☆東京五輪と8Kテレビ

☆東京五輪と8Kテレビ

 東京オリンピックとパラリンピックは1964年の大会以来56年ぶりとなる。夏季大会を2回以上開催するのは、アテネ(1896、2004)、パリ(1900、1924)、ロサンゼルス(1932、1984)、ロンドン(1908、1948、2012)に次いで5都市目、アジアでは初めてとなる。

 1964年大会からこれまでは紆余曲折だった。1988年の招致で名乗りを上げた名古屋がソウルに、2008年の招致で名乗りを上げた大阪は北京に、2016年の招致でも東京はリオデジャネイロにそれぞれ敗れた。それだけに、今回の「東京」の決定は朗報だ。東京オリンピックのステージでは、「安心、安全、確実な五輪」だけでなく、「震災からの復興」「障がい者スポーツの祭典」「コンパクトな五輪」「エコなスポーツの祭典」などを世界にアピールしてほしいものだ。

 小学生のときに視聴した「東京オリンピック」は鮮明だった。というのも、1953年に始まったテレビ放送で、それまで白黒だった画面がオリンピックを契機に一気にカラー化が進んだのだ。それだけでなく、スロービデオなどの導入でスポーツを見せる画面上の工夫もされた。また、静止衛星による衛星中継も初めて行われた。長野の冬季オリンピックでは、ハイビジョン放送としてハンディ型カメラが登場した。オリンピックとテレビの技術革新は無縁ではない。それでは、これからのオリンピックのテレビの存在価値はなんだろうか。ひょっとして、「4K」「8K」かもしれない。

 では、「4K」あるいは「4K放送」とは何か。現在、日本を含め、世界のテレビ放送はデジタルとなり、基本はハイビジョン放送だ。画質が鮮明で、テレビの薄型化と相まってテレビは大型化している。ハイビジョンであっても、画面が大型化すると、たとえば50インチ以上になると、画質の粗さを感じるようになる。ハイビジョンは縦横がそれぞれ1920ドット、1080ドットとなっている。1920を大ざっぱに2K(Kは1000の単位)と呼ぶ。これをもっと繊細な表示にしたものが「4K」。3840×2160ドットの画素数で、ハイビジョンの縦横が2倍のレベルとなる。縦2倍、横2倍となるので、ハイビジョンの4倍のデータとなる。

 「スーパーハイビジョン」。NHKが技術開発を進める画質はなんと「8K」だ。7680×4320で、7680を大ざっぱに「8K」と称している。これらの技術革新が進むにはタイミングもよい。「4K」「8K」の次世代放送は、2014年のブラジルW杯、2016年のリオオリンピック、2018年の韓国・平昌冬季オリンピックと続き、2020年の東京へと向かう。2年ごとの国際的なスポーツ大会が完成度の高い次世代放送をもたらすだろう。2020年の東京リンピックが決定した。どのような映像で、テレビは視聴者を楽しませてくれるのか。

⇒8日(日)朝・金沢の天気   あめ

★食品添加物の「がん加算説」

★食品添加物の「がん加算説」

  医学界では発癌(がん)のメカニズムについての有力な学説の一つに、「がん加算説」がある。種々の誘因によって、生体の細胞内の遺伝因子が不可逆性変化をおこし、その変化の加算によって細胞が癌性悪変へ進む、という。医学の素人なりにその状況を考えると、食品添加物や農薬、化学肥料、除草剤、合成洗剤、殺虫剤、ダイオキシン、排気ガスなど私たちの生活環境にある化学物質が体の中に入り込んで、その影響が蓄積(加算)されてがんが発生するということだろう。

  中でも食品添加物は直接体に入ってくる。食品添加物には合成添加物と天然添加物があるが、合成添加物はいわゆる化学物質、431品目もある。スーパーやコンビニ、自販機、また一部の居酒屋や回転ずしなどで購入したり食する食品に含まれる。長年気にはなっていたが、その数が多すぎて「どれがどう悪いのかよう分からん」とあきらめムードになっていた。たまたま薦められて、『体を壊す10大食品添加物』(渡辺雄二著・幻冬舎新書)を読んだ。10だったら、覚えて判別しやすい、「買わない」の実行に移せる。

