☆里山資本主義

☆里山資本主義

  能登半島の里山にはイギリス人、そしてアメリカ人の家族がいる。それぞれの里山生活歴はやがて四半世紀(25年)にもなる。その一人、渡辺キャロラインさんはアメリカ・ニュージャージー州出身で、コロンビア大学で日本語を学んだ後、陶芸家の日本人と知り合いになり、珠洲市に移住してきた。長男をもうけたが、夫をがんで亡くした。「女手一つ」で子どもを育てた。現在も英会話教室の講師、そして陶芸家として活躍する。

  そのキャロラインさんの自宅を過日訪ねた。山の中腹、森林の急な坂道を抜けるとログハイス風の住宅と陶芸工房が見え、北アメリカの風景が広がる。家畜小屋を譲り受けて改築してつくったという自宅は薪ストーブがある洋風のこじゃれた住宅だ。自分で薪をつくるというキャロラインさんの腕は太い。冬場には2時間、3時間も雪かきをするという。ここでコメをつくり、ニワトリとミツバチを飼う。「スーパーが遠いのでなるべく自給しているの」と笑う。この地域では知れた「二三味(にざみ)焙煎」のコーヒーをいただいた。ふくよかな香り、おいしい。いろいろなご苦労も察するが、キャロラインさんは笑ってこう話す。「野菜が足りなければ、近所と物々交換するの。お金が少なくても、里山の生活はお金がかからないので暮らしは豊かですよ」

 キャロラインさんの話を思い出しながら、『里山資本主義』(著者:藻谷浩介・NHK広島取材班)を読んだ。消費生活と呼ばれる現代の都会の暮らしと対極にあるのが、山林や山菜、農業など身近にある資源を活用して、食糧をなるべく自給し、エネルギーも自ら得て暮らす、地方の自立的な暮らし方である。著者は、前者をマクロ的に表現して「マネー資本主義」と称し、後者を「里山資本主義」と名付けている。後者、たとえばキャロラインが語った「野菜が足りなければ、近所と物々交換するの。お金が少なくても、里山の生活はお金がかからないので暮らしは豊か」な経済的な暮らしは「贈与経済」とも呼ばれてきた。「里山の資本=資源」で暮らすライフスタイルという意味であり、独特の金の流れ(金融)があったり、経済構造を抜本的に変えるというわけではない。

 むしろ、著者が説くのは、現在のマネー資本主義はシステムも人々の心も病んでいるので自壊する可能性もある。里山資本主義は、人々の取り組みが拡大すれば過疎の町に雇用が生まれ、域内でお金が回り、ある意味で持続可能なシステムなので、マネー資本主義、グローバル経済が破たんしたときのサブシステムとして「担保」しておけという壮大な話なのである。その意味では、「里山資本主義」は絶妙なネーミングである。

 理論だけを論じているのではない。NHKの取材クルーが森林国オーストリアでの里山資本主義の事例を紹介している。強度の高い集成材が開発され木造ビルが普及し、エネルギーもアラブ石油に依存しない体質へと構造転換が始まっている。日本でも、岡山県では製材所での木くずでバイオマス発電で行い、さらに木くずをペレット燃料に加工して、地域の家庭の暖房などに使っている。この取り組みがモデルとなり、森林国日本でも各地の広がりつつあると紹介している。鉄筋センメトから木造へ、石油からバイオマスエネルギーへ、搾取から共生へ、経済のあらゆるモデルを最先端技術で古くて新しい経済モデルに再生する試みが世界で日本で起きている。里山には少子化や年金問題、「無縁」社会といった日本の不安を解決するヒントも潜んでいると著者は説く。

 里山から若者たちが出ていく。「田舎に仕事がない」と。でもそれは間違い。雇用がないだけで、仕事は山ほどある。著書はそんなことも教えてくれる。

⇒6日(火)夜・金沢の天気    はれ

★「影の銀行」のこと

★「影の銀行」のこと

  最近、新聞やテレビなどで、中国発の経済危機の可能性について報じられることが多い。そのキーワードが「影の銀行」(シャドーバンキング)だ。「通常の銀行システム外の事業体および活動に関連する信用仲介」と定義される「影の銀行」が個人や企業の資金を地方の不動産開発に流し込み、信用バブルを生じさせる温床ともなっていると指摘されている。

  その信用バブルについて、中国で実感したことがいくつかある。昨年8月に浙江省青田県方山郷竜現村を世界農業遺産(GIAHS)の現地見学に訪れたとき、田舎に不釣り合いな看板が目に飛び込んできた。「161㎡ 江景…」との文字、川べりの豪華マンションの看板=写真=だ。地方に似つかわしくない看板なのである。中国人の女性ガイドに聞くと、マンションは1平方㍍当たり1万元が相場という。1元は当時12円だったので、1戸161㎡では円換算で1932万円の物件である。確かに、村に行くまでの近隣の都市部では川べりにすでにマンションがいくつか建っていた。夕食を終え、帰り道、それらのマンションからは明かりがほとんど見えない。投資向けマンションなのだ。2011年6月に訪れた首都・北京でも夜に明かりのないマンション群があった。
 
