☆今ある能登の未来

☆今ある能登の未来

  先月9月27日、金沢大学が能登2市2町と連携して展開している、若者の人材養成プロジェクト「能登里山里海マイスター育成プログラム」の修了式(修了生23名)があった=写真=。このプログラムは2007年にスタートし、7年間で延べ107名のマイスターを輩出している。能登里山里海マイスター育成プログラムは、自治体と大学が共同で出資する独自の予算で運営され、輪島市の「里山里海塾」、能登町の「ふるさと未来塾」とも連携するという、これまでにない地域と大学の密接なネットワークを築いている。授業内容も、従来の環境に配慮した農林水産業をベースとした地域活性化だけではなく、全国各地の先進的な動きや事例に学ぶなど新たな時代のニーズを取り込んだカリキュラムに工夫されている。

  1年間に凝縮されたカリキュラムで、受講生たちは月2回の土曜日、能登学舎(珠洲市三崎町小泊)でこれからの能登の里山里海をどのように活かしてゆくべきかについて、多彩な講師陣の指導を受けながら、熱心に議論を積み重ねてきた。その間、様々な戸惑いや悩みもあった。受講生たちは、それを乗り越え、自らの課題研究をまとめ上げて、審査と評価を得て、この日の修了式を迎えた。

  卒業の課題研究の概要をいくつか紹介する。東京から移住して、七尾市の能登島でまったく新しいタイプの農家レストランを起業する女性の受講生は、地元の農家との交わりや農作業をとおして、食材とメニューを開発するなど地産地消を徹底することから生まれるレストランの経営のプランをつくりあげた。この論文に「日本版スローライフ、スローフード」の可能性を感じた。また、能登の海で獲れるトラフグやゴマフグを「能登ふぐ」としてブランド化して売り出すビジネスプランや、能登の豊かな自然を幼児教育の場として生かす「森のようちえん」の開設に向けた取り組みなど、実に興味深い。

  修了生の代表はこう感謝の言葉を述べた。「能登は過疎化・高齢化といわれますが、ここにはたくさんの個性的な人が息づき、自然の豊かな恵みをうけて、ともに命を輝かせて生きています。これから未来のために何ができるのでしょうか。みんなで取り組んでいきましょう。能登がもっと元気になって、能登がもっと多様性にあふれることを願って、私たちは、考えながら、感じながら、動きながら、歩んでいきたいと思います」

  新たな視点、独創的な発想、先進的な取り組みなど、人々の考えの「多様性」こそ地域社会を切り開く源(みなもと)だと思う。「能登里山里海マイスター」の称号は伊達ではない。個人の取り組みが点であるかもしれないが、マイスターのネットワークを通じて線になり、さらに地域的な広がりを持って面となることを期待したい。その意味で、能登里山里海マイスター育成プログラムの取り組みは能登半島に新しい息吹を吹き込む仕組みであると、修了式に臨んで改めて感銘を受けた。

  金沢大学はキャンパスの中だけでなく、能登、加賀、金沢の地域に学ぶ教育や研究を進めている。それは、地域の学びのニーズに応えていくことだと考える。修了生(マイスター)には、地域と大学を結ぶ懸け橋として、後に続く若者達のリーダーになってほしいと期待してる。能登にとっても、大学にとっても、能登里山里海マイスター育成プログラムを修了した若者たちはある意味での「財産」であり、この修了式の光景こそ、今ある能登の未来だと頼もしく思った。

⇒5日(日)午後・金沢の天気      あめ

  

★イフガオから能登に‐下

★イフガオから能登に‐下

 ここで金沢大学がイフガオで取り組んでいる概要について説明する。イフガオ州はマニラから北に約380㌖。コルディレラ山脈の中腹にイフガオ族が耕す棚田が広がる。「イフガオの棚田」は国連食糧農業機関(FAO)により世界農業遺産(GIAHS)に認定されているが、近年、若者の農業離れや都市部への流出により、耕作放棄地の増加が懸念されるほか、地域の生活・文化を守り、継承していく人材の養成が急務となっている。

