☆イフガオへ-上

☆イフガオへ-上

  フィリピンのマニラにいる。これからルソン島北部の山脈にあるイフガオに向かう。今回で3度目のイフガオ訪問だ。2012年1月、翌年2013年11月、そして今回だ。マニラから車で移動すること9時間余り。昨日も、正午すぎに小松空港から韓国・仁川空港へ、そしてマニラ空港に着いたのが夜中の11時ごろだった。つまり、2日がかりで現地に入ることになる。

           イフガオを支援する意義は何なのか

  金沢大学が7年間、能登半島で培ってきた里山の人材養成(「能登里山里海マイスター」育成プログラム)のノウハウをイフガオ棚田(FAO世界農業遺産、ユネスコ世界文化遺産)の人材養成に活かすプロジェクトが、国際協力機構(JICA)草の根技術協力事業(地域経済活性化特別枠)として採択された。

  このプロジェクトを促進するため、同じ世界農業遺産の能登と佐渡を中心とした「イフガオGIAHS支援協議会」の設立総会=写真=が3月8日に能登空港で開催された。設立総会と記念ワークショップには、フィリピン側からアティ・デニス・ハバウェル (イフガオ州知事)、グレース・ハビア・アルフォンソ (フィリピン大学オープンユニバーシティ学長)、セラフィン・L・ゴハヨン (イフガオ州立大学長)の3氏が参加。金沢大学からは中村信一学長、山辺芳宣能登地域GIAHS推進協議会(羽咋市長)、石川県の堀畑正純環境部長らがホストだった。

  なぜイフガオ支援なのか。世界遺産遺産にも認定されている世界的に有名な棚田だが、近年、若者の農業離れや都市部への流出により、耕作放棄地の増加が懸念されるほか、地域の生活・文化を守り、継承していく人材の養成が急務となっている。そのため、同様の課題を有する日本の世界農業遺産認定地域(能登・佐渡含む5サイト)が協力し、金沢大学の持つ地域と連携した人材育成のノウハウを移転し、同地において魅力ある農業を実践し、地域を持続的に発展させる若手人材を養成するプログラムの構築を支援することになった。また、GIAHS 理念の普及を通じた国際交流・支援を実施することにより、国内のGIAHSサイトにおいて、国際的な視点を持ちながら地域の課題解決に取り組むグローカル(グローバル+ローカル)な人材の育成にもつなげていきたいとの思いもある。

  ピロジェクト代表の中村浩二特任教授の司会のセンションが「イフガオの現状と期待」と題して行われた。「能登と佐渡、そしてイフガオが抱える若者と農業の問題は世界の問題。この解決モデルを共に創りましょう」とハバウェル知事が訴えた。

  そしてあす25日、イフガオで「イフガオ里山マイスター養成プログラム」の開講式がある。いよいよプロジェクトが始動する。

⇒24日(月)朝・イフガオの天気   くもり

★3月の「大雪」

★3月の「大雪」

 きょうの朝(10日)起きて驚いた。一面の銀世界。さっそく自宅前の道路の「雪すかし」を行った。20数㌢の積雪だ。「雪すかし」は先のコラム(2月9日付)でも紹介したように、金沢の町内会の伝統的な暗黙のルールとも言える。一方で、朝の通学の児童たちのために道を確保するという、ちょっとした「思いやり」を持って除雪にあたっている人もいるかもしれない。

 ただ、今朝の雪はとても重く感じられた。雪をかいて溝に運ぶスコップがずしりと腕と肩にくる。よく見ると屋根の雪もすでに落ちているところもある。外気温は3度。湿り気のある雪なのですでに溶け始めている。つまり、水分をたっぷり含んだ雪なのだ。ここで気になるのが、庭木の枝である。「雪つり」をほどこしている樹木はよいが、そうでないたとえば、ツバキやキンモクセイなど(それぞれの家庭によって異なる)はとても重そうで、枝がいまにも折れそうだ。そんなことを思いながら、子どもたちの声が聞こえ始める7時ごろまでに自宅前の雪かきを終えた。

