☆続・過剰適合の悲劇

☆続・過剰適合の悲劇

 金沢と韓国を往復しながらITビジネスを展開している企業の日本人社長と先日、語らう機会があった。社長は、19日に投開票日がある韓国大統領選で、国民がフェイスブックやツイッターを使った選挙運動が盛り上がっていると話してくれた。韓国は人口4800万人のうち3000万人がスマートフォンを有すると言われる。韓国の憲法裁判所が昨年12月、ネット選挙の法的な規制を違憲と判断した。低コストや機会の均等というインターネットの特質が選挙に合致するとの判決理由だった。

 一方、先日、金沢の知人から「あなたの英知に判断ゆだねる」とある候補者の推薦の葉書が届いた。能弁な友人なのだから自分の思いを葉書ではなく、電話なり、直接の会話で表現すればよいだろうと思う。日本全体がこの時期、人に向かって「私は○○候補に一票を投じたい。それの理由はこうだ」と話すことを控え、まるで自粛しているようだ。そのくせ、新聞やテレビの世論調査に目を凝らし、耳を傾けている。そして、最近声がかすれた候補者の乗った選挙カーが市内を走り回っている。この風景は何十年も変わらない。盛り上がらない、まさに、選挙停滞の風景なのだ。

 この日本の停滞した、淋しい選挙戦は今の日本を象徴している。いや、日本そのもののように感じる。何も友人や知人たちと選挙の議論もしないまま、もう明後日に投開票の日を迎える。選挙運動の公平さを期する余り、選挙期間中に指定している枚数のビラなど以外の文書図画を配ることを禁じている。このためホームページやブログ、ツイッターなどは指定外の文書図画とみなされ、公示後の更新などは公選法にふれるおそれがあると選挙管理員会は警告する。選挙に過剰に適合したがゆえに選挙運動の柔軟さや多様性を拒否してしまっている。ネット選挙をしている候補者はいないかと監視している選挙管理委員会よりも、法律をそのまま放っておいた政治家の方に罪があるだろう。

 もちろん、選挙のネット解禁で投票率が上がるかとなるとこれは別のレベルの話かもしれない。フェイスブックやツイッターで飛び交う言葉には、誹謗や中傷、不確かな情報も少なくない。これを民意だと錯覚しては、民主主義はおぼつかない。なぜなら、ネット上で支持されても投票行動に結びつくかどうかは分からない。ネットは民意の集合体を形成しうるかはまだ先の話だ。

 それでも、この選挙期間の停滞感は人々の気持ちを暗くしている。なぜなら、誰しもがなぜネット選挙が許されないのか、「韓国にも先を越されているではないか」と惨憺たる思いでいるからだ。過剰適合の悲劇のスパイラルに落ち込んでしまっている。盛り上がらない選挙ムードをつくっている状況こそが問題なのだ。

⇒14日(金)夜・金沢の天気  はれ

★スペースデブリ

★スペースデブリ

  何の利用価値もなく、地球の衛星軌道上を周回している人工物体のことをスペースデブリ(space debris)と呼ぶそうだ。debrisは破片または瓦礫(がれき)と訳される。つまり、宇宙ゴミのことだ。宇宙開発に伴ってその数は年々増え続けている。耐用年数を過ぎ機能を停止した、または事故・故障により制御不能となった人工衛星から、衛星などの打上げに使われたロケット本体や、その部品、多段ロケットの切り離しなどによって生じた破片など。多くは大気圏へ再突入し燃え尽きたが、現在も4500㌧を越える宇宙ゴミが残されている(「ウイキペディア」より)。

 昨日、北朝鮮が弾道ミサイルの技術を使って、自前の運搬手段で人工衛星を打ち上げた世界10番目の国になったと報じられた。最初に打ち上げたのはソビエト(当時、1957年)で、韓国も人工衛星を打ち上げているが、自前のものではなく、ランキング上では北朝鮮に抜かれた格好だ。

