★伊勢志摩からヒロシマへ

★伊勢志摩からヒロシマへ

  アメリカのオバマ大統領が被爆地、広島を訪れることが決まったと昨夜、テレビのニュース速報が流れた。5月27日の伊勢志摩サミット終了後に、安倍総理とともに広島を訪問する。任期の最終年で今回を逃せば、現職のアメリカ大統領の広島訪問の実現は難しいと、日本とアメリカの両政府は水面下で相当調整を進めてきたようだ。2009年4月、プラハでの演説でオバマ氏は「核兵器なき世界」を提唱し、ノーベル平和賞を受賞した。唯一の戦争被爆地の訪問は7年の歳月を経てようやく実現することになる。

  その予感はあった。GWに伊勢志摩を旅行した折、ガイドしてくれたタクシー運転手が「6機分のヘリポートがすでに設置されている」とサミット会場(志摩観光ホテル)の周囲の様子を話した。そのとき、「なぜ6機分もいるのか」と思ったが、今回のニュースでピンときた。ひょっとしてオバマ大統領だけでなく、他の首脳も同行するのではないか、と。G7なので本来7機分だが、ヘリポートは平場があれば仮設で増やせる。一斉にヒロシマに向けて飛びつ立つヘリの姿は「絵になる」かもしれない。

  それにしても、オバマ氏の決断は急だったのだろう。安倍総理が昨夜(10日)総理官邸で報道各社のインタビューに応じたのは午後9時4分、その直後にニュース速報が一斉に流れた。それまで総理は6時31分から東京・赤坂の料理屋で会食をしていた。8時30分に官邸に戻ってきた。その30分後にインタビューに応じた。

  急だったというのは安倍総理がインタビューしている様子がニュースで流れていたが、総理に向けられたテレビ局のマイクは2本しか映っていなかった。テレビ各社の中でこの慌ただしい動きを察知して総理インタビューに間に合ったのは2社だけだった。その後、ホワイトハウスでアーネスト報道官が記者会見で大統領の広島訪問を発表したのは日本時間で午後9時30分ごろだった。ということは、ホワイトハウス側が日本側にオバマ氏の決断を正式に知らせたのはアメリカ側の会見のわずか30分余り前だったことになる。

⇒11日(水)朝・金沢の天気   風雨

  

☆伊勢志摩の肝(きも)-続

☆伊勢志摩の肝(きも)-続

 伊勢志摩に来て、海女たちの存在感がとてつもなく大きいと初めて知った。海女は全国でおよそ2000人、そのうち志摩760人、鳥羽250人と半数を占める。それだけの数のプロが存在するということは生業(なりわい)として成立しているからだ。ちなみに能登半島・輪島の海女は200人だ。

   ジェンダーを超えるプロ意識、海女文化をユネスコ無形文化遺産に

  かつて鳥羽では真珠養殖にとって、海女はなくてはならない存在だった。海底に潜ってアコヤ貝を採取し、核入れした貝を再び海底に戻す作業が仕事だった。赤潮の襲来や台風の時には、貝を安全な場所に移す作業に従事した。海女の潜水技術がなければ御木本幸吉の養殖真珠の成功はありえなかった。現在は養殖技術が発達し、海女の作業の必要性はなくなったが、ミキモト真珠島では伝統的な海女の潜水作業が1時間ごとに実演されている=写真=。単なるショーではなく、「真珠養殖の功労者」を記念するイベントとして紹介している。

 海女とアワビの関係も重要だ。海女がとったアワビは、伊勢神宮の御料鮑調整所(鳥羽市国崎)で熨斗あわびにとして調整され、神宮の祭礼に献上される。連綿と二千年の歴史を刻む。アワビが食材の最高級ブランドとして日本人の間で定着しているのも、食感もさることながら、この神饌としての歴史的価値が背景にあるのは言うまでもない。志摩観光ホテルの英虞湾を望むレストランで、フランス料理のメインデッシュとして「志摩産黒飽ステーキ」が堂々とテーブルに置かれる。

  数千年にわたってアワビを守り育て、生業(なりわい)の糧としてきた、海女たちのたゆまぬ営みが、国際的にも注目されている。海女文化を、ユネスコの無形文化遺産として登録を目指す動きだ。評価すべき点はこれまで述べたように「素潜り潜水という技術を身に着けた自立した女性の職業として後継者がいること」「女性の職業として数千年の歴史を刻み、日本の食文化と風習、神事に影響を与え、いまも寄与していること」「同じ海域で漁でありながら数千年も魚介を絶やさない資源管理の知恵」「自然と共生する海女たちが漁村というコミュニティの中心になっている」ことだろう。