 これまで3月中旬になってブログネタにした雪は「名残り雪」だった(2009年3月26日付)。ところが、きょうの雪は久しぶりの大雪といった風情の積もり具合である。こうしてブログを書いている間も降っている。ここ数日の冬型の気圧配置が居座っている。ただ、あすからは回復して晴れ間ものぞきそうだ。

 ことしの金沢は全般に「少雪」だった。東京で雪が降っても(2月14日)、金沢ではほどんど積雪がなかった。今回の「大雪」で少しは冬の名残をとどめた。そして、雪つりを施した甲斐があった、などと金沢の人は悠長に思っているのではないか。自分も含めて。

⇒10日(月)朝・金沢の天気   ゆき

☆ブラックアウト

☆ブラックアウト

これまでの携帯電話(ガラケイ)からスマホ(au「URBANO」)に替えた。そのときに携帯電話の取扱店からアドバイスされたのが、「落とさないこと」だった。確かに液晶画面がガラケよりも広く大きく、落とすと割れると思うと慎重になる。実は、これまでのガラケイも何度も落として、特に角がすり減ったようになっていた。

 過日、電器店でスマホのカバーを買った。全体のカバー(透明)と液晶画面の保護シート(フイルム)のセットだった。その翌朝から異変が起きた。スマホの液晶表示の画面が、電話の通話が始まると真っ暗にブラックアウトしてしまうのだ。それでも、相手と通話しているときには特に不自由もなかったので放っておいた。電話が切れると、液晶表示画面が回復すしたからだ。焦ったのは、相手が留守電なり、録音して切りボタンを押そうにも、ボランがどこにあるかわからないことだ。焦った。「3分間」延々と電話につながったままになった。

 その理由を「スマホ 通話になると画面が暗くなる」で検索し、調べた。するとauのイサイトでこんな質問・回答があった。「通話時に液晶画面が突然が真っ暗になる」。「ディスプレイに市販の保護シートを貼られていませんか。近接センサー等が誤動作している可能性があります。保護シートを一旦はがして、動作をご確認ください。」とういうものだった。

 近接センサーとは、本体に顔が近づいている状態で、スマホ本体から顔が離れた状態を検出して、自動的にタッチパネルのオンとオフを切り替える機能。顔を近づけるとタッチパネルをオフにして誤動作を防ぐのだという。すばらしい、近接センサーの機能なのだが、意外にも、保護シートで貼ることで、誤作動を起こし、通話が始まった段階でずっとブラックアウトしてしまうのだ。

 結局、せっかく1200円も払って買ったカバーセットだが、液晶画面の保護シート(フィルム)を外すことにした。落下によるスマホの損傷を防ぐために、保護シートを貼ったが、それが今度はスマホ本体の近接センサーの機能を阻害することになる。複雑な現代社会の一面がこのスマホに見て取れた思いだった。

⇒8日(土)夜・金沢の天気   くもり 時々 ゆき

★雪かきのご近所ルール

★雪かきのご近所ルール

  昨日、東京都内の知人に電話した。すると、「雪が降っていて、電車も止まって、とにかく怖いので外に出れない」との返事だった。雪が降るだけで、身震いしている様子が容易に想像がついた。きょう9日のテレビニュースでも、都心(大手町)の積雪が25㌢を観測するなど、関東甲信を中心に記録的な大雪となったと伝えている。都心で20㌢を超える積雪は1994年2月以来、20年ぶりとか。気象庁は東京に大雪警報を発表している。こんな中、午前7時から東京都知事選の投票が始まっている。

  それに比べ、なんとも金沢らしくない天気が続く。自宅周辺は割と金沢中心部より積雪がある。数日前は降ったものの、積雪は20㌢に満たない。この冬は青空が多く、「(雪が降らないので)助かりますね」というのがご近所さんとの会話だ。きょうは朝から雨。さらに雪が溶けそうだ。