 今回のニュースで感じるのは「タイミング」ということである。韓国は11月29日に人工衛星「羅老(ナロ)」の打ち上げを中断した。その直後、北朝鮮は今月12月1日に、人工衛星「光明星3号」の2号機を搭載した銀河3号ロケットを12月10日から22日までの間に打ち上げると発表した。今年4月13日に同型ロケットの打ち上げ失敗しているので、今回の打ち上げは失敗の原因を分析し、性能を向上させた上での満を持した再チャレンジとも推測できる。発射時期のこのタイミングは単なる偶然か。

 韓国の「中断」、北朝鮮の「成功」で、政権を世襲した金正恩第一書記は今ごろ優越感に浸っているだろう。今年を「強盛国家」建設の年と位置づけているので、その求心力を高めることにも成功したことになる。

 それにしても、北朝鮮は今月10日、1段目のエンジン制御システムに技術的欠陥が見つかったとして、発射予告期間を29日まで1週間延長すると発表していた。その舌の根も乾かない2日後の短期間で発射できたのか。発射にまつわる情報操作だったのか、なぜそのようなことをしなければならなかったのか、など次々と疑問が浮かぶ。

 今回の北朝鮮の打ち上げ成功で、アメリカ本土にまで到達する大陸間弾道ミサイル(ICBM)の完成に一歩近づいたとも言われ、世界の新たな脅威がまた一つ増えたことになる。そして、「衛星」については「実質的な衛星の役割をできない非常に初歩的な水準」とも指摘されている。つまり、スペースデブリがまた一つ増えたことになる。

⇒13日(木)朝・金沢の天気   はれ

☆過剰適合の悲劇

☆過剰適合の悲劇

 「過剰適合の悲劇」は、文明評論家でもある月尾嘉雄氏の講演(2012年7月6日・金沢市)で耳にした言葉だ。南米大陸に棲息するヤリハシハチドリは体長10cm、クチバシも10cmあるアンバランスな恰好をした鳥。これはトケイソウという細長い花弁からミツを吸引するのに最適の形状になっている。つまり、トケイソウのミツをヤリハシハチドリが独占でき、トケイソウも受粉できる共生関係にある。逆に、火山の噴火や気候変動などでトケイソウが絶滅すればヤリハシハチドリも消滅する共倒れの関係でもある。

 この過剰適合の悲劇は実際に日本の社会のあちこちで起きている。人種も言語も多様ではない、この国の社会は画一性を生み、工業化社会では断トツのチカラを発揮した。しかし、多様性が発揮される情報化社会では出遅れてしまった。その代表例が「民主主義と選挙」の関係ではないかと考える。

 選挙運動の公平さを保つため、選挙ポスター、選挙チラシ、選挙看板、選挙看板立札、選挙ちょうちんなど細かな規制をつくった。公職選挙法は、選挙期間中に指定している枚数のビラなど以外の文書図画を配ることを禁じている。候補者1504人、現憲法下で最多となった今回の選挙は、それだけ原発政策、消費税増税などの経済政策、憲法観などをめぐって多様な争点がある。ところが、公示後、候補者は情報発信することを一斉に止めてしまった。ホームページやブログ、ツイッターなどは指定外の文書図画とみなされ、公示後の更新などは公選法にふれるおそれがあるのだ。つまり、多様な争点がありながらも、公選法違反の疑いありとして候補者が有権者と直接コミュニケーションを取ることをネット上では止めざるを得ないのである。

 この国の行方を左右する大事な総選挙での、ネット上の沈黙は何だろう。候補者ではないので実名をあげるが、橋下徹氏(大阪市長)の言葉が印象的だ。「今のネット空間の重要性を考えたら、こんな公選法なんてバカげたルールは政治家が一喝して変えなきゃいけない。こんな状況を変えられない今までの政治家に何を期待するんですか。もしかすると僕は選挙後に逮捕されるかもしれません。その時は皆さん助けて下さい。公選法に抵触するおそれがあるとかいろんなこと言われてました。僕はそれはないと思うんですけどね」(9日、東京・秋葉原での街頭演説で)=朝日新聞ホームページ(12月10日付)
 
 冒頭の話に戻る。選挙の公平さを期する余り、息苦しい選挙になっている。これでは情報化社会はおろか、議会制民主主義の共倒れになりはしないか。日本社会の過剰適合の悲劇はまだまだある。