  訪れた相差海女文化資料館、その近くの願掛け社「石神さん」で見かけた海女たちは声が大きく、笑い声が絶えず、体の動きが活き活きしていた。当地の海女言葉、「夫(とうと)ひとりを養えんで一人前の海女とは言えん」にジェンダーを超えて、人間としてのプロ意識や生きる力強さを感じる。海女の生業が数千年の歴史を刻む人類の職業モデルとして、ユネスコ無形文化遺産に登録され、国際的に顕彰されることを切に願う。

⇒6日(金)夜・金沢の天気    くもり

★伊勢志摩の肝(きも)-下

★伊勢志摩の肝(きも)-下

      今月26、27日に開催される伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)まであと21日。歓迎ムードは盛り上がっている。近鉄鳥羽駅前の広場では、「歓迎G7」の看板とともに、ベゴニアやマリーゴールドなど使って、赤や青、黄色など花の色分けでサミット参加国の国旗をあしらった花壇が設置されている。随分と工夫を重ねたディスプレイだと感心する。花でサミットの成功を祈念する地域の人たちの意気込みが伝わってくる。

 「歓迎G7」の心意気、この地はすでに国際的な観光地

  読売新聞社会面(5日付)によると、三重県の行政や企業やつくる「伊勢志摩サミット県民会議」が300人のボランティアを伊勢市で設置された国際メディアセンター(IMC)などに配置すると伝えている。各国から取材に訪れる新聞やテレビ、通信社の記者やカメラマンを道案内すると同時に、地域の観光や食文化など魅力も紹介する役目も担っている。300人のボランティアは1000人の応募から選ばれ、最高齢は82歳の元大学教授。この記事からは、伊勢志摩の魅力も併せて世界に情報発信したいと、地域ぐるみの意欲的な取り組みが感じられるのだ。

  首脳会合と各国首脳の宿泊場所は賢島にある志摩観光ホテル(クラシック、ベイスイート)が予定されているが、そのほかにもサミット議長の記者会見場、各国首脳の記者会見場、サミット事務局、各国事務局、各国随行員の宿泊場所、サブ・メディア・センター(記者の待機所など)などは志摩観光ホテル近くの別のホテルで分散して設けられる。

   主舞台の志摩観光ホテルからはおよそ20㌔離れた、伊勢市の県営サンアリーナに国際メディアセンターがある。野次馬根性で会場を見学してみたいと現地を訪れたが、入口で丁重に断わられた。確かにまだ工事中なので関係者以外の立ち入りは難しい。本館メインアリーナでは、テレビなど映像メディア向けのブースが120も準備される。サブアリーナでは記者の共用作業スペースとして800席の設ける準備が進んでいる。サンアリーナ南側では仮設の別館が設けられ、新聞や雑誌など国内メディアの記者たちの作業場となる。別館ではビュッフェ形式のダイニングスペースが設けられる。ざっと5000人のメディア関係者の参加が予想されている。伊勢志摩からどのようなニュースが世界に発信されるのか楽しみが増えた。

   2泊3日の伊勢志摩ツアーの最終日、近鉄鳥羽駅近くの「ミキモト真珠島」を訪ねた。橋で渡るこの島は、1893年に御木本幸吉が世界で初めて真珠の養殖に成功した島との説明があり、真珠博物館海や女の潜水作業の実演、ショッピンも楽しめる真珠のテーマパークになっている。パールショップでは、外国人観光客がショッピングを楽しんでいる光景があちこちに。施設や広場の看板を見渡すと、すべてが日本語と英語の表記、ガイドでもショッピングでも店員スタッフが英語で対応している。様子を見る限り、スタッフの対応は下から目線でも上から目線でもない。客と正面から向きあって、丁寧に商品説明をしている。

  ここで、はたと気づいた。冒頭のガイドボランティア300人の行動のお手本がここなのではないか、と。伊勢志摩の歴史と伝統、そして技術に育まれた名所や食文化を面と向かって丁寧に説明することが日本を理解してもらう「正道」で、海外の観光客に喜ばれるポイントだと地域の人たちは気付いている。その意味で、伊勢志摩、そして鳥羽を含めたこの一帯はすでに国際的な観光地なのだ。