  金沢の雪にまつわる「金沢のしきたり」の話を紹介する。「しきたり」とは暗黙のルールとでも言おうか、明文化された決まりではないが、「昔から(伝統的に)そういうことになっている」ことなのだ。ちょっとアカデミックに言い方をすれば、「コミュニティを存続させるための伝統的な集団行動(知恵)」となるかもしれない。前書きはさておき、雪が降った朝、金沢では持ち家の前の道路を除雪する。それを「雪かき」あるいは「雪すかし」と言う。「かき」は「掻き」で「押しのける」の意味、「すかし」は「透かし」は「取り去る」という意味だ。

  時間的には朝、それも学校の児童が登校する前に7時ごろだろうか。誰がするのかはその遺家々の人だが夫であったり、妻であったりと決まりはない。問題はタイミングである。ご近所の誰かが、スコップでジャラ、ジャラと「掻く」あるいは「透かす」とそれが合図となる。別に当番がいるわけではないか、周囲の人たちがそれとなく出てきて、始める。「よう降りましたね」「冷え込みますね」が朝のご近所のあいさつとなる。

  「掻く」あるいは「透かす」の範囲はその家の道路に面した間口部分となる=写真=。角の家の場合は横小路があるが、そこは手をつけなくてもよい。家の正面の間口部分の道路を除雪するのである。しかも、車道の部分はしなくてよい。登校の児童たちが歩く「歩道」部分のみである。雪をどこに「掻く」のか。それは、家の前の側溝である。そこにどんどんと押しのける、積み上げる。晴れて気温が落ち着くと、側溝に水が流れ、積み上げた雪が溶ける。冬場の側溝は雪捨て場と化す。

  「しきたり」破りに制裁はあるのか。とくにない。雪はそのうち自然に溶けて消える。誰も実害を受けることはないからだ。でも、ご近所の人たちは、その家の雪に関する対応意識(危機管理のガバナンス)など見抜いてしまう。「雪かきもできない。あの家は大丈夫か」と見透かされてしまうのだ。

⇒9日(日)朝・金沢の天気   あめときどきくもり 

☆学生とメディア

☆学生とメディア

  金沢大学では「ジャーナリズム論」「マスメディアと現代を読み解く」といった共通教育の科目(それぞれ2単位)を担当している。講義の中では、「ニュースは知識のワクチン」と繰り返し言っている。それは、間違った情報やうわさに惑わされないために、普段から新聞やテレビのニュースを読んだり見たりすることで、間違いのない情報の判断ができる、と。

  大学生はどのくらい新聞と向き合っているのか、昨年(2013年)10月に授業でアンケート調査を試みた。任意提出で112人が回答してくれた。「世の中の出来事を知る媒体は主になんですか」(複数選択可)の問いでは、①インターネット(47%)、②テレビ(42%)、③新聞(6%)の順だった。媒体としての新聞の存在感は薄いのだ。「新聞に対する印象」では、好きになれない理由として、「政治に関することが多く書かれており、内容がかたい」「おじさんが読む、かつ、おじさんが作っているもの」「文字を読むよりテレビで見た方が情報の取得が早く、読んでいる時間がもったいなく思える」「手が乾燥する、紙質が悪いのであまり触りたくない」「フニャフニャで読みにくく、手が黒くなる」「文字が多い。字が小さく目が疲れるので、あまり良い印象をもっていない」「家でゆっくり見るのには便利だけど外では見ることができないので不便なもの」など。

  一方、好意的な理由として、「ネットニュースと比べると情報量が多く、種類も豊富であると思う。誤報をできるだけ少なくするために取材が丁寧になされていると感じる」「書かれているイラスト等がとても分かりやすい。これによって難解な問題も簡単に分かる」「情報を得る媒体としては非常に人間的なスマートなもの、様々な情報があり、良い意味で興味のない記事にも出会える」など。