  著者は私と同じ1954年生まれ。著書で出てくる食品添加物にまつわる事件については世代間で共有されていて実に鮮明に思い出すことができる。以下、著書を読みながら記憶をたどる。国が認めた食品添加物で、初めて安全神話が崩れたのは1969年の中学生のとき。当時、「春日井のシトロンソーダ」などの粉末ジュースを愛用していたが、人工甘味料の「チクロ」が発がん性と催奇形性(胎児に障害をもたらす)があるとして突然使用禁止になった。突然というのは、国内で議論があったのではなく、FDA(アメリカ食品医薬品局)の動物実験で判明し、日本も追随したという経緯だ。その2年後にも事件が起きた。魚肉ソーセージだ。「AF-2」という殺菌剤は細菌の遺伝子に異常を起こし無力化するという効果があったが、同時に人の細胞にも作用し、染色体異常を起こすことが分かったのだ。粉末ジュースと魚肉ソーセージは当時の中学生のアイテム商品だった。その禁止理由がよく分からなかったので「こんなうまいもん。なんで禁止や」と理不尽さを感じたものだった。

  この著書を読みたくなったきっかけがある。大学の先輩教授が、過日、成田空港のすし屋でヒラメやエビ、アワビなど堪能した。「ちょっと消毒臭い」と感じたらしいが、味もよく食欲があったので10皿ほど積み上げた。ところが、「ホテルに帰って最近になく胃がもたれた」と話していた。その話を聞いて、食べ過ぎというより添加物かもしれない、それにしても生鮮食品になぜ添加物なのかと疑問に感じていた。本著ではまさに、すし屋の食材と消毒剤の次亜塩素酸ナトリウムの下りがある。すし屋や居酒屋の場合、生食を扱うため、食中毒のリスクを恐れる。そのために、仕入れ段階から過敏になっている。そこをよく知っている魚介類の加工会社が次亜塩素酸ナトリウムを使って店に出荷する。ところが、すし店や居酒屋できっちりと洗浄して、在留がないようにすれば問題ないが、手抜きがあると「消毒臭い」となる。

  よかれと思ったことが、裏目に出る。あるいは企業の過剰な防衛意識が消費者の健康をむしばむ。外国からかんきつ類(オレンジやグレープフルーツなど)を空輸する場合、防カビ剤「TBZ」「OPP」が使われる。発がん性や催奇形性の不安が指摘されるが、厚労省は認めている。アメリカとの貿易に絡んでの圧力があるのではないかと本書で指摘している。ことし春には中国からの大気汚染「PM2.55(微小粒子状物質)」が問題となっている。「がん加算説」の現実味を感じる。

⇒2日(月)金沢の天気    あめ

  

☆韓国のGIAHS候補地を行く-追記

☆韓国のGIAHS候補地を行く-追記

  韓国で開催された「持続可能な農業遺産保全・管理のためのGIAHS国際ワークショップ」では日本、中国、韓国の連携が強調された。27日には、GIAHSを世界に広める役割を担おうと「東アジア農業遺産システム協議会」(仮称)の設立が提案され、来年4月に中国・海南島で国際ワークショップが開催されることが決まった。また、今回いくつかの問題提起や論点も提起された。それを紹介したい。論点が浮かび上がったのは「日中韓農業遺産保全および活用のための連携協力方案の模索」と題した討論会(座長:ユン・ウォングン韓国農漁村遺産学会会長)=写真=だった。

      日中韓の「GIAHS連携」 どこまで可能か       

  論点の一つはGIAHSをめぐる「官」と「民」の関係性だ。韓国農漁村研究院の朴潤鎬博士は「農業遺産を保全発展させるためには地域住民の主体性が必要」と述べた。会場の質問者(韓国)からも、「今回のワークショップでは国際機関や政府、大学のパネリストばかり、なぜ非政府組織(NGO)の論者がいないのか」といった質問も出された。これに対し、パネリストからは「農業遺産の民間の話し合いや交流事業も今後進めたい」(韓国)や、「日本のGIAHSサイトではNPOや農業団体が農産物のブランド化やツーリズムなど進めている」(日本)の意見交換がされた。確かに認定までのプロセスでは情報収集や国連食糧農業機関(FAO)との連絡調整といった意味合いでは政府や自治体とった「官」が主導権を取らざるを得ない。認定後はむしろ農協やNPOといった民間団体などとの連携がうまくいかどうかがキーポイントとなる。討論会では「地域住民主体のサミット」(朴潤鎬氏)のアイデアも出されるなど、「民」を包含したGIAHSのガバナンス(主体的な運営)では韓国側の声が大きかった。

  討論会が終わり、中国の関係者が日本の参加者にささやいた。「中国のGIAHSでは、NGOが主体になるは無理ですよ」と。おそらく彼が言いたかったのはこうだ。中国では、国民も民間団体も「官」が描いたシナリオの上を進み走る。つまり、国家が領導するので、「民」が自らのパワーでGIAHSサイトを盛り上げるということはある意味で許されないのだろう。そうなると、GIAHSを保全・活用のために日中韓の国境を越えて、民間同士のアイデアや意見交換や活発な議論というのはどこまで可能なのだろうかとの論点が浮かんでくる。