   御木本幸吉記念館でこんなエピソードが紹介されている。1905年、それまで半円真珠の養殖だったが、真円真珠の養殖に成功。1919年、ロンドンの支店で真円真珠の販売を始めた。天然真珠より25%安い価格設定だったので、天然真珠の価値が下がることを恐れたヨーロッパの宝石商たちは養殖真珠は偽物だと訴訟を起こした。しかし、イギリスとフランスの研究者たちが天然と養殖ものに本質的な違いはないと証明する。これをきっかけに「ミキモトパール」が逆に信頼を得ることになり、その後ニューヨーク、パリと事業展開、養殖真珠が輝く日本の文化として世界に認知されるきっかけとなった。

 ⇒5日(木)午後・鳥羽の天気   はれ

☆伊勢志摩の肝(きも)-中

☆伊勢志摩の肝(きも)-中

 2日目は伊勢神宮の内宮(ないくう)=写真・上=と外宮(げくう)を訪れた。いにしえより「お伊勢さん参り」は日本人の心をつかんで離さなかった聖地巡礼の場だ。おそらく我が家の遠い先祖たちも参拝しただろうと想像すると緊張感も湧いてくる。

   伊勢神宮の常若(とこわか)の精神とは何か

  チャーターしたタクシーの運転手がガイドを買って出てくれた。外宮、内宮の順で回った。外宮の境内にある「風宮(かぜのみや)」。神職が落ち葉がきをしていた=写真・下=。白木の社と白装束が相まってなんとも凛とした光景だった。風宮は別宮(わけみや)という格式で正宮に次ぐ序列だとか。もともとは末社だったが、1281年の元寇(蒙古襲来)の時に神風を起こし日本を守ったとして「昇格」したとのこと。神様にも論功行賞があって面白い。

  有名なスポットでありながら、何も知識がなかったことに愕然としたことが多々あった。その一つが「式年遷宮」だ。実際に見ての第一印象がどの社殿も「新築物件」ということ。茅葺の屋根、ヒノキの柱などがみずみずしい。125の社殿がすべて建て替えられた。テレビなどのメディアで流される式年遷宮のイメージでは、皇大神宮(内宮)や豊受大神宮(外宮)の主だった社殿だけかと勘違いしていた。パンフによると、宮社だけでなく714種1576点におよぶ神様の衣装や服飾品、さらに太刀や鏡など調度品もすべてリニューアルしているのだ。

  伊勢神宮は20年ごと定期的に。飛鳥時代の持統天皇が第1回目の式年遷宮(690年)を実行し、平成25年(2013)10月の式年遷宮は実に62回目だった。1300年余りの歴史がある。ちなみに、出雲大社の遷宮は概ね60年に一度。これは伊勢神宮のように式年(定められた年)ではなく、社殿に損傷が進んだ時に行う、流動的なもので60年目安ということらしい。

  それにしても、総建て替えで要するヒノキだけで1万5千本。式年遷宮全体の費用は建築、衣服、宝物の製作を含め約550億円(330億円が伊勢神宮の自己資金、220億円が寄付)とされる。「なぜ20年なのか」とガイドの運転手に尋ねると、「ここでは常若(とこわか)の精神と言うんです」と。「常若」、初めて聞いた言葉だ。さらにこう説明してくれた。「建物がいまだ使えても、いずれ老朽化します。老朽化は神道では穢(けが)れでなんです。式年遷宮によって、建物を新しくすることにより神様の生命力を活性化させる。これが常若なんです」

  確かに昔は人生50年と言われ、建築の技術を次世代に伝えるには20年というサイクルが適当だったのかもしれない。また、全国の神社の総元締的な存在の伊勢神宮である。古材で使用可能なものは、たとえばヒノキの柱などは鳥居として末社に下げ払いされる。リサイクルとして全国に波及する効果は大きい。

  ふと思った。おそらく参拝したであろう先祖たちはこの伊勢神宮に来て、何を思っただろうか。式年遷宮=常若の意味を自ら考え、家督を早く息子に譲ろうと考えたかもしれない。あるいは、自宅を建て替えようと考えたかもしれない。私は、今の日本に必要なのは、この常若の精神ではないかと考えた。若者たちに活躍するチャンスを与える。起業やベンチャー、なんでもいい、税制や資金面で支援を受けて、若者が総活躍する社会だ。伊勢神宮はいろいろなことを考えさせてくれる。

⇒4日(水)伊勢志摩の天気   はれ

  