  新聞の現状は、情報としては一流だが、媒体としては学生たちからの支持が少ないとう現実が浮かび上がってくる。

  「新聞などメディアは特定秘密保護法になぜ反対しているのか」。そのような授業をこれまで何度か行った。報道機関は「権力のチェックが仕事」と自ら任じている。それは、民主主義社会は三権分立だが、権力は暴走しやく腐敗しやすいからだ。権力が隠そうとする秘密を暴くことで、浄化作用を促してきた。しかし、特定秘密保護法によって、権力側の取材のガードが強固になる。メディアの最大の懸念は、「国民の知る権利」「報道の自由」「取材の自由」が侵害されるということ。

  「掲載されない写真と映像、あなたはどのように考えるか」を授業で問いかけた。日本のマスメディア(新聞・テレビなど)は通常、遺体の写真を掲載していない。読者や視聴者の感情に配慮してのことだ。一方で、海外メディアはリアリティのある写真を掲載している。学生にこのメディアの有り様を問うと、「現状でよい」61%、「見直してもよい」39%だった。「現状でよい」の主な理由は、「見る側への心理的な影響(トラウマ、PTSDなど)が心配される」「遺体にも尊厳がある。プライバシーの問題もある」「インターネット掲載など別の方法がある」「これは日本人の独自の文化、メンタリティーである」など。一方、「見直してもよい」の主な理由は、「現実、事実を報道すべき」「メディアはタブーや自己規制をしてはならない」「見る側の選択肢を広げる報道を」など。

  「新聞記者の数が激減したアメリカで起きていること」をテーマにした授業も大きな反応があった。リーマン・ショック(2008年9月)以降、アメリカで212の新聞社が休刊。1990年代に6万人を数えた新聞記者は現在4万人に減った。「取材空白域」ではさまざまな事件も起きている。こうした、アメリカの「取材空白域」を調査したスティーブン・ワルドマン氏の言葉を授業で紹介した。「ニュースの鉱石を地中から掘り出すのは、現在でももっぱら新聞です。テレビは新聞の掘った原石を目立つように加工して周知させるのは得意ですが、自前で掘るのは不得手です。ネットは、新聞やテレビが報じたニュースを高速ですくって世界中に広める力は抜群ですが、自ら坑内にもぐることはしません。新聞記者がコツコツと坑内で採掘する作業を止めたらニュースは埋もれたまま終わってしまうのです」(2011年10月29日付・朝日新聞)

 
  学生たちにはこのようなメディアへの考察を通じて、「知識のワクチン」を打っている。

⇒5日(水)夜・金沢の天気    ゆき

★外交の仕掛け

★外交の仕掛け

 新聞に毎日目を通している。記憶は不思議なもので、新しい記事は以前見た記事との関係性を自動的に引っ張り出してくれる。そう、「記憶の引き出し」を開け閉めしてくれるのだ。そんなことを考えた記事がある。

 きょう26日付の各紙で報じられた記事(WEB含め)。ニュースの概要はこのようなものだった。沖縄県・尖閣諸島周辺の領海内で今月1日、熱気球による尖閣上陸に失敗した中国人男性を海上保安庁の巡視船が救助した際、中国政府が男性を逮捕したり連行したりしないよう日本政府に要求していたことが25日分かった。中国政府は、逮捕や連行をすれば、日中関係が抜き差しならないものになると理由を挙げたという。上陸未遂は安倍晋三首相が靖国神社に参拝してから6日後に発生。日中関係が緊迫する中、立件は見送られた。