  次の論点。永田明国連大学サスティナビリティと平和研究所コーディネーターは「日中韓3ヵ国が突出するとGIAHS全体の価値低下を招くことになりかねない。アフリカや欧米などへGIAHS参加の呼びかけなどバランスが必要だ」と述べたことだ。確かに今回の日中韓ワークショップは、モンスーンアジアの稲作など同じ農業文化を有する東アジアから世界に向けてGIAHSの意義を訴えることが主眼の一つだった。永田氏の発言は的を得ている。現在FAOが認定しているGIAHSサイトは世界に25ある。うち、中国8、日本5で東アジアの括りでは13となり、すでに過半数を占める。韓国が2つのサイトを申請しているので、認定されれば27のうち15となり突出する。世界各国がこの状況を見て、「GIAHSは東アジアに偏っている」と判断されてしまうと、GIAHS全体の価値低下につながるのはないかとの危惧である。日中韓が競ってサイト数を増やすのではなく、日中韓が連携してアフリカや中南米などに認定地の拡大を促すことが戦略的に不可欠となる。

  そうは言っても日本国内でも「国際評価」を得ることへの地域の熱望があることは、ユネスコの「世界遺産」の過熱ぶりを見ても分かる。中国と韓国ではすでに国レベルの「農業遺産」認定制度を設けている。国の認定を経て、次にFAOへの申請という段取りになる。ところが、日本にはその制度がなく、GIAHSへの熱望を持った地域が申請しようにも、「ローマへの道のり」(FAO本部の所在地)が分かりにくい。GIAHS認定までのプロセスを制度的にもっと分かりやすくする必要があるだろう。こうした日本の課題もまた見えてくるのである。

⇒1日(日)朝・金沢の天気     くもり

★韓国のGIAHS候補地を行く-下

★韓国のGIAHS候補地を行く-下

 26日夕方、済州からフェリーで莞島(ワンド)に行き、翌朝莞島の港から青山島(チャンサンド)へ。莞島郡には260もの島があり、そのうち有人島は54。海藻が豊富で、韓国全体の海藻の54%を産出している。チャンサンドは2600人の村。40分で青山島の港に到着すると、太鼓と鉦で村人の出迎えがあった。

       青山島で見たオンドル石水田と海女の海

 同島は、アジア初のスローシティー指定(2007年1月、カタツムリをシンボルに取り組んでいる)。また、オンドル石水田システムは韓国の「国家重要農業遺産」の第1号に選定(2013年1月)された。昼食は廃校となった中学を改装した「ヌリソム旅行学校」で。ここではツアー参加者が、サザエ、コメ粉、ニンジン、ネギを刻んでゴマ油でいためる郷土料理「チョンサンドタン」をつくり試食。スローフードのツーリズムが人気となっている。

 ブフンリ村で今回の視察の目的である独自の石水路の田んぼ「オンドル石水田システム」を視察した。ただ、耕作放棄地が目立つ。青山島は全体が傾斜地で石が多い。しかも、ため池など水を貯えられない砂質土壌で、稲作には不利な条件地とされる。「オンドル石水田」は韓国伝統の住宅暖房「オンドル」とよく似た構造からその名前がついた。田んぼが4つの断層で構成される。大小の石を積み重ね石積みをつくり、その上に平べったい石板(グドゥル)を敷いて水路を作る。その後、水漏れを防ぐために泥で覆い、その上に薄く作物が栽培できる良質の土壌で整える。水は下の田んぼに排水口から徐々に流れ出す仕組みだ。

 農民ユーさんが説明した。「田んぼの規模が小さく、すべて自家用米。都会に出た子供たちがたまに帰ってきていっしょに農業作業を楽しんでいる。最近はイノシシが出る。昔からマツタケがよく取れる。川エビと煮て食べるとうまい」と。田んぼの土の深さが15-20㌢ほどで田おこしは協同労働で行い、水の管理も行う。稲作、畑作の条件不利地を石を積んで克服する人々の知恵がここにある。

 珍しいもの見た。「草墳(そうふん)」である。段々畑の一角にこんもりしたワラづくりの墓なのだ。遺体をその土葬せずに3年から5年間、木棺にワラと草と遺体を入れて、骨だけにする。その後に再び木棺を開けて洗骨し、骨を全部土葬する。骨を洗うのは長男ら家族だ。棺桶に草を入れるので草墳と称するらしい。

