☆キーパースン

☆キーパースン

   きょう13日の朝日新聞の天声人語の書き出しは、ジョージ・オーウェルの『動物農場』だった。豚をはじめとする動物たちが飲んだくれの牧場主に反乱を起こし、解放される。しかし、やがて豚が特権階級となって専制支配を築き、ほかの動物たちを服従させる。アニメや映画にもなった有名な寓話だ。

  オーウェルの意図は旧ソ連のスターリン体制への批判だった。人間の歴史にとって進歩的な動きと見える現象が、時を経て大きなマイナスをもたらしている事実が洋の東西を問わずままある。いまでいえば北朝鮮のこの事態だろう。国内の人民を虐げ、貧困に落とし込んで、周辺国まで恫喝する。人類に苦痛を与えている、と言ってよい。

  哲学者・市井三郎(1922-89)の言葉を思い出す。「歴史の進歩とは、自らに責任のない問題で苦痛を受ける割合が減ることによって実現される」と。北朝鮮の人民は、明らかに自らの責任で苦痛を受けているわけではない。体制側からの圧迫である。脱北者が後を絶たないほどの人々の苦痛、隣国への圧迫、これをいかに減らせばよいのか。

  学生時代に覚えた言葉なので定かではないかが、市井はこうも言っている。「不条理な苦痛を軽減するためには、みずから創造的苦痛を選び取り、その苦痛をわが身にひき受ける人間の存在が不可欠なのである」と。市井はこのような歴史的な転換期、ダイナミズムに決定的な役割を果たす人物のことをキーパースン(key person)と呼んだ。

  周辺国をも圧迫する北朝鮮のこの事態について、苦痛を受ける割合を減らす「歴史の進歩」が必要であるのは言うまでもない。ただ、その苦痛をわが身にひき受けるキーパースンが見当たらない。国内、あるいは国外なのか分からない。国外だとしたらアメリカのオバマ大統領なのか、中国の習近平国家主席なのか、と思いがちだが、意外と国内なのかもしれない。というもの、国外だったら国と国との単なる戦争である。市井が言うような「創造的苦痛を選び取る」国内の人材が不可欠だ。1968年に起こったチェコスロバキアの変革運動「プラハの春」や、2010年から2012年にかけてアラブで発生した反政府、民主化要求、抗議活動「アラブの春」などを先導した指導者たちをイメージする。

  しかし、彼の国では素朴な人間進歩への信仰はすでに崩れて去って、進歩をはかる価値観すら忘れ去れてしまっているかもしれない。話は青臭く、とりとめないものになってしまった。

⇒13日(土)朝・金沢の天気     はれ

★禍は西の空から

★禍は西の空から

   禍はどうやら西の空からやってくるようだ。中国大陸から飛んでくる黄砂、そして最近話題の微小粒子状物質「PM2・5」、そして鳥インフルエンザ。さらに、北朝鮮のミサイルだ。金沢市の老舗料亭「大友楼」の「七種(ななくさ)粥」の行事を思い出した。

 大友楼ではセリ(野ぜり)、ナズナ(バチグサ、ペンペン草)、五行=御行(ハハコグサ)、ハコベラ(あきしらげ)、仏の座(オオバコ)、すず菜(蕪)、スズシロ(大根)の七草を台所の七つ道具でたたく。面白いのはその口上だ。「ナンナン、、七草、なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先にかち合せてボートボトー」と。つまり、旧暦正月6日の晩から7日の朝にかけて唐の国(中国)から海を渡って日本へ悪い病気の種を抱えた鳥が飛んで来て、空から悪疫のもとを降らすというので、この鳥が我家の上に来ない様にとの願いが込められている。「平安時代からの行事とされる」と、加賀藩主の御膳所を代々勤めた大友家の7代目の大友佐俊さんは言う。

 ちなみに、「かち合せてボートボト」と言うのは、金沢の方言で「鳥同士を鉢合わせでドンドンと落とせ」という意味だ。禍や病魔をもたらす「唐土の鳥」とは、昔から西の空からもたらされる、と考えられてきた。

