★讃岐路を旅する-中

★讃岐路を旅する-中

   きょう(4日)はJR高松駅から予讃線に乗って琴平駅に向かった。金刀比羅宮こと、「こんぴらさん」に詣でるためだ。2012年5月のゴールデン・ウイーク(GW)にも旅しているので、あれからちょうど5年だ。今回はちょっと思惑があった。5年前は本宮までの石の階段785段を二段飛びしてのぼった。62歳になり、もう一度チャレンジしたいという野心があった。

     こんぴらさんの1368段、二段飛びで挑戦

 列車内ではやはりこの歌を口ずさんでモチベーションを上げた。「こんぴら船々 追手に帆かけて シュラシュシュシュ まわれば四国讃州那珂の郡 象頭山こんぴら大権現 一度廻れば…」。琴平駅に着いたのは11時09分。そこから参道口に向かって歩き、石段のぼりの開始は11時30分だった。

   前回と同様に杖はあえて持たず。ひたすら二段飛びをする。旭社あたりで500段以上のぼったことになるが、さすがに脚が重くなってきた。少し休息を入れて、本宮を目指す。前に立ちはだかる急な階段「御前四段坂」に=写真・上=。652-785段に当たる。ここを一気にのぼれば本宮だ。御前四段坂を半分のぼったところでストップすることになる。GWで参拝客があふれ、階段にまで列をつくっていて、進めないのだ。ここで10分ほどかけて一段一段のぼり本宮に到着。11時55分ごろだった。

  ただ、二段飛びで785段をのぼるという当初の目的の達成感はなかった。最後の10分余りは休息のようなもので、しかも一段一段だ。余力もあったので、ここでさらに奥社までのぼることを決めた。本宮から奥社(厳魂神社)までは距離にして1㌔、石段は583段だ。奥社まで目指す人はまばらだ。その分、進みやすくなった。ただ、北原白秋の歌碑があるあたりで足腰が急に重くなるのを感じ、参道をゆっくり目でのぼる。「守れ権現 夜明けよ霧よ 山はいのちのみそぎ場所」(歌碑)。「イノシシ出没注意」の看板も横目で見ながら。

 卯花谷休憩所からはさらに急な石段続きになる。二段飛びもだんだんとおぼつかなくなる感じで足がもつれそうになる。それでも段飛びをしていると、抜き去った後ろの方から「あの人、すごいね」と聞こえ、励まされた気になる。ただ、最後の100段ほどは無謀なことをしたものだと思いながら、今度は頭がぼやけてくる感覚に襲われた。12時15分、なんとか1368段を登り切り、奥社にたどりついた=写真・中=。

 海抜421㍍から眺める讃岐富士の美しいこと=写真・下=。うれしくなって賽銭箱に千円札を投げた。二礼二拍手一礼を済ませ、今度は石段を下る。実は下りの方が危険に感じた。そのまま下ると膝がこわばって前に転倒しそうになる。そこで石段を左斜め、今度は右斜めというふうにW字を描くように降段する。本宮に戻ってくるころには爽快感で満たされていた。

  それにしても1368の石段は人生そのものだ。登り切るには決断がいる。下りはもっと慎重になる。参道の店で食べた讃岐うどんがうまかった。夕方、高松港から小豆島に向かった。瀬戸内海を滑る様に高速船が走った。

⇒4日(木)夜・香川県小豆島の天気   くもり

    

☆讃岐路を旅する-上

☆讃岐路を旅する-上

  ゴールデンウイーク(GW)に四国・高松を訪ねた。プライベートな旅で高松は初めて。旅する感覚というのは風景が鮮やかに見えていい。松尾芭蕉や与謝野晶子が全国を旅しながら俳句や歌をよんだというのは、場の新鮮さが感性を揺さぶったのかもしれない。