     能登とイフガオ、SATOYAMA課題の相互理解を深める

 そのため同様の課題を有する、日本の2つの世界農業遺産認定地域(能登・佐渡)との結びつきを強化し、金沢大学が能登で培った里山里海をテ-マとした人材育成のノウハウを移転し、同地において魅力ある農業を実践し、地域を持続的に発展させる若手人材養成のプログラムの構築を支援するというもの。また、GIAHSの理念の普及を通じた国際交流・支援を実施することにより、能登および佐渡地域において、国際的な視点を持ちながら地域の課題解決に取り組み、国際社会と連携するグローバル人材の育成につなげていく。少々欲張った取り組みではある。

 能登ツアーの後半のハイライトは、能登のマイスター受講生やOBとの交流である。20日と21日は能登里山里海マイスター育成プログラムの2期生の修了課題発表会(22人発表、通訳・早川芳子氏)に参加し、能登マイスターの受講生の環境に配慮した米作りや、土地の食材を活かしたフレンチレストラン、古民家の活用などついて耳を傾けた。21日午後からはイフガオ里山マイスターの受講生5人が現在取り組んでいる「ドジョウの水田養殖」や「外来の巨大ミミズの駆除・管理」などについて発表した。これに能登の受講生やOBがコメントするなど、研究課題の突き合わせを通じて、相互の理解を深めた。

 受講生のヴィッキー・マダンゲングさん(41歳・大学教員)=写真・上=が取り組んでいる研究テーマ「イフガオの民俗資料と写真展示」はいわばイフガオ民族資料館の取り組みである。イフガオは世界文化遺産に認定されているものの、体系立てられた農耕の歴史資料や伝統芸能を紹介する資料館が少ない。そこで、写真と農耕道具の中心とした展示館をつくりたいと願っている。ジェネヴィーヴ・フカサンさん(41歳・農業)=写真・下=の研究テーマ「伝統的な野草茶の栽培と普及」は棚田周辺の野草を乾燥させて野草茶をつくり、副収入にしたいと小さなビジネスを考えている。

 今回の能登研修を通じて、能登とイフガオの受講生30人余りが研究課題の発表を通じて直接・間接的に交流したことになる。21日午後からの課題発表会と懇親会では受講生同士が直接対話し、理解をさらに深めた。イフガオも能登も、若者の土地離れ、農業離れという共通の課題を有している。今回の相互理解で、地域の自然や文化を再度見直し、これを持続的に未来につなげていこうとする思いは通じ合えたのではないだろうか。

 23日の研修ツアーの成果発表会では「過疎の課題を背負いながら地域の再生に知恵を出す能登の受講生の姿がとても印象的で、我々の思いと通じ合えた」との感想があった。

⇒28日(日)金沢の天気  はれ

 

☆イフガオから能登に‐上

☆イフガオから能登に‐上

 金沢大学がフィリピン・ルソン島イフガオで実施している国際協力機構(JICA)草の根技術協力事業「世界農業遺産(GIAHS)イフガオの棚田の持続的発展のための人材養成プログラムの構築支援事業」(通称:イフガオ里山マイスター養成プログラム)の能登研修が9月13日から24日の日程で実施された。プログラム受講20人のうち10人が研修ツアーに参加、学びと交流の輪を広げた。その様子をリポートする。

    イフガオの民族衣装で輪島・千枚田の稲刈り

 イフガオ里山マイスター養成プログラムでは月1回(1泊2日)、イフガオ州大学を拠点に現地の若者20人がフィリピン大学やイフガオ州大学の教員の指導で地域資源の活用や生物多様性と環境、持続可能な地域づくり、ビジネス創出について学んでいる。能登研修を通じて、GIAHSサイト間の交流を深める。今回参加した受講生10人は教員スタッフ3人とともに12日にイフガオ現地からマニラを経由し、13日深夜金沢に到着した。

 能登入りに先立って、イフガオの受講生たちは16日に谷本正憲知事、17日には山崎光悦金沢大学長を表敬訪問した。知事は「地域活性化のヒントが得られることを期待する」と述べ、輪島の千枚田の取り組みを紹介。山崎学長も「能登での研修が実りあることを期待したい」と、引率のダイナ・リチヤヨ教授(イフガオ州大学)を励ました。このほか、16日にJICA北陸支部を訪ね、堀内好夫支部長に挨拶。また同日、能登GIAHS推進協議会の会長、山辺芳宣羽咋市長を訪問、18日にはイフガオGIAHS支援協議会の会長、泉谷満寿裕珠洲市長を訪ね、世界農業遺産のサイト同士の連携に向けて、行政と草の根レベルでの交流を深めることを話し合った。

