☆七種粥の誤解

☆七種粥の誤解

  2月6日付「唐土の鳥」の続き。金沢市の料亭「大友楼」の主人・大友佐俊さんが加賀藩ゆかりの行事「七種(ななくさ)粥」を実演した。古い料亭の土間での行事なので、周囲の薄暗さが、時代が江戸か明治にタイムスリップしたような感じになった。

  大友さんによると、室町期に書かれ、元旦から大晦日までの宮中行事100余を記した『公事根源』に、「延喜11年(911)」の年に「後院より七種を供す」と記述があり、当時すでに宮中で唐土(中国大陸)からの厄病を運ぶ鳥の退散を期する七草の行事が行われていたようだ。この季節の風習は行事は、徳川期に入っても「若菜節句」と称して幕府の年中行事に取り入れられ、諸大名が将軍家へ登城してお祝いを述べ、将軍以下全員が「七種の粥」を食したようだ。次第に諸大名から武家へ、商家へ、庶民へと広まった。ただ、現在では「七種の粥」が一般の家庭で行われている話は見たことも聞いたこともない。食糧自給や予防医学の発展で、人々の健康体が保てるようになったからかもしれない。あるいは、「唐土の鳥」という迷信の正体が黄砂ではないのかと知れ渡るようになったからではないか、とも推察している。

  ところで、大友楼での「七種の粥」の実演を見せてもらい、後刻、その粥を食した。この粥がなんとも言えない「絶品」なのである。粥の味付け、米のふっくら感、七草の刻みと歯触りが何とも言えず上品で旨い。そして、粥というものに対する偏見、あるいは誤解が吹き飛んだ。今回初めて「粥は料理だ」と気がついた。

  その粥を、大友楼では輪島塗のさじ(スプーン)で食する。輪島塗が唇と舌に触れるときの滑らかか触りはこれ自体が味になっているから不思議だ。参加者が絶賛する。「お粥さんと輪島塗がこんなに合うとは…」と。かつて、こんな話を聞いたことがある。赤ちゃんが食事をミルクから離乳食へ切り替える際のエピソードで、金属製のスプーンではどうしても受け付けなかったが、輪島塗の小さなスプーンを使用したら赤ちゃんが受け入れてくれたというのである。その赤ちゃんの気持ちが分かるくらいに、粥とマッチしているのである。料理と食器のまさにアリアージュ(適合)ということか。

  これまで何度も粥を食した。小さいころ、腹痛を起こした時で、母親に食べさせてもらった記憶がある。長じて、宴席の締めで粥を食したこともある。粥は胃袋にやさしい、補助食というイメージが強かった。この偏見、ないし誤解が粥というものを「あれば料理ではない」と脳裏にすりこんでしまったのだろう。自身の人生で初めて、お粥というものの本来の料理としての「食い初め」となった。少々大袈裟か…。

※写真は、大友楼の七種粥と輪島塗のさじ

⇒9日(土)朝・金沢の天気   ゆき

★鯛の唐蒸しの誤解

★鯛の唐蒸しの誤解

  金沢では、郷土の伝統料理のことを「じわもん」と呼ぶ。治部煮(じぶに)は結構有名でお手軽料理かもしれない。そぎ切りにした鴨肉を小麦粉をまぶし、だし汁に醤油、砂糖、みりん、酒をあわせたもので鴨肉、麩(金沢の「すだれ麩」)、しいたけ、青菜(せりなど)を煮て煮物碗に盛る。肉にまぶした粉がうまみを閉じ込め濃厚な味にある。これまでじわもんを結構味わったつもりだったが、誤解もあった。

 前々回に紹介した金沢の料亭「大友楼」でいただいた「鯛の唐蒸し(たいのからむし)」=写真=が誤解の一つだった。二匹の鯛の腹に卯の花(おから)を詰めて大皿に並べたもの。婚礼に際して供される料理。、「にらみ鯛」や「鶴亀鯛」と呼ばれることもある。嫁入り道具とともに花嫁が持参する鯛を、婿側が調理して招待客にふるまうのがならわしである。子宝に恵まれるように、銀杏・百合根・麻の実・きくらげ・人参・蓮根などを入れた卯の花を鯛の腹一杯に詰め、雌雄二匹の鯛を腹合せにして並べる。これまで、知人や同僚の婚礼の披露宴に出席して、何度か口にした。が、正直見栄えだけ豪華でおいしくない料理との印象が残っていた。それが誤解だった。

 大友楼で、食事を運ぶ仲居さんからこう説明された。「おからを召し上がってくださいね。タイよりおからがおいしいのですよ」と。その通りにした。なんと、あのおからが芳醇な香りと旨味のする、まるで鱈子の煮つけのように味わい深い。そして、麻の実がほどよい歯触りのアクセントになっているのだ。そして、鯛の身はというとこれまで味わってきた味気のない、脂の抜けた身なのである。つまり、蒸す過程で鯛の肉の旨味がおからに吸収されているような感じだ。

