★戻り寒波と北陸新幹線

★戻り寒波と北陸新幹線

  けさ6時20分ごろから、「雪すかし」をした。雪すかしは金沢では除雪のこと、「雪かき」と言ったりもする。ことしの正月三が日が雪すかしのピークで、2月に入ってからはほどんどスコップを持ったことがなかった。ご近所さんとも「雪が降らないので助かりますね」と言葉を交わしていた。それがここ数日の雪模様と荒れ模様、けさは我が家の周囲でも10㌢ほどに積もった=写真=。例年3月中旬ごろにチラチラと雪が舞い降りることがある。それを「名残り雪(なごりゆき)」と、冬の季節の終わりを告げる旅情的な表現にたとえる。しかし今回の雪は、昨日からの強風といい、積雪といい、まさに「戻り寒波」だ。

  けさ雪すかしをして感じたのは、雪がとても重いということ。水分がたっぷりと浸み込んでいるのだ。庭の枝木は大丈夫かと、つい見上げたほどだ。暖冬と言われていたので、ことしは樹木を積雪から守る「雪つり」を外す作業を早めに、またスノータイヤとノーマルタイヤの交換も早めにしとうと考えていたが、予期せぬ戻り寒波が来て、「早まらなくてよかった」と。と、同時に金沢の街路樹は大丈夫なのかと、ふと考えがよぎった。

  というのも、市内メインストリートの街路樹の雪つりを外す作業はすでに今月3日から始まっている。今月14日に迫った北陸新幹線金沢開業を見据えて例年より1週間早く外す作業を始めているのだ。観光客向けに残すJR金沢駅東口のクロマツのほかは、市道や公園にある6万5千本余りの雪つりを外している。すでに雪つりが外された樹木の中には、今回の戻り寒波の重たい雪でボキリと枝が折れたものがあるのではないか。これは想像だ。

 県が管理する国の特別名勝・兼六園の雪つり外しは例年通り16日からの予定だというのでは、今回、樹木への被害はそれほどないだろう。北陸新幹線金沢開業に合わせて、早く「春の装い」を整えようとした金沢市の行政側の心意気は理解できるが、タイミングが外れたようだ。この戻り寒波は数日続くという。

⇒12日(木)朝・金沢の天気   ゆき

☆あれから4年,街は

☆あれから4年,街は

  前回のコラムの続き。畠山重篤さんの事務所を辞して、気仙沼市の海の玄関口「内湾地区」を訪れた。震災後の2011年5月11日に被災地を訪問しており、3年9ヵ月ぶりだった。地元の方々からこの表現はお叱りを受けるかもしれないが、街の様子を眺めて「がっかりした」が第一印象だった。何しろ、震災から2ヵ月後の街並みの記憶とそう違わない。今でも街のあちこちでガレキの処理が行われているのである=写真・上=。もう街並みは復興しているものだとばかり思っていたので、その視覚のギャップが大きかった。

  2011年5月の気仙沼訪問で目に焼き付いていた、津波で陸に打ち上げられた大型巻き網漁船「第十八共徳丸」(330トン)=写真・下、2011年5月撮影=を見ようと現場に行った。が、すでに解体されていた。その後のニュースでは、気仙沼市は「震災遺構」として共徳丸の保存を目指していた。ところが、所有する水産会社が市側に解体の意向を市に伝えていたようだ。最終的に2013年7月に市側が市内の全世帯6万5千人(16歳以上)を対象に、漁船を震災遺構として残すことへの賛否を尋ねるアンケートを実施したところ、回答数1万4千のうちおよそ68%が「保存の必要はない」で、「保存が望ましい」16%を上回った(以上、気仙沼市ホームページより平成25年8月5日の記者会見資料より)。被災住民とすれば、日常の光景の中でいつまでも被災の面影を見たくはなかったのだろう。こうした住民の意向を受けて、市側は漁業会社の解体に同意し、共徳丸は同年10月に解体撤去された。