  北朝鮮からのミサイル発射の警戒感が高まる中、大学などの機関にお達しが文部科学省からあった。
1. 万が一、落下物らしき物を発見した場合には、決して近寄らず、警察・消防に連絡すること
2. 万が一、各機関において、落下物等による被害があった場合には、本件連絡先の被害状況連絡先に情報提供すること
1. If you find anything that is possibly a part of the missile, do not go near it, and report to the police and/or fire department
2. If there is any damage at the institution caused by the missile, such as falling missile parts, share the information with the contact office for damage situation

  まさか本当の撃ってこないだろうとの思いはあるものの、日常の微妙な緊張感が醸成されている。「ナンナン、、七草、なずな、唐土の鳥が日本の土地に渡らぬ先にかち合せてボートボトー」。口ずさみたくなる。

⇒11日(木)朝・金沢の天気    くもり

 

☆少子高齢社会の制度設計

☆少子高齢社会の制度設計

 能登半島の先端にある珠洲市役所を訪ねると、玄関を入って1階の左手が市民課になっている。その入り口で目に飛び込んでくるのが、市の住民登録人口の表記看板だ。「16,567人」(2月8日現在)。2006年夏に訪れた折は、19,000人ほどだったと記憶しているので、この7年でざっと2,500人の人口減になったことになる。13%減である。「先細り」と言えばそれまでだが、珠洲市の人々が元気をなくしているかと言えば、これは別の話である。

 3月27日公表された厚生労働省国立社会保障・人口問題研究所の「2040年の将来推計人口」データは確かに衝撃的だった。2010年の国勢調査との比較だが、日本は一気に少子・高齢化が進む。石川県内の人口は2010年の国勢調査で117万人だが、2040年には100万人を割り込み97万人に減る。小松市の2つ分の人口に相当する20万人近く減るというのだ。そして冒頭で述べた珠洲市など奥能登の2市2町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)では、人口がほぼ半減する見通しだ。

 詳しく奥能登の2市2町のケースを見てみる。2010年の国勢調査で2市2町の人口は75,458人だった。今回示された2040年の推計人口は36,889人と、27年間でほぼ半分以下になるとの予想だ。減り方は、2010年を100としたときの指数で能登町45.5、珠洲市45.9、輪島市51.7、穴水町52.2となる。高齢化率の数字がさらに際立つ。65歳以上の高齢者は、珠洲市と能登町は2020年で50%に達し、超高齢社会の現実が浮き彫りになる。

 生産年齢人口(15-64歳)が減少することで、大幅な税収減となり、高齢者をケアする体制づくりも急務となる。さらに2市2町の75歳以上の人口割合は2040年には30%を超える。一方、0-14歳の人口割合は低下が続き、2010年時点の割合は2市2町とも9%だが、2040年には珠洲7.4%、輪島7.6%、穴水6.3%、能登が5.8%の「超少子・高齢化」の予測だ。

 モノには見方というものがある。こうした数字だけを見れば、奥能登は「少子・高齢化のトップランナー」でもある。むしろ、「超少子・高齢化」時代は確実にやってくるのだから、幸福づくり、生きがいづくり、新たな産業の可能性、社会の仕組みの再構成、健診モデルの構築など、超少子・高齢化の社会に向けた制度設計を能登をフィールドに見直したらどうだろう。

 実例を一つ上げる。能登半島の中央、七尾市中島町はカキ貝の産地で知られる。高齢化率33%(2011年3月)。この地域での要介護状態の原因の一つに認知症である。そこで、2004年から地域における認知症の早期発見と予防モデルの構築を目指した金沢大学医学部の調査研究が行われている。大学の医師、心理士らが家庭訪問。脳(もの忘れ)健診で、認知症を早期に発見するシステムを開発している。また、認知症を予防するための運動リハビリや認知リハビリをお年寄りたちに勧める。医師や心理士が率先して体操をして見せ、寸劇でもの忘れ健診の大切さを呼びかける。高齢化社会の到来を先取りして、認知症予防のモデルを確立する取り組みなのだ。