 婚礼料理と聞いていたので、「めでたい」鯛が主役だと思って、これまでおからには手を付けなかった。つまり、パサパサの鯛の身ばかり食べていた。おからは鯛を膨らませ、大きく見せる「演出」だと思っていたのである。知らなかった。見栄えは鯛、味はおからなのである。くだんの仲居さんは「そのような方は土地(金沢)の方でも多いですよ」と。主役は鯛だと勘違いして、鯛の身ばかりをつまんでしまう。どちらかというと男性の客に多いそうだ。

 ところで、「唐蒸し」の由来だが、「おから蒸し」がいつの間にか「から蒸し」となった説、また、長崎を訪れた加賀藩の留学生が中国料理風の鯛のけんちん蒸しの調理法を持ち帰ったことが「唐蒸し」となったとする説などいくつかある。

⇒8日(金)昼・珠洲市の天気     ゆき

☆匿名と実名の間

☆匿名と実名の間

  日本のマスメディア(新聞やテレビ)の報道には「夜討ち」「朝駆け」という言葉がある。事件の取材や政治のネタを扱う場合、ネタを取るのにもスピード感が必要で、相手方(ライバル紙)に先んじればスクープとなり、同着ならばデスクにしかられることはない。先を越されれば、「抜かれた」と叱責をくらう。警察取材(サツ回り)の新人には、「夜討ち」「朝駆け」は記者教育の基本として教えられる。

  これはニュースにおけるスクープやスピードだけのことなのだろうか。先日、現役の新聞記者と話す機会があり、話題になった。記者によると、「夜討ち・朝駆けという取材手法があるのは世界で日本と韓国だけらしい」と。続けて、「複数の記者たちを前に事件が経緯や概要を発表するのはある意味で建て前だ。ただ、捜査の経緯の中で隠されたことや、謎の部分で公表したくてもできない場合がある、つまりその本音を聞きたい」と。

  面白いのはそれが日本と韓国だけらしい、という点だ。確かに、両国とも本音と建て前の精神性がある。かしこまっての公の場ではなかなか本音が出ない。ならば、裏の非公式な場でその本音の話を聞こうとなる。ただ、本音の話を聞き出せても、実名はなかなか書けない。そこで、「警察幹部によると」などの書き出しで始まることになる。匿名である。

  これが政治の世界の取材となると、「オンレコ」と「オフレコ」になる。オン・レコードはメモ取り、オフレコはオフ・レコードはメモ取りなし。オンレコは記者会見といった実名で発言内容がニュースになることが多い。オフレコは一応記事にしないことを前提とした取材を指す。情報のニュースが高く記事にする場合は、オフレコの発言者を「与党幹部」や「政府筋」といった匿名の表現にとどめる。発言内容も一切報道しない完全オフレコという場合もある。

  では、読者の方が「なぜ匿名だ、実名にしないのか」と訴えたことがあるか。未聞である。むしろ、個人情報保護に関する過剰反応によって、社会の匿名化が進んでいる。学校の名簿から先生の住所、電話番号が削除されたり、町内会が災害に備えて1人暮らしの高齢者の名簿をつくろうとしても個人情報保護の壁に阻まれてできなかったりした例などいくらでもある。

  新聞社やテレビ局などでつくる日本新聞協会は、こうした行政などの「匿名発表」は容易に拡大し、やがて意図的,組織的な隠ぺい、ねつ造に発展するおそれがあると警告している。「実名発表」は「事実の核心」であり、実名があれば「発表する側はいい加減な発表や意図的な情報操作はできなくなる」として、読者や視聴者の「知る権利」に応えるために「実名発表」が必要だと主張している。が、肝心の新聞やテレビが上記で述べたように、取材元を匿名化しているので、なかなか説得力を持たない。

  ましてや、先月起きたアルジェリアで起きた人質事件で、日本政府は当初、事件に巻き込まれた大手プラントメーカー「日揮」の意向に配慮し、被害者の氏名を明らかにしなかった。日揮の意向とは、被害者遺族へのメディアスクラム(集団的過熱取材)を案じてのことだ。

  匿名を一律に否定している訳ではない。メディアの取材源の秘匿は言うまでもない。ただ、安易に匿名化することに日本の新聞やテレビは慣れきっている気がしてならない。テレビでも、映像にホカシや音声を変えているケースが多々ある。「実名が取材のスタート」であろう。新聞やテレビがこの「実名改革」を推し進めない限り、信頼が増々失われるのではいないか。最近そんなことを思っている。