 青山島は映画のロケ地として韓国では知られている。西便制道(ソピョンゼギル)ではスローロードの小道を歩く。秋は一面がコスモスで覆われる。ここでイム・グォンテク監督の『風の丘を越えて(西便制)』やドラマ『春のワルツ』のロケが行われたそうだ。

 その後、海女の海岸を訪ねた。済州の海女が移住してきたらしい。現在50-70歳の20人ほどが潜っている。スムビ音(磯笛)を鳴らしながら作業。この一帯は養殖アワビも盛んだが、海女が直に採取するアワビやサザエ、ウニは貴重品だ。アリス式海岸の海に海女がいる風景はどことなく、能登の海と似ている。

⇒28日(水)朝・莞島の天気   はれ

☆韓国のGIAHS候補地を行く-中

☆韓国のGIAHS候補地を行く-中

 26日午前、済州グランドホテルで「国際ワークショップ」が開催され、武内和彦国連大学上級副学長・サスティナビリティと平和研究所長が基調講演。続いて、事例発表が行われ、日本から能登、佐渡、阿蘇、国東の取り組みをそれぞれの自治体担当者が、中国の取り組みについて中国科学院の研究者、新たに申請する韓国の2件のGIAHSサイトについても研究者が紹介した。

        アジアから世界に広がるGIAHSの意義

 「Traditional Agriculture and Development of GIAHS(伝統的農業とGIAHSの発展)」。武内氏の基調講演のテーマは示唆に富んでいた。「今後もアジアでのGIAHS認定地が増える見通しで、韓国からは2サイトの認定を申請中である。GIAHSの持続性には、1つには生態系の機能の強化や、生計を保障するためのグリーン・エコノミーの創出など災害などにも柔軟に対応できる『リジリエンス』の強化、2つには地域と都市部の住民による多様な主体の参加による『新たなコモンズ』の設立、3つめとして6次産業化による農産品の付加価値向上やグリーン・ツーリズム、生計の多様化を推進する『ニュービジネスモデル』の創出が不可欠」と強調した。

 GIAHSの今後の展開について、「ユネスコの世界遺産をヨーロッパがリードしてきたように、多様で長い歴史を持つ農業のあるアジアを中心にGIAHSをリードしていくべきだ。GIAHSにおけるアジアのリーダーシップを確保するためにも、自然環境や農業の起源が共通する日中韓の三カ国間の緊密な連携を期待したい。今後はアフリカや中南米、欧米など、他の地域に認定を拡大することが、バランスのとれた発展に不可欠である」とアジアから世界に広がるGIAHSの意義を訴えた。

 午後からは「日中韓農業遺産保全および活用のための連携協力方案の模索」と題した討論会(座長:ユン・ウォングン韓国農漁村遺産学会会長)が開かれた。この中で、中国科学院地理科学資源研究所の閔庆文教授は「3ヵ国の有機的なネットワークでGIAHSの牽引が必要」と述べ、永田明国連大学サスティナビリティと平和研究所コーディネーターは「日中韓3ヵ国が突出するとGIAHS全体の価値低下を招くことになりかねない。アフリカや欧米などへGIAHS参加の呼びかけなどバランスが必要だ」と述べた。

 討論会では地域住民の関わりもテーマとなった。韓国農漁村研究院の朴潤鎬博士は「農業遺産を保全発展させるためには地域住民の主体性が必要、先発の事例に学びたい」と発言。会場からの意見でも、NGOなどの関わりについて質問が出た。座長から指名を受けた中村浩二金沢大学特任教授が、能登ではNPOや地域団体が伝統行事や森林の保全に関わっていることなどを説明した。また、地域のGIAHSを維持発展させるためには人材養成が必要と説明し、「能登里山里海マイスター」育成プログラムの取り組みを紹介。国際的な関わりとして、フィリピンのイフガオ棚田にも足を運び、共通点や相違点を学ぶ交流を行っていると述べた。

⇒27日(火)朝・莞島の天気   はれ

★韓国のGIAHS候補地を行く-上

★韓国のGIAHS候補地を行く-上

 今月25日から28日にかけて、韓国・済州島で、「世界農業遺産(GIAHS)連携協力のための国際ワークショップ in 済州&青山島」が開かれている。これまで、世界農業遺産は中国が先行してハニ族の棚田や青田県の水田養魚などGIAHS地域(サイト)を広げている。それを追いかけるようにして、2011年6月に日本で初めて「能登の里山里海」と「トキと共生する佐渡の里山」が認定された。ことし5月、能登で開催された国際会議において認定された阿蘇、国東、掛川の3サイトが追加された。ここに来て、韓国も動き出した。今回のワークショップは韓国のアピールの場、舞台は済州、JEJU、チェジュだ。

