★GIAHS国際会議の視座‐6

★GIAHS国際会議の視座‐6

伝統的な農法や景観を有し、多様な生物を抱える地域を「世界農業遺産(GIAHS)」として認定する、国連食糧農業機関(FAO)主催の世界農業遺産国際会議(GIAHS国際フォーラム)があす29日から、石川県七尾市を会場に開催される。それを前に、サブイベントが連日、金沢市で開催された。

     認知度が低いGIAHS、アジアから発信を

  27日午後から金沢大学では、日本の里山里海を保全し、持続的発展を目指す「国際GIAHSセミナー」が開催され、生態学や文化人類学の研究者、自治体、NPO法人の職員ら60人が研究発表や討論に耳を傾けた。国際会議が開かれるのを前に研究者の連携を広げようと同大学里山里海プロジェクト(代表・中村浩二特任教授)が主催した。中村教授は、GIAHS事務局の科学委員会の委員でもある。趣旨説明に立った中村教授は「GIAHSの国際評価を活かした持続的な発展のために、研究者が何をなしうるのか考え、支援につなげたい」と述べた。

  GIAHSサイトを持続可能にカタチで未来にわたって展開するためには、科学的な評価が必要となる。そのために大学など研究機関とGIAHSサイトがどのように関わり、データが整理されているか、選定の際の評価基準として重視されている。具体的に言えば、FAOの認定基準は、1)食料と生計の保障、2)生物多様性と生態系機能、3)知識システムと適応技術、4)文化、価値観、社会組織 (農-文化)、5)優れた景観と土地・水資源の管理の特徴‐などである。これらが、申請段階で提示されているか、それが科学的な根拠に基づくものかという点である。「生き物がたくさんいる」という表現でははなく、「○○大学の調査によると、この地域に生息する動植物は○○種におよび…」という文章表現で申請されているかである。
  
  セミナーでは、金沢大学のほか国連大学や新潟大学、宇都宮大学、石川県立大学、東京農業大学など6つの研究機関から13人が研究発表した。中でも、「能登GIAHSにおける地域住民と協働による自然環境調査」(柳井清治・石川県立大学教授)、「能登GIAHSと人材養成」(小路晋作・金沢大学博士研究員)、「文化資源学とGIAHS」(野澤豊一・金沢大学特任助教)、「佐渡の生物共生型農業:自然再生の視点から」(西川潮・新潟大学准教授)、「佐渡GIAHSを発展・活用する人材の養成」(大脇淳・新潟大学准教授)、「里山を鳥獣害から守る人材の育成」(高橋俊守・宇都宮大学准教授)らから能登と佐渡のGIAHSと直接のかかわりからの発表もあり、人材養成や獣害問題に及んだ。

  「日本におけるGIAHSの発展:大学の役割」と題して発表した国連大学サスティナビリティと平和研究所の永田明シニア・プログラム・コーディネーターの言葉だった。「欧州がユネスコの世界遺産をリードしたように、農業遺産はアジアがリードできるポジションにある」と述べ、とくに、日本、中国、韓国、日本の連携が重要で、国連大学は今後ともアジアの国々の世界農業遺産の連携に貢献したいと強調した。

  28日、金沢市文化ホールで、世界農業遺産の調査や認定に協力する研究機関でもある、国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット(金沢市)が主催するシンポジウムが開かれた=写真=。国内外の研究者、市民など90人が参加した。認定での知名度を生かしてエコツーリズムなどを進める中国での取り組みや、まだ認定地域を持たない韓国での今後の課題などが紹介された。国連大学の武内和彦上級副学長は、「GIAHSの認定地域19のうち、アジアには11のサイトがある。世界農業遺産の一般への認知度は、世界遺産にはまだ及ばないことから、観光などへの活用も念頭に、アジア各国の取り組みによって浸透を図ってはどうかと」と話した。前日の永田氏の話と同様、GIAHSのアジアからの発信を強調した。

  こほか、GIAHSをどのように活用するばよいか、地域のイメージアップ(住民の自信と誇り、アイデンティティの回復)、農産物等への付加価値、ブランド力の強化(環境保全型農業、6次産業化などの推進)、観光(グリーン・ツーリズムなど)への活用(農業・農村の活性化)、世界のGIAHSサイトとの知識や経験の交流(国際フォーラムや現地ワークショップの開催など)など討論が繰り広げられた。

⇒28日(火)夜・金沢の天気    はれ

☆GIAHS国際会議の視座‐5

☆GIAHS国際会議の視座‐5

   能登半島・珠洲市でことし2月19、20日の両日開催された国際GIAHSセミナー「パルビスGIAHS事務局長と日本のGIAHSを担う人々との対話」はある意味で画期的だった。GIAHSの統括責任者と、能登と佐渡のGIAHS担当の行政マンや農業者、研究者らとパルビス・クーハクカン氏が直接対話するという形式をとっていたからだ。参加者の質問、それに対するパルビス氏の返答からGIAHSの意義付け、未来を目指すGIAHSのビジョンを読み解く。この「Q&A」で特徴的なことは、パルビス氏に丁寧に事例を上げながら答えている点だ。以下。

         対話から読むGIAHSの意義、現状、未来可能性

  (GIAHS担当の能登の行政マン) 能登GIAHSと佐渡GIAHSは、先進国では初めての認定と言われています。地元では、そのことを自分たちはどう解釈すればいいのだろうという思いを巡らせながら、約2年がたとうとしています。そこでパルヴィスさんから、先進国のGIAHSに対する期待聞かせてください。

  (クーハフカン氏) これについてはいくつか考えがあります。日本は近代的な工業国のリーダーの一つで、本当に素晴らしい興味深い例になってくれると私は確信しています。一つ目には、都市と農村のつながりです。私たちが都市の人口過剰と農村部の過疎という問題を抱えていることは疑いようがありません。私たちは、都市と農村の統合ができればいいと願っていますが、統合が無理なら、せめて交流が起こればいいと考えています。
 具体的な例をいくつかご紹介しましょう。これは日本の一部の地域で、GIAHSのためではなく、別の目的のために起こったことなのですが、何が起こったのかというと、スーパーマーケットや産業界は、一般的に言って何かしら農村コミュニティに負っています。農村のいろいろな資源を利用してお金を稼ぎ、ビジネスが繁栄していく一方で、農村部は過疎が進んでいます。食品市場におけるスーパーマーケットの責任として、そのインフラを活用して、ローカルな農家が自分たちのローカルな製品を週に1回、2回、あるいは3回と、都市部に供給できるようになってきました。ローカルな製品、優れた製品、ブランドのラベルがつけられた製品、GIAHSなどのラベルのある製品がスーパーマーケットで販売されて、農村部に出向くことはない人々が購入できるようになっているわけです。これはスーパーマーケットがパッケージした食品ではなく、ローカルなレベルで生産された食品です。
 ローカルな農家がその製品を都市部で販売できる可能性を拡大することは、市長や知事、その他の政治家の仕事ですが、興味深いことに、このような非常に高品質の食品というのはスーパーマーケットで売られる食品より安いことがよくあります。ブラジルなどでは、政府が学校給食や公式レセプション用の食品をすべて、スーパーマーケットではなく地元で生産活動を行う小規模な農家から購入しています。
 また、インターネットを通じてこのようなネットワークづくりを行うことも考えられます。都市の市民がその週、あるいはその日に欲しいものを簡単なリストにして、インターネットに載せると、市民のグループが様々な生産者のところへ出向いて製品を購入し、都市でそれを分配するのです。この制度はすでに運用されており、うまく行っています。カリフォルニアのバークレーなどにこのような動きがあって、このような活動は食品生産の多様性を促進するだけでなく、味や色、多様性に富んだ食文化を甦らせることにもつながっています。
 最後に大事なことですが、産業部門にも果たせる役割があると思います。日本のような国ではどこでもインターネットを利用でき、インフラがあらゆるところに整備されていて、すべての人を都市に押し込めることなく、ビジネスが分散されています。人々が農村部に住んで、在宅勤務することもできます。美しい場所に住みながら働くことができるわけです。コンピューターの前で同じ仕事をすればいいわけですから、農村部に住んで農村部を豊かにし、農村部に生活を呼び戻しながら、そこで仕事をすることができるのです。他にもいろいろな事例が考えられますが、GIAHSのような概念的な枠組みに取り組み始めると、私にさえわからないような新しいことに投資が行われるということが重要です。