⇒7日(木)夜・金沢の天気     風雨

★「唐土の鳥」

★「唐土の鳥」

 あす7日は旧暦に1月7日、七草粥の行事が各地で行われる。先日、「シニア短期留学in金沢」というスタディ・ツアーに同行し、金沢市の大友楼という老舗料亭で行われた加賀藩ゆかりの行事「七種(ななくさ)粥」を見学した。

 七草は、大友楼ではセリ(野ぜり)、ナズナ(バチグサ、ペンペン草)、五行=御行(ハハコグサ)、ハコベラ(あきしらげ)、仏の座(オオバコ)、すず菜(蕪)、スズシロ(大根)のこと。これを台所の七つ道具でたたき=写真=、音を立てて病魔をはらう行事で、3代藩主利常の時代から明治期まで行われたという。面白いのは、たたくときの掛け声だ。「ナンナン、、七草、なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先にかち合せてボートボトノー」と。つまり、旧暦正月6日の晩から7日の朝にかけて唐の国(中国)から海を渡って日本へ悪い病気の種を抱えた鳥が飛んで来て、空から悪疫のもとを降らすというので、この鳥が我家の上に来ない様にとの願いが込められている。「平安時代からの行事とされる」と、藩主の御膳所を代々勤めた大友家の7代目の大友佐俊さんは言う。

 おそらく、病魔をもたらす「唐土の鳥」とは、黄砂のことではなかったか。現代で解釈すれば、まさに今問題となっている中国の大気汚染だ。石炭火力発電所に先進国では当たり前の脱硫装置をつけるが、中国では発電施設の増強が優先され設置が遅れている。だが、それより発電施設の増強が優先される、その結果、大都市やその周辺では、空も河川も汚染にむしばまれている。特に大気汚染が深刻なのは、北京市や河北省、山東省、天津市などで、肺がんやぜんそくなどを引き起こす微小粒子状物質「PM2・5」の大気中濃度が高まっているようだ。

 その大気汚染が偏西風に乗って日本にやってきた。金沢でも車を外に置いてくとフロントガラスがうっすらとチリが積もったようになる。「ナンナン、、七草、なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先にかち合せてボートボト」と言いたい。ちなみに、「かち合せてボートボト」と言うのは、金沢の方言で「鳥同士を鉢合わせでドンドンと落とせ」という意味だ。

⇒6日(水)朝・金沢の天気    くもり

☆メディアの信頼度

☆メディアの信頼度

  きょう(5日)のコラムの内容は、新聞やテレビでは大々的に報じられていない話だ。扱ったとしても、新聞各社はとも控えめに、紙面の片隅に掲載されていた。「メディアに関する全国世論調査(2012年)」の記事だ。公益財団法人「新聞通信調査会」が毎年行っている調査。昨年11月24日に公表された調査結果(調査は9月)によると、メディアの情報を「全面的に信頼している」場合を100 点、「普通」50 点。「全く信頼をしていない」は0 点、として点数をつけてもらったところ、平均点が最も高かったのは「NHK テレビ」で70.1 点、次いで「新聞」が68.9 点、「民放テレビ」が60.3 点となっている。新聞は初めて70点を割り込んだ。

  前年(2011)に比べNHKは4.2点、新聞3.1点、民放テレビは3.5点それぞれ下げたことになる。新聞、テレビ、ラジオ、インターネットの情報信頼度が、いずれも調査を始めた2008年以来最低となった。気になるのはメディアとしてのインターネットは53.3点取っている。ラジオは58.6点なので、その差は5点。民放テレビとも7点差だ。年代別の結果で、20代、30代ではインターネットとラジオ・テレビの差がさらに縮まる。これは、テレビ・ラジオの経営者としてはショックだろう。「信頼度がインターネットとそれほど変わらないのであれば、われわれの存在価値はどこにあるのか」などと自問せざるを得ない。

  新聞にしても然りだ。百数十年の歴史を有し、報道の王道を歩んできた新聞各社が、60年のNHKの後塵を拝している。ただ、調査項目で「情報源として欠かせない」「情報が役立つ」「情報量が多い」の3つでは、新聞がNHKや民放テレビを上回っている。

  調査では、新聞離れ、テレビ離れが進んでいることも裏付けている。新聞の朝刊や夕刊を読む人は3.9点減少の79.2%で、初めて80%を切った。朝刊を読む人は70代以上を除く全ての年代で減っている。電子新聞の利用は前年より3.6点増の5.2%の増えている。新聞離れというより「紙離れ」なのかもしれない。「インターネットニュースを見るサイトは?」の問いでは、ポータルサイトが85%、新聞社の公式サイトは26%だった。