      火山岩を活かした済州島の石垣農業システムとは

 ワークショップの主催(主管)は韓国農漁村遺産学会、済州発展研究院、青山島クドルチャン棚田協議会の3者、共催(共同主管)が韓国農村振興庁、同農漁村研究院、中国科学院地理科学資源研究所、国連大学の5者。

 初日(25日)、午前の成田発の便で、正午すぎに済州島に着いた。済州島では6月27日以降に雨が一滴も降らず、気象観測を始めた1923年以来、90年ぶりの干ばつとなっていて、「雨乞いの儀式」も行われたとか。その甲斐あってか、24日には大雨が降ったようだ。バスの窓から見ても、市内の道路などに水たまりがあちこちにある。初日は顔合わせの意味もあり、さっそく現地見学。日本、中国、韓国の参加者は40人ほどで、日本のサイト関係者は能登1人、佐渡2人、阿蘇2人、国東3人の合わせて8人。それに国連大学や金沢大学の研究者ら8人が加わっている。

 済州島では、ユネスコの世界自然遺産に「済州火山島と溶岩洞窟」(2007年6月)が選定されている。標高1950㍍で韓国で最も高い山である漢拏山(ハルラサン)の頂上部には、氷河時代に南下した寒帯性植物種が棲息しており、生態系の宝庫とも呼ばれる。また、海に突き出た噴火口である城山日出峰(ソンサン イルチュルボン)、拒文オルム(岳)などの溶岩洞窟などが自然遺産を構成している。初日の視察でのキーポイントは、その火山活動の副産物として地上に放出されたおびただしい玄武(げんぶ)岩である。この石はマグマがはやくに冷えたツブの粗い石。加工するにはやっかいだが、積み上げには適している。つまり、簡易な石垣をつくるにはもってこいの材料なのである。

 そこで、済州島の先人たちは海からの強い風で家や畑の土が飛ばないように、この玄武岩を積み上げた。畑の境界としての石垣(バッタン)、家の周辺を取り囲む石垣(ジッタン)、墓の石垣(サンダン)、畑の横、人が通るよう作った石垣(ザッタン)、放牧用の石垣(ザッソン)など、さまざまな用途の石垣がある。こうした済州の石垣は「龍萬里」とも呼ばれる。玄武岩は黒く、さらに土も黒土なのだ。今回訪れた下道(クジャ)海岸近くの石垣はかなりのスケールで広がる。ここで栽培されるニンジンは韓国では有名。秋にかけて植え付けが始まる。

  石垣は海でも活かされている。新興里(シンフンリ)の海辺の石垣は、満ち潮にそって沿岸に入った魚が石垣のなかで泳ぐ。引き潮になって海水が引くと魚は石垣の中に閉じ込められ、それをムラの人が採取する。その石垣は「ウォンダン」と呼ばれる。同じ石垣でも作物の保護、土壌と種の飛散防止、所有地の区画、漁労などさまざま現代でも活用されている。1000年も前から石垣に人々の生きる知恵を見る思いだった。

⇒25日(日)夜・済州島の天気  くもり

☆山荒れて

☆山荒れて

 「国破れて山河あり、城春にして草木深し」はよく知られた、杜甫の詩『春望』の冒頭の句だ。戦い(安禄山の乱)で国は滅亡し、人々の心の拠り所はなくなってしまったが、山や川はそのままで、かつての城下には春が訪れ草木が茂っている、自然の中にわずかに安堵感を見出した、との解釈だろうか。ところが、現代はどうだろうか。「山河破れて国あり」の状態ではないかと思うことがある。

 局地的な豪雨が発生するたびに、全国各地で山の地盤が崩れ、流出土砂が川にたまり、砂防ダムや土砂ダムが決壊し、人里に被害が及ぶ。先月29日、石川県小松市周辺が豪雨に見舞われ、梯(かけはし)川流域の1万8000人に避難指示・勧告が出されたが、治水上の計画高水位ぎりぎりで氾濫寸前でとどまった。まだ記憶に新しいのは2008年7月28日の金沢市の浅野川水害である。集中豪雨で55年ぶりに氾濫が起き、上流の湯涌温泉とその下流、ひがし茶屋街の周囲が被害を受けた。当時、浅野川流域の2万世帯(5万人)に避難指示が出されたのだ。