  (大学の研究者) これまでに多数の場所が認定を受け、認定地とともに取り組みが進められていますが、すでに認定を受けた場所に対する評価はどうでしょうか。認定地の中でも進んでいるところ、成功しているところはどこでしょうか。またその理由は何でしょうか。

  (クーハフカン氏) これまでの認定地で非常にいい例となっているのは迅速に取り組みを進めた国々です。GIAHS認定というアイディアをしっかり把握し、そのプロセスを理解した国々で、中国、ペルー、チリ、マグレブ諸国のオアシスなどがそうです。多くの国が、コミュニティやGIAHSの観点からだけでなく、国の発展の観点からも農業遺産の重要性を理解するようになってきました。GIAHS認定によって、自分たちの持っている宝を再認識できたからです。それは文化であったり、自然であったり、技術(といっても伝統的な技術ですが)であったりしますが、そういった自分たちの宝の価値がわかるようになったのです。
 これはGIAHS認定や、どんなに素晴らしい遺産があるか確認するというだけの話ではなく、この動き、このアイディアが今後の世代を実際にどう支援できるかという問題です。例えば、市場への非常に強力なエントリー・ポイントとして、私たちはラベリングを活用しています。現代では、消費者はより優れた選択肢を持ちたいと思っていて、より質の優れた製品を求めており、非常に味気ない大量生産のお米と、高山地帯や非常に特殊な場所で収穫されたとてもおいしいお米の違いを認識しています。また、より健康にいい製品も求めています。20年前には、有機農業について話す人のことをみんな笑っていたものです。しかし今では、世界の市場の製品の20%が有機栽培のものになっています。あいにく、実際にはビジネス界のほうが農家コミュニティより有機農業を活用しているのですが、これはまた別の問題です。

  (能登の農業者1) 将来に向けた人材育成について、日本と海外の場合では環境ももちろん違いますし、生活の状況ももちろん変わると思います。海外の場合、例えば農業をやる人たちのモチベーションや意識は、もちろん食べてゆくためということが多いと思います。日本の場合、「幸せ」というものが変化しており、農業に対しても、若い人たちがサラリーマン的感覚になっていたり、時間を拘束されることを嫌ったりします。農業を一人や家族でやる場合は、そういう問題は比較的解決されるのではないかと思いますが、チームや組織として動く場合に、何か良いヒントをいただければと思います。

  (クーハフカン氏) GIAHSプログラムの枠組みで私たちが行っている取り組みに、「持続可能な暮らし(sustainable livelihood)」と私たちが呼んでいる全体的なアプローチがあります。持続可能な暮らしというのは、環境に目を向けると、どこにいようと、世界中のどの場所にあろうと、人には少なくとも五つの資本があるということをベースにしています。それは、自然資本、人的資本、社会資本、インフラ資本、金融資本です。
 自然資本は、土地や水、生物多様性、森林のことで、非常にシンプルでわかりやすいです。人的資本は、健康、年齢、教育、知識のことです。社会資本は私たちの連帯、関係、組織、交流の力などです。インフラ資本は道路やインターネット、飛行機、市場、そういった私たちが持っているあらゆるもの、インフラのことです。金融資本はもちろん、私たちが投資するお金のことです。
 さて、持続可能な生活を送るためのこれらの資本ですが、私たちはそのうちの一つだけではなく、五つすべてに投資をする必要があります。残念なことに、現代の社会、現代のビジネスは、一つだけ、多くても二つくらいにしか投資しておらず、それがこんなに歪んだ社会を生んだ原因になっています。金融資本に目を向けると、ただお金儲けすることが目的とされて、他のことは忘れられてしまい、自然が破壊されました。コミュニティを発展させようとしたときには、人的資本や社会資本にだけ目を向けて、他のことを忘れてしまいました。本当に持続可能な開発を実現したければ、私たちはこれらすべての資本に投資しなければならず、またこれらの資本が相互に作用するようにしなければならないのです。
 要するに、本当に持続可能なビジネスをしたかったら、これらすべての資産、資本に目を向け、どうすればこれらすべてを同時に強化させられるか、考える必要があるということです。また、私たちはこれらの資本のうち、あるものを他のもののために活用しなければなりません。ある資本を別の資本に変化させる、一つの資本の限界に目を向けて、これらの資本を枯渇させるのではなく強化する、そういったことを目指さなければならないのです。これは、あらゆる持続可能なプログラムやビジネスに欠かせないことです。

  (能登の農業者2) 日本では今、里山里海が本当に見直されています。しかし、ほんの30~40年前までは高度成長期で、乱開発が進んで公害等が出たりしていました。今、世界では同じように乱開発・環境破壊が進んでいて、それが自国内のみならず他国にも影響を及ぼしています。これについて、FAOあるいは世界農業遺産として、環境という面からどのような意見をお持ちでしょうか。

  (クーハフカン氏) 様々な違った国の社会があり、その内部には違った部分があることは、確かにビジネスの仕方や暮らし方を通じて互いに影響を与えています。しかしあるコミュニティが他のコミュニティに影響しようと、ある自治体が他の自治体に影響しようと、ある国が他の国に影響しようと、長い間たいして関心を集めずにそうされてきました。私たちは単にビジネスを行い、交換し、互いから利益を得ようとしてきたわけですが、資源に対する競争が激しくなり、自然資源の劣化が進むにつれ、もっと汚染が広がり、もっと問題が生まれることが明らかになってきたわけです。しかし、これが歴史的な流れでした。たいてい、先進国が最初に自然を破壊して豊かになり、それからもっと貧しい途上国を植民地支配したわけです。
 現在では、二つの重要なコンセプトが生まれています。一つは「汚染者の国」、破壊を行ったものがその行為の代償を支払うというものです。自宅の周辺でも、近所の人が水を汚染したら、その人を罰せずに放っておくわけにはいきません。それと同じでビジネス界など社会の一部が海を汚染したら、放っておくわけにはいきません。しかし残念ながら、つい最近まで、各国政府は全く無頓着でした。そのための厳密な規則はあまり導入されてきませんでした。国の間でも同じです。気候変動が起こっているのは先進国が自然を破壊し、先進国のビジネスがこんなにもたくさんの温室効果ガスを排出しているからで、今ではみんなが非常に困難な状況にあることを理解しています。しかし今、途上国は先進国に自分たちはあなたたちの発展の犠牲者だから、あなたたちが責任を取って代償を支払えと主張しており、問題になっています。
 現時点では、気候変動などに関連した各国間の最も大きな懸案事項は、先進国がこれまで通りにビジネスを続け、大量の炭素を排出し続けているということです。途上国は、なぜ自分たちがその代償を支払わなければいけないのか、自分たちだって発展したいと言っています。先進国は途上国が発展するのを阻止したがっています。例えば、アメリカと中国、あるいは日本と中国の間で対立が起こっていますが、それにはそれだけの理由があります。だからこそ、国連が壊れた道を実際に舗装し、対立したり緊張関係を作り出すのではなく、問題解決のためにみんなが一緒に取り組むよう、持続可能な方法で互いの長所を探し、互いに助け合うよう、みんなをまとめることが非常に重要です。そのために国際協力が存在し、協力が必要とされている、そのために京都議定書が存在し、生物多様性条約が存在するのです。これは非常に本質的な問題ですが、残念ながら私たちが生み出してきたあらゆる差異やあらゆる問題のために解決できていません。みんながビジネスだけについて考えるのではなく、もっと持続可能なやり方で成功を収め、私たちの問題をどうすれば本当に解決できるのか考えることが国際社会の重要な役割です。だからこそ、GIAHSや里山のようなプログラムが、このような統合されたアプローチを本当に推進するために、重要なのだと私たちは考えています。