⇒10日(月)朝・金沢の天気  ゆき

★メディアの選挙モード

★メディアの選挙モード

きょう4日、衆院総選挙の公示された。この日をもって、テレビや新聞の報道は選挙モードに切り替わる。たとえば、候補者はすべて同じ扱い、たとえば新聞では取り上げる行数、テレビでは音声の取り切り秒数など同じだ。A候補が20秒で、B候補が30秒ということはない。こうした平等扱いをもって「政治的な公平」と称している。

 では、なぜそうしなけらばならないのか。これは法律で決められている。「新聞紙(これに類する通信類を含む)又は雑誌が、選挙に関し、報道及び評論を掲載する自由を妨げるものではない。但し、虚偽の事項を記載し又は事実を歪曲して記載する等表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない」(公選法第148条)

「放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。1.公安及び善良な風俗を害しないこと。2.政治的に公平であること。3.報道は事実をまげないですること。4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」(放送法第4条)

 私がテレビ局に在籍していたころの経験だ。「神の国」発言で森喜朗内閣が解散して行われた第42回総選挙(2000年6月25日)のときだったと記憶している。公示の日、候補者の第一声で12秒ほどの取り切りを使った。ところが、ある党の選挙事務所から「おたくのテレビは扱いが平等ではない」とクレームがついた。調べてみると、その党の候補者は10秒だった。昼のニュースだったので、時間がなかったのと、ちょうど10秒で切れがよかったのでそのまま放送したのだった。意図的ではなかった。選挙事務所では録画してチェックしていたのである。率直に詫びて、夕方のニュースでは12秒にした。話の内容ではなく、公平な扱いにこだわるというのが選挙期間のシビアのところではある。

 とくに今回の選挙は多党乱立。困っているのはテレビ局だ。比例代表には12党が届け出ている。2日に放送されたNHK「日曜討論」は壮観だった。この日は11党の幹部が勢ぞろいしていた。司会者が「1回の発言は1分以内」と念押ししていた。全員が発言を終えたときには、放送開始から20分経過していた。番組として争点や論点を戦わせるというより、「なるべく公平に話してもらう」という司会者の気遣いが目立った。こうなると番組の体をなさないため、とくに民放テレビ局は選挙期間中はニュース番組でも選挙ネタをなるべく避け、経済や環境といったテーマにシフトさせる。

 「テレビ選挙」といわれるアメリカでもかつて、フェアネスドクトリン(Fairness Doctrine)があり、番組の内容を政治的公平にしなければならないとされていた。ところが、ケーブルテレビなどマルチメディアの発達で言論の多様性こそ確保されなければならないとの流れになる。1987年にこのフェアネスドクトリンは撤廃された。つまり、フェアネスドクトリンは、チャンネル数が少なかった時代のもので、多チャンネル時代にはそぐわないという考えだった。

 日本の場合、全国紙の系列であるテレビキー局が固定され、一長一短はあるが多チャンネル化とはいまだにほど遠い。

⇒4日(火)夜・金沢の天気  くもり

☆米国からのメッセージ

☆米国からのメッセージ

 今回の総選挙をアメリカ側の眼から考えると、国内の選挙情勢とまったく違って見える。先月29日、アメリカ議会上院が、沖縄県の尖閣諸島について、アメリカの日本防衛義務を定めた日米安全保障条約の適用対象であることを明記した国防権限法の修正案を可決した。全会一致で可決された、この国防権限法の修正案は「アメリカは、尖閣諸島の最終的な主権に特定の立場はとらないが、日本の施政権下にあることを認識している」と指摘し、日米安保条約第5条のもと、「日本の施政権下にある領土に対する武力行使は、日米両国の平和と安全にとって危険であることを認識する」と明記している。中国を牽制した内容だった。上記は、日本のメディアが報じた。