      海城・高松城跡の堀に泳ぐクロダイの群れ

  JR高松駅に3日午後、到着した。駅近くのホテルにチェックインする。ホテル10階の窓からは、海や街、山のパノラマが広がる。街の中に緑のゾーンがあるのでよく見ると、城跡のようだった。さっそく行ってみる。高松城跡だ。現在は高松市立玉藻公園となっている。なぜ、タマモと疑問が湧いた。公園の料金所(入園料200円)で手にしたパンフによると、万葉集で柿本人麿が讃岐の国(香川)の枕言葉に「玉藻よし」とよんだことにちなんで、このあたりの海は昔から「玉藻の浦」と呼ばれていたそうだ。ホンダワラなど海藻が茂る豊穣の海。海辺の近くにある高松城もかつては「玉藻城」と。

 なるほど万葉集からの地名かと想像をめぐらせながら、入ると、さっそく案内看板から与謝野晶子が名前が飛び込んできた。各地の名所を旅すると、芭蕉か与謝野晶子の名が競うように出てくる。「わだつみの 玉藻の浦を前にしぬ 高松の城龍宮のごと」。とても美しい龍宮城のようだと称賛している。

  水門と看板がかかる大きな堀池があった=写真=。手こぎ舟で天守台などめぐる「城舟体験」を楽しんでいる家族連れの姿もあった。その池を何気なく覗いてみると黒っぽい大きなさかながウヨウヨといる。コイかと思ったが、水面上で口をパクパクと開ける様子もない。よく見ると磯の魚クロダイだった。堀池と表現したが、海とつながっているのだ。干潮で水位が下がらないように、水門で水位調整している。与謝野晶子が「龍宮」と歌に盛り込んだのも、海の魚が泳ぐ海城だと言いたかったのかもしれないと勝手に想像した。

  かつての城主、高松松平家は明治維新後もこの城を大切にして守っていたようだ。明治期に老朽化した屋敷「披雲閣(ひうんかく)」を松平氏が再建したのは大正6年(1917)とパンフにある。今年でちょうど100年だ。戦後は占領軍に接収され、その後は高松市が譲り受けた。今では茶会や華展の会場として利用されている。

  高松は茶道が盛んだ。高松松平氏の藩祖、頼重が茶道三千家(表千家・裏千家・武者小路千家を総しての呼び名)の武者小路千家の始祖、千宗主を茶頭として招き、武家のたしなみとして茶の湯が地域に浸透した。ぜひ鑑賞してみたい茶碗があった。松平家が千利休に作らせたたといわれる楽焼茶碗「木守(きもり)」。ひょっとしてと思い、文化財や資料を展示する公園内の「陳列館」を覗いたが展示はされてなかった。思い付きでそう簡単に見ることができるようなお宝ではない…。いつか拝見したいものだと思い、高松城跡を後にした。

⇒3日(水)夜・香川県高松市の天気  はれ 

★手玉に取る

★手玉に取る

  「手玉に取る」という言葉がある。お手玉をもてあそぶように、人を思いどおりに操るという意味で使っている。国有地が地下のごみ撤去費用の名目で8億円余りが差し引かれ1億3千万円余りで売却されていたとされる一連の森友学園問題で、マスメディアに対応する籠池泰典前理事長のコメントなどをニュースで視聴していると、そんな言葉が浮かんでくる。手玉に取られたのは、財務省側と民進党ではないだろうか。

 先月28日、民進党のヒアリングに籠池氏が応じ、「国との土地取引の交渉の最中、たびたび昭恵氏に経緯を報告していた」と述べたという。報道によると、2014年4月、籠池氏が小学校建設を目指していた国有地に昭恵氏を案内し、財務省との交渉の内容を説明、早く工事を進めたいとの意向を昭恵氏に伝えていたという。このニュースの文脈だと、あたかも昭恵氏が国有地売却に裏で関わっていて、籠池氏が財務省との交渉過程を逐一報告していたような印象を与える。