  それにしても、なぜ復興工事が進んでいないのだろうか。同じ市役所のホームページに、「気仙沼市震災復興推進会議について(開催概要)」とするPDFが上がっている。住民と行政側が復興の現状について意見を交わした議事録だ。この中で気になったいくつのケースを拾ってみる。たとえば、市役所の職員確保の状況について説明を求めた質問では、「全国の自治体に即戦力となる自治体職員の派遣を依頼する一方で、本市で雇用する職員募集をかけている。任期付職員については、専門性を必要とする土木・建築職員に関して地元の応募が得られず、今年から首都圏でも募集をかける予定である。」(2014年7月の第10回会議)との回答だ。全国から行政職員の応援をお願いしているが、それでも土木・建築系の職員が地元では集まらないという現実があるようだ。行政のマンパワーだけでなく、被災地は建設工事ラッシュなので、漁港施設、海岸、道路、河川、土地区画整理、宅地造成、下水道等の工事が同時進行している。しかも、国や県、各自治体が一斉に工事を発注するので、建設会社の落札に至らないというケースがあるようだ。したがって、工事ができず、さらに工期が伸びるとうい悪循環が起きていることが察せられる。

  しかも、全国総合開発をほうふつさせるアベノミクスの「国土強靭化計画」で全国で工事ラッシュだ。そうなると、優先されるべき被災地でも現場の作業員が不足するだろう。資材(採石、生コン、コンパネなど)や建設機械(ダンプトラックなど)の不足もあるだろう。工事に着手したとしても、工事が進まない、そんな気仙沼市の市街地を眺めながら、進まぬ復興の現実を考えさせられた。

⇒8日(日)午後・金沢の天気   はれ

★畠山重篤さんのこと

★畠山重篤さんのこと

  先月(2月)10日、宮城県気仙沼市に、畠山重篤氏を訪ねた。畠山氏といえば、あの「森は海の恋人」の提唱者だ。NPO法人「森は海の恋人」理事長。気仙沼の舞根(もうね)湾において今も家業のカキ・ホタテの養殖に従事している。畠山氏を訪ねたこの日、湾内は青空が映えて、なんとも静寂で、まるで鏡のようだった=写真=。

  畠山氏は、この海を守ろうと、1989年より環境が悪化した湾内に注ぐ大川上流の室根山で、「森は海の恋人」をキャッチフレーズに植樹活動を始める。子どもたちへの環境教育も積極的に行い、その活動は国際的にも評価されている。2011年の国際森林年で国連森林フォーラム(UNFF)よりフォレストヒーローを受賞、2015年のことし2月、地球環境の保全に貢献した人を顕彰する「KYOTO地球環境の殿堂」の殿堂入り者に選ばれている。

  これまで5度直接お会いしてお話をさせていただいた。最近では、2012年2月2日、仙台市で開催された、三井物産環境基金シンポジウム「東日本大震震災からの復興戦略を考える創造と連携」だった。パネル討論で畠山氏が熱弁をふるった。以下、話はちょっと長くなる(畠山氏の要旨)。

  総合地球環境学研究所(京都)のプロジェクトチームが7年かけて調べた結果は驚くものだった。ロシアと中国の国境を流れる世界8番目の大河、全長4500kmのアムール川の両側にある大森林で作られるフルボ酸鉄がオホーツク海に流れて、千島列島にあるブソール海峡の間を通る潮流が太平洋まで来ていることが分かった。つまり、アムール川沿いの栄養塩で三陸のわれわれも恩恵を受けている。森は海の恋人は世界に広がっているのです。では、三陸沖の魚を将来とも捕っていくにはどうしたらいいか。それは、アムール川の流域の環境をどう保全していくかにかかっています。相手は中国とロシアですから、容易ではありません。私は、教育しかないと思いました。つまり、ロシアと中国の子供たちの教科書にどうやって「森は海の恋人」の思想を入れていくか。日本海側に住んでいるわれわれは、目の前のことだけを見ているだけではなく、揚子江も見ないといけないのだと思っています、と。

  熱弁の後の懇親会の立ち話で、「いよいよ森は海の恋人を世界に向けて発信ですね」と水を向けると、畠山氏は「川の流域に住んでいる世界の人の心に木を植える運動が始まればと願っているのです」と嬉しそうだった。ニューヨークの国連本部で、国連森林フォーラム(UNFF)よりフォレストヒーローを受賞したのはその7日後のことだった。

  今回、畠山氏を訪ねたのは講演の依頼だった。70歳を過ぎてもツヤツヤとした髪と髭をしておられるので、「カキの栄養分が行き届いていますね」と切り出すと、「ことしのカキは最高によかった。(震災後)海は再生しているよ」と。2015年3月15日午後1時30分から、石川県珠洲市で金沢大学主催フォーラム「世界農業遺産『能登の里山里海』のこれから」で、「森里海の復興から地域再生へ」と題して講演いただくことになった。この講演はユーストリームで配信予定だ。