  今回初めての調査項目として原発関連があった。「原子力発電に関する新聞の報道は?」の項目で、「政府や官公庁、電力会社が発表した情報をそのまま報道していた」の問いで「そう思う」63%を占めた。逆に、「いろいろな立場の専門家の意見を比較できた」の問いで、「そう思わない」が47.6%を占めた。読者の率直な視線だろう。新聞と原発の在り様が問われいてる。

 調査内容は30項目。調査は18歳以上の5000人を対象に実施し、3404人(68.1%)から回答があった。調査方法は訪問留置法(調査員が対象者を訪問して調査票を渡し、後日再訪して記入済みの調査票を回収)。

⇒5日(土)夜・金沢の天気   はれ

★能登の「田の神」とイフガオの「ブルル」

★能登の「田の神」とイフガオの「ブルル」

   ユネスコ無形文化遺産に登録されている「奥能登のあえのこと」は、田の神をもてなす農耕儀礼として知られている。毎年12月5日、その家の主(あるじ)は田んぼに神様を迎えに行く。あたかもそこに神がいるがごとく身振り手振りで迎え、自宅に招き入れる。お風呂に入ってもらい、座敷でご馳走でもてなす。田の神は目が不自由であるとの設定になっていて、ホスピタリティ(もてなし)が行き届く丁寧な所作が特徴だ。もてなし方は土蔵で執り行うパターンなど、その家々によって流儀が異なる。田の神に恵みに感謝し、1年の疲れを癒してもらうコンセプトは同じだ。

  昨年1月に訪れたフィリピン・ルソン島のイフガオ棚田にも田の神ブルル(Bulul)が祀られている。イフガオ族の人々に稲作を教えたのがブルルとの言い伝えがある。木彫りのブルルが田の畦(あぜ)に置かれ、米づくりをするイフガオの人々と稲の実りを見守っている。能登でもイフガオでも、稲作は神からの授かりものという概念に、モンスーンアジアにおける文化の共通性を感じる。

 能登の里山里海とイフガオ棚田はともに国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産(GIAHS)に認定されている。世界に12あるGIAHSサイトの関係者が集っての国際フォーラムがことし5月下旬、能登半島で開催される。隔年開催の同フォーラムはこれまでローマ、ブエノスアイレス、北京で開かれている。フォーラムの開催にあたっては、昨年5月、石川県の谷本正憲知事がローマにあるFAO本部にグラジアノ・ダ・シルバ事務局長を訪ね、石川県での開催を提案し、受け入れられた。いわば、国際会議のトップセールスだった。ちなみに、前回(2011年6月)のフォーラムは、FAOと中国科学アカデミーなどが共同で北京で開催した。

 GIAHS国際フォーラムの目的は、各国のGIAHSサイトが国際的なパートナーシップを確認するとともに、それぞれのサイトが有する独自の伝統的な農業システムや農業の生物多様性や文化を互いに学ぶことにある。これによって、「小規模、先住民、地域社会」の単なる遺産として忘れ去られがちな独自の伝統的な農業システムが、歴史で磨かれた人類の知識と経験を国際的に意見交換するというグローバルな意義づけを持つことになる。

 もう一つ、この国際フォーラムでは、FAOが新たなGIAHSサイトを認定する。報道によると、800年の伝統を有する静岡の茶生産の伝統農法「茶草場」の認定に向けて、掛川市など5市町がFAO日本事務所(横浜市)に申請書を提出した(2012年12月29日付・中日新聞ホームページ)。また、中国では、雲南省の「プーアル茶」産地が認定に向けて動いている(2012年9月、浙工省紹興市で開催されたGIAHS国際ワークショップで中国側発表)。日本と中国の茶どころのほか、スペインのイベリコ豚の産地も希望している(2011年6月、北京国際フォーラムでの報告)。

 伝統的な農産品ブランドがGIAHSの仲間入りを目指す能登での国際フォーラムは国内外で注目を集めそうだ。冒頭で述べた、能登の農耕儀礼「あえのこと」とイフガオ棚田のブルルをテーマに文化交流や研究が進むことで、これまでと違った視点の文化価値が生まれることにもなる。そして能登地域にとっても、フォーラムを通じた国際発信という意味ではまたとないチャンスが巡ってきたといえる。

⇒3日(木)朝・金沢の天気    ゆき

☆「孤独死」を読む

☆「孤独死」を読む

  正月早々に縁起でもない話をする。年末に読んだ新聞記事で衝撃的な見出しがあった。「『孤独死』最多 行政危機感 県内今年11月末で223人」(12月31日付・北陸中日新聞)。死後に発見され、警察が病気など事件性のない変死として取り扱った一人暮らしの高齢者(65歳以上)が石川県内で223人もいるとの統計だ。