   一人の視聴者・読者として知りたいのは、この「報告」の具体的な事実関係だ。電話での「報告」の内容だが、たとえば「おかげさまで先に見学いただいた国有地の件は何とかうまくいっています」と電話で話したとする。その相手(昭恵氏)がその一件に関わっていなくても、「それはよかったですね」と愛想で相槌を打つだろう。今度はその「報告」をもって、籠池氏が財務省側の担当者に「昭恵夫人に報告した。すると、大変喜んでおられた」と説明したとする。すると財務省側は今回の土地取引を昭恵氏も注視していると勘違いする。そのようにして、籠池氏側は財務省側の「忖度」をうまく引き出すというシナオリだ。いわば「言葉のあや」を「価値ある言語」として実体化する。

   民進党もうまく手玉に取られているという印象だ。問題の渦中の人物が言葉を公の場で発することで「証言」としての価値を付ける、「言葉の権威づけ」と言ってよい。公党である民進党のヒアリングという場は、その言葉の権威づけに最適だ。その言葉を今度は民進党が国会で政府追及の道具として活用することになる。籠池氏は衆参両院の予算委員会での証人喚問(3月23日)やマスメディアからの数々のインタビューで自らの言葉を価値化する技を磨いたのかもしれない。あるいは、天性の才能かもしれない。

⇒2日(火)夜・金沢の天気   はれ

☆日本海の波高し

☆日本海の波高し

   日本海が「にぎやか」になってきた。きのう28日、金沢港にイタリアの大型クルーズ船「コスタ・ネオロマンチカ」(5万7千㌧、乗客定員1800人)が接岸した。金沢港が発着で、境港、釜山港、博多港、舞鶴港など日本海を周遊する。船内ではイタリア料理や社交ダンスを楽しみながら6日間の船旅を楽しむ。北陸新幹線の開業効果の一つで、東京から金沢に来 て、金沢港で船に乗り込めば日本海クルーズが楽しめるというわけだ。10月まで32回を予定しているという。

   一方、アメリカの原子力空母「カール・ビンソン」はきょう29日、長崎県沖の対馬海峡を通過し、日本海に入ったとのニュースが流れた。海上自衛隊の護衛艦とさっそく共同訓練を行うなど、北朝鮮をにらんだ緊張状態が続く。そして、北朝鮮がきょう午前5時30分ごろ、日本海に向けて弾道ミサイル1発を発射したとのニュースが速報で流れた。菅官房長官は記者会見で「50㌔離れた北朝鮮内陸部に落下したと推定される」と述べた。弾道ミサイルは日本海へは届かなかったようだ。ニュースを見て心配になったことは、アメリカなどが圧力を強める中、北朝鮮側があえて挑発行為に出たことだ。

   関連して気になることが一つ。今回の北のミサイル発射で日本国内で過敏ともいえる動きが出始めていることだ。北のミサイル発射で、北陸新幹線は午前6時8分から19分までの11分間、金沢-上越妙高間での運転を見合わせた。ブレーキをかけての緊急停車。JR西日本が、北のミサイルへの対応で新幹線を停止させたのはこれが初めてという。

   先に「過敏ともいえる動き」と表現したのは、JR西日本は「Jアラート」など政府の警報が発動した時に新幹線を止めるルールの運用を今月から始めているが、今回はJアラートが発動したわけではなく、ニュースを知って同社が総合的に判断して、念のために止めたということだ。これを「過剰反応」というか、「安全の最優先」というかは別として、今後同類の反応がいたるところで起きてくることだろう。

   話を冒頭に戻す。日本海のクルーズが本格化し、新たな観光の時代の幕開けと期待できる。ただ、北朝鮮の動きや、空母「カール・ビンソン」が今後どのように日本海に展開するのか気が気でならない。果たして、このような状況の中でクルーズを楽しむ気になれるだろうか。タイミングがよくない。日本海の波高しだ。