 自分自身の記憶もまだ鮮明だ。大学への通勤途中で、かつての記者の心が騒ぎ、若松橋から川の流れをのぞいてみた。堤防ぎりぎりにまで水がきて、異様だったのは、根がついたままの木が橋の縁に何本も引っかかっていたことだ。そのとき思ったのは、上流で山林の崩壊が起きているということだった。濁流が運んだのは、洪水だけでなく流木だった。大量の土砂と根がついたままの倒木は一体どこから来たのか。1週間ほどたって、浅野川の上流を行った。やはり、山肌がえぐられていることろが随所にみられた。竹林、杉の植林地など。杉などの人工林は、放置され間伐が遅れると木が込み合い、日光が林に入らない。すると、下草が育たない。そして、落ち葉や下草のない土壌では、林地に表面侵食が起き、土砂崩れが起きやすくなると指摘されている。放置されたモウソウ竹林でも同じだ。

 浅野川で起きたことは、何も金沢だけに特徴的なことではない。水害の背景にある山林の荒廃、それは全国に発せられる濁流の警告でもある。8月に入って、毎日のように「集中豪雨」の予報が発せれている。気候変動と荒れた山林、そして想像以上の水害。まさに「山河破れて」の状態ではないのかと。ヤブと化した竹林、藤ツルが絡まった杉林、そんな山の痛ましい姿を見てそう思う。

※写真は、クズが覆う金沢市角間の山

⇒15日(木)朝・金沢の天気    はれ

★木島平の里山から‐下

★木島平の里山から‐下

 地域と大学が連携する「学びの場」「地域活性化」にはいろいろなパンターンがある。平成19年の学校教育法の改正で、大学はそれまでの「教育」「研究」に加え、「社会貢献」という新たな使命が付加された。教育と研究の成果を地域社会に活かすことが必須になった。これを踏まえて、文部科学省ではこれまで地域のニーズに応じた人材養成として「地域再生人材創出拠点の形成」事業を、今年度からは「地(知)の拠点整備事業」(大学COC)を実施している。COCは「Center of Community」のこと。大学が自治体とタイアップして、全学的に地域を志向した教育・研究・社会貢献を進めることで、人材や情報・技術を集め、地域コミュニティの中核的存在としての大学の機能強化を図ることを目指している。

         「村格」こだわる気高い村の風土

 一方、総務省では地域の視点から大学とのつながりを重視する「域学連携」地域づくり活動事業を促している。過疎・高齢化をはじめとして課題を抱えている地域に学生らの若い人材が入り、住民とともに課題解決や地域おこし活動を実践する。学生たちが都会で就職しても、将来再び地域に目を向け、活躍する人材を育成することを促している。若者たちが地域に入ることで、住民が自らの文化や自然など地域資源に対して新たな気づきを得て、そのことが住民をの人材育成にもなると期している。

 文科省、総務省それぞに国費を投じた、こうした取り組みは、地域(自治体・住民)と大学(大学生・教員)それぞれにメリットがあるように、活動プログラムに工夫を重ね、知恵だしするプロデューサー機能が必要となる。ところが、予算取りには成功したが、実施段階でプロデューサー機能を構築しないまま、大学と地域でお互いの勘違いで勝手に動いているケースが実際にある。双方のどちらかが、メリットがないと気づいたとき、地域と大学の連携は単なる「迷惑」「おせっかい」にすぎないだろう。

 木島平村の場合、活動プログラムの策定から地域の人々と学生たちのつなぎ、食事のメニューを学生たちに考えさせ、その材料の仕込みまで、プロデューサー機能を果たしているのは教育委員会の中にある「農村文明塾」だ。教育員会には所属するものの、ある意味でのシンクタンク組織であり、全国でも稀である。その掲げるところは気高い。地域住民の活動と都市住民との交流を促し、①日本の農山村の有する価値と機能に改めて光を当て、「農村文明」の創生に向けて、農業・農村に愛着を持ち、農山村地域の持続的発展を支える人材育成を行う。②「農村文明」の創生に向けて、農村文明に関する調査研究を行うとともに、情報発信と有識者、全国の地域づくり関係者、自治体等との農村文明ネットワークの形成を進め、「農村文明」の普及啓発と全国運動の展開を行う。

 農村文明塾のホームページで塾長の奥島孝康氏(元早稲田大学総長)はその役割についてこう述べている。「農村自体の可能性をどのように探っていくのか、真剣に考えるときに来ています。それは、観光などではなく農村は農業を中心に考えることが大切で、農村の可能性を
『農村文明』という切り口で考えること、それが『農村文明塾』の役割だと思っております。」

 そして、木島平は、「村格」ということにこだわっている。農業のブランド化や都市農村の交流の拡大による地域の活性化を図ることはもちろん、農村ライフスタイルを、農山村で生活することへの愛着と誇りの醸成を進めたいのだという。これがベースだ。村の住民が幸福や生きがいを感じる地域の暮らしの質(自然環境、地産地消、健康長寿、相互扶助)をどう高めていけばよいか、その理想を追求している。

