☆震災とマスメディア

☆震災とマスメディア

  きょう11日は東日本大震災から丸2年となる。震災が発生した2011年3月11日14時46分ごろ、私は金沢大学サテライトプラザで「事業企画・広報力向上セミナー」という社会人向けの講座を開いていた。イベント企画などをマスメディアに向けて発信するニュースリリース文の書き方の実習を行っていた。当時、金沢の揺れは震度3だったが、揺れを感じた人は少なかった。講義室は2階だった。別の教員がたまたま1階の事務室でテレビ速報を見ていて、「東北と関東が地震で大変なことになっている」と血相を変えて2階に上がってきた。それが震災を知った最初だった。

  自宅に帰り、テレビにくぎ付けになった。NHKが空撮の映像を流していた。東北のテレビ局の友人に聞くと、当時、マスメディアの中で、ヘリコプターを飛ばすことができたのはNHKだけだった。たまたま別の取材でスタンバイしていて、瞬時に飛ばすことがた。ほかの民放テレビ局のヘリは、駐機していた仙台空港が津波に襲われ破損したのだった。この話を聞いて、メディアも被災者だったのだと実感した。その後、東北の被災地に何度か出かけた。震災から2ヵ月後の5月11日から13日に仙台市と気仙沼市を取材に、昨年2月2日と3日に仙台市をシンポジウム参加で、ことしに入って、2月25日に福島市をシンポジウム参加で訪れた。

  地震の被災地を訪れたのは2007年3月25日の能登半島地震、同年7月16日の新潟県中越沖地震以来だった。新潟は震度6強の激しい揺れに見舞われた。震源に近く、被害が大きかった柏崎市は原子力発電所の立地場所でもあり、地震と原発がメディアの取材のポイントとなっていた。そんな中で、「情報こそライフライン」と被災者向けの情報に徹底し、24時間の生放送を41日間続けたコミュニティー放送(FM)を取材した。それ以降、毎年、マスメディアの授業では、メディアが被災者と被災地に果たす役割とは何かをテーマに「震災とメディア」の講義を2コマないし3コマを組み入れている。震災から2ヵ月後に訪れた仙台市と気仙沼市は講義の取材のためだった。

  東日本大震災は、震災、津波、火災だけにとどまらず、原発事故も重なり痛ましい災害となった。担当しているマスメディアの授業では、学生たちの被災地の様子を伝えたいと考え、自ら被災者でもある現地の東日本放送(仙台市)の番組プロデューサー(局長)や報道部長に金沢大学に来てもらい、「震災とメディア」をテーマにこれまで講義を2回(2011年12月13日、2012年5月8日)をいただいた。ことしも5月に同放送局の報道の編集長を招いて、その後の被災者とメディアのかかわりについて話してもらう。これまでの講義で「寄り添うメディアでありたい」との言葉が印象的だ。3年目を迎え、それを具体化するためにどのような番組づくりを行っているのか、学生たちに直接話を聞かせてやってほしい。授業を通じて、震災を考える、メディアの在り様を考える、地味ではあるが続けていきたい。2007年から始めた「震災とメディア」の講義はこれまで6年間で1200人余りの学生が履修してくれた。

※写真は、被災地とメディアの有り様を学生たちに考えさせる授業で使っている写真の中の1枚。2007年3月の能登半島地震後に撮影

⇒11日(月)朝・金沢の天気   はれ

★黄砂で霞み、移ろう季節

★黄砂で霞み、移ろう季節

  8日に能登半島の七尾市に所要で出かけた。金沢もそうだったが、どんよりと空がかすんでいた。一時雨が降ったが、雨が上がってもどんよりとした土色のかすみが空を覆い、晴れ上がることはなかった=写真=。黄砂がやってきた、と直感した。毎年この季節はかすむのである。ただ、ことしの黄砂は目と鼻に刺激が強いのだ。

  その後、金沢地方気象台は今年初めて金沢市で黄砂を観測したと発表した(9日)。健康への影響が問題視されている微小粒子状物質(PM2・5)の大気中濃度は、石川県内の5観測地点のうち4ヵ所で国の環境基準値を上回った。PM2・5は金沢に隣接する野々市市の観測地点で7日にも、国の基準を超えた1日平均で1立方㍍当たり35.2マイクロ㌘が観測されている。「ただちに健康に影響を及ぼすものではない」と石川県も発表しているが、PM2・5と黄砂がダブルでやってきたので、思いは複雑だ。