★伊勢志摩の肝(きも)-上

★伊勢志摩の肝(きも)-上

  ゴールデンウイークに伊勢志摩ツアーを楽しんでいる。伊勢志摩といえば、そう今月26、27日に開催される伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)の開催地でもある。JR名古屋駅から近鉄名古屋線に乗り換えて、終点の賢島(かしこじま)駅で降りるとものものしい警備体制の様子が見える。道路には随所に警察の警備車両が配置され、機動隊員が立っている。集落の細い道では自転車に乗った警察官も見えた。

「夫ひとりを養えんで一人前の海女とは言えん」

  駅周辺を散策しようとタクシーに乗り込む。海と山が入り組むリアス式地形ではカーブが多くアップダウンの道路が続く。どの道路でも左右の雑木などがきれいに刈り込みがされている。タクシーの運転手は「路上からの警備の見通しを効かせるために整備したんですよ」と解説してくれた。この警備体制は夜中も実施されているようだ。これだけ睨みを効かせると、テロリストも近づけないだろうと想像する。先の運転手によると、6機分のヘリポートがすでに設置されている。現地ではサミットに向けた準備が着々と進んでいる。

  それにしても、英虞湾を望む風景はまさに、人の営みと自然が織りなす里山里海の絶景だ。真珠やカキの養殖イカダが湾の入り組みに浮かぶ。昭和26年(1951)11月にこの地を訪れた当時の昭和天皇は「色づきし さるとりいばら そよごの実 目にうつくしき この賢島」と歌にされた。晩秋に赤く熟した実をつけたサルトリイバラ(ユリ科)とソヨゴ(モチノキ科)が英虞湾の空と海に映えて心を和ませたのだろう。昭和天皇はその後も4回この地を訪れている。歌碑は志摩観光ホテルの敷地にある。その少し離れた横に俳人・山口誓子の句碑もある。「高き屋に 志摩の横崎 雲の峯」。ホテルの屋上から湾を眺めた誓子は志摩半島かかる雲のパノラマの壮大な景色をそう詠んだ。

  テーマパーク「志摩スペイン村」で昼食をとった。入口でドン・キホーテとサンチョ・パンサの像が出迎えてくれる。セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』に登場する二人。まっすぐな理想主義を掲げる主人公のドン・キホーテと対照的に、大食漢で肥満、現実派の従者サンチョ・パンサ。二人のキャラは人間性を表現する永遠のテーマだろう。レストランで、スペイン産イベリコ豚のパエリア、小エビのアヒージョ、アサリのオーブン焼き、それにスペイン産の赤ワインも注文して、束の間の食事を堪能した。

  外に出て、テーマパークを散策すると女性の叫び声が聞こえてきた。しかも、一人ではない、阿鼻叫喚の地獄での人の叫びのように聞こえた。「ピレネー」というジェットコースターでの絶叫だった。ピレネー山脈のような山あり谷ありのレールを最高時速100㌔で走行する。上下左右に体が振り回されるので、見ているだけでも恐怖を感じる。若い係員に「気絶する人はいないの」と尋ねると、「ボクはまだ(気絶した人を)見たことないですね。速すぎて、乗ってみるとそんなに怖くはないと思いますよ」と。

  さて、このピレネーに挑戦してみるか、と心が揺れた。もし、ドン・キホーテだったら人間のチャレンジ精神を掲げて挑んだかもしれない。しかし、恐怖感と同時に、スペイン料理で腹が満たされ、ひょっとしておう吐するかもしれないと現実感もあった。結局乗るのはやめた。自分はサンチョ・パンサに人間性が近いなと内心思った。

  夕方、鳥羽市にある相差海女文化資料館を訪れた。相差は「おおさつ」と読む。かつて記者時代に能登半島・輪島市の海士町や舳倉島を訪れ、海女さんたちを取材し、ルポルタージュを描いたので、伊勢志摩の海女さんたちにも以前から関心を寄せていた。同市国崎では海女さんたちがとったアワビを熨斗あわびに調製して、伊勢神宮に献上する御料鰒調製所がある。二千年の歴史があるといわれる。資料館では、深くはやく潜るために石を重りにした石イカリがあった。平均50秒という海女さんの潜水時間を有効に使うため、速く深く潜るための道具である。かつて輪島でも夫婦舟といって、石を抱いて船に海に潜った海女がアワビをとり、命綱をクイクイと引っ張ると、舟上の夫が綱をたぐり寄せて海女を引き上げる。輪島と同じ漁法だ。写真(下)にあるセイマン(星形)とドウマン(網型)は海女が磯着に縫った魔除けのまじない。それほどに命がけの仕事でもあった。