⇒29日(土)夜・金沢の天気    はれ

★有事への敏感さ

★有事への敏感さ

  きのう(26日)、小松市に住む知人からのメールでこんな下りがあった。「最近、世の中が物騒になってきたせいか、小松基地の自衛隊の訓練がいつも以上に活発化しています。また基地を抱える小松市は周辺自治体より有事の際の対応に敏感になっています。」と。小松基地の動きが活発化している様子は金沢にいても感じ取ることができる。F15戦闘機とみられる戦闘機が飛び交っている様子は、金沢の空に描かれる縦横、斜めに交差する飛行機雲を見ても分かるのだ。高度な上空のせいか機体音はしない。

  きょうの朝日新聞デジタル(27日付)によると、アメリカ太平洋軍のハリス司令官は26日、アメリカ下院軍事委員会公聴会で、北朝鮮に関して「アメリカは先制攻撃の様々な選択肢がある」と述べ、原子力空母カールビンソン率いる空母打撃群が沖縄東方を航行しており、北朝鮮を攻撃できる射程内に入ったことも明らかにした、と伝えている。また、各メディアは、トランプ政権はホワイトハウスに上院議員を招いて対北朝鮮政策を説明する会合を非公開で開催した、と報じている。外交の素人でも、この一連の報道を読めば、アメリカは北朝鮮に対して、核放棄を迫るための先制攻撃の準備を着々と進め、議会に対しても事前に説明し同意を得なるど用意周到の体制で臨んでいると理解するだろう。

  その先制攻撃が金正恩党委員長へのピンポイント攻撃、つまり「斬首作戦」であるならば、その実行日としてネット上で散見されるのが「4月27日」説。この日は新月で夜が真っ暗闇となり、作戦実行に使用されるステルスヘリコプター「ブラックホーク」が肉眼などで感知されにくくなるからだ、と。なるほどそれがアメリカの作戦かと妙に納得して、国立天文台のホームページで調べると、夜が真っ暗闇となる4月の新月は4月26日(水)21時16分、つまりきのうなのだ。ということは、この情報は単なる推測か。ただ、同じ方法でアメリカが、パキスタンでオサマ・ビン・ラディンに対して行った「斬首作戦」は2011年5月2日(日本時間)、新月(5月3日)の前日だった。

   それにしても、原子力空母カールビンソンは日本海まで北上して展開するのか。冒頭の小松基地の周辺だけでなく、朝鮮半島の有事に日本海側も敏感になってきている。

⇒27日(木)朝・金沢の天気   はれ

☆車窓から見える能登の風景

☆車窓から見える能登の風景

  先日(23日)JR金沢駅で「北陸トライアングルルートきっぷ」を買った。能登半島の穴水町でワインの勉強会があり、現地でのテイスティングや懇談会でのアルコールのことを考え、乗用車ではなく列車での往復にした。金沢駅のIRいしかわ鉄道の窓口で往復切符を買おうと係のスタッフに尋ねると、「北陸トライアングルルートきっぷがお得ですよ」と勧められた。チケットはJRの窓口で買った。

  通常なら金沢と穴水の往復で4000円余りの値段だが、2日間乗り放題で2800円なので確かにお得だ。しかも、この切符はJR西日本、IRいしかわ鉄道、あいの風とやま鉄道、のと鉄道、加越能バスの5社が連携する切符で、5社の駅、たとえば金沢駅、七尾駅、穴水駅、氷見駅、高岡駅、城端駅などまさに地理的に三角点を結ぶトライングルの列車とバスが乗り放題なのだ。

  さっそく穴水駅に向けて列車に乗り込んだ。普通列車で6両編成。能登に行くのに列車に乗るのは何十年ぶりだろうか。いつもなら乗用車か特急バスを利用する。久しぶりのせいか、車窓から眺める景色はどこか新鮮だった。