  きょう10日は大安の吉日。午後から友人の結婚式がJR金沢駅前のホテルであり、出席する。念のために金沢地方気象台の予報(午前7時58分発表)をチェックすると、「寒冷前線が通過し、冬型の気圧配置となる見込みです。このため、石川県では、雨で昼過ぎから次第に曇りとなるでしょう。また、昼過ぎまで雷を伴う所があるでしょう」と。確かにきょうは朝から強い風雨と、そして黄砂のせいか土色で空はかすんでいる。荒れ模様での結婚式になりそう。こんなお天気でのお祝いのスピーチはだいたい決まっていて、「雨降って、地固まると昔から申しまして…」となる。めでたい。

  金沢の冬は「雪吊り」に始まり、「雪吊り外し」で終わる。北陸の雪は湿気を含んで重い。庭木の枝に雪が積もると折れてしまう。そこで、木の幹に高い竹棒をくくりつけ、てっぺんからパラソル状にわら縄を下して枝に結び、折れないように補強するのだ。ことしの積雪は例年に比べ少ないが、それでも通算20回は雪かきに出ただろうか。例年と違ったのは、しんしんと積もるというパターンではなく、ゲリラ的に積もるという日が多かった。3月に入って、北海道ではきょうも防風雪だそうだ。それにしても、今月2日、北海道湧別町で地吹雪で乗用車が雪にはまり動けなくなった父親(53)が長女(9)をかばい凍死した事故があった。痛ましい。

  今月に入り、近所では「雪吊り外し」が始まっている。植木職人たちが竹棒を外すパタン、パタンという音が聞こえる。さまざまな冬の思い出と出来事を人々の記憶に残し、季節は春へと確実に移ろっている。

⇒10日(日)朝・金沢の天気    風雨

☆ともかく、ネット選挙

☆ともかく、ネット選挙

  インターネットの活用を選挙で解禁する公職選挙法改正案が今の国会でようやく成立しそうだ。随分と待たされたとの感じがする。今回は本当だろうなとの猜疑心もよぎる。これまで、ネット選挙解禁についての論議は何度もありながら、政治の混乱の中で法案は提出されてこなかった。たとえば、2010年の参院選挙の前に、自民、民主、公明の与野党は候補者・政党が選挙期間中にホームページやブログを更新できるとする合意していたのに、である。

  インターネットの活用を選挙で解禁するにあたり、ネックとなっていたのは、現行の公職選挙法は、公示・告示後の選挙期間中は、法律で定められたビラやはがきなどを除き、「文書図画(とが)」を不特定多数に配布することを禁じていたからである。候補者のホームページやツイッターなどソーシャルメディアの発信は、こうした文書図画に相当し、現行では認められていないのだ。

  7日に自民党総務部会で了承された公職選挙法改正案を、報じられたニュースをもとにチェックしてみる。その骨子(ポイント)は5つある。◆電子メールを除き解禁。今夏の参院選から適用、◆メール送信は政党と候補者に限る。アドレス表示を義務づけ、虚偽表示には罰則。送信先の同意が必要で、同意を得た記録を保存する、◆落選運動をする際はアドレス表示を義務づける。虚偽表示には罰則、◆選挙運動用の有料ネット広告は原則禁止、◆選挙後のネットを利用したあいさつ行為を解禁…となる。

  ソーシャルメディアの国内での広がりを背景に、法案では、候補者や政党以外の有権者だれでも、ホームページ(HP)やフェイスブック(FB)、ツイッターを活用した選挙運動ができる(解禁する)。HPなどにはメールアドレスなどの連絡先を明記することを義務づけ、別人を語る、いわゆる「なりすまし」を防ぐ。ただし、メールを送信する選挙運動は、なりすまし対策が難しいために政党と候補者に限定される。さらに、政党と候補者は送信先の同意が必要で、たとえば、メールマガジンを購読者に送る場合は、送信することを事前に通知して拒否されないことを条件としている。さらに、規定に違反したり第三者がメール送信をした場合は、2年以下の禁錮か50万円以下の罰金を科し、公民権停止の対象となる。

  今回の改正案で面白いのは、候補者を当選させないための「落選運動」も事実上認めていることである。たとえば、選挙期間中(公示・告示から選挙当日)に「あの人の街頭演説はヘタだった」と有権者がFBで書くのは自由だ。ただ、アドレスや氏名の明記を義務づけ、罰則も定めた。アドレスの表示義務を果たしていないHPなどは、プロバイダー(接続事業者)が、中傷を受けた候補者らからの削除要求に応じるが、賠償責任までは負わないという免責も規定されている。