⇒7日(日)朝・金沢の天気   風雨 

★腑に落ちない

★腑に落ちない

  元プロ野球選手、松井秀喜氏のホームタウンは石川県能美市にある。私は金沢のテレビ局時代に何度か自宅を取材に訪れた。松井氏が星稜高校時代、「夏の甲子園」石川大会の中継、本大会での取材と夏は松井一色だった。強打者ぶりは「伝説」にもなった。1992年夏の全国高校野球選手権2回戦の明徳義塾(高知)戦で、5打席連続敬遠されて論議を呼んだ。

  高校卒業後の松井は破竹の勢いだった。1992年秋、ドラフト1位で巨人に入団。セ・リーグMVP、ホームラン王、打点王をそれぞれ3度、首位者を1度獲得。2002年オフにフリーエージェント宣言、ヤンキースに移籍した。メジャー挑戦1年目の2003年、本拠地開幕戦で、メジャー1号を満塁弾で決めた。2007年、日本人ではイチロー選手(現ヤンキース)に続いて2人目となる日米通算2000安打を達成した。2009年にはワールドシリーズでは3ホーマーを放ち、シリーズ最優秀選手(MVP)に選ばれた。日本とアメリカで通算507本のホームラン。日本で10年、アメリカで10年、松井選手にとって20年間のプロ野球人生だった。

  その松井氏がプロ野球で一時代を築いた長嶋茂雄氏と同時に国民栄誉賞を受賞することが確実となったと報じられている。両氏は、巨人時代の監督と選手の枠を超えて「師弟関係」にあり、「ミスター&ゴジラ」の国民栄誉賞ダブル受賞。だが、この時期になぜ国民栄誉賞なのか、腑に落ちない。長嶋氏に対してはその功績から、むしろ受賞するのが遅いくらいだろう。松井氏の場合は昨季現役を引退したばかりだ。ほかにふさわしい候補者がいたのではないか、と。

  調べてみると、これまでプロ野球選手として国民栄誉賞に選ばれたのは王貞治氏と衣笠祥雄氏だ。王氏は世界最多の756本塁打、衣笠氏は世界新記録の2131試合連続出場といずれも「世界一」の栄誉を浴している。賞を辞退したイチロー選手(現ヤンキース)も、大リーグでシーズン最多安打はじめ数々の記録を更新している。松井氏の功績もこれに匹敵するのだが、なぜこのタイミングなのか腑に落ちない。長嶋氏だけでもよかったのではないか。

  大リーガーのパイオニア的な存在という点ならば、野茂英雄氏だろう。新人王や2度のノーヒットノーランを達成している。松井氏は大リーグ移籍後、本塁打王や首位打者といった主要な個人タイトルは獲得していない。実績面では野茂氏と松井氏に勝るとも劣らない。

  松井氏の身上は「努力できることが才能だ」。無理するなコツコツ努力せよ、才能があるからこそ努力ができるんだ、と父親かから教わった言葉をそのまま体現した。本人がホームランの数より、連続出場記録にこだわったのもプロとは本来、出場記録なのだと見抜いていたからだろう。野球の天才というより、努力の天才なのだ。ここで国民栄誉賞をもらってしまっては、人生あとがなくなる。

⇒2日(火)夜・金沢の天気    くもり

☆道路の価値

☆道路の価値

金沢市から石川県穴水町までの能登半島を走る能登有料道路(82.9㌔)が3月31日正午から無料となった。道路の名称も、「ふるさと紀行 のと里山海道(さとやまかいどう)」として新たなスタートを切った。このほか、能登有料道路から七尾市の和倉温泉方面に向かう田鶴浜道路(4.8㌔)、手取川にまたがる川北大橋有料道路(4.8㌔)も同時にフリーとなった。

