★韓国のGIAHS候補地を行く-上
火山岩を活かした済州島の石垣農業システムとは
ワークショップの主催(主管)は韓国農漁村遺産学会、済州発展研究院、青山島クドルチャン棚田協議会の3者、共催(共同主管)が韓国農村振興庁、同農漁村研究院、中国科学院地理科学資源研究所、国連大学の5者。
初日(25日)、午前の成田発の便で、正午すぎに済州島に着いた。済州島では6月27日以降に雨が一滴も降らず、気象観測を始めた1923年以来、90年ぶりの干ばつとなっていて、「雨乞いの儀式」も行われたとか。その甲斐あってか、24日には大雨が降ったようだ。バスの窓から見ても、市内の道路などに水たまりがあちこちにある。初日は顔合わせの意味もあり、さっそく現地見学。日本、中国、韓国の参加者は40人ほどで、日本のサイト関係者は能登1人、佐渡2人、阿蘇2人、国東3人の合わせて8人。それに国連大学や金沢大学の研究者ら8人が加わっている。
済州島では、ユネスコの世界自然遺産に「済州火山島と溶岩洞窟」(2007年6月)が選定されている。標高1950㍍で韓国で最も高い山である漢拏山(ハルラサン)の頂上部には、氷河時代に南下した寒帯性植物種が棲息しており、生態系の宝庫とも呼ばれる。また、海に突き出た噴火口である城山日出峰(ソンサン イルチュルボン)、拒文オルム(岳)などの溶岩洞窟などが自然遺産を構成している。初日の視察でのキーポイントは、その火山活動の副産物として地上に放出されたおびただしい玄武(げんぶ)岩である。この石はマグマがはやくに冷えたツブの粗い石。加工するにはやっかいだが、積み上げには適している。つまり、簡易な石垣をつくるにはもってこいの材料なのである。
そこで、済州島の先人たちは海からの強い風で家や畑の土が飛ばないように、この玄武岩を積み上げた。畑の境界としての石垣(バッタン)、家の周辺を取り囲む石垣(ジッタン)、墓の石垣(サンダン)、畑の横、人が通るよう作った石垣(ザッタン)、放牧用の石垣(ザッソン)など、さまざまな用途の石垣がある。こうした済州の石垣は「龍萬里」とも呼ばれる。玄武岩は黒く、さらに土も黒土なのだ。今回訪れた下道(クジャ)海岸近くの石垣はかなりのスケールで広がる。ここで栽培されるニンジンは韓国では有名。秋にかけて植え付けが始まる。
石垣は海でも活かされている。新興里(シンフンリ)の海辺の石垣は、満ち潮にそって沿岸に入った魚が石垣のなかで泳ぐ。引き潮になって海水が引くと魚は石垣の中に閉じ込められ、それをムラの人が採取する。その石垣は「ウォンダン」と呼ばれる。同じ石垣でも作物の保護、土壌と種の飛散防止、所有地の区画、漁労などさまざま現代でも活用されている。1000年も前から石垣に人々の生きる知恵を見る思いだった。
⇒25日(日)夜・済州島の天気 くもり
局地的な豪雨が発生するたびに、全国各地で山の地盤が崩れ、流出土砂が川にたまり、砂防ダムや土砂ダムが決壊し、人里に被害が及ぶ。先月29日、石川県小松市周辺が豪雨に見舞われ、梯(かけはし)川流域の1万8000人に避難指示・勧告が出されたが、治水上の計画高水位ぎりぎりで氾濫寸前でとどまった。まだ記憶に新しいのは2008年7月28日の金沢市の浅野川水害である。集中豪雨で55年ぶりに氾濫が起き、上流の湯涌温泉とその下流、ひがし茶屋街の周囲が被害を受けた。当時、浅野川流域の2万世帯(5万人)に避難指示が出されたのだ。
一方、総務省では地域の視点から大学とのつながりを重視する「域学連携」地域づくり活動事業を促している。過疎・高齢化をはじめとして課題を抱えている地域に学生らの若い人材が入り、住民とともに課題解決や地域おこし活動を実践する。学生たちが都会で就職しても、将来再び地域に目を向け、活躍する人材を育成することを促している。若者たちが地域に入ることで、住民が自らの文化や自然など地域資源に対して新たな気づきを得て、そのことが住民をの人材育成にもなると期している。
をどう引き出すか、活動資金の比率を高めていくかですよ」と。「域学連携」に留まる活動であってはならない。全国の民間企業が木島平に目を向けてくれるような、そのようなスケール感のある活動でないと農村文明塾は発展しないと自らに課しているのである。
木島平村では「農民芸術」を目指す人々がいる。地域に残る民話を発掘してそれを朗読する「語り部」の運動だ。テレビ番組「まんが日本昔話」の語り部として知られる俳優・常田富士男はこの村の生まれ。平成16年(2004)に「ふう太の杜の郷(さと)の家」という古民家を利用した活動の場ができ、常田を代表として「木島平の昔話」の語りなど活動の輪が広がっている。