  少々肌寒かったが晴天で視界が広がって見えた。宇野気(うのけ)駅。かほく市宇ノ気は2つのイメージがわく。駅の向こうにコンピューター関連メーカー「PFU」の本社がある。中学や高校の同級生も何人かこの会社に勤めていた。PFUの創業時の社名は「ウノケ電子工業」。1960年に地元の歯科医師らが出資して新たな町の産業にとつくった電子計算機メーカーがツールだ。駅のたたずまいを見て、かつての同級生たちの通勤姿を勝手に想像した。もう一つ、宇ノ気は哲学者・西田幾多郎の生まれ故郷だ。私は学生時代に西田の『善の研究』を読破しようと試みたがあえなく挫折した。駅前には西田幾多郎の像がある。

  七尾駅でのと鉄道に乗り換えた。今度は一両編成。能登のレ-ルは基本的に単線である。駅で止まっている対向列車はほどんどが「ラッピング列車」と呼ばれる。のと鉄道ではアニメの「花咲く いろは」を、JR七尾線では宇宙人と空飛ぶ円盤を描いた「UFO」列車があった。なんとも華やかな。

  能登中島駅。「演劇ロマン駅」と愛称の駅名がついている。俳優の仲代達矢が率いる無名塾はこの駅の近くにある能登演劇堂で毎年ロングラン公演を行っている。今年も10月14日から約1ヵ月(25回)の公演を予定している。演目はブレヒト作の『肝っ玉おっ母と子供たち』。17世紀のヨーロッパで起きた三十年戦争が舞台、仲代氏は戦争で子供を殺されてもたくましく生き抜く「肝っ玉おっ母」役を演じるようだ。

  中島と言えば、越中国司だった歌人の大伴家持が能登へ巡行した折、この地で歌を詠んでいる。「とぶさ立て 船木伐るといふ 能登の島山 今日見れば 木立茂しも 幾代神びそ」(『万葉集』)。船を造るりっぱな木々が茂っている、なんと神々しいことか、と。天平20年(748)、家持29歳のときの歌だ。この船とは当時の大陸の渤海(698―926年)からの使節団が能登をルートに奈良朝廷に朝貢し、帰国する際には能登で建造された船を使った。

 能登鹿島(かしま)駅。ここは「さくら駅」として知られる。ホーム沿いに数十本のソメイヨシノが「桜のトンネル」状になっている。列車がこのトンネルに滑り込むと桜吹雪が見事に舞ったのが印象的だった。終点の穴水駅には到着したのは金沢駅を出て2時10分後、車窓から見えたのは、能登の山海の自然であり、歴史であり、現代の風景だった。

⇒25日(火)午後・金沢の天気  はれ

★像の切断を政争の具に使う愚

★像の切断を政争の具に使う愚

メディア各社のニュースによると、きのう22日、台湾の初代総統である蔣介石の座像の頭部が切断される事件が起きたという。今月16日には日本統治時代に烏山頭(うさんとう)ダムの建設を主導した日本人技師、八田與一(はった・よいち)の座像の頭部が切断される事件があったばかり。八田與一の座像と蒋介石の立像の切断事件に関しては、ブログ「座像の切断事件、金沢からの考察」(今月20日付)でも紹介した。

  今回の切断事件があった場所は台北市北部陽明山にある公園で、蔣介石の座像の頭部が切断され、赤いペンキが掛けられていた。壊された座像の台座には「2・28事件の元凶」「殺人魔」などと落書きがされていた。報道では、一連の像の切断事件が報復の応酬のニュアンスで報じられる向きもあるが、前回のブログでも述べたように、八田與一の像と蒋介石の像は成り立ちも異なれば、造った人も違う。つまり、政敵でもなんでもないのだ。

  以下、前回のブログのおさらい。烏山頭ダムが建設を指揮した八田與一はダム建設後、不毛の大地とされた原野を穀倉地帯に変えたとして、内省人と呼ばれた台湾の人たちに評価された。八田は金沢で生まれの水利土木技師で、八田の銅像は当時の地元の農民が感謝を込めて自発的につくったものだ。八田の功績は、戦後日本と台湾の友好の絆も育み、命日の5月8日には金沢からも多くの人が慰霊祭に出かける。日台友好のシンボル行事にもなっている。