  もう一つ同じだと感じた点がある。当地の言葉で「夫(とうと)ひとりを養えんで一人前の海女とは言えん」がある。輪島でも「亭主の一人や二人養えんようでは・・・」という言葉を聞いた。腕っぷしの強さ、自活する気概のある女性たちの自信にあふれた言葉だ。

⇒3日(火)伊勢志摩の天気   くもり  

  

☆続々・核なき世界への一歩

☆続々・核なき世界への一歩

  アメリカのオバマ大統領が来月(5月)下旬に三重県で開かれる伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)のため来日する折、被爆地・広島の平和記念公園を訪問する方針で最終調整しているとメディア各社が報じている=写真=。実現すれば、現役のアメリカ大統領としては初めてのことだが、それより何より、オバマ大統領が掲げる「核兵器のない世界」に向けた国際的な取り組みを継続的に発展させるためのシンボリックな一歩となる。

  オバマ大統領がまだ訪問を鮮明にしていないのは、アメリカ国内の退役軍人らを中心に「原爆投下によって終戦が早まった」とする意見が根強いからだろう。オバマ氏が広島を訪問する目的を「謝罪」ではなく、「不戦の誓い」の献花でよいのではないか。オバマ大統領の広島での献花の後、安倍総理が機会をつくって、今度はハワイのパールハーバーで献花すれば、日米相互の信頼関係を新構築する外交のチャンスだと考える。

日本政府がアメリカをはじめとする連合軍の占領から統治権を回復するまで、原爆問題はタブーだった。連合国軍総司令部(GHQ)の指令によって、日本のメディア(主に新聞、ラジオ)は情報統制(プレスコード)下に置かれたからだ。プレスコードの内容は、1)報道は絶対に真実に即すること、2)公安を害するようなものを掲載してはならない、3)連合国に関し虚偽的または破壊的批評を加えてはならない、4)連合国進駐軍に関し破壊的に批評したり、または軍に対し不信または憤激を招くような記事は一切掲載してはならない、5)連合軍軍隊の動向に関し、公式に発表解禁となるまでその事項を掲載しまたは論議してはならない、といったものだった。つまり、原爆の問題性を議論することそのものがこうしたプレスコードにひっかかった。

  1952年4月のサンフランシスコ講和条約以降になって、日本国内で自由に原爆問題が議論された。また、広島に平和記念公園が開設された1954年から現在の平和記念式典が開催されるようになった。戦争の恐ろしさと参戦という悲惨な過ちを繰り返さないという趣旨の行事であり、アメリカ側に原爆投下の責任を求める集会とはなっていない。

  むしろ、アメリカに原爆投下の責任を問うたのはストックホルム・アピール(1950年3月)だろう。1949年、ソビエトによる原爆保有声明が発せられ、アメリカのトルーマン大統領が水爆製造命令を出すなど、米ソの核軍備競争が過熱し出した。国際緊張が高まり、1950年3月にスウェーデンのストックホルムで開催された平和擁護世界大会で、「原子兵器の絶対禁止」「原子兵器禁止のための厳格な国際管理の実現」「最初に原子兵器を使用した政府(アメリカ)を人類に対する犯罪者として扱われるべき」とのアピールを採択された。世界中で署名運動が繰り広げられ、2億7347万の署名が集まったとされる。

  日本では署名が639万の署名が集まった。しかし、1950年の平和擁護世界大会に日本代表として作家の川端康成ら3人が派遣される計画だったが、GHQの渡航許可が得られず、出席は果たされなかった。

  同年(1950年)6月に朝鮮戦争が始まり、国連軍総司令官のダグラス・マッカーサーが核兵器使用を主張したが、トルーマン大統領はマッカーサーの司令官を罷免し、核兵器使用は見送られた。この核兵器使用の見送りはストックホルム・アピールや署名活動など国際的な反核運動の高まりが背景にあったとされる。

  北朝鮮は、アメリカと韓国の両軍による合同軍事演習を非難し、遂行するならば米韓両国に「無差別の」核攻撃を実施するとの談話を発表している(2016年3月7日付・BBCウエッブ版)。核兵器の使用を「正義の核先制攻撃」とする北朝鮮の挑発する事態の中でこそ、オバマ大統領のヒロシマ・アピールが期待される、と考えている。