 もちろん、投資向けのマンションを購入するマネーは人民元だ。投資を繰り返して膨らんだマネーの行きつく先は将来のリスクを考えてのポートフォリオ、つまり分散投資をすることになる。はたして、中国の「投資家」が人民元を持ち続けることができるだろうか。中国は日本をしのぐ経済規模になったといわれ、人民元がアジアを代表する基軸通貨になれば中国の人々は安心して元を持ち続けるだろう。ただ、通貨には「価値の尺度」「交換の手段」「価値の保存」という3つの要件があるといわれる。中でも問題は「価値の保存」なのだ。その国にたとえば政治の不安定要因があれば、「価値の保存」は崩れやすい。

 繰り返しになるが、実体経済とかけ離れたマネーが中国国内にあふれている。しかも、そのマネー(通貨)は自由や平等といった価値観によって守られているとは言い難い。それどころか、軍事力を背景に中国が、近隣諸国に対して「挑戦」する姿勢を強めている。つまり、安全保障上の脅威ともなっている。これは逆に言えば、国内の政治の不安定要因でもある。つまり、通貨の「価値の保存」は崩れやすく、人民元でその資産を保有する意味がなくなる可能性が大きい。

 このことを見越した「投資家」たちは国外へのマネーの逃避を始めているだろう。習近平体制の腐敗防止キャンペーンとは、単純に言えば、逃避する可能性のあるマネーの没収大作戦ではないのか、とついうがった見方をしたくなる。日本では「バブル崩壊」の経験があるだけに、中国の「影の銀行」がクローズアップされているが、本当の問題は政治とリンクした人民元の通貨の価値の問題ではないのか。今回の話はミクロとマクロがごっちゃになって分かり難いのだが…。

⇒1日(木)夜・金沢の天気   あめ

☆日米野球文化のアーチに-下

☆日米野球文化のアーチに-下

 指揮者・岩城宏之はプロ野球のファンでもあった。2004年と05年の大晦日、ベートーベンの一番から九番の交響曲を一人で振り切ったとき、ステージトークで「ベートーベンのシンフォニーは9打数9安打、うち五番、七番、九番は場外ホームランだね」と野球にたとえて述べていたくらいだ。松井もまた、2004年の大晦日に、岩城のベートーベンの9番連続指揮をCS放送でたまたま帰国した実家で視聴して、「(岩城さんは)すごいことに挑戦しているいる」と思ったという(テレビ朝日『テレメンタリー』2006年11月27日放送「松井秀喜への手紙~指揮者岩城宏之 Far Eastの挑戦者」)。

       松井だからなれる「日米野球文化の懸け橋」に

 岩城は2006年6月13日に亡くなる前、当時の松井に手紙を出していた。松井はその時、故障で休場を余儀なくされていた。

 「今回あなたの闘志あふれる守備のため、負傷したことは、誠に残念です。しかしながら、これからの活躍のための一時の休養であると考えていただき、(中略)一番都合の良い夢を見てすごしてください。(中略)私も30回に及ぶ手術を受けましたが、次のコンサートのポスターをはって、あのステージにたつんだと、気持ちを奮い立たせました。(中略)お互い、仕事の世界は違いますが、世界を相手に、そして観客の前でプレーすることには変わりはありません。私も頑張ってステージに戻ります。」(岩城から松井への手紙)

 岩城と松井の直接の接点はない。ただ、岩城は松井の故郷である石川県に拠点を置くオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の音楽監督をしていた。そして常々、「このオーケストラを世界のプレイヤーにしたい」と語っていた。岩城さらも、20代後半にクラシックの本場ヨーロッパに渡り、武者修行をした経験がある。その後、NHK交響楽団(N響)などを率いてヨーロッパを回り、武満作品を精力的に演奏し、日本の現代曲がヨーロッパで評価される素地をつくった。

 岩城は挑戦者の気概を忘れなかった。2004年春、自らが指揮するOEKがベルリンやウイーンといった総本山のステージを飾ったときの気持ちを、「松井選手が初めてヤンキー・スタジアムにたったときのような喜び」と番組のインタビューに答えていた。クラシックのマエストロは、野球の本場ニューヨークで奮闘する松井の姿と同じ心境だったのだろう。

  もし、岩城が生きていたら、今の松井にこんな手紙を送ったかもしれない。「これからの活躍のための一時の休養であると考えていただき、一番都合の良い夢を見てすごしてください。あたなたは日本とアメリカの野球のことをすでに熟知された。これからはニューヨークに在住しながら、できればアメリカの大学に入って野球の歴史と文化を学び、そして日米野球文化のアーチ(懸け橋)になっていただきたい。あなただからそれができます。」