  これに対し、初代総統だったは蒋介石の像は権力の象徴として造られた。ところが、1947年に起きた「2・28事件」が70周年に当たることから。蒋介石の功績評価の見直しが起きているようだ。戦後、日本に代わり台湾を統治した国民党だが、その年の2月28日に外省人(大陸から移住してきた中国人)と国民党の支配に反発する本省人が抗議デモを繰り広げ、大規模な流血事件が起きた。2・28の流血事件の責任者は蒋介石だったとして、本省人系の与党民進党が中心となり、学校から蒋介石の銅像を撤去する動きが表面化しているのだ。

  切断事件は上記ような背景で起きた。ことし2月28日、輔仁大学(新北市)のキャンパスの蒋介石の立像の一部が切断され、学生たちが逮捕された。今度は今月16日、八田與一の座像の首切断され、台湾市の元市議を逮捕。そして今回22日の台北市の蒋介石の座像の首切断事件である。

  冒頭でも述べたように、政敵でもなかった二人の座像を切断することに何の意味があるのだろうか。政争ならば国会など政治の場でやればよいだけだ。逆に、こうした破壊行為を政治のシンボリックな行為と同一視して報じるメディアの在り様も問われている。

⇒23日(日)朝・金沢の天気  はれ

☆座像の切断事件、金沢からの考察

☆座像の切断事件、金沢からの考察

  最近、友人や知人たちとの日常会話で出てくる主語は「北は…」「トランプは…」である。それまでは「籠池は…」「小池は…」だった。会話というのは無意識のうちに世相を敏感に映すボイス・メディアだと改めて思う。もちろん、その会話というのはマス・メディアの影響を受けてのことだが。そんな会話からにじみ出た最近のニュースを一つ。

  金沢市ではよく知られた歴史上の人物で「八田與一(はった・よいち)」がいる。台湾の日本統治時代、台南市に烏山頭(うさんとう)ダムが建設され、不毛の大地とされた原野を穀倉地帯に変えたとして、台湾の人たちに評価されている。このダム建設のリーダーが、金沢で生まれの水利土木技師、八田與一だった。八田の功績は戦後日本と台湾の友好の絆も育んだ。ダム記念公園には八田與一の銅像があるが、今月16日に銅像(座像)の首が切断されてのが見つかり、石川県内のメディアでも大きく報道された。犯行は台北市の元市議だった。

  同じような銅像の切断事件が台湾であったことを思い出し、ネットで検索した。ことし2月28日、輔仁大学(新北市)のキャンパスに設置されている、初代中華民国総統だった蒋介石の像が破壊され、学生たちが逮捕された。学生たちは蒋介石像(立像)の杖の部分を工作機械で切断した。相次ぐ銅像の切断事件、無関係なのかと思いきや因果関係がありそうだ。以下は、金沢に住む台湾通の友人が解説してくれた。

  蒋介石は国民党の権威のシンボルでもある人物だが、その評価を見直す動きが起きているようだ。ちょうど70年前の1947年に起きた「2・28事件」。戦後、日本に代わり台湾を統治した国民党だが、その年の2月28日に外省人(大陸から移住してきた中国人)と国民党の支配に反発する本省人(もともとの台湾人)が抗議デモを繰り広げ、大規模な流血事件があった。その後、国共内戦で毛沢東の中国共産党に敗れて1949年に台湾に移って政権を樹立した蒋介石だが、2・28の流血事件の責任者は蒋介石だったとして、本省人系の与党民進党が中心となり、学校から蒋介石の銅像を撤去する動きが表面化している。学生らによる蒋介石像の切断事件もまさに2・28事件のちょうど70年後の象徴的な出来事だった、という。