 「逮捕や連行をすれば、日中関係が抜き差しならないものになる」とは穏やかではない。たかが気球が外交どう関係があるのか、思ったが、「記憶の引き出し」は開かれた。正月早々、3日付の記事である=写真=。1日午後2時26分ごろ、台湾の救難調整本部から海上保安庁に「中国人の乗った熱気球が魚釣島の南で行方不明になった」と救助要請があった。第11管区海上保安本部(那覇市)が、沖縄県の尖閣諸島・魚釣島の南約22キロの日本の領海内の海上で熱気球が漂っているのを発見。近くに浮いていた中国人の男性(35)を救助した。11管によると、男性は1日午前7時に中国・福建省複製位置を1人で離陸。「魚釣島に向かい、上陸するつもりだった」と話したという。11管は1日夜、魚釣島の周辺を航行していた中国公船「海警2151」に男性を引き渡した。

 この2つの記事から分かること。そうかこの気球の一件は中国側の外交の仕掛けだったのか、と。以下推論である。中国側は、気球の達人を使って、元旦早々に尖閣諸島に着陸させようとした。ところが、海面に不時着してしまった。それを、日本の海上保安庁が救助し、連行しようとしていた。中国側は、もし尖閣に気球が舞い降りていたら、おそらく人道的な救助目的で尖閣に上陸して、そのまま居座るという戦略ではなかったか。それは気球の男と打ち合わせ済みであったので、日本側に連行されてそのシナオリがばれると大変なことになると思い、「逮捕や連行をすれば、日中関係が抜き差しならないものになる」と脅したのだろう。

 合点がいかないのは、台湾の救難調整本部から海上保安庁に「中国人の乗った熱気球が魚釣島の南で行方不明になった」と救助要請があったことだ。これは台湾側が中国と連携していたとうことなのか、よく分からない。中国側とすれば気球が着陸失敗したのだから、むしろ救助されない方が「死人に口なし」である。あれやこれや憶測で、真実は定かではない。

⇒26日(日)正午、金沢の天気  はれ

☆目に留まった言葉

☆目に留まった言葉

 過日のコラムで、金沢市の東山界隈を元旦に歩いた様子を記した。茶屋街で知れた東山だが、寺院も点在している。その日、ある寺院の門前に貼りだされていた言葉がふと目に留まった。「信はなくて まぎれまわると 日に日に地獄がちかくなる」と=写真=。「蓮如上人」とあるので、室町時代に浄土真宗を全国に広めたとされる高僧のありがたい言葉だ。

 念仏を唱えたことすらない身なので、言葉の仏教的な意味合いは測りかねる。それでも目に留まったのは、勝手にいろいろと解釈し、現代的な意味合いが浮かんだからだった。こう解釈してみた。「自分の生き様の信念も持たず、情報化時代の中で右往左往していると、ろくな死に方もできない」と。「アラ還」の同年代を見渡しても、日常の中で、趣味を大切にして生きている友人たちや家族思いの心優しい友人たちは多くいる。ただ、世の矛盾と闘っている、あるいはチャリティ(慈善活動)に身を投じている、といった信念というものを感じる人はめったにお目にかかったことがない。もちろん自分のその一人だ。

 情報があふれ、「アベノミクスで株価がどうだ」「2020年 東京オリンピックだ」「2015年春 北陸新幹線開業だ」「靖国参拝で中国、韓国がどうだ」などといったニュースに目と心を奪われている日々ではないか。

 自宅に戻ってインターネットで「信はなくて まぎれまわると 日に日に地獄がちかくなる」を検索してみた。出展は『蓮如上人御一代記聞書讃解』とあり、この言葉に続きがあった。「信はなくて紛れまはると日に日に地獄がちかくなる、紛れまはるがあらはれば地獄がちかくなるなり。うち見は、信不信見えず候。遠くいのちをもたずして今日ばかりと思へ、と古き志の人申され候」