 ツアー前半のハイライトは能登見学だった。輪島市の千枚田では、棚田のオーナー田を管理する白米千枚田愛耕会の堂前助之新さんがオーナー制度の仕組みを説明。イフガオ受講生は愛耕会のメンバーの手ほどきで稲刈りを体験した。イフガオの稲は背丈が高く、カミソリのような道具で稲穂の部分のみ刈り取っており、カマを使って根元から刈る伝統的な日本式の稲刈り初めて=写真=、また、はざ掛けも体験した。イフガオの民族衣装を着た受講生たちは、収穫に感謝する歌と踊りを披露した。イフガオで自らも農業を営むマリージェーン・アバガンさんは「能登の棚田はとても手入れが行き届いている」と感想を話した。

 イフガオの受講生の多くは日本における米の加工品に関心を寄せており、日本酒の造り酒屋も見学コースに組み込まれた(18日)。能登町の松波酒造では、季節的に製造時期ではないももの、女将の金七聖子さんから酒の製造工程を分りやすく説明してもらった。試飲した日本酒がすっかり気に入り、宿泊所で飲みたいとせっせと買い込む姿も。

⇒27日(土)能登の天気   はれ

  

★金沢大学と世界農業遺産

★金沢大学と世界農業遺産

  金沢大学里山里海プロジェクト(研究代表:中村浩二特任教授)は1999年の金沢大学角間キャンパスでの「角間の里山自然学校」の開設以来、生物多様性の研究を中心に地域連携による人材養成とさまざまに活動を広げてきた。特に世界農業遺産(GIAHS)「能登の里山里海」の認定にかかわるプロセスや、その後のGIAHSの国際連携についても貢献している。私はこれまで地域連携という立場で里山里海プロジェクトとかかわってきた。このほど、科学技術振興機構(JST)の機関紙『産学官連携ジャ-ナル』(2014年8月号)で、世界農業遺産をめぐるかかわりの経緯についてまとめたものが掲載されたので以下紹介する。

<世界農業遺産について>
世界農業遺産(Globally Important Agricultural Heritage Systems=GIAHS、ジアス)は、2002年に国際連合食糧農業機関(FAO)によって創設された。その背景には、現代農業の生産性偏重が、世界各地で森林破壊や水質汚染等の環境問題や地域の伝統文化や景観、生物多様性などの消失を引き起こしたことへの反省がある。GIAHSは、その土地の環境を生かした伝統的な農業・農法、生物多様性が守られた土地利用、農村文化・農村景観などを「地域システム」として維持し、次世代へ継承していくことを目的としている。

●パルヴィスGIAHS議長の能登視察
2010年6月、国連大学高等研究所(当時)から視察の依頼があり、金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラム(JST「地域再生人材創出拠点の形成」補助事業、2007~11年度)の取り組みを、研究所員や来日している国連食糧農業機関(FAO)の幹部に紹介することになった。プログラムの教員スタッフが、能登半島の先端での里山里海の地域資源を活用する地域人材の養成の仕組み、とくに生物多様性など環境配慮の水田づくりの実習カリキュラムなどについて説明した。すると、その話を聞きながら回覧された水田の昆虫標本をじっとのぞき込んでいたFAOのゲストが質問した=写真・上=。「この虫を採取したのは農家か」「ほかにカエルやヒルやミミズ、貝類の標本はあるのか、見せてほしい」と、熱心に質問をした。その人が世界農業遺産(GIAHS)の創設者であり議長(当時)であったパルヴィス・クーハフカーン氏だったことを知ったのは、その1年後だった。

●北京国際GIAHSフォーラム
2011年6月、北京でGIAHS国際フォーラムが開かれ、パルヴィス氏が議長であった。前年12月に日本から初めて申請した「NOTO’s Satoyama and Satoumi(能登の里山里海)」と「SADO’s Satoyama in harmony with the Japanese crested ibis(トキと共生する佐渡の里山)」がこの会議で審査された。フォーラムでは能登申請者の代表の武元文平七尾市長(当時)、高野宏一郎佐渡市長(同)が、それぞれ英語で15分ほど申請趣旨をプレゼンした。これに先だち、FAOの依頼により中村浩二教授(金沢大学、「能登里山マイスター」養成プログラム研究代表)が能登における里山里海の人材養成について発表した。その後のGIAHS運営委員会で、日本初(先進国としても初)の2件が認定された。パルヴィス氏はコメントで「生物多様性と農業に取り組む人材養成を大学とともに実施している能登は評価に値する」と述べた。