 石川県は高齢者が子供と暮らす割合が高い方だ。厚生労働省の平成24年版「国民生活基礎調査(平成22年)」によると、「65歳以上の者の子との同居率」は全国平均42.3%に対し、県別では石川51.9%、もっとも高い山形は65.1%となる。にもかかわらず増えている、と。新聞記事を続けよう。石川県には65歳以上の高齢者が27万5千人(2011年10月現在)、うち一人暮らしは3万6千人(2010年10月現在)、高齢者夫婦のみの世帯は4万4千世帯(同)である。そうした中で、高齢者の孤独死が年々増えている。石川県警では、一人暮らしの高齢者の変死事案は2003年には126人、2010年に203人、2012年では11月末現在で223人となった。

 高齢者が子供と暮らす割合が比較的高い石川県でもこの通りだ。ましてや、東京や大阪など大都市圏ではかなりの数でお年寄りの孤独死が増えているだろうと想像する。石川県は人口比率で全国の1%だ。ここから類推すると、全国では2万2千人ほどの高齢者の孤独死があるのではないか、と。

 ただ、この記事でいくつか物足りない点がある。記事では「高齢者の孤独死」としているが、警察は年齢に関係なく「変死」として扱い、幅広い年齢別の孤独死の統計も持っているはずである。東京都監察医務院が発表した「東京都23区における孤独死の実態」のデータがある。平成17年の統計だが、孤独死の年齢と人数に男女差がある。男性の孤独死は45-49歳で100人を越え、ピークは60-64歳の404人である。65歳以上の孤立死の人数は低下する。ところが、女性の孤独死では70歳以降で100人を越え、80-84歳でピークの201人となっている。つまり、東京都と石川県で違いあるかもしれないが、男性の孤独死は60-64歳がピークなのに、記事では、「高齢者」つまり65歳以上と年齢で区切っているので、このピークの数字が記事では分からない、反映されてない。

 記事の趣旨は、石川県が昨年3月に「地域見守りネットワ-ク」を発足させ、民間事業者(新聞、郵便、電気、ガスなど)が個人宅をを訪れた折に郵便物などチェックして行政に知らせるなど、高齢者の孤立化への対応に乗り出したとの内容だ。これは提案なのだが、孤独死を高齢者(65歳以上)に限定せず、地域で孤独死が増えていることそのものを問題視して、「孤独死防止ネットワーク」として地域全体で見守る必要があるのではないだろうか。その方が社会の実態が見えてくる。

 ちなみに、平成18年の東京都23区の孤独死は老若男女合わせて3395人に上り、1日10人前後だ。ついでに、死後発見の平均日数は男性12日、女性6.5日と孤独死の男女格差も歴然とある。孤独死の理由は病死、自宅内のけがなどさまざまだが、生前の関与は難しいものがある。「人間の尊厳」として地域社会ができることは、早期に発見することではないか。孤独死には自殺、災害死、赤ちゃんの突然死などは含まれていない。

※写真は、イタリア・フイレンツェ市にあるサンタ・クローチェ教会の壁画

⇒2日(水)朝・金沢の天気  はれ

★「2013」を見渡す

★「2013」を見渡す

  元旦の朝は雪かきで始まった。水気がたっぷり含んだ重い雪で、スコップですくうと腰にずっしりくる。その後、家族で初詣に出かけた。兼六園横の金沢神社。菅原道真公を祀っていて、予備校に通う高校生とおぼしき受験生が集団でお祓いをうけていた。神社のある小立野台から市内が一望できる。これは私の癖(くせ)で、その場に立つと左から右へ水平に見渡す。風景だけでなく、たまに「時空」が重なっても見える。「2013」という年を見渡すと、何と壮観なことか。経済から外交、そして地域、職場、家庭までその「在り様」がパノラマのように広がって見える。

 経済の在り様はすさまじい光景だ。特に海外。中国のGDP成長率は、2010年には12%台、2011年に9%台、2012年には7%台となった。「世界第2」の経済力を誇ったとしても、中国の経済成長にもはや「奇跡」はない。今後、4%、3%とうまくソフトランディングすれば見事だが、経済成長に乗り遅れた人々の不満が反比例して高まる。習近平総書記が年末に河北省の貧しい農村に足を運び、脱貧困と脱腐敗を誓ったと日本のメディアでも報じられているが、裏を返せば、格差の実態はかなり厳しい状況になっているのだろう。昨年9月に尖閣諸島の領有をめぐり中国で吹き荒れた反日デモで、日系のスーパーやデパートで略奪が起き、日本車を叩き壊す光景をテレビで見てしまった我々日本人は、格差を生んだ共産党政府に不満を持ち、将来に希望が持てず、居直り暴徒化する若者たちがこの国にこれほど多いのかとも実感した。

