☆拉致問題、先読み‐1

☆拉致問題、先読み‐1

 少々の出来事では新聞やテレビを凝視しないが、このニュースには目を凝らした。29日、政府と北朝鮮が拉致問題の調査を再会することで合意したことだ。ニュースによると、ストックホルムで行われた日本と北朝鮮の外務省局長級協議で、北朝鮮が日本人拉致被害者の「包括的かつ全面的」な再調査の実施を約束し、調査開始時点で日本が独自に行っている制裁の一部を解除することで合意したと発表した、という。安倍政権が最重要課題と位置づける拉致問題が大きく展開し始めたことになる。

 安倍総理にとって拉致問題の解決は政治家としての「ライフワーク」とも言える。これまでの記憶をたどる。安倍氏は小泉内閣時に官房副長官と官房長官を務めた。2002年3月に官房副長官に就任し「拉致疑惑に関するPT(プロジェクトチーム)」を発足させ、さらにその年の4月には衆参院で「拉致疑惑の早期解決を求める決議」が採択された。その年の9月にあの電撃的な小泉訪朝が実現する。当時の金正日総書記と会談し、拉致を認めさせた。翌10月には蓮池薫さんら拉致被害者5人が帰国した。さらに2004年5月、小泉総理が再訪朝し、拉致被害者の子5人が帰国した。小泉氏が総理として爆発的な人気を得たのは、郵政民営化だけでなく、何と言ってもこの拉致被害者の帰国があったというのも大きい。当時、小泉訪朝を支えた安倍氏は一貫して「日本人拉致疑惑をうやむやにして、国交正常化などすべきではない」が持論だった。影の立役者だった。

 安倍氏が「小泉後継」として2006年に初めて総理になったのも、拉致問題で北朝鮮への毅然とした態度が評価されたのがきっかけだった。中国と韓国がかたくなに外交関係を拒んで改善の糸口が見えない中、安倍氏は自らのライフワ-クともいえる拉致問題で外交的な一つの成果を出したという気持ちがあるのだろう。おそらく、北朝鮮側との首脳会談、すなわち、安倍総理の電撃的な訪朝も想定しているのではないか。

 今回の調査再開合意、日本と北朝鮮の状況は実に当時と似ている。2002年、アメリカはイラン・イラクと共に北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んでいた。北朝鮮はアメリカの矛先が自国に向くと思い、アメリカと同盟関係にある日本に関係改善の糸口を見出していたと当時言われた。今回も孤立化する北朝鮮の外交の糸口をこの調査再開で掴みたいのではないだろうか。北朝鮮ニュースが面白くなってきた。

⇒30日(金)夜・金沢の天気  はれ

★資源戦争

★資源戦争

  ベトナム政府が公開した、南シナ海の西沙諸島の海域での中国艦船によるベトナム艦船への体当たりや放水のビデオ映像が日本のメディアでも報じられた。中国海警局の船がベトナム沿岸警備隊の船を追い回し、側面に衝突してくる様子は、尖閣諸島における、2010年9月の中国漁船による、日本の海上保安庁巡視船への体当たりシーンを思い出す。そうか、あれは漁船を装った中国の警備当局に仕業だったのかと。中国には体当たりのプロがいるのだ。

  北ベトナムとアメリカによる、いわゆるベトナム戦争の真っただ中の1974年、当時の南ベトナムが支配していた西沙諸島を中国人民軍が武力で確保し、「領土」とした。ベトナム戦争が終結した1988年には、さらに南沙諸島にも中国が進出し、統一ベトナムとの間で軍事衝突が起きた。中国は南シナ海のほぼ全域を覆うように「九段線」と呼ぶマーキングエリアを設定し、中国の主権と権益が及ぶと公言している。

  南沙諸島には100もの小島があり、ベトナムや中国、フィリピンがそれぞれ施設を建て、部分的に実効支配している。今回、中国が全域を実効支配している西沙諸島の沖合に中国が海底油田の掘削装置を持ち込んだため、ベトナムが猛反発した。中国の南シナ海への進出は、石油や天然ガスの資源獲得が狙い、つまり、主権と権益をセットで確保することにあるのだろう。

  こうした中国の一方的な動きに世界が批判の目を向けている。アメリカ国務省の報道官は、中国が警備艇など公船をこの海域に送り込んでいることを「挑発的で緊張を高めている」と非難した(7日)。
  