●人材育成による地域再生
能登の自然と文化はGIAHS認定されるほどすぐれているが、過疎化・高齢化の波は非常にきびしい。国際的な評価を背景に、能登では持続可能な農林水産業の人材育成こそが地域再生につながると、「能登里山マイスター」養成プログラムの事業継続が要望され、2012年10月から能登の自治体と大学の共同出資による「能登里山里海マイスター育成プログラム」が新スタートした。2013年3月には自治体と大学が共催し、パルヴィス氏を招いて「GIAHS国際セミナー」を能登で開催した。環境に配慮した農林業の新たなビジネスに取り組むマイスター修了生たちの発表に耳を傾け、一人ひとりにコメントしたパルヴィス氏は「ぜひマイスターのみなさんにはGIAHS大使として、世界に意義を広めてほしい」と期待を込めた。

●イフガオ棚田GIAHSとの連携
2013年5月、能登半島・七尾市でGIAHS国際フォーラムが開催され、日本から「静岡の茶草場農法」、「阿蘇の草原の維持と持続的農業」(熊本県)、「クヌギ林とため池がつなぐ国東半島・宇佐の農林水産循環」(大分県)の3件が新認定されたほか、GIAHS国際フォーラムとしては初めて、コミュニケ(共同声明)が採択された。その5項目のひとつに「先進国と途上国のGIAHSサイトの連携(Twinning)」が掲げられた。これを実行に移すため、金沢大学が7年間、能登半島で培ってきた里山の人材養成のノウハウをフィリピン・ルソン島のイフガオ棚田(FAO世界農業遺産、ユネスコ世界文化遺産)の人材養成に活かすプロジェクトが、JICA国際協力機構の草の根技術協力事業(地域経済活性化特別枠)として採択された(2013~15年度)。この促進のために能登と佐渡の自治体を中心とした「日本イフガオGIAHS支援協議会」をことし3月発足させた。現地のイフガオ里山マイスター養成プログラムの受講生たちは現在20人=写真・下=。9月後半には研修のため能登半島にやってくる。GIAHSをテーマにした新たな国際連携が始まっている。

⇒26日(火)朝・金沢の天気   あめ

☆報道姿勢

☆報道姿勢

  前回のコラムの続きである。けさの新聞各紙で、今月5日に自ら命を絶った、理化学研究所の笹井芳樹氏の家族の代理人の弁護士が12日夜、大阪市内で記者会見を開いて、家族に宛てた笹井氏の遺書の内容を明らかにした、と報じている。では、NHKはどのように報じているのかとホームページを検索した。以下本文を引用する。

  「記者会見した中村和洋弁護士によりますと、家族に宛てた遺書には、今までありがとうという感謝のことばと、先立つことについて申し訳ないというおわびのことばが書かれていたということです。また、みずから命を絶ったことについて、『マスコミなどからの不当なバッシング、理研やラボへの責任から疲れ切ってしまった』ということが記されていたということです。」

  さらに末尾ではこう伝えている。「会見した中村弁護士は、『家族の話では笹井氏はSTAP細胞の論文の問題が指摘された3月ごろから心労を感じていた。特に心理的に落ち込んだのが、6月に改革委員会が組織(笹井氏が副センター長を務めていた発生・再生科学総合研究センター)の解体を提言した時で、そのころから精神的につらい状況に追い込まれ、今回の自殺につながった』と述べました。」

  このNHKニュースを読んでの印象はこうだ。「笹井氏の自殺の原因は、メディアなどからのバッシングもさることながら、6月に改革委員会が組織の解体を提言したことによるショックが直接の原因だ」と言っているようにも取れる。文章の運びが、バッシングをした側の責任を逃げている印象を与えるのだ。

  きょうの朝日新聞の記事はこうだ。以下引用する。「笹井芳樹副センター長の遺族が12日、代理人の弁護士を通じて、『深い悲しみとショックで押しつぶされそうです。今は絶望しか見えません』とのコメントを発表した。コメントでは、理研の研究者や職員に対して『皆様の動揺を思うと胸がつぶれるほどつらいです。今は一日も早く研究・業務に専念できる環境が戻ることを切に願うばかりです』と心情がつづられていた。会見した中村和洋弁護士によると、妻と兄宛ての遺書2通が自宅にあり、『今までありがとう』『先立つことについて申し訳ない』などと書かれてあった。ほかにも『マスコミなどからの不当なバッシング、理研やラボへの責任から疲れ切ってしまった』などと記載されていたという。」