い。学生たちが農村に入って、村人と交わって、感じ取るのだ。井原満明事務局長は「学生たちに農村調査を求めているのではない。『share your secrets』の自ら気づきを促し、それを参加者と分かち合うのです。気づき、発することで人は生きる感性を磨くのです」と話す。
警察小説の『ストロベリーナイト』で知られる作家、誉田哲也の『幸せの条件』(中央公論新社)だ。理化学実験ガラス機器専門メーカーで働く経理担当の24歳OLが、バイオエタノール精製装置の試作で休耕田でバイオエタノール用の安価なコメを提供してくれる農家を探せと、長野県に出張を命じられることから物語が始まる。先々で「コメは食うために作るもんだ。燃やすために作れるか」と門前払いされながらも、農業法人で働くことになる。米作りを一から学ぶことになり、そして農村の中で、「人として本来すべきことを、愚直にやり通す強さ。そのあたたかさ。よそ者でも受け入れ、食事を出す。他人の子でも預かり、面倒を見る。損得ではない、もっと大切な何か。利害よりも優先されるべき、もっと大きな価値観」を見出していく。
手始めに村の資料館に入った。驚いた。見たこともない幾何学模様がずらりと並ぶ。「算額」だ。江戸時代、鎖国で海外との交流がほとんどなかった中で、日本独自の数学として興った「和算」。当時の研究者たちは難問が解けたときの喜びや、学問成就の願いを絵馬にして、神社や寺に奉納した。和算は、16世紀に関孝和によって大系化し、その後全国に普及したものと伝えられている。その和算が木島平で根づき、野口湖龍ら和算家を多く輩出する、「信州和算のメッカ」となった。冬閉ざされる雪国が醸し出した学問の風土といえるかもしれない。
キャロラインさんの話を思い出しながら、『里山資本主義』(著者:藻谷浩介・NHK広島取材班)を読んだ。消費生活と呼ばれる現代の都会の暮らしと対極にあるのが、山林や山菜、農業など身近にある資源を活用して、食糧をなるべく自給し、エネルギーも自ら得て暮らす、地方の自立的な暮らし方である。著者は、前者をマクロ的に表現して「マネー資本主義」と称し、後者を「里山資本主義」と名付けている。後者、たとえばキャロラインが語った「野菜が足りなければ、近所と物々交換するの。お金が少なくても、里山の生活はお金がかからないので暮らしは豊か」な経済的な暮らしは「贈与経済」とも呼ばれてきた。「里山の資本=資源」で暮らすライフスタイルという意味であり、独特の金の流れ(金融)があったり、経済構造を抜本的に変えるというわけではない。
その信用バブルについて、中国で実感したことがいくつかある。昨年8月に浙江省青田県方山郷竜現村を世界農業遺産(GIAHS)の現地見学に訪れたとき、田舎に不釣り合いな看板が目に飛び込んできた。「161㎡ 江景…」との文字、川べりの豪華マンションの看板=写真=だ。地方に似つかわしくない看板なのである。中国人の女性ガイドに聞くと、マンションは1平方㍍当たり1万元が相場という。1元は当時12円だったので、1戸161㎡では円換算で1932万円の物件である。確かに、村に行くまでの近隣の都市部では川べりにすでにマンションがいくつか建っていた。夕食を終え、帰り道、それらのマンションからは明かりがほとんど見えない。投資向けマンションなのだ。2011年6月に訪れた首都・北京でも夜に明かりのないマンション群があった。
岩城は2006年6月13日に亡くなる前、当時の松井に手紙を出していた。松井はその時、故障で休場を余儀なくされていた。
ホームタウンは石川県能美市にある。私は金沢のテレビ局時代に何度か自宅を取材に訪れた。松井が星稜高校時代、「夏の甲子園」石川大会の中継、本大会での取材と夏は松井一色だった。強打者ぶりは伝説にもなった。1992年夏の全国高校野球選手権2回戦の明徳義塾(高知)戦で、5打席連続敬遠されて論議を呼んだ。話のついでだが、母校・星稜高校は28日に開かれたことしの全国高校野球選手権石川大会の決勝で、6年ぶり16度目の夏の甲子園出場を決めている。
日本では選挙期間中、有権者の家を訪ねて投票を依頼する戸別訪問は公職選挙法で禁止されている。これは、候補者が戸別訪問し、有権者に金を渡し「買収」をするのを防ぐためだ。ことほど左様に、かつて「選挙と金」の生々しい時代の記憶があるからだ。今日では、戸別訪問もできないようでは民主主義と言えないと叫んでもよいくらいだ。言いたかったのは、アメリカでは逆に、ネットでの政治献金を通じて、人々が政治への参加意識を高めている、ということだ。しかも、アメリカでは、インターネットでのキャンペーンを空中戦でたとえるならば、戸別訪問を地上戦と位置づけ、運動員が実績を訴えるパンフレット持参して個別訪問する。まるで、デジタルとアナログの選挙運動が両輪で回っている感じだ。