  能登有料道路の全線開通は1982年なので満30年となる。これまで片道で普通車1180円、大型車4210円(全線利用)がかかっていた。この道路は、石川県における能登地区と加賀地区の格差是正などを目的に県が建設した。1982年の全線開通以降は、1990年から県道路公社が道路を管理。総事業費625億円のうち、県から同公社への貸付金のうち未償還分の135億円を県が債権放棄するかたちで、無料化が実現した。

  ここで道路の価値というものを考えてみたい。というのも、債権放棄してまで無料化する意味とはどこにあるのか、という点である。新聞各紙が報じている、31日の無料化セレモニーでの谷本正憲知事の発言。「(無料化は)能登に足を運んでいただく交流人口を拡大し、能登から通勤する定住人口を増やす大きな足がかりを得て、企業立地の追い風にもなると思う」。県は独自に試算している。七尾市の横田料金所付近の1日の交通量について、これまでの約6000台から1.6倍増えて約1万台となり、利用増が見込まれる、と。この数字には注意する必要がある。というもの、「利用増」は平行して走る国道159号や249号の利用者が無料になったので機に利用するのであって、利用する新たな人々が増えるとは考えにくい。すなわち、交流人口の拡大とは意味合いが違うのではないか。能登から金沢方面へ通勤することで定住人口が増えるとの発言があったが、これもどうだろう。すでに、国道159号や249号を使って通勤している人はいる。また、企業立地の追い風になればよいが、無料化そのもので立地を決意したという話は聞いたことがない。

  無料化による経済効果は果たしてあるのだろうか。逆に、無料化で能登から金沢方面への買い物客が増え、能登中心に展開する食品スーパーなど小売業が苦境に立たされるのではないかとの報道も目立つ。

  むしろ価値があるのは「のと里山海道」というネーミングではないかと思っている。「里山」という名称の道路名は聞いたことがない。初ではないか。そして海道もなかなか響きが良い。瀬戸内の『しまなみ海道』や『とびしま海道』をほうふつとさせる。能登有料道路では沸かなかったイメージが膨らんでくる。能登半島は2011年6月に国連食糧農業機関(FAO、本部ローマ)によって世界農業遺産(GIAHS、Globally Important Agricultural Heritage Systems)に認定された。その認定名が「Noto’s Satoyama and Satoumi」 。つまり、海外から見れば、Satoyama and Satoumiの日本の代名詞が能登となる。そのSatoyama and Satoumiが道路名にも冠せられた、ということになる。そのように解釈すれば、さらにイメージは膨らむ。

  日本海に突き出た能登半島。さまざまな歴史と文化を背負ってきた半島。道路名が変わっただけで、イメージも変われば、これこそ新たな道路価値なのである。ただ、惜しむらくはところどころの道路看板にローマ字表記がほしい。そうすれば、Noto’s Satoyama and Satoumiの価値とつながる。

⇒1日(月)朝・金沢の天気    はれ

★看板の価値

★看板の価値

  先日、地元の新聞に掲載されたニュースだ。テレビの全国放送などでも取り上げられた金沢市の不動産会社の「名物看板」が市の屋外広告物設置基準に違反しているとして、是正指導を受けて今年秋までに撤去することになった。

  是正指導を受けたのは、私が通勤している金沢大学角間キャンパスの近くにある「のうか不動産」で、学生たちの評判はよい。学生たちが部屋のカギを紛失すると、合鍵を持参して夜中でも対応してくれるというのだ。問題となった看板は、人目を引く宣伝をしたいと2009年1月から設置を開始し、大学周辺を中心に40基ほどある。その看板は私自身も気にはなっていた。