  有権者にとって、メールで知人に特定の候補者の投票を呼びかけたりはできないので、解禁とは言いながらも物足りなさも感じる。今回の改正案では、「なりすまし」メールを過度に恐れている節も見受けられ、もどかしい。が、まずはネット選挙をスタートさせることだ。

⇒9日(土)朝・金沢の天気   はれ

★その舞台裏はさぞ…

★その舞台裏はさぞ…

  全国的には大きなニュースになってはいないのだが、金沢ではあるニュースが話題を呼んでいる。オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の指揮者で、音楽監督の井上道義氏が北朝鮮の国立交響楽団の招待を受け、現在訪朝している。8日には、ベートーベンのシンフォニー第9番のタクトを振るというのだ。

  これに関して、現地で共同通信の記者のインタビューを受けた井上氏は「政治的に解決できないことが(両国間で)あるとしたら、僕らみたいなのが穴をあけ、互いの疎通を図ることが必要だ」「第九は平和を望む内容の曲。(演目として)僕から持ちかけ(北朝鮮側が)すんなり乗ってくれた」「音楽だけでなく、できることがある人は何とかつながりを持ち、この国にいろいろな情報を入れてあげないといけない」と話した(8日付・北陸中日新聞)。

  井上氏の訪朝は石川県議会2月定例会(7日、一般質問)でも取り上げられた。自民党の議員が「芸術家であっても北朝鮮に対する厳しい目に気付くべきだ」と。芸術家はそれ(訪朝)を「使命」と言い、議員はそれを「甘え」と言い、この話は結論が出ない。
  

  その北朝鮮は政治の舞台では暴走している。国連安全保障理事会の制裁決議が採択(7日)を受け、北朝鮮側はきょう8日、1953年の朝鮮戦争休戦協定を破棄し、南北直通電話も遮断すると、テレビ画面でアナウンサーが声高にぶち上げた。「停戦白紙化」「ワシントンを火の海にする」など、アメリカの韓国の合同軍事演習を意識して挑発的なアナウンスメントを繰り返している。

  まさに瀬戸際外交だが、その裏で、金正恩第1書記は平壌の競技場で北朝鮮とアメリカ人の選手が参加したバスケットボールの試合を、NBAの元スター選手デニス・ロッドマン氏とともに観戦(2月28日)、「バスケ外交」を展開している。

  井上氏の第九演奏の指揮もその政治的な外交演出の一つなのだろう。いわば芸術の政治利用と言ってよい。その視点で見れば、井上氏の訪朝は果たして是だったのか…。硬軟織り交ぜた北朝鮮の「仕掛け」には驚嘆する。それにしても、北朝鮮の国立交響楽団による「第九」の演奏が今回初演というのだから、その舞台裏はさぞ…。

⇒8日(金)夜・金沢の天気  はれ

☆医療と薬を遠ざけて

☆医療と薬を遠ざけて

  昨年暮れに中国・雲南省のハニ族の棚田での学術交流に参加した研究者から聞いた話だ。ハニ族の人たちはとても前向きな性格で、「水が飲めたら酒を飲め、声が出たら歌え、歩けたらダンスを踊れ」というそうだ。一言でいうならば、人生を楽しもう、これが長生き健康の秘けつである、と。先祖が創り上げた、壮大な棚田を維持するすためには、勤労意欲、そして健康で長生きでなければならない。そのような前向きな民族性がこの棚田を守る精神的なベースとしてある、というのだ。

  もう一つ健康に関する話題を。政府の規制改革会議が、一般用医薬品のインターネット販売に関し、原則として全面自由化を求める方針を固めたとメディア各社が報じている(7日)。あす8日に規制改革会議を開き、厚生労働省に対して薬事法の改正などを求める、という。これまで副作用のリスクが高い第1類など薬のネット販売は省令で禁止されていたが、ネット販売会社が起こした訴訟判決で最高裁はことし1月、省令について「薬事法の委任の範囲を超えて違法」と判断、事実上ネット販売が解禁されている。規制改革会議としては、全面自由化の前提として、販売履歴の管理や販売量の制限といった安全確保策に関して議論する。