⇒31日(水)朝・金沢の天気   はれ

★日米野球文化のアーチに-上

★日米野球文化のアーチに-上

  今季限りで現役を引退した元プロ野球選手、松井秀喜氏(39)。28日に2003年から7年間在籍したヤンキースの本拠地で引退セレモニーがあった。テレビや新聞がニュース特集=写真=で報じた。ヤンキー・スタジアムの野球の本場らしい雰囲気がセレモニーを厳かにしていた。本塁上に用意された机で引退書類にサインをする風景などは日本では見たことがない。ピンストライプのユニフォームがはやり松井に合っている。テレビや新聞を見て、そんなことを思った。

    松井秀喜の応援歌『栄光(ひかり)の道』と指揮者・岩城宏之の遺志

 ホームタウンは石川県能美市にある。私は金沢のテレビ局時代に何度か自宅を取材に訪れた。松井が星稜高校時代、「夏の甲子園」石川大会の中継、本大会での取材と夏は松井一色だった。強打者ぶりは伝説にもなった。1992年夏の全国高校野球選手権2回戦の明徳義塾(高知)戦で、5打席連続敬遠されて論議を呼んだ。話のついでだが、母校・星稜高校は28日に開かれたことしの全国高校野球選手権石川大会の決勝で、6年ぶり16度目の夏の甲子園出場を決めている。

 高校卒業後の松井は破竹の勢いだった。1992年秋、ドラフト1位で巨人に入団。セ・リーグMVP、ホームラン王、打点王をそれぞれ3度、首位者を1度獲得。2002年オフにフリーエージェント宣言、ヤンキースに移籍した。メジャー挑戦1年目の2003年、本拠地開幕戦で、メジャー1号を満塁弾で決めた。2007年、日本人ではイチロー選手(現ヤンキース)に続いて2人目となる日米通算2000安打を達成した。2009年にはワールドシリーズでは3ホーマーを放ち、シリーズ最優秀選手(MVP)に選ばれた。日本人で初の快挙だった。日本とアメリカで通算507本のホームラン。日本で10年、アメリカで10年、松井にとって20年間のプロ野球人生だった。

 では、松井はこれからの人生のビジョンをどう描いているのか。30日付の朝日新聞によると、ニューヨークの自宅の部屋には「野球のものが一つもない。目につく場所にボールやバット、写真もない。全部倉庫に入れちゃった。一つもなくなった。」と記者(星稜高野球部の同級生)に語っている。そして、ことし3月に生まれた長男の子育て中とか。また、石川県の地元紙は、8月上旬から10日間ほど日本に滞在し、この間、8日の全国高校野球選手権大会の初日観戦やトークショーなどのスケジュールをこなすという。

 でも、このことを指揮者の岩城宏之さん(2006年6月13日逝去、享年73歳)が聞いたら何というだろうかとふと思った。岩城は2004年と2005年の大晦日にベートーベンの交響曲一番から九番まで一晩で指揮した演奏した人である。世界で初めて、しかも2年連続である。それはCS放送でも生中継された。そして。松井の大ファンだった。自ら音楽監督をしていたオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の演奏で松井の応援歌をつくる構想を温めていた。「ニューヨークで歌っても様になるように」と、歌詞は簡単な英語のフレーズを含むことも考えていた。岩城が他界した後、応援歌構想の遺志は引き継がれ、宮川彬良(須貝美希原作、響敏也作詞)/松井秀喜公式応援歌『栄光(ひかり)の道』が完成した。曲の中の「Go、Go、Go、Go! マツイ…」というサビの部分は松井選手が出番になるとヤンキー・スタジアムに響いた。

⇒30日(火)朝・金沢の天気  はれ

☆選挙とメディア-下

☆選挙とメディア-下

  今回の参院選挙からインターネットを選挙運動に活用することがスタートした。「ネット選挙」の元年ともいえる。ただ、アメリカではすでに政治と民意をつなぐ媒体としてネットの選挙利用は定着している。

        デジタルとアナログの選挙運動が両輪で回るアメリカ

  アメリカにおけるネットの選挙利用として、よく引き合いに出される話が「オバマ大統領は先の大統領選で5億㌦をネットで集めた」である。2008年からオバマ氏とその陣営はフェイスブックの活用を始め、支持者がどのような書き込み内容に反応するのかを念頭に、工夫を重ねてきた。その極めつけが、「資金集め」である。「シカゴの集会に参加して、歴史へのチケットを手に入れよう」なとど呼びかけ、献金を募る。10㌦、25㌦、50㌦・・・1000㌦まで、支援するネットユーザーは献金が可能な額にクリックして、送金手続きを行う。すると集会の招待券がメールを送られてきて、集会に出かけるという手法だ。このやり方で450万人から5億㌦も集めたといわれる。