 ホームページの出展は省くが、以下の現代意訳が丁寧に付いていた。「真実の信心が得られないまま、世間の事に紛れ果てていると、日に日に地獄が近付いて来る。紛れ果てている証拠に、地獄そのものの生活が展開してしまうものである。外からは人の信・不信は見えないものである。しかしその当人にははっきりと自己の信・不信は明らかだと思われる。命というものが長々と続くものとは考えずに、今日只今だけの命と思って聞法に励むべしと先師はおっしゃっておられるが、まことにその通りではなかろうか」と。

 さらに私の勝手解釈が続く。「自分の生き様の信念も持たず、情報化時代の中で右往左往していると、ろくな死に方もできない。こうした情報過多の日常に埋没していると、自身に死が近づいていることすら分からなくなってしまう。自らの生き様を見極めることができるのは、決して他人ではなく、自分自身ではないか。人生は長くない、日々にいかに生きるか、目を凝らせ、考えよ、自らの信念を探せ」と。

⇒9日(木)朝・金沢の天気    はれ

☆2014年を迎えて

☆2014年を迎えて

  2014年元旦の金沢は雨ときどき曇りだった。家族で金沢神社に初詣に行き、帰りに東山の茶屋街に立ち寄った。街中は静かだったのに、ここは観光客でにぎわっていた=写真・上=。午前中だったが、店も一部は開店していた。店の前で芸子さんが姿を現すと、珍しげに観光客が集まった。「写真撮らせていただけませんか」とスマートフォンを構えている。芸子さんが「いいですよ」と微笑むと、ちゃっかりと「ツーショットと撮っていただけませんか」と横に並ぶおばさんもいた。

  話は前後するが、初詣をした金沢神社の隣に兼六園管理事務所がある。事務所横の庭には、まだ背の低い松などが植えてあり、雪つりまで施してある。本来ならば、兼けんろ六園の園外であり、名木でもないのにコストをかけてまで雪つり施す必要はない。理由がある。これらの松は、兼六園の名木たちの2世なのだ。兼六園といえども、強風や台風、大雪も、そして雷などの自然の脅威には常にさらされている。そして、いつかは枯れる。

  そのときのために名木の子孫がスタンバイしているのである。これは兼六園管理事務所の関係者から聞いた話だが、子孫とは、たとえば種子からとることもあるが、名木のもともとの産地から姿の似た名木をもってくる場合もある。兼六園きっての名木「唐崎(からさき)の松」。これは、滋賀県大津市の「唐崎の松」から由来する。歌川広重(安藤広重)が浮世絵「近江八景之内 唐崎夜雨」に描いた松である。その唐崎の松は2代目だが、第13代加賀藩主が2代目の種を取り寄せて植えた松が兼六園の「唐崎の松」である。

  兼六園管理事務所では、滋賀県の唐崎の2代目の種子で成長した低木を譲り受け、管理事務所で育てている=写真・下=。若いが枝振りもよい。これならば雪つりを施す価値があると個人的にも思う。ただ、この子孫の出番はいつか分からない。100年後か200年後か。ただ、名木の2世のスタンバイは永遠という時空をつけている。兼六園は四季の移ろいを樹木などの植物によって感じさせ、それを曲水の流れや、玉砂利の感触を得ながら確かめるという、5感を満たす感性の高い空間なのだ。その空間に永遠という時空をつけて、完成させた壮大な芸術品、それが兼六園。

⇒1日(水)夜・金沢の天気   くもり

★2013備忘録‐3

★2013備忘録‐3

  ことし1年はある意味で能登が注目された1年だった。3月31に能登有料道路が「のと里山海道」=写真=として無料化した。全長83㌔は信号機もなく、料金所という停止のバリアもなくなり、時速80㌔での走りは爽快である。ただこの無料化に関しては経緯がある。1982年の全線開通以降、1990年から石川県道路公社が道路を管理。総事業費625億円のうち、県から同公社への貸付金のうち未償還分の135億円を県が債権放棄するかたちで、無料化が実現した。つまり、116万県民が1人当たり1万1600円ほど負担したのである。