 これより2月余り前の9月21日、アメリカのワシントン・ポストは、尖閣諸島をめぐる中国との対立などを背景に、日本が「緩やかだが、かなりの右傾化」を始めていると指摘、周辺地域での行動は「第2次大戦後、最も対決的」になっていると1面で伝えた。日本のメディアが報じたこのニュースの内容を読むと、同紙は、日本の政治家が与野党問わず集団的自衛権の行使容認を主張するようになり、憲法改正論が高まっていると分析し、与那国島への陸上自衛隊配備計画などを挙げ、自衛隊にも「より強力な役割」が与えられつつあるとの見方を示したという。

 上記の2つの記事を読むと、こう解釈できる。ワシントン・ポストなどアメリカのメディアには、尖閣諸島をめぐる中国との対立をきっかけに、日本のナショナリズム(右傾化)が増大しているという見方が広がっている。とくに、憲法改正論など高まると、アメリカとの軋轢も生じかねない。それを危惧したアメリカ議会上院では、中国を牽制し、日米両国の平和と安全を強調することで、総選挙で過熱するかもしれない日本の右傾化を冷まそうと国防権限法の修正案可決を急いだ、と。

 我々日本人とすると複雑な思いだ。尖閣諸島や竹島をめぐって緊張を高めるつもりはない。そもそも、いずれの問題も「日本から始めたものではない」からだ。所有権の移転をあえて政治問題化し、暴徒化を煽ったのは日本ではない。日本人は、国際法を尊重して平和的に対処することを願っているだけだ。それを日本のナショナリズム(右傾化)だとアメリカのメディアに騒がれても困る。

 アメリカ側から見れば、「脱原発」や「消費税増税」はあまり関心ないのかもしれない。むしろ、極東アジアの安定に貢献できるリーダーは誰なのか、だろう。すると、消去法でだいたい決まってくる。国防権限法の修正案可決は、アメリカ側からの政治的なメッセージなのかもしれない。

⇒2日(日)夜・金沢の天気  あめ

★続・総選挙の新「第3極」

★続・総選挙の新「第3極」

 昨日のブログ「総選挙の新『第3極』」の続き。滋賀県の嘉田由紀子知事が27日午後に大津市で記者会見し、衆院総選挙に向けて、「卒原発」を基本政策に掲げた新党「日本未来の党」の結成を発表した。これに呼応し、「国民の生活が第一」の小沢一郎代表は合流を表明し、当日「生活」を解党した。新「第3局」が一気に創られた。

 昨夜のテレビ報道を見ていると、脱原発世論の高まりを背景に「今のままだと選ぶ政党がない」「党、または個人で手を挙げてくれる人に『この指止まれ』方式で呼びかけたい」と新党設立を理由を説明した。その、基本的な政策は「全原発廃炉の道筋をつくる『卒原発』」「消費税を増税する前に徹底的した行政の無駄を排除する『脱増税』「地域中心の行政を実現する『脱官僚』」を柱とすると述べた。ただ、嘉田氏自身は代表を務めるが総選挙には立候補せず、知事は続投する。あくまでも関西1200万人の水がめである琵琶湖の「守護人」との立場を崩さない。

 面白いのは、代表代行に飯田哲也氏が就いたことだ。飯田氏は、もともと日本維新の会代表代行の橋下徹氏(大阪市長)の脱原発ブレーンで「環境エネルギー政策研究所」所長である。橋下氏は石原慎太郎氏の「太陽の党」との合流の折に「脱原発」方針を後退させている。つまり、脱原発の橋下支持派を分断する。おそらくこの一連のシナリオを描いたであろう小沢氏は、脱原発をテコにして「橋下崩し」の一手を打った。

 さらに面白いのは、記者会見で嘉田氏は「国民の生活が第一の小沢一郎代表が、連携する気持ちをお持ちならば、方向性としてはありうる」との表現で連携を呼び掛けたことだ。この表現は実に計算されている。嘉田氏を知る誰しもが抱く疑念はおそらく、「嘉田さんは、海千山千の小沢さんと本当にうまくやっていけるの…」という点だろう。だから、嘉田氏はラブコールの姿勢ではなく、ちょっと突き放した表現「よかったらどうぞ」で、あくまでも主導権は嘉田氏が執るとのスタンスを崩さなかったのだろう。