⇒27日(月)朝・金沢の天気    はれ

★GIAHS国際会議の視座‐4

★GIAHS国際会議の視座‐4

(「GIAHS国際会議の視座‐3」のつづき) では、世界各地のGIAHSの例をいくつかご紹介したいと思います。あまり細かいところまではご紹介できませんが。一つ目は米と魚の同時生産システムです。日本では残念なことに、たくさんの水田があり、米と魚が両方食べられているのに、農薬が集中的にあまりにも多く使用されているせいで、水田で魚が生育できなくなっていますが、この魚を使った米の生産は非常に巧妙なシステムです。魚が害虫を食べ、米の肥やしとなり、米と魚の調和が保たれるだけでなく、世界の貧困国においてタンパク質とエネルギーと穀物を同時に得ることができます。

          パルビスGIAHS事務局長が能登の農業者に語ったこと(下)

 私は能登の一部で、農薬の使用をやめた所を見学させていただきました。そこでは有機栽培で米が生産されており、少しずつ水田にカエルや動物、様々な種類のヒルやミミズ、貝類が戻ってきています。生態系や生物多様性を回復するだけでなく、自然の中のある種のバランスが取り戻され、農薬や肥料の必要がなくなるため、これは非常に重要なことです。このような自然なシステムがもっと増えれば、きっと水田にもっと魚が増え、GIAHSがいっそう改良されます。

 フィリピンのイフガオの棚田は一つのおどろきです。その素晴らしい場所で様々な種類の米が栽培されています。しかし森林が劣化し、水田の灌漑システムに必要な水が不十分なため、危機にさらされています。私たちは、エコツーリズムを導入したりして、この場所に暮らしを取り戻すために努力をしています。エコツーリズムを導入したのは、この美しい棚田や伝統的な儀式を見て喜んでくれる人がたくさんいるからです。イフガオでは、酒に似た製品などもたくさん作っています。これは、私たちがフィリピン政府や地元のコミュニティと協力している取り組みの例です。

 砂漠の真ん中のオアシス・システムもあります。ここには非常に巧妙な地下灌漑システムがあり、非常にわずかな水でナツメヤシを生産し、多層の庭を作り出し、魅力的な文明を生み出しています。これは、私たちが取り組んでいるチュニジア、アルジェリア、モロッコ、エジプトなど北アフリカの国のGIAHSの例です。このオアシスの周りには、水がないので何も育ちません。人の創造力によって、このような美しい庭が生み出されました。はるか彼方、500キロも離れた山から水が引かれているのです。また、インドのカシミール地方のサフラン遺産システムや、もちろん日本の里山もGIAHSとして認定されています。

 私たちは、これまでに世界中で200のシステムが独特のシステムであると特定してきました。きっともっとたくさんあるでしょうが、これら200システムのうち、19のシステムをGIAHSに認定し、取り組みを続けています。私たちは、GIAHSにふさわしいシステムを見つけたら、基本的に三つのレベルで調整作業を行います。まずグローバルなレベルでシステムを認定します。国レベルでは動的保全のための発展政策を策定します。ローカル・レベルでは、人々に力を与え、これらのシステムが発展し、維持されるようにして、エコラベル、エコツーリズムなどで多様化を図ります。グローバル・レベル、国レベル、ローカル・レベルでこれらの活動をつなぐのです。グローバル・レベルではFAOが認定を行い、国レベルの政策が小規模な農家や家族経営農家、地域の里山や里海をサポートし、そしてローカル・レベルで製品やサービスをブランド化し、経済的な付加価値が得られるようにします。

 私たちは、「持続可能な暮らしの枠組み(Sustainable Livelihood Framework)」の策定に取り組んでいます。これは農村部の五つの資本を取り上げたものです。すなわち、自然資本、人的資本、社会資本、物的資本、金融資本の五つです。これらはすべて、私たちが投資する必要がある資本です。金融資本やお金だけでないし、土地や水などの自然資本だけでもありません。若い人や健康、学校、知識、技能といった人的資本も重要です。社会資本、すなわち人的関係やつながりもあるし、道路や市場など物的資本のインフラも重要です。私たちは農家と一緒になって、これらすべてに投資する行動計画の準備を進めています。

 私たちは生産を強化する必要がありますが、単純化してはいけません。例えば、日本の水田のような生産強化は、もっと多くの種を蒔き、もっと肥料と農薬を使い、もっと生産するということが多いですが、これはシステムの単純化につながり、たくさんのエネルギーを使い、自然資本を破壊してしまいます。私たちは、システムを単純化することなく生産を強化し、たくさんの生産物とサービスを生み出したいと考えています。例えば、里山システムと生産強化した稲作システムを比較してみましょう。いずれも非常に生産性が高いですが、里山の方は生産物の多様性があり、産品の美しさがあり、文化を伴う豊かさがあります。一方、生産強化した稲作の方は重さだけ、何キロの米が採れたかということだけが問題にされており、これは私たちの目的には全く適いません。

 私たちは、グローバルとローカル、ローカルとグローバルをつなぐことも目指していて、これはまさに私たちがこれまでに実行してきたことです。インドの首相がインドのコラプットというところの農家にGIAHS認定証を交付しました。この農家はもともと地元の人で、その農場で400種以上の米を栽培しています。非常に小さな農地に、400種という品種の多様性の高さが世界的貢献として認められました。私たちは、エコロジカルな農業やラベリング、展示会など、いろいろな活動を世界中で推進しています。展示会には、例えばイモの見本市とか、オアシスのナツメヤシの見本市とかがあり、農家の製品が直接展示されます。私たちはこのような活動を通じて、農業遺産の世界的な重要性の発信に取り組んでいます。

 GIAHSは過去にまつわるものではなく、将来を見据えたものです。ごくわずかな農場を博物館に保存しようというのではありません。将来性のある農業をいかに発展させていくかということを問題にしています。アメリカのナパバレーには有機栽培のブドウ園があり、そこでは農家の人がブドウ園の周辺に生えている植物などすべての生態的サービスを再現しました。これらの植物が訪花性のハチを呼び寄せ、有機農業により非常に素晴らしい香りのワインを生産できるようになりました。これは将来を見据えたもので、過去の話ではありません。このブドウ園では大量生産をしていませんが、市場では高値がついています。ブドウ園の農家は、優れた製品を生産するだけでなく、生態系と生物多様性を維持し、その恩恵を受けています。これはアメリカの現代の里山と言えるでしょう。