  そこで、知人にこんな質問をした。「ということは、八田與一の像が切断されたのは、蒋介石を尊敬する、いわゆる外省人系の人たちの趣意返しということか」と。「八田の像を切断した元台北市議の逮捕後の供述がその後、報じられていないので何とも言えない。ただ、台湾に八田の像は一つしかない。それを台北市から台南市にまでわざわざやって来て、像の首を切断し、警察に出頭したとなると、与党民進党に反発する層の支持を集めたいという政治屋のパフォーマンスだったのかもしれない」と。

  そのような話を率直に聞くと、八田與一の像はとんだ災難に巻き込まれた感じがして、なんだか無念さがこみ上げてくる。ダム建設後、八田は軍の命令でフィリピンの綿花栽培のための灌漑施設の調査ため船で向かう途中、アメリカの潜水艦の魚雷攻撃で船が沈没し亡くなった。1942年(昭和17年)5月8日だった。終戦直後、八田の妻は烏山頭ダムの放水口に身投げし後追い自殺したことは金沢ではよく知られた逸話だ。

  八田の命日当たる5月8日には慰霊祭が毎年営まれ、金沢市からも関係者らが訪台して参列する。ことしの慰霊祭はどうなるのか。先日、台南市の市長は像の修復を急ぎ、例年通り慰霊祭を開催すると日本側に通知したことが、石川県の地元メディアでニュースとなっていた。先の友人はこう付け加えた。「八田の銅像は地元の農民が感謝を込めて自発的につくったもの。だから一つしかない。蒋介石の像は権力の象徴としてあちこちで造られた。八田を政治的に巻き込むは筋違いなのだが…」と残念そうに天を仰いだ。

※写真は八田與一の座像。ウィキペディアより引用

⇒20日(木)朝・金沢の天気    くもり

★日本海、島民の憂い

★日本海、島民の憂い

  能登半島の先端からさらに沖合50㌔に舳倉島(へぐらじま)がある。アワビやサザエの漁場でもあり、漁業の中継拠点でもある。この島の周囲は南からの対馬海流(暖流)と北からのリマン海流(寒流)がぶつかり、混じり合うところ。そのため海岸では、日本語だけでなく中国語やハングル、ロシア語で書かれたゴミ(ポリ容器、ペットボトル、ナイロン袋など)を拾うことができる。かつて、テレビ局時代に取材した島の住民からこんな話を聞かされたことがある。「島に住んでいると、よその国の兵隊が島を占領したり、大量の難民が押し寄せてきたり、そんなことをふと考え不安になることがある。本土の人たちには思いもつかないだろうけど」と。北朝鮮による拉致問題がクローズアップされ、当時の小泉総理が北朝鮮を訪問した2002年ごろの話だ。

  島民の話が現実になるかもしれないと思ったのが昨日7日のニュースだ。安倍総理が本部長を務める総合海洋政策本部会合で舳倉島や新潟・佐渡、島根・隠岐諸島など国境に近い148の有人の離島の振興に向けた基本方針を策定したと報じられた。なかでも、領海警備や治安の  確保が政策の柱となったようだ。政府としては海洋権益の確保といった言葉になるのだが、それほど海の安全保障が揺らいできたということだろう。

  同じ7日朝、アメリカが、シアリの化学兵器を保管しているとされる空軍基地を巡航ミサイル「トマホーク」59発で攻撃したとテレビ速報が流れた。シリアのアサド政権が民間人に化学兵器を使用したことに対するアメリカの報復措置で、トランプ大統領が「レッドラインを越えた」と表明し、その後電撃的にトマホークが発射された。このニュースで、「トランプ大統領の次なる標的は北朝鮮かも」と脳裏をかすめた人は少なくなかったのではないか。

  というのも、北朝鮮は5日に弾道ミサイルを日本海に向けて発射している。国連安全保障理事会は6日、安保理決議への「重大な違反」「強く非難する」との報道声明を出した。7日はアメリカと中国の首脳会談が開催された。ニュースによると、トランプ大統領は習主席に対し、北朝鮮の核とミサイルを阻止するよう中国が強く対北朝鮮制裁に動くべきだと要求したという。一連の報道から読み取れることは、今回のシリアへ空爆の事例を後ろ盾に、中国が動かなければアメリカが動くと習主席に事前通告したとも読み取れる。