 この呼びかけを受けて、「国民の生活が第一」はこの日の夕方、常任幹事会を開き、解党を決めた。小沢氏は「『未来の党』と合流し、いっしょに選挙を戦う」と記者たちに表明した。小沢氏は、前衆院議員だけで50人の勢力を有する党を4ヵ月余りで惜しみなく解党し、これまで誰も予想だにしなかった嘉田氏という新しい党の顔を獲得した。平成5年(1993年)の衆院総選挙で、自民党を離党した羽田孜氏が結成した新生党、同じく武村正義氏の新党さきがけ、前熊本県知事の細川護煕氏が結成した日本新党の3新党が計100議席余りを獲得し、第3局を創り出し、そこをバネに細川政権の樹立へと動いた当時と様相が似てきた。これが、小沢流の政治のダイナミズムなのだろう。 

 さらに「減税日本・反TPP・脱原発を実現する党」の河村たかし氏(名古屋市長)も合流する。「みどりの風」や、社民党の離党者、阿部知子氏らもこの日に参加を表明した。「女性の顔」と「脱原発」は日本を変えるか、小沢氏は次なる勝負に出た。

⇒28日(水)朝・金沢の天気   はれ

☆総選挙の新「第3極」

☆総選挙の新「第3極」

 今朝7時35分ごろ、金沢市内の平野部で霰(あられ)が降った=写真=。自宅近くでも1分間ほど降り、登校の子どもたちが騒ぎながら小走りで学校へと急いだ。きょうの朝刊も騒がしい。「卒原発」を掲げる滋賀県の嘉田由紀子知事が、新党結成に動き出したことでもちきりだ。きょう27日午後、記者会見するという。

 各紙を読むと、「国民の生活が第一」の小沢一郎代表らとの連携を模索しており、脱原発を旗印とした「第3極」勢力の結集につながる可能性がある、と書かれている。仕掛け人は小沢氏だろう。ここで「小沢構想」を深読みすれば、2つのことが浮かぶ。1つ目は、第2次新党ブームともいうべきトレンドだ。

 平成5年(1993年)7月18日に実施された衆院総選挙で、自民党を離党した羽田孜氏が結成した新生党、同じく武村正義氏の新党さきがけ、前熊本県知事の細川護煕氏が前年に結成した日本新党の3新党が計100議席余りを獲得し、第3局を創りだした。それまでは、社会党が「土井たか子ブーム」を巻き起こしていたが、新党ブームに押されて議席数を半減(70席)させた。理念や政策、政治手法が異なった8つの党・会派をまとめるために、政界再編・新党運動の先駆者として国民的に人気の高かった細川氏を担ぎ上げて新政権を樹立したのは、新生党代表幹事だった小沢氏の功績だった。今回の選挙では、「安部」「石原」「橋下」の男の顔は見えるが、女性の顔が見えない、さらに狼煙が上がっている脱原発の顔が政治の舞台で見えない。そこで、政局のトレンドを読むことに長けた小沢氏は「新たな女性の代表」「脱原発」のシンボルとして嘉田知事を担ぎ上げようとしているのだろう。

 小沢構想の2つ目は「橋下崩し」だろう。嘉田氏は昨日の会見で、日本維新の会の橋下徹氏について、「太陽の党と合流して、私も『(卒原発の)仲間を失った』と述べさせていただいた」と、すでに連携できない関係にあることも強調している。嘉田氏は「関西の水」の守護者でもある。若狭の大飯原発で大事故が起これば、 関西1200万人の「水がめ」である琵琶湖は汚染され甚大な被害をもたらす、というのが嘉田氏の「卒原発」の柱だ。選挙戦でここを強調すれば関西の有権者は「嘉田新党」になびく、つまり勢いに乗じる維新の会を分断できると考えているのだろう。

 ある意味で、「小沢構想」は一義的に「脱原発」という争点のテーマを浮き上がらせた、つまり有権者に明確な選択肢を与えたことになる。月並みな言葉だが、新「第3極」は有権者の間で漂っていたもやもや感を随分すっきりさせてくれた。午後の記者会見が注目される。