 コフィ・アナン(前・国連事務総長)があるスピーチで指摘しているように、生物多様性とは生命そのものにとっての生命保険です。私たちは、生物多様性が高い農業を維持していく必要があります。農業や文化の多様性や生物多様性は、私たちの生命維持システムにとって重要であり、保険のような存在なのです。生物多様性が優れていればいるほど、私たちは将来の問題に備えて保険をかけることができます。例えば、キノア(アンデス地方で栽培される雑穀)は各地に異なる種があり、その種ごとに異なる色をしています。ペルーにある栽培地は本当に美しい場所です。さらに興味深いことに、種ごとに違った病気に強いという性質があるため、全体として非常に病気に強い、生物多様性に富んだ農場ができます。これは、現在と将来の世代にとって重要なことです。

⇒26日(日)朝・金沢の天気    はれ

☆GIAHS国際会議の視座‐3

☆GIAHS国際会議の視座‐3

  今月29日から能登半島・七尾市で開催されるGIAHS国際フォーラムには当然、主催者であるFAOからパルビスGIAHS事務局長も出席する。私の知る限りでパルビス氏の能登入りは今回のフォーラムを含めると4度目である。過去に2010年6月4日の事前視察、2011年6月17日の認証セレモニー(inception workshop)=写真・上=、2013年2月19、20日の国際GIAHSセミナー(能登キャンパス構想推進協議会など主催)=写真・下=である。

   パルビスGIAHS事務局長が能登の農業者に語ったこと(上)

  では、パルビス氏は能登でどんなことを語っているのだろうか。国際GIAHSセミナーでのスピーチ(英語)を日本語で採録してみる。このセミナーのテーマは、「パルビスGIAHS事務局長と日本のGIAHSを担う人々との対話」である。能登と佐渡のGIAHS担当の行政マンや農業者らとパルビス氏が直接対話するという形式で、日本のGIAHSに期待すること、GIAHSの目指すところ、未来に向けてのGIAHSの意義など示唆に富んだものだった。なおこのセミナーの様子はニュースレターとしてGIAHS公式サイトで掲載されている。パルビス氏のスピーチのタイトルは「Cultivating Diversity in our Agricultural Heritage Systems(世界農業遺産システムによる多様性の涵養)」。以下。

  私は昨年、食料・農業のために使われる世界の土地資源および水資源の状況を、1冊の本にまとめて出版しました。FAO(食糧農業機関)が、過去50年にわたる土地・水利用の世界的な実態を評価したものです。世界レベルでは、農地が森林、湿地、山間部に12%拡大しました。灌漑地は117%増加し、食料生産は200%増加しました。つまり3倍になったということです。

 これは非常に喜ばしいことで、とても成功していると思えますが、同時に、土地の質が悪化し、砂漠化、気候変動、貧困、移住といった様々な問題が起こっています。農業セクターが大量の食料を生産することによって成し遂げたことは、地球の自然資源の基盤を破壊し、多数の問題を引き起こしたのです。
 私自身、ペルシャにおける浸食の問題を目の当たりにしてきました。農地の多くが塩類化し、牧草地の質が悪化して家畜が食べる牧草がほとんどなくなり、砂丘が農地にも広がって、都市で洪水が起こるようになりました。これは気候変動と、貧困による人々の移住が原因です。

 私たちは、「危機に瀕する農業システム(Agricultural Systems At Risk)」というタイトルの本の中で、このような事例を多数取り上げました。農業に関連した多数のシステムが危機に瀕しています。例えばヨーロッパでは、水の汚染、生物多様性の喪失、気候変動の影響など、多数の問題が起こっています。場所が変わればリスクの種類も異なるため、私たちのこれからの食の安全や発展にはたくさんの不確実要素があります。その一つの例が、インドや中国、中東、南米など乾燥地帯にある多くの国の地下水の枯渇です。地下水は灌漑の源であるため、地下水の枯渇と汚染が起こっている多くの国は、食の安全が脅かされて非常に困難な状況に置かれています。灌漑のためにあまりに多くの水をくみ上げたため、水が枯れてしまったのが原因です。

 もちろん、伝統的な農業システムも危機に瀕しています。例えば中国の棚田は世界農業遺産の一つですが、人間の創造力がいかにこのような美しい棚田を生み出し、素晴らしい灌漑システムを作り上げてきたのか、物語ってくれています。この棚田では米と一緒に魚が育てられ、地域の人たちに食の安全を保障してきました。しかし現在では、十分な支援政策がないためにこのような棚田が放置されたり、破壊されたりしています。このように消滅してしまったシステムもあるのです。

 さて、2050年に向けて考えてみますと、私たちには多数の課題が待ち構えています。私たちはすでに自然資源の基盤を破壊してしまい、私たちの将来にはとてつもない課題が潜んでいます。途上国での最も重要な課題の一つは、貧しい国における人口の増加です。現在、最も貧しい途上国の人口増加率は先進国の6倍になっています。もう一つの問題は、私たちの消費パターンの変化です。野菜や穀物、果物より肉を食べる人がどんどん増えています。伝統的な社会では近代的な社会よりはるかに多く野菜を消費していました。肉を1キロ生産するには、1キロの穀物・果物・野菜を生産するよりも10倍の水が必要とされます。これはとてつもない問題です。特に乾燥地帯の一部の国では、水はすでに貴重な資源となっており、水問題が起こっています。このような国は、インド、中国、ブラジルなど、世界中に多数あります。乾燥地帯の国では、水はすでに枯渇しています。手に入る水はほとんどなく、飲用水でさえ非常に貴重です。しかし食生活の変化により肉を食べるようになり、ますます水が必要とされています。私たちはすでに水が足りないという問題を抱えており、これは重大な問題です。

 このような、人口増加、都市化、消費パターンの変化により、私たちは世界全体で食料の生産を60%、途上国に限れば100%増加させる必要があります。私たちの資源はすでに限られており、さらに資源が減少していますから、これは大きな課題です。となると当然、私たちには変化が必要です。私たちの開発のパラダイム、特に農業開発のパラダイムを変える必要があります。なぜなら、過去50年で私たちが成し遂げたあらゆる成功にもかかわらず、その背後では私たちはあまりにも多くの資源を失い、劣化させ、今後も同じ道を歩み続ければたくさんの問題が起こるからです。私たちは、農業を行う方法を変える必要があるのです。

 途上国の貧困層でも最貧困の人たちについてお話しますと、彼らには十分な食料も、十分な水も、十分な保健衛生もありません。私たちが過去50年間に成し遂げた様々な成功にもかかわらず、いまだに10億人以上の人が飢餓に苦しんでいます。ですから、今お話ししているこのパラダイム転換を引き起こすためには、次のように問いかけるべきです。つまり、農家は低いコストで、地元で利用できる技術を活用し、気候変動シナリオを考慮に入れて、どの程度まで食料生産を改善できるか、そしてこのような食料生産システムは、環境資源やサービスにどのような影響を与えるのかという問いです。