  日本では選挙期間中、有権者の家を訪ねて投票を依頼する戸別訪問は公職選挙法で禁止されている。これは、候補者が戸別訪問し、有権者に金を渡し「買収」をするのを防ぐためだ。ことほど左様に、かつて「選挙と金」の生々しい時代の記憶があるからだ。今日では、戸別訪問もできないようでは民主主義と言えないと叫んでもよいくらいだ。言いたかったのは、アメリカでは逆に、ネットでの政治献金を通じて、人々が政治への参加意識を高めている、ということだ。しかも、アメリカでは、インターネットでのキャンペーンを空中戦でたとえるならば、戸別訪問を地上戦と位置づけ、運動員が実績を訴えるパンフレット持参して個別訪問する。まるで、デジタルとアナログの選挙運動が両輪で回っている感じだ。

  ただ、問題はそうして集めた政治献金の使われ方だ。アメリカでは、テレビ討論が大統領を決めると言われるくらいにテレビは選挙におけるポジションが高い。しかし、 もう一つの空中戦であるテレビCMによるネガティブ・キャンペーン(中傷)もまた、テレビCMを通じて大量に流される。ロムニー陣営が「オバマの医療保険改革であなたの保険はなくなる」と流せば、オバマ陣営も「ビッグバードもロムニーに反対」とやり返す。ちなみに、財政立て直しのために、ビッグバードのキャラクターで有名な番組「セサミストリート」を放送している公共放送「PBS」の予算をカットするとロムニー氏が述べたことによる。こうしたネガティブ・キャンペーンは、2010年にアメリカ連邦最高裁判決で企業や団体による政治CMの自由が認められ、拍車がかかった。中傷CMが飛び交うと同時に、巨額の金が飛び交う選挙の構図である。

  日本でネガティブ・キャンペーンを流せば、流した方のイメージがダウンするかもしれない。

⇒23日(火)夜・金沢の天気    はれ

★選挙とメディア-中

★選挙とメディア-中

 第23回参院選挙は22日未明に、改選定数121の全議席数がすべて確定した。自民65、民主17、公明11、みんな8、共産8、日本維新8、社民1、諸派・無所属3。自公で非改選を含めて参院の過半数(122議席)を獲得したことになる。午後8時の投票の締切とほぼ同時に各テレビ局は選挙特番を始めた。「22日未明」を待たなくても、もうこの時点で「大勢」は決まった。さらにテレビ局は「衆参のねじれ解消」「民主幹事長の責任問題は」などとボルテージを高くした。

         テレビの当打ち、「評価しない」38%の背景

 開票作業はまだなのにもう「選挙は終わり大勢は決した。次はこうなる」などとまくしたてられても、有権者や視聴者にはピンと来ない。新聞社やテレビ局が世論調査などデータを積み上げ、「投票行動の流れ」を予め分析しているの知ってはいるが、いつもの当打ち速報と特番合戦には違和感を感じると思っている人も多い。

 そこで選挙期間中だった今月16日、「マスメディアと現代を読み解く」の授業で、学生たちに「はい」「いいえ」の二者択一で、「新聞社と系列のテレビ局が組んで、投票日に出口調査など実施し、テレビで開票速報を打ちます。あなたが有権者だとして、こうしたメディアの当打ちを評価しますか」とリアクション・ペーパー(感想文)で問うた。学生たちのほとんどは1年で有権者は少ない。回答してくれた182人の学生のうち「はい」(評価する)は102人、「いいえ」(評価しない)80人だった。パーセンテージで表せば、「62%」対「38%」である。これは意外だった。「評価しない」が予想より多いと感じた。

 ちなみに、「評価する」の主な理由は、「有権者は一票が反映されたか、速く正確な選挙結果を知りたがっている」「競争することで選挙速報におけるメディア全体の質が高まる」「かなり緻密、多角的な分析が行われており、速報は信頼できる」「当落について有権者の関心は高く、選挙特番は国民の間ではすでに定着している」「誤報のリスクを抱えながらも、速報するのはメディアのあるべき姿」などだった。

 逆に「評価しない」は、「当打ちはメディア側の自己満足にすぎない」「選挙速報を競うより、公的機関として投票率を上げる工夫が必要」「当打ちを急ぐことが果たして民主主義か、国民のためだと思わない」「誤報の可能性もあり、なぜそこまで速報にこだわるのか、そもそも疑問」「もともと速報は国民が望んだものとは思えない」。なかなか手厳しい。

 確かに「誤報の可能性もあり、なぜそこまで速報にこだわるのか、そもそも疑問」とする理由はテレビ局側にもある。昨年12月16日の衆院総選挙では、テレビ業界で「フライング」と称する当打ちの誤報が2件(日本テレビ系、TBS系)あった。それにしても「評価しない」38%の背景は何だろうと考えてしまう。