  看板の文言は実によく練られている。その特色をひと言で表現すれば、「場の表現」だ。たとえば、交差点では「右へならえの人生に疲れたあたなも右折してください」と。右折すれば40㍍でその会社がある。飲料の自動販売機の横にある看板では、「ノドが乾いたら、人生が乾いたら」と表現する。強烈なのは、警察の交番に隣接するビルでは、交番の真上部分に、「『苗加』を『なえか』と読んだ人、タイホします」と書かれた看板=写真=がある。金沢の名字で「苗加」を「のうか」と呼ぶ。交番を絡めたこの表現は、ある種のパロディではある。著作権上は問題ないのだが、警察への「おちょくり」ととらえる人もいるかもしれない。また、この表現で警察の気分を悪くしないかとおもんばかる人もいるかもしれない。その看板を見て、人々が微笑むか、考え込むか。良くも悪しくも、これが看板の価値というものだ。

  冒頭の全国放送というのは、2012年11月9日放送のフジテレビ「めざましテレビ」。兼六園の近くのコインパーキングに、「兼六園までほふく前進であと5分」と表記された同社の看板がある。実際の距離はおよそ300㍍。はたして5分で兼六園まで行けるのか、元自衛官のお笑いタレントが実際に匍匐前進を試みた。すると、結果は15分ほど、3倍もさばを読んでいた。そこで、同社の担当者に表記の数字と実際にかかった数字にかい離があると意地悪く質問するという設定。担当者は「まさか本当に匍匐前進する人がいるとは思わなかった。人の印象に残るような看板をつくりたかっただけ」と笑って答えた。もちろん、テレビ局側もそのリアクションを計算しての演出である。

  ところで、全国放送にもなった名物看板が金沢市の屋外広告物設置基準に違反しているとして今秋までに撤去することになった。言葉の表現が問題視されたわけではない。大きいものでは縦横4㍍ほどになる看板もあり、現在ある屋上看板や野立看板、壁面広告30件のうち、25件が設置面積や高さなどで基準を満たしていないというのがその理由。2年ほど前から撤去かサイズ変更の指導を受けてきたという。基準を満たさない屋外広告物は撤去費用が必要なため、新しい看板への更新時や老朽化した場合などに改善・撤去するケースが多い。ただ、同社の看板は有名すぎて、他の違反した業者が市の指導の折に「あの看板の場合はどうなんだ」と引き合いに出すケースがあり、市と同社が協議して撤去となったようだ。

⇒27日(水)夜・金沢の天気    くもり時々あめ

☆ウグイスの初鳴き

☆ウグイスの初鳴き

  きょう(25日)朝、自宅の庭の梅の木を見ると満開になっていた=写真=。金沢はすっかり春めいてきた。ただし、肌寒い。朝、青空駐車場の車のガラスは凍りついた状態になっていて、しばらく車を温めた。9時ごろだった。突然、ホーペケキョとウグイスの鳴き声が聞こえた。ぎこちない、初鳴きだ。

  以前、このブログでウグイスの鳴き声について書いたことを思い出して、検索すると、2006年5月4日のブログでヒットした。そのとき、こう書いていた。「五月晴れとはまさにきょうの空模様のことを言うのであろう。風は木々をわずかに揺らす程度に吹き、ほほに当たると撫でるように心地よい。今朝はもう一つうれしいことがあった。ウグイスの鳴き声が間近に聞こえたのである。おそらく我が家の庭木か隣家であろう。ホーホケキョという鳴き声が五感に染み渡るほどに清澄な旋律として耳に入ってきた。」

  それてしても、日付が5月4日となっていて、ウグイスの鳴き声を話題に取り上げるには時期がずれていると思い、金沢地方気象台の「生物季節観察」のデータをネットで検索した。すると、ウグイスの初鳴の平年は3月24日、もっとも早いのは2月20日(2007年)、もっとも遅いのは4月23日(1984年)とある。ということは、当時、我が家の周辺で私が耳にしたのはこれが初鳴きではなく、たまたま初めて耳にしたのがこの時期ということになる。しかも「ホーホケキョという鳴き声が五感に染み渡るほどに清澄…」と書いているので、ぎこちなさはすでに取れている。