  現在ミャンマーで開催されている、ASEAN(東南アジア諸国連合)の外相会議で、ベトナム沖の南シナ海で中国が石油掘削を始め、ベトナムの船舶と衝突していることについて、「南シナ海で現在進行中の動きは地域の緊張を高めている」として重大な懸念を示す声明を出たのは当然だろう。領有権争いに絡む全当事者に国際法の順守と平和的な解決を求める。
    
  翻って日本と中国。中国が尖閣諸島の領有権を主張したのは1971年と言われる。1968年に尖閣諸島での海底調査で、石油や天然ガスなどの地下資の可能性が確認されて以降のことである。この南シナ海の西沙諸島付近での油田掘削の動きが尖閣諸島付近でも再現される現実味が帯びてきた。西沙諸島付近での中国の動き、これは領土問題ではなく、「資源戦争」なのだと改めて考える。

⇒11日(日)朝・石川県珠洲市の天気     はれ

☆続々・国と人の尺度

☆続々・国と人の尺度

  外務省海外安全ホームページの中に「安全の手引き」があり、韓国の在釜山日本国総領事館が現地の交通マナーに関して、こう韓国を訪問する邦人に注意を呼びかけている。「交通マナーについても、依然として改善されず、信号無視や横断歩行者の妨害、オートバイの歩道走行などの違法行為や割り込みなどが日常茶飯事であり、いつ何時思わぬ被害に遭遇するか分からない状況にあります」(2013年1月)

  この件の事情を韓国メディアの掲載記事で検索すると、2013年9月23日付の中央日報WEB版(日本語)は嘆いている。経済協力開発機構(OECD)加盟国で交通事故死亡率1位(2010年基準)、人口100万人当たり死亡者は114人。「交通事故死亡者5392人のうち57.4%に当たる3093人が歩道と車道が区分されていない幅9㍍未満の生活道路で犠牲になった。高速道路や広い道路よりも住宅地周辺の狭い道がさらに危険なのが韓国の現実だ」と。ちなみに、同じ統計で日本では100万人当たり死亡者45人なので、韓国の死亡事故は日本の2倍以上となる。ただ、交通死亡事故の定義は日本は24時間以内で死亡した統計であり、各国との比較は微妙だが、それにしても韓国の死亡事故は多い。

  何を言いたいのかというと、安全に対する国と人の尺度に韓国と日本の違いあるのではないかとの推測である。それを交通分野で数値化すると上記の数字となる。上記の韓国紙によると、「高速道路や広い道路よりも住宅地周辺の狭い道がさらに危険なのが韓国の現実」とあり、日常の生活空間での交通事故死が半数以上を占める。とすれば、冒頭の総領事館が注意を呼びかている「信号無視や横断歩行者の妨害、オートバイの歩道走行などの違法行為や割り込み」は現実味を帯びる。

  しかし、振り返ってみると、日本は交通事故死者は4411人(2012年・警察庁統計)だが、1970年に1万6765人(同統計)の死者がいた。つまり、現在の4倍である。当時の人口は1億466万人なので、100万人当たりで計算すると160人となる。つまり韓国以上だった。この1970年をピークに減っていく。なぜか。当時は「交通戦争」と呼ばれるほどに社会問題だった。とくに飲酒運転による死亡事故が多く、2002年6月に改正された改正道路交通法により罰則など強化とともに社会的な交通安全への機運の高まり、2007年9月の飲酒運転のさらなる厳罰化、2009年6月の悪質・危険運転者に対する行政処分の強化など法による取り締まりが徹底された。国民も順守した。

  朴槿恵大統領がセウォル号沈没事故の遺族の前で「すべての悪弊を取り除いて、必ず安全な国をつくる」と述べた(4月29日)。おそらく韓国でも海難事故や交通事故、建築基準法など安全に対するさまざまな法的な取り締まりが今後立法化され、徹底されるだろう。問題はその法を守ろうとする国民の順法の尺度がどうなのか問われることになるだろう。