 グローバリゼーションは貧困、食料不安、自然資源の劣化といった問題を解決してきませんでした。ですから少し遡って考えてみる必要があるというのが大事なメッセージです。現在では、先進国と新興国、そして貧困国の食料生産システムは同じではありません。1週間分の食料に必要な金額を比較すると、先進国では1週間当たり約350ドル、1日当たり50ドル程度ですが、チャドのような国では1週間でたったの1.35ドルです。先進国では、ありとあらゆる食料があふれているのに、一家族分の食料は途上国より340倍も高いのです。途上国の貧しい人々は、食料に必要な収入を得ることは決してできません。加えて、先進国には食の多様性が存在しているように見えますが、真の多様性は存在しません。あるのはパッケージの多様性、物を詰め込むカラフルな箱の多様性なのです。

 さらに、食の多様性の喪失は、二重の問題を引き起こしています。途上国では、食の多様性の喪失により、人々が栄養不足や微量元素不足に陥っています。先進国では、貧弱な食生活と食の多様性の喪失により、裕福病のような問題が起こっています。これは、タイプ2の糖尿病や、心臓疾患、肥満などです。先進国と途上国の両方とも、食の多様性を減少させてしまった結果、食料生産の方法に問題が起こっているのです。幸運なことに、これは日本には当てはまりません。日本は伝統を維持し、食の多様性を維持してきましたが、アメリカやオーストラリア、ヨーロッパ、その他の先進国や、途上国の大都市では、食の多様性がどんどん貧弱になってきています。日本や中国のような国でさえ、若い世代では食の多様性がますます貧弱になっており、健康問題が起こるようになってきています。食の多様性と栄養がもはや十分存在せず、脂肪分や糖分をより多く摂取するようになってきているので、当然、健康問題がより多く起こるのです。

 食の多様性は生物多様性と関連しています。南米のペルーとアンデス地方にはジャガイモが230種あり、それぞれ色や味が異なります。乾燥地域に非常にたくさんの種子作物と穀物が存在していましたが、食べられなくなってしまったのですべて失われてしまいました。この点でも中国、インド、日本は幸運です、これらの国では食の伝統を守ってきたため、幸いなことに依然として食の多様性が守られています。これは一般的なことではありません。また、機能的生物多様性と呼ばれるものも失われてきました。これはハチの授粉能力の喪失のことで、農業にあまりにも多くの農薬が使われていることが原因です。ハチや昆虫がいなくなり、農作物が受粉ができなくなって、多くの国で大問題になっています。

 私たちは、重要な課題と解決のチャンスの両方が小規模な農家と家族経営の農家にあるとの結論に達しました。小規模農家や家族経営農家は地域で生産活動を行い、自然環境をよりうまく維持し、輸送費をかけたり炭素を排出せずに食料を流通させています。そしてもちろん、今日でさえ、世界の食料の70%以上を生産しています。このような小規模農家になぜ投資をしないのでしょうか。何を生産するかにかかわらず、地元の小規模農家に投資をすれば、多様性が広がります。その方が生態学的に優れており、実行可能です。こうすれば、私たちは食料生産の問題を解決できるだけでなく、環境管理の問題にも貢献できます。もちろん、文化、生物多様性、環境保全は互いに関連し合っています。文化は私たちの文明の根幹です。米の生産は多数の文化的ルーツを生み出しました。中国、ヒマラヤ、インド、インドネシア、日本、ベトナム、ヒンズー教の寺院には、様々なお米の神様やお米の象徴が存在します。ですから食と文化は非常に密接に関連しているのです。文化を維持したかったら、食の多様性を維持しなければなりません。食の多様性を維持したかったら、文化の多様性を維持しなければなりません。ここには非常に重要なつながりがあります。

 世界に存在するこのような一般的な課題を受け、私たちは私たちが主題の核心、すなわち、GIAHS(世界重要農業遺産システム)の動的保全という領域に到達しました。このプログラムは、今お話ししたすべての問題に応えることを目的としています。GIAHSは、2002年にヨハネスブルグで行われた持続可能な開発に関する世界サミットにおいて私たちが立ち上げたグローバル・パートナーシップで、持続可能な開発に関する需要に応えるものです。

 GIAHSには、5つの重要な選定基準があります。1つ目はローカルな食と暮らし、2つ目は生物多様性と遺伝資源、3つ目は個人とコミュニティに関するローカルな知識、4つ目は製品やサービスの多様性を含む農業(agri-“culture”)の文化的多様性、そして最後の5つ目は景観の多様性と美しさです。これが、GIAHSシステムを認定する際の五つの選定基準です。GIAHSは、これらの基準を最低50%から70%満たさなければなりません。例えば、生物多様性の非常に豊かな地域や、文化的多様性の非常に豊かな地域、あるいは景観の美しい地域があります。興味深いことに、ほとんどの場合これらは同時に存在しています。こういったものがすべて揃って、世界農業遺産となります。

 能登と佐渡島がGIAHSに立候補したとき、これらの基準をすべて検討、分析、評価をまとめてFAOに送付しました。私たちは能登と佐渡島を訪れて、重要な生物多様性、ローカルな食、文化的多様性が存在し、この地域が美しく、コミュニティ意識があり、人々が土地・水・景観の管理方法を理解していることを確認しました。文化の多様性もありました。これらすべてが一体となって、GIAHSの候補地として提示されました。これに基づき、もちろんFAOと事務局だけでなく、科学委員会も一緒になってこれらの基準を評価し、運営委員会に提案して、FAOが能登と佐渡島をGIAHSとして選出・認定しました。

 もちろん、私たちはこれらの基準のフォローアップとモニタリングを続け、改善されなかったり、悪化したりしたことが明らかになれば、そのGIAHSシステムは自然にその認定を失います。モニタリングは2~3年ごとに行われます。私たちはGIAHSの地域を再び訪れて改善や悪化を評価します。ユネスコの世界遺産システムも、遺産地が適切に維持されなければ認定が取り消されます。GIAHSでも同じです。常に改善されなければいけないのです。だからこそ、地域コミュニティと国や県の政策とが力を合わせて、より良い未来のためにこのシステムを維持していかなければいけないのです。(つづく)

⇒25日(土)朝・金沢の天気   はれ

★GIAHS国際会議の視座‐2

★GIAHS国際会議の視座‐2

  昆虫の標本を見つめるパルビス・クーハフカンGIAHS事務局長の目は輝いていた。2010年6月4日、パルビス氏は国連大学高等研究所の研究員らとともに能登を視察に訪れた。金沢大学能登学舎(珠洲市)では、「能登里山マイスター」養成プログラムの教員スタッフから、里山里海の地域資源を活用する地域人材の養成の仕組み、とくに生物多様性など環境配慮の水田づくりの実習カリキュラムなどについて説明を受けた。

            GIAHS認証までの多様なプロセス

  フランスのモンペリエ第2大学(理工系)で生態学の博士号を取得したパルビス氏は天然資源管理や持続可能な開発、農業生態学に関する著書(2008「Enduring Farms:Climate Change,Smallholders and Traditional Farming Communities(困難に耐える農家:気候変動、小規模農家と伝統的農村社会)」など)もある。スピーチを聞けば論理を重んじる学者肌だと理解できる。そのパルビス氏は目を輝かせながら、のぞき込んだのが能登の水田で採取した昆虫標本だった=写真・上=。そして、「この虫を採取したのは農家か」「カエルやヒルやミミズ、貝類の標本はあるか」と矢継ぎ早に質問もした。当時、視察対応の窓口だった私の第一印象は「虫好き、生物多様性に熱心な人」だった。その年の10月に開かれた生物多様性条約第10回締約国会議(名古屋市)の会場でもお見かけした。