  2005年4月28日にブログを開設してから2880日余り。ウグイスの鳴き声に季節を感じ、あれこれとブログに書けることは「幸い」である。ブログは人生の充実度を高めてくれている。

⇒25日(月)夜・金沢の天気   はれ

  

★匿名報道へのワナ

★匿名報道へのワナ

  これはある種のワナではないか、一連の記事を読んで感じた。18日付の朝刊各紙で報じられた、中国海軍のフリゲート艦が1月に海上自衛隊護衛艦にレーダー照射した問題で、中国軍の複数の高級幹部は17日までに、共同通信の取材に、攻撃用の射撃管制レーダーを照射したことを認めた、という内容の記事である。記事では、「艦長の緊急判断だった」と計画的な作戦との見方を否定し、昨年12月、中国の国家海洋局の航空機が尖閣付近で領空侵犯した問題は「軍の作戦計画」と認めたが「事態をエスカレートさせるつもりはなかったし、今もない」と言明した、と続けている。この記事だけを読めば、レーダー照射問題に関して一貫して否定してきた中国側の「奥深い」訂正のメッセージかと思ってしまう。

  これに対して、18日のメディア各社のネットニュースでは、中国国防省報道事務局は18日、中国海軍艦艇による海上自衛隊護衛艦へのレーダー照射問題で、中国軍幹部が射撃管制用レーダー照射を認めたとする日本の一部メディアの報道について「事実に合致しない」と改めて否定する談話を発表した、とある。さらに、同局は「日本側がマスコミを使って大げさに宣伝し、中国軍の面目をつぶして、国際社会を誤解させるのは、下心があってのことだ」と非難。「日本側は深く反省し、無責任な言論の発表をやめ、実際の行動で両国関係の大局を守るべきだ」と求めた、というのだ。

  中国国防省報道事務局がノーコメントならば、「奥深い」訂正のメッセージと解釈できるのだが、「日本側がマスコミを使って大げさに宣伝し、中国軍の面目をつぶして…」とあるように、日本の政府が仕組んだ宣伝と発表したことで、冒頭の「ワナではないか」と感じるのだ。

  国内メディアを徹底的に管理監督している中国政府はメディアのツボというものを熟知している。共同通信の取材源は「中国軍の複数の高級幹部」としており、匿名報道なのだ。日本のメディアではこの匿名報道を多用している。国内でも「政府筋によると」や「事件の捜査担当者によると」などとして実名を明かさない。「情報源の秘匿」と言えば、そうなのだが、アメリカのメディアなどは実名報道を原則としている。中国で、匿名報道がどれほど通用するだろうか。直観したのは、この日本のメディアの匿名報道の手法が逆用されて、日本政府への攻撃キャンペーンに利用されるのではないか、と。

  というもの、最近中国側の外国メディアに対する関わりが散見される。18日付の読売新聞ネットニュースでは、ニューヨーク特派員の署名記事で、アメリカのウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)は、WSJ中国支局の社員が情報提供の見返りに複数の中国政府当局者に贈賄行為を行ったとの告発があり、米司法省の調査を受けたことを明らかにした、との報道があった。しかし、WSJによる内部調査の結果、告発を裏付ける証拠はなく、同紙の中国報道への報復を狙った可能性があると同省に伝えたという。その報復とは、WSJによると、職権乱用や巨額収賄などを問われて公職から追放された薄煕来・元重慶市党委書記に関する報道と関連があり、告発者は中国政府の意向を受けた人物とみている。WSJは中国指導者層の腐敗などに関する記事を掲載している。司法当局に「タレこむ」でことで、ある種の取材抑制を仕掛ける意図が見えてくる。