 アメリカの有り様も異様な光景だ。減税の打ち切りと歳出カットが重なる「財政の崖」の突破の展望が見いだせない。むしろ気になるのは、この国に内在する人種問題だ。昨年11月の大統領選で、民主党のオバマ大統領が激戦州の大半を制し再選を果たした。その選挙は、「白人」対「黒人・テラィーノ」のまるで、人種的な分裂ではなかったのかと思わせるほどに支持層がくっきりと分かれた。昨年12月、コネティカット州の小学校で起きた銃乱射事件で、オバマ大統領が銃の所持規制を訴えると、共和党支持の全米ライフル協会(NRA)が、「すべての学校に、武装した警察官を配置すべきだ」と記者会見で反撃したのが印象的だった。1992年5月、黒人男性に集団で暴行した白人警察官への無罪評決がきっかけに、焼き打ちや略奪、銃撃戦へと連鎖し、60人以上ともいわれる死者を出したロサンゼルス暴動があった。この国の「人種問題の活断層」である。

 国内に視点を当てる。第二次安倍内閣は「右傾化」政権と国内外のメディアで報じられている。では、右傾化した政策を取るのかというと別の次元のように思える。かつて右翼の大統領で知られた、アメリカのニクソン大統領は1771年7月、電撃的に中国を訪問すると発表し世界を驚かせた。その流れで日本は中国との国交回復を実現したのは周知のこと。また、ニクソンは保守派が「まるでスイカ(外は緑、内は赤)」と嫌った環境保護庁を創設し、あのレーガン大統領は規制緩和や減税を大胆に進めた。安部内閣も案外、政策的には民主・野田政権時代よりもソフトではないか。外交面では協調姿勢を打ち出し、ロシアは森喜朗・元総理に、中国は高村正彦・自民副総裁に、韓国は額賀福志郎・元財務大臣に、そしてアメリカは大統領と面識がある安倍総理自身でフォローしようと手を打っている。

 ただ、経済では「モラルハザード」を案じる。銀行の株式保有の上限を定めた「5%ルール」をめぐり、金融庁が打ち出した規制緩和案。一般の事業会社への出資上限を10~15%に引き上げ、経営再建中の会社には全額出資も可能にすることが柱になっている。もともと、民主時代につくられた中小企業金融円滑化法(モラトリアム法)で、40万社に総額95兆円をばら撒きした、とされる。この融資によって数年後景気が回復して、経営が安定したときに返済してもらうというロジックだったが、1年の時限立法が2年延長され、ことし3月に期限切れとなる。倒産続出が予想されることから、金融庁が新たに「5%ルールの撤廃」を打ち出した。融資を受けている会社が返済不能の場合は、いわゆるDES(デット・エクイティ・スワップ)が行われ、「貸出」が「資本」に変わる。つまり、「債務の株式化」である。銀行の保有割合が100%になる可能もある。こうなれば、おそらく経営陣は「あとは銀行にお任せ」のモラルハザードが頻発し、銀行の「毒薬」になる可能性もある。

 地域の光景も見える。2015年春、北陸新幹線金沢開業で東京とは電車1本でつながる。年ごとに「新幹線開業」が地域の経済、政治、文化面のアイコンになっている。とくに経済はバラ色の夢を試算している。北陸経済連合会が昨年11月に出した「北陸新幹線 金沢-敦賀間の早期開業による経済効果」によると、同年時点では「金沢止まり」で北陸全体で交流人口が年2930万人見込め、新幹線が金沢から敦賀へと延伸すれば交流人口がさらに年間280万人増加する、と。

 北陸新幹線への期待は、地価調査(2012年9月)でも分かる。金沢市中心部の商業地(香林坊2丁目)は地価が5.4%上昇し、上昇率は全国の商業地の中で9位に入った。JR金沢駅周辺の商業地4地点でも地価が上がった。一方で地域間の競争も激化しそうだ。昨年10月、富山市と長野市が観光PRで協力する「集客プロモーションパートナー都市協定」を結んだ。「海の富山」と「山の長野」を互いにPRし、観光客の増加を目指す。その背景には、新幹線が当面「金沢止まり」であることを念頭に、富山と長野が途中駅として埋没しないようにとの狙いもあるようだ。

 北陸新幹線は40年ほど前に計画され、ようやく見えてきた。ただ、熱いのは北陸だけではないのか。東京など太平洋側から見れば、それほど魅力的に思えないのではないか。「何で今ごろ、新幹線は珍しくも何ともない」との声も聞こえそうだ。