  北朝鮮有事は近い。そんな空気が漂い始めた。現実になれば、大量の北朝鮮の難民が船に乗ってやってくるだろう。ガソリンが切れたり、エンジンが止まった船の一部はリマン海流に乗って舳倉島、能登半島に漂着する。無事漂着したとして大量の難民をどう受け入れるのか、武装難民だっているだろう。シリア人を乗せた難民船が地中海で航行不能となり転覆するという事故は今も起きている。地中海の悲劇は日本海でも起きるのか。島民の憂いがようやく理解できた気がした。

⇒8日(土)夜・金沢の天気    はれ

☆風と緑のベートーヴェン・チクスル

☆風と緑のベートーヴェン・チクスル

  昨年暮れ、クラシック音楽イベントがニュースとして石川県で話題になった。2008年5月から毎年ゴールデン・ウイーク(GW)を中心に開催されてきた「ラ・フォル・ジュルネ金沢」が突然終了するというのだ。GWのイベントとしてすっかり定着し、毎回10万人もの入場があっただけに、多くの地元クラシック音楽ファンは「なぜ」と首を傾げた。私もその一人だった。

  当時のニュースで地元の実行委員会が明かしたのは、ラ・フォル・ジュルネの運営をめぐるルネ・マルタン氏ら企画サイドと地元実行委員会の路線の対立だった。ラ・フォル・ジュルネは1995年にフランスの芸術監督ルネ・マルタン氏が手掛け、低価格で本格的なクラシックを売りに複数の会場で同時にコンサートを開くなど画期的な音楽祭だ。ところが、金沢ではそれに独自のプログラムを盛り込み、地元色を強くした。企画サイドとすると、フランスで制作した本来のプログラムを強く打ち出さなければ「ラ・フォル・ジュルネ」と銘打つ意味がない。一方で金沢の実行委員会側では当地のプロオーケストラ「オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)」も巻き込んで金沢の独自色を出して盛り上げたい。双方の思惑の違いが鮮明になってきたというのだ。

  最終的に地元の実行委員会は「名称を変えて同様の音楽イベントを来年以降も続ける」と結論を出し、ルネ・マルタン氏ら企画サイドと袂を分かった。あれから4ヵ月、実行委員会は「風と緑の楽都音楽祭2017」と新たな看板を掲げた。

  先日、有料公演プログラムのパンフを手に入れた=写真=。内容はというと、ことしのテーマは「ベートーヴェンが金沢にやってきた!」だ。売りはベートーヴェンの交響曲第1番から第九までを5月3日からの3日間で全曲演奏(チクルス、ドイツ語Zyklus)をするというのだ。第九はもちろん合唱付き。演奏はOEKやカンマーシンフォニー(ベルリン)などプロのオーケストラが担当、指揮は広上淳一、ユルゲン・ブルンスら。このほか「皇帝」などピアノ協奏曲5曲やピアノソナタ全32曲をチクルスで。ラ・フォル・ジュルネと決別して独自の音楽祭を創り上げる気合いが伝わってくる。

  この内容ならぜひ「風と緑の楽都音楽祭2017」を聴いてみようと思い、さっそくチケットを購入した。実は、ベートーヴェンの全シンフォニーを聴くのは2度目だ。東京芸術劇場で行われた2005年12月31日から2006年1月1日の越年コンサートで、指揮者の岩城宏之(故人)が「振るマラソン」と称してで全シンフォニーを一夜で演奏した。途中休憩をはさみ正味9時間40分の演奏だった。第九のタクトがおろされたとき、指揮者とオーケストラ、聴衆が一体化した感動が込み上げてきた。今も忘れられない。今回は3日間だが、ベートーヴェンのチクルスの感動を再び味わえることを楽しみにしている。

⇒2日(日)夜・金沢の天気    はれ