 事務局長の井原満明氏と初日の夕食後にしばらく話し合った。総務省の「域学連携」地域活力創出モデル実証事業の採択を受けて、その助成金で学生たちが木島平に寄り集う「農村版コンソーシアム」などの事業を展開している。「問題は公的な助成ではなく、民間から活動資金をどう引き出すか、活動資金の比率を高めていくかですよ」と。「域学連携」に留まる活動であってはならない。全国の民間企業が木島平に目を向けてくれるような、そのようなスケール感のある活動でないと農村文明塾は発展しないと自らに課しているのである。

 2日目(9日)朝6時30分に曹洞宗の寺で座禅体験。午前中は村歩き。道端のホオズキがオレンジ色に染まっていた。午前11時ごろ、村内の有線放送のスピーカーが響いた。「昭和20年8月9日午前11時2分に長崎に原爆が投下され、多くの方々が犠牲になりました。冥福を祈り、1分間の黙祷を捧げましょう」。原爆の日の黙祷、この地では日本人としては極当たり前のこととして今でも続けられている。木島平はそのような里山である。

⇒13日(火)金沢の朝   はれ

☆木島平の里山から‐中

☆木島平の里山から‐中

  平成の大合併で全国で568あった農山村が184に減った。村は「自治の主体」から「中心市街地の周辺部」へと、その存在価値を落としてしまった。その時期と並行して、都市では「疲労」が見え始めた。都市では物が買われ消費される。商品が都市に人々を惹きつける魅力となる。その仕組みである、物流のシステム、物を交換する交易のシステム、欲望を刺激するシステム、労働のシステムなど複雑な社会の構造が出来上がった。が、制度疲労が出始め、「ブラック企業」と呼ばれる搾取企業、「無縁」と称される社会的な孤立、欲望の犯罪化などが都市生活者の不安を煽る。そして若い学生たちもの微妙にその都市の不安な空気を読んでいる。

     「3度の食事も自ら賄う」 学生が農村というフィールドで学ぶこと

  木島平村では「農民芸術」を目指す人々がいる。地域に残る民話を発掘してそれを朗読する「語り部」の運動だ。テレビ番組「まんが日本昔話」の語り部として知られる俳優・常田富士男はこの村の生まれ。平成16年(2004)に「ふう太の杜の郷(さと)の家」という古民家を利用した活動の場ができ、常田を代表として「木島平の昔話」の語りなど活動の輪が広がっている。

 8日午後3時ごろ、「ふう太の杜の郷の家」=写真・上=に入った。さっそく参加学生のうち東京芸大、国立音大の学生ら4人によるトロンボーンやユーフォニアム、チューバを用いたミニコンサート。「故郷(ふるさと)」(北信州で生まれた高野辰之が作曲)など。続いて、参加学生が昔話の朗読をぶっつけ本番で。テーマは「高社(たかやしろ)山と斑尾山の背比べ」。このとき、ちょっとしたハプニングがあった。

 語りはこうだ。高社山と斑尾山は隣同士で仲が良かった。ふとしたことから「高社山と斑尾山はどちらが高いか」という話題になり、両方とも普段は温厚な山がその日は激しい言い争いになった。斑尾山が「高さを測る良い方法はないか」と高社山に尋ねた。高社山は「樋(とい)をかけて水を流したらどうか」といった。水は低いほうに流れるから勝負がつく。高社山と斑尾山は、それぞれの頂上に樋の端を置き、水を流した。すると、水は高社山の方へどんどん流れていった。高社山は悔しがり、肩を火を噴いて、樋を真ん中で叩き割ってしまった。話がクライマックスになったその時、午後4時56分、会場の参加者の携帯電話が一斉にギュー、ギュー、ギューと鳴り出した。鈍い感じのアラーム音、緊急地震速報だった。一時会場は騒然としたが、揺れものなく、語りは続けられた。「樋を割って、そのときこぼれ落ちた水が、千曲川になったんだとさ」。後で誤報と分かったが、話のクライマックスとアラーム音の絶妙なタイミングが会場の気分を盛り上げた。

  農村文明塾の 「農村版コンソーシアム」プログラムは、今回は学生を対象にしている。首都圏などから学生が集まって、集落をフィールドに、日本文化のルーツともいえる「農村」を学び、体験を通して「生き方」を探る場としている。したがって、「お客さん」扱いをしない。学生たちが農村に入って、村人と交わって、感じ取るのだ。井原満明事務局長は「学生たちに農村調査を求めているのではない。『share your secrets』の自ら気づきを促し、それを参加者と分かち合うのです。気づき、発することで人は生きる感性を磨くのです」と話す。