※写真は、金沢神社の初詣風景。1日午前9時30分ごろ

⇒1日(火)午前・金沢の天気   ゆき
 

☆2012ミサ・ソレニムス~8

☆2012ミサ・ソレニムス~8

 きょう31日、金沢市内の商店街に買い物に出かけた。BGMは「第九」だった。おそらく日本人ほど第九が好きな民族はいない。その曲をつくった偉大な作曲家ベートーベンを産んだドイツでも、第九は国家的なイベントなどで披露される程度の頻度なのだ。それが、日本では年に160回ほど演奏されているとのデータ(クラシック音楽情報サイト「ぶらあぼ」調べ)がある。これは世界の奇観かもしれない。さらに、その奇観を鮮明にさせた人物がいる。指揮者の岩城宏之(故人)だ。世界で初めて、大晦日にベートーベンのシンフォニーを一番から九番まで一晩で指揮棒を振った人である。しかも2年連続(2004、2005年)。1932年9月生まれ、あのコーヒーのCM「違いの分かる」でも有名になった岩城宏之のことしは生誕80周年だった。

     マエストロ岩城の生誕80周年、「ベートーベンで倒れて本望」の偉業

 岩城さんとの初めての面識は17年も前だった。私のテレビ局(北陸朝日放送)時代、テレビ朝日系列ドキュメンタリー番組「文化の発信って何だ」を制作(1995年4月放送)する際に、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の音楽監督で指揮者だった岩城さんにあいさつをした。初めてお会いしたので、「岩城先生、よろしくお願いします」と言うと、ムッとした表情で「ボクはセンセイではありません。指揮者です」と岩城さんから一喝された。そう言えば周囲のオーケストラスタッフは「先生」と呼ばないで、「岩城さん」か「マエストロ」と言っていた。初対面で一発くらわせれたのがきっかけで、私も「岩城さん」あるいは「マエストロ」と呼ばせてもらっていた。

 そのドキュメンタリー番組がきっかけで、足掛け10年ほど北陸朝日放送の「OEKアワー」プロデューサーをつとめた。中でも、モーツアルト全集シリーズ(東京・朝日新聞浜離宮ホール)はシンフォニー41曲をすべて演奏する6年に及ぶシーズとなった。あの一喝で「岩城社中」に仲間入りをさせてもらい、心地よい環境で仕事を続けた。

 「岩城さんの金字塔」と呼ばれるベートーベンの交響曲1番から9番の連続演奏に2年連続でかかわった。2004年12月31日はCS放送の中継配信とドキュメンタリーの制作プロデュースのため。そして翌年1月に北陸朝日放送を退職し、金沢大学に就職してからの2005年12月31日には、この9時間40分に及ぶ世界最大のクラシックコンテンツのインターネット配信(経済産業省「平成17年度地域映像コンテンツのネット配信実証事業」)のコーディネーターとしてかかわった。

 それにしても、ベートーベンの交響曲を1番から9番まで聴くだけでも随分と勇気と体力がいる。そのオーケストラを指揮するとなると、どれほどの体力と精神を消耗することか。2004年10月にお会いしたとき、「なぜ1番から9番までを振るのか」と伺ったところ、岩城さんは「ステージで倒れるかもしれないが、ベートーベンでなら本望」とさらりと。当時、岩城さんは72歳、しかも胃や喉など25回も手術をした人だった。体力的にも限界が近づいている岩城さんになぜそれが可能だったのか。それは「ベートーベンならステージで倒れても本望」という捨て身の気力、OEKの16年で177回もベートーベンの交響曲をこなした経験から体得した呼吸の調整方法と「手の抜き方」(岩城さん)のなせる技だった。

 2005年大晦日の演奏の終了を告げても、大ホールは観客による拍手の嵐だった。観客は一体何に対して拍手をしているのだろうか。これだけのスタンディングオベーションというのはお目にかかったことはなかった。番組ディレクターに聞いた。「何カットあったの」と。「2000カットほどです」と疲れた様子。カットとはカメラの割り振りのこと。演奏に応じて指揮者や演奏者の画面をタイミングよく撮影し切り替える。そのカットが2000もある。ちなみに9番は403カット。演奏時間は70分だから4200秒、割るとほぼ10秒に1回はカメラを切り替えることになる。

 「ベートーベンで倒れて本望」と望んだ岩城さんの願いは叶い、2006年6月に永眠した。インターネット配信では岩城さんに最初で最後の、そして最大にして最高のクラシックコンテンツをプレゼントしてもらったと私はいまでも感謝している。

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★2012ミサ・ソレニムス~7

★2012ミサ・ソレニムス~7

ことし一年で目立った漢字を一字あげるなら、「脱」ではないだろうか。「脱原発」「脱法ハーブ」「脱会派」「脱獄アプリ」「デフレ脱却」など、政治から経済まで幅広く使われている。脱原発は衆院総選挙の公約にも使われた。この「脱」という漢字の意味はいろいろである。好ましくない状態から抜ける(「脱出」)、組織からや仲間から抜ける(「脱退」)、抜け落ちる{脱落})、身に着けてるものを取る(「脱衣」)、含まれているもの・つまっているものを取り除く(「脱臭」「脱水」)、原稿などを仕上げる(「脱稿」)など。では、これはどのような意味で解釈したらよいか。「脱亜」である。