⇒5日(こともの日)午前・金沢の天気   あめ

★続・国と人の尺度

★続・国と人の尺度

  前回のコラムで書いた「国と人の尺度」で避けたい誤解は、人が行動を起こすのに必要な刺激量の限界値、つまり反応閾値(いきち)がそれぞれ違っており、埼玉県の県立高校で新入生の担任の教師4人が入学式を欠席しわが子の入学式に出席したことを、「まあ、それぞれでよいではないか」と是認しているわけではない。そこには別の社会的な尺度の「職業倫理」というものがある。これは前に述べた個人的な尺度とはまったく別物である。

  もちろん、4人の教師は無断欠席したわけではなく、校長に事前に届けていたので、「倫理」を問うというのはおおげさかもしれない。ただ、新入生の担任が入学式の当日にいないとなると、どうなっているのかと不審に思う保護者(父母など)もいるだろ。一方で、擁護する人は、教師は聖職者ではあるが、人の親でもあり、職業より私生活を優先させるケースがあったとしてもそう目くじらを立てることもない。それは、校長との話し合いでの上の判断なのだから、相当な理由があったはず、と。

  ここで注目すべきは、学校教師への見方が最近変わってきていることである。学習塾など教育産業が独自に発展して、学校の教師に対する親の期待値が相対的に低くなっているのではないか、あるいは教師の存在がが軽視される傾向にあるのではないか、という点である。先日も大きな話題となった、佐賀県武雄市が始める、学習塾「花まる学習会」と組んでの小学校の運営だ。授業に塾の教材やノウハウを取り入れ、研修を受けた学校の教師が教える。さらに、放課後と土曜日の補習には塾講師が招かれ、児童たちを指導する。校名には「武雄花まる学園」と名づけるまるでに入れ込んでいる。これは、同市の総務省出身、45歳市長の敏腕のなせる業(わざ)とはいえ、子を持つ親のニーズをつかんでいる。そして、好意的にNHKの夜7時のニュース番組(4月17日)でも取り上げられた。地域の教育関連ニュースが全国ネットで放送されるのは、ある意味で異例である。

  逆説的なのだが、NHKは視聴者のニーズをつかんで、価値のある全国ニュースと判断したのだろう。既存の学校教育(初等、中等、高等含め)に対し、行き詰まり感、あるいは閉塞感、不信感を持つ親が多いので、そうした現在の学校教育に風穴を開ける話題、あるいは一石を投としての「全国価値」である。

  話は元に戻る。今の社会の風潮は、埼玉県の県立高校で新入生の担任の教師4人が入学式を欠席しわが子の入学式に出席したというニュースが流れても、視聴者は「ああそうですか。お好きに」という風向きかもしれない。教師は「聖職者」ではなく、ごく普通の「公務員」である。しかし、ごく普通の公務員であっても、自らが担当する新入生を受け入れるセレモニーを欠席するだろうか。

  そして、これは大学の入学式の光景なのだが、新入生とその父母同伴の姿で会場で目立つ。しかも平日である。「職業倫理」という言葉はもはや通じなくなってきているのだろうか。

⇒4日(みどりの日)朝・金沢の天気    はれ

☆国と人の尺度

☆国と人の尺度

  韓国・珍島沖で沈没した旅客船「セウォル号」の事故からきょう30日で2週間となる。それにしても連日の報道は日本の放送で見る限り、韓国の安全性に対する認識の問題がクローズアップされている。が、私は日本のある出来事にむしろ注目している。

  今月上旬、埼玉県の県立高校で、それぞれ勤務校は別々だが、新入生の担任の教師4人が入学式を欠席した。その理由は、いずれも自分の子供の入学式に出席するため。式はいずれも8日にあり、4人はそれぞれ子供の小学校や中学校、高校の入学式に出た。4人のうち3人は女性教師だった。1人の男性教師は2人の子供の入学式が重なり、妻と手分けして出席したのだという。4人とも事前に校長に相談していて、有給休暇を取った。

  新入生の担任の教師なので、当然、入学式のセレモニーの後は、教室に担任と新入生の顔合わせがあったはずである。とすれば、今後の学校の決まり事や学習のことなどの説明は誰が行ったのか、と考え込んでしまう。ただ、担任と生徒の初顔合わせは、ある意味で儀式のようなものである。それを教育者として重要なことと感じるか、通過儀礼で気にすることはない、わが子の入学式に出席したいと感じるかは「人間の尺度」の問題だろう。