⇒23日(土)午前、金沢の天気  はれ

★続・核なき世界への一歩

★続・核なき世界への一歩

   アメリカのオバマ大統領の被爆地訪問をめぐっては、同国内で意見が分かれるだろうことは想像に難くない。アメリカでは現場投下が終戦を早めた「正しい判断だった」とする認識がこれまで喧伝されてきたからだ。では、今の若い世代はどう考えているか興味深い。

   2015年8月6日付でニューズウィーク日本版ウェブがこう伝えている。引用させていただく。インターネットマーケティングリサーチ会社の「YouGov(ユーガブ)」が発表したアメリカ人の意識調査によると、広島と長崎に原爆を投下した判断を「正しかった」と回答した人は全体の45%で、「間違っていた」と回答した人の29%を依然として上回っていた。しかし、調査結果を年齢別に見ると、18~29歳の若年層では45%が「間違っていた」と回答、「正しかった」と回答した41%を上回った。また30~44歳の中年層でも36%が「間違っていた」と回答し、「正しかった」と回答した33%を上回った。ちなみに、45~65歳では約55%、65歳以上では65%が「正しかった」と回答した、という。

   これまでアメリカでは、原爆投下を肯定する意見が世論の大半を占め、世論調査機関ギャラップが戦後50年(1995年)に実施した調査では59%が、戦後60年(2005年)の調査では57%が原爆投を支持していた。日本とアメリカ両国で戦争の記憶が薄れる中、アメリカの若い世代では、核兵器への忌避感が強く、原爆投下にしても「間違っていた」と徐々に変化していることは想像がつく。オバマ大統領は被爆地訪問を希望しているといわれるが、こうした国内世論を慎重に見極めているのだろう。民主党、共和党がそれぞれに大統領候補の指名争いのただなかにある。ここで、退役軍人らの支持を広げたい共和党の候補者らを勢いづかせては元もこうもないとオバマ大統領が思案していることは察しがつく。

  とくに、オバマ大統領の外交姿勢は、アジア重視を強調しながら、その成長の明るい面ばかりに目を向け、たとえば中国が周辺国に与えている脅威などリアルさに十分注意を払っていないと、とよく指摘されている。こうしたリアルさをサ欠いたままで、被爆地訪問が果たしてどれだけば効果があるのだろうか、と。

  では周辺国の反応はとチェックすると。これはあくまでも、韓国・中央日報の論調なのだが、オバマ大統領に被爆地訪問は現時点で反対なのだ。12日付のウェブ版の社説「米国務長官の広島訪問、日帝免罪符なってはいけない」として、以下のように述べている。「オバマ大統領も来月の日本G7首脳会議を契機に広島を訪問することを検討中という。任期初めから核なき世界を推進してきたオバマ大統領としては歴史的なここでフィナーレを飾りたいと思うだろう。しかし東アジア全体の目で見ると、いま米大統領が広島に行くのは時期尚早だ。まず日本は韓国や中国など被害国から完全に許しを受けたわけではない。被害国が心を開けないのは、日本政府が心から過去の過ちを反省していないと見るからだ。」と。

  「東アジアの許しを得ていない」という、まるで戦勝国の発想なのだ。日本は韓国を併合したが、戦った相手ではない。むしろ、オバマ大統領の被爆地訪問がどれだけ北朝鮮の核開発に対してプレッシャーを与えることになるだろうか。韓国政府がどのような見解なのか、知りたいところだ。

  ケリー国務長官の今回の広島訪問が、オバマ大統領が5月の伊勢志摩サミットの際に広島を訪れる「試金石」、あるいは「さきがけ」「露払い」になったのかどうか。オバマ氏が広島の地に立ち「核なき世界」の演説をすれば、彼自身の人生最大の政治ショーとなり、「レガシ-(遺産)」となることは間違いない。「アメリカは原爆投下の道義的な責任がある。核廃絶の先頭に立つ」(2009年4月・プラハ演説)

⇒14日(木)朝・金沢の天気   はれ

☆核なき世界への一歩

☆核なき世界への一歩

  G7(主要7ヵ国)の外務大臣がきのう(11日)、広島市の平和記念公園を訪れ、原爆死没者の慰霊碑に花輪をささげた。とりわけ、アメリカのケリー国務長官の姿に視線が注がれた。ケリー氏は予定になかった原爆ドームも見学した。テレビ画面を視聴しての印象だが、すがすがしい感じがした。