  2011年6月、北京で開催されたGIAHS国際フォーラムに出席した。同フォーラムは2007年のローマ、2009年のブエノスアレス、そして2011年の北京と3回目。パルビス氏はこの一連の会議の主催側だった。前年12月、FAOに申請した「NOTO’s Satoyama and Satoumi(能登の里山里海)」と「SADO’s Satoyama in harmony with the Japanese crested ibis(トキと共生する佐渡の里山)」が審査される会議。GIAHS認定に向けて日本から初めての申請だった。金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムの代表、中村浩二教授は能登における里山里海の人材養成についてプレゼンテーションを目的に出席、私は発言する立場にないオブザーバー参加だった。佐渡や能登の自治体、農林水産省、国連大学高等研究所、石川県庁など含め日本から総勢16人の参加だった。

  フォーラムの2日目(6月10日)の午前、能登地域4市4町のGIAHS申請者の代表の武元文平七尾市長(当時)、高野宏一郎佐渡市長(同)がそれぞれ英語で15分ほど申請趣旨についてプレゼンを行った。午後のsteering committee(運営委員会)で議題の一つとして新たな認定の同意をもとめ、拍手で採択された=写真・中=。正直言って「拍子抜け」という感じだった。国連教育科学文化機関(UNESCO)の世界文化遺産登録などのように、その諮問機関(国際記念物遺跡会議=ICOMOS)が一つ一つ厳格に審査を行うとのイメージがあった。同じ国連の機関である食糧農業機関が認定する世界重要農業資産システム(GIAHS、通称「世界農業遺産」)なので、プレゼン後の審査もさぞ厳しいものがある、のだと。日本側では別室で開かれた運営委員会を傍聴すらできないと当初思われていた。ところが、中村教授がパルビス氏に傍聴は可能と尋ねると「No problem」の返事だった。運営委員会の雰囲気は緊張ではなく、各国のテレビ局などメディアも入るオープンな場だった。認証式は翌日11日午前に行われた=写真・下=。

  ここで、そんな甘々な認定ならば「わが地域も申請したい」と考える向きもあるだろう。ところが、むしろ大切なのでは認定までのプロセスなのである。公募ではなく、推薦である。国の機関と学術機関が推薦すること、日本の場合は農林水産省と国連大学がそれに相当する。中国の場合は、農業省と中国科学院。そして、FAO、農水省、国連大学による事前の現場視察、申請書類の提出、会議の場でのプレゼンテーション、運営委員会ので採択となる。冒頭述べた、昆虫の標本をくいるように見つめるパルビス氏の様子は事前視察の1シーンである。

⇒24日(金)夜・金沢の天気   はれ

☆GIAHS国際会議の視座‐1

☆GIAHS国際会議の視座‐1

  国連食糧農業機関(FAO)が出しているペーパーは「International Forum on Globally Important Agricultural Heritage Systems (GIAHS)」。直訳すれば、「世界重要農業遺産システム(GIAHS)国際フォーラム」となるが、日本では「世界農業遺産国際会議」となる。来週5月29日から31日まで石川県七尾市の和倉温泉で開催される。2011年6月、FAOから、能登半島の「能登の里山里海」と佐渡市の「トキと共生する佐渡の里山」が同時にGIAHSに認定されて丸2年、様々な動きが始まっている。認定以来の最大の動きが今回の国際フォーラムの能登誘致なのだろうか。シリーズで今回の国際フォーラムのこれまでに動き、そして今後の展開を見つめてみたい。

          GIAHSへの流れをトップセールスから読み解く

  ローマのFAO本部にジョゼ・グラジアノ・ダ・シルバ事務局長を、石川県の谷本正憲知事が訪ねたのは昨年2012年5月23日だった。このときの会談で、谷本知事は次回2013年のGIAHS国際会議フォーラムを石川県で開催したい旨を提案した。これに対し、グラジアノ・ダ・シルバ事務局長は、この知事提案を歓迎する旨を表明した。このニュースは知事に同行した石川県の地元紙が翌日一面で伝えた。

  紙面を見て意外だったことがある。私は2011年6月の北京開催のGIAHS国際フォーラムに出席した。そのとき、パルビス・クーハフカンGIAHS事務局長は閉会式で、「次回はカリフォルニアで開催を予定している」と述べていた。カリフォルニアワインの代名詞となっているナパ・バレーは、高級ワインの産地として知られると同時に有機栽培のブドウ園が多くある。パルビス氏は講演などで、ナパ・バレーのことを引き合いに出して、「農業と生物多様性が共存するアメリカの現代の里山」と高く評価している。「The farmer gets his reward, not only he produces good things but also he maintains the ecology and biodiversity. You can call this an American modern Satoyama.」(2013年2月19日)

  上記のようなパルビス氏の思い入れもあり、てっきり2013年のGIAHS国際フォーラムはカリフォルニア開催と思っていた関係者も多かったと思う。逆に言えば、谷本知事のトップセールスが熱心だったのだろう。国際会議を誘致する知事のトップセールスの腕前はこれだけではない。2008年5月24日、ドイツのボンで開催中だった生物多様性条約第9回締約国会議(COP9)の現地事務局に条約事務局長のアフメド・ジョグラフ氏を知事は訪ねた。このときすでに、2010年のCOP10の名古屋開催が内定していたので、「2010国際生物多様性年」のオープニングイベントなど関連会議を「ぜひ石川に」と売り込んだのだ=写真・上=。このとき、国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットのあん・まくどなるど所長(当時)が通訳にあたり、「石川、能登半島にはすばらしいSatoyamaとSatoumiがある。一度見に来てほしい」と力説した。27日にはCOP9に訪れた環境省の黒田大三郎審議官(当時)にCOP10関連会議の誘致を根回した。

  ジョグラフ氏は実際に石川、能登を訪れた。知事のトップセールスから4ヵ月後の2008年9月15‐17日の旅程だった。名古屋市で開催された第16回アジア太平洋環境会議(通称「エコアジア」、9月13日・14日)に出席した後、金沢に入り、16日と17日に能登半島の里山里海を見学した。能登町九十九湾の旅館に泊まったジョグラフ氏は17日の早朝、一人で奇岩や絶壁のある湾の名所を散策した。その後、国際生物多様性年のオープニングイベントはベルリン、そしてクロージングイベントは金沢開催(12月18、19日)と決まった。知事のトップセールスは実を結んだのである。

  金沢で開催された国際生物多様性年のクロージングイベントは翌年の「2011国際森林年」にちなんだ式典でもあった=写真・下=。印象的だったのは、各国の大使クラスの参加者が参加した兼六園への散歩コース。雪つりを終えていた兼六園の樹木を眺めながら、海外からの来賓たちが「木の保護の仕方が独特。300年以上生きている木があることは驚き。これこそ日本の遺産だ」と絶賛していた。

  実は、12月19日の国際生物多様性年クロージングイベントの記念シンポジウム(県立音楽堂)で「次の一手」を谷本知事を打ち上げる。「生物多様性の保全に向けたいしかわの挑戦」と題して、石川県が取り組む里山・里海の保全政策のプレゼンテーションを行った中で、過疎高齢化で里山が危機にあり、持続可能な形で利用保全していくことが大事」と述べ、「能登の里山里海が、国連食糧農業機関の農業版世界遺産に立候補した」と明らかにした。ちょうど2日前の17日、能登半島の8つの自治体でつくるGIAHS推進協議会が申請書をFAO日本事務所(横浜市)に提出した。FAOへの申請は県が主導したわけでもなかったが、知事をその動きを察知して、代弁したカタチで公表したのである。当時、国内で初めての申請であり、GIAHSの認知度はないに等しかった。GIAHSは「農業版世界遺産」と当時言われていた。