  医薬品のネット販売は一見、選挙運動のネット解禁とイメージがだぶり、規制改革のシンボルのように思える。が、個人的な感想で言えば、「これ以上、国民を薬漬けにするな」との思いもわく。高血圧患者4千万人、高コレステロール血症(高脂血症)3千万人、糖尿病は予備軍含めて2300万人・・・と、日本にはすごい数の「病人」がいる(近藤誠著『医者に殺されない47の心得』より引用)。たとえば、高血圧の基準が、最高血圧の基準は160㎜Hgだったものが、2000年に140に、2008年のメタボ検診では130にまで引き下げられた。50歳を過ぎたら「上が130」というのは一般的な数値なので、たいい高血圧患者にされ、降圧剤を飲んで「治療」するハメになる(同)。その結果として、1988年には降圧剤の売上は2000億円だったものが、2008年には1兆円を超えて、20年間で売上が6倍に伸びた計算だ。

  高血圧の原因は、9割以上が不明という。また、日本人の血圧が下げることによって死亡率が下がる、心臓病や脳卒中などが減ると実証されたデータは見当たらない(同)。近藤氏の著書を読んで、話を総合すると、日本人ほど医者と薬を信用する民族はいない。信じ切っている。そして「信じる者は救われる」と思っている。一方で、さして根拠もなく、数値データで「病気」にされ、薬を飲む。

  個人的な感想と言ったのも、じつは自分自身も「高血圧症」でもう10年余り前から降圧剤を服用している。首筋あたりが重く感じられ、病院で血圧を測ったところ160だったので、それ以来ずっとである。そのとき医者から「このまま放っておくと血管がボロボロになりますよ」と言われたのが病院通いのスタートだった。毎日4種の降圧剤を飲み続けている。

  近藤氏はこう書いている。フィンランドで75歳から85歳までの「降圧剤を飲まない」男女521人の経過の調査で、80歳以上のグループでは、最高血圧が180以上の人たちの生存率が最も高く、140を切った人たちの生存率はガクンと下がる。なのに日本では、最高血圧130で病気にされる、薬で下げさせられている。もし、このようなデータが日本で調査されているのであれば、ぜひ公開していほしいと望む。

  本の副題は「医療と薬を遠ざけて、元気に長生きする方法」。なるべくならば薬は飲みたくない、医者にもかかりたくない。持病があったとしても、ハニ族のように「水が飲めたら酒を飲め、声が出たら歌え、歩けたらダンスを踊れ」と前向きに人生をまっとうしたいものだ。

⇒7日(木)夜・金沢の天気   はれ

★シェアの呪縛

★シェアの呪縛

  「呪縛」とは、まじないをかけて動けなくすること。あるいは、心理的な強制によって、人の自由を束縛することの意味である。日本人ほど、シェア(市場占有率)にこだわり、自ら呪縛されている国民はないのではないかと最近考えている。

  シェアにこだわること、それは、そこそこ品質がよいものを低価格で売り、市場の占有率を高めることだ。シェア1番でなければ存在意味がないと、ライバルが現れると価格競争でしのぎを削り、競り勝つ、それが勝利の方程式だった。ところが、2007年に起きたサブプライム問題に端を発したリーマンショック以降、世界的な金融不安が市場を覆い、リスク回避の流れからヨーロッパやアメリカのヘッジファンドなどが円買いに走った。円高にぶれてきて、日本の家電製品も自動車も価格競争という手を打てなくなった。もともと商品はそこそこの品質だったので、韓国や台湾、中国といったメーカーの追い上げを食らうようになる。日本のメーカーは、円高で価格競争ができない分、多機能化することで魅力をアップしようとした。ただ、多機能化の行き過ぎが製品の魅力を低下させることもある。

  むしろ、多機能より単純で使いやすい方がその機能のチカラというものを発揮させるものだ。海外が住む友人から、「日本製はやたらと多機能で値段が高い。韓国のサムスンなどは求められている、あるいは必要な機能に絞って販売している。結果、使いやすい」と聞いたことがある。世界の人々は日本人ほど器用でない。その日本人でさえ、地上デジタルテレビのリモコンに今でも辟易している。デジタルカメラもボタンが多く、静止画を撮ろうしして、動画撮影になったりすることがままある。日本企業にめぼしい技術革新もなかった。リーマンショックから5、6年が過ぎて、日本製品は海外で随分とシェアを落とした。

   ここで最近、よく話題になるのが、日本製品とドイツ製品はどこで違いが出てきたのか、ということである。『日経ビジネス』(2013年2月25日)の記事が興味深かった。ドイツ人実業家ハーマン・サイモン氏の言葉を引用して、「日本企業はブランドや高級感の創出力に欠け、技術的な強みを活用しきれていない」と。つまり、「ソニーやパナソニックがなぜ10~20%上乗せの価格で売り、消費者を引きつけることができないのか」「市場シェアを追求する追及する限り、値下げによる価格競争に巻き込まれざるを得ない」と。シュアを落としてでもブランドイメージを創造すべきだというのだ。知名度の高さとブランドイメージを混同してはならない。ドイツの中小企業は高価格で売ることに努力を惜しまなかった。シェアより、利益にこだわったからだ。