  以上の朝日新聞の文章の運びでは、「マスコミなどからの不当なバッシング」を後尾に持ってきているので、読んだ印象は「メディアからのバッシングで相当気が滅入っていたのだろう」と感じる。もちろん、テレビと新聞の書きぶりは違うし、中日新聞の記事もどちらかというとNHKと同じく、発生・再生科学総合研究センターの解体提言が直接の原因ではないかとの印象を与える記事構成になっている。

  きょうのブログで言いたかったことは、メディアの各社の書きぶりの違いではない。遺書に「マスコミなどからの不当なバッシング」と書かれ、それが公開されたのではあれば、笹井氏を追い詰めた一連の報道を検証することもメディアの報道姿勢ではないだろうか。とくに、NHKの場合、番組「STAP細胞不正の深層」(7月27日放送)の事前取材(同月23日)で小保方氏への不適切な取材行為があり、放送後の8月5日朝、笹井氏が自殺した。この事件に関心を寄せる視聴者の多くは、これは単なる偶然ではなく、NHKの番組が笹井氏を自ら死へと追む、一つの引き金になったのではないかとの印象を持っているのではないだろうか。

⇒13日(水)朝・金沢の天気   はれ

  

★報道被害

★報道被害

  金沢大学の共通教育授業で「マスメディアと現代を読み解く」の科目を担当している。課題リポートで「あなたがジャーナリストになったとして、インタビューしたい人物を一人あげてください。そして、あなたが何故その人物を選んだのか、理由を簡潔に書いたうえで、その趣旨に沿うような相手への質問3点をあげてください」と設問した。

  リポートを提出した200人の学生がインタビューしたい相手として選ばれたトップは小保方晴子さん(「STAP細胞」研究者)。24人の学生が選んだ。主な質問は「STAP細胞の再検証実験により、STAP細胞の存在を証明する自信はありますか」というものだった。2番目に多かったのが、安倍晋三・総理大臣の23人。主な質問は「集団的自衛権の行使を憲法改正ではなく憲法解釈により容認した理由は」。3番目がサッカー選手の本田圭祐氏。主な質問は「優勝を目標に掲げて挑んだ今回のW杯の結果についての感想は」というものだった。学生のインタビューの相手は時代の世相を反映している。ちなみに、あの泣きの野々村竜太郎・元兵庫県議には8人の学生がインタビューを望んだ。

  2010年12月の課題リポートでも同じように、インタビューしたい相手を書いてもらった。4年前である。この時は188人の学生から回答を得た。1位が野球選手のイチローだった。主な質問は「どうしたらプレッシャーに打ち勝つことができますか」「セコイという質問にどう答えますか」だった。このセコイというのは外国人の眼で、内野安打を確実に稼いでいくイチローの野球に対して、ホームランの一発を期待する海外のファンの見立てをそのまま質問にしたのだろう。冒頭の課題リポートは7月下旬に提出してもらった。その後、予期せぬことが起きた。

  NHKスペシャル「STAP細胞不正の深層」(7月27日放送)の事前取材(同月23日)で、小保方氏を追いかけ、全治2週間のケガを負わせたと報道された。さらに、放送の9日後の8月5日朝、小保方氏の研究指導の中心メンバーだった理化学研究所発生・再生科学総合研究センター副センター長、笹井芳樹氏(52)が自殺した。NHK番組は、笹井氏が小保方氏の実験の不備を把握していたのに、それを怠ったのではないかとする内容の、責任追及もしていた。また、笹井氏と小保方氏の2人が交わしたメールの文章を読む声がなんともに2人の「特別な関係」の雰囲気を与える印象だった。

  NHKスペシャルの取材班としては、どうしても小保方氏のインタビュー(肉声)を撮りたかったのだろう。そして、ホテルに駆け込んだ小保方氏を逃がすまいと記者・カメラマンを含め4、5人で囲んだのだろうことは想像に難くない。事件を報道した新聞・テレビのニュースを読み比べると、「そこまで追い詰める必要はあったのか」との論調が多い。小保方氏にとっては、ケガをしたのだから「報道被害」ではある。今、学生たちに同じインタビューをしたい相手は誰かと尋ねれば、おそらく「NHKスペシャルのプロデューサー」だろう。その質問の趣旨は「そこまで小保方さんを追い詰め、どんなインタビューの返事を期待したのか」ではないだろうか。