⇒7日(土)午後・金沢の天気   くもり

                       

☆共感する英語表現

☆共感する英語表現

  小泉牧夫著『世にもおもしろい英語』(IBC)に引き込まれた。還暦を機に英語を学び直ししている訳ではないのだが、友人から薦められて手に取った。英語習得のノウハウ本とはまったく違う、ある意味でマニアックな本だ。いくつか著書を引用して考察を交える。

  言葉は人間が使うものだから少々の感性のズレはあっても、似たような表現になる、それも英語も日本語でもある。日本語で「鼻差で」「間一髪で」という表現がある。鼻差で、あるいは髪の毛1本の差は、わずかの差でという意味だ。この表現は英語表現でも使われるという。たとえば、win by the nose あるいは win by a hair である。日本語を英訳したのではなく、もともとイギリスやアメリカでも使っている。

  そこで言葉というものを考えると、英語にしても日本語にしても、ルーツというか所詮は、口でしゃべり、耳で聞き、鼻で感じるといった人間の五感を他の人と共有したものだ。多少の違いがあっても、その五感が世界でほぼ共有されていれば、言葉の表現も自ずと似通ってくる。著書によると、たとえばアメリカの俗語で eye-opener という表現がある。「(目覚ましの)酒」「シャワー」という意味だが、ある事実を知って「目を見張る」「目が覚める」思いを表現で使われる。まさに日本語でも使う「開眼」「目が開かれる」である。

  色彩感覚にしてもそうだ。日本人は「けじめをつける」「単純化する」という意味を「白黒をはっきりさせる」という表現を用いる。小泉氏によれば、英語だと、a black and white issue は白黒がはっきりとした単純な問題となる。また、赤は「危険」「興奮」「怒り」「損失」など多様な表現をともなうと例が紹介されている。「red light」は信号の「止まれ」、「see red」は「怒り出す」など。もちろん、英語ならでは言い回しもある。「red herring」は直訳すれば「赤ニシン」だが、「偽の情報」といった意味がある。魚のニシンは酢やスパイスを混ぜて燻製にすると赤くなるそうだ。ただ強烈なにおいがする。イギリスではキツネ狩りに反対する住民らが動物虐待への抗議の意味で狩りの予定地にこの赤いニシンをまいた。すると、猟犬の嗅覚がおかしくなって寄り付かなかったというのだ。それがいまでは「ガセネタ」という風な表現として現代社会で生きている。

  著者はこうした事例を中心に「人生編」「仕事編」「洒落た表現編」「恐怖表現編」「動物編」というように生活感覚で解説、紹介している。英語習得のノウハウ本はこれまで何度も途中で放棄したが、これは一気に読んだ。歴史や風土は違うものの人としての五感や感覚はそんなに違わない。人体が同じだから。言葉表現の文法などは異にしても、根っこにある言葉の感性は同じだ、そう考えると英語に親しみがわいてくる。

  最後に、これまで日本人は自らの逆境を正直に「難しい」と表現してきた。しかし、アメリカ人は「difficult」と表現するより、「challenging」という表現を好むという。逆境は「姿を変えた幸福」だとの表現だ。今の日本の若い世代は後者の表現に共感するのではないか。人生を前向きに考えるヒントも与えてくれる。

⇒4日(水)朝・金沢の天気   あめ

★廻り 焼香

★廻り 焼香

  これまでいくつかの通夜・葬儀に参列した。今回、初めて「廻(まわ)り焼香」というものを体験させてもらった。24日逝去された角間俊夫氏(享年75歳)の通夜が昨夜(2月26日)、金沢市鳴和台のセレモニーホールで執り行われた。

  角間氏は食品・酒類の総合商社「カナカン」の元会長。2001年から07年まで北陸朝日放送の社長をされ、その間、私は同局の報道制作局長として在任したことがあり、仕事上も人生の先輩としても教えを乞うた。そのとき感じたことは人脈の広さだった。金沢商工会議所副会頭、全国法人会総連合会筆頭副会長といった名誉職だけでなく、食品など手がけるビジネス上の深いつながりというものを感じた。こんな話をしてくれたことを思い出す。「私は金沢の郊外の角間(かくま)という山間地に実家があって、幼いころ近所のおばさんたちが柿やナシなど道行く人に売っていた。そのとき、柿10個を売る際に値引きをするのではなく、2個おまけをつけるという販売方法だった。売価を下げず、インセンティブを与えるやり方だった。そんな姿を見て、ビジネスに興味を持った」と。人の話によく耳を傾け、自らの言葉で語る人だった。