  シェアにこだわるのは何も工業製品だけと限らない。これは直観だが、国内ではマスメディアがこのシェアの罠に落ちている。部数というシェア争いを新聞社は演じている。かつて広告費はテレビに食われ、いまはインターネット広告に浸食されている。それでも、何とか各社が新聞を発行し続けることができているのは宅配制度という強固な販売システムに支えられているからだろう。では、紙面の中身はどうか。1面から社会面まで各紙ほとんど同じなのである。我先にセンセーショナリズムに走っている。しかも、うがった見方をすれば、発表を先取りすることを「スクープ」と称している。ここのところ、昨今の新しい日銀総裁の人事案件などはその典型だろう。数日経れば発表される記事を、各社血まなこになって先を争い追いかけた。

  日経新聞はもともと別だが、全国紙のうちの1紙ぐらいは「クオリティペーパーを目指す」と宣言して、発表の先取り型から独自の調査報道に重心を置く新聞社が現れないものだろうか。ただ、報道現場は賛成しても、販売や広告の現場が反対するかもしれない。「シェアを落とす」と。「読者はテレビやネットに出たニュースを最終的に新聞で確認したいと思っている。新聞はニュースのアンカーだ」として、独自の調査報道路線には承服しないだろう。

  シェア(視聴率)を取れる番組とは何かを追求しているテレビ局も同じだ。大衆迎合だと視聴者から言われても、子どもに見せたくない番組だと言われても、ゴールデン番組はお笑いタレントが占める。番組タイトルは違うが、どこもコンセプトはどこかよく似ている。短いキャッチフレーズでお笑いを取り、視聴者も満足している。そして、いま、日本国中がB級グルメ選手権ばやりだ。A級グルメを目指さない風潮になった。A級では人が集まらないからだ。

  シェアには、市場に対する影響力や発言力の拡大や、顧客の囲い込みといったメリットがあるものの、世界的な競争の中でシェアは崩されやすく、消耗度が高い。ドイツ企業はシェアより利益をどう高めるかを模索した。

⇒2日(土)朝・金沢の天気    くもり 

☆福島から-下-

☆福島から-下-

  2月25日に福島市で開かれた三井物産環境基金交流会シンポジウムは、除染と復興、放射能と人の心情、安心と安全のパーセプションギャップなど問題が凝縮されていて、迫力のある内容だった。パネル討論が終わり、さらに分科会=写真=に出席した。テーマは「除染と健康、放射能と対峙するには」。放射能の土壌や健康への影響、そして除染の状況、今後の課題について、鈴木元・国際医療福祉大学教授、野中昌法教授が専門家の立場から口火を切った。

      放射線リスクは「安全のお墨付き」より「値ごろ感」

     鈴木教授の専門は放射線病理、放射線疫学。最初に「低線量遷延被ばく、内部被ばくの健康リスクとどう付き合うか」と題して話した。「遷延被ばく」とは、福島第一原発の事故のように、環境中にばらまかれた放射性降下物からのゆっくりとした被ばくのこと。「内部被ばく」は放射性物質が含まれている飲み物や食べ物、空気体内に摂取したり吸ったりすることで起きる被ばくのこと。鈴木教授は、放射線リスクは「ある」「ない」で論じられるが、この世にゼロリスクはない。「リスクは低ければ低いほどよい」と一般的に認識されるているが、低めるに当たり失うものを考慮しないと、誤った価値判断に陥る。「低線量被ばく、内部被ばくは、急性被ばく(たとえば原爆による被ばく)よりリスクが何百倍も高い」との話が広まっているが、これを裏付ける疫学的なデータはない、と述べた。以上の点から、専門家としては「安全のお墨付き」というものを与えることはできないが、放射線リスクの「値ごろ感」というものを伝えることができる。そのために、「個々人、あるいは地域のみなさんに『受容レベル』を価値判断するための材料を提供できる」と慎重な言い回しで語った。