  この尺度というのは、閾値(いきち)という意味である。進化生物学者の長谷川英祐・北海道大学准教授の著書によると、アリは働き者のイメージだが、「働かないアリ」がいる。アリの7割はボーっとしており、1割は一生働かない。働き者で知られるアリに共感する我々人間にとって意外だ。しかも、働かないアリがいるからこそ、アリの組織は存続できるという。昆虫社会には人間社会のように上司というリーダーはいない。その代わり、昆虫に用意されているプログラムが反応閾値(いきち)である。昆虫が集団行動を制御する仕組みの一つといわれる。たとえば、ミツバチは口に触れた液体にショ糖が含まれていると舌を伸ばして吸おうとする。しかし、どの程度の濃度の糖が含まれていると反応が始まるかは、個体によって決まっている。この、刺激に対して行動を起こすのに必要な刺激量の限界値が反応閾値である。

  人間でいえば、「仕事に対する腰の軽さの個体差」である。きれい好きな人は、すぐ片づける。必ずしもそうでない人は散らかりに鈍感だ。働きアリの採餌や子育ても同じで、先に動いたアリが一定の作業量をこなして、動きが鈍くなってくると、今度は「腰の重い」アリたち反応して動き出すことで組織が維持される。人間社会のように、意識的な怠けものがいるわけではない。

  4人の教師はこうした人の儀式といったことには鈍感なのだろう。ただ、彼らには別の尺度があるはずである。たとえば、緊急避難時における統率力や、暴力に対する正義感などの強さである。教育はいろいろなシーンでそのチカラが発揮されてよい。

  翻って、韓国の「セウォル号」の事故のこの後の後手後手の政府、行政の対応はやはり国の尺度、つまり閾値の問題ではないのか。安全を重視する、船長たるもの乗客の人命を最優先する、混乱する現場をかく乱する行動は取らないといった「安全」という反応閾値がおそらくピンと来ないのだろう。しかし、「利益や栄誉」を得るために先取り気質で行動することは得意といった面がある。この両方を兼ね備えている民族や国民性というのは世界でそうないのではないか。知らない。そして、アリの社会と人間社会を比較しているわけではない。

⇒30日(水)午後・金沢の天気      くもりのち晴れ

★セウォル号とテレビ報道

★セウォル号とテレビ報道

  セウォル号沈没事故で問われているは、何も救助体制だけではなさそうだ。韓国のテレビメディアが矢面に立たされている。日本のメディアの報道を見てみると。

事故当日の16日、テレビ局JTBCが救助された女子高校生にインタビューし、「友人の死について知っているか」と質問。この高校生が泣き出す場面が放送された。悲しみにくれる高校生に追い打ちをかけるものもで、不適切と非難が集中した、という。局の看板アンカーが番組で「どんな弁明もない。深く謝罪する」と頭を下げたようだ。

  18日のテレビ局MBNは生放送で、民間の潜水士だという女性が「海洋警察が民間潜水士の救助作業を阻んでいる」と訴えた。また、この女性は「船内で(行方不明者と)会話した潜水作業員もいる」とも語ったという。しかし、この女性は潜水資格も持たない偽ダイバーで、警察の取り調べを受けたようだ。

  18日午後、KBS第1テレビは報道特別番組で、「救助当局が船内で遺体を多数発見」と速報した。しかし、誤報だった。出所不明の情報だったらしい。

  同じくKBS第2テレビは21日午前に流した情報番組で、女子高校生のチャット記録だとして、「お姉ちゃん、きょう修学旅行に出掛けるんだって? いってらっしゃい! お土産忘れないでね」「お土産を買って帰ることができなそう。ごめん」というやりとりを紹介した。番組では、このチャットでのやりとりをセウォル号に乗っていた女子生徒といとこの間で交わされたものと紹介したが、虚偽だと分かっていて放送したようだ。

  緊急時には、裏付けを取らずにコメントを流してしまい、結果的に誤報になったり、また、つい場の雰囲気に流されて、涙を誘うコメントをしたりするということは、日本のテレビ局でもままある。ただ、韓国のテレビ局のこうした放送の失敗例を見てみると、ある特徴がある。それは、誤報と知りつつあえて流しているケースが見られるということだ。チャットはその例で、偽ダイバーのコメントしても、海上警察の裏取りをすればウソだと分かる。