⇒27日(火)朝・金沢の天気  あめ・あられ

★福沢諭吉の「独立自尊」

★福沢諭吉の「独立自尊」

 大分県中津市の耶馬渓の「青の洞門」に立ち寄り、同市内の福沢諭吉の旧居と記念館を訪れた。豪邸ではなく、簡素な平屋建ての家屋だ。福沢諭吉は天保5年(1835)に、大阪・堂島の中津藩倉屋敷で生まれた。堂島の生地は現在、同市福島区福島1丁目にあたり、朝日放送(ABC)の本社ビルが建っている。父の百助は堂島の商人を相手に勘定方の仕事をしていた。翌天保6年、父の死去にともない中津に帰藩することになる。中津の実家には長崎に遊学する19歳ごろまで過ごしたと言われる。長崎に出て蘭学を学び、さらに翌年大阪で緒方洪庵の適塾に入る。安政5年(1858年)、江戸に出て、万延元年(1860)には咸臨丸の艦長となる軍艦奉行の従者として、初めてアメリカ行きのチャンスに恵まれることになる。25歳だった。

 中津の旧居近くの駐車場に立て看板があった=写真=。団体名に「北部校区青少年健全育成協議会」とあるので、青少年に向けた啓発看板。これに福沢の文が引用されていた。「願くは我旧里中津の士民も 今より活眼を開て先ず洋学に従事し 自から労して自から食い 人の自由を妨げずして我自由を達し、修徳開智 鄙吝(ひりん)の心を却掃し、家内安全天下富強の趣意を了解せらるべし 人誰か故郷を思わざらん 誰か旧人の幸福を祈ざる者あらん」(明治三年十一月二十七 旧宅敗窓の下に記 「中津留別之書」)。明治3年(1870)、中津にいた母を東京に迎えるため一時帰郷した福沢が旧居を出る際に郷里の人々に残したメッセージだ。「敗窓の下」とあるので、家屋も壊れていたのであろう。

 この文をしたためた「明治3年」は、渡米と渡欧の3度外航で見聞したことを紹介した『西洋事情』を完成させた年である。内容は政治、税制度、国債、紙幣、会社、外交、軍事、科学技術、学校、新聞、文庫、病院、博物館などにおよび、法の下で自由が保障され、学校で人材を教育し、安定的な政治の下で産業を営み、病院で貧民を救済することなどを論じた。ちなみに、「『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言えり」と、冒頭でアメリカ合衆国の独立宣言を引用して書かれた『学問のすゝめ』はこの2年後の明治5年(1972)に初版が出版された。

 「中津留別之書」は『学問のすゝめ』の思想のベースとも言われる。そのメッセージで心が揺さぶられるのは、「自から労して自から食い 人の自由を妨げずして我自由を達し」の箇所だ。その後の福沢を人生を突き動かす「独立自尊」の強烈なメッセージが読み取れる。ここで考えたのは、これは誰に発したメッセージなのだろうか、ということだ。翌明治4年に福沢は、新政府に仕えるようにとの命令を辞退し、東京・三田に慶応義塾を移して、経済学を主に塾生の教育に励む。その年、廃藩置県で大勢の武士たちが職を失い、落ちぶれていった。武士が自活できるように、新たな時代の教育を受ける学校が必要なことを福沢は痛感していたに違いない。「中津留別之書」はその強い筆力とメッセージ性から、武士たちに新たな世を生き抜けと発した檄文ではなかったのだろうか、と。では、なぜそのようなメッセージを武士に発したのか。武士たちが怨念を募らせて刀や鉄砲を手にすることで再び混乱の世に戻り、「自由が妨げられる」と危惧したのではないか。

 「中津留別之書」から30年後、福沢は慶応義塾の道徳綱領を明治33年(1900)に創り、その中で「心身の独立を全うし自から其身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云う」(第2条)と盛り込み、「独立自尊」を建学の基本に据えた(「慶応義塾」ホームページより)。翌明治34年(1901)2月、福沢は66歳で逝去する。武士が新たな世を生き抜く「人生モデル」を自ら示したのだった。法名は「大観院独立自尊居士」である。