  ふう太の杜の郷の家での夕食は、村のお母さんたちに交じって学生たちが料理、配膳、ご飯炊きを行った。「3度の食事は自ら賄う」も農村文明塾の方針。ここでは薪割りをする、その後にかまどでご飯を炊く。そして皆で合掌してから、食をいただく=写真・下=。こう説明すると、一見して修行僧のようで、堅苦しくも思えるが、つくる方は話が弾み、食も進む。朱塗り膳の後片付け、食器洗いを終え、宿泊研修施設の「農村交流館」へ。駐車場まで歩く。森林の暗闇は静寂そのもの。夜8時をまわっていた。  

⇒11日(日)金沢の天気   はれ  

★木島平の里山から‐上

★木島平の里山から‐上

  長野県の北部、「北信州」と呼ばれる地域は古くから農林業が営まれてきた日本の里山である。地形が盆地になっていて、山あいの小さな棚田から平野の広い水田まで見渡せる。「兎追いしかの山」「こぶな釣りしかの川」で有名な歌「故郷(ふるさと)」を作詞した高野辰之が生まれ育ったところだ。北信州の真ん中あたり木島平村(きじまだいらむら・人口4700人)がある。昨年秋、木島平を舞台にした小説が出版された。

        「農村文明」の村へとかき立てる「和算のDNA」

 警察小説の『ストロベリーナイト』で知られる作家、誉田哲也の『幸せの条件』(中央公論新社)だ。理化学実験ガラス機器専門メーカーで働く経理担当の24歳OLが、バイオエタノール精製装置の試作で休耕田でバイオエタノール用の安価なコメを提供してくれる農家を探せと、長野県に出張を命じられることから物語が始まる。先々で「コメは食うために作るもんだ。燃やすために作れるか」と門前払いされながらも、農業法人で働くことになる。米作りを一から学ぶことになり、そして農村の中で、「人として本来すべきことを、愚直にやり通す強さ。そのあたたかさ。よそ者でも受け入れ、食事を出す。他人の子でも預かり、面倒を見る。損得ではない、もっと大切な何か。利害よりも優先されるべき、もっと大きな価値観」を見出していく。

 大震災、原発事故、停電、都市機能のマヒなど現実に「いまそこにある危機」が日本、そして世界の都市を覆う。しかし、 収穫したコメを見れば、人は何が起きても生きていけると「自給自足=生存」本能に目覚める。それが「いまそこにある幸せ」ではないか。農作業を通じて「幸せ」を実感する、そんなストーリーだ。

 小説の農村・木島平で、「幸せ」の実感を共有しようという村の事業「農村文明塾」がある。このプロジェクトは「農村文明」の4文字を掲げ、平成21年(2009)に旗揚げした。「農村文明」は稲作を中心に森と水の循環系を守りつつ、自然と共生して農耕生活を行う中で営々と築いてきた歴史、文化、教育な価値、さらに地域で支え合う自治機能といった価値と言えるかもしれない。一言で表現すれば、自然と共存可能な持続型の文明、か。

 プロジェクトでは、全国の大学の学生、企業、自治体職員を村に受け入れ現地で文化や農業を学ぶ「農村版コンソーシアム」、村民自身が学ぶ「農村学講座・オープンカレッジ」、村民自らが地域を深く知る「村民研究員制度」などをプログラム化している。1泊2日の、ほんの触れただけの体験だったがプログラムに参加した。今月8日に村に着き、さっそく農村版コンソーシアムのプログラム(5日間)に学生たちに交じって参加した。参加者は、早稲田大、東京工大、金沢大学、東京芸大などの学生15人。

 手始めに村の資料館に入った。驚いた。見たこともない幾何学模様がずらりと並ぶ。「算額」だ。江戸時代、鎖国で海外との交流がほとんどなかった中で、日本独自の数学として興った「和算」。当時の研究者たちは難問が解けたときの喜びや、学問成就の願いを絵馬にして、神社や寺に奉納した。和算は、16世紀に関孝和によって大系化し、その後全国に普及したものと伝えられている。その和算が木島平で根づき、野口湖龍ら和算家を多く輩出する、「信州和算のメッカ」となった。冬閉ざされる雪国が醸し出した学問の風土といえるかもしれない。

 木島平は「農村文明」を掲げ、持続可能な社会を創造しようと挑戦している。ひょっとして難問に挑戦する「和算のDNA」がここに息づいているのかもしれないと思った。

⇒10日(土)夜・金沢の天気  はれ