       近隣とどう付き合うか、かみ合わない輔車唇歯の関係

 「近隣外交」という言葉ほど面倒なものはないと、日本人の多くは思っているのではないだろうか。尖閣諸島をめぐる中国側の執拗な動きは連日のように報道されている。「(日本)政府は29日、中国が東シナ海での大陸棚設定について、今月14日に国際機関の大陸棚限界委員会に申請した案を検討しないよう、同委員会に求めた。大陸棚は領海の基線から200カイリまでが基本だが、地形の特徴にもよる。中国は、中国大陸から尖閣諸島を含む沖縄トラフまで大陸棚が自然に延びていると主張。日本は、尖閣諸島が固有の領土であるため全く受け入れられないと表明した。」(12月29日付・朝日新聞ホームページ)

 127年も前、隣国に対する憤りの念を持った人物がいた。福沢諭吉である。主宰する日刊紙「時事新報」(1882年3月創刊)の1面社説にこう書いた。「・・独リ日本の旧套を脱したるのみならず、亜細亜全洲の中に在て新に一機軸を出し・・」(1885年3月16日付、本文はカタカナ漢字表記)。全文2400字に及ぶ概要はこうだ。「日本は明治維新でアジア的な古いあり方を脱ぎ捨て、西洋近時の文明を取り入れた。”脱亜”の主義である。日本にとって不幸なことは、隣の支那(中国)も朝鮮も儒教主義にとらわれ近代化を拒否している。西欧文明が迫っている中で昔のまま変わらず独立を知らない」「日本を含めた3国は地理的にも近く”輔車唇歯(ほしゃしんし)”(お互いに助け合う不可分の関係)の関係だが、今のままでは両国は日本の助けにはならない。西欧諸国から日本が中国、朝鮮と同一視され、日本は無法の国とか陰陽五行の国かと疑われてしまう。これは日本国の一大不幸である」(鈴木隆敏編著『新聞人福澤諭吉に学ぶ~現代に生きる時事新報~』より引用)

 当時、日本は旧態依然とした「アジア的価値観」から抜け出した、つまり「脱亜」を果たした唯一の国だと福沢は評した。そして、輔車唇歯の関係にある隣国とどう付き合っていけばよいかと考えた末に、近隣との付き合いは「謝絶するものなり」と明け透けに述べたのである。その前年、福沢らが支援していた、朝鮮における「維新の志士」金玉均ら独立党が起こした武装蜂起「甲申事変」(1884年12月)が清国軍の介入で鎮圧され、独立党関係者が大量処刑されるといった時代背景があった。単なる傍観者ではなく、朝鮮近代化の思想的な支援活動をしてきた福沢の挫折でもあった。

 では現代における「脱亜」感情とは何か。それは領土問題だろう。領土問題は、イギリスとアイルランド間の北アイルランド問題や、カナダとデンマークが共に領有を主張しているハンス島問題など世界にあまたある。問題は、その解決方法だろう。武力ではなく、どう平和裏に解決するかだ。もちろん、当事国同士での外交で解決されるのが望ましいが、解決することが困難な場合には、国際司法裁判所 (ICJ) への付託ができる。ただし、国際司法裁判所への付託は、紛争当事国の一方が拒否すれば審判を行うことができない。

 前述したように、中国が国際機関の大陸棚限界委員会(CLCS:Commission on the Limits of the Continental Shelf)に、中国大陸から尖閣諸島を含む沖縄トラフまで大陸棚が自然に延びていると申請した。それだったら、同じように、中国は日本が尖閣諸島を実行支配しているのは歴史的にも根拠がないとICJに付託提案を日本にすればよいのではないか。おそらく日本政府は応じる。

 韓国が国際法上の根拠もないまま実効支配している竹島も同様だ。1954年9月、日本は竹島領有権問題のICJへ付託を初めて韓国に提案したが、韓国側は拒否。1962年3月にも日本から付託を提案したがこれも韓国側が拒否。そして、ことし2012年8月10日、韓国の李明博大統領が竹島に上陸したのをきっかけに、同月21日に日本が3度目のICJへの共同提訴を韓国に提案が、韓国側はこれも拒否した。

 局地紛争化するのでなく、国際法に照らして決着するのが「一番すっきりする」と日本人の多くは考える。どのような判定が出されようが、日本はそれに従うだろう。それがルールだからだ。ただ、中国も韓国も領土問題を国際法廷に持ち込まないだろう。「ICJの判事(15人)の中に日本人がいる」などと理由をつけて。現状のままでは日本国内に「脱亜」感情が高まる。

※写真は、福沢諭吉像(慶応義塾大学三田キャンパス)

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