 回答してくれた学生のほどんどがまだ選挙権を有していない。とすれば、実際に一票を投じた有権者の「結果を知りたい」という実感が理解できないのかもしれない、と思ったりもする。あるいは若者たちのドライな感覚に立てば、「NHKが速報やっているのに、なぜ民放までもがワイワイやらなきゃいけないのか」などと思っているのかもしれない。これはむしろ、どのリモコンを押しても同じような番組というテレビ批判と考えていい。

⇒22日(月)未明・珠洲市の天気   はれ

☆選挙とメディア‐上

☆選挙とメディア‐上

  金沢大学共通教育の科目で「マスメディアと現代を読み解く」の授業を担当している。ちょうどいま参院選挙なので「選挙とメディア」が講義のテーマだ。今回の選挙は何かと話題性が多い。ひとつには、インターネットが選挙活動に解禁される初めての選挙として注目され、また、安倍政権がいうところの、いわゆる「ねじれ国会」、衆院と参院で与党・野党の議席数における優位が逆転した状態で開催される国会を解消したいとの政権側の思惑。そして、3つめがアベノミクスの国民の評価であろう。

     選挙期間中、記事では公平・平等な扱いがされているか

 先の授業で選挙公示以降の新聞・テレビのメディアの公平性をテーマに講義をした。候補者を紹介する写真と記事の量・スペースの平等性など、新聞・テレビとも結構気を使っている、との講義内容だった。学生から質問があった。公平・平等とは言え、4日の公示の各陣営の模様を伝える5日付の新聞紙面で、自民の党首(安倍氏)の写真が他党の党首の顔写真より6倍もサイズが大きな写真だった。学生から「これは政権与党だからの配慮ですか」と問われ、これをどう説明しようか迷った。

       
 新聞やテレビのメディアには、いわゆる選挙公報的に、各候補者の主張を平等、公平に扱い、有権者に対し、投票の判断材料を提供するという役割がある。テレビで言えば、放送法で公平な報道が明記されている。一方で、メディアには「報道・評論の自由」がある。メディアが考える選挙の焦点について有権者に詳しく伝え、読者や視聴者や考えてもらう役割だ。何を、どう書き、どう扱うか。それはメディアの自由裁量の範囲として認められている。メディアの選挙報道には大きくこの2つがある。

 学生から質問があった写真の扱いは、後者だ。「報道・評論の自由」の範疇の中で、「安倍政権を問う」という今回の選挙構図、自民という巨大政党に対し、中小政党が乱立している現状をわかりやすく伝えたもの。まったく平等に、すべての政党を同じ大きさで扱うのなら、何の面白みもない、平板な選挙公報、あるいは選挙管理委員会のチラシになってしまう。石川選挙区には5人の候補者がいる。新聞各紙、テレビを見たり読んでいると、ニュースの価値や読者、視聴者の関心を考慮し、自民、民主、共産の主要政党の候補3人と他の諸派・無所属の候補2人とは、記事の扱いで差をつけている。しかし、その場合でも候補者の経歴紹介や候補者アンケートについては、まったく平等に扱っている。諸派や無所属の候補者であってもできるだけ公平に、できるだけ不平等な扱いをしないように、気を配っている。

 そこで、学生が質問した紙面を見ると、確かに安倍氏の写真は他の党首の6倍の大きさだ。しかし、よく見ると背景とポーズが入っているので大きくなっている。顔のサイズは他の党首とは変わらない大きさなのだ。これだと他党から不公平ではないかとクレームが来たとしても「顔のサイズは同じ」と言い張れる。微妙にして、足がすくわれない写真の掲載の意図である。質問した学生も「う~ん。なるほど」とうなった。この件、公平か、不公平かの議論より、選挙報道の面白さ、妙味とした方がよさそうだ。

⇒16日(火)朝・金沢の天気   はれ

★GIAHS国際会議その後‐4

★GIAHS国際会議その後‐4

 来月8月25日から28日の旅程で韓国・済州島に行く。「持続可能な農業遺産保存•管理のためのGIAHS国際ワークショップ」に参加するためだ。主催は、済州発展研究院、青山島GIAHS推進協議会、共催は国連食糧農業機関(FAO)、中国科学院地理科学資源研究所(IGSNRR)、国連大学(UNU)、韓国農漁業遺産学会(KAHA)、韓国農村振興庁(RDA)、韓国農漁村公社農漁村研究院(RRI)。韓国でも、世界農業遺産への取り組みが活発化している。次回2015年の国際会議で済州島などの認定を掲げているようだ。

      海のGIAHSにも目を向けてみたい

 世界農業遺産国際会議の前日(5月28日)、金沢市文化ホールでは、国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット(UNU-IAS OUIK)が主催する国際会議のサイブイベントとしてワークショップ「アジアのGIAHSサイトにおける経験と教訓」が開かれた。この中で、国連大学の武内和彦上級副学長は「GIAHSの認定地域19のうち、アジアには11のサイトがある。欧州がユネスコの世界遺産をリードしたように、農業遺産はアジアがリードできる」と述べた。日本、中国、韓国のアジア3ヵ国が連携して、GIAHSを盛り立てていこうというグローバルな視野で語った。こうした国連大学側の思い、GIAHSの仲間入りを果たしたいという韓国側の思いが合致して、済州島でのワークショップが実現した。きょうど1年前の8月には、中国・紹興市で「世界農業遺産の保全と管理に関する国際ワークショップ」(主催:中国政府農業部、国連食糧農業機関、中国科学院)が開催されている。