⇒6日(水)夜・金沢の天気  くもり

  

☆過疎化する世界の農村と向き合う‐下

☆過疎化する世界の農村と向き合う‐下

 そんな能登だけでなく、05年に世界農業遺産に登録されたフィリピン北部、イフガオ州の里山でも、同様の問題が起きていることがわかった。中村教授とフィリピン大学の研究者が旧知の仲だったこともあり、現地でワークショップを開催しイフガオの現状を話し合った。すると地元の町長が「過疎化が進み、耕作放棄された棚田が増えたため、美しい景観が失われつつあります」と。それは能登が直面してきた課題そのものだった。能登里山マイスター養成プログラムで培った知見を、なんとかイフガオで生かせないだろうか―。JICA草の根協力事業を通じて、金沢大学の挑戦が始まった。

                  イフガオ棚田、手さぐりながら人材育成が始まった

 中村教授らが着手したのは、「イフガオ里山マイスター」養成プログラムの設立だ。金沢大学のパートナーは、イフガオ州大学、フィリピン大学、地元自治体で構成する「イフガオGIHAS持続発展協議会」だ。まずは、学習カリキュラムの作成から。座学と実習の組み立て、農業や養殖、政策などの専門家による講義の手配、卒業課題の進め方などをアドバイスした。「プログラムを実施する地元の教員などの意見を聞き、現地に即した体制づくりを目指しています」と中村教授は話す。2ヶ月かけて、現地の大学、行政、住民代表らとの人材養成ニーズやカリキュラム概要をめぐる討論会をおこなってから、2014年2月には受講生の募集を開始した。約60人の応募者の中から、第1期生20人を迎えた。月2回、1泊2日の日程で1年間学ぶプログラムだ。年代は20~40代、職種も農家、大学教員、行政マン、主婦など、さまざまな経歴を持つ人が集まった。地元の農家、ジェニファ・ランナオさんは、「どうしたら村のみんなが豊かになれるのか学びたい」と参加した理由を話す。

 このプログラムでは、とにかく“考える時間”を受講生に与えるのが特徴だ。「棚田を荒らす外来種のミミズをどう駆除するか」「観光客を呼び込むにはどうすればいいか」「棚田でドジョウの養殖はできるか」…。どの講義日にも、受講生自身が挑戦したい取り組みを決めて、どうすれば実現できるのか、全員で話し合うようにしている。こういった学びを繰り返すことで、自らの課題を見つけ、解決する力が身に付く。

 「いつも受講生の熱意には感心します。伝統的な農業を守りながら、集落を発展させたいと、8時間かけて通っている人もいるんですよ」と、中村教授は、彼らの成長の可能性を感じているよう。受講生の一人、環境保全のボランティアに取り組んできたインフマン・レイノス・ジョショスさんは、「このプログラムでの学びを棚田の保全に生かし、地域の人たちにも伝えていきたい」と目を輝かせる。

 今年9月にはプログラムの一環として能登で研修を行う予定。イフガオと能登の若者たちが交流し、里山と農業の未来を語り合えば、新たな発見が生まれてくるはず―。世界農業遺産を守るため、国境を超えた連携が生まれている。

⇒7月18日(金)午後・金沢の天気    はれ

★過疎化する世界の農村と向き合う‐上

★過疎化する世界の農村と向き合う‐上

大学の同僚からその話を聞いたとき一瞬耳を疑った。ブータンの農村では若者の農業離れが目立ち過疎化が進んでいるというのだ。首都ティンプに出稼ぎにいったまま帰ってこない。道路網が整備され、観光など労働の在り様が多様化している。都市化したティンプへの一極集中らしい。GNH(国民総幸福)という言葉は、ブータンの代名詞となっている感があるのだが、どうやら現実は複雑なようだ。

 過疎化の話はむしろ日本で大問題となっている。衝撃的な試算が出された。このまま日本の人口が減ると2040年には896市町村が消滅し、全国の全国の1800市区町村の半分の存続が難しくなるとの予測をまとめた。人口推計は大学教授や企業経営者からなる民間組織「日本創成会議」の人口減少問題検討分科会が発表した(5月8日付の新聞各紙)。