  いくつかの事例が紹介された。原爆による人体への影響を調査している放射線影響研究所(広島市)による「原爆被爆生存者調査結果」によると、肺がんや消化器がんなどの固形がんは、被爆後15年ごろから増え始め、現在も続いている。被ばく線量とがんのリスクについてはこのようなデータがある。日本人男性ががんで死亡する確率は30%とされる、10歳の男の子が100ミリ・シーベルトの急性被ばくをしたとすると、30%だった生涯のがん死亡確率が32.1%、つまりプラス2.1%になる。女の子だと、20%だったのが22.2%になる。被曝量が10ミリ・シーベルトだと、その10分の1に減り、男の子は30%が30.2%、女の子は20%が20.2%になる。50歳の男性と10歳の男の子を比べると、7倍ぐらいの差になり、子供のほうがリスクが高いという評価が出ている。つまり、リスクを考えていくとき、どんなに小さい線量になっても、線量に応じてリスクは残ると考ええていると鈴木教授は述べた。

  福島に関連して以下言及した。放射性セシウムのセシウム134、セシウム137は、それぞれの半減期が2年、30年と長いため、環境中に長くとどまる。ただ、雨風によりセシウムが表土から流出するので、実際の環境中から半減する期間は、30年よりはずっと短くなること。そのセシウムは体に入ると、カリウムと同じような動きをし、消化管から吸収され、細胞に取り込まれる。代謝によって排せつされる。尿中に90%ほどが排泄され、大人だと100日で半分が排泄される。子供の場合は早くて、2週から3週で半分が排泄されることがわかっている。

  海外の事例が紹介示された。インドのケララ地方は、モナザイトという岩石から放射線が出て、高いガンマ線による被ばくがある地区。年間平均4ミリ・シーベルトぐらいで、多い人では1年間に70ミリ・シーベルトを被ばくする。ところが疫学調査が進められているが、ガンのリスクの上昇は認められていない。10年目の途中経過の報告なので、今後の報告が待たれる。

  「悲しい現実」として紹介されたのが、チェルノブイリ事故後の精神健康に対する影響。旧ソ連では自殺が増加し、心因性疾患が増加したと報告されている。また、旧ソ連だけではなくて、ヨーロッパ各国で堕胎が増加したという報告(一説にポーランドだけで40万人)がある。放射線に対する過剰な不安が、国民を不合理な行動に走らせ、そして堕胎という生命損失を招いた。福島でそのようなことがないように情報を提供していきたい、と。

  最後にキーワードは「リスクの認知と受容」だと述べた。年間5ミリ・シーベルトの被曝による健康への影響は、10歳の子供が生涯にがんで死亡するリスクが最大で0.1%上昇するといった大きさ。国際放射線防護委員会(ICRP)は、低線量の遷延被曝の場合、リスクは半分になると言っており、0.05%ということになる。そうなると、生涯がん死亡リスクは、10歳の男の子で、30%が30.05%になる、リスク上昇はそのくらい、と。むしろ、低線量被ばくのリスクを恐れて、園児に外遊びさせないということになれば、肥満によるガンのリスクが高まる。野菜不足も栄養面でマイナスだ。家にこもることも、心の健康を害したり、家族やコミュニティの崩壊を招く。リスクを自分なりに整理して、それをコントロールする知恵を身に付けてほしい。それが、環境中の放射線レベルを低減しながら、生活を守るということだ。あわてずに、計画的に生きよう、と。

  土壌学が専門の野中教授は「福島の90%の農地は除染が必要ないと考える」と述べた。大切なのは、農家が自分の田畑の土壌を「測定すること」の重要性、そして直売所で農産物の放射線測定をして「消費者に伝えること」が大切だ、と。これ以上田畑を汚染させないために、稲わら、落ち葉などを入れて腐植土をつくり、作物への吸収を減じることが可能だと述べた。そして「何百年と引き継がれた肥沃な土づくりを、除染で表層土壌を取り除いたり、深耕したり、天地返しで20㌢より深い土壌と入れ替えることは、農業者が農業を続けられなくすることに等しい」と強調した。

  野中教授は「除染よりむしろ大切なのは、事故前より、より良い農業・農村づくりを目指すことだ。それは可能であり、放射能を測って農村を守ること」と話し、「Man has lost the capacity to foresee and to forestall. He’ll end by destroying earth.(未来を見る目を失い現実に先んずるすべを忘れた人間。その行く先は自然の破壊だ)」と、医療と伝道に生きたアルベルト・シュヴァイツァーの言葉を引用して、会場を訪れた農業者を励ました。