  今回の外相会議に際してアメリカ側は「原爆投下について謝罪はしない」とのスタンスだ。なぜなら、今は現在と未来について話し合っているからだ、と。この方針のもと、ケリー氏は平和記念公園を訪れた。適切なスタンスだ。日本人として不快感を感じる人はいなかっただろう。記者会見したケリー氏は帰国後にオバマ大統領に「(被爆地)訪問がいかに大切かを確実に伝えたい」と述べたという。未来を切り拓く、未来を担保するとはこのようなスタンスなのだと思う。

  もし、日本の世論がケリー氏に原爆投下の責任と謝罪を迫ったり、非人道的な行為だったとデモが平和記念公園周囲で起きていたら、おそらくこうはならなかった。アメリカ側も戦勝国意識を強く打ち出していれば、ケリー氏の被爆地訪問すら実現しなかったろう。

  70年前の過去の乗り越えて、いかに被爆地・広島から核兵器のない世界を目指すか。核軍縮と不拡散にG7で一致して取り組むかが、今問われている。ましてや、核実験や弾道ミサイル発射を繰り返す北朝鮮問題が憂慮されていからなおさらだ。

  核なき世界を掲げたオバマ大統領にとって広島への訪問はおそらく悲願だろう。オバマ大統領は2009年のプラハ演説で「核兵器を使った唯一の国として行動する道義的責任がある」と述べ、ノーベル平和賞を受賞している。が、それが思うようにできないところにアメリカの事情がある。大統領の被爆地訪問を「謝罪」と受け止めるアメリカ側の世論があり、原爆投下によって戦争を早く終結させたとのアメリカ側の大義名分を揺るがす恐れがあるからだ。

  日本はこれまでアメリカ側に原爆投下に関して謝罪を求めてこなかった。国際司法裁判も起こしていない。現実を受け入れ、未来に向けて、日本とアメリカが共に協力して、自由と民主主義、基本的人権の尊重、法治と国際法遵守の価値観のもとで世界の平和にどう貢献していけばよいか、これまで模索してきたからだ。戦勝国と敗戦国の関係で世界平和は築けないことは両国が一番よく気づいているのではないか。 

  今回G7の外務大臣が平和記念公園を訪れたことによって、国際社会で核なき世界を作っていく機運を盛り上げる歴史的な一歩になった、そう感じたニュースだった。

⇒12日(火)朝・金沢の天気   はれ

★花の季節は移ろう

★花の季節は移ろう

  東京の知り合いから「地震の対策はできてますか」とメールがあった。なんでも、ラジオのFM電波で地震活動の前兆となる変動現象を発見した天文学者が独自に「地震予知」のニュースレターを発行していて、それによると「4月9日 M7.8±0.5」の地震が福井や石川県加賀地方で起きる可能性があるという。このメールを読んで、1948年(昭和23年)6月28日16時13分29秒に発生し福井県を中心に北陸を襲った福井地震の再来かとピンと来た。そのときは、都市直下型で、規模はM7.1だった。同規模の地震が果たしてくるのかどうか。

  大学の地震学者でも、公立天文台に所属しているわけでもない、私設の天文台の研究者だ。地震予知を必死に観測する姿はニュースレターを読めば分かる。「4月9日」を固唾の飲んで見守っている。

  公園の桜は春の嵐で桜吹雪の状態になっていた。そして、自宅の庭に出て、観察するとタイツリソウやイワヤツデといった花が咲き始めている。このタイツリソウは、面白い花だ。ネットで調べてみると、タイツリソウは別名で正式にはケマンソウ(ケシ科)。中国や朝鮮半島に分布していて多年草です。日本には15世紀の初めの室町時代にに入ってきらしい。ケマンソウの名前は花を寺院のお堂を飾る装飾品「華鬘(けまん)」に見立てて付けられたとか。

  長くしなるような花茎を釣り竿に、ぶら下がるように付く花をタイに見立てた「タイツリソウ(鯛釣草)」の別名の方がイメージがわいてわかりやすいので、今ではタイツリソウの名が一般的という。写真を見てわかるように、赤いに近いピンクの花はぷっくりとしたハート型で外側の花びらと、その下方から突き出るように伸びる内側の花びらがある。花は開き切ると外側の花びらの先端がくいっと上を向き、またその姿がなんとも愛らしいのだ。