  人脈が深く広い人だったので、通夜の当日はセレモニーホールの近くの主要地方道が一時渋滞になるくらいに大勢の弔問客が訪れていた。受付を済ませると列につく。焼香台まで80㍍はあっただろうか。スピーカーから流れる僧侶の読経を聴きながらゆっくりと前へ進むのである。その列の中にはかつてのテレビ局時代の仲間や、地元選出の代議士や大学の学長の顔見知りもいて、立ちながら軽く会釈をして挨拶を交わす。読経が終わり、葬儀委員長(会社社長)の挨拶の言葉もスピーカー越しだった。そのとき、「大勢の方々に弔慰をいただき、廻り焼香というカタチにさせていただきました」と聴いて、そんな言葉があったのだと初めて分かった。午後5時に葬儀場に入って、焼香を終えたのは同34分だった。焼香を終えたらそのまま帰るのだが、次から次と弔問客が訪れている。確かにこの「廻り焼香」という形式にしないと会場は大混乱になると思った。

  この「廻り焼香」は初めて見た葬儀形式だったので、これは著名人ならではなのかと思ったら、そうでもないらしい。インターネットで「廻り焼香」を検索すると、福井県ではこの廻り焼香が多いと解説があるページを見つけた。地域のつながりが深く、通夜や葬儀・告別式の弔問客が多かった頃の名残として、廻り焼香の風習が今でもあるらしい。通夜や葬儀・告別式の開式前から参列し、焼香を終えた人から帰るもので、多くの弔問客が滞りなく焼香を済ませるための知恵だったが、葬儀が小規模化した今でも廻り焼香の風習は生きていて、参列者は焼香を終えたら帰るのが一般的だという。

  おそらくきょう正午からの葬儀・告別式にも大勢の方々弔問され、廻り焼香だろう。人脈が人の波になって弔問の列が途切れることはない。角間さんらしいお別れのステージである。

⇒27日(金)午前・金沢の天気  くもり  
  

☆ジャーナリストとギャング

☆ジャーナリストとギャング

  フランスのパリに本部があるジャーナリストによる非政府組織「国境なき記者団(RSF)」の調べによると、活動中のジャーナリストの死者数は昨年66人だった。2012年の87人を最高に毎年60人から80人が亡くなっている。記憶に新しいのは、2012年のシリアでの取材中、政府軍の銃撃により殺害された山本美香氏、2007年にミャンマーで反政府デモを取材中に銃撃されて死亡した長井健司氏らだ。ジャーナリスト、とくにメディア企業に所属しないフリーのジャーナリストはまさに命をかけた取材をしている。

  きのう(20日)、過激派組織「イスラム国」が日本人2人を人質に取り、2億ドル(230億円)の身代金を要求している国際事件は、「イスラム国」がインターネットに投稿したとされる映像から発覚した。人質にとられた日本人2人のうち、後藤健二氏はフリージャーナリストだ。メディアで繰り返し報道されている映像を見る限りでは、「イスラム国」のメンバーとみられる人物が日本政府に対して、72時間以内に身代金を払わなければ人質を殺害すると脅迫している。まさに、テロ行為そのものだ。 

  敵対する国々から人質を取って揺さぶりをかけるイスラム国の戦略だろう。アメリカでは去年8月以降、イスラム国に自国民3人を殺害された。1人目のジャーナリスト、ジェームズ・フォーリー氏には1億ユーロ(137億円)の身代金支払いの要求があったが、アメリカ政府は支払わなかった。その身代金が組織の活動資金になるからだ。オバマ大統領はフォーリー氏が殺害された後から、「正義のための措置を取る」と述べ、掃討作戦を推し進めた。