⇒18日(月)夜・金沢の天気     あめ  

☆能登の「グローカルな風」

☆能登の「グローカルな風」

   昨日のブログ「能登の風景を変える人々」の続き。金沢大学の能登における役割を考えたい。能登半島の先端で金沢大学は何を行っているのか、そのメリットは何かとよく尋ねられる。学内からもだ。2006年10月に廃校だった校舎を珠洲市から借り受けて始めた「能登半島 里山里海自然学校」。三井物産環境基金の補助金を得て、生物多様性と地域づくりをテーマにプログラムを展開した。このメリットは、常駐研究員を置いて、レジデント型研究の実績が積み上がったことだった。絶滅危惧種のホクリクサンショウオを能登半島の先端で確認したり、地元でコノミタケと重宝されるキノコがDNA解析で新種と判明し、「ラマリア・ノトエンシス」(能登のホウキダケ)と学名をついたりと、そこに研究者がいなければ、地域の人たちの協力がなければ陽の目をみなかったことが次々と生態学的なアカデミックな場に登場させた。

  次に翌年10月、「里山マイスター」育成プログラムという社会人の人材養成カリキュラムをつくった。文部科学省の科学技術振興調整費という委託金をベースにした。これで、常駐するが教員スタッフ(博士研究員ら)が一気に5人増えた。対外的には、「地域づくりは人づくり」と言い、学内的には「フィールド研究」といい、地域貢献と学内研究のバランスを取った。当初予想しなかったのだが、このプログラム(5年間)の修了生62人を出すことで、大学は大きなチカラ=協力者を得たことになった。この62人は卒業課題論文を仕上げ、パワーポイントでの発表を通じて審査員の評価を得、またプレゼンテーション能力を磨いた若者たち(45歳以下)である。そして、その後もアクティブに活動している。

  ことし、2月20、19日に世界農業遺産(GIAHS)セミナーを珠洲市で開催し、GIAHS事務局長のパルビス・クーハムカーン氏をローマから招いた。2日目、有機農業(個人経営)、企業農業、里山のデザイナー、菓子職人らマイスター修了の若者たち含め6人がそれぞれ10分ほど発表した=写真=。ビジネスベースでは軌道なかなか乗らないものの、里山で取り組む「夢」を真顔で語ったのだ。一つひとつの発表にコメントしたパスビス氏は最後に「あなたたちのその夢をぜひ実現してほしい。その成功が世界の若者をどれだけ勇気づけることか。バイオ・ハピネス(Bio-Happpiness)、自然と和して生きようではないか」と励ました。世界では若者の農業離れが進んでいる。若者を農村や里山に戻すには、新しい価値観が必要、それがバイオ・ハピネスという生き方というのだ。

  GIAHSは国連の食料農業機関(FAO)が認定している。能登など認定されたサイト(地域)は国際評価を受けたことになる。今回の世界農業遺産(GIAHS)セミナーはある意味で、能登の里山で農業やビジネスに取り組む若者たちと、認定機関FAOをつないだことになる。このセミナーを主催した中村浩二教授は「能登の里山は世界の里山とつなっがている。能登の若者たちが世界に目を向けることで、能登の新たな可能性を引き出すことができる。グローバルでもローカルでもない、グローカルに生きよう」と挨拶した。新しい価値観、それは国際ビジネスの最前線に立ち、グローバルに世界を飛び回ることだけではない。それには限界があり、なにしろコストがかかる。むしろ、同じ課題を抱える地域の者たちが世界中から生き抜く知恵を集める作業が必要になると、中村教授はいうのだ。世界の流れはすでにその方向に向かっている。

  不思議なことに。上記を裏付けることがある。「SATOYAMA」と「NOTO」は国際的に通用する言葉になっている。2010年10月、生物多様性条約第10回締約国会議(開催地:名古屋市)で「里山イニシアティブ」採択された。その後、2011年6月、GIAHS「NOTO‘s Satoyama and Satoumi」が認定された。この条約やFAOに関わりのある190ヵ国余りの担当者はこの言葉をマークしている。そして、能登の里山を訪れる海外からの研究者や行政担当者が数年随分と増えているのだ。その受け入れを大学、そして協力してくえる自治体、里山マイスターの受講生・修了生(JICA出身者が多い)が担っている。この現象を「能登のグローカルな風」と個人的に称している。