       「里山海道」から「和食」まで能登の豊富な資源

  5月には国連食糧農業機関が主催する世界農業遺産(GIAHS)国際会議が七尾市で開催された。20ヵ国600人が参加する会議では新たに日本から、静岡「茶草場農法」、熊本「阿蘇の草原と持続的農業」、大分「国東半島宇佐の農林漁業循環システム」が認定を受け、能登と佐渡に加えて国内5地域(サイト)となった。会議では「能登コミュニケ」が採択され、先進国と途上国のサイトが交流するという勧告が盛り込まれた。その流れをつかんで、金沢大学ではJICA草の根技術協力事業として、フィリピン・ルソン島のイフガオ棚田に、能登で実施している人材養成プログラムを移出することになった。「能登は一周遅れのトップランナー」と想いながら、毎週のように通っている。

  9月、能登から幕内力士が誕生した。穴水町出身の遠藤だ。秋場所の番付で昭和期以降で「最速」と注目を集めた、何しろ、春場所でデビューして、3場所でのスピード出世なのだから無理もない。同じ能登出身の力士に第6代横綱・阿武松緑之助(おうのまつ・みどりのすけ、1791‐1852)がいる。良く言えば慎重、立合いで「待った」が多く、江戸の庶民はじれったいことをすると、「待った、待ったと、阿武松でもあるめぇし…」と相手をなじった、という。遠藤には、こうした郷土の先輩のようにひと癖もふた癖もある関取になってほしい。

  12月、ユネスコの無形文化遺産に「和食文化」が登録された。世界の食文化では「フランスの美食術」「地中海料理」「メキシコの伝統料理」「トルコのケシケキ(麦かゆ食)の伝統」がすでに登録されている。和食文化の登録のポイントは、日本人の「自然を尊重する」という精神が和食を形づくったとのコンセプトを挙げている。大きく4つ。1つに多様で豊かな食材を新鮮なまま持ち味を活かす調理技術や道具があること、2つ目に主食のご飯を中心に汁ものを添えて魚や肉、豆腐、野菜を組みあわせた栄養バランスに優れたメニュー構成、3つ目に食器に紅葉の葉などのつまものを添えて季節感や自然の美しさを表現している、4つ目が年中行事とのかかわりで、正月のおせち料理や秋の収穫の祭り料理など家族や地域の人の絆(きずな)を強める食文化だ。手短に、ここで言うことのころ「和食」とは高級料亭のメニューではなく、家庭の、あるいは地域の郷土料理、能登で言うゴッツオ(ごちそう)なのである。そのポイントを能登の人たちはもってPRしてもよいのではないか。

⇒30日(月)午後・金沢の天気   くもり

  

☆2013備忘録‐2

☆2013備忘録‐2

  新しく世界農業遺産(GIAHS)サイトとして認定されたのは、「静岡の茶草場農法」(静岡県掛川市など)、「阿蘇の草原と持続的農業」(熊本県)、「国東(くにさき)半島宇佐の農林漁業循環システム」(大分県)、「会稽山の古代中国のトレヤ(カヤの木)」(中国・浙江省紹興市)、「宣化のブドウ栽培の都市農業遺産」(中国・河北省張家口市)、「海抜以下でのクッタナド農業システム」(インド・ケララ州)の6つだった。国連食糧農業機関(FAO、本部ローマ)、日本の農林水産省などが主催した「世界農業遺産国際会議」がことし5月、能登半島・七尾市で開催された=写真=。

        世界農業遺産を次世代につなぐプラットフォームとして

  国際会議には、FAOトップのグラジアーノ・ダ・シルバ事務局長をはじめ、農林水産省の副大臣など国内外の関係者600人(20ヵ国)が参加した。2年に一度の国際会議では冒頭の新たなサイトの認定だけでなく、「能登コミュニケ(共同声明)」が採択され、「先進国と開発途上国の間の認定地域の結びつきを促進する」ことなどの勧告が出された。