⇒1日(金)朝・金沢の天気    はれ

★福島から-中-

★福島から-中-

  三井物産環境基金の交流会シンポジウムで、緊急地震速報のアラームが携帯電話に一斉に鳴り響いたのは午後4時24分08秒だった。キューキューという鈍いアラーム音だ。会場が騒然となった。「栃木で地震が発生」とある。まもなく、シンポジウム会場の「ラコッセふくしま」4階ホールでも軽い揺れを感じた。日光市では震度5強の地震だった。

     安心と安全のパーセプションギャップ

  この地震速報の前後でパネルディカッションが熱気を帯びていた。そのキーワードは「徐前の費用対効果」だった。飯館村村長の菅野典雄氏は、放射能で汚染された土壌の改良、つまり除染に関しては、国家プロジェクトでやってほしいと述べた。つまり、避難している村民が戻ってきて、仕事や生活ができるような環境は、除染が大前提である、と。費用3200億円(20年間)をかけて除染を急いでいる。「放射能とは長い戦いになる。しかし、除染をすれば数値は下がる。これ(除染)をやらなければ避難している村民に戻ろうと言えない」、「それを『費用対効果』で語る政治家がいるのは残念だ」と述べた。

  さらに、村長は「このままでは勤労意欲の問題にもかかわる。村に戻って農産物などモノづくりを始めなければ」と。モノは売れないかもしれないが、「つくれる」ことが人の気持ちを前向きにさせる、と。「除染・帰村」が村長の方針だ。

  これに対し、放射線病理や放射能疫学が専門の鈴木元・国際医療福祉大学教授は、「除染に関してはグランドデザインやプランが必要」と述べた。除染の暫定基準値は「仮」の数字で科学的ではない。「不安をあおっただけではないか。何も全域除染する必要はないのではないか」と。「元に戻る」ことは、元の生産活動形態を戻すことでなくてもよいのではないか、と。その一例として、チェルノブイリでジャガイモやナタネが生産されている。これは食料を生産するのではなく、セシウムを除いてエタノール、つまりバイオエタノールを生産するすために栽培されている事例を上げた。村に必要なのはこうした、再生のための産業デザインであって、「除染ありきではないのではないか」と提案したのだ。冒頭のアラームはこのときに鳴り響いたのである。

  また、鈴木教授は、「安心と安全のパーセプションギャップ(perception gap)が起きている」と強調した。リスクの受け止め方は人によって異なる。原発事故で、科学的に安全であっても、安心ではないという認識のずれが起きているいう。その安心を優先させるために膨大なコストをかける必要があるのか、との問いである。

  村長の言葉も印象的だった。「(原発事故で)故郷を追われて出た者の気持ちとして、すくなくとも全部除染してほしい。住民同士が寄り添う気持ちはこうした環境から生まれる」

⇒26日(火)朝・福島市の天気  はれ

☆福島から-上-

☆福島から-上-

  福島市に来ている。積雪はJR福島駅周辺で25㌢ほどだろうか=写真=。新聞やテレビのニュースを見ていると、地吹雪や視界不良で磐越自動車道が一時交通止めになったり、山形新幹線が一時立ち往生、南会津町でスキー大会が中止、きょう25日の国公立大学2次試験で会津大学の試験時間を2時間繰り下げたと報じている。

       飯館村村長の「までいライフ」

  福島を訪れたのは、三井物産環境基金で助成を受けた団体の交流会に参加するためだ。金沢大学は2006年から3年間「能登半島 里山里海自然学校」事業、2009年から3年間「能登半島における持続可能な地域発展を目指す里山里海アクティビティの創出」事業で支援を受けた。この支援で画期的だったのは、能登半島の最先端で廃校となっていた小学校校舎(3階建て)を借り受け、その後も大学の能登における地域人材の養成やフィールド研究(大気観測など)、地域交流の拠点となっていることだ。つまり、三井物産環境基金の助成金が「シードマネー」となり、能登での研究や地域貢献活動が広がったのである。

  交流会のテーマは「民間の力を活かした福島復興を考える」。同基金は2005年から「地球気候変動問題」や「生物多様性および生態系の保全」、「水資源の保全」、「表土の保全・森林の保護」、「水産資源の保護・食糧確保」、「エネルギー問題」、「持続可能な社会の構築」の6分野で研究や活動、復興(2011年度から)の支援を行っていて、きょうの交流会には助成を受けたNPOやNGO、大学などの機関などから100人余りが参加した。