⇒13日(水)朝・金沢の天気    はれ

★能登の風景を変える人々

★能登の風景を変える人々

   先月9日、水戸市に出かけた。平成24年度「地域づくり総務大臣表彰」を受けるためだ。金沢大学が能登半島の先端で展開する「能登里山マイスター」養成プログラム運営委員会(代表:中村浩二教授)が授賞したのだ。中村教授に随行者として同行した。このブログでも何度となく紹介したが、「地域づくりは人づくり」、この地道な5年間のプログラムを振り返ってみる。

   日本海に突き出た能登半島に金沢大学の能登学舎(石川県珠洲市)がある。しかも、地元の人たちが「サザエの尻尾の先」と呼ぶ、半島の先端である。ここに廃校となっていた小学校施設を市から無償で借り受けて、平成18年から研究交流拠点として活用している。学舎の窓からは、日によって海の向こうに立山連峰のパノラマが展開する。この絶好のロケーションで、環境に配慮した農林漁業をテーマに社会人のための人材育成が行われている。

   能登半島は過疎・高齢化が進み、耕作放棄地も目立っている。追い討ちをかけるように、平成19年3月25日、能登半島地震(震度6強)が起き、2000棟もの家屋が全半壊した。能登の地域再生は待ったなしとなった。震災の発生する2月前に文部科学省科学技術振興調整費(当時)のプログラム「地域再生人材創出拠点の形成」に「能登里山マイスター」養成プログラムを申請していた。5月に正式採択されたが、喜びよりもミッション遂行の責任の重さがずっしりと肩にのしかかってきたとの思いだった。石川県が仲介役となって、金沢大学と石川県立大学、そして奥能登にある2市2町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の6者が「地域づくり連携協定」を結び、同年10月に開講にこぎつけた。連携する自治体は、広報やケーブルテレビを通じて受講生の募集業務やプログラムを受講する職員の推薦、移住してくる受講生の窓口の役割を担ってもらった。実際、このプログラムを受講した移住組は14人に上った。

   能登の地域再生を目指す人材像を3タイプに分けて、毎週土曜に講義と演・実習を2年間受講する形式を取った。その3つのタイプとは、「環境に配慮した農林漁業人材」、「付加価値をつけ流通させるビジネス人材」、「地域リーダー人材」である。事業の最大の成果は、修了生62人(45歳以下)のうち52人が奥能登に定着し(定着率84%)、能登を活性化する多様な取り組みの中心として活躍していることである。たとえば、農林漁業人材では、水産加工会社社員(男性)が同社の新規農業参入(耕作面積26㌶)の中心的役割を果たし、地域の耕作放棄地を減少させている。製炭業職人(男性)は高付加価値の茶道用の高級炭の産地化に向けて、地域住民らともに荒廃した山地に広葉樹の植林運動を毎年実施している。この男性は平成22年度の地域づくり総務大臣表彰で個人表彰を受けた。

   定着率が高いのは、2年間のカリキュラムを通して、受講生同士の情報交換や仲間意識といったネットワークづくりが奏功したのだと分析している。また、追い風もある。平成23年6月、国連食糧農業機関(FAO)から「能登の里山里海」と「トキと共生する佐渡の里山」が世界農業遺産(GIAHS)に認定され、持続可能型社会のモデルとして国内外で注目され始めている。5年間で終了した「能登里山マイスター」養成プログラムの後継事業として、平成24年10月から能登「里山里海マイスター」育成プログラムが大学と自治体の出資でリニューアルスタートとした。受講生は40人余り。東京から通いで学んでいる女性たちもいる。マイスター修了生の活動の輪がさらに広がり、近い将来、能登の風景を明るく変えてくれるに違いない、と楽しみにしている。

※写真は、農産物の販売実習の風景

⇒12日(火)夜・金沢の天気    はれ