  このコミュニケを今後の能登にどう活かせばよいのか。「能登の里山里海」のGIAHSサイト認定(2011年6月)は、いわば、能登の暮らしそのものが国際的に高く評価されたということであり、能登地域の住民や自治体にとって大きな自信となっている。今回の世界農業遺産国際会議の成功は、その自信をさらに深めることとなり、その結果、能登地域では、世界農業遺産に対する地域住民や自治体の関心や、認定を活用した地域づくりへの機運や意欲が高まりを見せている。このチャンスを活かし、もう一歩踏み込んで、「能登の里山里海」を世界に発信できないか、金沢大学里山里海プロジェクトの代表、中村浩二教授と思案をめぐらしていた。

  アイデアがもたらされたのはことし5月上旬だった。JICA国際協力機構の北陸支部からの「草の根技術協力事業(地域経済活性化特別枠)」の案件だった。この事業は、地方自治体やNGO、大学、公益法人などの団体による、開発途上国の地域住民を対象とした技術協力を、JICAが政府開発援助(ODA)の一環として実施している。ここでいう「技術協力」とは、人を介した協力を通じて、知識・技術や経験・制度などを移転することを指している。これが我々の腑に落ちた。

  金沢大学の里山里海プロジェクトが能登で実施している「能登里山里海マイスター」育成プログラムは人材養成、つまり社会人教育プログラムなのだ。これを7年続け、これまで84人が巣立っている。次なる目標を、国際的な視点を持ちながら地域の直面する課題解決に取り組むグローカル(グローバル+ローカル)な人材の育成に置いている。

  このノウハウ移出を同じ世界農業遺産であり、世界文化遺産(ユネスコ登録)でもあるフィリピン・ルソン島のイフガオ棚田で実施できないか。実は、これはフィリピン大学の教授たちから請われていたことでもある。1月に同大の教授2人を能登に招き、里山マイスターの修了生たちと意見交換してもらった。自然と共生(生物多様性)の視点、地域におけるビジネスを実践している彼らの話に熱心に耳を傾けていた。この後、「この人材養成プログラムをぜひイフガオでやってもらえないだろうか」とオファーがあった。若者の農業離れが進むイフガオで、世界遺産の国際価値を活かして未来につなげる若者の人材教育が必要だと痛感した、という。

  能登とイフガオで人材養成プログラムを実施することの意味は、相互交流や技術協力、学術交流などさまざまにリンクする。世界農業遺産を次世代につなぐプラットフォームにできないか、ついそこまで期待を膨らませてしまった。5月30日、世界農業遺産国際会議の現地視察で同席させていただいた農林水産省の審議官にこの「夢」をこぼした。すると、同省の海外技術協力官の方を紹介いただき、アドバイスもいただいた。その後、6月25日に提案者が石川県、実施者が金沢大学という協力の枠組みで、「世界農業遺産(GIAHS)イフガオの棚田の持続的発展のための人材養成プログラムの構築支援事業」の申請にこぎつけた。9月上旬に内定の知らせがあった。

  いくつかの意味付けがあると考えている。大きくは国際会議のコミュニケの履行だろう。さらに、地域のグローバル人材の育成も含んでいる。国際的なネットワークづくりの端緒をつかんで、能登地域の活性化をはかることにもなる。「能登の里山里海」の豊かな価値を地域住民自身が評価し、夢ある未来を描き、地域の課題に取り組むマインドの醸成につなげ、世界につながる魅力ある地域の創造により、若者の都市部への流出を防ぎ、都市部からの移住の促進につなげていく。また将来、本事業が育成する人材が中心となり、自然と共生し、持続可能な社会モデルを実現し、世界へ発信する「国際協力交流センター」の機能が能登に生み出されることを期待したい。夢はさらに膨らむ。

⇒29日(日)午前・金沢の天気    はれ