 そして先日、総務省が発表した住民基本台帳に基づく人口動態調査(今年1月1日現在)によると、全国の人口は前年同期より24万3684人少ない1億2643万4964人(0.19%減)で、5年連続で減少した。少子高齢化の進行で、死者数(126万7838人)から出生数(103万388人)を引いた「自然減」は7年連続で増加し、過去最多の23万7450人だった。つまり、山形市(25万)、宝塚市(22万)、佐賀市(24万)、呉市(同)クラスの都市が一つ消えたくらいの人口減だ。こうした過疎化する農山漁村とどう向き合えばよいのか。能登とフィリピンのイフガオの棚田での取り組みを紹介する。JICA広報誌「mundi」7月号に紹介された金沢大学の記事を紹介する。

                  加速する能登の過疎化と人材養成プログラム 

 能登半島山の斜面に積み重なる緑の幾何学模様。その先に広がる青い海。石川県能登半島にある棚田、白米千枚田はまさに絶景だ。この棚田のように、山や森林などに人が手を加えながら自然と共生してきた地域を“里山”と呼ぶ。能登の人々は、近代化が進む中でも地域ぐるみで里山を守り続け、2011年には、国連食糧農業機関(FAO)から伝統的な農業の保全・継承を目指す世界農業遺産(GIAHS)に認定された。

 しかし、新たな課題に直面してきた。「若者が職を求めて都市部に移住し、過疎化が急速に進んでいます。集落の維持が難しい地域すらあります」。そう話すのは、金沢大学里山里海プロジェクトの研究代表、中村浩二特任教授。このままでは人口は減る一方、能登の里山を守る人もいなくなってしまう―。この危機を打開しようと07年に金沢大学が立ち上げたのが、能登里山マイスター養成プログラム(12年から「能登里山里海マイスター育成プログラム」)だ。

 目的は、森林の管理方法や環境配慮型農法、農産品の販売促進などを伝え、里山を守る人材を育てること。プログラムは1年間で、隔週土曜日。参加者は「能登の美しい里山を守りたい」と、能登だけでなく、意外にも全国各地から集まった。これまでに農業者をはじめ、会社員や行政マン、デザイナー、主婦など84人が修了。能登の荒廃地にクヌギの植林をして付加価値の高い炭を生産したり、地元の食材を使ったお菓子販売を始めたりと、里山を維持する新たな担い手が育ちつつある。

⇒7月17日(木)朝・金沢の天気  くもり

☆拉致問題、先読み-3

☆拉致問題、先読み-3

  北朝鮮は孤立すると日本に接近してくるようだ。中国との経済のパイプ役だった張成沢処刑以後、中国と北朝鮮は急速に悪化し北朝鮮側に打撃を与えているとも伝えられている。中国から北朝鮮への生活物資や軍の戦略物資が突然、禁輸になるなど、中国も恣意的に北朝鮮に圧力をかけているようだ。中国はまた、核を保有する金正恩体制の強権体質に不信感を募らせているとも言われる。もともと外交の道筋が読みにくい両国だが、その国同士の関係性となるとさらに読みにくい。

 今回の拉致をめぐる日朝交渉でいろいろとイメージが膨らむ。「安倍総理の電撃的な訪朝はあるのか」。つい先日も、マスメディアの友人たちと雑談を交わした。「ある」「ない」と意見は二手に分かれる。「ある」とする方は、安倍総理の外交の柱の一つであり、ある意味で悲願でもあるので、「訪朝するくらいの覚悟はできているだろう」と。今月8日で放送されたNHK「日曜討論」で、自民党の高村副総裁は「(安倍総理が訪朝する可能性は)ゼロでない」と語っていた。おそらく総理訪朝のメリット、デメリットなど当然検討されているのだろう。

 「ない」とする意見。アメリカは現在、北朝鮮が非核化に向けた具体的な動きを先に見せない限り、協議に応じない姿勢を崩していない。そこで、今回の北朝鮮の拉致をめぐる交渉で日本が独自に経済封鎖の解除に踏み切れば、それだけで日本とアメリカの協調にひびが入る。ましてや、安倍総理が電撃的に訪朝してパフォーマンを演じれば、「ただでさえ、ひび割れしちがちな日米関係にそれこそ亀裂が入る。安倍総理はそんなことはしないだろう」と。