  つまり、ノーチェックで先を競うように流してしまう。テレビの習い性といえば、それまでなのだが。

⇒23日(水)午後・金沢の天気    はれ

☆続・セウォル号の悲劇

☆続・セウォル号の悲劇

  セウォル号の沈没事故で韓国内が騒然としていると日本の報道各社が伝えている。19日にはこのような報道が目を引いた。子どもの生存を願う行方不明者家族の心理を悪用し、「金を出せば救出してあげる」と持ち掛ける詐欺が横行している、とのこと。民間潜水業者の関係者と名乗る人物が行方不明者家族に接近し、「1億ウォン(約990万円)を出せば子供たちを船から救い出す」と誘う事例があったという。混乱に乗じた火事場泥棒や詐欺商法は日本でも東日本大震災の折、ニュースにもなったが、これだけ限定された行方不明者家族に持ち掛けるとなると、犯人も特定されるのではないか。

  韓国のテレビ局の無神経なインタビューも話題になった。テレビ局の記者が事故現場付近での取材で、助かった女子生徒に対し、「友達死んだの、知ってるか」と質問し、その生徒は「知らない。聞いていない」と大声で泣きだした。このシーンが放送され、視聴者の批判が殺到したのはいうまでもない。現場では緊張感がみなぎっているので違和感なく記者がインタビューしたつもりでも、視聴する側の茶の間感覚では悲しみにくれる生徒にさらに追い打ちをかけるような行為に見えるものだ。気になったのは、このシーンは生中継で送られた映像なのかどうかということだ。普段このような映像が現地から送られてきた場合、本社での編集段階で問題となって、映像を使うのを取りやめるケースが多々ある。しかし、生中継の場合はダイレクトに各家庭に映像が飛び込んでくるので、こうした問題の画像は防ぎようがない。今回はどのケースだったのだろうか。

  
  誤解を招く行動も問題となった。セウォル号の沈没事故に近い港に派遣されていた韓国・安全行政省の幹部職員が、記念写真を撮ろうとしたとして、安否不明者の家族らの猛反発を招いた。批判は国内中に広がり、大統領府(青瓦台)は21日、幹部職員を解任したと報じられた。「李下に冠を正さず」という言葉がある。単なる写真撮影でも自分自身のバックに現場が入ったアングルならば記念撮影ととられても仕方がない。現場はそれほどにナーバスなのだ。

  19日、事故後に救出された安山市檀園高校の教頭(52歳)が首をつって死亡しているのが発見された。教頭は、行方不明者の親族らが宿泊している珍島の体育館近くの木で、自分のベルトで首をつったという。自責の念にかられたのだろうか、あるいは、行方不明者家族から、生徒たちを船に残し、自ら助かったこを糾弾されたのだろうか。沈没事故にまつわるニュースの多様さが、混沌とした現場の様子を物語る。

⇒21日(月)夜・金沢の天気  くもり

  

★セウォル号の悲劇

★セウォル号の悲劇

 昨年8月に韓国・済州(チェジュ)島にシンポジウム参加のための渡島した。それゆえ、今回の旅客船「セウォル号」の珍島(チンド)付近での沈没事故が気になる。そして、テレビや新聞、インターネットでの報道をチェックすると、改めて日本と韓国の国民性の違いなども浮かび上がってくる。

  「セウォル」という韓国の言葉は、日本語でいう「歳月」と説明されている。歌手の天童よしみが「珍島物語」を歌っていたので、この島の名前くらいはかすかに覚えていた。その島で起きた済州への修学旅行に向かう高校生が主に犠牲者となった。まさに悲劇だ。

  不明者の家族らがきょう20日未明、抗議のために事故現場からソウルの大統領府に向かおうとして、警察と揉みあいになったとのニュースがあった。朴槿恵(パク・クネ)大統領への直訴が目的と伝えられている。沈没船の捜索活動が進まないことに対し、行方不明者の家族の怒りの行動だろう。この行動は、日本だったら起きるだろうか。おそらく、海洋警察(日本だと海上保安庁)の捜索をじっと待つ。日本の場合、捜査機関や救助隊への信頼感がある。もちろん、中には情報を早く開示しろといった抗議の声は上がるだろうが、大統領府のある青瓦台への抗議行動にはならないだろう。