 今回の旅程で個人的に楽しみにしているは、25日に訪れる「海女博物館」だ。自分自身も新聞記者時代に輪島市舳倉島(へぐらじま)の海女さんたちをルポールタージュ形式で取材した。1983年ごろ、今から30年も前の話になる。いまでも、輪島市では200人余りがいる。ウエットスーツを着用して、素潜りである。そのころ、18㍍の水深を潜ってアワビ漁をしていた海女さんたちがいた。このように深く潜る海女さんたちは「ジョウアマ」あるいは「オオアマ」と呼ばれていた。重りを身に付けているので、これだけ深く潜ると自力で浮上できない。そこで、夫が船上で、命綱からクイクイと引きの合図があるのを待って、妻でもある海女を引き上げるのだ。こうして夫婦2人でアワビ漁をすることを「夫婦船(めおとぶね)」と今でも呼ばれている。輪島の海女、済州島の海女の潜り方、使っている道具、漁の仕方などを済州島の海女博物館で見学したいと思っている。共通性と違いはどこにあるのか、比較もしてみたい。

 海女の文化を伝えようと、ことし10月に輪島市で、全国各地の海女さんたちが集う「海女サミット」が開催される。これには済州島の海女たちも参加する。海女の伝統漁法と文化を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産登録を目指しているのだ。私が知る海女さんたちは実に気高く、人に媚びようとしない。素潜りにより自然と向き合い、共生しながら漁をする海女さんたちの生き様、その知恵がもっと見直され、国際評価がされていいと考えている。

 万葉の歌人、大伴家持が越中国司として748年、能登を巡検している。輪島で詠んだ歌、「沖つ島 い行き渡りて潜くちふ あわび珠もが包み遣やらむ」。そのころから能登ではアワビが採取されていた。稲作とともに漁労も能登の特徴だ。能登のGIAHS認定のタイトルは「NOTO’s Satoyama and Satoumi(能登の里山里海)」である。1260年余りも続き、アワビという資源を枯渇させない能登の漁労とは何か、そんなことも今後探ってみたい。

※写真は、大崎映晋著『海女のいる風景』(自由国民社)

⇒10日(水)朝・金沢の天気   はれ

☆GIAHS国際会議その後‐3

☆GIAHS国際会議その後‐3

  世界農業遺産国際会議の終了後、「能登の里山里海」のGIAHSサイトの関係者が気にかけているのは「能登コミュニケ」(英文和文)の今後の実行のことだろう。コミュニケでは次の5の勧告がなされた。

       能登コミュニケの「モニタリング」「ツイニング」をどう実行していくか

1)GIAHS認定サイトでは、定期的なモニタリングが行われ、その活力が維持されるべきである。
2)農業遺産の保全や、世界の食料安全保障および経済発展への貢献を促進するため、さらにGIAHSサイトを漸進的に認定すること。
3)特に開発途上国において、現場での事業および取組を促進することにより、GIAHSを動的に保全すること。
4)既存のGIAHSは、開発途上国におけるGIAHS候補地が認定されるよう支援すること。
5)先進国と開発途上国の間のGIAHSサイトの結びつきを促進すること。

  2項目から4項目はひと括りにして、「世界の食料安全保障および経済発展への貢献を促進するために、積極的に世界農業遺産に認定していくこと」と理解してよい。問題は、1項目と5項目だ。「モニタリングと活力の維持」をどう測り(指標化)、そして「結びつき(twinning)」を見えやすくするか(可視化)。

  個人的な解釈だが、1項目の「定期的なモニタリングを行い、その活力を維持」には2つの意味がある。一つは、たとえば国内の5サイトが連携・協力して、国内外での知名度を高め、農作物のブランド化やツーリズムを推し進めれば、地域の活性化や次世代への継承に向けた確かな道筋ができる。つまり、前向きな指標となる。二つ目に、たとえばTPP(環太平洋連携協定)が意識され、農地の集約などによる効率化やコスト競争力などの農業の体質強化が重視される余りに、GIAHS認定地でも、その理念である農文化や生物多様性の維持がおろそかになる恐れがある。とくに里山のような中山間地の棚田では耕作放棄地も進んでいる。そうした地域では同時に、洪水の防止や景観保全といった農業や農地が持つ多面的な機能が失われつつある。そこで、農地の変化や生物多様性、地域の生態系サービス、農業文化(収穫の祭りの開催など)、地域住民の意識などをモニタリングする。これらが、現実を見る指標となる。この前向きと現実の指標を定点観測しながら政策提言やビジネスチャンスを創り出していければ、との期待である。