 日本が拉致問題を優先すれば、核やミサイル問題を重視するアメリカや韓国からの反発を招くの必至だろう。経済封鎖の解除にしても、拉致被害者の実情がつかみにくい中で安易に譲歩すれば、協議は北朝鮮ペースで進む恐れもある。安倍総理はそこらあたりをわきまえていて、参院予算委員会(3月19日)で「北朝鮮という国は外交的な工作を巧みだ。善意が利用される危険性がある」とも述べていた。

 結局、総理の電撃訪朝は「ある」「ない」のどちらか。これはまったく根も葉もない個人的な意見だが、「ある」と読む。安倍総理は昨年12月26日に総理就任1年を迎えたその日、念願の靖国神社に参拝した。中国、韓国、そしてアメリカの反発・非難・懸念を見据えての参拝だった。特定秘密保法案、集団的自衛権など周囲が反対しても、リスクがあっても、自らの思いを通す。2002年9月、当時の小泉総理の訪朝に同行したのは安倍氏だった。その小泉の美学を見た。その拉致問題を完結させたいという思いは強いだろう。小泉とタイプは異なるが、安倍晋三という人もまた「政治家として美学」を求めているのかもしれない。だから「ある」の可能性がある。

⇒17日(火)朝・金沢の天気  はれ

★拉致問題、先読み‐2

★拉致問題、先読み‐2

 拉致被害者家族が高齢化し、「時間との戦い」といわれる。ことし3月、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=拉致当時13歳=の両親(81歳と78歳)が、北朝鮮に住むめぐみさんの娘とモンゴルのウランバートルで初めて面会したというニュースは記憶に新しい。「もう残された時間は少ない」と考える安倍総理の決断によって、この場がセットされたとも言われた。その後、日本と北朝鮮は調査再開の本格的な交渉に入った。今にして思えば、今回の調査再開の前段の成果だったのだろう。

 話は変わる。能登半島には一連の拉致被害の第1号の現場がある。最近何度か訪れた。警察関係者の間では、「宇出津(うしつ)事件」と称される。1977年9月19日、東京都三鷹市役所の警備員だった久米裕さん(当時52歳)が石川県能登町宇出津の海岸で失踪した。当時事件を取材した元新聞記者から話を聞いた。

 久米裕さんは在日朝鮮人の男(37歳)と、国鉄三鷹駅を出発した。東海道を進み、福井県芦原温泉を経由して翌19日、能登町(当時・能都町)宇出津の旅館「紫雲荘」に到着した。午後9時。2人は黒っぽい服装で宿を出た。旅館から通報を受け、石川県警は能都署員と本部の捜査員を急行させた。旅館から歩いて5分ほどの小さな入り江「舟隠し」で男は石をカチカチとたたいた。数人の工作員が姿を現し、久米さんと闇に消えた。男は外国人登録証の提示を拒否したとして、駆けつけた署員に逮捕された。旅館からはラジオや久米さんの警棒などが見つかった。

 元新聞記者によると、この事件で石川県警察警備部は押収した乱数表から暗号の解読に成功したことが評価され、1979年に警察庁長官賞を受賞している。ただ、この事件は単に朝鮮半島に向けて不法に出国をした日本人がいたという小さな話題としてしか報道されなかった。以降、日本海沿岸部から人が次々と消える。この年の11月15日、横田めぐみさんが同じ日本海に面した新潟市の海岸べりの町から姿を消したのだ。

 警察は、乱数表およびその解読の事実を公開した場合は、工作員による事件関係者の抹殺など、事件解決が困難になるリスクもあると判断し、公開に踏み切れなかったともいわれる。当時、大々的に拉致問題として報道していれば、その後の被害者も最小限だったかもしれない。当時は外交による国交回復が望まれていた。そんな折、あえて事件化できなかったともいわれる。

 宇出津事件の現場を歩くと、不気味な感じがする。入り組んだ典型的なリアス式海岸で、急な坂道を上り下りする。夜は人が歩けるような状態ではない。だから、事件が起きたのだと実感する。あの外交問題の拉致事件の第1号ながら、有名な歴史スポットになってもよさそうだが、看板一つない。地元の人たちにとって、ここが観光地であり、拉致は歴史の汚点と考え、あえて明示したくないのかもしれない。

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