  身代金の要求に応じれば、過激派組織がその国の国民を他国で誘拐・拉致してでも要求をエスカレートさせるだろう。報道によれば、後藤氏は去年10月、トルコを経由してシリアに入国し、「イスラム国」の本拠地であるシリア北部のラッカで取材中で、11月6日には戻るとされていたが、その後、連絡が取れなくなっていた。11月の初旬になって、後藤氏に家族に、「イスラム国」の関係者を名乗る人物から、メールが送りつけられ、「誘拐しているので、日本円で10億円の身代金を払え」と要求してきたという。日本政府が、海外の捜査機関に問い合わせたところ、このメールの発信元は、ジェームズ・フォーリー氏を殺害した、イギリス人なまりの英語を話す「イスラム国」メンバーと一致することがわかった。手口はギャングと同じだ。無事救出を祈りたい。

⇒21日(水)朝・金沢の転機   はれ

★草の根グローバリゼーション

★草の根グローバリゼーション

  昨年3月に購入し、「積ん読」状態にしていた『草の根グローバリゼーション 世界遺産棚田村の文化実践と生活戦略』(清水展著・京都大学学術出版会)をこの正月三が日で読み切った。購入したきっかけは、本のタイトルだった。「草の根」と「グローバリゼーション」は相反するような言葉に思えるのだが、それをうまく統合して読み手のイメージをかきたてる。そして、本の終盤でその意味を謎解きし、「なるほど」と唸らせるのである。以下、勝手解釈で述べる。

  著者は京都大学東南アジア研究所に所属する文化人類学者。研究者の著書は読み辛いものなのだが、ジャーナリストのルポルタ-ジュを読んでいるような感覚でリズミカルに読めるのである。それは、本人が学術書というより、ルポを意識して書いているからだ。時には少し自らの感情も込めて。それは本人が第9章~「山奥どうし」の国際協力~で述べているように、1991年のフィリピン・ルソン島ピナツボ火山の噴火を目の当たりにして、それまでの文化人類学者の「冷静な観察」から踏み出して、「現場の問題と深くコミットしていくことを選んだ」といい、それを「コミットメントの人類学」「応答する(協働する)人類学」と称している。気が入っているから読みやすい、読ませるのである。ただ本人は「現場に深入りしたら研究ができなくなるかもしれないと恐れつつ」と躊躇したことも吐露している。

  本の主題はピナツボ噴火の被災地支援から同じルソン島イフガオの棚田を守る植林運動の2つのステージで関わった人々、村の現状をつぶさに観察すると、とてつもなくグローバル化していて、そして、その2つの支援活動に乗り出した兵庫県丹波篠山のNGOの活動の在り様が、フィリピンの山奥と日本の山奥のローカル同士の連携であり、「人々の生活をグローカルに再編成」であり、「希望の所在」と説く。

  著者がイフガオで関わった人々がユニークだ。イフガオ出身でOECD(経済協力開発機構)本部の国際公務員を辞して地元に戻ったキッドラット・タヒミック氏(映画監督)、その親友で植林運動を先導するロペス・ナウヤック氏ら。彼らは、先住民イフガオとしてのアイデンティティーを持ち、ローカルとグローバルを結び付けようと活動している。まさに「国際人」でもある。そして住民もまた香港、台湾、ドバイ、イスラエル、オーストラリア、カナダ、アメリカ、イギリスなどへと家事手伝い(DH)、介護人、技師、職人、労働者として「海外出稼ぎ」に行く。しかも、英語ができる大学卒の高学歴者が海外就労に出かける。

  私はこれまで4度イフガオに出かけている。「グローバル」という言葉を現地で体感することがある。それは、村長であっても、学生であっても、スピーチがとても洗練されていることからも感じる。取って付けたような「田舎臭い」言葉ではなく、自己の置かれた立場の紹介、自分が分析するイフガオの現状の説明、自分ができることの可能性の3点をさらりと述べるのである。スピーチだけではない。フォーラムやワークショップといった発表の場づくりは色あいのよい看板、花飾り、民族踊りのアトラクションといった「場の演出」が必ずある。そして会場の雰囲気に堅苦しさがない。