  5項目に関しては事例がある。昨年1月、能登と佐渡のGIAHSサイトの関係者たちがフィリピン・ルソン島のGIAHSサイトであり世界遺産でもある「イフガオの棚田」を訪れ、交流と同時にワークショプ(金沢大学、フィリピン大学など共催)を開催して情報の共有をはかっている。若者の農業離れによる耕作放棄地の増加などはそれぞれ共通の課題であることが認識された。今度GIAHSサイトの若者のモチベーションをどのように高めていくかなど、人材養成のあり方を含めて検討に入っている。

※写真は、2012年1月、フィリピンの世界遺産・世界農業遺産「イフガオの棚田」を訪れた、左から高野宏一郎佐渡市長、中村浩二金沢大学教授、メリー・ジェーン氏(FAOのGIAHS担当)。先進国と途上国のGIAHSサイト同士の交流が期待されている=バナウエイ

⇒17日(月)朝・金沢の天気    はれ

★GIAHS国際会議その後‐2

★GIAHS国際会議その後‐2

   世界農業遺産国際会議(5月29日-6月1日)を終えた6月8日、金沢大学も関わっている能登の地域塾「ふるさと未来塾」で世界農業遺産(GIAHS)と能登のかかわりについて講義する機会があった。2011年6月、北京で開催されたGIAHS国際フォーラムで「能登の里山里海」と「トキと共生する佐渡の里山」が認定を受けた。講義では、あれから2年能登にはどのような変化起きたのか、社会人塾生たちと考えた。

     クーハフカン氏が「幸せな農家だ」と称賛した能登の青年のこと

   講義の流れは大まかに、1.能登における金沢大学の人材養成の取り組みとGIAHSについて、2.SatoyamaとNotoは国際的に通用する言葉、3.能登のどこが「国際評価」を受けているのか、4.「GIAHSの農業」で変わり始めた能登の人々、5.「能登コミュニケ」で読む、能登の未来可能性・・・の5ポイント。講義でとくに強調したのは、人材養成の取り組みである。

   2010年6月4日、GIAHS事務局長のパルヴィス・クーハフカン氏(当時、FAO天然資源管理・環境局 土地・水資源部長)が能登を候補地視察に訪れた。先導役は当時国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニット所長のあん・まくどなるど氏、ほか同大学サステイナビリティと平和研究所や同大学高等研究所のメンバー含め一行は10人ほどだった。農林水産省の審議官も同行予定だったが、同日は間に合わなかった。一行はこの日、能登空港から輪島市に入り、同市の千枚田、珠洲市にある金沢大学能登学舎、輪島市の金蔵集落(朝日新聞「にほんの里100選」)、能登町の農家民宿群「春蘭の里」を巡り、七尾市和倉温泉で宿泊した。

   私はコースのうち、金沢大学能登学舎と金蔵集落を案内した。能登学舎では、金沢大学が廃校だった小学校施設を借り受け、地域の社会人に学びの場を提供する「能登里山マイスター養成プログラム」(現在の名称は「能登里山里海マイスター育成プログラ」)を実施している。プログラムの概要は小路晋作特任助教が説明した。

   2007年10月スタートした人材養成プログラムでは、人材像として、3つのタイプ(農林漁業人材・ビジネス人材・地域リーダー人材)のセンスを兼ね備えた人材の育成を想定。人材を養成するため、受講生には「地域づくり支援講座」「自然共生型能登再生論」「ニューアグリビジネス創出論」での講義を通じて、地域づくり、起業のノウハウ、一次産業の仕組みや販売システムに関する知識を習得させるとともに、「新農法特論」「里山マイスター演・実習」等で環境・生物調査や栽培実習を実践し、当該技術や基本知識を習得。さらに卒業課題演習と卒業論文作成を通じ、実際の地域課題の解決、あるいは就農・起業へつながる取り組みを実践。単位換算で54単位(2年間)に相当する。単なる社会人の教養講座と異なる点は、卒業論文を課して、その発表を審査する点だろう。5年間で62人が修了し、うち52人が能登地区に定着して活動を広げている。

   修了生の何人かを紹介すると。農林漁業人材では、水産加工会社社員(男性)が同社の新規農業参入(耕作面積26㌶)の中心的役割を果たし、耕作放棄地を減少させている。製炭業職人(男性)は高付加価値の茶道用の高級炭の産地化に向けて、地域住民らともに荒廃した山地に広葉樹の植林運動を毎年実施している。また農業関連企業社員(男性)は、自治体職員(女性)、NPO職員(女性)らと連携して地元住民らと「奥能登棚田ネットワーク協議会」を設立し、棚田米のブランド化や都市農村交流事業に取り組んでいる。ビジネス人材では、花卉小売店社員(男性)が農協職員(男性)と連携し、神棚に供える能登産サカキを金沢市場に出荷している。リーダー人材では、デザイナー(女性)が集落の伝統的知恵や自然について学ぶ「まるやま組」という企画を毎月実施し、地元住民と大学研究者や都市住民らを結び付ける役割を果たしている。