  数字の訂正が相次いだことは、どのような背景があるのだろうか。16日午前の事故直後、旅客船を運航している海運会社は乗船者数を数回訂正した。事故発生当初は477人と発表していた。まもなくして、459人に訂正、さらに462人と変更し、同日夜には475人に訂正した。そして、18日には乗船者名簿に記載のない死亡者が見つかったと発表している。チケットを買わずに乗船していた人がいるらしい、との理由だ。では、なぜノーチケットで乗船できるのかと次なる疑問が出てくる。これは会社の内部の問題なのか、何か社会的な慣行でもあるのだろうか。

  船長が真っ先に船を離れるという事実があった。船長(68歳)、事故当時に操船していた3等航海士(25歳)、操舵手(55歳)の3人が逮捕された。3等航海士は「現場付近で速度を落として右に曲がるべきなのに、ほぼ全速力で進んで方向を変えた」と供述しているという。この方向転換によって、船がバランスを崩し、統制不能になったというのがどうやら沈没の原因らしいとメディア各社が報じている。救助されたがゆえに、事故原因も早々に分かったのだが、その次に船長として、操縦者としての責任論が浮かんでいる。乗客の誘導をなぜ行わなかったのか、救命ボートはなぜ下ろされなかったのか、なぜ任務を放棄して、真っ先に現場を離れたのか。これは個人的な行動なのか、会社のコンプライアンスの問題なのか、地域の気風なのか、国民性なのか、そんなことを考えてしまう。悲劇の要因もいくつもありそうだ。

⇒20日(日)午後・金沢の天気   くもり

☆イフガオへ-下

☆イフガオへ-下

フィリピンの1000ペソ紙幣の裏側に棚田が描かれている=写真・上=。高度1欧米人000-1500㍍に展開する棚田。この風景を見た欧米人は「天への階段」とイメージするそうだ。1995年にユネスコの世界文化遺産に登録されてから、海外からのツアー客が格段に増えた。25日に宿泊したイフガオのホテルのレストランでは、英語だけでなく、おそらくオランダ語が飛び交っていた。アジア系の顔は我々だけだった。何しろ、マニラから直行バスで9時間ほどかかる。コメ作りが日常で行われているアジアでは、それだけ時間をかけて、田んぼを見に行こうという観光客はそういないのかも知れない。

       人材養成でソフト協力事業の国際モデルをめざす

 そのイフガオのホテルのレストランに一枚の棚田の大きな写真が壁面に飾られていた。写真の横幅は3㍍もあるだろうか。白黒の、おそらく数十年前の写真。紙幣にあるような、山並に一面に広がる見事なライステラス(棚田)だ。26日朝からさっそくそのビューポイントに撮影に出かけた。確かにスケール感があり、日本の棚田と比べても、イフガオ族の米づくりに対する執着というものが伝わってくる=写真・下=した。
 
 数十年前の写真と比較をしてみる。右下の三角状の小山は現在も同じカタチだが、全体に樹木が広がっている。とくに左下の棚田は林に戻っている。また、そして右真ん中くらいに展開していた棚田はすでに耕作放棄されているのが分かる。私は農業の専門家ではないが、素人目でもこのエリアは数十年前の写真を見る限り、20%ほどの棚田が消滅しているのではないだろうか。写真を撮っていると、民族衣装を着たお年寄りの男女が数人寄ってきた。「1人20ペソでいっしょに撮影できる」という。お年寄りの小遣い稼ぎだろうが、この現在の棚田の現状を見て、その気にはなれなかった。

 話は「イフガオ里山マイスター養成プログラム」に戻る。20人の受講生は月2回程度の集中講義を受ける。教員は6人体制で行う。その中心を担うのが、フィリピン大学オープン・ユニバーシティーのイノセンシオ・ブオット教授(生態学)。今回のプロジェクトの発案者の一人でもある。2013年1月、金沢大学里山里海プロジェクトが主催した「国際GIAHSセミナー」の基調講演で、「イフガオ棚田の農家が耕し続けるために、景観を商品として扱うのではなく、コミュニティの中で持続的に守るべきもの」と話した。その後、能登を訪れ、能登里山マイスター養成プログラムの修了生たちと懇談した。修了生の前向きな取り組みを聞き、「ぜひイフガオの若者のために、里山マイスター養成プログラムのノウハウを教えてほしい」と中村教授と話し合ったのがきっかけだった。