  著者の結論が第10章~草の根の実践と希望-グローバル時代の地域ネットワークの再編~でまとめてある。6つの節のタイトルが面白い。「1・宇宙船地球号イメージ」「2・共有地の悲劇、あるいは成長の限界」「3・暗い未来に抗して」「4・グローバル化と地域社会」「5・『グローカル』な生活世界」「6・遠隔地環境主義の鍛え直し」。日本人の多くは地域は少子高齢化で廃れると思い込んでいる。ところが、イフガオでは農業離れによる棚田の存続という問題を草の根のグローバル化(人々の海外出稼ぎやNGOとの連携)をとおして、国境を越えて日本やアジアや中東、欧米と結ばれるネットワークをつくることで問題解決しようと外に向けて努力しているのである。本章の締めくくりで筆者が述べている。「草の根の小さな実践を導き切り開く、希望の所在である」。これは日本のローカル課題の解決に向けたヒントではないだろうか。

⇒4日(日)未明・金沢の天気     くもり

  

☆新幹線とリスク回避

☆新幹線とリスク回避

  ことし3月14日に新幹線が金沢まで開業する。東京駅から長野駅を経由して2時間28分の予定。現在は東京駅から金沢駅間は在来線越後湯沢経由で上越新幹線に乗り換えて3時間47なので1時間19分の短縮となる。呼称も今の長野新幹線から「北陸新幹線」に統一される。

  金沢市内の文教地区と称される一等地でテナントビルが解体されて空き地になっていたが、年末に「APA マンション・プロジェクト始動」という看板が立った。あのアパグループの帽子の女性社長の顔写真つきだ=写真=。「マンション・プロジュクト始動」との謳い文句なので、それなりに立派なマンションが建設されるのだろう。素人の見立てで、敷地はざっと1000坪ほどだろうか。金沢といえば、マンション需要より戸建て需要が強いのだが、いったい誰が買うのだろうか。

  確かに、北陸新幹線開業にともなってここ数年、金沢駅周辺のテナントや、飲食店向きの物件家賃が上昇しているともいわれる。宅地の地価も2013年前半からプラスに転じるところも出てきて、上ぶれ傾向にある。しかし、金沢駅周辺にはすでに単身向けマンションなど次々と完成していて、好調な販売が続いていると地元紙でも報じられている。地方のミニバブルの様相なのだ。もともとアパグループは、都市開発、建設業を中心に金沢に本社(後に本社・東京・本店・金沢)を構えていたので、金沢を含め北陸の不動産の動きには熟知していて、金沢駅と離れたところでも物件の需要は見込めるのだろう。

  以下、知り合いに不動産業者から聞いた話である。北陸新幹線の金沢開業にともなってのマンションのニーズは、金沢にあるのではなく東京にある。買っているのは首都圏の人たちなのだと言う。相続税対策や投資目的などさまざま。中には、いつかは来るであろう首都圏の震災を意識したセカンドハウス目的もあるという。そうなると購買層は富裕層に限られる。不動産業者は「金沢のマンションを見に来た人は、東京でいざというときに学校の体育館での避難所生活には耐えられないと言っています。金沢は雪は降るけど災害が比較的少ないと思われているので避難場所なんです。それが新幹線でぐっと身近になったということではないでしょうか」と解説してくれた。

  首都圏や関西の人たちとは違い、金沢の人は確かに震災に備えるという意識は薄いのかもしれない。金沢はいま、アパグループに限らずマンションの建設が盛んだ。それが「リスク回避というニーズ」にあるとしたら、そのニーズを今後どのように読んでいけばよいのか。

⇒3日(土)朝・金沢の天気      ゆき   

★ブログ955回目

★ブログ955回目

  このブログ「自在コラム」を2005年から始めて今回で955回目のアップロードとなる。当初は毎日にように書いていたが、最近では「気まぐれ」に書いている。毎回1000字以上を目標にして、写真やイラスト(著作権フリー)を1、2枚掲載するといういたってシンプルな体裁だ。

  政治・選挙からマスメディア、金沢大学のキャンパスでのことなどいろいろとネタにしてきた。それでも、ネタのトレンドというものがある。たとえば、2006年からは、能登に関することが増えいる。これは私の大学での業務が能登と関わることになったかからだ。これに関しては、2014年12月28日付の「★2014 ミサ・ソレニムス~5」で経緯を紹介した。「能登半島 里山里海自然学校」や「能登里山マイスター要請プログラム」などがキーワードとなる。

  そして、2008年から国際会議や国連機関と里山が動きが出ている。「国連生物多様性条約第10回締約国会議(COP1)や「世界農業遺産(GIAHS)」「里山イニシアティブ」がキーワードだ。2013年ごろからはフィリピンのイフガオ棚田と能登里山里海マイスター育成プログラムの動きがブログのテーマになっている。ある意味でダイナミックなネタなのだが、ブログというより「報告」、リポート化していて面白味は薄れてしまっているのかも知れない。