⇒26日(月)朝・金沢の天気  あめ

☆福沢諭吉と「トラスト」

☆福沢諭吉と「トラスト」

 先月(10月)の連休を利用して九州・大分と阿蘇を訪れた。別府から湯布院に入り、ここで2泊して、阿蘇、そして耶馬渓(やばいけい)、中津市の福沢諭吉旧居など巡った。溶岩台地の浸食によってできた奇岩の連なる耶馬渓の絶景で、足を止めたのが「青の洞門」=写真・上=だった。

 断崖絶壁の難所に342㍍の隧道を掘り抜かれたのは寛延年間(1750年代)。観光案内の立札の説明によると、諸国遍歴の途中に立ち寄った禅海和尚がこの難所で通行人が命を落とすのを見て、托鉢勧進によって資金を集め、石工たちを雇ってノミと槌だけで30年かけてトンネルを完成させたと伝えられている。能登半島にも同じような逸話がある。かつて「能登の親不知」と言われた輪島市曽々木海岸の絶壁に、禅僧の麒山和尚が安永年間(1772-1780)前後に13年かけて隧道を完成させた。いまでも、地元の人たちは麒山祭を営み、遺徳をしのんでいる。

 禅海和尚の「青の洞門」は、大正8年(1919)に発表された菊池寛の短編小説『恩讐の彼方に』で一躍有名になった。麒山和尚の能登の隧道も、菊田一夫作のNHK連続ドラマでヒットし、昭和32年(1957)公開された東宝映画『忘却の花びら』のロケ地となった。主人公(小泉博)とヒロイン(司葉子)による洞窟でのキスシンーンが有名となり、「接吻トンネル」と呼ばれ、能登半島の観光ブームの火付け役となった。本来なら話はここで終わりだが、「青の洞門」の場合、ここに福沢諭吉が絡んでさらに話が膨らむ。

 「青の洞門」の上には「大黒岩」や「恵比須岩」といった8つの奇岩が寄り添い、競い合うように連なる「競秀峰(きょうしゅうほう)」=写真・下=と呼ばれる山がある。江戸時代からの名所で、中津藩の名勝でもあった。明治27年(1894)年2月、福沢諭吉は息子2人(長男、次男)を連れて、20年ぶりに墓参のため中津に帰郷した。当時の福沢は、私塾だった慶應義塾に大学部を発足させ、文学、理財、法律の3科を置き、ハーバード大学から教員を招くなど着々と大学としての体裁を整えていた。また、明治15年(1882)に創刊した日刊紙『時事新報』は経済や外交を重視する紙面づくりが定評を得ていた。

 墓参りに帰郷した福沢は耶馬溪を散策した。ここで、競秀峰付近の山地が売りに出されていることを耳にするのである。この絶景が心ない者の手に落ち、樹木が伐採されて景観が失われてしまうことを案じた福沢は、山地の購入を思い立つ。自分の名を表に出さず、旧中津藩の同僚で義兄にあたる人物の名義で目立たないように3年がかりで購入を進め、1.3㌶を買収する。知人に宛てた書簡で、福沢は「此方にては之を得て一銭の利する所も無之」(明治27年4月4日付、曽木円治宛書簡)=慶応義塾大学出版会ホームページより=と、私欲が一切ないことを強調している。

 その後、その土地は明治33年、福沢の意志を継ぐため、耶馬溪に同行した福沢の次男名義に移された。福沢は翌年の明治34年没する。昭和に入り、一帯の土地が景観保護の対象となる風致林に指定され、行政の目の行き届くところとなった。ここで福沢の目的は達成され、昭和3年(1928)に地元の人に譲渡された=同ホームページより=。優れた景観を守るために、私財をもってその土地を購入するという福沢の行動は、自然や景観保全のためのナショナルトラスト運動の日本の先駆けとして評価されよう。

 これは想像だが、禅海和尚がこの難所で通行人が命を落とすのを見て30年かがりで隧道をつくった物語を、福沢は息子たちに語って聞かせたはずである。「そのことを想えば、なんのこれしき」と、20歳そこそこの息子たちに「いい恰好」を見せたのかもしれない…。

