☆過疎化する世界の農村と向き合う‐下
イフガオ棚田、手さぐりながら人材育成が始まった
中村教授らが着手したのは、「イフガオ里山マイスター」養成プログラムの設立だ。金沢大学のパートナーは、イフガオ州大学、フィリピン大学、地元自治体で構成する「イフガオGIHAS持続発展協議会」だ。まずは、学習カリキュラムの作成から。座学と実習の組み立て、農業や養殖、政策などの専門家による講義の手配、卒業課題の進め方などをアドバイスした。「プログラムを実施する地元の教員などの意見を聞き、現地に即した体制づくりを目指しています」と中村教授は話す。2ヶ月かけて、現地の大学、行政、住民代表らとの人材養成ニーズやカリキュラム概要をめぐる討論会をおこなってから、2014年2月には受講生の募集を開始した。約60人の応募者の中から、第1期生20人を迎えた。月2回、1泊2日の日程で1年間学ぶプログラムだ。年代は20~40代、職種も農家、大学教員、行政マン、主婦など、さまざまな経歴を持つ人が集まった。地元の農家、ジェニファ・ランナオさんは、「どうしたら村のみんなが豊かになれるのか学びたい」と参加した理由を話す。
このプログラムでは、とにかく“考える時間”を受講生に与えるのが特徴だ。「棚田を荒らす外来種のミミズをどう駆除するか」「観光客を呼び込むにはどうすればいいか」「棚田でドジョウの養殖はできるか」…。どの講義日にも、受講生自身が挑戦したい取り組みを決めて、どうすれば実現できるのか、全員で話し合うようにしている。こういった学びを繰り返すことで、自らの課題を見つけ、解決する力が身に付く。
「いつも受講生の熱意には感心します。伝統的な農業を守りながら、集落を発展させたいと、8時間かけて通っている人もいるんですよ」と、中村教授は、彼らの成長の可能性を感じているよう。受講生の一人、環境保全のボランティアに取り組んできたインフマン・レイノス・ジョショスさんは、「このプログラムでの学びを棚田の保全に生かし、地域の人たちにも伝えていきたい」と目を輝かせる。
今年9月にはプログラムの一環として能登で研修を行う予定。イフガオと能登の若者たちが交流し、里山と農業の未来を語り合えば、新たな発見が生まれてくるはず―。世界農業遺産を守るため、国境を超えた連携が生まれている。
⇒7月18日(金)午後・金沢の天気 はれ
能登半島山の斜面に積み重なる緑の幾何学模様。その先に広がる青い海。石川県能登半島にある棚田、白米千枚田はまさに絶景だ。この棚田のように、山や森林などに人が手を加えながら自然と共生してきた地域を“里山”と呼ぶ。能登の人々は、近代化が進む中でも地域ぐるみで里山を守り続け、2011年には、国連食糧農業機関(FAO)から伝統的な農業の保全・継承を目指す世界農業遺産(GIAHS)に認定された。
今回の拉致をめぐる日朝交渉でいろいろとイメージが膨らむ。「安倍総理の電撃的な訪朝はあるのか」。つい先日も、マスメディアの友人たちと雑談を交わした。「ある」「ない」と意見は二手に分かれる。「ある」とする方は、安倍総理の外交の柱の一つであり、ある意味で悲願でもあるので、「訪朝するくらいの覚悟はできているだろう」と。今月8日で放送されたNHK「日曜討論」で、自民党の高村副総裁は「(安倍総理が訪朝する可能性は)ゼロでない」と語っていた。おそらく総理訪朝のメリット、デメリットなど当然検討されているのだろう。
話は変わる。能登半島には一連の拉致被害の第1号の現場がある。最近何度か訪れた。警察関係者の間では、「宇出津(うしつ)事件」と称される。1977年9月19日、東京都三鷹市役所の警備員だった久米裕さん(当時52歳)が石川県能登町宇出津の海岸で失踪した。当時事件を取材した元新聞記者から話を聞いた。
安倍総理にとって拉致問題の解決は政治家としての「ライフワーク」とも言える。これまでの記憶をたどる。安倍氏は小泉内閣時に官房副長官と官房長官を務めた。2002年3月に官房副長官に就任し「拉致疑惑に関するPT(プロジェクトチーム)」を発足させ、さらにその年の4月には衆参院で「拉致疑惑の早期解決を求める決議」が採択された。その年の9月にあの電撃的な小泉訪朝が実現する。当時の金正日総書記と会談し、拉致を認めさせた。翌10月には蓮池薫さんら拉致被害者5人が帰国した。さらに2004年5月、小泉総理が再訪朝し、拉致被害者の子5人が帰国した。小泉氏が総理として爆発的な人気を得たのは、郵政民営化だけでなく、何と言ってもこの拉致被害者の帰国があったというのも大きい。当時、小泉訪朝を支えた安倍氏は一貫して「日本人拉致疑惑をうやむやにして、国交正常化などすべきではない」が持論だった。影の立役者だった。
北ベトナムとアメリカによる、いわゆるベトナム戦争の真っただ中の1974年、当時の南ベトナムが支配していた西沙諸島を中国人民軍が武力で確保し、「領土」とした。ベトナム戦争が終結した1988年には、さらに南沙諸島にも中国が進出し、統一ベトナムとの間で軍事衝突が起きた。中国は南シナ海のほぼ全域を覆うように「九段線」と呼ぶマーキングエリアを設定し、中国の主権と権益が及ぶと公言している。
この件の事情を韓国メディアの掲載記事で検索すると、2013年9月23日付の中央日報WEB版(日本語)は嘆いている。経済協力開発機構(OECD)加盟国で交通事故死亡率1位(2010年基準)、人口100万人当たり死亡者は114人。「交通事故死亡者5392人のうち57.4%に当たる3093人が歩道と車道が区分されていない幅9㍍未満の生活道路で犠牲になった。高速道路や広い道路よりも住宅地周辺の狭い道がさらに危険なのが韓国の現実だ」と。ちなみに、同じ統計で日本では100万人当たり死亡者45人なので、韓国の死亡事故は日本の2倍以上となる。ただ、交通死亡事故の定義は日本は24時間以内で死亡した統計であり、各国との比較は微妙だが、それにしても韓国の死亡事故は多い。
もちろん、4人の教師は無断欠席したわけではなく、校長に事前に届けていたので、「倫理」を問うというのはおおげさかもしれない。ただ、新入生の担任が入学式の当日にいないとなると、どうなっているのかと不審に思う保護者(父母など)もいるだろ。一方で、擁護する人は、教師は聖職者ではあるが、人の親でもあり、職業より私生活を優先させるケースがあったとしてもそう目くじらを立てることもない。それは、校長との話し合いでの上の判断なのだから、相当な理由があったはず、と。
今月上旬、埼玉県の県立高校で、それぞれ勤務校は別々だが、新入生の担任の教師4人が入学式を欠席した。その理由は、いずれも自分の子供の入学式に出席するため。式はいずれも8日にあり、4人はそれぞれ子供の小学校や中学校、高校の入学式に出た。4人のうち3人は女性教師だった。1人の男性教師は2人の子供の入学式が重なり、妻と手分けして出席したのだという。4人とも事前に校長に相談していて、有給休暇を取った。
事故当日の16日、テレビ局JTBCが救助された女子高校生にインタビューし、「友人の死について知っているか」と質問。この高校生が泣き出す場面が放送された。悲しみにくれる高校生に追い打ちをかけるものもで、不適切と非難が集中した、という。局の看板アンカーが番組で「どんな弁明もない。深く謝罪する」と頭を下げたようだ。