   クーハフカン氏が能登学舎でこの里山マイスター養成プログラムの説明を受けて、身を乗り出したのは、受講生たちが環境配慮の水稲栽培を実施する中で採取した昆虫標本とその分類データだった。クーハフカン氏は社会人の人材養成プログラムに昆虫標本の作製まで取り入れるプログラムを高く評価し、「能登の生物多様性と農業の取り組みはとても先進的だ」と標本に見入った=写真=。クーハフカン氏自身、フランス・モンペリエ第二大学で陸域生態学のドクターを取得しており、生物多様性と農業には詳しく、FAOの世界農業遺産の認定基準(1.食料と生計の保障、2.生物多様性と生態系機能、3.知識システムと適応技術、4.文化、価値観、社会組織、5.優れた景観と土地・水資源の管理の特徴など)にも盛り込んでいる。能登には、大学が関与する生物多様性に配慮した農業人材の養成システムがすでにあることがクーハフカン氏の脳裏に刻まれ、その後に能登GIAHS認定の大きなポイントとなったに違いない。

   事実、北京での国際フォーラムでは、能登里山マイスター養成プログラムの研究代表、中村浩二金沢大学教授がクーハフカン氏から依頼され、「Satoyamaand SatoumiInitiatives for Conservation of Biodiversity and Reactivation of Rural Areas in NotoPeninsula: Kanazawa University’s role in GIAHS」と題して、「Noto Satoyama Meister Training Program」の取り組み紹介した。生物多様性に配慮した農業人材の養成システムがすでにあることのインパクトは想像に難くない。その後、中村教授はGIAHSの科学委員に指名された。そして、今回の能登での国際フォーラムでも「Human Capacity Building in GIAHS sites: Role of Universities in the Revitalization and Sustainable Development of Satoyama and Satoumi」と題して、GIAHSサイトでは持続可能な里山里海の利用において人材養成は欠かせないと強調した。

   感動的な場面がことし2月20日、能登であった。金沢大学の「マイスター養成」プログラムを修了し、活動を広げている若手の農業者ら6人とフクーハフカン氏の「直接対話」を中村教授がセットしたのである。その6人のうちの1人、無農薬・無肥料の自然農法で水稲栽培をしている33歳の青年のスピーチを聞いた後、クーハフカン氏はこのように質問した。

Dr. Koohafkan: Congratulations. Did the land that you have used was your own land or did you rent, borrow, or buy it? Do you think a family could live happily? I see you are a very happy farmer and do you think that many others would be able to live like you in the area that you are working? (クーハフカン:素晴らしいですね。賛辞を贈らせていただきたいと思います。今お使いの土地はもともと所有されていた土地ですか。それとも借りたり購入したりしたのでしょうか。また、家族が幸せに暮らすことができると思われますか。あなたは非常に幸せな農家だとお見受けしますが、今お仕事をされている地域で、他にも多くの人が同じように暮らしていけると思われますか。)

Mr. Arai: I am using all of the rice paddies free of charge. A lot of things are happening in my life, but I am living happily.
Urban consumers do not like pesticides. Abandoned agricultural land is on the increase in the Noto, but it means that Noto is an environment where organic rice can be cultivated. I feel that people living in cities would find farming in Noto interesting if the number of people who come to Noto from cities for inspection and other purposes continues to increase even by one or two. (田んぼは全部、ただで借りています。いろいろありますが、幸せに暮らしています(笑)。都会の消費者の方は農薬が嫌いです。能登は耕作放棄地が増えていますが、逆に考えると、無農薬米が作れる環境にあるということです。就農希望の都会の人が視察に来るので、その中から1~2 人ずつ仲間が増えていけば、さらに能登の農業は面白いと都会の人が思ってくれると感じています。)

   埼玉県出身の青年はこれまで就農と移住の相談を国、県、14の市町村にしたが、「稲作だけで農業は無理」と断られ、最終的に輪島市役所だけが受け入れてくれた。2008年に移住し耕作放棄地だった田んぼを無償で借り受け、いまは4㌶に拡大している。無農薬・無肥料の自らの田んぼで生き物調査をして、生き物は84種、植物は311種を確認している。それをホームページを使って情報発信し、共感してくれた全国の支援者が田んぼを訪れている。生物多様性と農業について考え、果敢に取り組む青年に、クーハフカン氏は「あなたは非常に幸せな農家だ」とエールを送ったのである。

※下の写真は、積雪の中、「田の神」に感謝する農耕儀礼「あえのこと」を執り行う青年。それを仲間たちが見守った=2012年12月9日・輪島市三井町で

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