 受講生たちの学びの場はイフガオ州立大学となる。セラフィン・L・ゴハヨン学長は、「受講生には、イフガオのために自らが何かできるか考えてほしい。大学も彼らのために何ができるかを考えたい。今回のイフガオ里山マイスター養成プログラムをイノベーションモデルと位置付けている。そして、彼らに考える、研究するノウハウを生涯学習として提供していきたいと思う。それが大学ができることだ」と。日本からJICAプロジェクトが来たから、何か特別なことをするのではなく、地域の大学として持続的に支援していく。それが地に足のついた人材養成というものだ。

 よき提案者と理解者がいて、このプロジェクトは国をまたいでスタートする。人材養成というソフト協力事業の国際モデルとなるかどうか、いよいよ新たなチャレンジが始まる

⇒26日(木)夜・イフガオの天気   はれ

★イフガオへ-中

★イフガオへ-中

 25日午前、イフガオ州立大学でプロジェクトを推進する現地の組織「イフガオGIAHS持続発展協議会(IGDC=Ifugao GIAHS Sustainable Development Committee)が設立され、受講生20人を迎えての開講式とワークショプが開催された。目を引いたのが、「イフガオ・ダンス」。男女の男女円を描き、男は前かがみの姿勢でステップを踏み、女は腕を羽根のように伸ばし小刻みに進む。まるで、鳥の「求愛ダンス」のようなイメージの民族舞踊だ。赤と青をベースとした民族衣装がなんとも、その踊りの雰囲気にマッチしている。

     伝統の上に21世紀の農業をどう創り上げていくか     

 イフガオGIAHS持続発展協議会の設立総会には、プロジェクト代表の中村浩二金沢大学特任教授、イフオガ州のアティ・デニス・ハバウェル知事、イフガオ州立大学のセラフィン・L・ゴハヨン学長、フィリピン大学オープン・ユニバーシティーのメリンダ・ルマンタ副学長、バナウエ町のホン・ジェリー・ダリボグ町長らが出席した。持続発展協議会の設立目的は、能登半島と同様に、大学と行政が同じテーブルに就き、地域の人づくりについて手を尽くすということだ。中村教授は「希望あふれるGIAHSの仲間として、持続可能な地域づくりをともに学んで行きましょう」と挨拶。また、協議会の会長に就任したハバウェル知事は「金沢大学の人材養成の取り組みは先進的で、国連大学などからも高く評価されている。イフガオだけでなく、フィリピン全土でこのノウハウを共有したい」と述べた。

 午後からは、イフガオ里山マイスター養成プログラムの開講式が、第1期生20人を迎えて執り行われた。受講生は、棚田が広がるバナウエ、ホンデュワン、マユヤオの3つの町の20代から40代の社会人。職業は、農業を中心に環境ボランティア、大学教員、家事手伝いなど。20人のうち、15人が女性となっている。応募者は59人で書類選考と面接で選ばれた。

 受講した動機について何人かにインタビューした。ジェニファ・ランナオさん(38)=女性・農業=は、「最近は若い人たちだけでなく、中高年の人も棚田から離れていっています。そのため田んぼの水の分配も難しくなっています。どうしたら村のみんなが少しでも豊かになれるか学びたいと思って受講を希望しました」と話す。インフマン・レイノス・ジョシュスさん(24)=男性・環境ボランティア=は、「これから学ぶことをバナウエの棚田の保全に役立てたいと思います。そして、1年後に学んだことを周囲に広めたいと思います」と期待を込めた。ビッキー・マダギムさん(40)=女性・大学教員=は、「イフガオの伝統文化にとても興味があります。それは農業の歴史そのものでもあります。そして、イフガオに残るスキル(農業技術)を紹介していきたいと考えています」と意欲を見せた。

 ユネスコの世界文化遺産でもあるこの棚田でも農業離れが進み、耕作放棄地が目立つ。若者の農業離れは、日本だけでなく、東アジア、さらにアメリカやヨーロッパでも起きていることだ。一方で、農業に目を向ける都会の若者たちもいる。パーマネント・アグリカルチャー(パーマカルチャー=持続型農業)を学びたいと農村へ移住してくる若者たち。ただ農業の伝統を守るだけではなく、伝統の上に21世紀の農業をどう創り上げていくか、その取り組みがイフガでも始まったのである。

⇒25日(火)夜・イフガオの天気  あめ