  もともと、ブログを始めたきっかけは、秋田県のテレビ局の友人から勧められたものだ。インターネットに先見の明がある人物で、「宇野ちゃんはテレビ局を辞めて大学に入ったのだからいっしょに新しいことを始めようと」と当時まだ勃興期だったブログに誘ってもらった。もう10年前のことだ。その彼は、数年でブログを引退し、ミクシィ、ツイッター、フェイスブックとトレンドに乗って今でもどんどんと発信している。彼はもう61歳だ。

  私はブログ一本で955回目というわけだ。彼とは違って、インターネットの世界に入り込みたい、身を置きたいというわけではない。どちらかというと、書くことが好きでブログを続けているという感じだ。最近ではブログのことを周囲には「備忘録」とも称している。さあ、これからどうする。目指すは、まずは「1000回」なのだが、ネタがあるうちは続けよう。

⇒2日(金)朝・金沢の天気   ゆき
  

☆元旦の「雪すかし」

☆元旦の「雪すかし」

   元旦の朝、少々驚いた。一気に30㌢余りの積雪だ。昨晩(19時ごろ)は雨は降っていたが積雪はなかった。真夜中に雪に変わったのだ。天気予報では、「石川県内は31日夜から年明け2日にかけて冬型の気圧配置が強まり、北陸地方は荒れた天気となりそう。31日夜からから1日にかけて予想される最大風速は陸上で12㍍、1日の午後6時にかけて予想される24時間降雪量は山間部を中心に多いところで80㌢、平野部の多い所で30㌢の見込み」となっていたので、予報が的中した。

   8時すぎ、近所の方々の「雪すかし」が始まった。雪すかしは除雪のこと。スコップで敷地や玄関先の道路を除雪する。平面に積もった雪を空き地に立体的に積上げるのである。「おはようございます。ことしも一年よろしくお願いします」と新年のあいさつを兼ねたあいさつだ。こういう近隣のあいさつは近所付き合いの上で大切なので、当方ももちろん通りに出て、雪すかしのあいさつをした。「ことしもよろしくお願いします」(当方)、「それにしもよく積もりましたね」(近所)、「天気予報では10年に一度の大雪とか言ってましたが、その通りになりましたね。3日ごろまでこんな感じで降りそうですよ」(当方)、「いつもの雪より軽くて楽やけど、ことしの正月三が日は雪すかしで終わりやね(笑い)」(近所)、「本当ですね。ことしもよろしくお願いします(笑い)」(当方)

   たわいもない言葉交わしの中に、日常のさまざまな情報や感情がこもっている。確かに、今回の雪は12月のベトベトした雪より、軽いのである。地上の気温が下がったせいか、綿のような雪だ。ややパウダースノーに近いと表現したよいかもしれない。「正月三が日は雪すかしで終わりやね」は意味深である。「これだと初詣がぜいぜいで、外出もままならない、何とも手のかかる(労力のいる)雪すかしだけのつまらない正月ですね」と天気を恨んでいるのである。

   ところで、ご近所では雪すかしに暗黙のルールがある。まず、第一に道路の除雪は家の間口を決まりとする。つまり、道路に面する家の敷地が幅となる。10㍍あれば、10㍍の雪すかしとなる。しかし、道路に面している敷地でも、角地で玄関が横道に面している場合は横の道路が間口となる。玄関側の道路を「雪すかし」すればよいのである。道路に面した2方向を除雪する必要はない。

   また、道路の除雪は全面除雪ではなく、おおむね歩行者側の幅でよい。車が走る中央部は除雪しなくてよい。通学の子どもたちへの配慮のようなものだ。また、除雪は側溝に落としてもよい。もちろん、これは私が住む金沢市全体の暗黙のルールではない。街の成り立ちや町内会の歴史、町内会を構成する人々の顔ぶれに、高地低地の地域的な積雪量、面する道路が県道か国道か市道かによっても違い、まして道路幅にもよるだろう。それぞれの決まりごとはちょっとした条件で異なり、無理せず長く続くルールづくりが歳月をかけてつくられてきたのである。

⇒1日(木)朝・金沢の天気     ゆき