⇒23日(木)朝・金沢の天気  はれ

★道央走春‐追記‐

★道央走春‐追記‐

  北海道旅行の4日目(5月6日)は札幌を巡った。朝は気温が5度と低く、吐く息が白い。市内全体がガスがかかった感じで、テレビ塔(147.2㍍)=写真・上=もかすんで見える。オホーツク海に停滞している低気圧の影響で上空に寒気が流れ込んでいるためらしい。午前中のニュースでは、北海道の東部が雪に見舞われ、帯広では積雪3㌢となり、5月としては2008年以来の積雪を観測した、と。3日に新千歳空港に到着してからずっと春冷えで、まるで冬を追いかけてきたようだ。

       ビールの歴史、ワインのメッセージ、北の酔い

  けさの地元紙、北海道新聞の一面トップは「検証4・2日ロ首脳会談 譲歩か見せ球か 大統領が過去の領土解決例」との特集だ。安倍総理がプーチン大統領を訪問したとき、領土問題の解決にプーチンが力を注いできたことに水を向けたときの様子が述べられている。以下、記事を引用する。

  「プーチンはとうとうと語り始めた。中国とアムール川などの中州にある島の面積をほぼ2等分したこと。ノルウェーとも大陸棚の海域をほぼ2等分したこと…。『難しかった。だけど最後はフィフティ・フィフティ(50対50)で解決したんだ』」、「(昼食会で)プーチンは突然、1855年産のワインを手に立ち上がり、『下田条約(日露通好条約)が結ばれた年だ』と、安倍に振る舞った」(敬称略)

  上記のプーチンの言動を分析して、日本へ譲歩を示すシグナルか、見せ球かと北海道新聞はさらに言及する。北方領土問題で歯舞と色丹の2島の日本への引き渡しを明記した1956年の「日ソ共同宣言」の有効性を確認した「イルクーツク声明」(2001年、森喜朗総理とプーチン大統領が署名)の具体的な言及をプーチン大統領は避けたが、それでも、別れ際に「日本のことが好きだ。行くのを楽しみにしている」と安倍総理にささやいたとのエピソードを掲載している。探り合いながらも、両国が前向きの姿勢で領土問題の解決に可能性を見出している、との新聞を読んでの印象だ。それにしても、1855年産のワインはロシアからの相当前向きなメッセージではないだろうか。

  昼食を取りにサッポロビール園=写真・下=を訪れた。博物館では、北海道でビール作りが始まったエピソードが紹介されている。明治5年(1872)に北海道開拓使が招いた「お雇い外国人」の一人、トーマス・アンチセルが岩内で野生のホップを発見する。これがきっけで試験栽培が始まった。開拓使の幹部たちは東京での醸造所を計画するが、醸造には氷が不可欠と現地での醸造を主張する現場の課長たちが巻き返す。東京での着工が迫った明治9年(1876)に開拓使のトップだった黒田清隆が最終的に北海道での醸造所建設を決断する、というストーリーだ。そのとき、元薩摩藩士だった黒田は西郷隆盛らとにらみ合っており、明治10年(1877年)に西南戦争が起きると、黒田は鹿児島に赴く。激動する明治の歴史の中でささやかに北海道でビールは誕生したのである。

  北海道の旅ではビールもワインも十分に堪能した。この日は新千歳空港を18時00分発の便で羽田空港へ。乗り継ぎで小松空港へ。北陸に戻ったのは21時過ぎだった。

⇒6日(月)夜・金沢の天気    はれ 

☆道央走春-下-

☆道央走春-下-

  小樽に着いて2日目、小樽がかつて商業の都として栄えた理由を知りたい思い、その手がかりとして、小樽市内にある2つの国指定重要文化財を巡った。1つが、同市色内3丁目の旧・日本郵船小樽支店、もう一つが、同市手宮1丁目の旧・手宮鉄道施設だ。

          小樽の2つの文化財から見えること

  小樽は、江戸時代の北方探検家の近藤重蔵が「 エゾ地西海岸第一の良港 」と称した天然の良港だった。北海道の西海岸を北上するニシンを追って、松前、江差方面から人が集まり始めたのは江戸期の後半だった。ここが商都として注目をされたのは、明治13年(1880)に開通した幌内鉄道(手宮-札幌間36㌔)によってだ。石狩・空知地方からの石炭積み出しや、北海道開拓に必要な生活物資と生産資材の道内各地への輸送など海陸交通の接点としての小樽の位置づけがあった。この鉄道は、新橋−横浜間、神戸−大阪間に継ぐ、日本では3番目の本格的な鉄道だった。

  こうした北海道の海陸の接点が重視され、金融や輸送の関連企業が続々と小樽に集まってくることになる。もう一つの国指定重要文化財である旧・日本郵船小樽支店=写真=は、日露戦争直後の明治39年(1906)に完成した。石造2階建て、ルネッサンス様式の重厚な建築だ。この建物が注目されたのは、日露戦争の勝利だ。明治38年(1905)9月5日締結のポーツマス条約で樺太の南半分が日本の領土となり、翌年明治39年の11月13日、その条約に基づく国境画定会議が日本郵船小樽支店の2階会議室で開かれたのである。このとき、ロシア側の交渉団の委員長が宴席のスピーチで「北海道は日本の新天地なり」と褒めちぎったといわれる。すなわち、北海道内の物流の結節点だけでなく、大陸貿易の窓口としての機能に期待が膨らんだのである。

  明治初期に石炭の積み出し港として開け、さらに大正から昭和初期にかけて大陸貿易の窓口として小樽は繁栄することになる。小樽運河も、その時期の繁栄の産物だ。小樽には移住も増え、大正9年(1920)の人口比較で、小樽10万8千人で札幌より5千人余り多かったほど(「統計で見るわが街おたる」など参照)。小樽の土産で有名なのガラス工芸は、たとえば明治時代から作られてきた石油ランプや漁網用の浮き球にルーツがあり、1970年代に入ってランプを装飾品として購入する観光客に注目され、光が当たった。

  ここでふと考えた。敗戦、そして戦後の東西冷戦で商都としての小樽は色あせた。4月29日、ロシアを訪問した安倍総理とプーチン大統領は焦点の北方領土問題について「交渉を加速化させる」とし、平和条約交渉を再開させ、また安全保障協議委員会を設置することなども盛り込んだ共同声明を発表した。日本とロシア双方が本気で日本との領土問題を決着させ、日露平和条約を結ぶプロセスが見えてくれば、イルクーツクやハバロフスクなど極東ロシアの経済開発の機運が一気に浮上する。日本海側に面し、札幌とも近い距離にある小樽のポジションを考えれば、歴史の中で再度脚光をあびるときがくるのではないか。「北海道は日本の新天地なり」再びである。

⇒5日(日)夜・札幌の天気   あめ

★道央走春-中-

★道央走春-中-

  道央自動車道を走り、登別から小樽に着いた(4日)。予約しておいた小樽運河沿いのホテルにレンタカーを停め、周辺を散策した=写真・上=。2007年8月にも家族で小樽に来ているので、5年9ヵ月ぶりになる。で、小樽はどうのように変わったのか印象を述べてみたい。