  交流会の基調講演では、飯館村村長の菅野典雄氏が「日本人の忘れもの」と題して、合併しない「自主自立の村づくり」を基本に、小規模自治体の機動力を活かした子育て支援や環境保全活動、定住支援など施策を述べた。そのキーワードは「までいライフ」。「までい」とは「丁寧に、心を込めて、大切に」という意味の方言の「真手(まで)」と「スローライフ」の組み合わせた造語だ。この「までいライフ」を村のモットーとして掲げている。ところが、4期目在任中の2011年3月15日の原子力事故が発生した。福島第一原子力発電所から20km圏外にある福島県内5市町村(飯舘村など3千世帯、1万人)が計画的避難区域に指定され、飯館村民の9割に当たる4000人が村外へ避難し、村役場も福島市へに移転した。村長は講演の締めくくりに、「支援してほしいことは人でも金でもない。『忘れないでください』とだけ言いたい。我々は前に向き進んでいく。それを見守ってほしい」と。

⇒25日(月)夜・福島市の天気   はれ
  

★天上のワイン

★天上のワイン

 かつて、大学の薬学の教授から教わったことだ。酒はビールだけ、あるいは日本酒だけというのは体によくない。なるべくウイスキー、白酒(パイチュウ)、ワイン、ウオッカなど多種類を飲んだ方がよい。つまり、麦だけでなく、米も、モロコシも、ブドウもというわけだ。それを「アルコール多様性」というそうだ。その教授は「常時100種類ほどの酒を自宅にスットクしていて、少しずつ飲んでいる。健康だよ」と笑っていた。それまでどちらかいうと「ビールのち日本酒」だったが、その話を聞いてから、ワインも白酒もウオッカも飲むようになった。今は一巡して、どちらかというと、ワインの量が多くなった。

 先日、誘われて金沢のワインバ-が主催する「メドック格付1級 5大シャトーの違いを知る」というワインの講座に出かけた。ワインはまったくの初心者でどちらかというと、イタリヤやチリ、南アフリカといった国別で選んで買っていた。シャトー(ワイナリー)は知っていたが、「5大シャトー」は正直知らなかった。フランスに何度か勉強に行っているソムリエの辻健一さんが解説する。

 「5大シャトー」は、1855年のパリ万国博覧会で、皇帝ナポレオン3世は世界中から集まる訪問客に向けて、フランスのボルドーワイン(赤)の展示に格付けが必要だと考えた。 そこで、ボルドー・メドック地区で、ワイン仲買人が評判や市場価格に従って、ワインをランク付けした。その格付けで4つのシャトーに「第一級」の称号を与えられた。それ以来、ボルドーワインの公式格付けとなった。その4つとは「Ch.Lafite-Rothschild(シャトー・ラフィット・ロートシルト)」、「Ch.Margaux(シャトー・マルゴー)」、「Ch.Latour(シャトー・ラトゥール)」、「Ch.Haut Brion(シャトー・オー・ブリオン)」のこと。これに、1973年の格付けで昇格した、「Ch.Mouton Rothschild(シャトー・ムートン・ロスシルド)」を加え、これら5つが世界トップクラス・シャトーといわれるようになった。インターネットで調べてみても、それぞれ1本5万円は下らない。ちなみの、今回の講座の会費は2万3千円。グラスに1杯ずつ5大シャトーが飲めるのだから。一生に一度のチャンスと思えば、案外お得かも知れない。

 問題は味わいの表現力だ。これは、素人ではなかなか出てこない。辻さんはソムリエらしく、ラフィット・ロートシルを「長く残る深みのある味わい。森の中に白いお城のようですね」と。「熟成したときに醸し出す杉の香り」(ムートン・ロスシルド)、「重厚でありながら優雅さを崩さず、複雑極まりない風味の豊かさ」(ラトゥール)、「甘くそして芳ばしい香水のような」(シャトー・マルゴー)、「若い間から楽しめる芳醇でソフトな果実味。スミレとトリュフの香り」(オー・ブリオン)と次々と鼻と舌の感覚を言葉にしてにおい立たせる。ここまでくると、まさに「天上のワイン」のように思える。

 各シャトーのデータによると、ブドウの品種はカベルネ・ソービニオンが圧倒的に多い。ブドウの品質管理を徹底するために、どこのシャトーもブドウ畑の面積を100㌶以内にしている。そして、「プルミエ・ド・プルミエ(1級の中の1級)」を維持するために、ブドウのクローン選別や土壌改良、コンピューター制御の発酵管理などのたゆまぬ品質向上に向けた取り組みも紹介された。利より格付けを重んじる風土がワインに沁みこんでいる。

※写真は、コルク栓のついたものが5大シャトーのワイン。ソムリエの辻健一氏。

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