⇒25日(日)午前・金沢の天気   はれ

★壮大な「水の話」

★壮大な「水の話」

 地球上の水の97.5%は海などの塩水が占める。それが、太陽エネルギーによって塩分を含まない水蒸気となって蒸発し、水蒸気は上空で凝結して雲となり、やがて雨や雪となって降り注ぐ。そのほぼ90%は直接海上に降るが、残りは地上に降りる。地上に落下した水の65%は蒸発して大気中に戻りるが、一部は地表面を流れて河川に注ぎ、あるいは地中に浸透して地下水となり、地中を流れて河川や湖沼に行く。動植物はその水を吸収し生命を維持するが、やがて生命が尽きると水分は蒸発し、また海に戻る。

 46億年以前に地球が誕生して以来、水は循環しているのだ。「したがって、数億年前に恐竜の血液であった水分が現在の河川の水流になったり、昨夜の夕食のスープの材料になっていることも十分にありえます」と筆者、月尾嘉男氏は考えた。おそらく趣味のカヤックをこぎながら海を眺め、そう発想したに違いない。著書『水の話』(遊行社)は水にまつわる時空を超えた壮大な話である。

 今月16日、石川県小松市で月尾氏の講演があった=写真・下=。演題は「21世紀の水問題と環境共生」。バーチャル・ウォーター(virtual water、仮想淡水)の問題に興味があったので、月尾氏の考えを聞くことができるかもしれないと期待し、ついでにその場で著書も購入した。バーチャル・ウォーターは、農産物や畜産物の生産に要した淡水の量を、その輸出入に伴って売買されていると仮定したもの。たとえば、小麦1㌧を輸入する場合はそれを育てるのに要した2000㌧もの水、牛肉1㌧の場合は2万㌧近い水がそのバックヤードには使われている。日本が輸入している農産・畜産物の主な8品目(コメ、大麦、小麦、トウモロコシ、大豆、牛肉、豚肉、鶏肉)だけでも年間860億㌧の水を輸入している計算になる。これは国内で使用している淡水の840億㌧とほぼ同量と、筆者は指摘する。

 冒頭で述べたように、もともと淡水という資源は限られ、人口が増えるにつれ、源流から河口までに複数の国を流れる「国際河川」では紛争が起きやすい。インドシナ半島を流れる大河メコンは、中国南部のチベット高原を源流とし、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムを通過する。中国が最近巨大なダムの建設を開始している、という。中国側は水力発電をするだけで、水はそのまま下流に放水するとから影響はないと言っているが、「下流の国々は疑心暗鬼です」(筆者)と。

 紛争とは別の水をめぐる問題が世界で起きている。「淡水は権利か、商品か」という問題。権利であるならば、自治体や国が責任を持って国民に供給する義務がある。ところが、流れは商品化になっている。日本の家庭でも、水道水ではなくミネラルウォーターを飲むようになった。500㍉㍑のペットボトルが年間で50億本も売れている。1人40本の計算だ。ところが、イタリアは日本の9倍、フランスは6倍、アメリカは5倍、イギリスは2倍も消費している。その背景には、欧米では「ウォーター・バロン(淡水男爵)」と揶揄される巨大企業が淡水を牛耳っている。世界のミネラルウォーターの市場の31%をフランスのヴィヴェンディが、2位もフランスのオンデオが30%、3位ドイツのRWE16%と寡占状態になっている。民間企業による水道事業の比率もイギリス90%、フランス75%など。ともすれば値上げにさらされやすい。さらに、最近は「ウォーター・ハンター」と呼ばれる、新たな水源を発見して取水、利水の権利を購入する新手のビジネスが横行している。

 月尾氏の水の話は淡水、真水にとどまらずに、運河や海水、海底に眠るメタンハイドレードなどの天然ガス資源にまでどんどんと展開して、まるで海原のような壮大な広がりとなる。「水と安全はタダ」という雰囲気に慣れきった日本人が今発想を変えないと、地域の再生はおろか、日本の再生も危ういと「ミズの視点」から警鐘を鳴らす。

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