      どこか似てきた小樽と湯布院の街並み

  その前に小樽の成り立ちをたどってみる。大正12年(1923年)に完成した小樽運河は、かつて「北のウォール街」と呼ばれたこの地に莫大な富をもたらした。日本銀行のほか、大手銀行が支店を出し、総合商社も軒を連ねた。戦後、物流の機能を失った。保存論議の末に昭和58年(1983年)から埋め立て工事がスタートし、運河は幅が半分になり、道路ができた。小樽の観光戦略は旧銀行や倉庫、商家の建物が中心だ。街全体が「レトロな観光土産市場」という感じだ。ガラス細工、オルゴール、カニ、寿司、チョコレート…、オール北海道という感じは変わらない。ただ、一部はブランド化して新しい提案型のショップへと変貌しているものもある。街をそぞろ歩きしていると、中国語の会話をしながらワイワイと歩くグループとよく会う。海外からも観光客を呼び込む戦略も成功しているのだろう。

  個人的な印象を少々辛口で言えば、「小樽も湯布院も同じ」である。小樽観光のメインである静屋(しずや)通りが俗っぽい。観光客向けの全国どこの観光地にもある、雑貨店やギャラリー、カフェなど若者、女性向けのものが多く、個性のない店が多い。人力車も走り回っていた=写真・中=。これは昨年10月に訪ねた湯布院でも見た光景だ。さらに、小樽は寿司を売りにして、あちこちに寿司店がありにぎわっている。ただ、小樽の寿司の売りがなんだか理解できない。きょう入った寿司店で、メニューに目を凝らしたのだが、「運河にぎり」などとメニューにはそれらしいことは書いてあるが。結局のところ、マグロ、ウニ、イクラ、イカ、エビではないか。おそらく、ネタは新鮮で魚介類が豊富なことは間違いないだろう。だとすれば、北海道どこでも味わえるのではないか。その土地で磨かれた文化としての食はどこのあるのだろうか。

  ところで、奇妙な光景、小樽らしいといえば小樽らしい光景がある。ギリシャ建築様式の昭和初期の典型的な銀行建築。内部は銀行らしい回廊付きの吹き抜け。かつての財閥、旧安田銀行小樽支店(1930年に建築)だ。戦後、富士銀行が継承した後に地元の経済新聞社の社屋として使われた。それが今、和食レストランチェーンの店舗となっている=写真・下=。化粧室が金庫室内にある。小樽市の歴史的建造物に指定されているこの建物。金融の歴史遺産とロマン、今風の居酒屋、港町の潮の香りと魚臭さが混じり合って、何か今の小樽の姿を映すシンポリックな存在に思える。店自体は客待ちが出るほどにぎわっていた。

⇒4日(土)午後・北海道小樽の天気     あめ

☆道央走春-上-

☆道央走春-上-

  ゴールデンウイークを利用して、家族で北海道旅行を楽しんでいる。今朝(3日)小松空港を8時45分発のフライトで新千歳空港へ。佐渡上空を通過する日本海ルートで、1時間35分の空の旅だ。千歳空港に到着し外に出て、思わず「寒い」と口にした。北海道は1年4ヵ月ぶりだったが、前回も同じ言葉を口にしたのを思い出した。

          登別温泉から見えるアジアの観光地・北海道

  昨年1月11日から16日にフィリピン・ルソン島のイフガオ棚田(1995年世界遺産、2005年世界農業遺産)を調査研究に訪れ、気温が30度余りの中をあちこち歩き、帰国後に北陸の寒さに少々体調を崩した。そして、9日後の25日に北海道の帯広市をシンポジウム参加のため訪れた。この日の帯広の最低気温はマイナス20度だった。フィリピンと帯広の気温差は50度。これが決定的となったのか、熱が出るやら咳き込むやらで体長不良に陥った。季節は春とは言え、今回の寒さは、地元紙の北海道新聞にも「札幌 21年ぶり5月の雪観測」(3日付)と1面の見出しで、2日夜に札幌でみぞれが降り、積雪(1㌢未満)を観測した、季節外れの戻り寒波を記していた。タマネギやジャガイモを作付する道内の農家が「寒い春」の影響で低温と日照不足を案じる声も記事にされていた。

  今回の3泊4日の北海道旅行はレンタカーで移動する。千歳空港のカウンターで予約していたレンタカーの手続きを取り、マイクロバスで「モータープール」に車を受け取りに行った。そのマイクロバスの車中でのこと。家族連れのグループの小学校低学年とおぼしき女の子が母親に尋ねている。「あの看板の人は誰なの、北朝鮮の人なの」と近いづいてきたレンタカー会社の屋上看板を女の子が指差しているのである。私も「北朝鮮」の言葉がはっきりと聞こえたので、不可解に思って指差す方向をつい見てしまった。

  確かに、このところニュースで頻繁に出てくる北朝鮮関連のニュース映像に出てくる英雄の像のポーズとよく似た人物像が写真の看板が掲げられている。その人物像はひげを蓄え、コートを羽織って、右腕を上げて革命を指導している姿にも見える。ただ、女の子が「誰なの」と母親や家族に問うているのに、しばらくは沈黙が続いた。私自身もその看板を見ただけでは分からなかった。すると、その家族の後部座席にいたシアニ世代の男性がその様子を見かねたように、「あれはクラーク博士ですよ」と教えてくれた。すると、女の子の父親が「そうか」と文字通り膝を打って、男性にお礼を言い、女の子に言い含めるように「あの人は、少年よ大志を抱け…」などと説明を始めたのだ。しかし、あの英雄的なポーズから人物名を言い当てる日本人はどれほどいるだろうか。ただ、看板になるくらいだから、当地の人にとっては見慣れたポーズなのだろう。

  レンターカーを受け取り、道央自動車道を今夜の宿泊地である登別に車を走らせた。道路の路のサイドがずっと黄色になっていた。春の季語で「竹の秋」がある。モウソウチクなど竹類の葉が5月から6月に黄葉して落葉する時節を指す。道路から見えるイエローベルトは竹ではなく笹、おそらくクマザサ。季節の移ろいを感じさせる光景だ。

  登別温泉に到着して。さっそく地獄谷を見学に行った。硫黄のにおいが立ち込め、いまも水蒸気を噴き上げている。「地熱注意」の看板も目につく。下に降りると、薬師如来の御堂がある。看板が書きに江戸時代に南部藩が火薬の原料となる硫黄を採取した、とある。そしてところどころに、閻魔大王の像やら漫画風のキャラクターが温泉街を彩っている。そして、楽しそうに写真を撮影しているグループの中には中国語が飛び交っている。

  昼食を食べようと入った店が「地獄ラーメン」を売りにするラーメン店だった。満員状態だ。我々の後に入ってきたカップルは中国語だった。間もなく店員が近づいて注文を取りにきた。地獄ラーメンを注文した。横のカップルに店員が「Where you come from ?」と声をかけ、「Taiwan」と聞くと、さっと中国語の閻魔帳(メニュー表)を持ってきた。そして、メニュー番号を尋ね、チャーシュー麺をカウンターの料理人に告げた。その一連のやり取りがスムーズなのに驚いた。相当慣れているとの印象だ。北海道は中国、韓国からの旅行者に人気が高い。アジアの観光地としての北海道、そんな心象をここ登別温泉で得た。

⇒3日(金)午後・北海道登別の天気  くもり時々あめ