  日本では鯛釣草というめでたいようなネーミングだが、欧米はちょっと感覚が違うらしい。この花が心臓のように見えるので、英語名は「bleedeng heart(血を流す心臓)」、ドイツ語名は「tranendes Herz(涙を流す心臓)」、フランス語名は「coeur-de-Jannette(ジャネットの心臓)」。これに比べれば、本場の中国名は「荷包牡丹(きんちゃくぼたん)」。このほうが何となく日本人としては受け入れやすい。そんなことを思いながら、季節の移ろいを感じている。

⇒8日(金)朝・金沢の天気   あめ

☆論点のずれ

☆論点のずれ

  高市総務大臣による「放送局の電波停止の可能性」について、テレビの著名なキャスターやコメンテーター、評論家から「政治家の発言は現場の萎縮を招く」や「権力の言論への介入は許さない」といった批判が相次いでいる。検証したい。

  3月24日、田原総一郎氏や鳥越俊太郎氏らが外国特派員協会で記者会見したとの報道があったので、各紙の記事をつぶさに読むと、以下のようなことが書かれてあった。

  会見に臨んだコメンテーターらは「高市総務大臣の発言は黙って聞き逃すことのできない暴言だ」と述べ、「政権がおかしな方向に行ったときはそれをチェックし、ブレーキをかけるのがジャーナリズムの使命。それが果たせなかったとすればジャーナリズムは死んだもと同じだ」と。田原氏らは「テレビ局の上層部が萎縮してしまう」と指摘した。しかし特派員から質疑応答が始まると、逆に鋭い質問が会見者側に向けられた、という。

  前ニューヨーク・タイムズ東京支局長は「圧力というが、中国のように政権を批判すると逮捕されるわけではない。なぜ、日本のメディアはこんなに萎縮するのか。どのような圧力がかかるのか、そのメカニズムを教えて欲しい」と。インターネットニュースの記者は「高市発言、あの程度のことでなぜそこまで萎縮しなければならないか。NHKは人事や予算が国会に握られているから政権に弱腰なのはわかるが」と。

  さらにきつい一発が飛んだ。香港のテレビ局の東京支局長は「そもそもみなさんは記者クラブ制度をどう考えているのか。また、日本の場合は電波を少数のメディアが握っているため規制を受けている。この放送法の枠組みをどう思うのか」と。

  会見者側は、国による電波停止の発言はジャーナリズムの危機だと訴えたかったのだが、話はむしろ日本のジャーナリズムの異質性や矛盾へと展開していく。とくに記者クラブに関しては日本独特の制度でもある。公的な機関の中で、クラブというマスメディア(新聞・テレビ・通信社)の拠点がある。もともとメディア間の親睦組織だ。記者はよく「虎穴入らずんば虎児を得ず」と言う。ジャーナリズムを名乗る以上、政治との間に明確な一線を引き、緊張感のある関係を維持しなければ、権力監視の役割などできるはずもないのだが、記者クラブはまさに「虎穴」の入口のようでもある。公的な機関の幹部との懇談なども記者クラブが窓口になっている。その記者クラブには他のメディアは実施的に入れないので、排他性や多様性の無さが問題となっているのだ。

  そうした日本固有のジャーナリズムの在り様や現実問題には触れずに、「報道現場が委縮すると」「権力の言論への介入」と言ってみたところで、違和感を感じるのは外国特派員だけではないだろう。記者クラブだけでなく、ある新聞社が購読料を一律に読者に請求する再販制度、あるいは香港のテレビ局の東京支局長が指摘したように、新聞社が系列のテレビ局をつくり、持ち株や人事など支配するクロスオーナシップなどは、少数のマスメディアの特権と化していると言っても過言ではない。

  誤解のないように言うが、記者クラブを廃止せよと主張しているわけでない。新聞社とテレビ局、通信社が独占的に運用している記者クラブの制度に問題があるのではないかと問うている。誘拐事件のとき、人命尊重を優先させるため報道を控えるという記者クラブと警察当局による報道協定などメリットなども否定しているわけではない。

  よれより何より、高市発言で一番の論点は、電波停止の可能性の発言で本来、異議申し立てすべきテレビ局の動きが目立たないことだ。3月17日、民間放送連盟の井上弘会長(TBS会長)は定例の記者会見で、電波停止発言について、「放送事業者は放送法以前に、民放連や各社の放送基準から逸脱しないよう努力している。(電波停止という)非常事態に至ることは想像していない」と述べた。また、テレビ業界で萎縮が広がっているのかという記者の質問に対して「そんな雰囲気はない」と否定している。会見の場で高市発言に真っ向反対の意見を期待した記者団は肩透かしだったに違いない。この高市発言の論点の何かがずれている。

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