうに立山連峰のパノラマが展開する。この絶好のロケーションで、環境に配慮した農林漁業をテーマに社会人のための人材育成が行われている。
地震の被災地を訪れたのは2007年3月25日の能登半島地震、同年7月16日の新潟県中越沖地震以来だった。新潟は震度6強の激しい揺れに見舞われた。震源に近く、被害が大きかった柏崎市は原子力発電所の立地場所でもあり、地震と原発がメディアの取材のポイントとなっていた。そんな中で、「情報こそライフライン」と被災者向けの情報に徹底し、24時間の生放送を41日間続けたコミュニティー放送(FM)を取材した。それ以降、毎年、マスメディアの授業では、メディアが被災者と被災地に果たす役割とは何かをテーマに「震災とメディア」の講義を2コマないし3コマを組み入れている。震災から2ヵ月後に訪れた仙台市と気仙沼市は講義の取材のためだった。
8日に能登半島の七尾市に所要で出かけた。金沢もそうだったが、どんよりと空がかすんでいた。一時雨が降ったが、雨が上がってもどんよりとした土色のかすみが空を覆い、晴れ上がることはなかった=写真=。黄砂がやってきた、と直感した。毎年この季節はかすむのである。ただ、ことしの黄砂は目と鼻に刺激が強いのだ。
インターネットの活用を選挙で解禁するにあたり、ネックとなっていたのは、現行の公職選挙法は、公示・告示後の選挙期間中は、法律で定められたビラやはがきなどを除き、「文書図画(とが)」を不特定多数に配布することを禁じていたからである。候補者のホームページやツイッターなどソーシャルメディアの発信は、こうした文書図画に相当し、現行では認められていないのだ。
これに関して、現地で共同通信の記者のインタビューを受けた井上氏は「政治的に解決できないことが(両国間で)あるとしたら、僕らみたいなのが穴をあけ、互いの疎通を図ることが必要だ」「第九は平和を望む内容の曲。(演目として)僕から持ちかけ(北朝鮮側が)すんなり乗ってくれた」「音楽だけでなく、できることがある人は何とかつながりを持ち、この国にいろいろな情報を入れてあげないといけない」と話した(8日付・北陸中日新聞)。
医薬品のネット販売は一見、選挙運動のネット解禁とイメージがだぶり、規制改革のシンボルのように思える。が、個人的な感想で言えば、「これ以上、国民を薬漬けにするな」との思いもわく。高血圧患者4千万人、高コレステロール血症(高脂血症)3千万人、糖尿病は予備軍含めて2300万人・・・と、日本にはすごい数の「病人」がいる(近藤誠著『医者に殺されない47の心得』より引用)。たとえば、高血圧の基準が、最高血圧の基準は160㎜Hgだったものが、2000年に140に、2008年のメタボ検診では130にまで引き下げられた。50歳を過ぎたら「上が130」というのは一般的な数値なので、たいい高血圧患者にされ、降圧剤を飲んで「治療」するハメになる(同)。その結果として、1988年には降圧剤の売上は2000億円だったものが、2008年には1兆円を超えて、20年間で売上が6倍に伸びた計算だ。